いきつけの歯科医に先日かかりました。
患者のこと歯のことを考えたうえで様々な工夫がなされ、院長の善意のあふれるその歯科医で、ええ!?と思うミスがありました。
確かにその日、私はその歯科医院のイスに通されて、スタッフのお姉さん達の顔をみて、おや?と思ったのでした。笑顔がないどころか、不満顔だなと感じたのです。その夜遅くに私は診療のミスに気がつき、メールでクレームをいれ、そして翌日早くに電話でお願いして、再度診療してもらうことにしました。片道2時間かかるんですけど(涙)
そこの院長先生は、オリジナルでいわゆるカリスマ性があるインパクトの強い人だと思います。でもそこが裏目にでたなと。ちょっとone-manになってきているのかもなと思ったのです。そうでなければ、女性スタッフ達がああいう表情はしないだろうと思ったし、今回のミスもありえなかった(患者への説明確認を怠った)と勝手に想像しました。結局、適切な処置を再度施してもらい、料金もやり直しということで請求されませんでした。
ところでその翌日、私はお金の受け渡しで間違いをしました。本来もらうべきよりも多くの金額を頂いてしまったのです。私は自分が提示する金額が正しいと言い、相手の方はご自分が勘違いしていた、自分の誤りだとおっしゃったのです。本当は私のとんでもない勘違いだったのに(恥)。
歯科医での出来事は、院長先生が何かに気づかないといけない出来事かと思っていましたが、実は私にも同じような注意を促す出来事だったわけです。自分の方が正しいと思い込まず、また相手のことを”過”信して負担を与え過ぎないこと、お互いが謙虚でいることを、教えてくれる二つの出来事でした。
しかしそれを理解したのは、歯科医の出来事から2日も経ってから(遅)。自分を棚にあげて、その院長先生を分析している場合じゃなかった(恥)。
ちょっと話はずれるかもしれませんが、医療でも歯科医でも、そして何のセラピーでも、カリスマ的な治療者はいます。彼らはエネルギーが強い/高い(と思う)ので、たくさんの人をひきつけます。そしてどうせかかるなら、トップの、最高峰の人に、と考える人を集めます。それは人の持つエネルギーの量でいうとごくごく自然な流れだと思います。でもそれはお互いにとって危ういことにもなるんだろうなと今回改めて思いました。
かかるほうは、その人を信頼/信奉するあまり、預けすぎる。そして、自分で考え、選択し、確認することを、放棄しがちになる。力量があり、しかも信頼出来る人にまかせることほど、安心できて、簡単なことはありませんから。これ、私の今回の歯医者さんでのパターン。
一方、カリスマ性をもつ人も、寄りかかられることが続くと、その完璧な役割を押し付けられることに慣れて、いつのまにか独断的になったり、自分を過信してしまうこともありえます。なによりもその役割を背負っていくこと相当苦しいでしょうね、だって人々の期待だけでなく、選択や判断すら担わされているのだから。本来は、どちらもただの一人の人間であるのに。
人に責任を預けない、他の人の責任まで背負わない
時間と労力を使い(往復4時間)、恥をかきつつ(金額間違って)も、学びとなりました。
(後記)その後、上記同様のone-manさを表す出来事がその歯科医さんで2、3続き、結局、別のとても納得できる自分に合う歯科医さんに変えました。
ホメオパシー療法にご興味のある方は、HPの方へもどうぞ: