challenge してますか

”Challenge” という言葉が降りてきたので、

自分がこれまでの人生でやってきた「チャレンジ」について、今朝、思い巡らせてみました。

ここで書くチャレンジの定義は、

「できるかできないか予想もつかない、むしろできるとはなかなか思えないけれど、

試してみた、思いきってやってみた」ことです。

私はこれまでの人生で、海外にも1人で無防備に住みにいったし、わりと色んなことをやってきた方だとは思うけれど、

上記のチャレンジの定義に当てはまることを思い返してみたら、実はあまりやったことがないということがわかりました。

海外に行ったときは、ただ行きたいという気持ちで動いていただけなので(怖さも何もなかったから思いきりも必要なかった)チャレンジとは呼べないし、

マイナーなカテゴリーに入るホメオパスという仕事を選んだときも、できるかわからないけどやってみようというチャレンジではなく、気がついたらいつのまにかなっていたというただ起きてくる流れに乗ったような出来事だったので、自分の中ではチャレンジではありませんでした。

えー!?ちょっと、まって!ということは、私は人生であまりチャレンジしていないってこと?!と我ながら気づいて、

やれるかやれないかわからないけど、敢えてやってきたことを念入りに調べてみたら、

3つほどでてきました(良かった…..笑)。

1つ目にでてきたのは、テニスの試合にでたことです(まだこれからもでるかもですが)。

小さなコミュニティで何年もテニスをやってきた私でしたが、
少し広い世界に歩みでて自分がどれくらいできるか検討がつかない、ものすごい低レベルかもしれない、大恥かくかもしれない、それでも自分を試してみようと思って(しかもこの年齢で、汗)テニスの試合にでてみたことは、自分の中ではとても大きなチャレンジでした。

思えば、試合くらい緊張することは、私の人生では少ないと思います → つまり、緊張しない、チャレンジしようとしない自分の一面にあらためて気がつきました、笑。

2つ目に思い浮かんだのは、ボイストレーニングを始めたことです。

私は歌を歌うのが下手で、いわゆるコンプレックスでした。
そのコンプレックスに取り組むのはわりとハードル高かったけど、とりあえずやってみようと始めたのは、私にとって正真正銘チャレンジと言えます(現在も継続中、毎回レッスンで緊張して汗かきます)。

こう書いてくると、チャレンジというのは、

できなくて恥をかくかもしれない、失敗して後悔するかもしれない、自分のプライドが傷つくかもしれない、

それでもそういうエゴの痛みをも引き受けて、覚悟してやってみるってことなのかなと思いました。

3つ目に思いついたのは、移住したことです。

東京から今の姫路市の山間部に住みにきたことは、古民家暮らしも初めてなら、いわゆる村の中に入り込むのも初めてのことだし、人間関係やら暮らしやら、どうなるか全くわからないけど、とりあえずやってみようと思った、これもチャレンジだなと思いました。

とはいえ、これは私個人でのチャレンジというより、家族としてのチャレンジだと思います。

ということで、私のこれまでの人生のチャレンジで思いついたのは、上記の3つでした。

このチャレンジの数から自分のことを分析すると、

私は、ある程度予想できることしか手を出さないタイプの人だなと言えます。

予想して失敗しそうだとか、うまくいかなそうなことには、やらないようにしてきた安全圏で生きようとしていた人なのかもしれません。

もちろん、これを別の角度から言い換えるなら、自分が世間でできることがちゃんとわかっていて見通すのがうまいとかいう言い方もできますが笑。

しかし、いっけん、人生がわりとうまくいってきたように思えるとしても、

それは自分の想定内でだけ、安全圏内でやってきたとも言えますね(苦笑)。

家で、学校で、社会で、

何かをするときに助言をされることが多いです:

安全第一に。

先々のために保険を考えといた方がいい。

リスクをいつも考えなさい。

見通しが立ってやろうとしているのか。

もちろん、これらの言葉は、シチュエーションによっては大事かもしれません。

でも、安全第一すぎて、自分が失敗しない、危うい目に合わないことが、人生を生きることではないですよね。

安全でチャレンジしない人生は、違う角度からみるならば、

フルに自分のポテンシャルを発揮する機会を自分に与えていないとも言えるかなと、自分の人生を振り返りながら、思いました。

ということで、チャレンジが私に残ってる1つの課題だろうなと、新春に思いました。

なんとなく感じたのは、チャレンジすることの数を増やすより、
チャレンジすることの規模自体を大きくするほうが私には大事そう……。

2023年、あなたはのチャレンジは、どうですか。

休暇の違う使い方


私のダンナさんですが、その順番逆だよね?! と突っ込みたくなるときがあります。

先日も、煮込みに使った大きな重いお鍋(ル・クルーゼ)をテーブルにうつさないといけないときに、

「(運ぶの)手伝おうか?」と

お鍋を持ってくれたのですが、お鍋を置くスペースを確保せずに先に動いたので、

彼はその鍋を持ったまま、

「これとこれ(お鍋を置きたい場所にあったお皿類)、どけてよ!」と私に頼むことになり、

私がやっていたことの手を止め、テーブルの空きスペースをつくったのでした。

「えっとさ、順番逆だよね、置く場所をまず確認してから、お鍋持とーか」

と彼に言ったと思いますが(いつものことなので言わずに心の中で私が思っただけだったかも笑)、

なんか、このパターンよくあるよなと私は思い、それでその場は終わりました。

そしたら、その翌日、私が洗濯物を干してるときに

あれ?!私も順番逆じゃない?!

と突然、気がついたのでした。

私はTシャツなどの洗濯物を干していくときに、

まずハンガーをとり、それからTシャツを手にとってることに気がついたのです。

(ハンガーにまず干してから、洗濯物のシワをひろげてた)

そのときもハンガーを左手にもったまま、裏返しになってる息子のシャツをひっくり返そうとしてて、あれ?と気がつきました。

ハンガー持って、片手でひっくり返すのはやりにくい….(当たり前)、

ちょっと待って、「これ順番逆だよね!?」と。

洗濯物を先に手にとり、パンッと伸ばしたり、裏返しならひっくり返してから、次にハンガーを手にとれば何のストレスもないわ!

この順番が逆だったことに、今頃、気づくなんて!!!(とても小さいことながら、私には衝撃)

(注)もちろん、こういうことに正解などはありませんから、先にハンガー持とうが、後で持とうがよいのです。ただ、私は逆の順番の方が自分がスッキリすることに、このとき、初めて気がついた苦笑。

昨日、ダンナさんのこと、順番逆でしょう!と指摘したタイミングと合わせてみると、今回このパターンを解消することになっていたのだなと思いました。

近しいダンナさんに指摘していたそのことは、自分も持ってるパターンの1つだったのでした。

この日以降、洗濯物を干すときにマインドフルネスでできるので(ハンガーを先に持つと落ち着かず、あせる感覚がそれまであった)、とても心地がよくなりました。

今は年末年始のお休み中の方が多いと思いますが、

休暇中というのは、いつもの日常より家族と過ごす時間が長いと思います。

家族と長くいるということは、ほっこりしたり、気がゆるんだり、賑やかで楽しかったりもすると思いますが、同時に、家族間での小さな摩擦やイライラをいつもにも増して感じる機会でもあると思います。

いつもは仕事や学校など、家の外の出来事に意識が向いてるけど、ずっと家族でいると、意識は家の内側に向くからです。

普段の日常ではあまり時間がないので、家族間で起きる摩擦や気になるところはなるべくスルーしてると思いますが、もし今回のお休み期間にそういうことに気づいたら、それは不要なパターンを解消する機会だと思うと面白いかもしれません。

不要なパターンやいつのまにか知らずに身につけていたパターンは、それがどんな小さなことでも解消されると、私のように毎日がもっと心地よくなるし、それはつまりネガティブパターンが解消されたということなので波動が少し上がるということでもあります。

イエスが「自分じぶんあいするようにあなたのとなびとあいせよ」といったように、

隣人=近しい人、家族は、自分たちがもってる不要なパターンを最も濃くみせてくれる人たちだと言えます(エネルギー的に最もあなたの近くに引き寄せられたので)。

近しい人たちと長くいる時に浮上してくる不快な出来事は、お互いにとって不要なパターンだよというサインでもあるわけです。

ちなみに、今の年末休みの時点で、私は 2つのパターンを解消しました。

1つは上記の「順番逆だった」ことですが、もう1つは、ダンナさんと初めて行った巨大ホームセンターで起こりました(つまり、そこで揉めた…笑)。

書くととても長い出来事なので、はしょりますが、お互いのコミュニケーションパターン(キャッチボールしようとする人=私と、投げられたボールをよける人=ダンナさん、ボールをよけられたら怒る人=私)に気づきが起きて、それを解消したのでした。

このコミュニケーションパターンは、ダンナさんにはとても大きなブロックとなっていて(幼少期からのパターンだった)、解消はその場ではできず翌日になりましたが、

お互い、その後は、ものすごく軽くなりました。

という感じで、年末年始休暇を、

”この私の近しい人たちは、私が持ってるどんな不要なパターンをみせてくれてるのだろう?! ” と、

そんなクイズのような視点で過ごすのも、なかなか楽しいかもしれません(そうか?!….笑)

優しい目…..ちなみに、うちの裏の山の鹿ではありません笑。

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年末年始に気づいた近しい人との小さな&不要なパターン、

解消の仕方がわからないときは、メール相談できます。

(根深いパターンは、カウンセリングでないと解消は難しいかもです)

ご興味のある方は、こちらへ どうぞ。

メール相談始めました

レメディやエッセンスは特に必要ではないけれど(身体症状等がない)、


日々起こる出来事についてちょっと相談したいとか、


日々自分の中に溜めていて吐き出すことができないことを話したいとか、

そういうお悩みに対応できそうなサービスを始めました。

①メール相談

メールでお悩み等の相談を受けます。

自分一人で色々考えるより、他人の視点が入ると、物事は違ってみえてきます。

解決につながるひらめきが起こるようなやりとりができればと考えています。

往復3回までのメールのやりとりになります。

詳しくは:こちらのページへ

②1時間カウンセリング

zoomを使った1時間ジャストのカウンセリングです。

自分の中で溜め込んでるものを外にだしてもらったり、

心の中の整理をお手伝いしたり、悩みに対する違う視点を提供できたらと考えています。

詳しくは:こちらのページへ

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HPからみる場合は、こちらのページ からどうぞ。

ある方とのメールのやり取りから、これらを始めることになりました。ビリヤードの球のようにキューがつかれて動きが始まったような印象です。ということは他の球(人)にも動きが伝わるんだろうな〜

自由な関係

先日、妹と小旅行に出かける機会がありました。

私たちは電話で近況を連絡し合うような姉妹?性質?ではないし、妹は関東に住んでることもありたまにしか会わないので、今回のような小旅行となれば、積もり積もった話がでてきて観光などほぼ眼中になく「ただ話しまくる旅」になります笑。

妹は、子どもの頃にやりたくて親に頼んだけれど叶わなかったピアノを、1、2年前から習い始めたのですが、旅行中の彼女の話はもっぱらそのことでした。

彼女は子どもの頃にオルガン(近所の人が譲ってくれた)を習わなくても弾けていたし、歌もとても上手だったので、もともと音楽の才能があるんだろうなと私は思ってます。

だからなのか、大人のイチからの習い事といっても、想像以上に真剣に突き詰めているようです。

練習曲を弾くためのテクニック以上のこと、例えば根本的な体の運び方を学ぶためにある本を読んで、自分のこれまでの姿勢や力の入れ方がおかしかったと気づいたとか、音が響くというのはこういうことだみたいな話までしていて、彼女のプライベートの時間のほとんどがピアノのために使われているのもわかりました。

そんな感じでお互い話しまくって、あっという間に時間が過ぎて、妹と別れ、私は車で帰途についたのですが、

妹から聞いた話を運転しながら無意識に反芻していたら、とても重い感覚を感じました。

正確にいうと、旅行中も彼女の熱い話を聞いてる途中からすでに、なんだか重たいな、苦しい感じがするなと思っていたのですが、はっきりそう認識したのは、一人になった帰り道の車の中でした。

大人になってそんなに夢中になれるものに出会うなんて、とても素敵な話で、しかもやりたかったことを叶えた喜ばしい話なのに、なんだろう、この重い感覚は?!

妹の情熱に圧されたのかな?!

自問してみましたが、自分が感じる重さが「何か」わからなかったので、この件は、そのまま忘れて、私もまた自分の日常に戻っていきました。

そうしていたら、昨日、ふっと私が重さを感じた理由がわかったので記事にしてみます。

私が感じた重さは、

ピアノという習い事を妹が自分と ”アタッチ(attach) させてる” と感じたから、でした。

アタッチとは、何かと何かをくっつけることで、

人が何か(モノや人)に強くこだわったり、

執着したとき、

両者にエネルギーコードが形成されることがあるのですが、そのコードのついた関係が私には重く感じられたのだと思いました。

わかりやすい言葉でいうならば、ピアノが彼女にとっての「執着」になったと感じたからだったのです。

「何か」を自分とアタッチさせると、人はその「何か」と ”自由な” 関係ではなくなります。

自分に何かとつながる ”ヒモ”  が物理的にくっついてると想像すると、

自由自在に、軽やかに動けなくなるとイメージできるのでは、と思います。

アタッチしてる/されてる関係は、人間関係でみるとわかりやすいです。

彼が大好きでたまらない、

彼なしでは私の生活は成り立たない、彼がいなくなったら私の人生はおしまい、

みたいに表現できる関係が、それです。

私から一生離れないでね、私を幸せにするといったじゃない、みたいなのも、

アタッチしてる関係です。

母子間でもこれはみれます。

この子が私の全てですとか、この子が成功することが私の望みです、みたいなのもアタッチしてる関係です。

自由な関係とは、

彼が大好きだけど、でももし彼が私から離れたとしても、まあ、なんとかなるでしょ、他の男もいるしね…、みたいな関係で、

あなたが好きで結婚したけど、気がついたらもうウン十年も一緒に過ごしてるね、みたいなのも自由な関係だと思います。

これはモノとの関係も同じで、

お金がないと暮らしていけない、はお金とアタッチされてる関係で、

お金があるほうがいい、でも、まあ、お金がなくなっても、なんとかやれるでしょ、自給自足でもいいし、みたいに思えるのは、お金と自由な関係と言えます。

モノだけでなく、名誉だったり、地位だったり、評価といった抽象的なものへのアタッチも同じです。

アタッチという視点で、自分の人間関係やモノとの関係が自由な関係かどうか点検してみたら、

エネルギー療法という仕事も以前は”自分の”ライフワークと考えていてアタッチしかけていたけど汗、今は、いつやめてもいいな〜と思ってるし、

モノもお金も、なくてもまあ、なんとかなるでしょと思えてる、と思いました。

大好きな趣味のテニスは、正直、以前はアタッチしてたかもと思うのですが(真剣すぎた)、

今年の春に肩の腱をケガして、その時、もしかして今後テニスできなくなるかもと思ったことをきっかけに、目が少し覚めて?!今はほどほどにと思えてるので、以前よりかなり自由な関係でいられてるかも、と思いました。

家族のことは大好きですが、それぞれが自由に生きていくことを望んでいるし、それぞれ自由にやってくれるだろうと思えてるので、家族とも自由な関係かなと思えました。

結局、そうやって点検していくと、もっとも私がアタッチしてるのは「猫」だと思いました。

猫がいなきゃ、だめという感覚ではないですが、

猫がいつかいなくなるときが来たら(魂は死なないとわかっていても)耐えられるのだろうか…とは思ってます汗。

しかし、アタッチメントコードをつけると、つけた自分だけでなく、つけられた猫も軽やかにいられないので、意識して自由な関係でいよう、と思いました。

最後に、

この記事のネタにさせてもらった妹ですが(ごめん!)、彼女はそういうのにちゃんと気づく人なので、そのうち、「うっわー、このピアノとの関係は重いっ」と自分で気づくと思うので、アタッチしてるかもよ、ということは、今のところ、伝えていません。

ちょうど紅葉の季節に旅行できました。

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アタッチしてる、コードをつないだ関係を持ってると気づいた方、

そのコードを切りたい場合は、

ハサミやナイフでカットするイメージを使って、コードを断ち切ることができます。

まずは、自分がそのコードは不要だ、もっと軽やかに生きていこうと意識することから始めるとよいです。

Higher selhとlower self

突然ですが、あなたという存在には、

ハイヤーセルフ(高次の自己) と  

ロウワーセルフ(低次の自己)と呼べる幅があること、ご存じですか?

わかりやすい例で説明すると、

例えば、あなたに高慢なタイプの知り合いがいて、

いつもその人はあなたに上からモノを言っている。

ある日、その人が誰かにギャフン(死語?)と言わされる出来事が起きたとき、

「ふふん、いい気味〜、私はいつもあなたからそんな目に遭わされてるんだからね!」

とほくそ笑むのが Lower Self、

「あの人、プライド高いからものすごく傷ついてるかも、大丈夫かな……でも、今回のことであの人が何かに気がつきますように」と、相手を思いやったり、良きことを願うのが Higer Self  みたいな感じです。

上記のように書くと、

うわ〜、人によくないことが起きたときにそんなこと思う人になりたくない、私はLower Self は要らないわ、みたいなことを思う人がいるかもしれませんが、

Lower Self も Higher Self もどちらもあなたなのです。

低い自己も高い自己も、あなたは含有してるのです。

別の言い方をすると、私たちは、固有の波動の範囲内で、低い波動にもなるし、高い波動にもなるエネルギー体なのです。

ちょっと、思い出してもらうといいのですが、

あなたのこれまでの人生で、

ああ、あの頃の自分はどうかしてたなとか、

あのときの自分には絶対戻りたくないなとか、

あのときの自分は最悪の人間だった、どうしてあんな馬鹿なことしたんだろうとか、これまでの人生で、そんな時ありませんでしたか?苦笑。

私は、あります。

1つどころか、複数、ある、ある……ある!

あのときの自分はどうかしてた、あのときの知り合い達には恥ずかしくてもう二度と会いたくない、というような自分が幾つも幾つも思い出されます(冷汗)。

それらの自分、それがつまり、 Lower Self が現れていたときなのです。

私のようにたくさん思い出した人もいるかもですが、しかし、落ち込まなくても大丈夫。

そういうLower な自己を認識できてるのは、幸(さいわ)いなのです。

その Lower Self も自分の一面だったと体験して、

その自分はどうかしていたんだ(本来の自分ではない)、と学んでいるので、

その後、生きていく上で、何を選択していくかが、はっきりしていくのです。

Lower Self を表現していたことで、心地悪かったり、自分を責めたり、後悔した人は、

そちらのSelf を選びたいとは思わなくなっていくのです。

なぜなら、本当の私たちというのは、実は Higher Self の方の波動なのです。

肉体をもったことで、エゴ(自意識)が付随し、 Lower Self も出現するのだけど、

この肉体を動かしてる真の存在は、Higher Self の方なのです。

真の自分が一致するのが Higher Self の方なので、

Lower Self として現れた自分を思い出すと、居心地が悪かったり、自責したりするのです。

Higher Self と一体となって日々を生きてる人は、実際にはごく少数と思いますが、

誰しも段階を追いながら、Higher Self の方に近づく旅をしてると思います。

あなたが、今の自分をそんなに好きでないのなら、

それは、あなたが Lower Self の方を表現してるだけかもしれません。

私たちは、自分を Lower にも Higher にも表現できる存在です。

それなら、Higher の表れのほうを選びたいですよね。

もちろん、時々 Lower がでても、それも自分の一部で仕方なし笑。

明るくまぶしく軽く感じるのがハイヤーセルフ、
暗くて重くて粘っこいのがロウワーセルフ。毎時、自分はどちらか気づけるといいなと思います。

Higher Self を発揮したいけど、どうしてもLower Self の方が強くて、その表現で終わってしまう方、

それは、あなたの Higher Self を自由に表現させないようなブロックや傷ついたトラウマがあるからだと思います。

それらを解放して、本来のあなたらしくいきませんか。

コンサルテーションと、エネルギー物質のレメディを使って、それらの解放のお手伝いをします。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

色んなこと、楽しんでいい

今朝、瞑想しててふと降りてきた見方ですが、

何か1つのことだけに全てをかける

という生き方は、1つ前の時代で終わったのかもしれないと思いました。

確かに、このところのクライアントさんたちのお話を聞いていても、

例えばある方がビジネスに秀でた才能を持っていても、それだけに集中して人生を展開していこうとは思ってはいない、そういう傾向が全体的にみえます。

そのビジネスの才能は、ご両親から譲り受けているわけですが、幼少期の体験で、親がそれに集中するあまり、家族の生活が大事にされず、子供だったご自身が寂しい思いや不足感を味わったことにより、1つのことだけで燃え尽きる生き方を選びたくないという学びが、そうさせてるように思います。

自分個人の道だけでなく、家族やプライベートでも充実した人生を選んでいく、というのが今の時代の全体的な傾向としてあるように私は思います。

アイドルは落ち目になるまで結婚しないと思っていた時代が終わり、絶頂期に結婚し家族や子供たちとの生活も大事にした木村拓哉さんがそうであるように(これが一番わかりやすい先駆者の例だと浮かんだ笑)、

テニスのバーティ(豪州の女性プレーヤー)が世界ランキング1位のときに、しかも25歳の若さで早々に引退し、別のことを始めたいと会見したように、

今の&これからの時代は、なにか1つのことだけに人生を捧げる時代ではなく、色んなことを体験したり、自分だけが何かをやり尽くして自分だけが幸せで終わらず、周りの人との関係も調和させていく、そんな時代なのではないかと思いました。

これを精神世界の言葉でいうならば、今世に、複数のことを体験するような魂のプランを持ってきてる人が多い、といえるかもしれません(転生最後の方はそうなる)。

その視点で、自分のことをみると、私もエネルギー療法という仕事についてはライフワークという感覚をもっていて大事にしてるけれど、

同時にプライベートでやってるテニスも、やりたい気持ちがなかなか減らなくて、いつまで勝ち負けのゲームやっとんねん!と時々、自分を突っ込んだりしてたけど笑、これも、私が体験したいプランの1つなんだろうなと思いました。

また自分個人のしたいことだけでなく、家族での生活も同じくらい大事にしたい、という思いも持っています。

一言でいうと、どれも楽しみたい、ということになりますが、
この記事を書きながら、自分も含め、こういう時代なんだよな、と改めて思いました。

18歳になった私の息子も、メインで学びたい専門を既に決めてますが、同時に副業でやりたいこともすでにあり(すでに「副業」というカテゴリーに入れてる笑)、さらにもう1つお金を稼ぐためにチャレンジしたいと思ってることもあるそうです。

以前は、息子のそういう話を聞くと、
1つに絞れないの?!エネルギー分散するよ….とか、
でも、まあ、そのうち、何かに絞られるかも、とか、
いや、どこかでそれらが1つにつながるときが来るかもね、

みたいに思ってましたが、
今朝のインスピレーションで降りてきた見方でみると、
彼はすでにそういう時代の子なんだよな、とわかりました。

私たちの肉体を生かしてるエネルギーが体のまわりにあるのですが、
それらのエネルギーは7つのチャクラ (出入口みたいなもの)を通して流れていて、その7つに人生を通して取り組むテーマがそれぞれあります。

それらのテーマをクリアしていくと、心身のエネルギーバランスがよく、
現実の人生自体にもバランスがとれていくわけで、
つまりは、上記に書いたような、人生のいろんなカテゴリーでもバランスのとれた、自分の充実だけではなく、まわりの人も充実する幸せな人生になるのだと思います。

ということで、

何か1つだけにかけなくてもいい(かけるのもよし)、

これ、やりたいなとか、楽しいなと感じること、

その自分の感覚に素直に従って色んな体験をするのがよいと思います。

虹の7色は、7チャクラ の色を表しています。

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7つのチャクラのテーマを学んでみたい方に、

腸内細菌レメディプログラム

というのを提供しています。

それぞれのチャクラに対応したレメディを取りながら学ぶので、
同時にそれぞれのテーマで自分が抱えてる問題(ブロック)についても
みていくことができます。

7、8ヶ月かかりますが、1通り終えると、以前とは違う自分になってると思います。

ご興味のある方は、上記のプログラム名をクリックしてみてください〜

虫刺されの処置

夏でなく秋の今頃に、このネタで恐縮です…..笑。

今朝早く、外にでて空をみていたら、台風前で湿度が高いせいなのか、思いのほか、

蚊がおりまして、足と腕など5箇所も刺されました。

蚊に刺されたときに、痒みも最小限で、刺された跡も最小限で済むと私が思っている処置を書きます(今朝もこれで、痒み等あっという間に過ぎた)。

①刺された箇所に、石鹸をつけて洗い流す

 (蚊が刺すときに出すと言われてる痒みの元の ”蚊の唾液” を洗い流す)

②流した後に、刺された場所に 塩 を摺(す)り込む

 (きゅうりの塩揉みみたいに、塩を塗り込むと水分がでます、この塩に対する反応を利用して、皮膚の少し奥にはいってる蚊の唾液を、外に出します)

しばらくしたら、塩をはらって(もしくは洗い流して)終了です。

その後は、私は、ビワの葉エキス をちょんちょんと塗ったりしますが、そこはご家庭で愛用してるものを使うといいと思います(そういうものを使わなくても痒みは残りません)。

この処置は、刺されたらすぐにやるのがオススメです(肌がヒスタミンを出す前、外出先で石鹸がないときは水で流すだけでもよし)。

ブヨなど、痒みが強くでる虫の場合は、塩を2、3度すり込むのがよいです。

山ヒルにも使えます、汗(私は自然豊かなところに住んでます)。

ヒルの場合も、塩を何度かすりこみます。

ヒルの場合は、痒みはやはり多少残りますが、

石鹸洗い流し → 塩すりこみ をしたときと、しないときの痒みは、雲泥の差です。

痒みの元を残したまま、外用薬を何度も何度も上から塗布するのは、あまり意味がないな〜と長年蚊に刺されながら?生きてきて、実感しております。

これは、心の問題も同じで、心の闇部分(怒りや悲しみ)を中に閉じ込めたまま、

外から、私は私を愛してます、とか、私は最高の自分になります、のようなアファメーションを何十回、何百回繰り返しても、なかなか芯から癒されていかないのも、そういうことだと思います。

心の刺された跡も、蚊に刺された跡みたいに、ちゃんと自分の目でみれると、もっと浄化が楽だろうな〜と思います。

コスモスが目立ってきました。台風すぎたら、秋ですかね。

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心のうちに閉じ込めた怒りや悲しみを、コンサルテーションという会話の中で取り出して、それを自分の中から洗い流すこと、やってみませんか。

詳しくは、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

あなたの直感を遮(さえぎ)るもの

先日、講座をやったのですが、久しぶりに複数の方と対面でお会いするので、着ていく服についてチラリと前日に考察しました。

(”チラリ”というのは、私は各シーズンに2, 3コーデと決めてるので選ぶの簡単)

最初にパッと思い浮かんだのは、今年さんざん着回してるノースリーブの夏バージョンの服で、よし、それにしよと思いました。

とはいえ、かなり涼しくなってきたので、明日の朝に気温を見て、もし涼しそうなら秋バージョンもありだなとも思いました。

さて、当日の朝、その日は31度まで気温があがるという天気予報でした。

だったら、最初に浮かんだ通り、夏バージョンだよね、と思ったものの…….

いやいや、待てよ、もう9月だよ、9月といえば秋を感じさせる季節、少し早くても秋バージョンの方がふさわしくないかな?!と自問が起こりました。

そうだよ、参加者さんたちは秋の装いで来てるかもしれないのに、ノースリーブで夏バリバリの格好というのはどうなのさ?!

季節感ないって思われるかもしれないよ…

と、こんな思考が湧いてきて、そうかもな、と秋バージョンの服を準備しようかと思い始めました。

そこで、ん?!と気がついて、その場でほんの1分ほど内省してみました。

夏バージョンを推してるのは、最初にパッと思い浮かんだその感覚です。

秋バージョンを推してるものって何だろう?と思考を点検してみると、

その思考の声は、

季節を考えたらフツーはこうでしょ、というどこで仕込んだか不明の判断、

参加者さんたちの(勝手にこちらが想像した)格好に合わせておいたほうがいいでしょうという調和を求める謎の誘導、

こう思われるかもしれないよ、という不安を煽(あお)る根拠のないまさに妄想、

でした笑。

ああ、危なかった、自分の直感を遮(さえぎ)るところでした汗。

ということで、スパッと夏バージョンの服を着て、車を講座会場に飛ばしました(実際は飛ばしてません…笑)。

この服選びの話を軽く講座の中で披露したら、参加者さんの中にも、やはり服選びに迷い、服をいったん秋バージョンに着替えてから、夏バージョンに戻したという方が2名いて、シンクロしてました。

”直感”という言葉の定義はいろいろあると思いますが、

心と直接つながって感じることを ”直感” と定義すると、

直感を大事にしていくというのが、自分の深いところとつながっていく生き方になると思います。

自分の深いところとつながりたいとか、本当の自分を生きたい、こんなことを望む人がどんどん増えてきてるように感じますが、

そうなるには、自分の中におきる直感に従った道を選択していくことだと思います。

上記の私の中に起きたように、

いやいや、違うでしょと直感をとどまらせて、他の道に方向転換させているのは、

社会の通念だったり、いわゆる常識と呼ばれてるものだったり、人の目だったりします。

そっちの声を聞いて、そちらの道にガイドされていけば、いわゆるそういう生き方になります。

なんとなく社会に適用してるようにみえる人、

常識的に生きてるようにみえる人、

人の判断にまかせて生きてるような人、

そちらが良いなら、それもアリ(選択は自由だから)。

でも、本当の自分を生きたいなら、自分の直感がガイドする道を歩んでいくことを意識するとよいと思います。

ちなみに、直感に従うというのと欲望に従うのは、違うことなのでご注意を。

欲望というのは(あくまで私の考えです)、

外側からの情報に刺激されて、外側からの刺激で「欲しい」と思うことです。

例えば、雑誌やYoutubeみてたら、美味しそうに食べてる映像や、素敵な盛り付けがでてきて、うわー見てたら食べたくなった、と本当にそういうものを食べたくなってくる。

これは本能として持ってる食欲を外側からの視覚情報などで刺激されて湧き上がってきたもので、直感ではなくて欲望だと私はカテゴリーしてます。

エロい画像や映像をみかけたら、モンモンとしてくる笑。
これも直感ではなくて、外側からの情報で、本能として持ってる性欲を刺激されておきた現象で欲望といえると思います。

直感は、外からの刺激で動かされたものではなく、内側から自然と起こってきた衝動です。

紛らわしいのは、たとえば、雑誌やオンラインショップをみていて欲しくなった商品であっても、

それが心の深いところとつながって欲しいと直感的に思ったものか、
情報からの刺激で欲しいと思わされているのか、これの見極めです。

直感で欲しいと思うものは、いわゆる「ピンと来た」、この言葉に表されると思います。

ピン!というのは、深いところとつながった目安になると思います。

パッと浮かんだとか、いわゆる深いところと電気回路がつながったような感覚があると思います。

外側からの刺激で欲しくなるものは、ピンとはこなくて、流されていくような受動的な感じではないかと思います。

いわゆるマルチ商法や上手なセールスで、巧みな商品説明に流されて買ってしまうようなときは、これが起きてるのではと私は思います。

ということで、なにかに迷うとき、推してるのと反対してる声の正体、それを見極めて、自分が望む道のガイドの方に従うとよいと思います。

自分の中のきらめくスパークを大事にしていくってことですかね。

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直感を選択していきたいけれど、直感を選ぶことにどうしても抵抗がある場合、

直感を遮るエネルギーブロックがかかってると思います。

そのブロックを外すお手伝いができるかもしれません。

ピン!と来た方はHPの方をご覧ください〜:https://arnicahomeo.com/

祝福のサイン

20年くらい前の話ですが、私をスピリチュアルの道に連れていってくれた友人が、ある写真をみせてくれたことがあります。

それは彼女が南国のビーチにいったときの写真で、空に天使のカタチの雲が写っていました。

入道雲のようなかなり大きい雲なのですが、写真上でみても羽のはえた天使が両手を祈りの形に組んでひざまづいてる形をしていました。

へ〜っと思いましたが、雲がこのようにみえる現象が何を表すのかわかりませんでした。
(ただの目の錯覚と思えない写真だった)

それ以来、空をみるときに、私も天使のカタチの雲を見たいな〜と探したりしてましたが、これまで、彼女が撮影したような雲をみたことはありません…..

ただ、私がなんとなく空にひかれて、ぱっと見上げると、たまにですが、フェニックスと言えばいいのか、火の鳥と言えばいいのか、そういう大きな鳥のカタチの雲をみることがあることに気がつきました(ユニコーンのような馬の形もみます)。

その意味が(私なりに)わかったのは本当につい最近なのですが、そういう現象は、高次元からの私たちへのサインの1つだったのです。

私は人へ現れたサインを羨ましがって、そのカタチを追い求めていたから、自分へのサインを長いこと見落としていたようなのです苦笑。

これに気がついてから、はっきりと、鳥のカタチの雲は、私には祝福のサインだと受け取るようにしました。

あ〜見守られてるな、祝福されてるな、励まされてるなと、じっくり感じると(受け取ると)満たされた幸せな気持ちになります。

ちなみに雲のサインに気がついたのは最近ですが、それ以外の物理的なサインはかなり前から気がついていて、それらはしっかり受け取るようにしてます。

私にとって最もわかりやすいサインは、車のナンバーです。

私は運転しながら思考してること多いのですが(運転注意!汗)、

たとえば、これで良かったよね?!みたいにちょっと揺れてるときとか、

なにか気づきが起きてそれを味わってるときや、

ちょっと落ち込んだ気分のときなどに、いつもみかけるのは、

私の誕生日の数字4ケタのナンバープレートです。

車を走らせながら、ふっと横のコンビニの駐車場に引かれるので目をやると、そのナンバーの車が停まっていたり、対向車がそのナンバーだったりします。

その数字をみると、思わず笑みが口に浮かびます。

ああ、励まされてるな、とか、これでいいよって祝福されてると感じて、嬉しくなります。

車のナンバーの中でも、私が勝手に「最大級の賛辞」と捉えてるナンバーがあります。

それは「44-44」です。

今朝も模試に行く息子を送っていくときに、あることを思考しながら車を走らせていたら、

三叉路の私が右折するところで、対向車が絶妙のタイミングで左折してきて、私の車の前に入り込みました。

このタイミングは絶妙すぎるから、メッセージかもなと思いながら、

ナンバーをみたら、44-44  でした。

だよね、と思って、少し走らせたところの赤信号で停まったので、

再度じっくりみたら、ナンバーの上に表記されてる地名が私の出生地の「長崎」でした。

兵庫県を走っていて、長崎ナンバーはそうそう見かけるものではありません。

ですから、そこで「うわっ!」と思わず声がでてしまいました(同乗の息子は、この声をスルー笑)。

これ(44-44 + 長崎)は、最大級の賛辞のさらに上いく祝福だ〜!と感じたのでした。

ですので思いきり、その祝福のエネルギーを吸い込んで(車内で笑)、身体中が満たされました。

実は、このようなサインは、私たちはいろんな媒体で受け取っています。

少し前に、神戸の街を歩いていたのですが、

その前に本を読んでいてあるキーワードについて考えていたので、その考えを持ったまま歩いていたら、

向こうから来た人のTシャツの胸に書かれた文字が、スコーンと目に飛び込んできました。

そのメッセージは、ズバリ

No more enemy

でした。

見事なメッセージ笑。

こういう話を、

偶然でしょ、と思うか、

サインと思って受け止めていくか、

それはあなた次第です。

サインを受け取っていくなら、そのサインを送っている相手とコンタクトをとっていくことにつながります。

受け取り出すと、偶然とは思えないタイミングで起こってることが実感できて、

本当に面白すぎる、ワクワクするコンタクトです。

サインは、私の例みたいに、あなたに独自なカタチで現れます、それがツボにはまると思います。

みせてもらった写真の雲の天使は、もう少しふっくらしてましたが ↑ こんな感じでした。
だから、今思うに、彼女は大天使ガブリエルからのサインを受け取っていたのかもしれません。

ぶれないために開発する能力

昨夜、とても変わった非現実な夢をみていたら、ミャウ〜と鳴くのが聞こえ(繁殖時期になると時々やって来るオスのかわいいノラ猫)、

枕元のipodをつけると「4:4 4」でした。

2日前も、ぼんやりと目がさめていって(なにか思考していた)、今、何時だろう?と

ipodつけたら「4:4 4」でした。

早く起こされすぎですが笑、これは、もう疑いようのないサインだなと受け取りました。

そんなわけで、今朝も4:44に起きて、瞑想をしました。

すると、ここ最近メールのやり取りをした4者の方にお伝えするとよいだろうなと思う(そこも4!笑)インスピレーションが降りてきたので、記事にします。

・なにかを選択するときに迷ってしまい、自分一人で決めきれない

・とりあえず決めたのだけど、不確かでずっと落ち着かない

・なにか事象が起きると、解釈を他人に委ねる、そしてそれが正解だと安堵する
(判断するときに誰かを頼る)

このようなとき、

その部門の情報を調べたり、比較検討したり、経験のある人のアドバイスを参考にすることは基本的に有効だし、それも必要だと思います。

とはいえ、上記のようなことが度々起きているなら、

気がつくとよいのは、現実的な思考レベルを超えた能力を使っていくことです。

それは何かというと

サードアイに関連した能力です。

サードアイというのは第3の目ですが、それと関わる能力は、

一般に知られてる有名な「透視力」だけでなく、

直感力、洞察力、判断力、集中力や記憶力なども含みます。

いわゆる自分が何かを行っていくときに総合的に「司令」を下す能力ということができます。

上記のような傾向がある方というのは、

どれが質が良いか、無駄がないか、どちらが得か、失敗しないのはどれか、どれなら実行可能か、

というような物質レベルで比較検討し思考することはできています。

不足しているのは、

直感力、洞察力といった感性を使う能力です。

簡単にいうと、「感じる能力」です。

思考を超えた力、みえないなにか(エネルギー)を感じる力です。

例えば、ネットでとても素敵そうな商品をみつけた。

とても素晴らしい効用が、数々、謳(うた)われ、レビューも褒め言葉であふれてる。

パッケージも素敵なデザインで綺麗な色の仕上がり。これが入手できたら、私にとって有益ではないか…..

ここまでは思考の世界、物質レベルでの判断力を使っています。

ここから使ってほしいのは、サードアイの能力です。

商品をみたときに受けた感じや、
そのサイトの運営者/販売者、商品開発者の写真や、開発の意図などに目を通して、自分が「何を感じるか」、その感じる力を使ってみてください。

その過程で、ちょっとでも違和感を「感じるな」ら、それをスルーしないで大事にしてほしいです。

違和感というのは、自分の波動と共鳴しない波動を教えてくれてるからです。

この販売者のページをみると「なんだか心地が悪い」とか「ちょっとざわっとした」「なんか変」「ん?って感じた」とか、そういう抽象的な感覚を大事にしてみてください。

サードアイの能力というのは、皆、誰しも持っているのだけど、あまり使わない時代を過ごしてきて開発されていないだけなので、これからはそれをどんどん使っていき、開発していくのをオススメしたいです。

なぜなら、サードアイの能力で選択したものは、思考で選択したものと違って、ぶれることがないからです。

それは自分の波動と共鳴した、自分の真実だからです。

検討比較や有利不利、得か損かの範疇を超えているので、何を言われても、それが自分にとっての正解になるからです。

ですので、この能力を開発していくと、ぶれなくなっていきます。

内面の不確かさがどんどん減っていき、安定した自分になっていきます。

自分の感覚が自分の強力な味方になっていくので、他者の判断はそんなに必要なくなっていきます。

今朝、4:44に起きたことも、

たまたま猫に起こされただけでしょ、偶然だよ〜、

もう1回寝たら、と思考力だけの自分はいうでしょう。

でも、私は、この数字をみて、何かを感じたのです。

とても意味のある何か、それを大事に受け取りました。

思考力だけで生きていたとき、私も不確かでした。

でも感じる力を大事に開発してきたら、不確かさが減っていきました。

かといって思考力も大事なので、思考力と感じる力のタグを組むのが最強な気がします。

ちなみに、感じる力や思考力を使っても、迷ったり、判断できないなというときも、あります。

そのときは、タイミングが絡んでるんだな、と、今のところ、受け取っています(つまり、時がくるまでほおっておく、たくさんほおってるものアリ笑)。

感じる能力の開発には、テキストも講座代金も不要、講師も不要、即、始められます。