杉の葉

我が家の暖房は薪ストーブなんですが、薪に火をつけて温度を上げるには、それ相当の火を起こさねばなりません。

そこで必要になってくるのが「焚き付け」に使う材料。

紙や段ボールではあっと言う間に燃えてしまうので、木材の端材など火がつきやすい&火の力をある程度留めておける材料が必要になります。

これにピッタリなのが 杉の葉。

杉の葉は、葉に油分が多くて燃えが非常によいだけでなく、杉の葉の小枝が火の勢いを維持してくれるので、薪の下に杉の葉を入れこんで、マッチを1本するだけで、あっという間に薪ストーブの火入れが終わりになります。

こんな材料、他にはないと思う、と断言できるくらい焚き付けにピッタリです。

私の住んでる地域の山は、杉だらけなので(日本全国ほぼそうですが)、杉の葉がごまんと落ちてます。我が家の裏山もしかり。

なので薪ストーブをつける季節になると、猫のミヌを伴って、私は山に入り、杉の葉を拾いに行きます。

汚れてもいい服装で軍手をして長靴をはいて、杉の葉をブーケみたいにつかみながら山から降りて来て、ご近所のおじさま方と会うと、なつかしそうな目で私の姿をみます(汗)。

皆さんが子どもの頃はお風呂を薪で焚いていて、杉の葉を拾いにいくのは子どもの役目だったようで、山から杉の葉を手にいっぱいつかんで降りて来る私をみて、当時の生活を思い出すらしいです。

「な?!、杉の葉が一番よく燃えるだろ?!」みたいに、なぜか自慢げな発言もあったり(苦笑)。


↑ これが杉の葉。これで4,5日分の焚き付けに使えます。

私が住んでる集落に薪ストーブがある家は、我が家を含めて3軒。

3軒だけでは杉の葉は使い切れず、山にたんまり残ったまま(元は50年代に国をあげて杉やらヒノキをせっせと山に植林していったという背景がありますが)。

薪の材料となる様々な木も皆さんの生活には不要なので、倒れたり、切ったりしていらない木がでたら我が家にお声がかかり、ダンナさんが軽トラででかけ無料でいただいてきます。

薪も杉の葉もそうですが、身近で手に入るエネルギー資源があったというのに、いつからガスや石油などをとんでもなく遠いところから運んでくるような生活になってしまったんだろう〜

電気エネルギーを主に使う今の生活を、昔に元に戻したいと思う人はほぼいないと思いますが、そのおかげ?!で、我が家は暖房のエネルギー資源を尽きることなく無料にて使わせていただいております。ありがたや〜。



体も学ぶ

息子が幼稚園のときのことです。

お迎えに集まったママ達に向けて、園の中ではわりと年輩の女の先生が、感情を抑えるような口調で、こんなことを問いかけたことがありました。

「皆さんは、お子さんが生きて行くうえで、つらいことが全く起きないで大きくなって欲しいのですか?」

(正確な文言を覚えてませんが、子どもにトラブルゼロで育って欲しいと思ってるのかみたいな内容でした)

なんでこのような問いかけをしたかというと、息子のクラス内にすぐに手がでてしまう女の子と男の子が1人づついて、その子達がなにかする度に、された側の母親達が先生になんとかしてくれと言いにいっていた状況だったからだと思います。

特にある女の子のママが、自分の子が悪さをされるとすぐさま先生に訴えていたので(相談するのではなく、一方的に非難するスタンス。いわゆるちょっとしたモンペ状態、汗)、それに対してうんざり?した先生が別の視点を持ってほしいと思って、上記のように問いかけをしたのだろうと私はそのとき思ってました。

ちなみに、うちの息子もその男の子に手を出されたこどが何度かあり、私も先生にそれを伝えたりしてたので、先生の問いかけにハッとしたのも事実です。

自分の愛する子どもがつらい目に遭うのは、親としては胸が痛くなります。

でも、その先生が言われたように、もし自分の子どもが人間関係のトラブルゼロで育つのがいいかと言われたら、皆さん、頭を横に振るでしょう。

他人とのトラブル経験がゼロってことは、トラブルに対して免疫がゼロなわけで、毎回そのトラブルを先生や親が取り除いてあげてたら、その子は友達や他人と問題が起きたときに、どう対処していけばいいか全くわからないままでいることになります。

幼児のころは問題もまだシンプル、だからそのシンプルな問題のときに、自分以外の人の気持ちや行動を体験し、相手にどう対応するか、どうやって自分を守るかなどを感覚や知識として学んでいくことは、人間関係をうまくやっていくための大事な基礎となります。

その後、年齢が上がっていくにつれ友達&人間関係の問題が複雑化していくだろうけど、そのときはそのときで段階を上げた学びを得れるだろうし、そうやって徐徐に人間関係のトラブルに対して免疫をつけていくことで、最後は大人になって自分1人で人間関係の問題にうまく対処できるようになっていくものだと思います。

人間が社会という集団で暮らす生き物である限り、人の中で円滑に楽しく生きていくには、人間関係のつきあいのノウハウを学ぶ必要があり、それには良いことばかりでなくトラブルという経験も必須になります。

トラブルという名の修行&研鑽の場、これはお金では買い与えることなどできないので、見方によってはとてもありがたい機会なんですよね。

話がとても長くなりましたが、実はこれ、身体も全く同じだと私は思います。

ホメオパシー療法で、お子さんをみてるときに、この子はこの症状(主訴)以外に全く病気をしていません、と少しそれが良いことのように話す方がいますが(ある主訴で身体が覆われてるとき、他の病いは発症しにくい。ガンの人が風邪をひかないように)、

幼児のときにそれなりに病気にかかっている経験は、体の免疫のために必要なことだと思います。


幼児のときにかかる伝染病もそうですし、風邪などもそうだし、きっと捻挫とか打撲にも身体的な経験からみると意味があると私は思います。

心と同じで、体に(身体的な)免疫がつく、ということなんだろうと思います。

再度、類似する病いにかかったら次は戦える(対処できる)体になる、ということでもあるし、体に異変が起こったときに、これは(過去の経験上)大したことじゃないな〜っていう感覚を持てたり、これはなんかおかしい(重篤な疾患)みたいな感覚を感じさせてくれる身体をよい状態に保つためのアンテナが発達するのだと思います。

ということで、精神も経験から学んでたくましくなっていくように、体も病いを経験することでたくましくなっていく側面がありますので、子どもが病気にならないように過剰に守ったりすることは必要ないと思いますし、病いになることがネガティブなことではないと思います。

*病いが全て良いというわけでなく、過剰に守ったり、病いを過剰に恐れる必要がないという意味です。

ということで、冬ですし、安心して風邪ひかせてください(苦笑)。

でも風邪をひいて長引きそうなら、その症状を抑圧しないで、体が治そうとする力を妨げないレメディを使ってセルフケアでヘルプすることはできますので、ご興味のある方はお問い合わせください。

HPはコチラ:https://arnicahomeo.com/

可愛い子には旅をさせよ、が頭ではわかってるけど、なかなかできないで過保護になってると思う方、それはあなた自身の心の問題と関係があるかもしれません。

よかったら、ホメオパシー療法で、一緒にその問題に向き合ってみませんか。あなたが楽になり変わっていくことで、お子さんにもよい影響を与えられると思います。

興味のある方は上記HPまでどうぞ。

↑ カワイイニャンコにも旅をさせよ?! 久しぶりにミヌと裏山のお散歩です。

それぞれの愛の形

先日、ある方の恋愛相談を受けていました。

その方の問題は恋愛相手の男性のことなんですが、ものすごく簡単にまとめるならば、なかなかその男性の愛を信じられない、それで嫉妬深くなったり、自分に自信がなくなったりするとのことでした。

でもその男性の彼女に対しての行動についてよくよく話を聞いてみると、その男性は、なにかあったら車で飛んできてくれるし(時には何百キロ先の旅行先まで)、彼女がお願いしたことは実行してくれる人でした。

彼女は、彼から「愛の言葉」が欲しくて、それがないから愛を信じられないのですが、「愛」の表し方は人によって異なりますからね。

彼は言葉でなく、運転したり実行したりする「自分の体を使って」愛を表すタイプなんだと思います。

だから、既に彼からの愛はあふれているのだけど、彼女は自分が望む形の「言葉」でないと愛を受け取ってるとは思えない、これが彼女の恋愛問題の核なのかなと思いました。

話少しずれますが、臨死体験をした人が、生まれてからそれまでの過去の出来事を走馬灯のようにみせられて、それをみていたら自分の人生は全てが愛にあふれてた(ひどい両親に育てられたけど)、どんな人からも愛をもらっていたとわかった、と書いてあるのを読んだことがあります。

自分の理想の「愛」の定義からずれていても、私達はじつは常に愛を受け取っているのだろうなとそのとき思いました。

だから、冒頭の恋愛相談してる彼女も、自分の望む形でなかったとしても、彼の表す愛の形に気がついてそれを受け取ってみたらと伝えました。

人によって愛の示し方はそれぞれ違うと思います。

クライアントさんのお子さん時代の話を聞いても、例えばこんなのがあります:

母はいつも家事をきっちりしてくれてた、でも一度も私を愛してるとか、大事とか言ってくれたことがない。私は家は散らかっててもご飯もちゃんとしてなくていいから、ただ抱きしめて欲しかった….。

この方のお母さんは家事をきっちりこなすことで、家族への愛を示していたのだけど、お子さんであったこのクライアントさんはスキンシップや愛の言葉を示してくれることが愛だと思っていたのです。

しぶしぶ会社に行ってる姿をみせてたお父さんも、嫌だけど会社で働き続けることが家族への愛だったのかもしれません(本人も無意識だったかもですけど)。

そりゃ、愛を言葉で表現してくれて抱きしめてくれるなら、それがてっとり早いし、受け取る側もはっきり認識できます。


でも、日本みたいなお国柄だったり、人によっては性質だったり、好みだったり、または過去の家庭環境からの影響だったりで、そのようなストレートな表現方法をしない/できない人が多いのも事実です。

誰かがあなたに示してくれる態度や行動、それが実は愛の1つの表現だと気づけたら、毎日は愛だらけ、愛に囲まれてる幸せを感じられるように思います。

思春期の私の息子が毎日帰ってきたら、開口一番、

「今日のメシ、何?!」

と無表情で聞くのですが、この文章を

ママ、今日もありがとう

という愛の言葉に勝手に変換してる私です….

↑ たつの市を歩いてたら、古民家に一本だけバラが植わっていて素敵に花を咲かせていました。土壁の色と深いピンクのコントラストに心を奪われました。

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愛を受け取ったり、与えることに困難を抱えてる方、ホメオパシー療法でその心のブロックを外すことができるかもしれません。
ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/



インフルエンザに

朝のニュースで聞こえてきたこと:

・インフルエンザ治療薬のイナビルをとった男子がマンションから転落死していたことがわかった(昨年らしい)。

・イナビルをとった10歳前後の子に起きた異常行動はこれまで95件確認されてる。

そしてこの結果を受けてニュースで視聴者に伝えられたことは、

保護者はイナビルを取った子を2日の間1人にさせない & できる環境なら1Fで療養させること、でした。

は??!と思わず、声を出してしまった私です。

毒キノコを食べて中毒になったもしくは死亡した人がいたら、間違って毒キノコを食べないようにしてください、と呼びかけるのに、

投身自殺衝動を起こすかもしれない薬を取らないでください、とは言わないで、その薬をとった人をみはっておいてください、というのは一体全体どういう論理??!

毒キノコを食べた人が中毒死を起こさないか横でじっと見張っといてくださいね、みたいな間抜けな指示ではないでしょうか….

しかし個人的にもっと不思議なのは、そういうニュースや統計があっても、多くの方がお子さんにタミフルやイナビルを医療機関の指示で普通に服用させてることなんですけどね。

インフルエンザにかかったら、インフルエンザ治療薬を使う以外に、他に手はないと思ってるということなんでしょうか(?)。

手はあります、いろんな民間療法、自然療法があります。

(究極は、普通に健康なお子さんなら、安静にして栄養をとってたくさん寝てりゃ、自分に備わった自然治癒力でインフルエンザは治ります)

自然療法の1つ、ホメオパシーのレメディでも、インフルエンザにかかったお子さんをケアすることができます。

自宅で使う方法を「セルフケア」といいますが、市販されてるレメディの”セルフケアキット”を購入すれば誰でもご家庭で使うことができます。

レメディがどんなものか、実際の使い方はどうするのか、ご興味のある方はどうぞお問い合わせください。

3名以上集まれば、使い方の講習をしています(出張も可)。

問い合せはHPからどうぞ: ARNICA アーニカ

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秋晴れの日のニャンコ

我が家のニャンコ達(二匹)は、猫ドアから自由に家の中と外を行き来しています。

秋晴れの日、私が裏庭に先にでてしばらくすると…

↓ スコッチも猫ドアから外にでてきます(頭で押してドアをパカッとあけます)

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↓ よっこらしょっと。

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↓ そして裏に出しっぱなしにしてる板の上でごろっと横になって、ひなたぼっこ。

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↓ ミヌはすでに裏の柵の上で、凛々しく(?)ひなたぼっこ中でした。

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色づいた柿の葉と澄み渡った青空に秋を感じます。

自分を元気にするツール

落ち込んだとき、どうしてますか?

買い物するとか、好きなものを食べるとか、好きな音楽を聞くとか、友達におしゃべりして発散するとか、いろんな方法があると思いますが、

自分を元気にするツールというのは、「意識して」「幾つも確保しておく」のがオススメです。

落ち込んだり、ネガティブな感じになったときは、そこに引き込まれていかないよう、浅いうちにポジティブな方へ方向転換したほうが回復が早いからです。

すべてうまくいってる(過去記事)、と頭ではわかっていても、ネガティブな感覚になりそうなとき、私が使うツールの1つは次の文章です。

Stay happy,  Feel joy,  no matter what happens ! 

(私の勝手な意訳:幸せのままとどまって、喜びを感じてみて、どんなことが起こっていたとしても!)

なんで英語の文章かというとこの文章を初めて聞いたのが、アメリカ人のチャネラーが(チャネリングして)メッセージを流してるYoutubeの映像が英語だったからです。

この英文のままがなぜか心にピッタリくるので、この文章を紙に書きうつして私がぱっとみれる位置に貼っています。

そして、なにか嫌なことが起こったり、うわ、どうしようみたいなことが起こったとき、ぱっとその紙を見るようにしています。

そうすると、この出来事どうなるかわからないけど、とりあえず私はHappyなままでいることを選択しようって思えるからです。

上記の文章を思いながら、呼吸を深くして、過去に感じた幸せな感覚を身体に呼び起こします。

そう意識しないと、どうしようとか、あー困った、落ち込むっていう方に思考や感情がどんどん流れていくので、その流れを止めるツールとして、上記の文章を使っています。

嫌な出来事を無視するわけではなくて、私の心の在り方を整えるために使います。

これをやると、問題解決も早かったり、そもそも問題と思っていたことが問題でなくなることも多いです。

ところで、最近、これをみると元気になれるよ〜っていう映像を教えてもらいました。

私も過去によくみてた sex and the city からのシーンなんですけど(全部のシーズンみてませんが)、確かにこれ、元気でます ↓

 

ファッションショーでのモデルを1日だけ演じるのが実現したその瞬間に派手にこけてしまったキャリー。かっこ悪いことこの上ない、最高の舞台が最悪の事態に(汗)。

でもそこから逃げないで(舞台裏にひっこむこともできたのに)、起き上がり、そして堂々とランウェイを歩きターンします。

彼女がターンした後に、カッコ悪くこけてしまったそんな自分を少し笑って、でもそんな自分が好きだな、自分らしいな、みたいな満足した表情をみせるのですが、その満ち足りた感じに私も幸せをもらいました。

まさに、なにが起こっても上を向いていよう、幸せでいよう、って感じがしました。

ということで、自分を元気にしたり、幸せに導けるツールは、幾つもっていてもいいと思います。

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どうやっても元気になれない、幸せになれるなんて思えない、と感じてる方。

ホメオパシー療法であなたがネガティブになっていく傾向を変えられるかもしれません。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

つむじ曲がり

私がまだ子どもの頃、よそのおばちゃんが私と遊んでいた自分の子どものことを

「この子はつむじ曲がりやけん」(やけん=だから、の長崎弁)

と他のおばちゃんに話していた光景を覚えています。

つむじ曲がりという言葉は、この頃はあまり使われなくなったようですが、”ひねくれてる”という意味です。

そう親に言われてる子の頭をぼんやりみながら、髪の毛のつむじのせいで、なんでひねくれてるなんて言われるんだ?!と思ってました。

その後何十年も経って自分がホメオパシー療法でお子さん達をみるようになって思ったのは、

つむじ曲がりは生まれながらの髪の生え方でなく、子供たちが「お母さんの胎内にいるときに居心地が悪かった」場合になるのだろうということでした。

母体にストレスがあったり体調や身体に問題があると、それが胎内に影響して胎児が心地よいポジションに頭を置けないので、結果、「つむじが曲がる」(つむじの位置がずれる)という現象が起こるのかもなと思いました。

つむじ曲がりの子が ”ひねくれてる”と言われるのは、胎内にいたときに母体のストレスを受けたことでその子が精神的に安心できてなかった結果、 ”ひねくれてる”と昔の人に言われるような精神状態になっている、ということかなと思うのです。

昔の人が幼児本来の素直さがない子はつむじが曲がってる子が多い、と統計的に気づいて「つむじ曲がり」=ひねくれてる、という言葉ができたのかもしれません。

胎児に産毛や頭髪が生えだすのは妊娠15週以降だそうで、どの時点でつむじができはじめ、どの時点でつむじが固定されるのかわかりませんが、いずれにしろ、つむじ曲がりは後天的な要因でなるのだろうと思います。

つむじが曲がる(ずれる)ということは、頭を置くポジションが悪かったということで、後ろ姿のヘアスタイルの見た目だけでなく、頭蓋骨、または頸椎や背骨の成形にも微妙に影響してる可能性があります。奇形というほどでなくても、少しずれてることで運動神経や姿勢にも影響を与えてるかもしれないです。

(心のひねくれにはホメオパシーが向いていますが、微妙な身体のずれは、オステオパシーや、ロルフィング、クラニオセイクラルワークなどの療法が向いてると思います)

ところで、私はつむじ曲がりな赤ちゃんで生まれはしなかったけど、いつの頃から「つむじ割れ」が結構ひどくて、見た目的に気になってました。

ぱかっとつむじが割れていて、ドライヤーなどを使っても対処できなかったんです。

それが、なんと、最近、つむじ割れをなおすことができる人に出会いました。

最近通いだしたヘアサロンの美容師さんなのですが(ヘナをしてくれるところを探していてみつけた美容室です。これまでお世話になってた美容師さん、ごめんなさい)、

その技術は

ヘアリセッター  といいます。

特殊なハサミのようなクシを使ってつむじ部分の髪を丁寧に1本づつ梳(す)いていくんですが、たったそれだけです、それでつむじ割れがなくなってしまうんです。

持続期間は大体1ヶ月と言われたのですが、2ヶ月たっても朝おきて鏡みたらつむじ割れてなかった!びっくり、です。

この技術は、髪1本1本があっちこっちに向かって倒れてる傾向=いわゆるクセみたいなものを、1本1本起こして正常な位置に戻してあげる(リセットする)ということらしいです。

クシやブラシを使ってつむじ割れを治そうとしても無理だから、髪の毛一本一本を根元からニュートラルな方向に起こすというのが大事みたいです。

ヘアリセッターは、つむじ割れだけでなく、いつも同じ側で髪を分けてることで分け目がぺっちゃんこになってる髪や、髪の方向があちこちにいってることでくせ毛のようになってる髪にも使えるそうです。もしかしてつむじ曲がりもある程度変えられるかもしれません?!

骨格矯正だけでなく、髪の向きも矯正できるなんて、身体の可能性は未知だ〜

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ニャンコにつむじはあるのか〜?!

この「ヘアーリセッター」という珍しい技術ができる方は、神崎郡福崎町にある美容室の木畑(きばた)さんという癒し系の明るい美容師さんです。カットのついでにリセッターをする場合は、つむじ一カ所だけならリセッターのお値段は1.000円税抜だけ!です(カット代は別)。ヘアリセッターだけ(カットやシャンプーなしで)をやってくれるかはお店にお問い合わせください。お店はコチラ → http://lucia-fukusaki.com/

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つむじが曲がってるだけでなく、病気がちだったり、発育に問題のある赤ちゃんや子どもさん、ホメオパシー療法で乱れた自然治癒力を整えることができるかもしれません。

詳しくはHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

 

 

 

 

 

学校が追いついていく

コンサルテーションで小中高生の子ども達に、その子達が興味を持ってるものについて質問しますが、以前に書いたYoutuber以外(過去記事:現代のヒーロー?)であがってくるアーティストは 全く知らない名前がほとんどです(昭和生まれなんで、汗)。

家に戻ってから、どんな人なんだろう〜と検索すると、へー!とか、ワー!みたいに私の概念の枠を超えたアーティストが結構います。

例えば、TWICE(ツワイス)。

9人の可愛いガールズグループで、ジャンルでいうとK-POPみたいですが、メンバーは韓国だけでなく、日本人、台湾の女の子もいます。

政治や外交では難しくても、音楽ではアジアの融合グループがすでに存在して、女子に絶大な人気、憧れのグループみたいです。

とはいっても彼女らは多国籍グループだから注目を集めてるとかいうことは全然なくって、ファッションや音楽、ダンスといった外見&実質の内容で人気です。国籍が混ざってることに注目すらしてない、軽〜く国境超えてる感じです(歌は韓国語メインのようですが、日本語、英語のものもあり)。

他には、浦島坂田船(うらしまさかたせん)。

この名前を言われたとき、歌手なのか昔話なのか(な、わけないけど)、いったいそれ何?! と頭が混乱しました、が、歌手です、しかも「アニメ」の若い4人のイケメングループです。

ニコニコ動画が主に活動の場ですが、武道館でコンサートもできるくらい人気です。アニメだけで歌声が合成というわけではなく、実在の4人の男の子達が歌を唄っており、時々本人達が顔出しもしていて、実在の人間がアニメを影で支えるという逆転な在り方が面白いです。

他にもVOCALOID(ヤマハ開発の製品で、メロディと歌詞を入力すると合成した人間の声が出る)で作った歌を得意とするアーティスト名があがったりします。

幾つかの例を挙げましたが、私がこれらのアーティストを知ったときに「これは新しい」「面白いジャンルだ」「変わった表現方法だ」と感じる感覚は子供たちには全然なくて、そういうの普通にあり、のようです。

様々な表現方法やテクノロジーを普通のこととして受け入れる精神を持った子ども達ですが、この子達が大人になる頃は、どういう社会になってるんだろうってちょっとワクワクします。

けれど、こういう子ども達が一日で一番長く時間を過ごす場所は、一昔前もそして今も ” 学校 ” です。

子供たちの感覚は時代とともに変わってるのに、彼らが一番時間を長く過ごす学校自体は変わってるのかといえば、あら?!全く変わってない?!(大汗)。

アーティストやYoutuberなど彼らが好むものをみると、時代感覚だけでなく個人の個性も表れる自由な選択なのに、学校の話になった途端、あら〜彼らの学校での在り方は私の子ども時代となんにも変わってないし、ぶつかる問題も昔と同じように思います。

先日の夏休みの宿題の記事(過去記事;夏休みの宿題に思う)にも書きましたが、宿題1つにしても、私の小中学校時代と宿題の出し方や指導の仕方は基本的にほぼ従来通りですからね(汗)。

昨今は昔は当たり前だった体罰やスポーツ指導でのパワハラが表面化してくるなど、少しづつ変化はでてきてるとは思いますが、

政治と一緒で、政府主導の学校組織の在り方を動かすのには何十年もかかるのかもしれません。

だと、したら、今の子どもって、自分の感覚と大きなズレがあるだろう学校教育や指導に相当な違和感を感じてるんじゃないのでしょうか。

違和感を感じてるだけでなく、実際に学校に通わない子も増えているように思います。

そりゃ、そーでしょー。だって、学校教育に持つ違和感って、既に私の時代からあったのだから(汗)、今の子の持つ違和感はもっと大きなものだと思われます。

学校が、子どもの感覚に追いついて行くのは、いつなんでしょうね….(遠い目)。

しかし、私のようにただ憂えてるだけでなく、先駆者として動き始めてる草の根的な学校も既に相当数あると思います。

以前にご紹介した加古郡稲美町にある「ころあい自然楽校」さんも(過去記事:子どもの学校)、今年から小学部を立ち上げました。

学校というのは自分を押さえ我慢する場所ではないこと、

学ぶということはとっても楽しいこと、

トップが考えたことを教えてもらうのではなく、自分たちで何をどう考えるかを

学べる学校になるんだろうなと思います。こういうところで育った子供たちがつくる将来の日本、楽しみです。

来月の10/11(木)にも3回目の説明・見学会が開かれるそうです:

ころあい自然楽校 小学部 2018 秋開校

 

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必要最小限に小さく「みゃっ」と鳴いてご飯を催促するミヌ。
こんな効果的な可愛い方法を習得したキミは賢い〜(いそいそとご飯をあげる私…)

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学校にまつわる問題でお悩みの方。
過去の出来事であっても、癒すことはできます。

ホメオパシー療法でお手伝いができるかもしれません。
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洗い過ぎについて考える

以前、小津作品だったか日本の古い映画をみていたら、登場人物の奥さんが食器を洗うシーンがあったのですが、洗い桶の中につけてたお茶碗を蛇口からの水だけでささっと軽く洗い流して終わりだったのを記憶しています。

当時は、いまほど動物性/植物性脂肪を食べていなかったんだろうな〜

世界でオイルをベースつかわない料理というのは、日本料理だけだというのをどこかのシェフが言っていました。

多国籍の料理が広まったせいなのか嗜好が変わってきたのか、現代の日本では動物性脂肪やオイルを料理にたくさん使うようになってます。

食器についた油脂を洗い落とすには、

もともとは、水と台所洗剤/石けんが基本的に有効だったと思います。

その後生活が改善されて蛇口をひねればお湯がでてくる時代になってからは、油脂を溶かせるお湯を使うのが有効だと思います(プラスチックの汚れは洗剤もいりますが)。

ところが、現実には、台所洗剤も使ってる上にさらにお湯も使うから、洗い過ぎなのではないかと思います。(しかも現代は汚れを落とすのにすぐれたスポンジもあるし)

瀬戸物など陶器は洗いすぎても変質することはあまりないのだろうけれど、だから、つまり洗いすぎてるのは、私達の皮膚というかそれを覆ってる皮脂と言えるでしょう。

この石けん+お湯のダブル洗浄による洗い過ぎ/落とし過ぎは、食器洗いだけでなく、体や髪を洗うときも同様だと思います。

昔と比べて植物性/動物性油脂を多く取り込んでる私達の体の皮脂は、皮脂自体の量や質が違ってきてるのかもしれないし、皮脂だけでなく常在菌の在り方も一昔前とは違うのかもしれません。

しかし、あぶらはあぶら、食器と同じでお湯だけでも落とせるはずなのに、石けん・シャンプーとお湯のダブルで洗ってるものだから、皮脂を落とし過ぎて、さらには常在菌も毎回全部殺してるのだと思います(汗)。

昨今、そんなことに気がつき始めた人がとても多いようで、体や頭を洗うときに石けん類を全く使っていないという話をかなりの頻度で耳にします。

ある女性のクライアントさんは、ヘアカットの前にするシャンプーにシャンプー剤を使わないでお湯だけで洗ういわゆる「湯シャン」をしてくれる美容室に通ってるそうです。

プロによる「湯シャン」まで出現したというのは、そういうニーズがかなりはっきりと形になってきたということでしょう。

残念ながら、私の住む地域周辺ではお湯だけのシャンプーを提供してくれてるところは今のところ見当たらないですが、今後そういうサロンも増えていくといいなと思います。

別の部分の「洗い過ぎ」の話をすると、以前、産婦人科の女性ドクターに教えてもらったのですが、女性性器こそ、石けんを使って洗ったりしてはいけないそうです。

私は、なんとなく大事なアソコは排泄物の近くに存在するものだから、石けんは使った方がよいのだろうと思っていたけど、大間違いでした。

女性性器というのは全体が粘膜でしっとりと潤ってることで感染することを防ぐのに、そこを毎回石けんで洗えば常在菌も殺してしまうことになり、清潔どころが危険な状態になるとのことでした。

もちろん感染を防ぐだけじゃなく、粘液度が高いと精子を保持しやすくもなるので妊娠しやすい体にもなるし、性行為自体も快適になります。

ところが昨今は、性器周辺が非常に乾燥してる女性がとても多くて、それは石けんによる洗い過ぎが原因だという見解でした。

アソコを洗う話、普通の会話ではなかなかでてこないでしょうから(汗)、これを知っておくのは大事かもしれません。

最後に、洗い過ぎという話題で、歯磨きについても。

私が知ってる人に歯磨きを全くしない男性がいます。

その人は、義両親の長年の友人のフランス人男性で、去年、義母の葬儀のときにも会いましたが、歯磨きはしないんだそうです。

今は70歳を超えてると思いますが、見た目上品で知的な人です。

彼は石けんや歯磨き剤の反対派というわけではなく、ハブラシを口にいれるのが生理的にだめらしく、歯磨き行為自体がムリなんだとか。

私も歯磨き粉は使いませんが、「歯をみがく」行為すら、もしかして必要なかったんか〜と考えさせられます。

歯をみがかなくていいという意見をみると、自力洗浄剤である唾液を歯磨きすることでいっせいに流してなくしてしまうから、ということのようです。

そう考えると、皮脂や常在菌や唾液といった体を守るための存在を、お金をだしてわざわざ購入した石けんやらシャンプーや歯磨き剤で、せっせと体の外に流し出して無防備な状態にしてるなんて滑稽な行為に思えてきます(汗)。

ちなみに、去年、義母の葬儀でその男性に会ったときに、歯磨きをしたことがない彼の歯がどういう状態かチェックするのを忘れました…. 悲しい場だったため、口をあけて笑うこともないので歯はみれなかった、今度あったら写真とらしてもらおうか(苦笑)。

石けん

石けんは汚れを落とす優れものと思いますし、洗濯ではとてもお世話になっていますが、お湯をふんだんに使う生活の中で使い過ぎてはないか、という自問も含めた記事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

少し悪いこともしてみたくなる

先日本屋さんに行ったとき、ふと目に止まって買った曾野綾子さんのエッセイ本の中に書かれていた話です。

読者の男性からの投書にその男性が初めて競艇場に行った日に、その競艇場で言葉をかわした年輩の女性のことが書いてありました。

その女性はもと校長をされていたそうで、人生の最後の段階の自由の中で

「少し悪いこともしてみたくなった」そうで競艇場に1人で来ていたのだとか。

女性が1人で出かけるにはハードルが高いと思われる競艇場で、学校組織のトップにいたひとが人生の最後の方でギャンブルを楽しんでる、かなりドラマチックな設定です。

でも教師など人を教える立場にある人や、警察や消防など正しい行いをして当たり前の職業の人が、少し悪いこともしてみたくなった(競艇は悪いわけではないですが)、というのは理解できる〜と思います。

このエピソードに曾野綾子さんは涙がでそうになったらしいのですが、それを

「生涯のふくよかな完成とは、恐らくこういう境地を言うのであろう」と表現していました。

また他の言い方で、

人生には最後まで、思いがけないしなやかな発展がある(文章抜粋)、競艇場にきて初めて彼女は人生を広角度でみられたから(文章抜粋)、とも表現していました。

ゆる〜い校長さんとして生きていたら、その女性は定年してから競艇場にいくことはなかったのかなと想像したりもしますが、自分をその視点からみると、自然療法家といいながら、お酒も頻繁に飲むし、たまにジャンクなものも食べますし、blogではわかったようなことを書きながらも感情的にもなったりするので、その校長さんが現役人生で貫いたであろう正しき姿勢は決して私には達し得ない境地だなと感嘆もします。

ただ、そういいながら、

あの人いつもきちんとしてるね〜 とか

よく出来た人だね とか すごくいい人だね とか

あの人は素晴らしい人だ

みたいな褒め言葉が自分の耳に入るようになったら要注意だと思ってるところが私にはあります。

他人が賞賛してそれが自分の耳に入るってことは、そういう良い面の片側ばかりが強調され過ぎてる状態(それが目立つから自分の耳にまで入る)と思ったりするわけです。

それはつまり自分が良い面を人様に向けて発信しすぎなんじゃないか、ムリしてるんじゃないかと思うんです。

そうなると、人から賞賛される姿を守らないといけない状態や期待を作り出してしまうことになるから、あっぶな〜と思うわけです。

もと校長の女性のように、長年かけて人生の最後に自分のバランスを取り戻すというのもあり、そしてそれはそれで心を打たれますが、

あの人はまあまあいいね とか、実はなかなかいいとこある みたいに”ひそかに”思ってるもらえるくらいの姿勢で生きられたら、それはかなり良い状態ではないかと思います。

こう思うのは、ただ単にいつも少し悪いことをするのを自分が正当化したいだけ?!(汗)

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↑ 裏庭にうえた西洋なしの木に初めて実がなりました。この1個だけ!です、あら〜。
果物はまんまるだったり、細長かったりしますが、西洋なしは上下がアシメトリなのがアートだなと思います。