異なる意見を合わせるとき

メールでご相談をいただきまして、そしてそれはわりとよく頂くご相談なので、この機会に記事にしてみようと思います。

内容を簡単に書くと、

ご相談をしてくださった女性は、子供や家族の日常の健康維持のためにホメオパシー療法を使いたい

ご主人は、それを快く思っていない、むしろ使ってほしくない

いくら話し合っても平行線、どうしたらよいでしょうか、です。

こういう問題が浮上してきたとき、

対象が「ホメオパシー療法」というマイナーな(笑)療法なので、

それがそもそもどうなのか?という

対象物にフォーカスをしていくと、解決にはつながりにくいと私は思います。

対象物にフォーカスをすると、

それは怪しいとか(苦笑)、エビデンスがなんちゃら、とか、

かたや、これは健康にいいんだとか、免疫力があがるとか、

どっちが正しいか間違ってるかという結論の出ない論争になるからです。

もし、夫婦で意見が合わない対象が、

子供の学校をどこにするか? とか、

どこの地域で家を買うか? とか、

親の介護はどうするか?

みたいな、大きな人生の選択だとしたら、

夫婦で意見が違うときはどうしますか?

これと同じような問題が起きてるとみるとよいのでは、と私は思います。

対象が

ホメオパシー療法であろうと、

家を買う町をどこにするか、であろうと、

複数の人間の意見が異なっているときに、

どのようにしていけばお互いが気持ちよく理解しあって、納得がいく選択ができるか、というレッスンに対面してるのだと思います。

ここから、あくまで私個人の考え方というかやり方ですけど、

そういうとき、いつもお互いの「ツボ」があるなと思っています。

ご相談の例でいうと、

ご主人にはご主人の反対意見のツボがあるのです。

メールから読み取ると、私が思うご主人のツボは、

ホメオパシーはいいのか悪いのか実際よくわからない、

でも嫌だなと思うのは、それを良いと思い込んでる奥さんの頑(かたくな)さで、

それは別の言葉でいうと、それを信じすぎてる感じがして違和感を感じるということだと思います。

いわゆる宗教に入って洗脳されてるような不気味さを感じるのだと思います。

これを心の言葉でいうならば、

そっちを頼りにしてるけど、俺の考えは信頼していないし、俺を頼りにもしてないよな、

というような寂しい気持ちもあるのでは、と思います。

私はそのホメオパシー療法をやっていますが笑、このご主人の気持ちはとてもよくわかります。

だって、もし、ご主人がセミナーかなにかである人に感化を受けてきて、これをやったら人生が好転するよ、とかいいだして、なにか特定のことを真剣にやり出したら、

うわ、大丈夫?!って思いますよね?

それと同じだと思います。

ちなみに、奥さんの方も同じで、奥さんがそれを使いたいと思うツボ(もしくは医療をなるべく使いたくないというツボ)があると思いますので、

それをちゃんと自分で把握しておくのが大事と思います。

ということで、私は、意見が違う人となにかを決めていかないとならないときは、

反対してる相手が一番恐れてることは何か?

反対してる相手が最も嫌がってることは何か?

を知るのが、もっとも早い解決法だと思っています。

誰かが何かに反対!というとき、

隅から隅まで全て真っ黒に反対!と思ってることは少なくて、

ある数点のみの部分が、真っ黒で反対!で、

残りの部分は、意外とグレーか白で、そこまで反対では、なかったりすることがほとんどなのです。

ですので、真っ黒な部分=ツボ をまずは知ることが、解決の糸口になると思います。

頂いたご相談の例に戻ると、

ご主人がもっとも嫌だと思ってることを、具体的に話してもらって、

それをまずは理解して共感する。

例えば、私の推測のように、ご主人が奥さんの狂信的なところを嫌だと感じてるなら、

「そうか、なるほど、それはわかるわ、確かに不気味だよね、そうだよね〜 心配するのもわかるわ」

「でも大丈夫だよ、そこまで狂信的じゃないけど、そうみえるなら理性的でいるように注意するね。そして、今後はあなたの意見をまず聞くようにするね」

という感じで、相手の最も嫌だと思う部分に対する理解や妥協案を示すと、

相手のツボはおされてゆるむ、と思います。

ここで相手はどう感じるかをそこで再度聞くのもよいと思います。

そしたら、次に、自分のツボもそこでいれるといいと思います。

「なにか重大な症状とかはちゃんと医療にかかるけど、

でもできたら日常のケアは、ホメオパシーを使っていこうと思うんだ。

使ってみて効果を感じるし、あと、私は、あまり薬という化学的に合成された物質を体に入れたくないんだ」

みたいな自分のツボを知らせて、相手に私はそこが大事だと思ってるんだ、とわかってもらえるといいなと思います。

人は、できたら、わかりあいたい

それはどんな人も同じだと思います。

そのためには、まずは、自分の方から先に相手をわかってあげるのが大事

→ かといって、そんな寛容な人間になれないかもしれません(わたしもなれない笑)。

そんなとき

相手を全部わかってあげなくてもいいし

相手を全て受け入れなくてもいい…..

相手のツボだけ、わかってあげて、そこだけ受け入れるなら、

できるんじゃないでしょうか。

面白いのは、そのお互いのツボが通ったとき、心が通い合ったように感じるのです。

それはとっても心地よい体験です、お試しあれ。

お互いの心が一部でも通いあったときは、雲の隙間から光が差し込むような感じ。希望がもてます〜

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いつも誰かとぶつかってしまう、

誰かともめたらいつもあきらめてしまう

それが自分の人生の大きな問題だと思ってる方、

それはあるエネルギーパターンを身につけてしまってるから、のことが多いです。

コンサルテーションで、それが何か一緒にみていくことができます。

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選択を迷うとき

先日、息子が17歳になりまして、

プレゼント、何か欲しいものあるの?

と尋ねましたら、

いまどきの子らしく、タブレット型の電子機器が欲しいとのことでした。

私のときと比べると、そんな高価なものをプレゼント?!と驚きを隠せませんが

(というか、そもそも私は親から誕生日プレゼントをもらった記憶すらないのですが汗)

旦那さんは、息子がこの大人に近い年齢になったことがとてつもなく嬉しいようで(もちろん私もですが)、

なんでも好きなものは買ってやるぞっっ的な勢いなので、任せることにしました。

息子があれやこれやと候補の商品を調べて、

旦那さんにそれらの情報をみせて、二人でワイワイ比較検討しているようでしたが、

今朝、息子を送迎してる車の中で、私に、最終選択の相談をしてきました。

結局、2つの商品 A と B にしぼったらしいのですが、どっちにしようかな〜と

迷ってるそうです。

プロセッサの性能は、Bの方がAより良い、といってもそこまで大きな差ではない。

使い勝手や画面の大きさもBの方がよい、しかし、これも大差ではない。

値段は、Aの方がBより2万くらい安い → ここまでが条件ならAにする、ということらしいのですが、

問題は、Aだと納期が1ヶ月以上待ち状態で、Bはすぐに発送可だそうです。

それで、どっちがいいかな〜と、早朝から、うなっています。

その息子の楽しそうな?悩みを聞きながら、私が思っていたのは

「そういや、この子は、よく2つのうち、どちらを選ぶかで迷ってるな…..」

でした笑。

それで、これはちょうど良い機会かも、と、私が迷ったときにどう選択するかについて話すことにしました。

私は、例えば何かを買いたいとなって、最終に2つもしくは3つの中から選ばないといけなくなったときに

「タイミング」というのを重視しています。

例えば、息子の選択の例だと、

納期が先のものは選ばないで、すぐに手に入るほうを選択します。

なぜなら、私が欲しいと感じて出してるエネルギーに合致して、現れた品だからです。

違う表現をするならば、これは大いなる流れが与えてくれたものだから、そちらを選ぼうと思うわけなのです。

ただし!

納期が先であっても、その日数を待ったとしても、あちらの方が欲しいと「感じてる」なら、

それは物理的条件を超えたところで、自分の深いところが望んでるものだから、

あちらを選択するようにします。

例えば、今の車(mazda CX-3 黒)を数年前に選んだときにも、

デザインが好きだったので、最初からこの車と決めていたのですが、

新車を試乗して購入しようとしたら、

色は「白」が希望だったのですが、白だと、納期が3ヶ月先だと言われました。

一方、1万kmしか走っていない中古の「黒」が販売されてるのも見たのですが、中古なので、こちらは即入手可能でした。

白を買うつもりでいたので、旦那さんとも相談したし、うーむ、と迷いましたが、

今、この車が欲しい私に「黒」が与えられてる、だから、黒にしよ、と思いました。

(黒は、白の次の第二希望の色だった)

あのとき、3ヶ月待ってでも、「白」が欲しいと感じなかったということでもあります。

そして、実際にその車にして、今は黒でよかったな、と思います。

もちろん、あのとき、3ヶ月待って「白」にしても、それでも自分は「白」で

良かったなと思っただろうなと思います笑。

ま、つまり、どっちを選んでも、満足したんだろうなと思うのです。

別の言い方をすると、

何を選んでも、成功も失敗もない、ということだと思っています。

自分がソレを選んだことを受け入れて過ごしていけば、ソレでよかったってなるものではないかなと思います。

人生はとにかく選択の連続で、その選択では、あー、あっちにしたらよかったな、とか、こっちを選んで失敗だ、と思うことも、あるでしょうが、

そう思うことも、それを体験することになっていたんだと思います。

いずれにしろ、私が息子に伝えたかったのは、

物理的な条件や、損得条件だけで選択できないとき、

もう少し大きな視点で選べば(大いなる流れとかタイミングとか、自分が深いところから望んでる感覚を大事にする)心がすっ!とした感覚で選べるよってことでした。

これから、彼の人生で、もっと大きな規模の人生の選択をしていくだろうなと思います。

大学だったり、職業自体の選択とか就職先だったり、

人生のパートナーとか、家とか住む場所…etc..

そのときに、自分の深いところとつながる選択ができるといいなと願います。

また選ぶことより、選択してそれで「何を体験するか」のほうが大事だということにも気がついてほしいなと思いました。

車を運転しながら、上記の「私の選択の仕方」について息子に話したら、

「わかった、決めたわ!」とすっと答えた息子でした。

私は誕生日に欲しいもの、思いつかない….「旅」かな。

いちどきにひとつのことだけ

今年、腸内細菌レメディプログラムというのに取り組んでいるのですが(ご興味のある方は、こちらの記事へ)、

今月は第7チャクラを開く効果のあるレメディをとったせいなのか、

こんなメッセージがインスピレーションで降りてきました。

いちどきにひとつのことだけをする

です。

一行三昧(いちぎょうざんまい)という言葉はまさにそれを表してると思いますが、

マインドフルネスとか、いまここにいる、とかも同じ意味と思います。

ということで、いちどきにひとつのことしかしない、を意識して毎日過ごし始めてるのですが、

ヒジョーにびっくりします。

わたし、こんなにいちどきにたくさんのことやってたの!?

自分でもあきれるぐらいのマルチタスカーでした笑。

例えば、

コーヒーを片手に持ってテーブルに運びながら、その途中で目についたキャットフードの袋を別の手でちょいっと元の場所に戻すとか、

歯磨きしながら、洗面台の汚れに目がいって、スポンジで少しこすったり、または鏡のくもりに気がついてタオルでふいたり(歯ブラシを口にくわえたまま!)、

本を読んでる途中で、ふと気になってスマホをいじってるとか、ふとお腹すいたとお菓子をさがしにいってつまみながら本読みはじめるとか etc…

ほとんど全てがこんな感じで日常を過ごしているのです。

そんな私が、いちどきにひとつのことをやっていくには、段階があるなと思いました。

まず最初の段階は、

行動として、ひとつのことしかしない

です。

行動を1つに絞ることから、始めてます。

上の例でいうと、コーヒーをテーブルに運ぶなら、まずは運ぶことを完了する。

キャットフードの袋が目に入って気になっても、コーヒーをまずは置く、そして置いたら次は袋を片付ける、みたいな感じです。

そうやって段々と、いちどきにひとつのことしかしなくなってきたら(それでもまだ複数やってたりしますが笑)、

行動だけでなく、その目の前のことにしか「意識を向けない」を、

次の段階としてやっています。

目の前で起こってること以外の思考をしないようにする、という感じです。

ご飯をたべながら、あとでしないといけないことを頭の中で想定してるときや、

ふと過去の出来事が浮かんであれやこれやと思っても、

それらのことを思考するのをいったんストップして、

ご飯をたべることだけに意識をもっていくような練習です。

とはいえ、これが、もう、とにかく、なかなかできません……

このようなブログ記事を書いてるときは、記事の内容に思考自体がいっていますので、

わりとできます。

でも、ご飯を食べるとか、洗濯物を干すとか、車の運転をしてるようなとき、

つまり体の動きがメインでなにかをしてるとき(特にその行動が慣れているもののとき)、

ふっと思考はどこかをさまようんですよね笑。

そして目の前のことから意識が離れてることに気がつきます。

あれ、また離れてた、ってこの繰り返し笑。

とにかくすごい頻度です大汗。

それにしても、いちどきにひとつのことしかしなくなったら、

行動がとても丁寧になるなぁ、 と思います。

つまり、自分にしたらいつもよりゆっくりなペースになってるなと思うのですが、

でも、それでこなしてる日常の仕事量に変化はありません。

マルチタスクしてたから、ひとつのことしかしないと効率が悪いのかと思いきや、

それは全くないどころか、

逆にもっと物事はうまくまわってるように感じます。

ひとつ、ひとつの物事を完了した感覚が伴うからなのかもしれません。

いちどきにひとつのことだけやる

いちどきにひとつのことだけに意識を向ける

これは、自分を新しい境地に連れていってくれる習慣だと思います。

つづけよっと!

茶道とはまさにそれ!ですね。

思考の数々を可視化できるなら

今朝、

「ネガティブに推理し続ける思考を止めらない」

というようなお悩みについて話していたせいか、

午後に久しぶりに庭の草むしりをしていたら、

「その思考が止められない状態というのは、つまりこういう感じだよね」

と生い茂った雑草がみせてくれてました ↓

これはヘクソカズラ(すごいネーミング汗)という植物ですが、つる性で、少し紫がかった茎が何重にもあちこちに巻きついていて、なにがなんだかわからない状態でした。

もし思考がこの植物のツルのように育っていくのが目に見えるなら、

それでもわたしたちは、その育っていく思考を止めないでしょうか!?汗

何度も何度も同じことについてああかもしれない、いやこうかもしれないと推理したり、

何度も何度も嫌な体験を蒸し返して思い出したり、

何度も何度も心配なことを予想してどうなるだろうと思考する…..

思考して思い浮かべるということは、その事象にエネルギーを与えてるということになりますから、

まさに頭の中で育てているわけです笑、みえないけど。

もし、思考してるときに出てくる言葉の数々が、

雲のような黒い文字として発生していき、頭の周りに浮かんでいくとしたら、

ほとんどの人の頭部は、真っ黒な雲で覆われて、顔や頭が判別できないかもしれません汗。

人によっては、全身真っ黒な文字の雲に覆われて存在がみえなくなってる人もいるかも笑。

でもそうやって可視化できたり、植物のように物質として思考が育っていくなら、

私たちは思考を途中で止めることができるのではないでしょうか。

思考がツルのようにグルグル自分に巻きついてきたら、うっとおしくってしようがないから、

私が午後の草むしりでしたように、つるを束で思い切りひっぱってブチッ!って切ったり、

園芸はさみでジョキッ!!と切り落とし、すべてのツルを払い落としてスッキリしたくなると思います。

そして、あーすっきりした、なんで伸び放題にしてたんだろう、って苦笑するのではないでしょうか。

しかし、残念ながら、わたしたちの思考は外からはみえないし、

自分でもその量を客観視することができない。

だから、思考の数々がいかに自分を縛りつけているかみれないし、

同じ思考にどんどんエネルギーを与えて日々育ててることにもなかなか気づけないのかもしれません。

もちろん、わたしも常に思考しています。

気になることがあったときなど、ずーっと考えていたりもします。

ただ、その思考をツルのようにぐるぐる絡ませたり、何重にも大きく育ててしまう

ようなことはかなり少なくなってきたかもしれません。

考えてもなんの成果もでないどころか、自分を苦しませる思考については、

神にまかせた!(流れにまかせる)

と、自分でかかえこまないようにしたり、

瞑想して思考を洗い流したり(思考はわくけど、どんどん流していって留めない)、

例えばテニスに集中することで、思考しない時間をつくって、思考回路を完全に切り替えるとか、

そんなのが、グルグル巻きの思考に陥らないわたしの方法かもしれません。

そして、今日体験した草むしりも1つの方法として使えるなと思いました。

なにか気になることを思考しだして、

それがツルを巻いたようにグルグルしてきたら(思考するのを止められなくなったら)、

そこでぶちっと引っこ抜いて、その思考が育つのを終わりにする、ってイメージです。

その引っこ抜いたツルは、丸めて土に返してあげるイメージがよいかも笑。

グルグル巻きを利用して緑のリースにしてみた。                           
止まらない思考もリースにできたら、素敵?!                             

ーーーーーーーーーーーーー

私がみてきた思考が止められない人たちの大きな原因の1つは、

自分が全て考えていかねばならない

と思ってることです。

自分が全てをなんとかしないといけないと思ってるから、

とことん考えるしかなくて、

だから延々と思考が手放せないのです。

だから思考を手放すには、

この世界の流れをつくっている創造主がいることに気がつき、

考えても自分ではどうしようもできないこと(先の不安とか、他人の心の中や、過去の出来事など)は、

そちらに任せておこう

その流れを信頼しよう

と思えていけるようになるのが鍵かなと思います。

そうなるには、

静かな一人の時間をもってみるとか、

自然の中に身をおく時間を長くもつとか、

瞑想をやってみるとか、

思考でなく感性を研ぎ澄ます方に時間をつかってみるのがお勧めです。

(左脳を休めて、右脳を使う)

そうすると、思考が静まって、その奥の深淵な世界を体験できていき、

全て自分でやらなくてもいいんだ、というのがわかってくると思います。

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どうしても思考から離れられない人には、

高次元の力をかりたエッセンスやレメディなどを使う方法もあります。

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SHOHEI OHTANI 効果

2,3ヶ月前のことですが、高校生の息子が、模試だか何かの試験(記憶曖昧、笑)で、

「英語のリスニングテストが校内順位で2位だったよ〜」とご機嫌で教えてくれたことがありました。

彼の父(私の夫)は外国人なので、そりゃそうでしょ、と当然に思う人もいるかもしれませんが、

彼の父はフランス人なので英語を話すわけではなく(仕事は英語でしてますが)、

家庭内で英語を話すことなど全くありませんから、私には非常に意外な結果で、

ええ! そりゃすごいね!!と単に驚いたのでした。

そもそも、息子がリスニングの勉強などしてるところなど1度もみたこともないので、

「一体、どうやって、リスニング能力つけたの?」と質問してみたところ、

あのね、と少し笑いながら教えてくれました。

大谷翔平選手がメジャーで活躍するようになってから、しょっちゅう現地の人がつくった英語版「SHOHEI OHTANI 切り抜きYoutube」をみてるそうなんです。

そうすると、自然とネイティブアメリカンイングリッシュを毎日聴くことになるわけで、

いつのまにかリスニング能力が身についてきたそうです、苦笑。

(もちろん全部聞き取れるわけではなく、リスニングテスト用の典型的な文章みたいなのが聴けるくらいにはなったってことなんでしょう)

SHOHEI OHTANI 効果は、野球だけの世界に限らなかった!!

この彼の秘訣を聞いてから、どれどれ、と私もOHTANI選手の活躍をYoutubeでのぞいてみるようになったのですが、

あるとき、いつのまにか彼の活躍してるYoutubeを楽しみにみてる自分がいるということに気がつきました。

私はテニスが趣味なので、スポーツの試合をみるとしたら、ほぼテニスしかみません。

ですから、野球自体に興味はないのです…..が、OHTANI選手の活躍Youtubeはなぜかその後も自分でみにいってました……なぜ?!と思って分析してみたら、

映像内で聞こえてくるアメリカ人のほめ称え方が私のツボなんだということがわかりました。

アメリカ人のアナウンサーや解説者やYoutuber が、

OHTANI選手を形容する言葉の使い方や態度に触れてるのが、

私を心地よくするので、またみにいこうとなるのでした。

日本でももちろん大谷選手をほめ称えてる映像やニュースはたくさんあるのですが、

日本で褒めてる姿勢をみてると、

解説者が上から褒めるか(まるで親が子供を褒めるような、テクニックを抜き出してそこを褒める)、

突然、「神」のようにあがめて、自分たちとは別格とするような扱い方が多いように

私には思えるのですが、そういうのはあまり心地よく感じないのでした。

アメリカ人たちがつくってるYoutubeをみると、

ほめるボキャブラリーがとにかく多彩で、そのせいか褒め称え方に個性が感じられて、

そこに心が伴ってるのも伝わってきます。

しかも褒め称えるときの立ち位置は、

相手を下におくのでも、上におくのでもなくて、

同列で同等に感じるのです。

ほめる相手に対して、斜(しゃ)に構えていなくて、ハートがオープンな褒めたたえ方だなと思います。

例えばある動画では、

野球の有名なOBの解説者の方が(60か70くらいの人、私には全く誰かわからない笑)、スタジオに来てくれたOHTANI選手に、

「I love you, I really love you!」なんて言葉をかけていて、

きゅーんとしました。ご自身もキャリアを築いてきて有名でプライドもあるだろう男性が、

20代で日本からきて活躍したての選手に、

君はこれがうまいね、とか上から言うんじゃなくて、

I love you なんてストレートに言えちゃうところ♡

OHTANI選手について話す他球団選手のインタビューをみても、

「OHTANIと同じ時期に野球というスポーツができてることが本当にラッキーで、誇りです」

みたいな言葉でほめたたえていて、

ただテクニックや結果をすごいと言ってるんじゃなくて、

ほめる相手と自分とのつながりに感謝してる目線を持ってるところが、

素敵だな〜と思いましたし、それをインタビューでさらっと答えることができるその人(有名な選手のようでした)、

そしてその人の思考を培ったアメリカもまたスケール的にすごいなと思いました。

他の有名そうな野球解説者(この人も誰だか全くわからない、笑)のYoutubeでは、

OHTANIが40号ホームランを打ったときの自分や球場にいる人の気持ちを代弁していたのですが、

「こんな現象をみるのは初めてだ、

皆がOHTANIを応援していて、それは球場にいるときだけでなく、

OHTANIが道を歩いてるときにも皆が彼を応援してるんだ、

自分たちのひいきにしてる球団を超えて、皆がOHTANIがうまくプレイしてほしいと応援してる、

この状態は(皆がすごい試合をみて、皆がなにかを一緒に応援してる状態)、

It’s really cool !! 」と表現してました。

こんな表現をできるひとたち、つまりはそういう精神を持ってる懐(ふところ)の広いアメリカ、

OHTANI選手のおかげで、アメリカの素晴らしさを再発見した私です。

そして、このような映像を多くの人がみてることで(どれも再生回数がすごいので)、

このような人の称え方、人と人とのつながりを称える精神は世界に伝播していくだろうなと思って、毎回暖かい気持ちにもなるのでした。

SHOHEI OHTANI効果、絶大です!

*過去にも大谷選手のことを記事にしてたの思い出しました。
大谷選手に関するのは最初のパラグラフだけですが、ご興味があれば、どうぞ → 目標実現ツール

大谷選手は、Angelsエンジェルス に所属する「天使」ですな笑。

楽しむことでは….

私が人生で最も大切にしていることは、

楽しんで生きる

でした。

でも、それが大きく覆されそうになっているこの頃です苦笑。

少し前のことですが、読んでいた漫画の中に、

なにをしても痩せなかったのに『月曜断食』(関口智さん著)を実践したら

本当に痩せたというエピソードが載っていました。

断食は、少し前からファスティングという言葉で一般化&普及していて、

普及とともに、もともとの水分のみを取る断食から変化して、

XX時間ファスティングとか、1日1食ダイエット(2食をファスティング)などとやり方も様々になっているようです。

ちなみに、私も去年1泊2日の泊まりがけでファスティングを体験してみたのですが、そのときは食べないと1日の楽しみってこんなに減るんだ〜という感想を持ちました(体重はその間は減ったけど、すぐに戻った)。

今回、「月曜断食」という言葉を聞いて、なんだか妙に惹かれたので、

ダンナさんも誘って早速はじめてみました(自分はご飯を食べないのに彼の分をつくりたくないので笑)。

我が家はいろんな事情で月曜の断食は都合が悪いので、ファスティングを「土曜」に設定しました。

今の時点で、4回やってみましたが、完全に水だけではなくて、野菜ジュースの代わりに夏野菜のトマトやきゅうり、スイカをほんの少し食べるという夏バテ防止策を入れた我が家風のやり方にしています。

ファスティング自体は、思ったよりつらくないです。

食べたくてたまらないという気持ちも思ったほど起きません(夏野菜やシソジュースを飲んでるからかも汗)。そして夜に長く起きてるとなにかつまみたくなるから、さっさと寝たりします笑。

体重は今のところ、あまり減っていません汗。

大きな変化を感じるのは、意外にも「意識」です。

まず、食べない日に、少しだけいただく夏野菜を心底ありがたいと感じて、

ほんの数口のものに全神経&感覚を注いで味わえるし、

それが体に起こしてる作用にもはっきりと気がつきます(食べるもので体を動かしてくれてるんだな〜と)。

それは、旦那さんも同じ感想です。

しかし週1ファスティングをやったことで得た私の一番の気づきは、

食べることは、楽しむことではなかったんだ

ということでした。

食べるということは、動物を筆頭に、卵にしろ、野菜/植物にしろ、木の実や種にしろ、

他の生命をいただいて、私の生命をつながせてもらっていることなんだと深いところから理解したのでした。

他の生き物からの生命が自分を生かしてるのに、食べることを「楽しもう」なんてどうしてこれまで思えていたんだろう!?と、そこに気がついて愕然としました。

他の生命をいただくことは(はっきりいうと殺してるわけで)、

楽しいことや喜ぶことではなくて、

それをいただけてることを、ただ感謝するしかないことだとわかったのです。

昔の日本で、いただきますと手を合わせ、黙って静かに食べて、ごちそうさまと締めくくることとか、

キリスト教などで、食事の前にお祈りをして、食事を静かにいただき、食後も祈りを捧げることは、

そのためだったんだ!とやっと理解したのでした(何十年も生きてきて、いま、その地点汗)。

私が小さい頃の実家の食卓で、黙々と食べて、あっという間に食事が終わる、それがいやで、

なんでもっと楽しく生きないの?!と思ってた私、

そして海外にでたときに食事を長時間かけて楽しむ彼らをみて、これが生きるってことだよね、と思った私。

それが、今、ひっくり返って、皆で会話することは楽しむけど、

他の命をいただいてるのは楽しむことではなかったんだなと、やっと区別がついた感じです。

これに気付いてからでも、食事を美味しくいただいていますが(ファスティング してない日)、

以前とは違う心持ちになってます(この心持ちを宗教の言葉でいうと、祝福とか感謝っていうのかもしれません)。

同時に、これまで大好きだったお酒を飲むことにも欲がなくなってきていて、夏というのにビールを1缶飲むのがせいいっぱいになってきてます(→ それでも飲んでるヤツ汗)。

雑音が多いと、大事な聞きたい声が聞きとれないように、

食べ物にしても物にしても、多すぎるときにはよく見えないものが、

少なくすることでみえてくるんですね。

そしてこれまで成果なしの万年ダイエットしてきてるダンナさんですが、

この週1ファスティング が彼にも大きな変化を起こすような気がしています……

我が家の夏の清涼飲料水シソジュース、私は青しそで作るほうがさっぱりしてて好きです。
煮出したあと、大きめの茶こしでぎゅっとしぼります。         
写真は青しそに数枚の赤シソの葉をまぜてつくったもの、ピンクレモネードみたいな色になります。
シソが育ってくれて、それを摘ませてもらってこのジュースが作られ、
それを夏の暑さ対策に私の体にいただけることもありがたい….        
      

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あなたのエネルギーの在り方を調整するエネルギー療法をやっています。

使うのは、レメディやエッセンスという物質です。

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光を湛(たた)える

今日は大雨により警報がでています。雨のせいか、ふと、ネタが降りてきたので笑、blog記事を書くことにしました。

私は、一時期、あるアメリカ人女性(ヒーラー、アセンションリーダー)が発信するInstaやYoutubeメッセージを頻繁に聞きにいっていたことがありました。

その女性のメッセージは、とても慈愛に満ちているけど、フラットで、情報もわかりやすく(ガイドからのチャネリングで教えてくれていた)多くのことを学ばせてもらいました。

彼女があるとき、自分のお母さんの話をしていたのですが、

彼女が精神世界の仕事をするようになったのは、小さい頃からのお母さんからの影響だそうですが(お母さんもサイキック能力があった)、

娘である彼女からみても、お母さんは今まで出会った人のなかでもずばぬけて賢く慈愛に満ちていて、さらには「全てがわかっている人だ」とも表現していました。

いわゆる覚醒してる人なんだろうなだと、その言い方から私は推測したのですが、

そのお母さんは、今、人生で何をしてるかというと、ヒーラーでもメッセンジャーでも書籍の執筆やセミナーなどをしてるわけでもなく、

アメリカの大型スーパーで、いち従業員として働いているとのことでした。

雑多なスーパーで買い物客や他の従業員と普通に混じって仕事をし、

全てをわかりつつ、

彼女のいるその場所に静かに光を輝かせながら、毎日を過ごしているのだそうです。

それがお母さんが選んだ生き方なのだそうです。

彼女のお母さんの生き方は、私の心に深く響きましたが、それで過去のある出来事を思い出しました。

今から十数年前、私は、緑が多くて、大小幾つか池のある公園の近くに住んでいました(東京の西部)。

ある日、玄関の外にでたら、雨が降ってましたが、門の手前のコンクリート部分に、ヒキガエルがちょこん、といました(ウシガエルだったかも?とにかく大きかった)。

私が近づいても、飛んだり逃げたりしなくて、どうやら弱っているようにみえました。

死んでいく前なのかも、と思わせました。

何かの理由で公園と方向を間違えて、我が家の方にまでやってきたのかもしれないと思いました。

でも自力で動いて公園の方に戻ることはできなさそうな感じだったのと、コンクリートの上で死ぬのは嫌だろうなという気持ちがでてきて(そこで死んでもらうのも困るし汗)、

家に戻って、ビニール手袋をしてレインコートを着て、そのカエルを公園に連れて行こうと思いました。

手袋ごしとはいえ、正直、触るの怖かったのですが、大丈夫だからね〜みたいに声をかけながら、

そのカエルを両手でそっと包みこんで、持ち上げました。

カエルは、全く動かず、されるがままでいてくれました。

おびえたり、恐怖も感じてない、それどころか静寂さを感じました。

とてもとても静かで、本当に静かで、その静かさがあまりにも尊くて、なぜか両手に持ったまま涙がでてきました。

私を信頼してくれてると思ったのもありますし、

両手にずっしりと重さのあるそのカエルの命がとても気高いものに感じられました。

カエルを両手のひらから、、万が一飛び出さない様にスーパーの袋にそっといれて、自転車のかごにのせて、ゆっくりと漕ぎながら、公園に着きました。

公園について、柵で囲われた湧水のある小さな池で、人が入ってこなさそうな茂みに、両手でそっとカエルをおろしました。

カエルは、目を一度まばたきさせながらも、変わらずとてもとても静かでした。

帰り道、その静かな尊い命を思い出すと、涙が流れてきて止まりませんでした。

あのカエルのこと、時々ふっと思い出すのですが、なぜ自分に涙がでてくるのかわかりませんでした。

でも、冒頭のヒーラーのお母さんが、スーパーで静かに自分の光をたたえて、まわりにその光をあてながら暮らしてるのを聞いたときに、あのカエルも、それだったんだなとわかりました。

だから、あんなに尊く感じたし、あんなに私の心に響いたんだなと思いました。

昨今、精神世界の話がわりと普及していて、魂の目的という言葉がつかわれますが、

魂の目的というのは、そんな感じで、この世で光を湛(たた)えながら暮らすということなんだろうと私は思っています。

社会で、成功したり失敗したり、なにかを成し遂げたり、何も成し遂げなくても、

つまり、この世の社会で、物質的な次元で何をするかは、魂には全然関係がなくて、

魂の目的は、ただそれぞれの魂の光をこの世で輝かせることなんだろうと私は理解しています。

そして、光を湛える状態というのは、「静寂」なんだろうとも思っています。

雨の季節になると、あの大きな、でもとてもとても静かだったカエルを思い出します。

我が家の裏庭では、この季節は、私のメダカ鉢を水場として集まってくるトノサマガエルやウシガエルたちがよく鳴いてます汗。

↑ 先日、光をたたえる存在が裏山に出現か!?と思ったら、裏山に隠れている夕陽が木々の隙間から光っていただけでした苦笑。

愛って?

先日行った腸内細菌レメディプログラムのシェア会で、

ある参加者の方が「最近、愛とは?、愛するとは何だろう?」と考え出したんです、というようなことを話してくださいました。

ちょうど、第三チャクラから、次の第4チャクラに行く段階で、ハートチャクラに関連する思いが上がってきたので、エネルギーがちゃんと順番に満たされてきてるのが素晴らしいなと思いました。

日常の生活の中で、お友達や家族で「愛とは」みたいな話題を出すのは気恥ずかしいだろうと思いますが、シェア会でしたので他の皆さんにも、どういう定義をお持ちかなど聞いてみましたが、

それぞれの方がおっしゃることにすでに愛を感じるというか、愛というのはそれについて考えるだけで、

すでに「愛の感覚」がくるんだなと思ったりして、心和(なご)む時間になりました。

そのシェア会では、私自身が思ってる愛とは何か?を話していなかったので、

今朝、記事にしてみようと思いました(記事ネタみつかってラッキー笑)。

私が、現時点で思う「愛」というのは、

わたしたちは、実は1つのおんなじもの 

なんだと思い出すことが「愛」なんだろうなと思ってます。

その定義でいうと「愛する」というのは、

1つのおんなじものに近づくために行うことが、愛する、ことだと思ってます。

具体的に言うと、

この人、ひどーい、なんでこんなことするの?私ならこんなことしないのに!みたいなときに →

この人はひどい人で「私とは」違う! と考えていたことを、

ひどいと思ってたけどXXXがXXXだから、この人はそうしてたんだと、その人を理解したり、

そうせざるをえなかったその人の状況や性格やまたは過去まで考えることで、

そうしてしまうよね、と共感してあげたり、

またはなんでそれをしたのかは全然自分はわからないけど、ま、しょうがないかとただゆるしてあげたりして、

ひどい人 VS その人とは違う私 

とつくりあげていた両者の垣根を低くしたり&とっぱらったりして、

いや〜どっちも同じヒトでした笑、

みたいなところに持っていくのを、「愛する」だと思っています。

ちなみに、彼氏のことが大好きとか、旦那さんが好きとか、

あの俳優さんの大ファンだとか、

母のことを尊敬してます、XXちゃんという友達が好き、みたいなのは、

すでにその存在を受け入れていて、別存在とみてる垣根がないわけなので、

すでにそれは「愛している」と言えると思っています。

それでいうと、私は我が家のニャンコたちをすごく愛してる!笑。

別の言葉でいうと、

自分と何かの間に垣根をつくって、別存在にしたてあげてる、

その垣根や区別をなくしていくことが愛するということなんだろうなと、私は思ってます。

もちろん、そういう「愛する」という定義をもちながらも、

日常暮らしてると、私たちが1つのおんなじものだとすぐ忘れるんですよね笑。

私でいうならば、旦那さんが使ったものをしまわないで、次から次へと散らかしていく。

オーイこれ片付けてっ!!と突っ込んでちょっとした喧嘩になるとき、

片付ける私 VS  散らかす旦那さん というハードな垣根をすぐにこしらえています汗。

もめてからやっと、あら、また私はお互いを別のものだと分けてたわ、と気がついて、

よーく状況を点検してみたら、私がいつも座ってるリビングのテーブルの上にも私が読みかけの本を数冊出しっぱなし、ペンもメモ書きもいくつか散らばってる汗。

あちゃ、ひとのことは言えない、私もすぐに片付けないところがあって、すぐに片付けるのめんどくさいな〜と過ごしてるから、

そのイヤな部分を目の前で拡大表現してくれてる、すぐには片付けないし延々とほおっておくダンナさんのことみて、イライラしてたんだな〜と理解して、

そしてしょうがないな〜と、旦那さんと自分のだらしなさを受け入れて、同じだわ、私たち と

ほっこりする(しないですぐに片付けたいところだが汗)。

こうやって日常「愛する」を連続実践しているところです笑。

究極をいえば、愛するって、「認める」ってことでもあるんだろうなと、今朝インスピレーションがきました。

ヒトでも、動物でも、虫でも花でも、ゴミでもお金でも、現象でも、ただ在るなと認める、

そこにジャッジがなくて(ジャッジが自分と他者を分けるので)ただ在るなと認める、それが

愛するということでもあるよな、と思ったりしました。

おそらくですが、覚醒したりしたら、

なんでもかんでも全ての存在するものが、「愛」だったんだとわかるのだろうなと思っています。

それこそ、邪悪な心から犯罪から、優しさから奉仕まで、全てのものが「愛」だったと知るんだろうな、そんな予測をしますが(何かを良い、悪いと決めて分けてるのは自分なので)、

今の時点ではそれは頭でしかわかっておりません笑。

日本では「愛」という言葉はあまり馴染みがないかもですが、

自分が定義する「愛」ってなんだろうと考えてみるの、意外と面白いかもしれません。

↑ 私が夕方、裏庭に座ると、猫たちもそこにやってきて一緒にくつろぐ。
夕方に一体感を感じる=愛し合うわたしたちです笑。

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どうしても憎んでしまう人がいて、その人と自分の間の垣根が高すぎる場合、

それはあなたが悪いのではなくて、あなたのエネルギーがなにかの原因でブロックされてるからです。

そのブロックをこわして(まさにあなたとその人の間にブロック塀みたいなものができてる苦笑)、

垣根を低くしてみませんか。

風通しがよくなって、愛を感じることができるかも。

カウンセリングやエネルギーを変える物質をつかって、そのブロック塀くずしのお手伝いができるかもしれません。

ご興味がある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

こどもの吃音

1つ前の記事に続いて、時々ご相談を受けるお子さんの吃音(いわゆる、どもり)について書いてみようと思います。

まずは、吃音という症状を起こしてる感情/メンタルが何かについてですが、

ルイーズ・ヘイによると:

・不安

・自己表現にかける

・泣き叫ぶと怒られた

などから起こるそうです。

リズ・ブルボーによると:

幼いときに、恐れのために、自分はこうしたいとはっきり主張できなかった人がなりやすい

とのことです。

確かに、吃音は、大人になってから発症してるひとはあまり聞いたことがなくて、

主に幼児期に発症がみられます。

軽い場合は、その後成長とともにみられなくなっていくことが多いようですが、

完全にはなくならずストレスがかかったときだけ症状がでたり、

重度の場合は大人になっても吃音が続くというのがみられます。

まあ、つまりは、幼少期にその人が体験したことが、吃音を起こす元になった、

別の言い方をすると、それを体験するようになっていたといえるかもしれません。

私がみてきたケースでいうと、お子さんで吃音症状がみられる場合、

その子の家族のメンバーと、

その子自身の性質との「組み合わせ」で起きてるのではと思うことが多いです。

どういうことかというと、

吃音症状をだすお子さんの家族の誰か(一人もしくは複数)の言動と

その子自身の性質が合わさることにより、家庭環境の中で「自分を表現するのを抑えてきた」というパターンがみられるのです。

つまり吃音という症状は、簡単に言うと、

自分を澱(よど)みなく表現できない状態にいる、というのを教えてくれています。

以下、症状を出してる子と家族の代表的なパターンをいくつか挙げてみます:

1)口が達者な家族がいて、その子が表現する前に、その子のいいたいことを先に言ってしまっている

→ その子の代弁者のような存在が家族の中にいて、その代弁者の方が自分よりうまく話したり説明できるので、自分を表現したり主張するという手段を完全にその代弁者にゆずってしまってるパターン。

深いところでみると、自分にはできないとか自信のなさ、失敗することへの恐れがみられます。

2)頭の回転が早い家族がいて、その子自身のペースより早いペースで話したり、物事を進めてしまっている

→ 本来の自分のペースが乱されている。あせらされることで、自分のタイミングやペースで表現することが難しくなっているパターン。

深いところでみると、実は人のペースに合わせたくないという頑なさもみられます。

3)頭ごなしに自分の意見を主張する家族がいて、その子の意見を聞いていない&反論させない

→ 自分の主張をしようと思っても、簡単にその家族に自分の意見を切り捨てられるので、表現しようとすると緊張したり、すくんでしまうパターン。

深いところでみると、家族の意見の方が素晴らしくて、自分の意見や主張には価値がないと自分でジャッジをしているので、余計に言えなくなっています。

ということで、吃音の症状がでてるお子さんがいたら、上記ようなパターンを家族で形成していないか点検してみて、じゃ、どうしたらいいかなと考えてみるとよいかなと思います。

いつもそうですが、症状というのは一人で勝手に発症してるわけでなく、まわりのパターンと組み合わさっていることがほとんどです。

ですので、その症状に向き合うと、家族の他のパターンを外すことができますので、

家庭内のエネルギーも上がり、よりよい状態になると思います。

長く吃音症状が続いてる場合は、ホメオパス にかかるのがよいと思いますが、

急性的に症状がみられていて、キットのレメディを使おうと思うなら:

Nat-mur / Calc (自分以外の代弁者がいて自分を抑えてる場合)

Arg-nit / Merc / Sulph (自分のペースが乱されてる場合)

Lyco / Staph (自分より強い相手がいて自分の意見を主張できていない場合)

などが使えると思います。

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吃音の話は、私も実体験があります。

私の兄が幼少期のある時期から、どもりがちでした。

今のエネルギー療法の仕事をするようになって、上記のような感じでそれを分析してみたところ、

私の父が 3)のパターンで、私が 1)のパターンでした、ダブルで最悪、汗。

もちろん、そこに兄の性質も加味され、さらに母の方向のずれた対応により、冗長されたと思います冷汗。

しかし、人の人生というのは本当に面白い&強いもので、

兄は、人前で教える(つまり話すのがメイン)という職業につきました。

小さいころからオタク気質であったことを生かし、自分が好きなことを徹底的に研究することを選びつつ、同時に非常に苦手だった人前で話すという組み合わせに行き着いたのです。

好きと苦手のミックス!

だからもう苦手は克服されたということです、偉いな〜と思います(←上から、笑)。

ちなみに兄が選んだ奥さんも、私とは正反対のいつもニコニコ優しく、話をちゃんと最後まで非常にゆっくりとうなづきながら聞いてくれる女性です笑。

幼少期から高校まで、わりと苦労したと思う兄、その兄を思い浮かべながら、

彼がつかんだ後半の満ち足りた人生を思うと、鼻の奥がツンとなる妹です…..。

梅雨のあいまに咲こうとしてるメダカ鉢の睡蓮。咲こうとするエネルギーにはいつも心打たれます。        

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吃音が長い間あらわれてる場合は、コンサルテーションを受けてみるのもよいかもしれません。

いずれにしろ、あなたに現れる症状はあなたに何かを教えてくれるものです。

ご興味のある方はHPの方までどうぞ:https://arnicahomeo.com/

こどものチック

チックという症状で時々ご相談をいただきますが、

チックは、大人でみられることは少なくて、主にこどもの時期にみられる症状だと思います。

リズ・ブルボー(症状を感情/精神的なレベルで解説してるカナダ人)によると、

チックは、

自分をコントロールしすぎたため、逆にコントロールをうしなった状態

を表します。

自分の意志とは無関係に筋肉が動く状態を

チックといいますから(目をパチパチしたり、顔をピクピクさせたり、小さな音を無意識にだしたり、小さな咳払いを繰り返したり、なにかをずっと触ったり)、

「(自分の)コントロールをなくした状態」という意味はよくわかると思います。

わたしがみてきたケースなどから、

このチックという症状をわたしの言葉で説明するなら、

いい子でいたいと頑張ってる現象

よくできる子になりたいと頑張ってる現象

と言えるかもです。

チックという症状がみられる時期には、

大概なにかしらの行事(入学式や卒業式)や発表会みたいなのがあって、

そこで親や先生にみられることと関連してると思うからです。

チックの症状がみられる子というのは、

そういう自分をみせる機会で、

親や先生から期待されてる自分の像を守りたいとか、

その像を壊さないようにしたい、という心理でいるようにみえます。

本当の自分よりも背伸びしようとしすぎて、

緊張が高まりすぎて限界がきた状態と言えるかもしれません。

大人はなぜチックになりにくいかというと、

もう自分の才能やら資質についてはかなり認識してきてるので(あきらめ?!笑)、

自分以上の状態を演じようと思わないからではないでしょうかね…..。

とにかく、こどもたちは健気に頑張ってるんですよ、

自分のためではなく親や先生や周りの人のために、が問題ですが苦笑。

でも、こういう体験もすることで、

頑張るのがしんどいときは、自分がしたいからしてるのではなくて、

誰かのためにやろうとしてるからしんどいのだ、と気づいていくのかもしれません。

ところで、チックは違う角度からみると、他の事象も教えてくれています。

チックを発症してるお子さんは、そのお子さん一人で勝手にいい子になりたくて発症したわけではないというのも、知っておいて欲しいなと思います。

チック症状をみせてるお子さんは、大体の場合、その親御さんが

そのお子さんをみつめすぎてる、という条件もあてはまることが多いように私は思います。

過剰に視線を注(そそ)ぎすぎてる、そんな親御さんが多いようにみえます。

親でなければ、

先生が過剰に監視していたり、

先生が過剰に発表会など行事を成功させようとプレッシャーをかけてる様子がみえたりします。

先生が、なぜ、そんなにプレッシャーを感じてるかというと、元をたどれば、

保護者=つまり親たちが非常にその出来具合に期待をしてる、というのを察知してるのかもしれません(先生もチック発症しそうな状態、笑)。

ですので、お子さんにチックのような症状がみられたら、

親御さんは、自分がその子を注視しすぎてないか、

その子に毎日起きることが自分の日常のメインの関心事になっていないか、

ちょっと点検するのがよいのでは、と思います。

そりゃ、子どものことは大事でしょうから、よく気をつけてみているとは思いますが、

自分自身への関心のエネルギーを自分ベクトルじゃなくて、すべて子供に向けていないか、

自分のその姿勢の方もみるとよいと思います。

想像してみてください、

親の情熱が全て、子である自分に注がれているとしたら……

ちょっとぞっとしませんか

窮屈に感じませんか。

エネルギー的にいっても、こどもはそんな親からのエネルギーは

重くてしかたないから、軽やかに自分らしくそのままでいることは難しいかもしれません。

ということで、お子さんにチック症状がみられたら、それは親であるあなたにとっても、

もっと自分に注目して自分自身の毎日を大事にしよう とか

もっと自分が好きなように生きていいんだよ とか

そんなサインでもあるかもしれません。

最後に、

チック症状がみられるお子さんにキットのレメディを使うとしたら、

以下のものが使えると思います。

Arg-nit (緊張が強い)

Ars (なんでも完璧にやろうとして神経がはりつめてる)

Ign (自然に起こる感情をおさえぎみ)

Lyco (よくできると思われようと必死)

Rhus-t (できないことが不安)

↑ 今の我が家にはびこる雑草でつくったミニブーケ。
手前の白い可愛い花「ハコベ」は、ニワトリやひよこの餌にもなるらしく、
さらには乾燥させた粉末を塩とまぜてつかうと、
歯槽膿漏や歯茎からの出血にとてもよい薬草だそうです。

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チックが発表会や新学期だけなどの一時的なものじゃなくて、

長いこと続いてる場合は、

ブロックが少し深くなっているかもしれませんので、

コンサルテーションを受けるのも、よいかもしれません。

症状はいつも、人生をもっと生きやすくするためのサインです。

一緒にそのサインの意味を探ってみませんか、人体というのは本当に面白くて

よくできているものです。

ご興味のある方はHPをご覧ください:https://arnicahomeo.com/