HP リニューアルしました

数年ぶりにHPをいじったら、使い方をほとんど忘れてて愕然、かなり時間かかりました(汗)。

それでも少し前から、気になっていた箇所3つをやっと変更できました。

① ホメオパシー療法 →  エネルギー療法 に変更

少し前からインスピレーション で 「エネルギー療法」という言葉が降りてきていたのです。

気がつけば、ホメオパシーのレメディだけでなく、植物や鉱物など複数のエッセンスも使うようになっていました。ホメオパシーという枠にとらわれず、これらを自由に組み合わせて、その方に合ったものを出したいので、総括した名称に変更しました。

② 2回目以降の料金と時間を変更

これまでずっと初回は2時間、2回目以降を「1時間」で設定していましたが、
2回目以降が、1時間で終わることは非常に稀(汗)。

時間を気にするよりも、いっそのこと増やそうと思いました。

ということで、2回目以降の時間を1時間 →  1時間半にして、
それにあわせて料金も  6.000円 → 7.000円に変更することにします。

(いったい、何回小刻みに値上げするんじゃ!? → カゲのつっこみが聞こえる、苦笑)

この料金と時間変更は、2020年11月からになりますので、

次回のコンサルテーションを考えている方は、来月10月中にご予約くださいませ。

③心のStudy コンサルテーション というメニューを作りました。

今年から始めた心のStudy Groupの個人バージョンです。

物事の捉え方を変えたり、この世のしくみ等を併せて知ることで、
もっと気楽に生きていくためのコンサルテーションです。

個人でも受けられますし、グループでも受けられます。

ご興味のある方は  HP の 心のスタディコンサルテーション をご覧ください。

はー、やっと気になってたことできた〜 という気持ちを表す写真 ↑
今回HPをいじったことで、wordpressに無料で使えるこんな感じの高品質の写真ストックがあることを発見!わーい。


みんなのお母さん

昨日の夕方、家族で出かけてたら車の中で、非常に久しぶりの大口論になりました(汗)。

わたしとダンナさんがそれぞれ怒ってぶつかった、ブチギレた?!

怒りがおさまってから、ダンナさんに

「今週テニスが足りなかったんじゃない〜?(→ 私の怒りエネルギー噴出の場、苦笑)」

と言われたりしたけれど、

なんであんなに怒ったのかな〜と自分を分析してみたら、こんな感じでした:

前夜、息子が熱く語る話(私にはヒジョーに興味が薄い各国の武器開発の話)を聞いてあげた。

出かける少し前に、今熱中してるインドの賢者の本を1人で静かに「離れ」で読んでたら、

ダンナさんがやってきて、彼が午前に体験したことを熱く語り出し、

おまけに「後でみるから」と断ったのにそのとき撮影した動画までみせられ、

あげくに話が終わったら、その場で彼はぐーぐー昼寝を始めたため、

私の読書集中がとぎれて、結局、母屋で家事をした。

その後、家族で出かけた車の中で、行先について私が意見を言ったら、

それを聞きいれてくれなかったので、私は怒りが噴出したのでした。

”私はあななたちの話を聞いてあげたよね?!私の意見も聞いてくれていいでしょ!”

が怒りの元でした。

これって、ママ達の夫婦喧嘩の元とよく似ています。

日中、子供の気持ちをたくさん受け止めて、子供目線で話を聞いてあげて、

やっと帰宅したパパに、今度は自分の話を聞いてもらおうとすると、パパは全然聞いてくれない。

そこで怒り噴出みたいな(苦笑)。

年配の夫婦だって同じような喧嘩が多いかもです。

妻は夫の話を聞いてあげたり、食事や生活の要望を聞きいれてあげてるのに、

妻の話をほぼ聞けない夫。そしてだんだん口を聞かなくなる夫婦みたいな(苦笑)。

女性性(じょせいせい)というのは、

受容するという特徴がありますから、

女の人は自然と他者の話を聞いてあげたり、受け入れる という役割になるのだと思います。

特に「母」となると、母性が強くでますので、自分が属する家族全員の受け止め役に自然となってしまうのかもしれません。

ん?!、それなら「母」って、誰が受け止めてくれるの?

母の母かしら?!

実際、自分にお母さんがいると、実家にいって愚痴ったり話を聞いてもらってる人も多いかもしれません。

でも、そういうお母さんがいない母たちは、どうなるんだ?!

全国のそういうたくさんのお母さんを受け止める役は誰?!

なんて考えていたら、こんなインスピレーション が降りてきました↓

「みんなのお母さん、それはマザーアース」

Mother Earth : つまり地球です。

地球は、母なる星、なんて表現もされますし、

地球も意識をもっている惑星で、地球は女性性の星とも言われています。

例えば、地球はフランス語でいうと La Terre :ちゃんと女性名詞になってます。

このインスピレーション が降りてきて、

わ〜、わたしは、お母さんの上で暮らしてるんだ

って思ったら、ものすごく安らかな暖かい気持ちになりました。

地球:マザーアースは、

そこに住む子供(私たち)に、

食べ物を慈悲深く与えてくれて

(土に植えたら野菜や果物ができ、動物や海で魚も育ててくれてる)、

そこに住む子供たちが喧嘩(戦争)しても、

そこに住む子供たちが、ママをたたいたり傷つけても(環境汚染、環境破壊)、

その美しい自然の中で、子供たちを育(はぐく)んでくれています。

たまに、怒るけど?!(台風とか自然災害)。

ということで、誰にも受け止めてもらえてないなと思ったら、

マザーアースに受け止めてもらってることを思い出すのはどうでしょうか。

母が当たり前の存在じゃないように、

地球も当たり前の存在じゃない、

だから感謝を忘れないようにしたいな、地球という母の上で暮らせているありがたさをいつも感じていたいなと、

今回の出来事からつくづく思いました。

地球というみんなのお母さんとつながれる瞑想、おすすめです:

怒りと恨み

一昨日、バッチフラワー講座をしたときに頂いた質問と、ある方からいただいたメールの内容が似通っていてシンクロしたので、

これはフォーカスしたいなと思い、記事にします。

バッチフラワーエッセンスの

Holly ホリー は、怒りや嫉妬に使うエッセンス

Willowウィローは、被害者意識の怒りや恨みに使うエッセンス です。

講座で出たご質問は、「怒り」に使うとき、どちらのエッセンスか?ということでした。

「怒り」 と 「恨み」/「被害者意識の怒り」 をどう区別するかってことになると思います。

数式のように書くならば:

怒り = オンリー怒りだけの状態 (怒りという感情が単に起こっただけ)。

被害者意識の怒りや恨み = 怒り + 自分のジャッジ がくっついた状態

です。

具体例で書くと(頂いたメール内容の一部を拝借します)、

子供がおもちゃ売り場でミニカーを欲しいと泣いてせがむ

 →  買いたくないのに買ってしまったことでイライラして怒る

ここまでなら、「オンリー怒りだけの状態」です。

起こった出来事に、感情的に反応しただけです。

でも、その後に、

→ この子がしつこく泣いて聞き分けがないせいだ

というようなことを付け加えるのが、

「怒り + 自分のジャッジ がくっついた状態」です。

プラスでくっついてくるジャッジが、

この子のせいだと思うと、恨みになっていくし、

この子にいつもこんな感じで苦しめられてると思うなら、

それは被害者意識の怒りになっていくのです。

怒り は自動的に起こるものなので、そこだけで終わっていたら、それはすぐに流れます。

でもそこに自分のジャッジをつけ加えるので、恨みや被害者意識になって、エネルギーにブロックが起きるのです。

上記のバッチフラワーの解説に戻ると、

ホリー というのは怒りを出してるだけなので、メンタルの状態でいうとまだ健全で(とはいえ怒りを持つのは何かのせいにしてるから、ですが、ここではまだ固定化されてない)

ウィローの方は、怒ったあとに相手のせいだと思ったり、相手のせいで私は辛い目に遭うというジャッジを下し続けた結果、ブロックを作ってしまってる少し深い状態と言えます。

以上、怒りの例であげましたが、これはどんな感情においても同じです。

悲しみという感情でも、例えば

愛していたペットが亡くなってしまって悲しい というのは、

悲しみがただ起きた状態。

でもそこに、

私があのとき病院に連れていってあげてたら とか

私がもっと健康的な食べ物をあげていたら みたいに後悔のジャッジを付け加えると

それは罪悪感や自責の念などに変わり、エネルギーブロックを起こします。

また人によっては、このようなペットの死を過去の出来事とヒモづけて

私が何かを愛すると、それはいつも手からすり抜けていく

みたいな信念体系を作り出す人もいます。

このような信念体系は、日々起こる出来事の定義づけのもとになっていくので、そこでできていくブロックも半端ありません(汗)。

と書いてきましたが、上記のような感情に自分のジャッジをプラスしない人の方が実際には少なくて、

ほとんどの人はいつもジャッジをつけて、感情を長引かせてしまうのです。

ということで、今後、感情が起きたら、自分のジャッジをプラスして感情を保存しようとしていないか観察してみるのはどうでしょう(笑)。

あ、やっぱり、この記事の内容は大事だったな〜 →  ジャッジ?!(笑)

質問してくださった方、メールくださった方、ありがとうございました(礼)。

↑  涼しくなってきたせいか、スコッチはカゴネコ?になってます。このまま、持ち運びたくなる。

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感情にジャッジを加えるのがやめられない方、ジャッジによる強固な信念体系を作り出してしまった方、レメディを使ってそのブロックを外すお手伝いをします。

詳しくはHPの方へ:https://arnicahomeo.com/

なんでも導きのサイン

今朝6時前、息子をバス停まで送っていく途中で信号待ちになり、

フロントガラス越しに流れていく雲をみていたら、浮かんできたのが:

インスタ始めよう

でした。

きっかけは、数日前にお会いしたころあい自然楽校の佑里子さんに、

「Blogは、私を知ってる 人が読みにくるもの、

もっと多くの人に知ってもらうには インスタとか がいいですよ」

みたいなことを教えてもらったから。

ころあいさんは、インスタを始めてから、問合せの数が目に見えて増えたそうです。

このときは、へ〜そうか〜、そうだよね、と思っていただけです。

なぜなら、まだこの時点で「自分の思い込み」の方が、

「導きのサイン」よりも強かったので。

私は、Facebook や Twitter や Instagramなどは、

不特定多数に向けて情報発信したい人や、

キラキラした生活をしてる人が活用するSNS

だという思い込みを持っていたのです(汗)。

わたしは個人的にひっそり(?)してたいタイプで、

生活も、ものすごーく地味なんで(苦笑)、

SNS始めても、自然 か 猫 しかあげるもんがない、つまりキラキラした生活も情報もないから、そういうものと自分は関係ないと思い込んでいました。

この化石のような古い思い込みは、いつからもってたんだろう〜って苦笑しながら考えたら、

Facebookが普及しはじめたときのイメージかもと思いました。

当時は、どこそこでランチしたとか、

こんな素敵なもの購入しましたとか、こんなに友人たちと楽しんでますよ、

みたいな投稿しかみたことなくて、

うわ〜自分とは無縁の世界だっ!て思ったの覚えてます(汗)。

一応、わたしも個人事業しているので、Facebookを活用しようかと考えてアカウントをとってはみたものの、

仕事でお会いするクライアントさんとVサインした写真は撮るような業種じゃないし(苦笑)、
そもそもわたしのプライベート生活には華(ハナ)がない……と再確認し、

SNSとわたしはそぐわない、という「思い込みをつくった」のでした。

しかし、今朝、あの瞬間、あ〜佑里子さんから告げられた言葉は、まさにサインなんだ!、と気づいて、

即実行することにしました。

「ふっとやってきて、あなたの気をひくものはサインですから受け止めましょう」なんて人様に言ってるわりには、自分にブロックかかってた(笑)!

猫、山、空しか、うつってない地味なインスタも、全然アリだし!

そんなんで、思い込みがカチッと外れました。

折しも、わたしはこれから、新しい活動をしようと考えているところなので(そのうちお知らせします)、

まさにこれは絶好のタイミングでした。

↑ こうやって文章にしてみたら、とても小さな、しかし相当にくだらない思い込みでしたね〜

でも、誰しもこんなの持ってるんじゃないでしょうかね。

私にはそれムリ  とか

ガラじゃないとか

なんとなく手をださないでおこう とか

それら 1回点検してみたら いいかもです。

てなわけで、ジミーなインスタ開設してみました:https://www.instagram.com/arnica.pe/?hl=ja

これから、いろんなインスタみにいってフォローしていこっと♡ワクワク♡

沖縄じゃないです苦笑、山陰海岸ジオパークの一部。
やっぱ、海はいい!

1つ前の時代のモンでは?!

私が子供の頃、母がコトあるごとに私に言い聞かせてたのは、

「  あきちゃん(と母は私を呼んでた)、

女は 愛嬌(あいきょう)よ 

という言葉でした。

ふざけた口調でも、断定的な口調でもなく、これこそが大事なのよ、みたいに説得するような口調でこれを言うのでした。

こどもの私はそれを聞くたびに、

なんてバカなことをこの人は言ってるんだろう!

と思ってました。

この人は、なんてくだらないことを私に教えるんだろう!

と思ってました(苦笑)。

そして、その母の教えにはうなづきもせず、ただ毎回黙っていたと記憶しています。

この教えに対する反目から、

私はぶっきらぼうな愛嬌のない女性になったのかもしれません(汗&苦笑)、

もしくは母が幼い私にこの文言を繰り返していたのは、もともと私が、もっと愛嬌があれば愛されるのにと思わせる愛想のない娘だったからかもしれません(大汗)。

母のパーソナリティでいうと、彼女は上に姉が3人いて、上の人たちに可愛がられるのが日々を楽に円滑に過ごすコツだと学んだのかもしれなくて、

実際、母はどんなコミュニティに入っても、いつも姉さん風の人と仲良くなって、その人に可愛がられるような人間関係を作っていました。

それにしても、こういう親からの教えというのは、親個人の生い立ちや性質だけでなく、

「時代」を大きく反映してるな〜と思います。

私の母が生きた時代というのは、女性の社会進出はまだまだ少なく、女が学(がく)を積むと嫁にいけなくなると言われていた時代、

専業主婦が大部分で、女は男に仕え、男性に愛され大事にされてこそナンボみたいな時代の流れがあったと思います。

だから、私の母も、あなたも愛嬌のある愛される女性になるのが一番よ、みたいなことを教えたかったのかもしれません。

私のダンナさんの話もだすならば、彼は子供の頃から、漫画みたいな絵を描くのが好きで(実家でみせてもらった)かなりクリエイティブな発想の子だったと思うのですが、

彼の両親は幼少期の彼のそういう才能を十分知りながらも、漫画みたいなものを描いても生活できないからと、進路を決めるときにエンジニアの道に進むことを強く勧め、そして彼はその道に進みました。

もちろん、両親の希望通りに彼は食べることで困りはしませんでした、食べていける職業だったから。

でも、彼は自分が生まれもった才能を存分に発揮するということにずーっと苦しむことにもなったわけです。

ダンナさんの両親が彼に勧めた進路も、「時代」の影響を受けた考えだな〜と思います。

親の考えには、彼らが生きた「時代」の中で、彼らが生きていくのにこれがよいだろうと思った選択が反映されています。

何が言いたいかというと、この流れは実は今も綿々と続いてるということを自覚するのがよいのでは、ということです。

たとえ、若い世代のパパ&ママであっても、

自分がこれまで生きてきた時代から受けた影響の教えを、

子ども達に押し付けていないか自問自答するとよいのでは、と思うのです。

もちろん、私も(苦笑)。

今、子どもに教えようとしてるルールや価値観は、

自分の(1つ古い)時代のモンではないか!?、って、

1回考えてみるのはどうかなと思うのでした。

その価値観やルールは、本当に自分が心から大事だと思ってることなのか、

その子が幸せになるためのものなのか、

はたまた、それは自分の親や時代から刷り込まれただけの考えではないのか、

まずは大人自身も点検してみるといいのではと思いました(今朝、この内容がインスピレーション で降りてきた)。

最後に…..

母から愛嬌について言われた上記のエピソードをダンナさんに話したら、

「確かに愛嬌ナイネ(→私)、愛嬌あるほうがこっちは嬉シイヨ!」

と言われました。

あ、やっぱり、私、笑顔足りなかった?!(大汗)。

愛嬌こそが大事である、とはやはり思わないけど、

笑顔でいることは大事ですな〜(反省)!

↑ にゃんこ達の寝てる姿をみてると自然に笑顔になるのですが、ね。猫達には愛嬌のある私です。
人間に対して愛嬌がないのかも(汗)。

自由な選択だった

私には、年に一度、一緒に旅行することにしてる高校のときからの大親友がいます。

彼女は病院で介護の仕事に就いているのですが、その病院で少し前にコロナのクラスター感染が起きました(汗)。

彼女が働いていた病棟に感染者がいたため、彼女はホテルで2週間の隔離生活をするはめになったのです。(自宅待機という選択肢もあったけど、一緒に暮らす彼女の娘さんが看護師のため、感染のリスクがないようホテル待機を選択した)。

滞在したホテルの1フロアに病院の同僚らが待機してるのは察しがつくけど、万が一の感染を防ぐためにコンタクトしちゃいけないので会話もなし、部屋の外でドアが開いたりする音が聞こえるのみ&朝それぞれの部屋の前にだされたゴミをみてあー誰かいるねと思うだけ、というなかなか不気味なシチュエーションだったそうです…..

2週間の間、食糧の買い出しだけ外にでていいらしいのですが(待機中に2回PCR検査して陰性だった)、それ以外はビジネスホテルの狭い部屋で、誰と話をすることもなく、ひとりきり(汗)。

私が電話したときは、うつになりかけてたかも、と苦笑してました。

私がそういう隔離生活を送ると想像すると….

わーい、2週間、料理、掃除、洗濯しなくていい、ひゃっほー!

ワイン買い込んで、読書三昧、動画三昧、運動不足ならヨガして、瞑想も誰にも邪魔されずたくさんできる〜って、喜んじゃいそうですが(苦笑)、

あ、猫たちに会えないのが寂しいかも(汗)、

なんて思ったけど、

実際に自分がそういうせまい部屋に隔離されたら、おそらく、あれして、これして、などというやる気自体がなくなっていくのかもしれません。

ホテル隔離の最終日、最後の検査をうけて陰性かどうかの結果待ちのとき、

いよいよ明日帰宅できるとなって彼女がまず思ったのは、

栄養失調気味だから、自分が食べたい美味しいものを作ろう!

ということでした。

ずっと外で作られたものを食べてきたのだから、なによりもまず、そこを思うだろうと思います。

よく考えたら、

自分で食べたいものを決めて、

材料を選んで買って、

それを自分で作って食べる。

毎日の料理作りとは、

なんと自由なことをさせてもらっていたんだ! と、私も彼女の言葉を聞きながら、

気づきました。

家族のための料理を作っていると、だんだん義務みたいに感じて、うんざりすることもあるのですが、

料理って全て自由な選択から成り立ってるんですよね。

自由に食べる品を決めてよくて、

自由に材料を選んでよくて、

作り方も自分の好きなようにできる、

そして好きに盛り付けて、

好きな食べ方ができる(手でつまんだり、かぶりついたり、

フォークとナイフで食べたり、5秒でたいらげたり、おしゃべりしながら食べたり)。

料理&食べるって自由選択の結晶だったんだ!って改めて思いました。

そんなこといったら、全て人生は自由選択でできてるんですけどね。

自由だったというのは、不自由な状態にならないとなかなか気づけないものです。

コロナは困ることも深刻な問題も多いけれど、こんな感じで不自由さを強制的に教えてくれることで、

これまで当たり前だったことがどんなに自由で幸せだったかも教えてくれてるな〜と思った出来事でした。

しかしコロナのおかげで、彼女との例年の旅行計画はキャンセルとなりました。

それもまたこれまで当たり前にできてたことができなくなって、友達と旅行できてたことがどれだけありがたかったんだと気づくことになってます….。

暑くなってくると、猫たちは猫ベッドでなく床に寝そべります。一番涼しいんでしょうね。
好きな場所でいつでも寝そべることができる、自由だ〜!

行動にうつすまでの速度

行動が早い人と、遅い人の差ってなんだろう、と思ったことあるでしょうか。

エネルギー療法をやってるものからいうと、これは、

その人のエネルギーの流れにつまりがあるか、ないか

だと思っています。

ある講座を開催したときに、

この方とこの方(過去のクライアントさんで今も繋がってる方)は、

この講座を受けるのがいいだろうな〜と

思い浮かべた方々がいました。

しかし残念なことに、想定したこの2名からお申し込みはありませんでした。

別のある方に限っては、その講座はその方には必要だろうと思ったので、直接お声かけをしました。

しかし、その方は辞退されました(日時の都合の問題でなく)。

一方、フタをあけたら、その講座は特に受けなくても大丈夫でしょう(メンタル的に)、

と思う方々が申し込んでくれてました。

ここで私の講座が魅力的でないからという問題は横に置いておいて(汗、苦笑)、

このような例は、他のシーンでも同じかもな〜と思います。

良い状態で暮らしてる人は、さらに良くなるようにさっさと動き、

停滞してる状態で暮らしてる人は、停滞してるまま動きが起こりにくい。

停滞してる人は、エネルギーの流れに滞りがある、つまりエネルギーブロックも多いと言えるし、

頭で考えすぎるから動けない、つまり自分の心とつながってない、直感を信じてないという言い方もできるかと思います。

電気信号でいうなら、電気が弱い or 伝わるのに中継箇所が多すぎる、もしくは電気信号が最後の「行動」スイッチまで到達できない(汗)のかもしれません。

久しぶりに会った人で、家族内での出来事や年齢の変化はあるけど、本人にほとんど変化がない人って、いますよね(外側の環境だけでなく、心の変化も含め)。

数年前に聞いた愚痴と全く同じ愚痴を話してる人とか(汗)。

一方、環境を変えてたり、趣味でもなんでも新しいことを始めてたりする人がいる。

そういう人は会うと軽やかな感じがします。

変化が多いということは、それだけたくさんの経験をしてるということで、

経験が多ければそこで新しいなにかを学んだり、問題を乗り越えたりして、

人としての成長&進化の機会も多くなるのだろうと思います。

注)転職を繰り返す、ということとは違います。
また生活環境がずっと同じでも、内面で日々学びをしてる人もいるので全ての人に
上記の例があてはまるわけでもないです。

そういえば自分は行動までの速度が遅いな〜とか、ここ数年あまり自分に変化がない、と思ったら、

とりあえず頭で考えすぎないで、まずは目の前に流れてきたことに動いてみると、エネルギーのつまりを自分で外していくことができます。

↑ ハーバリウムというのをいただきました。青いエリンジュームや霞草が浮かんでいます。
みるだけで、ひんやり感、涼しさ、そして静けさまで感じさせてくれます。

足りてるほう

先日、あるクライアントさんから頂いた経過連絡のメールに、こんなことが書いてありました:

「ふと鏡を見ると、自分の良いところが見えるようになってきた」

これを読んで、私の心にふわっと1つの花が開いたような感覚になりました。

大きな転換点がこの方に起こったことを表すからです。

エネルギーでいうとネガティブ波動がポジティブ波動に転換された、

別の言い方をすると、1つのエネルギーブロックが外れたことを表します。

コップに入ったお水を、

もうこれだけしかないとみるか、

まだこんなにあるとみるか、という有名な例えと全く同じですが、

目の前の事象は、ただそういうコトが、ただそうあるだけなのに(コップに水が入ってるだけ)、

見る側の感覚で、それがネガティブな事象になったり、ポジティブな事象になり、

その分かれ道は、その人にどういう人生がやってくるかと関わっています。

エネルギー的にいうと、ポジティブな事柄をひきよせるか、ネガティブな事柄を引き寄せるか、です。

クライアントさんの話に戻りますと、その方はそれまでご自分の顔を鏡でみるときに、良くないところを挙げていた=つまり、足りないところばかりをみていたのに、

今は、良いところが見えるようになってきた、のです。

ご自分の顔はそれほど変わらないはずなのに(汗)。

同じ経過報告メールの中には、ダイエットしてるわけでもないのに痩せ始めていることも書かれていて、

さらに綺麗になるようもっと笑おう、ということまで書かれていました。

これらの経過報告から、ポジティブ側に波動が変わってると評価できるので、

エネルギー療法(ホメオパシー)でかかわってるものとして、とても嬉しくなりました。

ところで、このメールから数日後、知り合いの年配の男性と話す機会があったのですが、

その男性は、その日、私がしたあることを、珍しく褒めてくれたのでした(汗)。

珍しく、と書いたのは、その男性は、コップの水はもうこれだけしかない、と思う典型的なタイプの人で、

それがあまりにも露骨だったときがあったので、

私は「足りないところばっかりみてるから、幸せを感じにくいでしょうね、なんだか、かわいそうですね」と

ヒジョーに余計な一言を放っていたことがあったのでした(大汗、反省)。

ところが、その日はその人らしい足りない部分への批判がなく、褒め言葉がでてきたので、

えー、どうしたんですか、珍しく(!)褒めてくれるんですね!

と、またヒジョーに余計な一言を放った私に(冷汗)、その男性は、こう答えました:

「いや、なんかね、足りるほうをみるようにしてみようかなと思って、ね」

OMG ! (オーマイガッ)

シンクロ?! 皆の波動があがってる?! うわーい!

やっぱ、

それはもっとこうしなよ、って言われるより、

そうしてくれるのいいね、ありがとう、と、言われた方が素直に嬉しいなと、

セラピスト目線でなくて、一個人として感じました。

そして、私こそが全然気づけていなかったその人の心の柔軟さに感動して、

XXさんこそ、ほんとに素晴らしい人ですよね、と、素直に褒め言葉を口にできたのでした。

この2つのエピソードをセラピスト 目線でまとめるならば、

このお2人のポジティブ波動変換は、一過性ではなくて根幹からの強さがあると思います。

最初からポジティブ、または何でもかんでもポジティブさえ選べばよい、というのは、

片方の価値観だけを受け入れていて、もう片方のネガティブ面を見ないようにしてるor 良くないとジャッジしてる、もしくは未知のものとして体験していない状態です。

純粋無垢な子どものポジティブさと同じようなもの。

でも、ネガティブな体験をしてきたゆえに、

ネガティブな視点をいつのまにか導入してしまい、その選択で起こることも体験してきた、

つまり、両面を味わったあとで、ポジティブ変換になっていくというのは、

ネガティブな視点もあるということを十分知りつつ、

自分はポジティブな見方を選んでいくという選択をしだした、ということ。

この選択は、

ネガティブな選択に対しても共感をもてているものなので、

厚みのある寛容な意識の現れだと思います。

一朝一夕ではたどり着けない境地、だから、そこに到達されたことがわかって、

お花がふわっと咲いたように私は感じたのかもしれません。

(私個人がその境地に達してるかは置いときましょう、苦笑&汗)

再度見に行けました、ハスの花たち。これ ↑ は、葉のしたの影で開花してた一輪の蓮。
それぞれの環境で、それぞれのタイミングで、それぞれが花開く。人の人生のようです。
これはピンクが濃い種類の蓮の花。開花がすすんで、ハスの実も多くできてました。

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ポジティブにみれたらよいとわかってるけど、どうしてもネガティブで物事を捉えてしまう方。

レメディという高次のエネルギーの助けを借りて、その捉え方を転換させてみませんか。

ご興味のある方はHPのほうへどうぞ:https://arnicahomeo.com/

知ってるか知らないか

昨日、暑い中、家の前庭に座り込んで、伸びてきた雑草を文字通り1本づつ手で抜いていたダンナさんに、

誰か男の人が話しかけているのが聞こえてきました(私は、そこの前に建ってる”離れ”でオンラインの仕事が始まるのを待っていたところ)。

どこの国の人?、いつから住んでるの?などと、質問を立て続けに浴びせかけられているところからすると、近所の人でなく、通りがかりの人のようです。

知らん人:「おとうさん(とダンナさんに呼び掛けてた)は、草、そうやって抜いてくの?」

ダンナ:「ウン、そう(と日本語で答えてる)」

知らん人:「除草剤は使わない?」

ダンナ:「使わない、アレでしょ、◯ウンドアップ?!」

知らん人「うん、◯ウンドアップ」

ダンナ「アレ、ガンになるから使ワナイ」

知らん人「ガンになんの!?』

ダンナ「そう、あれ、ガンになるから、フランス禁止」

知らん人「フランス禁止なの?!」

ダンナ「あれ、売ってるの日本だけ」

知らん人「えー、日本だけ?!」

って、おいおい(汗)、何のレクチャーしてんだ(苦笑)….

と障子開けて見てみたら、地面に座り込んで草抜いてるダンナさんに話しかけてたのは、

ロン毛金髪で頭にタオルをまいた30代くらいの作業着の男性でした… 誰?!(笑)

そこで、アナタは、誰?!と今度はダンナさんに質問されたその男性は、

自分は隣町に住んでクズ鉄などを回収してるXXといいます、また、来ますわ!

といって軽トラに乗って去っていきました。

あー回収業者の人だったのね(苦笑)。

◯ウンドアップは、発癌の可能性ありで多くの国で販売禁止、フランスでも去年販売禁止になったのに、この間まわってきた回覧板にJAのチラシが入っていて、

◯ウンドアップ「JA推奨」と印字があったのをみてダンナさんは腹を立てていたのでした。

だから、レクチャー(?)したかったのかも(汗)。

ここら近隣のホームセンターでも◯ウンドアップは、いまだに 堂々と目立つ場所に並べて売られていますので、

さっきの金髪男性みたいに、健康リスクがある可能性を知らないで、草を殺す効果がある方だけをみて使ってる人は結構多いのかもしれません。

そういう情報は、自分で調べないとでてきませんからね(汗)。

他国では健康&環境リスクから販売禁止となってるのを知ったあとでも、これは便利だからと使おうと思う人はいるのかな?!

しかしながら雑草をすっきりさせるというのは、現実問題とても大変です。

こんな広さの庭でも、砂利を敷いてるのに雑草は伸びてきて、ひーひーいうし、これでよしと思えるくらい雑草なしで綺麗になったこと正直一度もないです(苦笑)。

だから、大きな畑や田んぼの畔、スポーツ用のグランドなど広い場所だと除草剤を使わないとやっていけないのかもしれません。

ただ安全な除草剤がないかと調べると、最近は火山灰や塩をつかった安全な除草剤も販売されてるようです。

こういう代替品が生態系にどういう影響を与えるのかも今の時点でわかりませんが、

◯ウンドアップみたいにズバリ「毒」をまくものではないので、

できることなら、環境そして自分たちの体にも負担をかけない製品を選択していけたらと思います。

そういう我が家では、除草剤代わりにダンナさんに草を抜かせて彼の体に負担かけてる!?いや健康にしてる、と思っておこー(汗)。

玄関あけたらフェリックスがご飯をねだります…
その向こうに抜いてもすぐに生えてくる雑草の茂みがみえます(汗)    

思い通りにならないとき

先日のことです。

午後から予定が入っていたので、午前中のうちに、

仕事の資料作りとプリントアウト、

それを郵便局にて郵送、

買い物、

アップされたばかりの見たい!と思ってる動画をみる、

コインランドリーで洗濯物を乾かす(雨だったので)、

という複数の用事を頭の中で効率よく組み合わせて、それに従って行動してました。

資料作りと郵便局は計画通りにささーっと済ませることができ、

次にコインランドリーに向かい、洗濯物を乾かす間に動画をみて、

帰り道で買い物を済ませたらバッチリだ!と、

乾燥機をまわし、

車に戻り、いざ!動画 ♪ と思ってバッグをさぐったら、

スマホを家に忘れてきてました(!)

昔の私なら、あーバカっ!、私はどっか抜けてるな〜と思いつつ、

この待ち時間に買い物に行って、少しでも予定を進めようと動いてたのですが、

このところの私は….

こういうときは、サレンダーするか〜と力を抜いて、車の中にとどまりました。

そんで瞑想しました。

私は車に Ipod積んでいて運転中に音楽を聞いたりするんですが、

そこに瞑想音源とかヒーリングBGMも入れてます。

このときは、チベットのヒーリングミュージックというのを聞いたのですが(雨音とマッチしたので)、瞑想して…. はっ!と気がついたら、乾燥機がすでに停止してました。

寝てた?!苦笑、5秒も経った感覚ないのに、40分以上たってた(汗)。

しかし非常にすっきりした心で、インスピレーションまで もらって、買い物もスムーズにすすみ、午後も気持ちよく予定をこなせました。

サレンダーsurrender という言葉は、

カジノ用語にもありまして(カードの賭けを途中で放棄できる)、

降伏する、放棄する、というのが文字通りの意味です。

英語版オラクルカードを使う方は、surrenderと書かれたメッセージカードはお馴染みかもしれません。

そちらの世界の意味でいうと、サレンダーは、

天にまかせよう、

エゴで動いて四苦八苦しないで、大いなる流れのままに、

みたいな意味です。

この日の私みたいに、日常の小さなことから人生の大きな出来事まで

ー「自分の思い通りに」コトが運ばないとき、

ー「自分の予想」とは違ったことが起こったとき、

サレンダーすると、とても楽になります。

自分の思い通りにコトが進まないときは、

大いなる流れと違うことを起こそうとしてるよ、というお知らせだからです。

コトがうまくいってるときは流れにのってる、

コトがうまくいかないときは違う流れにのろうとしてる(もしくは逆らおうとしてる)、

ということなので、

あーそっかー!と、自分の「思い通りをあきらめてみる」のはどうでしょうか。

ということで、私は問題解決の最短で最強、最楽な方法が、

サレンダーする、だと思っています

(というか、それが真理なのですが)。

サレンダーという言葉をわざわざ使うのは、類似表現の

手放す とか

流れに身をまかせる

という少々使い古された言葉で理解すると、

新しい習慣としてなかなか導入しにくいからです。

サレンダーというあまり聴き慣れない言葉を使うことで、

新しい概念として自分の中に導入していくことができたら、

新しい生き方に変わっていくんじゃないでしょうか。

加古郡で遭遇した満開のラベンダー! 匂いを深ーく何度も吸い込ませてもらいました!