ちょこっとカウンセリング

この記事は、1つ前の記事と関連してます:*愚痴と相談

初の試み: ちょこっとカウンセリング というのやってみます。

「第3者に聴いてもらって、自分の心を整理したい」

「話をじっくり聴いてもらう相手がいないので、日頃の悩みを聞いてほしい」

「今、直面してる問題があるけど、その解決法を探したい」

心療内科にいくほどでもない、カウンセリングに定期的にかかるほどでもない、でも、友達とおしゃべりするだけではすっきりしない。

そういう、ちょっと相談したいんだけど、みたいな方を対象に、単発のカウンセリングの機会をもうけたいと思います。

単発なので、続けて通う必要もありませんので気楽に受けられます。

日時と場所は以下の通りです:

3月5日(火) 加古川市 Cafe de 秀 さん 店内の個室

3月12日(火)姫路市安富町 ネスパルやすとみ 3F 第二研修室

カウンセリング時間 は以下の枠から選んでください。

① 9:00 〜 10:30

②10:40 〜 12:10

③ 12:50 〜 14:20

④ 14:30 〜 16:00

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(料金)

加古川で受ける方 4.000円税込

安富で受ける方  3.500円税込
(私の自宅近くまで来てくださる交通費を考慮して値段を少し下げています)

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申し込み方法: customerarrnica@gmail.com に

件名:ちょこっとカウンセリング希望 として

下記の必要事項をおしらせください

・ご希望の場所
・ご希望の時間枠
・お名前
・e-mailアドレス
・電話番号  

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*過去に私のホメオパシー療法にかかっていた方で、今はレメディはいらないけど、ちょっとだけ話したいみたいな方もよければどうぞお申し込みください。

*HPで通常受けてます「レメディなしのカウンセリング」との違いは

ー継続してかかる必要があるような心の深いトラウマや問題は扱いません

ー次回のカウンセリングまでのメールでのフォローがありません

ー出張対応やご希望のお時間帯で受けていません

ー継続して受けることをお約束できません(月に1回の限定人数の開催なので)

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人が持つ日常の悩みや問題というのは、文章にしてしまえば、他人の持つ問題と似通ってるものが多いです。

例えば、子供が言うことを聞かないとか、職場の人とうまくいかないとか etc.

けれど悩みから解放されて楽になる言葉や方法というのは、人によって随分と異なります。

人によって、腑に落ちるポイントが違うのです。

それは各人の性質&性格が異なるからでもありますし、過去の経験により学んできたことが違うからでもあります。

つまり、一見よくある悩みであっても、その人に合わせた楽になる方法や言葉をみつける必要があるのです。

実はその方法は自分で導き出せるのですが、少しばかりガイドが必要です。

そのガイドをさせてもらうために、今回のような企画をしてみました。

心が動いた方、お申し込み、お待ちしています〜

3月というとミモザを思い浮かべます。ミモザの黄色をみると元気になります。




愚痴と相談

私は、長いこと、人の話を聞くときに、

愚痴   

相談  

の違いがわかっていませんでした(汗)。

正確にいうならば、2つの違いを分けずに聞いていました。

人の話をお聞きする仕事なので、そして私にお金を払って話をされる方は、

身体的もしくは精神的症状を改善させたい方なので、それはいわゆる「相談」ということになるのですが、

それ以外のプライベートで人の話を聞くときも、つい習慣的に「相談」を受けてる姿勢になってしまって、真剣に聞きすぎたり、相手が求めてないアドバイスをしたりすることが多々あったのです(汗)。

しかし、愚痴は聞くだけでいいものなんだとあるとき、わかりました。

「聴く」のではなく、単に「聞く」だけでよいのです。

聞いてもらえれば、満足するのが、愚痴 です。

部屋のゴミで例えるなら、

愚痴は、何もしなくても自然とたまってしまうホコリとか、自然と落ちてる髪の毛のようなもので、

ふっと吹けば飛ぶとか(そしてまたそこに落ちる….苦笑)、さっと掃いたり、掃除機で吸えばなくなるゴミのようなものです。

相談のほうは、

ふっと吹いても飛ばないゴミ、さっと掃けない&掃こうという気を起こせないゴミ、掃除機で吸えるような形状ではないゴミといえます。

相談の対象となるのは、大きすぎたり、一人では動かせない、どうやって掃除したらよいかわからないそんな心のゴミ、と言えます。

と、いうことで、愚痴のほうは毎日たまるホコリのようなものですから、

毎日軽く掃く=気晴らしするとか、スポーツで発散させたり、少したまってきたら友人とのおしゃべりで聞いてもらって笑い飛ばして解消みたいにするとよいと思うのですが、

自分が人に話す話題の大部分が「愚痴」だったり、

毎回人に会うたびに、同じ内容の愚痴を繰り返し言ってるとしたら、

それは軽いホコリだと思った愚痴のその下に、相談レベルのゴミが隠れてるのだと思います。

それらは、

過去の固まったままの感情 や

不要な観念

であることが多いです。

それらが掃除されてないので、愚痴が延々と続くのです。

自分の話が愚痴ばっか、だと気づいた方、ちょっとした掃除をしてみませんか。

そんな方を対象に、近々、「心の掃除カウンセリング」みたいなものを企画してみることにしました。

ホメオパシー療法を使わないで、日常の悩み相談を受けるいわゆるカウンセリングをします。

とりあえず月に1回を、その日は集中してカウンセリングの日とし、

我が家の近くの安富町の会議室と、加古川で行おうかなと思っています(つまり月に2回)。

ホメオパシーと違ってレメディを使いませんので、安価で提供しようと思っています。

心療内科までいくほどのことじゃないし、ホメオパシー療法を受けるほどでもない、日々の悩みだけど、一人で解決するのは難しいみたいな方に向いてると思います。

また、第3者に話すことで自分の心を整理していきたい方にも向いてます。

詳細は、近々、Blog記事にてお知らせすします。

↓ 我が家の一足早い春の訪れ:ニャンコが野ネズミを連れてくる(悲鳴)。
かわいそうですが、野ネズミさんお亡くなりになっております…..

 

↓ こちらも春の訪れ。ご近所さんの猫が生んだ子猫を抱っこさせてもらいました。少し年のいった猫なので生んだのはこの一匹だけ。いつも子猫生まれたら里親にだしてたけど、1匹だけなので今回はこのまま育てるそうです。
生後1ヶ月、キャワユーイ💛💛💛

 

 

 

服を選ぶ基準

少し前にみたフレンチ恋愛コメディ映画(Bienvenue en Suisse 2004)の中で、服について、へ〜面白いと思うところがありました。

その映画は、スイス人とフランス人の違いを面白おかしく描写するみたいな作品で、フランスに暮らしていたスイス人男性=ティエリーが亡くなった祖母の葬儀でスイスに戻り、そこで祖母の莫大な財産を譲り受けるために親戚のおじさんたちに気に入られようと行動していく話です。

ちなみにスイス人とフランス人の違いですが、スイス人はゴミを捨てないで持ち帰る、フランス人はゴミをそこら辺にフツーに捨てる、とか(苦笑)、

スイス人は約束の時間ぴったりに来る、フランス人は遅れて到着するのが礼儀(迎える側があわてないように)みたいなところがあります。

要は、きっちりしたスイス人と、だらーっとしたフランス人みたいな構図です(苦笑)。

そんな中で、ティエリーが財産をもらうために スイスの親戚のおじさんたちに気に入られようと、典型的なスイス人の格好をしてトレッキングするシーンがあります。

スイス人ぽい格好というのは、登山用品ブランドの Mont bell(モンベル) とか Columbia(コロンビア)のようないわゆる山登りの服装です。

(Au Vieux Camper からお借りしました↓)

山登りの服装をスイス人いとこの男性が準備してくれていて、それに着替えて(それまではジャケットとシャツを着てた)ティエリーが皆の前に登場してくるのですが、スイスに住んでるティエリーの姉は、その格好をみて「いいわ、それ」みたいに言います。

でも、ティエリーの恋人のフランス人女性は、タバコをふかしながら、顔をしかめて、こんなことを言うんです(以下、私の意訳)↓

「なに、その格好?! スイス人女性はこんな格好に耐えられるの?!、(男が)こんな格好でいつもいたら私の性生活はムリだわ〜」

確かに、山登りの格好をしたティエリーは全然男としてセクシーではないのです(登山シャツはダボダボで下は半ズボンのどちらもベージュ、帽子は赤)。

そういう視点でみたら、映画の中で、ティエリーの恋人の女性は常にワンピースをきて女性らしくセクシーなんですよね。

実際、フランスの街中でも、大人の男性はジャケットとシャツのいでたちが多いし、女性も「女」を感じる服装の人が多いのは、そういう意識が服選びの根底にあるからなんだ、と妙に納得した私です。

確かにセクシュアリティを主軸として服が選ばれ、男女がそれぞれに魅惑的に暮らしていたら、そりゃ恋愛大国になってしまいますね❤️

実は、私も前回パリに行って滞在してる間に、街を歩く女性たちをみて、ああ、私も、もっと女性らしい格好したいな〜と感じた記憶があるので、なおさら彼女のセリフに納得したのです。

パリの女性たちがお洒落というより、女性性をちゃんと出してる感じがいいなって思ったからだと、この映画のセリフで気づきました。

もう何年も前に、日本でナチュラル系の服装が流行り出したころ(チュニックとかで体のラインを隠すようなかわいいと言えばかわいい格好)、

フランス人の男性ジャーナリストが、あの服装は女性性を否定してる格好だ、みたいな記事を書いてるのを読んだことがありますが、その記事も今回頭に浮かびました。

そのジャーナリストが、ナチュラル系の服装を、自然で楽な格好で自分らしく、とは解釈しないで、女性の部分を隠す(いわゆるイスラム女性のような)みたいに解釈したのは、上記のような服装選びの基準があったから、かもしれません。

ちなみに私のダンナさんはフランス人ですが、彼の服装選びはフレンチらしくなく、Tシャツとジーンズみたいなアメリカンな基準です

個人的な好みでいえば、私はシャツとジャケットのほうが好きですが、それを望むなら、私ももっと女性性を感じさせる服を着るのがいいのかも(冷汗)。

ダンナさんに服装の件でフランス人として意見を求めると、

「フランスでは50になっても女性は女性、そして年とろうが太ろうが女として生きてる。

でも日本では50になったらババア(口が悪くてすみません、汗)というカテゴリーの服を着て、ババアという意識で生きてるようにみえる人が多い。

フランスでは出産しても女性はいつまでも女性、でも日本ではママになったらママのカテゴリーの服装をして、ママとなって生きてる人が多い」

そこがフランスと違うと言ってました。

どの意識でどんな服装を選んでも、それでその人が心地よいならそれが一番だと思いますが、もし男性性や女性性がブロックされている状態で服装を選んでいるのなら、それを解放して服選びを変えたら、その人は非常に魅力的になるでしょうね。

日本も、パリやミラノみたいに魅力的な男と女のあふれる街になったら、カフェに座ってその街をみてるだけでワクワクしそ〜

女性性がブロックされてる人を対象に ”いい男といい女を眺めに行って、自分もいい女になるパリツアー”企画しようかな♪



今年の雪

大坂なおみが全豪優勝して良かった〜!とぐっすり寝て起きたら、

外は真っ白な世界になっておりました。




↓ 10cm以上積もっております(汗)


ミヌの足元も埋もれています↓

南天の下の雪の少ない場所でいったん休憩のスコッチ↓

ダンナさんが遊び心で塗ったフランス国旗カラーの一輪車たちにも雪が。↓

ニャンコ達はその周りでおいかけっこしております。

薪ストーブの煙突近くは温度が高いので、すでに雪が屋根からずりおちてます↓
ちなみに2階があるようにみえますが、2階はありません(汗)、中2階のようになっていて昔は牛のための藁を置いたりと物置に使っていたようです(今は閉じてます)。

日中晴れそうだから、溶けてくれると助かるな〜。


不要なコード、入力されたままになっていませんか?

プログラミングで、コンピューターに実際にこうしてああしてと命令するために書かれるテキストのことを、コード/codeといいます。

今回の記事、もちろんプログラミングの話ではありません(私、門外漢です、汗)。

コンピューターはコードで指定された処理をせっせと機械的にこなしますが、

私達人間も、実は自分の中にそのようなコードをいっぱい入力(記憶)していて、コンピューターさながらに、その過去のコードにしたがった反応をしています。

つい先日ですが、ダンナさんが妙にイライラしてるので、なんでだろうと尋ねてみたら、

3万円ほどで購入した趣味で使うコンプレッサー(圧縮した空気で木の粉を飛ばしたりする機械)の空気が少し漏れてるらしく、それでイライラしてるのでした。

イライラして過ごしてるくらいなら、ただ単に対処して動けばいいのでは?

不良品なら販売元にクレーム入れればいいし、そうじゃないならどういう対処があるかネットで検索でもしたら?

と、話してみたら、

コンプレッサーでは微細な空気漏れは頻繁にあるらしいことがわかり、専用の修理テープが近所のホームセンターでも100円くらいで販売されていて、それを貼ったら何の問題もなく使えるようになりました。

しかも、冷静に彼のコンプレッサーをみたら、その空気漏れ対策の修理テープがもともと付属品でつけてあったのでした….

最初からよくみろ〜!(ダンナさんは説明書とか読まない人)

というたわいもない話のようにみえますが、

しかし、ダンナさんと話してわかったのは、タイトルに書いたような過去の不要なコードが彼の中に入力されたままになっていたということでした。

彼は過去にフランスで電気製品を購入したときに、使いだしてすぐに不具合がみつかった経験が何回もあって(日本ではあまりないでしょうが、海外でこういった経験のある人多いと思います)、

しかもメーカーに電話してもカスタマサービスで対応してくれなくて(これも海外でよくある)メチャクチャ腹を立てた経験も重なってしまっていたので、

それらの経験から、彼の中に

<購入した電気製品に不具合があると>

<メーカーにかけあっても>

<ラチがあかない!> 

<俺はやられっぱなしになる!>

というコードが入力されてしまっていたのでした(汗)。

私には幸いそういうコードが入力されていないので、不具合があるなら、メーカーに電話する、もしくは対策があるか調べる、と冷静に対処できるのですが、

彼には上記のコードが入力されているので、

メーカーに電話しても腹が立つだけ、

こういう問題はラチが明かない、という反応になって、それでイライラしたまま過ごしていたというわけです。

コンサルテーションでもお話を伺うとよくわかるのですが、どんな人も、こういう不要なコードをたくさん入力したままでいます。

例えば、子どものころ、親に、

お前は何をしても長く続かない

なんて言葉を言われた人は、そういうコードがそのまま入力されてしまっていて、

< 私はなにもしても長く続けられないんです> みたいなことをおっしゃるのです。

そして実際にそういう人生になってます(転職を繰り返す)。

なぜなら、その入力されたコードに従って反応したり自分の行動を決めていたりするからです。

私にもたくさんありました(今もあります)。

例えば、小学校の頃、校外にでて風景画を絵の具で描いていたのですが、下書きに時間を使いすぎて絵の具で塗る時間がなくなったので、とりあえず授業時間内に終わらそうと筆に絵の具をたっぷりとってばーっと勢いよく塗りつぶしていたんですね。

そしたら、そこにたまたま先生がきて、私のその塗りつぶし方をみて

あなたはザツだね!!

と、すごく批判的な口調で言ったんです(汗)。

そしたらそのとき  <私はザツだ> というコードが私の中に入力されてしまって、長いこと私はそのコードにのっとった行動をしてました。→つまり自分がザツだと思って、色んなことをザツにしてました。

ある日、自分の中のそのコードの存在に気づいて、デリート(削除)しましたけどね。

先生がみたあの瞬間の私の絵の具の塗り方は確かにザツだったでしょう、

でも私は全てにおいてザツな人ではないんだ、と、気づいて、あの日の先生のその言葉を消去したわけです。

そしてザツではない人になりました。

今回、ダンナさんにも、上記の不要なコードが入っていたことを説明して、そのコードはもう不要なのでデリートするようにいいました。

コンサルテーションでも、過去に入力された不要なコードをみつけたらデリートするようにお伝えしていますが、こういう不要なコードは自分でもみつけることができます。

不要なコードのみつけ方は簡単です。

今回のダンナさんみたいに、イライラしたり、感情がネガティブに強く動くことがあれば、そこにそういうコードが入力されてるということになります。

不要なコードをどんどん消していくと、生きやすくなります。

偏見がなくなって、素のあなたになっていくからです。

それがどんなに楽で生きやすくて、心地のいいことか。

是非、経験して欲しいです。

1人でコードをみつけるのが難しい方、ホメオパシー療法やカウンセリングでそのお手伝いができます。

不要なコードを外すだけでなく、新しい素敵ななりたいあなたになれるコードを入力することもできます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

スコッチよ↓ ニャンコには、不要なコードはインプットされてませんよね?!

テーブルに乗るな〜、それから雑誌にも、そしてそこで寝るな〜



新年に


年末年始、恒例の行事を繰り返しているようでも、毎年なにかが違っているなと思います。

気候が違ったり、メンバーがちょっと違ったり、メンバー自身が年とともに変わっていたり、行事の規模が大きくなったり小さくなったり、材料や食べ物が少し変わったり。

いつもなにかが変化しています。

だから同じように見えても二度と同じものに立ち会うことはないんだな、と思います。

常に変化してる、それが人生の特長なんだろうなと。

だからホントは毎時間、毎瞬間が同じではなくて貴重なものなんだけど、いつもはそんなことには気がまわらずに、新年みたいに「時」を特別な瞬間として味わうときにだけ、ありがたいと思ったりします。

はい、今年も新年をこうして迎えられたことに改めて感謝します。

杵と臼でついたお餅でつくった小さな鏡餅。裏の木になってた小さな柚をのっけました↓

山からとってきた松と南天でつくったいつもの地味なお正月飾り ↓

今年もどうぞよろしくお願いします。

クリスマスの思い出


私の実家はクリスマスを祝う家ではなかったので、私の子どもの頃のクリスマスの特別な思い出はほぼありません(汗)。

その私がクリスマスが来るといつも思い出すのは、ダンナさんの両親が私を初めて迎えてくれたノエルの夜です(フランスではクリスマスはノエルという)。

嫁になることになった私を(初対面)、家の外にでてきて迎えてくれた二人の明るい顔….

明るいというのは、私が彼らの家に着いたのはノエルの晩ですでに暗かったんですけど、玄関の外灯に照らされて彼らの顔は明るかったのです。

顔は明るくよくみえたのですが、でも表情は複雑な感じで(アジアからやってきた得体のしれない息子より年上のそんなに若くもない!嫁をみて、汗)…、

ただ私の顔をみたら笑顔になって挨拶してくれた、特に義理の母のキラキラした顔は今でも覚えています(彼女は去年他界しました)。

ところで、普通、彼氏や結婚相手の両親に初めて会うときって緊張しますよね。

自分が好印象を持ってもらえるかなとか、ふさわしい彼女/嫁とみてもらえるかとか…etc.

でも、私はあのノエルの夜、良くみられたいとかそういう思いはなく、逆に私こそ、結婚相手となる人の両親がどういう人かを見極めよう、そんな心持ちでした。

簡単に言うなら、みられる側でなくて、みる側だったんです。

というのも、私はダンナさんに対して、2つ気になる点があったのです。

日本の男性とつきあっていたらおごってくれるのは男性側が多いと思うのですが、ダンナさんはそういうのはあまりしない人で、知り合った頃、彼が学生だったというのもあったのかもですが、そのお金の使い方をみると、もしかしてこの人は「セコい」とか「お金にうるさい」のかも、という疑いがあったのです(苦笑)。

もう1つは、彼はいわゆるわかりやすい”いい人〜”みたいなタイプではなくて、言葉の使い方に一種の冷酷さ?みたいなものが時々みられていたので、彼の深いところに冷たさがもっと強くあるのかどうか、というのが気になってました。


それで、彼を育てた大元の両親に会えば、上記の2点の根源がはっきりみえるだろうと思っていたのです。

家の中に通されて、アペリティフから始まって(クリスマスだとシャンパンが定番)、いろんな話を彼の両親としながら、義理の母の料理を食べさせてもらったのですが、結局上記の2点は全く気にすることはないとわかりました。

あの時のノエルのメインの料理は鶏と栗をオーブンで焼いたものだったのですが(義理の母は料理好き)、料理や他の彼らがしてくれたおもてなしをみて、それらがお金を基準に選ばれてるものではなくて、「私を迎える」という気持ちで準備してくれたというのが重々に感じられました(つまり「お金が基準」の価値観ではなかった)。

それから彼らの話す言葉や内容にも、冷酷さなどを表すものは全くみられなくて、私がダンナさんにみていた冷たさみたいなものの根は全然深くない、ということもはっきりわかりました。

私が義両親を見極めようとしていたノエルのエピソードは、後から彼らに話すと笑い話になるようなレベルの心配だったというわけです。

この話、ちょうど、年末年始に私のようなシチュエーション(義理の両親に初めて会う)という方がいたので、思い出しました。

彼氏や彼女、結婚相手のご両親に会うとき、または入りたい会社の面接を受けるときなど、

誰かによくみられたいとか、

気に入られたいとか、

選んでほしいみたいなとき、

緊張したり、プレッシャーを感じたりすると思うのですが、

そういう機会というのは、実は、自分が選ばれる側であるだけでなく、

自分は選ぶ側でもある(向こうも自分が望む相手であるのか)と捉えると、

緊張も減るし、逆に自分らしくいられるかもしれません。

そして初対面のときから、自分を過剰に演出していなければ、その後も両者の関係は自然体でいられるので楽だと思います

↑ 私と一緒にお散歩についてくるミヌ。うしろにたたずむスコッチは、テリトリー外だからか、この橋を越えてこちらに来ることができません。そしてずっとあそこでミャウミャウと鳴いて私とミヌを呼び続けます….

杉の葉

我が家の暖房は薪ストーブなんですが、薪に火をつけて温度を上げるには、それ相当の火を起こさねばなりません。

そこで必要になってくるのが「焚き付け」に使う材料。

紙や段ボールではあっと言う間に燃えてしまうので、木材の端材など火がつきやすい&火の力をある程度留めておける材料が必要になります。

これにピッタリなのが 杉の葉。

杉の葉は、葉に油分が多くて燃えが非常によいだけでなく、杉の葉の小枝が火の勢いを維持してくれるので、薪の下に杉の葉を入れこんで、マッチを1本するだけで、あっという間に薪ストーブの火入れが終わりになります。

こんな材料、他にはないと思う、と断言できるくらい焚き付けにピッタリです。

私の住んでる地域の山は、杉だらけなので(日本全国ほぼそうですが)、杉の葉がごまんと落ちてます。我が家の裏山もしかり。

なので薪ストーブをつける季節になると、猫のミヌを伴って、私は山に入り、杉の葉を拾いに行きます。

汚れてもいい服装で軍手をして長靴をはいて、杉の葉をブーケみたいにつかみながら山から降りて来て、ご近所のおじさま方と会うと、なつかしそうな目で私の姿をみます(汗)。

皆さんが子どもの頃はお風呂を薪で焚いていて、杉の葉を拾いにいくのは子どもの役目だったようで、山から杉の葉を手にいっぱいつかんで降りて来る私をみて、当時の生活を思い出すらしいです。

「な!、杉の葉が一番よく燃えるだろ?!」みたいに、なぜか自慢げな発言もあったり(苦笑)。


↑ これが杉の葉。これで4,5日分の焚き付けに使えます。

私が住んでる集落に薪ストーブがある家は、我が家を含めて3軒。

3軒だけでは杉の葉は使い切れず、山にたんまり残ったまま(元は50年代に国をあげて杉やらヒノキをせっせと山に植林していったという背景がありますが)。

薪の材料となる様々な木も皆さんの生活には不要なので、倒れたり、切ったりしていらない木がでたら我が家にお声がかかり、ダンナさんが軽トラででかけ無料でいただいてきます。

薪も杉の葉もそうですが、身近で手に入るエネルギー資源があったというのに、いつからガスや石油などをとんでもなく遠いところから運んでくるような生活になってしまったんだろう〜

電気エネルギーを主に使う今の生活を、昔のように戻したいと思う人はほぼいないと思いますが、そのおかげ?!で、我が家は暖房のエネルギー資源を尽きることなく無料にて使わせていただいております。ありがたや〜。



体も学ぶ

息子が幼稚園のときのことです。

お迎えに集まったママ達に向けて、園の中ではわりと年輩の女の先生が、感情を抑えるような口調で、こんなことを問いかけたことがありました。

「皆さんは、お子さんが生きて行くうえで、つらいことが全く起きないで大きくなって欲しいのですか?」

(正確な文言を覚えてませんが、子どもにトラブルゼロで育って欲しいと思ってるのかみたいな内容でした)

なんでこのような問いかけをしたかというと、息子のクラス内にすぐに手がでてしまう女の子と男の子が1人づついて、その子達がなにかする度に、された側の母親達が先生になんとかしてくれと言いにいっていた状況だったからだと思います。

特にある女の子のママが、自分の子が悪さをされるとすぐさま先生に訴えていたので(相談するのではなく、一方的に非難するスタンス。いわゆるちょっとしたモンペ状態、汗)、それに対してうんざり?した先生が別の視点を持ってほしいと思って、上記のように問いかけをしたのだろうと私はそのとき思ってました。

ちなみに、うちの息子もその男の子に手を出されたこどが何度かあり、私も先生にそれを伝えたりしてたので、先生の問いかけにハッとしたのも事実です。

自分の愛する子どもがつらい目に遭うのは、親としては胸が痛くなります。

でも、その先生が言われたように、もし自分の子どもが人間関係のトラブルゼロで育つのがいいかと言われたら、皆さん、頭を横に振るでしょう。

他人とのトラブル経験がゼロってことは、トラブルに対して免疫がゼロなわけで、毎回そのトラブルを先生や親が取り除いてあげてたら、その子は友達や他人と問題が起きたときに、どう対処していけばいいか全くわからないままでいることになります。

幼児のころは問題もまだシンプル、だからそのシンプルな問題のときに、自分以外の人の気持ちや行動を体験し、相手にどう対応するか、どうやって自分を守るかなどを感覚や知識として学んでいくことは、人間関係をうまくやっていくための大事な基礎となります。

その後、年齢が上がっていくにつれ友達&人間関係の問題が複雑化していくだろうけど、そのときはそのときで段階を上げた学びを得れるだろうし、そうやって徐徐に人間関係のトラブルに対して免疫をつけていくことで、最後は大人になって自分1人で人間関係の問題にうまく対処できるようになっていくものだと思います。

人間が社会という集団で暮らす生き物である限り、人の中で円滑に楽しく生きていくには、人間関係のつきあいのノウハウを学ぶ必要があり、それには良いことばかりでなくトラブルという経験も必須になります。

トラブルという名の修行&研鑽の場、これはお金では買い与えることなどできないので、見方によってはとてもありがたい機会なんですよね。

話がとても長くなりましたが、実はこれ、身体も全く同じだと私は思います。

ホメオパシー療法で、お子さんをみてるときに、この子はこの症状(主訴)以外に全く病気をしていません、と少しそれが良いことのように話す方がいますが(ある主訴で身体が覆われてるとき、他の病いは発症しにくい。ガンの人が風邪をひかないように)、

幼児のときにそれなりに病気にかかっている経験は、体の免疫のために必要なことだと思います。


幼児のときにかかる伝染病もそうですし、風邪などもそうだし、きっと捻挫とか打撲にも身体的な経験からみると意味があると私は思います。

心と同じで、体に(身体的な)免疫がつく、ということなんだろうと思います。

再度、類似する病いにかかったら次は戦える(対処できる)体になる、ということでもあるし、体に異変が起こったときに、これは(過去の経験上)大したことじゃないな〜っていう感覚を持てたり、これはなんかおかしい(重篤な疾患)みたいな感覚のアンテナが発達するのだと思います。

ということで、精神も経験から学んでたくましくなっていくように、体も病いを経験することでたくましくなっていく側面がありますので、子どもが病気にならないように過剰に守ったりすることは必要ないと思いますし、病いになることがネガティブなことではないと思います。

*病いが全て良いというわけでなく、過剰に守ったり、病いを過剰に恐れる必要がないという意味です。

ということで、冬ですし、安心して風邪ひかせてください(苦笑)。

でも風邪をひいて長引きそうなら、その症状を抑圧しないで、体が治そうとする力を妨げないレメディを使ってセルフケアでヘルプすることはできますので、ご興味のある方はお問い合わせください。

HPはコチラ:https://arnicahomeo.com/

可愛い子には旅をさせよ、が頭ではわかってるけど、なかなかできないで過保護になってると思う方、それはあなた自身の心の問題と関係があるかもしれません。

よかったら、ホメオパシー療法で、一緒にその問題に向き合ってみませんか。あなたが楽になり変わっていくことで、お子さんにもよい影響を与えられると思います。

興味のある方は上記HPまでどうぞ。

↑ カワイイニャンコにも旅をさせよ?! 久しぶりにミヌと裏山のお散歩です。

それぞれの愛の形

先日、ある方の恋愛相談を受けていました。

その方の問題は恋愛相手の男性のことなんですが、ものすごく簡単にまとめるならば、なかなかその男性の愛を信じられない、それで嫉妬深くなったり、自分に自信がなくなったりするとのことでした。

でもその男性の彼女に対しての行動についてよくよく話を聞いてみると、その男性は、なにかあったら車で飛んできてくれるし(時には何百キロ先の旅行先まで)、彼女がお願いしたことは実行してくれる人でした。

彼女は、彼から「愛の言葉」が欲しくて、それがないから愛を信じられないのですが、「愛」の表し方は人によって異なりますからね。

彼は言葉でなく、運転したり実行したりする「自分の体を使って」愛を表すタイプなんだと思います。

だから、既に彼からの愛はあふれているのだけど、彼女は自分が望む形の「言葉」でないと愛を受け取ってるとは思えない、これが彼女の恋愛問題の核なのかなと思いました。

話少しずれますが、臨死体験をした人が、生まれてからそれまでの過去の出来事を走馬灯のようにみせられて、それをみていたら自分の人生は全てが愛にあふれてた(ひどい両親に育てられたけど)、どんな人からも愛をもらっていたとわかった、と書いてあるのを読んだことがあります。

自分の理想の「愛」の定義からずれていても、私達はじつは常に愛を受け取っているのだろうなとそのとき思いました。

だから、冒頭の恋愛相談してる彼女も、自分の望む形でなかったとしても、彼の表す愛の形に気がついてそれを受け取ってみたらと伝えました。

人によって愛の示し方はそれぞれ違うと思います。

クライアントさんのお子さん時代の話を聞いても、例えばこんなのがあります:

母はいつも家事をきっちりしてくれてた、でも一度も私を愛してるとか、大事とか言ってくれたことがない。私は家は散らかっててもご飯もちゃんとしてなくていいから、ただ抱きしめて欲しかった….。

この方のお母さんは家事をきっちりこなすことで、家族への愛を示していたのだけど、お子さんであったこのクライアントさんはスキンシップや愛の言葉を示してくれることが愛だと思っていたのです。

しぶしぶ会社に行ってる姿をみせてたお父さんも、嫌だけど会社で働き続けることが家族への愛だったのかもしれません(本人も無意識だったかもですけど)。

そりゃ、愛を言葉で表現してくれて抱きしめてくれるなら、それがてっとり早いし、受け取る側もはっきり認識できます。


でも、日本みたいなお国柄だったり、人によっては性質だったり、好みだったり、または過去の家庭環境からの影響だったりで、そのようなストレートな表現方法をしない/できない人が多いのも事実です。

誰かがあなたに示してくれる態度や行動、それが実は愛の1つの表現だと気づけたら、毎日は愛だらけ、愛に囲まれてる幸せを感じられるように思います。

思春期の私の息子が毎日帰ってきたら、開口一番、

「今日のメシ、何?!」

と無表情で聞くのですが、この文章を

ママ、今日もありがとう

という愛の言葉に勝手に変換してる私です….

↑ たつの市を歩いてたら、古民家に一本だけバラが植わっていて素敵に花を咲かせていました。土壁の色と深いピンクのコントラストに心を奪われました。

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愛を受け取ったり、与えることに困難を抱えてる方、ホメオパシー療法でその心のブロックを外すことができるかもしれません。
ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/