体によくないものを食べるとき

コンサルテーションで、

消化不良を起こした方や、

吹き出物、湿疹などのアレルギー症状などが肌に出てる方に、

その原因について何か思い当たるかをお尋ねすると、

「XXを食べたからだと思います」とか

「たぶんXXが原因です」

と食べ物が原因と思われるという答えが返ってきます。

「そのXXを食べたときにどんな思いを持っていましたか?」

とお尋ねすると、

「XXを食べたら胃もたれ起こすかもな」

「XXを食べたらお通じ悪くなるかも」

「XXは体によくないけどな」

「XX食べたら肌が荒れるかも」

みたいなことを思いながら食べているそうです……

以前のblog記事にも書きましたが(参照:治るについて)、

私たちの「思い」というのは体が聴いて答えてくれます。

これを量子力学的に言うなら、心から体への量子的飛躍が起こってる/情報は物理に影響を大きく与えるから、ということができるかもしれませんし、

一般的に理解しやすい言葉でいうと、プラセボ効果が起こってるということかなと思います。

「この食べ物は体に良くないよ」 という心の情報を

「そうかこれは普通に消化できないものなのだ」と体が受け取って、

消化不良を起こしたり、

普通の経路(排便排尿)で排出できないで肌に症状を出したりしてる

ということだと私は理解しています。

私も、たまにジャンクなおつまみを食べるとき

「あーこれで吹き出物できるかもな」って思いながら食べてます(苦笑)。

だから私の体は、

これは吹き出物を出す食べ物ですね、りょーかい!

と忠実に反応してくれてるわけです。

そしてちゃんと吹き出物ができて、私はやっぱりな!って再確認してます(改めて書くとかなりアホなやり取り….汗)。

例えば、一人暮らしの大学生男子が毎日コンビニ弁当とカップラーメンを食事にしてたとします。

彼は特に意識していないし、美味しくいただいてるのだけど、半年くらいして肌の症状や胃腸の具合が悪くなったとします。

そういう情報を与えてないのに(美味しく食べてるのに)なぜ? と思うかもしれませんが、

これも実は同じで、その大学生男子はそういうのを食べてると体に悪いよなって実は頭の片隅で知ってるのです。

そうでなければその症状はでません。

男子大学生は、こんな食生活を続けてたら「そのうち」調子悪くなるかもね、と思ってるから体への反応は遅かったのかもしれません。

そういう視点でみると、添加物や体に悪い食品について熟知してたり、非常に気にしてる方というのは、消化器系や肌への反応も早いし、現れる症状も顕著です。

私がジャンクなものを食べて、すぐに吹き出物ができるのもそういうことだろうと思います。

では、どういう心持ちで食べたらいいか!? ですが、

全ての食べ物に感謝して食べる

ができるのがいいですよね。

しかし添加物やら、遺伝子組み換え食品やら体に悪い食品を、ありがたい〜と思って食べることはなかなかできないでしょう。

食べ物への感謝の思いを素直に実践できる手作りの野菜やお米、心がこもった手作りお菓子などというものはここでは問題ではありません。

問題は、そうじゃない食べ物を食べるときです。

悪いだろうとしってる けど、食べてるもの、食べたくなるもののときです。

ずばり、私が時々食べてしまうジャンクなおつまみを食べるとき、です。

そのときは、例えばこう思うのはどうでしょうか ↓

「このおつまみを食べたいのです

これを食べることを私にゆるします

だからどうぞ上手に消化するのを手伝ってね」

違う観点からみると、

これは良くないなと思いながら食べてるとき、実は自分を罰してるんですよね
(悪いことしたから罰が下るという認識を持ってるので)。

体にでる症状は、それで自分を罰した証という見方もできるのです。

だから、その行為を「ゆるす」のがいいんじゃないかなと私は思います。

こんな文言を毎回食べるときに思うんかい〜!?

めんどくさ!ともしあなたが思ったとしたら、

そんなに「毎回」自分の消化器官に負担をかけてるんだと気づくといいですね。

上記の文言に、もう一言付け加えるとしたら、

「いつも私が食べるものをちゃんと消化してくれてありがとう!」

だと思います。

あーほんとに、わたしの体よ、いつもお酒やおつまみを消化してくれてありがとうね!!

山にも桜がぽんぽんと開花しています。遠くからみる桜の白はとてもやさしい感じがします。

死ぬまでに

文句が多かったり、不平を言い続けてる人というのは、

自分が老人と言われるくらいまで生きていくと思いこんでる人だと思う。

もし余命1ヶ月ですと言われたら、

自分に残された時間を考えたら、

その貴重な時間に文句や不平を言おうと思うだろうか。

これからもずっと生きていけるだろうと思ってるから、お金がもっと必要、もっと欲しい、今の量では足りないと思う。

これからもずっと生きていけると思ってるから、あんな家が欲しい、こんな服が着たい、もっと綺麗になりたい、もっと良い人になろうなんて思う。

これからも今の生活が続くと思ってるから、まわりにいる家族にこれはやめてよ、あれはああして、それじゃだめよと改善をもとめて文句をいったりする。

これからも、長いこと生きていけると思ってるから、毎日の暮らしを今と同じに保つことが優先になって、こんなことしたらやっていけないんじゃないかとか、あれをしたらさすがに良くないだろうといろんな制限を自分にかける。

ずっと生かしてもらえるかどうかはわからない。

311で地震が起きて、津波が起こり、立て続けに原発事故まで起きたとき、私はこれからも自分がこのまま普通に生きていけるのだと思い込んでいたことにはっとしました。

地震の揺れがあまりに大きくて家の中から外の通りに飛び出して、まだ小さかった子供と抱き合いながら、私が、家族が、周りの人々が、この地震で今、ここで死ぬことだってありえるのだという現実におののきました。

あのくらいのことが起きなかったら、自分の「命」が当たり前だと思い込んでることに気がつきませんでした。

あのくらいのことが起こったから、いつかやろうとか、いつかそうなったら、と考えていた自分の人生を、いつかじゃなくて、今やるしかないんだと思いました(それでも実際に動くまで時間はかかりましたが)。

だっていつまで生かしてもらえるかはわからないから。

そのおかげで、都会をでて今の土地に引っ越してきて、そして好きなように生きてきたはずなのに、気がつけばまたいつのまにか毎日文句やら不平不満を抱いています(大汗)。

昨日はなぜかある映画がやたらと目につきました。

「死ぬまでにしたい10のこと」という作品で、既にみたことがあるのだけど、サインに従ってあえて再度観ました。

23歳で余命2ヶ月と宣告された若いママが、死ぬまでに自分がすることをリストアップして実行していく話です。

いつまでも生きていられないことがわかった女性の行動をみて、生きていられること、生かしてもらってることがとてつもなく貴重なんだということを再確認しました。

特に今は、コロナ騒ぎで感染、死亡、さらに経済的な問題もどんどんでてきていますが、どんな人もいつまで生かされてるのかわかりません。

だから、もし本当にしたいことをしていない人生を過ごしてるなら、いつまで生きさせてもらえるのかわからないのだし、いつかじゃなくて、そのうちじゃなくて、今からそのしたいことを大事にする人生にしていくのはどうかなと思います。

自分が本当にしたいことがわからない人は、まずはそんなにしたくはないのだけどなんとなく惰性的にやってきたことをやめていく、そんなことから始めると大事なことが見えてくるかなと思います。

コロナ騒ぎの自粛は、止めたくても止めることができなかった毎日の動きを止めてくれています。

一部の地域だけでなく、世界がそのように動いています。

自分だけ止めるのは勇気がいるけれど、皆が止まってます。

この機会をチャンスと受け止めて、より自分らしい方向に進んでいける岐路になるといいなと思います。

もし自分がもうすぐ死ぬという目で周りをみまわしたら、どんな嫌な人も、鬱陶しい人も、愛(いと)しくってしかたがなくなると思う。人はできることなら、全てをゆるしてからこの世を去っていきたいのだと私は思います。

志村けんさん

昨日志村けんさんが亡くなったことで、世間が動揺してるのが伝わってきます。

もちろん、私も驚きました。

テニス仲間でも近所の人でもその話題がでてました。

そしてクライアントさん達からのメールにも、彼の死に対する見解が皆さんなりに書かれていて、そこには動揺が伺えます。

昨日彼の訃報が流れたあとに、フランス人友人が、

彼の過去のコントのリンクを送ってきてました。

志村けんさんが訛りのある英語教師で、生徒は全員アメリカ人、その彼らに思い切り上からでたらめの発音を教えるというコントでした。

それをみて、私、思わず声をだして笑っちゃいました。

バカバカしいのだけど、その馬鹿馬鹿しさが実はまかり通ってる社会への風刺も感じつつ、でも笑えました。

このタイミングで彼が亡くなったのにもだから意味があるのだなと思います。

現実レベルで言えば、彼のような現役で活動していた人が死に至ったというウイルスの怖さを伝えてくれてるのでしょうが、

でもコントのリンクが私に流れてきたように(世界中でリンクがまわってるから、私にも流れてきたのだと思います)、

こんなときこそ笑いの視点を忘れるなよみたいなメッセージを伝えてくれてるのだろうなと思いました。

怖がるのはわかるけど、怖がりすぎて風刺できるようなおかしな状態になってないかとか、

ちょっとナンセンスなことで笑ってみようよみたいな、そんなことを教えてくれてるのかなと。

個人的に、彼のコント、あまりみたことなかったし、見てもそんなに面白いと思ってなかったけど、今回改めてみたら、あのコントは愛がないとできないなと思いました。

彼がやってるベタなあれらの役柄って(権力をみせつける夫や上司や先生とか、すけべなおっさんとか)彼が演じる役の人物像に対して軽蔑や怒りや糾弾などそんな思いがあったら、あのコントはみてて笑えないと思うのです。

でも彼には、それがなかったから、そういう人間のエゴの部分を認めていて、それが自分にも皆にもあるけど、それもいいか〜みたいな愛を感じるから、みてて悲惨な感じがしないで、安心して笑えるのだと思いました。

だから、今、私たちが混乱してたり、あせってたりしても、それもありだよ、みたいなそんなことも教えてくれてるのかもしれません。

これが送られてきたコントです。ビューの数がすごい:↓

共にいます

先日、ある方=Aさんとします の話を聴いていたら、

私の中にふっと 「独善的」 という言葉が浮かんできました。

Aさんは、人との関係が良い方に向かうように様々な努力してるのがよくわかるのだけど、

話を聞いてると、その努力がまだうまく結実していなくて、

その一生懸命さゆえに本人も疲れてるし、私も聞いているだけでしんどい感じになってきたのでした。

このしんどさはなに?と思いつつ聴いていたんでしょうね(汗)、だからAさんの一生懸命さの源が「独善的である」と私は思いついたようでした。

自分の中にこのような言葉が浮かんでくるときは、

自分が相手を ジャッジしてる ときです。

ジャッジするというのは、相手にそのような「レッテルを1つ貼りました」ということでもあり、

この場合でいうと、私の中で「Aさんは独善的」という見方ができてしまうことになります。

そうなると、気をつけないと相手を批判したり責めるような言葉がでてきてしまい、良い関係性をきづくのは難しくなります。

こういうときにどうするかというと、

まずは、そのジャッジに気づく、ことが大事です。

あー、私はAさんを独善的と思ってるな、と認めます。

….と、記事をここまで書いてこの日は仕事に行きました。

そしたら、その日の夜、以下のような夢をみました:

私は閑静な少し傾斜のある住宅街にいます、そこに小さな子が走って私を呼びにきて、

女の人が自分の犬で猫を襲わせようとしてるよ!というのです。

急いで見に行くと、フランス風のお洒落な少し年のいったマダムが、黒皮のリードをつけた毛の長い高級そうな大型犬を散歩させていましたが、

ある家の裏の通りに設置してある洋風のベンチに座ると、犬のリードから手を離し、

さあ、おいき!

といって、目の前の家にいる毛長の大型猫2匹を襲わせようとしてるところでした。

むっかー!と怒った私は、獣の鳴き声(グルル..みたいな)を真似て、その犬をおっぱらってから、

マダムのとこに歩み寄り、

「そんなことさせてるなら、警察に介入してもらいますが、いいですか!?」

と携帯を手にして強気の口調で言い放ちました。

するとマダムは気高い雰囲気で「結構ですよ」といって立ち上がったので、

すぐに110に電話したら、電話の向こうの警察から

こういう案件は弁護士の管轄でしょうみたいなニュアンスで、

話し合いでなんとかできないかやってみなさい

とたしなめられたので、電話を保留にしたまま、

どうしましょうか?!とそのマダムの方をみたら、

彼女は黒皮のリードで犬を連れたまま、

毛長猫のお宅の女性といつのまにか肩を組んでいて、

「私たち、一緒に住むことにしたから、もう大丈夫よ〜」

と明るく笑っていました。

「あらー素敵!どこに住むんですか?」と尋ねたら、

たぶん、あっちかな、とそのマダムのお宅があるらしい方向をアゴでさしてました(汗)。

そうだよね、一緒に住めば、あの犬と猫も最初は喧嘩するかもだけど、いつのまにかいい友達になるだろうし、あのオシャレなマダムと猫の家の女性も一緒に暮らすことになったら、お互い寂しくないし(なぜか”おひとりさま”設定)、ご飯を一緒につくったり、お酒を飲みながら話をしたりして今後の人生楽しく暮らせるだろうな、それ、いいな!と私は頭の中で納得してました。

と、ここで、私はバチっと目が覚めたのですが、

なんじゃ、この夢?!

と思ってしばらく分析してみたら(マダムは昨日寝る前にみたフランス映画の女優さんからイメージを拝借してました)、

あー、そっかー!昨日の書きかけのBlog記事のオチをみたんだ〜 ! 

とわかって、ふとんの中で、その絶妙な夢に思わず笑ってしまいました(早朝5時半に、汗)。

私たちが、誰かをジャッジするとき、自分とその相手は「別々の人」なので、

自分の方を守るためや正当化するために、相手をジャッジして、相手が悪いと判断しようとしてしまいます。

でも、夢でみたように、相手と自分が同じ場所に住むとしたら、生活共同体として敵対することはなく、むしろ協力して理解しあって毎日を楽しく過ごせる仲間になります。

あの夢が教えてくれたように、

自分と他者が、同じ「心」に住んでるとしたら、

私たちは霊的な存在としては同じ源、1つですから(いわゆるワンネス)、

そういう見方で相手をみると、相手は自分とは別の存在ではなくて、

心でつながってる、心を共有できる仲間だとわかります。

話をAさんに戻しますと、

独善的とAさんを思ってしまったけれど、それを認めて、

改めてAさんと私の心がつながってるという視点でAさんを見直すと、

人との関係をよりよくしようと一生懸命なAさんのひたむきな姿は、

人がより楽にいきられるようにヒントをあげることはできないかなと一生懸命に頑張ってる私の姿の反映でもあることがわかってきます。

Aさんの一生懸命さと自分の一生懸命さが重なったとき、私のハートは開かれて(Aさんのハートとつながって)

Aさんが愛しくてしかたがなくなり、私の目頭はあつくなります(年とともに涙腺が….)。

ここまできたら、私のジャッジはなくなり、

Aさんに対して心の寄り添った話をすることができるようになります。

↑ 家から車で5分くらいのところにあるダム。

ダムが空をうつしているように、目の前のその人はあなたの内面を反映してくれてる人です。

続コロナウイルスで起こること

コロナ騒ぎは、延々と続いておりますが、クライアントさんたちにお会いして、コロナ騒ぎがどのように影響してるかを尋ねると、

外側で彼らに起きてるのは、ビジネスの不調からくる経済的な打撃や、自粛による生活の不便さだったりするのですが、

その一歩先の質問で

「あなたにとってこのコロナ騒ぎが教えてくれてることは?」

「このコロナ騒ぎはあなたにとってどういう体験ですか?」

みたいなことをお尋ねすると、

それぞれにまさによいタイミングで「コト」は起こってるというのを確認できて、あー、これが人生のミラクルだ〜と一緒にそれを目撃させてもらっています。

ある方はある症状を完治させるために今取り組んでいるところなのですが(守秘義務のためぼやかして書きます)、その症状のピークをまさにこのコロナの自粛騒ぎの最中に迎えていて、仕事がテレワークになってることがその人にはとてもありがたいことになってます。

またあるお子さんは、学校が長期休校になったことで(自分だけでなく皆もお休みになったことで安心して)十分に必要な休息や英気を養えて気力を取り戻していたり、

ある方は、自営ビジネスが忙しすぎて息をつく間がない生活をされていたのですが、この自粛騒ぎで逆にたっぷりと時間をとることができて、これまでにない充実した時間を家族と過ごすことができてるのだそうです。

また別の方は、春に予定していた仕事での大きな企画が先送りになったけど、それはもう1回案を練れる時間をもらえたと思って実は逆にほっとしてるだとか、

そんな感じで、外側の慌ただしさや不安とは別に、内面の深いところではこれは好機でもあると皆さんは捉えてるようです。

私の家族の話でいうならば、妻をなくした義理の父(フランス在住)は、

一人暮らしでさぞやこの騒ぎで不便や不安を感じてるだろうと尋ねてみると、

自粛騒ぎで外にでれないことで逆にほっとして、嬉しいくらい!だそうなんです(苦笑)。

どういうことかというと、

定年後いわゆるやもめ暮らしになった彼に、周りの人が心配してもっと外に出たほうがいいよとか、なにか活動とかスポーツしたらとか色々言ってきてたのに自粛騒ぎでそれがなくなったので、

これで堂々と1人で家にこもってていいんだ!と思うとそれがすごく楽なんだそうです。

もともと義理の父はオタク系のタイプなので社交活動をするのは気が進まないのだけど、
1人で家にずっといるのはよくないと人からも言われるし、自分でもこれじゃよくないかと自分で自分を戒めたりしてたけど、外にでなくていいと公(おおやけ)に言われてるのが、

「あなたはそのままでいいんだよ」と言われたような感じがしてほっとするようです(苦笑、でもよくわかるこの気持ち)。

延々と続いてるコロナウイルス 問題で、あなたの気分は表面上では落ちつなかったり騒いでいるかもしれませんが、

もう一歩深いところで、あなたの心は本当はこれをどう感じているのか、これをどう捉えているかを静かに問うてみると、意外と良い気づきをもらえるかもしれません。

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ダンナさんが海外の人と仕事をしてるせいか、感染してる人は結構身近にいて、それらを生きた情報?として伝えますと:

たくさんの疾患もつアメリカ人男性同僚とその奥さん、子供が感染してました(ワシントン州)。

男性は病院が満室で入院できなくて(汗)疾患がたくさんあるのでどうなるかと思ったけど、普通に回復してます。奥さんもです。お子さんにいたっては軽い風邪程度で全くダメージがなかったそうです。

オーストラリアに住む同僚の女性も感染、ご主人も感染してたそうですが、2人とも風邪程度の症状で回復したそうです。

スペインに住む昔の知り合い男性(アメリカ人)は、症状がわりとひどくて2週間くらい苦しんだそうですが(肺炎みたいな症状で呼吸などが苦しかったそう)、今は回復しています。

いったんかかったら、免疫もつので逆に安心?!(新型インフルみたいにそのうち変異するかもですが、汗)

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ホメオパシーでいうなら、コロナで集めた症状情報によると

乾いた咳と熱が特徴のようなので Bry が有効です。

そこに呼吸器系の苦しさ(胸の苦しみ)がでたら Lyco が使えるようです。

枯れ葉の間からにょっきりでてきた芽、力強さに心を打たれます。なにが咲くかな〜。

こんなときこそ暖かく

日本のトイレットペーパー品薄騒ぎは鎮静化(?)してきてますが、

旦那さんの同僚の女性から昨日聞いたところによると、彼女が住んでるニュージーランドでも、そして別の同僚が住むシアトルでもトイレットペーパーが今まさに売り切れてるのだとか(汗)。

ウイルスが世界の遠く離れた場所でも同じように感染者を出すように、トイレットペーパーにも世界各地で皆が同じ反応するというのは、妙な親近感や一体感を感じてしまいます。

見た目や人種は違っても、私たちみんな同じ人間なんだなって…(苦笑)

デマで買い占めをする行動を批判する風潮がありますが、

1つ前の記事に書いたように、トイレットペーパーを並んで買う人達をその場で目撃した私としては、全く違うことを感じました。

私がみたとき、トイレットペーパーを並んで買っていた人達は、自分だけが得をしようみたいな顔は全然していませんでした。

むしろ、並んでるのがはずかしそうな感じで、下を向いてるひとが多かった(私も我が家のなくなりかけのトイレットペーパーを買うのがなんとなく恥ずかしかった)。

私がいたあの夕方にレジに並んでいた人々は、若いママとみえる人達が多くて、

私の前にトイレットペーパーを2つ持って並んでいた女性も赤ちゃんを前抱っこしていて、その背中を優しくぽんぽんとたたいてあげながら、この買い物がおかしいというのはわかっているんです、という感じで少し申し訳なさそうな顔をしていました。

レジでちょうど精算をしていた黒いおしゃれなメガネをかけた若い女性の買い物カゴには、購入数が制限されていない赤ちゃん用の紙おむつと生理用ナプキンが幾つも入っていました。

そのママ達の細い背中をみていたら、思わず涙がこみあげてきた私です(年とともに涙腺が弱くなってる….汗)。

必死なんだな、

大事なものを守ろうと頑張ってるんだな、

というのがひしひしと伝わってきたから。

ホームセンターに入る前にみかけた軽トラの後ろにトイレットペーパーを6つも積んでいた運転手も

見た目からして若いパパのようでした。

頭にタオルでハチマキをしていて作業着だったので、仕事帰りにヨメにトイレットペーパー買ってきて!と頼まれたのかもしれません。

みんな一生懸命に家族を守るために生きてるな、と思ったら、自然と胸があつくなります。

もしかして家族がかつての震災の経験者で、いくらニュースで大丈夫といわれても、紙類がないとすごく困るよ、と言われたのかもしれない。

もしかして、両親や親戚から離れた頼る人がいない土地で、夫婦だけ、もしくはシングルで子育てしてるのかもしれない。

人の事情というのは、全くわかりません。

だからデマで買い占めていたとしても、それだけ必死なんだな、頑張って生きてるんだな、とむしろ励ます気持ちでいてあげたいなと、あのレジに並んでるときに周りの人をみて思いました。

緊急時に自分だけ被害をうけないように、と考えるのが悪いのではなくて、
何かあっても誰にも助けてもらえないような環境にいたり、
自分で自分を守るしかないという追い詰められた社会になってることのほうを変えていくのが大事なのかもしれません。

今のような特別な事態や緊急事態に、1人1人が慎重になることはとても大事だけれど、

おかしな行動をとったとしても、間違いかもしれない判断をしてしまったとしても、
しかたないよね、一生懸命に生きてるんだもんね、と少し暖かい視線を持つことも忘れないようにしたいなと思いました。

↑ あの日ホームセンターで買った新しい爪とぎ(手前の)になかなか移行してくれず、古い爪とぎに固執するスコッチ(汗)。

コロナウイルスによって起こること

昨日近くのホームセンターに猫の爪とぎを買いに行ったら、トイレットペーパー12ロール入りを6つほどを後ろに乗せた軽トラをみかけました。

不思議な買い物だなと思いつつ、ホームセンターの中に入るとトイレットペーパーとティッシュ売り場が特設?してあり、マスク不足のXXXにより品薄のためお一人様2つまで、みたいなことが貼ってありました。

えー!うちのトイレットペーパーもうすぐなくなるのに(私はストック置かないでなくなりそうな頃に買う人)そりゃ困るわ〜と、ほぼなくなりかけてるトイレットペーパーのパックの1つを取り、猫の餌と爪とぎと一緒にとりあえず購入しました。

帰宅して調べたら、デマ?が広がって日本全国でトイレットペーパーが品薄なのだとか(汗)。

東京に住んでたときは、このような事態が一気に広がるのを身近に肌で感じてたけど、人口が少ない今の場所でこういうのをみると逆にお〜ここまで来たか!と余計にその凄さを体感します(苦笑)。

コロナウイルスで一斉学校休校という事態も起きてますが、

この動きはやはり意味があるんだな〜と思います。

コロナウイルスから起こる「病」の方だけにフォーカスしてたら、恐ろしかったりパニック 気味になると思うので、

そこはそこでマスクや人が大勢集まる場所を避ける対策をしつつも、

この大きな流れをもっと遠目にみて、これが今起きてることは、今後のよいきっかけや価値観変更になるのではとみるのがよいと思います。

なんとなく私が感じたのは、例えば小中高一斉休校やイベント中止の一報で、

えー!困る!とか

そりゃないわ〜

と自分が「嫌に思った部分」、

そこと向き合ってよい流れにしましょうね、みたいなことなのではと思いました。

例えば、

学校長期休校のニュースを聞いて、

子供いるのに仕事どーすんの!?

と思った方は、仕事のことに力が入りすぎてる(仕事もしくはお金への思いが強すぎる)のかもしれないし、

子供らが家にずっといると毎度のご飯や世話が大変だ!

と思った方は、お子さんとじっくり腰を据えて向き合ったり時間を過ごすことを苦手としてるのかもしれないし、

イベント中止が何よりも嫌だ〜!となった方は、

日常の嫌なことからイベントに目を向けることで自分の何かをごまかしているとか…..

そんなところが浮き彫りになるから、そこに気づいて、それを変えてくきっかけにしていく、

そんな感じで過ごしていれば、この騒ぎも貴重な機会ととらえることができます。

私はというと、この騒ぎの余波で自分の楽しみが奪われるのでは?!と反応したタイプです(汗)。

あ〜、これからしばらく日本全体がいろんなことの自粛ムードの中、私は何に気がつけるでしょうか(苦笑)。

↑ ウイルスのことなど関係なく、ミヌはもっふりしてます(?!)

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最後に、ホメオパシーセルフケアキットを持っていらっしゃる方は、自宅待機推進となればまさにキットは強い味方です。

簡単な使い方シェアしておきます:

周りにウイルス感染者がでてきて、感染を恐れる状態になったら:Aconite

発熱しだして骨や筋肉にインフルエンザみたいな痛みを感じたら:Gels

発熱しだして水分を欲しがる感じ、または乾燥した咳をしてる: Bry

熱があがりだしたら:Bell

咳がでて痰がからむなら:Ant-c

激しい咳がでるなら:Dros

鼻水などがでてきたら、その状態や色に合わせてレメディを選んでください。

コロナウイルスの症状だから特別なレメディをというより、

普段の風邪の対策のように、目の前で起きてる症状に合わせてレメディを選択してみてください。

もちろん重篤や緊急の症状では医療機関を受診されてくださいね。

*急性症状でレメディを処方して欲しい方は、メール相談も受けています(3.000円税込)。
 customerarnica@gmail.com までどうぞ。