身体が表わすもの

TVをあまりみないので普通の方からみたら今頃、知ったの?! と言われるかもしれませんが、メイクという部門にも自然派と呼べそうな方がいるのを最近知りました。

メイクは顔を人口的に仕上げるものですから、それが自然派というのもそもそも矛盾してますが、他のヘアメイクの方々とは言ってることが違うので面白いです。

その方は、本田ヒカルさんという男性で、ピカ子という名前でTVなどに出られてます。

見た目かなりイケメン、ゲイだそうです。

その方のメイク、面白いです。

ファンデーションは不要なところは全く塗らないで素肌のまま、とか、眉毛を左右均等に描くのは逆に不自然だから不均衡のまま仕上げるとか、まつげを上向きにするビューラーもあまり使わないみたいなメイクをされてます。

また顔の欠点であると思ってる部分を隠すメイクをすると、余計にそこがコンプレックスとわかり目立たせてしまうから、しないそうです。

逆にそういう部分を、それが個性だからいかしましょう、みたいなことを言われてます。

私が考えるに、例えば眉毛が濃いのを気にしているので、抜いたり、目立たなく仕上げると一般的な顔にはなるけど、その人らしさがなくなる。でも眉毛の濃さをいかした顔にすると、意志のはっきりした明晰な顔になって、内面と一致した美しさがにじみでる、みたいなことかと思います。

コンプレックスに感じてる部分というのは、人と違う部分、つまりその人の個性=強みとなる部分であるので、それを拒否したり隠さないで受け入れて「統合する」ということが大事なんだろうと私も思います。

なぜなら、隠そうとしてる欠点が統合されたら、全体のエネルギーの流れに ”無理がなくなる” から、本人だけでなく、みている人も一緒にいる人も心地がよくなるのだと思います。

ピカ子さんが顔を不自然に作り上げないのは自然派指向というより、それが今の流行りだから、という言い方をされていますが、この方の暮らしぶりはかなり自然派なようです。

1人暮らしされてるみたいですが、味噌や梅干しなどを自ら手作りされていて、ロケでのお弁当や外食は一切しないそうです。それは添加物などが入ってるものを食べると肌にモロに表れることを知ってるからだそうです。

身体にいいから発酵食品や安全な食品を、ではなくて、肌に悪影響がでるものを食べないを追求していくと、いわゆる自然派の方と同じ食事になってるのが面白いです。

身体が受け入れたくないものを口にしたら、身体は肌だったり消化器系に影響をだします。

持って生まれた顔のパーツがその人の個性を表してるというのも、身体が私達の内側の深いものを反映してるからでしょう。

答えは身体が知ってる、といえるかもしれません。

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↑ 隣町で生産されたハウス栽培のイチゴ。春が近づいてる1つの目安になってます。

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身体からの訴え=症状があるとき、身体は何かを私達に教えてくれています。

その何かに気づくと、とても生きやすくなります。

1人で気づくことが難しい方は、ホメオパシー療法でお手伝いができるかもしれません。

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8くらいで生きる

中学生の息子が興奮気味に、↓ こんな話をしてきました。

「XXという監督が、XXという選手に肩を強くするトレーニングをさせたんだけど

(野球の選手をよく知らないので固有名詞が思い出せません汗)、

それはもっと早い球を投げたり球種を増やすためじゃなくて、肩をもっと使わないようにするためだったんだって!」

肩を強くするトレーニングだからより強い球を投げるためにやってると想像していたけど、全くの逆で、肩を強くするのは(肩が強くなった分だけ)もっと力を抜いて投げるためだったというのが息子の意表をついたようです。

へ〜、面白いね(私の感想)

この話は、”8割くらいの力で仕事するのがベスト”と言われるのと同類項の話かなと思いました。

(その選手が投げてる今の球は、いわゆる全力投球になってるので、8くらいの力で投げれるように肩を補強しようという考え)

8くらいでやるのが丁度よいと言ってる人や本、結構あります。野球でも8割スイングとか言われるし、腹八分目に食べるのが良いとかもいいますよね。

10の力でやらない方が力が抜けてていいんだろうというのは感覚でわかりますが、でも、なんで8という数字なのかな〜と思っていたら、パレートの法則に行き着きました。

パレートの法則 Pareto principleというのは、パレートというイタリア人経済学者が唱えた法則で

「経済において、全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという理論」(Wikipediaより引用)で、

80 : 20 エイティトゥェンティ(日本語だと二ハチの法則)とも呼ばれるそうです。

もともとは、全体の2割のお金持ちが、社会全体の8割の富を握っている、という冨の不均衡に関する法則だったらしいのですが(アメリカも日本もまさにこういう感じがしますが)、この二ハチの法則は実は多くのことに当てはまるそうです。

例えば、ある会社で働く全体の2割の人だけが生産性の8割をあげてるとか(全社員であげてるわけでなく一部の有能な人だけが担ってる)、学校のクラスでいうと2割の人だけが優秀で残りの8割は真ん中or最下位グループで構成されるみたいな比率が世の中の事象に適用できるようです。

この比率、働きアリにも適用できるそうで、働きアリ全体の2割だけがせっせと働いて8割は働いてないそうです。しかし有能な2割のアリをそこから外しても、今度は残りのアリの中でやはり2割だけがせっせと働くらしいです(苦笑)。

すべてが8:2ときっちり分かれるわけでもないでしょうが、このくらいの比率でいろんな現象が起こってるようです。

なんだか普遍的な比率のようなので、これは個人の能力自体にも当てはまるのでしょう、だから「8」という数字が使われるのかもしれません。

確かに、”全力で頑張ります!”といっても、身体機能的に2割くらいは消化の方での活動もあるし、意識も2割くらいは他のことで占められたりしてるだろうから、本当の意味で10とか100でやります、というのは、無理なんでしょうね。

別の言い方をすると、人間が10割/100%で何かを行うと、筋力やら組織や精神に無理がかかって、後がつづかなかったりするのかもしれません。だから2割くらいのゆるみが必要なのが私達の心身なのかもしれないですね。

ならば、最初から100%で頑張ろうなんて思わないで、少し力を抜いた8くらいの状態を自分のベストと想定しておくのがよい気がします。

ある神経内科のお医者さんが出してる本によると、物事を100でやりきって完了してしまうと、意欲のもととなる脳内物質ドーパミンがでなくなり、やる気がなくなるので、その後は幸福感を感じなくなるそうです(読んでませんが、本の紹介に書いてありました)。

つまり、モチベーションとそれに伴う幸福感を持ち続けるには、完全に力を出しきらないで8くらいでやっていくのが良いということらしいです。

力を抜いて怠けるということでなく、ちょっとやり足りない感じを持つのが、逆に長くしかも楽しく続けられるコツみたいです。

( ↑ ちなみに8じゃなくて2だけで集中してやる方が効率がいいと唱えてる書籍も結構でてました。2でできるならいいな〜楽だ!)

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落ちて来る雪を眺める静かなミヌ。ネコは2くらいの力で生きてる気がします…
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全力投球して燃え尽きてしまった方、やる気がもう起きない状態になってる方、ホメオパシー療法でエネルギーを整えるお手伝いができるかもしれません。

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負けん気

先日、久しぶりに、ムッカムカ(怒!)しました。

最後にこのくらいムカムカしたのは、いつだっけ〜と思い返したら、Blog記事にもあげてましたけど1年以上前でした。

(誤解のないように書いておきますが、私はめったに怒らないような温厚な人間ではなく..苦笑、日常、特に家では小さいムカムカはいっぱいあります)

その久しぶりのムカムカは、少し遠くに出かけた際の広い駐車場で起きました。

用事を済ませ車にのって帰ろうとエンジンをかけると、私がでた後の駐車スペースに停めたいらしい車が来ました。

その車は、なぜか、出口へストレートに通じる道(私の車の進行方向)に停まって、私の車が出るのを待ち始めました。

は?出れないじゃん、私の車!?

もちろんなんとかしようと思ったら、私が180度逆方面に向かい大きく遠回りをすれば出口に行くこともできます。

でもその車が出口方向をふさがないで少し先に進んで半回りしてきて、私がでたスペースに停めた方が断然早いのです。

もし他にも駐車スペースを探してる車がいれば、私の車の後のスペースがとられてしまうからすぐ近くでスタンバるのも理解できます。

でも他には車はいないのです。

ん?と思いながら、私がでれば車をまわすかなと、とりあえず出口方向に向かう感じで、その車の後ろにつけました。ちょっとどいてよ、とアピールする感じを出したのですが、動こうとしません。

その時、ムッカーときましたね。

動かない車のことをあきらめて、自分の車がバックするのが腹立たしいと感じました。

それで運転席の窓をあけて、聞こえるように少し大きな声をだして、

「車出すから、いったんまわってきて停めてもらえますか?」

と言いました。

そしたら、車のドアをガチャッとあけてその車の運転手が降りてきました(大汗、うわ、怖い人だったら、どうすんだ私…)。

(でも、普通の人でした…)50〜60代の男性でしたが、

「ここは、一方通行ちゅうねんっ!」

と言って、手で後ろをさし、私に180度まわって車を出せという身振りで指示してきました。

ん?!いやいや、そこは出口へ向かう一方通行だからこそ、そっちが回ってよ、と咄嗟に思いましたけど、

あれ?!これって、私も、あちらの男性も、それぞれの考え(ここ一方通行だから、と、出口への通路はここ、という思い込み)があって、それをお互いが主張しようとしてるだけだな、と気づきました。

こういう場合は、ジャッジする人でもいない限り平行線になるのは必至なので、そのまま黙って、車の窓をしめ、車をバックして旋回させ、ぐるっと遠回りして駐車場をでました。

アクセル踏みながら、あー、むかつく〜!!と叫びましたけどね(苦笑)。

その後、帰路に車を走らせながら、うわ〜、ムッカムかする〜、と感じました。

ムカムカするとき、本当に嫌な気分になります。

でも、こういうことが起こると、こんなことで感情害してるわ〜と落ち込んだりもします。

それは、ああ、まだこんな小さなことで学んでなかったことがあるんだなという自分の未熟さを知ることでもあるからです。

このような感情を大きく動かす出来事というのは、私の思考や行動の「何か」のパターンを表していて、そのパターンがまだ解消されていないので起こるのです。

今回の私のように自分の持つパターンを知らせる出来事に遭遇したら、そのパターンが何かを突き止めて解消することが望ましいです。そうでないと、遅かれ早かれ、似たような出来事が再度起こることになります。

(なぜなら、そういうパターンを持ってる私が、そういうパターンを持つ人や出来事を引き寄せてしまうからです)

ですので、ムッカムカする感じを十分味わったら、今度は冷静になって、なにが起こったのか検証してみました。

私が少しもめるとわかっているのに、自分から折れてバックしなかったのには、次のような理由があったことがまずわかりました。

・その日は朝早くから駐車したので駐車スペースがガラ空きで、一番出口に近くてストレートに出口にいける場所を選んで駐車したのになぜ大きく迂回しなきゃならないの、と思っていたこと

・長年ペーパードライバーで運転に自信がないので、バックして(苦手です)大きく旋回するのをできたら避けたかったこと

・次の用事のために、少しでも早く出口に向かって帰りたかったこと

だから単純に自分でなく、相手の方に車を動かしてほしかったんです。

しかし、この出来事を再度思い浮かべて、私の持ってる「何」がこの出来事を起こさせたのかと考えてみたら、頭にふっと浮かんだ言葉は、

負けん気

でした。ああ、そうそう、私、こういうとき引くの難しい人だよね….(納得)。

相手の車が私の進行方向にいて全く動かない態度をとったときに、ムッカーとしたのは、負けたくないって気持ちだったんだろうと思い至りました。

負けん気、というのは、誰かと切磋琢磨するためだったり、自分が向上するためのモチベーションとしてならポジティブでいいと私は思います。

でも、今回のように自分の考えや希望を通したいだけのエゴセントリックな負けん気なら、そんなのいらないわ〜、そんな負けん気はもちたくないな〜、とはっきり自覚しました。

自分の考えを通したいときというのは、自分の正当性だけにフォーカスしてしまうものです。

そうすると相手の言い分、状況を理解しようとは思わなくて(理解すると自分の正当性が主張できないので)、つまりは相手に”思いやり”をもつことが難しくなります。

思いやりをもてなくなるとどうなる?

ずばり人間関係がギスギスするでしょうね。

はい、そうです、駐車場の私と相手の運転手の方みたいに(大汗)。

 

ということで、今後は、負けん気が起きたら、これはエゴのための負けん気がどうかを見極めようと思いました。

はあ、これで、このパターン、もう繰り返しませんように。

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薪ストーブの煙突の横に設置したキャットツリーの暖か〜い特等席。大体いつもミヌの居場所になっています。スコッチはそういうところに負けん気は全然ありません。

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怒りをもつ出来事が多かったり、そういう人に遭遇したりすることが多い方、

それはもう不要なパターンだと思います。

自分で不要なパターンを外すのが難しい方、ホメオパシー療法でお手伝いできるかもしれません。

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新年に

2018年になりました。

我が家は年末は家族で京都に小旅行をして、新年は友人家族が遊びにきてワイワイしたお正月を過ごしました。

3年前までの年末は、ドタバタながら大掃除をして小さなサイズのお節をつくり、大晦日には年越しそばの天ぷらを揚げていたので、新しい年を迎える時間にはヘトヘトになっていたのですが、そういうのは自分には無理があるなとやっと気がつき(遅い..汗)、お節作りと年越しそばで頑張るのを止めました。

今は隣町のレストランの優しいおばさま方の作る安心安全なお節を購入することにして年末とお正月は楽をさせてもらっています。

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それと新年には、毎年何か今年の目標を決めていたのですが、今年はそれもやめました。

新年だから、とやることを変えないで、続けて行く、ことにすれば良いと思ったのです。

そしたら登録してるスピリチュアル系のステップメールから、今年の目標を立てない私にうってつけのワークが送られてきたので、ここで噛み砕いてまとめて(2つのメールで構成されていたものを)紹介させていただこうと思います。

本来は人生での優先順位を決めるワークだそうですが、これを新年にやるのは面白いと思います。

「今年の目標」という限られた時間枠の目標を決めるのではなく、意識そのものを変えていく方法なので、新年でなくいつでもできるワークとも思います。

 

まずカードのような紙(ノートでなく切り離された)とペンを用意します。

カードに自分がどうなりたい&これからしたいと思ってることを書きます。

肝心なのは、現実的にこれは無理とか、あり得ないなどと考えないで、もし魔法が使えるとしたら、何をしたい、どうなりたいかを想像して書きます。

なんでもあり、としたら、どうなりたい?何をしたい?を想像します。

なんでもあり、なんで、結構ワクワクします。

私は、5つくらいでてきたのですが、そのうち2つは現実的に考えたら思いつかないこと、でも魔法が使えるなら、と、自分の思考の枠をとっぱらったら、でてきました。

この突然思い浮かんだ2つのこと、紙に書いたら、うわっ、楽しそう〜と思いました。

紙にやりたいこと、したいことを書き終えたら、その紙をよく見えるところに貼ったり、枕元に置いたりします。

紙に書いてることが目に入り、脳にいくことで、意識が変わっていくようです、なるほどです。

そして、この紙は一回書いたら、書きっぱなしで終わりではなくて、毎日書き換えるそうです。

書き換えるたびに、内容は少しづつ変わっていくらしいのですが、最後まであなたが書き続ける、やりたいこと、したいこと、

それがあなたの魂が望んでること、らしいです。

 

つまり、このワークは、自分が本当にしたいことがまだわかっていない方にも、オススメのワークとなります。

私は、2回目にカードを書いたときに、1回目に書いた5つのうちの1つがすでに消えていました。

まだやり始めて数日で、怠け者の私は毎日書き換え続けられるかわからないけど(汗)、リビングのホワイトボードに貼っているので、ついつい目がいき、自分のやりたいことを意識してしまいます。

書いた中には、こんな風になりたいんだ、と自分で苦笑しまうこともありました。

1回目に書いた紙をとっておいて、今年の終わりに書いた紙と比べるのが面白そうです。

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上記に紹介したステップメール、以前の記事で紹介したサアラさんが発信者です。
60話もあるのに無料です。ご興味のある方は是非どうぞ。

https://ameblo.jp/saarahat/entry-12237771906.html

 

 

 

 

 

良いお年を

あっという間に年の終わりですね。

30日はいつも誘ってくださるご近所さんとお餅つきをしました。

昨今は、ほとんどみかけない木の蒸篭(せいろ)で餅米を蒸します↓

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蒸し上がったもち米をまずは杵でざっとつぶしてから、もちをつきます ↓

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機械でつくのとは違って、臼でついたおもちは伸びがものすごいです↓

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白いお餅がメインですが、黒大豆をいれたお餅なども作りました(小さくみえるけど一升分あります)↓

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お餅つきの後は窓の掃除を軽ーく(?!)してから、お正月飾りの材料を山へ探しに行きました。
ミヌも一緒に山へついてきました(山の散歩久しぶりだにゃ〜)。

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山から取ってきた南天などでお正月飾りを作ります。
今年は、隣町のcafeでもらったしめ縄飾りも加えたので、いつもよりそれらしくみえます↓

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大晦日の今朝は、起きるとダンナさんがこの一年の感謝にと私に朝ご飯を作ってくれてました。

準備された平たいプレートをみると、
リンゴのスライス、その隣に3cm角に切られた絹豆腐が数個(水切りしてないっ)、豆腐の隣には目玉焼きという異色な組み合わせが並んでおりました。

さらにダンナさんは、ジュージューとなにかを焼いていたので、フライパンをのぞきこむと、そこで焼かれていたのは5cmほどの輪切りにされたバナナ達でした。

どういう発想でこの組み合わせが….(謎)

テイストが全く統一されていない朝食でしたが(汗)、ありがたく頂きました。

今年1年もいろいろなことがありましたが、無事に過ごせたことに感謝です。

どうぞ皆様も良いお年をお迎えくださいませ。

 

味方になる

先日、Aさんという方とメールをやりとりしていました。

AさんはBさんとの関係で悩みがあります。

Aさんはホメオパシー療法にかかってるわけではないので、レメディでなく言葉によるアドバイスをメールで送ったのですが、経緯をみてると、BさんがAさんを”自分の味方”だと思うことが二人の関係改善のポイントに思えたので、そのことを書いてみました。

普通に第3者からみれば、BさんとAさんは明らかに味方同士の関係なのですが、BさんはAさんを味方とは思っておらず、むしろ敵対してると思い込んでいるのです。いわゆる一種の妄想なんですが、そのように思い込んでいることで、Aさんとの関係がよくないのでした。

Aさんにメッセージを書きながら、誰かにとって自分がその人の味方と思ってもらえるようになるには、具体的にどうしたらいいのだろう?! と思いました。

自分が誰かの味方になるのは簡単だと思いますが、相手から自分を味方と認識してもらうには?!

ビジネスなら利益を基準にすればよいので簡単かもしれません。

相手の利益を損なわない関係でいること、

相手の利益に貢献できる、もしくは共同で利益を追求できる関係であれば、

味方として位置づけられるでしょう。

利益の絡まない人間関係だと、どうしたら、味方と認識してくれるのでしょう….

私は、私の味方だと思ってる人を思い浮かべてみました。

そしたら一番に浮かぶだろうダンナさんや子供のことは思い浮かばずに(ごめん)、何十年も前になくなった母方のおばあちゃんの顔がすぐに浮かびました。

そのおばあちゃんは、昔のおばあちゃんらしく腰が曲がっていてとても小さな人でしたが、綺麗な顔をしていてとても優しいおばあちゃんで一人暮らししてました(おじいちゃんは私が生まれる前に亡くなってる)。

小学生の夏休みによくおばあちゃんの家に遊びに行っていたので、そのときの記憶しかありませんが、なんでも、ハイハイと聞いてくれる人でした。

ある夏休みの滞在中に、私の洗濯物のことで(おばあちゃんがしてくれてた)、おばあちゃんともめたんですが、そこで、もうっ!と思いきり怒った私に、

はい、はい、悪いのは私ですね、私が悪うございましたね

とおばあちゃんが優しそうな顔で言ったのです。

私は子供ながらに十分わかってました、私が悪かったんです。

けれど認められなくて口をとがらせて怒ってたのを、おばあちゃんが自分が悪いとひきとって、コトを収めてくれたんです。

そんなことうちの母はしてくれたことがなかったので、びっくりしましたし、謝れない自分が恥ずかしいなとも思いました。

でも思い返すと、私がそのとき一番強く感じた感情は、

嬉しい

だったと思います。

何をいっても許してくれて、受け入れてくれる人がいるってことが、ものすごく嬉しかったのだと思います。

味方というエピソードでおばあちゃんを思い出したということは、おばあちゃんは私の味方だ!と感じていたということなんでしょうね。

そして、思いました。

誰かを自分の味方だと思うには、

なにを言っても、そうだね、といつも肯定してくれる人であること、

なんだろうなと。

肯定しつづける、というのは、応援しつづけるってことですよね。

好きなスポーツの選手がいたら、プレー中にミスしたって、応援しますよね。

そこで否定したり、罵ったりしないで、また好プレーをするように応援する。

それが味方ってことなんでしょうね。

と、いうことで、Aさんへのメッセージに、私の考える”味方になるには”というアイデアも添えておきました。

今回、Aさんへのメッセージを書いたことで、

私もこれから、周りの人の味方になって、どんどん応援しよう、と思いました。

私のおばあちゃんが私にそうしてくれたように(感謝&涙)。

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GUI:ギ という名前の植物↑  宿り木です。
木の枝などに鳥の巣みたいにからまって寄生してます。フランスではクリスマスに、このギを林や森から取ってきて、ランプのまわりなどに飾ります。
宗教的な意味もあるらしく縁起もいいそうですが、見た目が綺麗で白い実が天然のランプみたいにみえます。義理の母のいない初めてのクリスマス、彼女が毎年飾ってたGUIは今年はみられないのかな…。

 

教師か反面教師か

10年ほど前に読んだ河合隼雄さんの本の中に、

「(子供が)親よりちょっとだけ変われるというのは、ものすごい難しいんです」

とありました。

これはとても面白い事実だと思うので、親と子の話題がでたときに私はこの文章をよく引き合いに出します。

上記の文章が指してる例をあげると

一夜にしてお金持ちになることを夢見てるようなお父さんがいる家では、必ず息子が「お父さん、そんなバカな夢ばかり見てないでコツコツ働かんと」(文章抜粋)と言うみたいなことです。

ものすごい数のカウンセリングをされた河合隼雄さんからみても、子供は親に似たような人になるか、全く正反対のような人になるかで、親とちょっとだけ違う人にはなかなかならないようです。

こういう例は実際よくみかけます。

おっちょこちょいの母親になぜかしっかりものの娘さんがいるとか、すごく優しいお母さんの娘さんはまったく同じように優しい娘さんで格好もよく似てるとか。

父親/母親のことをひどく嫌っていて、ああはなりたくないと言いながら、客観的にみると全く同じような生き方をしてる人もいます。

この現象は、その子が親を教師としたのか、それとも親を反面教師にして人生を学んでいったのかの違いと思います。

ちなみに私の場合は、私の親は完全なる反面教師です(汗)。

ところで、親という存在&親の人生が子供の人生に反映される現象ですが、これは子供が連れてくる恋愛/結婚相手にもつながるはずです。

河合さんの同じ本の、でも別の箇所からの抜粋ですが、

「(子供が)どんな相手を選ぶかというのは、親がそれまでやってきたことが全部入った”総決算”としてでてきている」のだそうです。

つまり、自分の息子が連れてきた相手が、母親に似ているタイプなら、その子は口には出さなくても良い母親だったと思ってくれてるし、娘が連れてきた相手が父親に似てるタイプなら、その子は良い父親だったと思ってくれてたということになります。

似てるなら、自分たちがみせてきた母親像や父親像が子供から評価されていたと言えるし、正反対のタイプを連れてきたら、違う母親父親像をその子は欲していたといえます。

ちなみに、私のダンナさんは、私の父親と正反対のタイプ(汗)、あんな父親はいやだって思っていたという表れですね(大汗)。

そして私は、義理の母とは趣味や好みは違いますが、似てるタイプと思います。

だから私のダンナさんは自分の母親が良かったと思ってたということだと思います→ 本人に確認しましたが事実でした。

ということで、「親」として子供からどう評価されていたかは、結婚相手を連れてきたときに、はっきりとわかるということです(怖)。

そして、もし子供が結婚しない道を選んだら、結婚自体を良いものとしてみせられなかったとも言えますね(怖)。

注)もちろん、親とちょっとだけちがった人生を歩めてる人は少ないけどいると思うので、上記の話は、全ての人に合致するわけではありません。

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クリスマスがあっという間に近づいてきました、その前に今年、私は大掃除ができるのだろうか…(謎)。

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上記の河合隼雄さんの本は、

「こころの子育て」誕生から思春期までの48章 朝日文庫

Q&A方式で簡単に答えられないような問題にも、暖かく、しかし真実からそれない回答をしてくれてます。全世代の子育て中の方にオススメの本です。

 

 

 

そういうものにわたしはなりたい

「雨ニモ負ケズ」に描かれてる宮沢賢治がなりたい「そういうもの」は、現実に存在した人だそうですね。

私も、好きな外見の女性や、生き方がカッコいいと思う人、雰囲気に憧れる人などをあげることができますが、でも、ソウイウモノニワタシハナリタイ、というフレーズを聞くと、私には具体的に頭に浮かぶ人がいます。

その人は、以前、東京で中古の住宅を購入したときにリフォームをお願いした地元の小さなリフォーム会社の営業の男性です。

その方、Hさんと書きますが、当時20代半ばor後半くらいの若者で、中肉中背、笑顔になるとちょっと照れるような表情をする人でした。

Hさんの良さを文章で形容するのは難しいのですが、話す言葉の1つ1つに無理のない人で、彼といると私も地に足がしっかりとつく感じがする人でした。

彼は営業という職種でしたが、話してることに誇張もお仕着せも媚びも感じなくて、営業の人対お客さんとして接してるというより、して欲しい仕事をそれができる人にただ頼んでるというフラットな感じで、ビジネスを通してのつながりなのに自然体でいさせてくれる楽な人でした。

家のリフォームでは外壁を全部塗り替えたのですが、裏に住む家の人から、外壁の塗料の臭いで具合が悪いとクレームが入り、Hさんと一緒にそのお宅に謝罪に行ったことがありました。

そのときのHさんの態度で、私のHさん評価はさらに上がりました。

うるさい人がいるよね、でもなく、とりあえず謝っておけばという態度でもなく、具合が悪くなってることに謝罪をして会社からの菓子折りも渡しましたが、塗料のデータから臭いの基準はクリアしてることなども話し自分の会社の業務は守りつつ、クレーム主と真摯にでも対等な感じで話をしていたのです。

相手を高くあげるのでもなく、自分の側を低くすることもなく、しかも態度は冷たくないし、くだけすぎてもないのです。その絶妙なバランスを横でみてて私は唸りました。

彼の取る態度や言動は、経験で培ったものでも、頭で考えて作ったものでもなくて、そういう風に生まれてそういう風に育ったと感じさせるものだったので、余計に感動したのです。

裏の家のクレーム主さんは、それきり何もいわなかったどころか、後になってあの時は神経質になりすぎてごめんなさいね、と声をかけてくれましたし、その後、道であっても普通に立ち止まって話ができる間柄になりました。

Hさんがそのような関係性の布石を置いてくれたのだと思います。

彼のように自然体でバランスがとれてて、ブレナイ人に私は会ったことがありません。

私はもう何十年も生きていますが(汗)、あの人いい人だね、と言われる人でも、すごく優しい人であっても、偉い人でもどこかの社長さんで成功してる人であっても、ホメオパシーの先生であっても、不思議なものがみえるヒーラーさんであっても、彼のようにあるがままで存在して日常生活を送れてる人に出会ったことはありません。

別の言葉でいうならば、彼は、恐らく自分と100%つながった人なのだろうと思います。

自分の存在から、浮き上がったり、沈んだり、大げさになったり、小さくなったりしてない人、それがHさんだと思います。

ということで、Hさんのように自分の内側の存在といつもつながった人、そういうものにわたしはなりたい、です。

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この記事を書くので、Hさんの会社のHPを検索してみにいったら、Hさん、いつのまにか所長さんになってました。あの人なら、そうなるわ〜。

 

 

お湯で洗えます

ダンナさんが時々、皿洗いをしてくれますが、
彼はびっくりするくらい台所洗剤を使います(汗)。

ポンプ式の容器に台所洗剤を入れてるのですが、シュコシュコシュコ、シュコシュコ…..って、どんだけ洗剤つかうねんっ!と関西弁でツッコミたくなるくらい、スポンジに洗剤をのせ、泡をたっぷりつくってから洗おうとしてます(自然派のあまり泡の立たない洗剤を使ってるのに、そこを理解してない…)。

これは、義理の母がそういう洗剤を使ってお皿洗いをしていたので、そこから学んだのだと思います(あちらは基本的に食洗機ではありますが)。

私はここ数年、台所洗剤をあまり使いません。ほぼ、お湯で洗います。

以前にレイチェル・カーソンの本かなにかで、環境問題を話してる海外の女性達が、なぜ油脂を落とすのに洗剤を大量に使う必要があるの?お湯で落ちるのに、と話してる記述があってそれが頭に残っているからです。

実際、お皿など陶器の食べ物の汚れは、お湯で洗うだけで全ておちます。

鍋類は、カレーを作った鍋などはスクレーバーで最後までこそげ落として食べ尽くしますし、揚げものをしたフライパンなどは、着古した洋服(コットン)をぞうきんくらいの大きさに裁断したものを置いてるので、それであらかじめ油分吸い取って汚れのない状態で洗うので、お湯でキレイに洗えるのです。

ですので陶器とお鍋の金属類だけだと、お湯で油脂が落ちないものは、ありません。

別の見方をすると、お湯だけで汚れがとれないものをもし身体に入れてる、としたら、胃は消化することはとても難しいでしょう。つまり、お湯で油脂を落としきれない食べ物は、ないのではないでしょうか。

しかし、私も台所洗剤は置いてます。それは水筒の蓋やタッパなどのプラスチック類やシリコン製品は、お湯だけでは油類が落ちないからです。

だから、台所洗剤は、プラスチック製品のために作り出されたのでは、と思ったりします(違うだろうけど)。

まな板など木がむき出しのもの、ふきんなど布類は、食べ物が線維に染み込むので除菌?殺菌が必要で洗剤もいるのだろうと思いますが(酸素系漂白剤で済むとも思いますが)、陶器類は本当にそんなに洗剤を使って洗う必要があるのでしょうか。

環境のためにも、お財布のためにも(洗剤がほぼ不要ならすごい節約です)、考えてみるのもいいかもしれません。

環境というと、自分から遠い森や川や海や野生動物達のことと認識してる方もいるみたいですが、人間もまわりまわって環境破壊の代価を「身体」の様々な症状で支払っている生き物であると私は思っています。

↑ これらのことをダンナさんに話すと、本当にそうだ、と納得するのですが、ふとみると、またスポンジにシュコシュコと洗剤をのせてました(前より少ないけど)。

刷り込まれた動作を変えるのは難しいものです(大汗)。

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↑ 家から車で5分くらいのところにあるとても水の綺麗な場所。
先日の台風で折れた木が落ちてますが、ここの水は夏でも冷たすぎて足をいれるのに躊躇するので、水の中に木が落ちてても簡単に除去ができません。
空気がいいからか、マイナスイオンがあるからなのか、ここはいるだけで、心が澄んで行く場所、大事にしたいです。

 

 

 

毛玉を取る

冬が近づいてきましたね。

これ、田舎で暮らす=車生活アルアルなんだろうと思うのですが、私、冬でもよほど寒くなければコート類をあまり着ません。

家からでると車、そして車から降りると、人の家や店、商業施設に入るので、コートを着る必要があまりないのです。

そういう生活だと、アウターの下に着るセーターだったり、ロングカーディガンなどが、アウターのような役目をしてくれます。

セーターやカーディガンがアウターになると、なにが起こるか ?!

毛玉が多くなります    (どうでもいいネタですみません…汗)。

コートやジャケットで守られてないので、外側で摩擦をうけることが多いということなんだと思うのですが、車生活になってセーターやカーディガンの毛玉に悩まされるということが増えました。(ほんと、しょーもないネタで…)

そんな私が重宝してる非常に簡単にしかもキレイに毛玉が取れるグッズを紹介したいと思います。(私が発見したわけではなくネットで検索して知ったんですがね…大汗)

そのグッズとは、鍋の焦げ付きをとってくれるあのガサガサの緑のスポンジです。

あれで毛玉のついた服をなでると、めちゃくちゃキレイに毛玉がとれます。

Beofre(毛玉を写すの難しくてよくみえませんが)↓

before

 

After ↓ 毛玉、ぼなくなりました。

after

写真ではよくわかりにくいんですが、1着のカーディガンからとれた毛玉の塊がコレ ↓

(なぜか猫の毛まで混ざってます…)

IMG_20171109_102937

 

この方法だと、なでるだけで広い範囲の毛玉処理ができるし、毛玉を切ったりする方法でないので間違って違う部分をカットなんてこともなく、毛玉とくっついてる部分をひっぱってセーターがのびたりもなくて、かなり楽チンです。

気に入ったセーターやカーディガンの手玉がとれて元のように蘇るのは、なかなか気持ちがいいです。

顔のピーリングやる人もこれと同じ気持ちなんでしょうね(苦笑)。