SHOHEI OHTANI 効果

2,3ヶ月前のことですが、高校生の息子が、模試だか何かの試験(記憶曖昧、笑)で、

「英語のリスニングテストが校内順位で2位だったよ〜」とご機嫌で教えてくれたことがありました。

彼の父(私の夫)は外国人なので、そりゃそうでしょ、と当然に思う人もいるかもしれませんが、

彼の父はフランス人なので英語を話すわけではなく(仕事は英語でしてますが)、

家庭内で英語を話すことなど全くありませんから、私には非常に意外な結果で、

ええ! そりゃすごいね!!と単に驚いたのでした。

そもそも、息子がリスニングの勉強などしてるところなど1度もみたこともないので、

「一体、どうやって、リスニング能力つけたの?」と質問してみたところ、

あのね、と少し笑いながら教えてくれました。

大谷翔平選手がメジャーで活躍するようになってから、しょっちゅう現地の人がつくった英語版「SHOHEI OHTANI 切り抜きYoutube」をみてるそうなんです。

そうすると、自然とネイティブアメリカンイングリッシュを毎日聴くことになるわけで、

いつのまにかリスニング能力が身についてきたそうです、苦笑。

(もちろん全部聞き取れるわけではなく、リスニングテスト用の典型的な文章みたいなのが聴けるくらいにはなったってことなんでしょう)

SHOHEI OHTANI 効果は、野球だけの世界に限らなかった!!

この彼の秘訣を聞いてから、どれどれ、と私もOHTANI選手の活躍をYoutubeでのぞいてみるようになったのですが、

あるとき、いつのまにか彼の活躍してるYoutubeを楽しみにみてる自分がいるということに気がつきました。

私はテニスが趣味なので、スポーツの試合をみるとしたら、ほぼテニスしかみません。

ですから、野球自体に興味はないのです…..が、OHTANI選手の活躍Youtubeはなぜかその後も自分でみにいってました……なぜ?!と思って分析してみたら、

映像内で聞こえてくるアメリカ人のほめ称え方が私のツボなんだということがわかりました。

アメリカ人のアナウンサーや解説者やYoutuber が、

OHTANI選手を形容する言葉の使い方や態度に触れてるのが、

私を心地よくするので、またみにいこうとなるのでした。

日本でももちろん大谷選手をほめ称えてる映像やニュースはたくさんあるのですが、

日本で褒めてる姿勢をみてると、

解説者が上から褒めるか(まるで親が子供を褒めるような、テクニックを抜き出してそこを褒める)、

突然、「神」のようにあがめて、自分たちとは別格とするような扱い方が多いように

私には思えるのですが、そういうのはあまり心地よく感じないのでした。

アメリカ人たちがつくってるYoutubeをみると、

ほめるボキャブラリーがとにかく多彩で、そのせいか褒め称え方に個性が感じられて、

そこに心が伴ってるのも伝わってきます。

しかも褒め称えるときの立ち位置は、

相手を下におくのでも、上におくのでもなくて、

同列で同等に感じるのです。

ほめる相手に対して、斜(しゃ)に構えていなくて、ハートがオープンな褒めたたえ方だなと思います。

例えばある動画では、

野球の有名なOBの解説者の方が(60か70くらいの人、私には全く誰かわからない笑)、スタジオに来てくれたOHTANI選手に、

「I love you, I really love you!」なんて言葉をかけていて、

きゅーんとしました。ご自身もキャリアを築いてきて有名でプライドもあるだろう男性が、

20代で日本からきて活躍したての選手に、

君はこれがうまいね、とか上から言うんじゃなくて、

I love you なんてストレートに言えちゃうところ♡

OHTANI選手について話す他球団選手のインタビューをみても、

「OHTANIと同じ時期に野球というスポーツができてることが本当にラッキーで、誇りです」

みたいな言葉でほめたたえていて、

ただテクニックや結果をすごいと言ってるんじゃなくて、

ほめる相手と自分とのつながりに感謝してる目線を持ってるところが、

素敵だな〜と思いましたし、それをインタビューでさらっと答えることができるその人(有名な選手のようでした)、

そしてその人の思考を培ったアメリカもまたスケール的にすごいなと思いました。

他の有名そうな野球解説者(この人も誰だか全くわからない、笑)のYoutubeでは、

OHTANIが40号ホームランを打ったときの自分や球場にいる人の気持ちを代弁していたのですが、

「こんな現象をみるのは初めてだ、

皆がOHTANIを応援していて、それは球場にいるときだけでなく、

OHTANIが道を歩いてるときにも皆が彼を応援してるんだ、

自分たちのひいきにしてる球団を超えて、皆がOHTANIがうまくプレイしてほしいと応援してる、

この状態は(皆がすごい試合をみて、皆がなにかを一緒に応援してる状態)、

It’s really cool !! 」と表現してました。

こんな表現をできるひとたち、つまりはそういう精神を持ってる懐(ふところ)の広いアメリカ、

OHTANI選手のおかげで、アメリカの素晴らしさを再発見した私です。

そして、このような映像を多くの人がみてることで(どれも再生回数がすごいので)、

このような人の称え方、人と人とのつながりを称える精神は世界に伝播していくだろうなと思って、毎回暖かい気持ちにもなるのでした。

SHOHEI OHTANI効果、絶大です!

*過去にも大谷選手のことを記事にしてたの思い出しました。
大谷選手に関するのは最初のパラグラフだけですが、ご興味があれば、どうぞ → 目標実現ツール

大谷選手は、Angelsエンジェルス に所属する「天使」ですな笑。

楽しむことでは….

私が人生で最も大切にしていることは、

楽しんで生きる

でした。

でも、それが大きく覆されそうになっているこの頃です苦笑。

少し前のことですが、読んでいた漫画の中に、

なにをしても痩せなかったのに『月曜断食』(関口智さん著)を実践したら

本当に痩せたというエピソードが載っていました。

断食は、少し前からファスティングという言葉で一般化&普及していて、

普及とともに、もともとの水分のみを取る断食から変化して、

XX時間ファスティングとか、1日1食ダイエット(2食をファスティング)などとやり方も様々になっているようです。

ちなみに、私も去年1泊2日の泊まりがけでファスティングを体験してみたのですが、そのときは食べないと1日の楽しみってこんなに減るんだ〜という感想を持ちました(体重はその間は減ったけど、すぐに戻った)。

今回、「月曜断食」という言葉を聞いて、なんだか妙に惹かれたので、

ダンナさんも誘って早速はじめてみました(自分はご飯を食べないのに彼の分をつくりたくないので笑)。

我が家はいろんな事情で月曜の断食は都合が悪いので、ファスティングを「土曜」に設定しました。

今の時点で、4回やってみましたが、完全に水だけではなくて、野菜ジュースの代わりに夏野菜のトマトやきゅうり、スイカをほんの少し食べるという夏バテ防止策を入れた我が家風のやり方にしています。

ファスティング自体は、思ったよりつらくないです。

食べたくてたまらないという気持ちも思ったほど起きません(夏野菜やシソジュースを飲んでるからかも汗)。そして夜に長く起きてるとなにかつまみたくなるから、さっさと寝たりします笑。

体重は今のところ、あまり減っていません汗。

大きな変化を感じるのは、意外にも「意識」です。

まず、食べない日に、少しだけいただく夏野菜を心底ありがたいと感じて、

ほんの数口のものに全神経&感覚を注いで味わえるし、

それが体に起こしてる作用にもはっきりと気がつきます(食べるもので体を動かしてくれてるんだな〜と)。

それは、旦那さんも同じ感想です。

しかし週1ファスティングをやったことで得た私の一番の気づきは、

食べることは、楽しむことではなかったんだ

ということでした。

食べるということは、動物を筆頭に、卵にしろ、野菜/植物にしろ、木の実や種にしろ、

他の生命をいただいて、私の生命をつながせてもらっていることなんだと深いところから理解したのでした。

他の生き物からの生命が自分を生かしてるのに、食べることを「楽しもう」なんてどうしてこれまで思えていたんだろう!?と、そこに気がついて愕然としました。

他の生命をいただくことは(はっきりいうと殺してるわけで)、

楽しいことや喜ぶことではなくて、

それをいただけてることを、ただ感謝するしかないことだとわかったのです。

昔の日本で、いただきますと手を合わせ、黙って静かに食べて、ごちそうさまと締めくくることとか、

キリスト教などで、食事の前にお祈りをして、食事を静かにいただき、食後も祈りを捧げることは、

そのためだったんだ!とやっと理解したのでした(何十年も生きてきて、いま、その地点汗)。

私が小さい頃の実家の食卓で、黙々と食べて、あっという間に食事が終わる、それがいやで、

なんでもっと楽しく生きないの?!と思ってた私、

そして海外にでたときに食事を長時間かけて楽しむ彼らをみて、これが生きるってことだよね、と思った私。

それが、今、ひっくり返って、皆で会話することは楽しむけど、

他の命をいただいてるのは楽しむことではなかったんだなと、やっと区別がついた感じです。

これに気付いてからでも、食事を美味しくいただいていますが(ファスティング してない日)、

以前とは違う心持ちになってます(この心持ちを宗教の言葉でいうと、祝福とか感謝っていうのかもしれません)。

同時に、これまで大好きだったお酒を飲むことにも欲がなくなってきていて、夏というのにビールを1缶飲むのがせいいっぱいになってきてます(→ それでも飲んでるヤツ汗)。

雑音が多いと、大事な聞きたい声が聞きとれないように、

食べ物にしても物にしても、多すぎるときにはよく見えないものが、

少なくすることでみえてくるんですね。

そしてこれまで成果なしの万年ダイエットしてきてるダンナさんですが、

この週1ファスティング が彼にも大きな変化を起こすような気がしています……

我が家の夏の清涼飲料水シソジュース、私は青しそで作るほうがさっぱりしてて好きです。
煮出したあと、大きめの茶こしでぎゅっとしぼります。         
写真は青しそに数枚の赤シソの葉をまぜてつくったもの、ピンクレモネードみたいな色になります。
シソが育ってくれて、それを摘ませてもらってこのジュースが作られ、
それを夏の暑さ対策に私の体にいただけることもありがたい….        
      

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あなたのエネルギーの在り方を調整するエネルギー療法をやっています。

使うのは、レメディやエッセンスという物質です。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

光を湛(たた)える

今日は大雨により警報がでています。雨のせいか、ふと、ネタが降りてきたので笑、blog記事を書くことにしました。

私は、一時期、あるアメリカ人女性(ヒーラー、アセンションリーダー)が発信するInstaやYoutubeメッセージを頻繁に聞きにいっていたことがありました。

その女性のメッセージは、とても慈愛に満ちているけど、フラットで、情報もわかりやすく(ガイドからのチャネリングで教えてくれていた)多くのことを学ばせてもらいました。

彼女があるとき、自分のお母さんの話をしていたのですが、

彼女が精神世界の仕事をするようになったのは、小さい頃からのお母さんからの影響だそうですが(お母さんもサイキック能力があった)、

娘である彼女からみても、お母さんは今まで出会った人のなかでもずばぬけて賢く慈愛に満ちていて、さらには「全てがわかっている人だ」とも表現していました。

いわゆる覚醒してる人なんだろうなだと、その言い方から私は推測したのですが、

そのお母さんは、今、人生で何をしてるかというと、ヒーラーでもメッセンジャーでも書籍の執筆やセミナーなどをしてるわけでもなく、

アメリカの大型スーパーで、いち従業員として働いているとのことでした。

雑多なスーパーで買い物客や他の従業員と普通に混じって仕事をし、

全てをわかりつつ、

彼女のいるその場所に静かに光を輝かせながら、毎日を過ごしているのだそうです。

それがお母さんが選んだ生き方なのだそうです。

彼女のお母さんの生き方は、私の心に深く響きましたが、それで過去のある出来事を思い出しました。

今から十数年前、私は、緑が多くて、大小幾つか池のある公園の近くに住んでいました(東京の西部)。

ある日、玄関の外にでたら、雨が降ってましたが、門の手前のコンクリート部分に、ヒキガエルがちょこん、といました(ウシガエルだったかも?とにかく大きかった)。

私が近づいても、飛んだり逃げたりしなくて、どうやら弱っているようにみえました。

死んでいく前なのかも、と思わせました。

何かの理由で公園と方向を間違えて、我が家の方にまでやってきたのかもしれないと思いました。

でも自力で動いて公園の方に戻ることはできなさそうな感じだったのと、コンクリートの上で死ぬのは嫌だろうなという気持ちがでてきて(そこで死んでもらうのも困るし汗)、

家に戻って、ビニール手袋をしてレインコートを着て、そのカエルを公園に連れて行こうと思いました。

手袋ごしとはいえ、正直、触るの怖かったのですが、大丈夫だからね〜みたいに声をかけながら、

そのカエルを両手でそっと包みこんで、持ち上げました。

カエルは、全く動かず、されるがままでいてくれました。

おびえたり、恐怖も感じてない、それどころか静寂さを感じました。

とてもとても静かで、本当に静かで、その静かさがあまりにも尊くて、なぜか両手に持ったまま涙がでてきました。

私を信頼してくれてると思ったのもありますし、

両手にずっしりと重さのあるそのカエルの命がとても気高いものに感じられました。

カエルを両手のひらから、、万が一飛び出さない様にスーパーの袋にそっといれて、自転車のかごにのせて、ゆっくりと漕ぎながら、公園に着きました。

公園について、柵で囲われた湧水のある小さな池で、人が入ってこなさそうな茂みに、両手でそっとカエルをおろしました。

カエルは、目を一度まばたきさせながらも、変わらずとてもとても静かでした。

帰り道、その静かな尊い命を思い出すと、涙が流れてきて止まりませんでした。

あのカエルのこと、時々ふっと思い出すのですが、なぜ自分に涙がでてくるのかわかりませんでした。

でも、冒頭のヒーラーのお母さんが、スーパーで静かに自分の光をたたえて、まわりにその光をあてながら暮らしてるのを聞いたときに、あのカエルも、それだったんだなとわかりました。

だから、あんなに尊く感じたし、あんなに私の心に響いたんだなと思いました。

昨今、精神世界の話がわりと普及していて、魂の目的という言葉がつかわれますが、

魂の目的というのは、そんな感じで、この世で光を湛(たた)えながら暮らすということなんだろうと私は思っています。

社会で、成功したり失敗したり、なにかを成し遂げたり、何も成し遂げなくても、

つまり、この世の社会で、物質的な次元で何をするかは、魂には全然関係がなくて、

魂の目的は、ただそれぞれの魂の光をこの世で輝かせることなんだろうと私は理解しています。

そして、光を湛える状態というのは、「静寂」なんだろうとも思っています。

雨の季節になると、あの大きな、でもとてもとても静かだったカエルを思い出します。

我が家の裏庭では、この季節は、私のメダカ鉢を水場として集まってくるトノサマガエルやウシガエルたちがよく鳴いてます汗。

↑ 先日、光をたたえる存在が裏山に出現か!?と思ったら、裏山に隠れている夕陽が木々の隙間から光っていただけでした苦笑。

愛って?

先日行った腸内細菌レメディプログラムのシェア会で、

ある参加者の方が「最近、愛とは?、愛するとは何だろう?」と考え出したんです、というようなことを話してくださいました。

ちょうど、第三チャクラから、次の第4チャクラに行く段階で、ハートチャクラに関連する思いが上がってきたので、エネルギーがちゃんと順番に満たされてきてるのが素晴らしいなと思いました。

日常の生活の中で、お友達や家族で「愛とは」みたいな話題を出すのは気恥ずかしいだろうと思いますが、シェア会でしたので他の皆さんにも、どういう定義をお持ちかなど聞いてみましたが、

それぞれの方がおっしゃることにすでに愛を感じるというか、愛というのはそれについて考えるだけで、

すでに「愛の感覚」がくるんだなと思ったりして、心和(なご)む時間になりました。

そのシェア会では、私自身が思ってる愛とは何か?を話していなかったので、

今朝、記事にしてみようと思いました(記事ネタみつかってラッキー笑)。

私が、現時点で思う「愛」というのは、

わたしたちは、実は1つのおんなじもの 

なんだと思い出すことが「愛」なんだろうなと思ってます。

その定義でいうと「愛する」というのは、

1つのおんなじものに近づくために行うことが、愛する、ことだと思ってます。

具体的に言うと、

この人、ひどーい、なんでこんなことするの?私ならこんなことしないのに!みたいなときに →

この人はひどい人で「私とは」違う! と考えていたことを、

ひどいと思ってたけどXXXがXXXだから、この人はそうしてたんだと、その人を理解したり、

そうせざるをえなかったその人の状況や性格やまたは過去まで考えることで、

そうしてしまうよね、と共感してあげたり、

またはなんでそれをしたのかは全然自分はわからないけど、ま、しょうがないかとただゆるしてあげたりして、

ひどい人 VS その人とは違う私 

とつくりあげていた両者の垣根を低くしたり&とっぱらったりして、

いや〜どっちも同じヒトでした笑、

みたいなところに持っていくのを、「愛する」だと思っています。

ちなみに、彼氏のことが大好きとか、旦那さんが好きとか、

あの俳優さんの大ファンだとか、

母のことを尊敬してます、XXちゃんという友達が好き、みたいなのは、

すでにその存在を受け入れていて、別存在とみてる垣根がないわけなので、

すでにそれは「愛している」と言えると思っています。

それでいうと、私は我が家のニャンコたちをすごく愛してる!笑。

別の言葉でいうと、

自分と何かの間に垣根をつくって、別存在にしたてあげてる、

その垣根や区別をなくしていくことが愛するということなんだろうなと、私は思ってます。

もちろん、そういう「愛する」という定義をもちながらも、

日常暮らしてると、私たちが1つのおんなじものだとすぐ忘れるんですよね笑。

私でいうならば、旦那さんが使ったものをしまわないで、次から次へと散らかしていく。

オーイこれ片付けてっ!!と突っ込んでちょっとした喧嘩になるとき、

片付ける私 VS  散らかす旦那さん というハードな垣根をすぐにこしらえています汗。

もめてからやっと、あら、また私はお互いを別のものだと分けてたわ、と気がついて、

よーく状況を点検してみたら、私がいつも座ってるリビングのテーブルの上にも私が読みかけの本を数冊出しっぱなし、ペンもメモ書きもいくつか散らばってる汗。

あちゃ、ひとのことは言えない、私もすぐに片付けないところがあって、すぐに片付けるのめんどくさいな〜と過ごしてるから、

そのイヤな部分を目の前で拡大表現してくれてる、すぐには片付けないし延々とほおっておくダンナさんのことみて、イライラしてたんだな〜と理解して、

そしてしょうがないな〜と、旦那さんと自分のだらしなさを受け入れて、同じだわ、私たち と

ほっこりする(しないですぐに片付けたいところだが汗)。

こうやって日常「愛する」を連続実践しているところです笑。

究極をいえば、愛するって、「認める」ってことでもあるんだろうなと、今朝インスピレーションがきました。

ヒトでも、動物でも、虫でも花でも、ゴミでもお金でも、現象でも、ただ在るなと認める、

そこにジャッジがなくて(ジャッジが自分と他者を分けるので)ただ在るなと認める、それが

愛するということでもあるよな、と思ったりしました。

おそらくですが、覚醒したりしたら、

なんでもかんでも全ての存在するものが、「愛」だったんだとわかるのだろうなと思っています。

それこそ、邪悪な心から犯罪から、優しさから奉仕まで、全てのものが「愛」だったと知るんだろうな、そんな予測をしますが(何かを良い、悪いと決めて分けてるのは自分なので)、

今の時点ではそれは頭でしかわかっておりません笑。

日本では「愛」という言葉はあまり馴染みがないかもですが、

自分が定義する「愛」ってなんだろうと考えてみるの、意外と面白いかもしれません。

↑ 私が夕方、裏庭に座ると、猫たちもそこにやってきて一緒にくつろぐ。
夕方に一体感を感じる=愛し合うわたしたちです笑。

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どうしても憎んでしまう人がいて、その人と自分の間の垣根が高すぎる場合、

それはあなたが悪いのではなくて、あなたのエネルギーがなにかの原因でブロックされてるからです。

そのブロックをこわして(まさにあなたとその人の間にブロック塀みたいなものができてる苦笑)、

垣根を低くしてみませんか。

風通しがよくなって、愛を感じることができるかも。

カウンセリングやエネルギーを変える物質をつかって、そのブロック塀くずしのお手伝いができるかもしれません。

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こどもの吃音

1つ前の記事に続いて、時々ご相談を受けるお子さんの吃音(いわゆる、どもり)について書いてみようと思います。

まずは、吃音という症状を起こしてる感情/メンタルが何かについてですが、

ルイーズ・ヘイによると:

・不安

・自己表現にかける

・泣き叫ぶと怒られた

などから起こるそうです。

リズ・ブルボーによると:

幼いときに、恐れのために、自分はこうしたいとはっきり主張できなかった人がなりやすい

とのことです。

確かに、吃音は、大人になってから発症してるひとはあまり聞いたことがなくて、

主に幼児期に発症がみられます。

軽い場合は、その後成長とともにみられなくなっていくことが多いようですが、

完全にはなくならずストレスがかかったときだけ症状がでたり、

重度の場合は大人になっても吃音が続くというのがみられます。

まあ、つまりは、幼少期にその人が体験したことが、吃音を起こす元になった、

別の言い方をすると、それを体験するようになっていたといえるかもしれません。

私がみてきたケースでいうと、お子さんで吃音症状がみられる場合、

その子の家族のメンバーと、

その子自身の性質との「組み合わせ」で起きてるのではと思うことが多いです。

どういうことかというと、

吃音症状をだすお子さんの家族の誰か(一人もしくは複数)の言動と

その子自身の性質が合わさることにより、家庭環境の中で「自分を表現するのを抑えてきた」というパターンがみられるのです。

つまり吃音という症状は、簡単に言うと、

自分を澱(よど)みなく表現できない状態にいる、というのを教えてくれています。

以下、症状を出してる子と家族の代表的なパターンをいくつか挙げてみます:

1)口が達者な家族がいて、その子が表現する前に、その子のいいたいことを先に言ってしまっている

→ その子の代弁者のような存在が家族の中にいて、その代弁者の方が自分よりうまく話したり説明できるので、自分を表現したり主張するという手段を完全にその代弁者にゆずってしまってるパターン。

深いところでみると、自分にはできないとか自信のなさ、失敗することへの恐れがみられます。

2)頭の回転が早い家族がいて、その子自身のペースより早いペースで話したり、物事を進めてしまっている

→ 本来の自分のペースが乱されている。あせらされることで、自分のタイミングやペースで表現することが難しくなっているパターン。

深いところでみると、実は人のペースに合わせたくないという頑なさもみられます。

3)頭ごなしに自分の意見を主張する家族がいて、その子の意見を聞いていない&反論させない

→ 自分の主張をしようと思っても、簡単にその家族に自分の意見を切り捨てられるので、表現しようとすると緊張したり、すくんでしまうパターン。

深いところでみると、家族の意見の方が素晴らしくて、自分の意見や主張には価値がないと自分でジャッジをしているので、余計に言えなくなっています。

ということで、吃音の症状がでてるお子さんがいたら、上記ようなパターンを家族で形成していないか点検してみて、じゃ、どうしたらいいかなと考えてみるとよいかなと思います。

いつもそうですが、症状というのは一人で勝手に発症してるわけでなく、まわりのパターンと組み合わさっていることがほとんどです。

ですので、その症状に向き合うと、家族の他のパターンを外すことができますので、

家庭内のエネルギーも上がり、よりよい状態になると思います。

長く吃音症状が続いてる場合は、ホメオパス にかかるのがよいと思いますが、

急性的に症状がみられていて、キットのレメディを使おうと思うなら:

Nat-mur / Calc (自分以外の代弁者がいて自分を抑えてる場合)

Arg-nit / Merc / Sulph (自分のペースが乱されてる場合)

Lyco / Staph (自分より強い相手がいて自分の意見を主張できていない場合)

などが使えると思います。

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吃音の話は、私も実体験があります。

私の兄が幼少期のある時期から、どもりがちでした。

今のエネルギー療法の仕事をするようになって、上記のような感じでそれを分析してみたところ、

私の父が 3)のパターンで、私が 1)のパターンでした、ダブルで最悪、汗。

もちろん、そこに兄の性質も加味され、さらに母の方向のずれた対応により、冗長されたと思います冷汗。

しかし、人の人生というのは本当に面白い&強いもので、

兄は、人前で教える(つまり話すのがメイン)という職業につきました。

小さいころからオタク気質であったことを生かし、自分が好きなことを徹底的に研究することを選びつつ、同時に非常に苦手だった人前で話すという組み合わせに行き着いたのです。

好きと苦手のミックス!

だからもう苦手は克服されたということです、偉いな〜と思います(←上から、笑)。

ちなみに兄が選んだ奥さんも、私とは正反対のいつもニコニコ優しく、話をちゃんと最後まで非常にゆっくりとうなづきながら聞いてくれる女性です笑。

幼少期から高校まで、わりと苦労したと思う兄、その兄を思い浮かべながら、

彼がつかんだ後半の満ち足りた人生を思うと、鼻の奥がツンとなる妹です…..。

梅雨のあいまに咲こうとしてるメダカ鉢の睡蓮。咲こうとするエネルギーにはいつも心打たれます。        

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吃音が長い間あらわれてる場合は、コンサルテーションを受けてみるのもよいかもしれません。

いずれにしろ、あなたに現れる症状はあなたに何かを教えてくれるものです。

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こどものチック

チックという症状で時々ご相談をいただきますが、

チックは、大人でみられることは少なくて、主にこどもの時期にみられる症状だと思います。

リズ・ブルボー(症状を感情/精神的なレベルで解説してるカナダ人)によると、

チックは、

自分をコントロールしすぎたため、逆にコントロールをうしなった状態

を表します。

自分の意志とは無関係に筋肉が動く状態を

チックといいますから(目をパチパチしたり、顔をピクピクさせたり、小さな音を無意識にだしたり、小さな咳払いを繰り返したり、なにかをずっと触ったり)、

「(自分の)コントロールをなくした状態」という意味はよくわかると思います。

わたしがみてきたケースなどから、

このチックという症状をわたしの言葉で説明するなら、

いい子でいたいと頑張ってる現象

よくできる子になりたいと頑張ってる現象

と言えるかもです。

チックという症状がみられる時期には、

大概なにかしらの行事(入学式や卒業式)や発表会みたいなのがあって、

そこで親や先生にみられることと関連してると思うからです。

チックの症状がみられる子というのは、

そういう自分をみせる機会で、

親や先生から期待されてる自分の像を守りたいとか、

その像を壊さないようにしたい、という心理でいるようにみえます。

本当の自分よりも背伸びしようとしすぎて、

緊張が高まりすぎて限界がきた状態と言えるかもしれません。

大人はなぜチックになりにくいかというと、

もう自分の才能やら資質についてはかなり認識してきてるので(あきらめ?!笑)、

自分以上の状態を演じようと思わないからではないでしょうかね…..。

とにかく、こどもたちは健気に頑張ってるんですよ、

自分のためではなく親や先生や周りの人のために、が問題ですが苦笑。

でも、こういう体験もすることで、

頑張るのがしんどいときは、自分がしたいからしてるのではなくて、

誰かのためにやろうとしてるからしんどいのだ、と気づいていくのかもしれません。

ところで、チックは違う角度からみると、他の事象も教えてくれています。

チックを発症してるお子さんは、そのお子さん一人で勝手にいい子になりたくて発症したわけではないというのも、知っておいて欲しいなと思います。

チック症状をみせてるお子さんは、大体の場合、その親御さんが

そのお子さんをみつめすぎてる、という条件もあてはまることが多いように私は思います。

過剰に視線を注(そそ)ぎすぎてる、そんな親御さんが多いようにみえます。

親でなければ、

先生が過剰に監視していたり、

先生が過剰に発表会など行事を成功させようとプレッシャーをかけてる様子がみえたりします。

先生が、なぜ、そんなにプレッシャーを感じてるかというと、元をたどれば、

保護者=つまり親たちが非常にその出来具合に期待をしてる、というのを察知してるのかもしれません(先生もチック発症しそうな状態、笑)。

ですので、お子さんにチックのような症状がみられたら、

親御さんは、自分がその子を注視しすぎてないか、

その子に毎日起きることが自分の日常のメインの関心事になっていないか、

ちょっと点検するのがよいのでは、と思います。

そりゃ、子どものことは大事でしょうから、よく気をつけてみているとは思いますが、

自分自身への関心のエネルギーを自分ベクトルじゃなくて、すべて子供に向けていないか、

自分のその姿勢の方もみるとよいと思います。

想像してみてください、

親の情熱が全て、子である自分に注がれているとしたら……

ちょっとぞっとしませんか

窮屈に感じませんか。

エネルギー的にいっても、こどもはそんな親からのエネルギーは

重くてしかたないから、軽やかに自分らしくそのままでいることは難しいかもしれません。

ということで、お子さんにチック症状がみられたら、それは親であるあなたにとっても、

もっと自分に注目して自分自身の毎日を大事にしよう とか

もっと自分が好きなように生きていいんだよ とか

そんなサインでもあるかもしれません。

最後に、

チック症状がみられるお子さんにキットのレメディを使うとしたら、

以下のものが使えると思います。

Arg-nit (緊張が強い)

Ars (なんでも完璧にやろうとして神経がはりつめてる)

Ign (自然に起こる感情をおさえぎみ)

Lyco (よくできると思われようと必死)

Rhus-t (できないことが不安)

↑ 今の我が家にはびこる雑草でつくったミニブーケ。
手前の白い可愛い花「ハコベ」は、ニワトリやひよこの餌にもなるらしく、
さらには乾燥させた粉末を塩とまぜてつかうと、
歯槽膿漏や歯茎からの出血にとてもよい薬草だそうです。

ーーーーーーー

チックが発表会や新学期だけなどの一時的なものじゃなくて、

長いこと続いてる場合は、

ブロックが少し深くなっているかもしれませんので、

コンサルテーションを受けるのも、よいかもしれません。

症状はいつも、人生をもっと生きやすくするためのサインです。

一緒にそのサインの意味を探ってみませんか、人体というのは本当に面白くて

よくできているものです。

ご興味のある方はHPをご覧ください:https://arnicahomeo.com/

かくも長く続く「親」の型

習字を習うとき、まずはお手本をみて、

とめ、はね、はらいというような技術から、

字全体の整った型を学んでいくと思います。

それと同じで、人は自分の周りにいる人から「型」を学んで育っていくのだと思います。

毎日みたり、聞いたりする言葉の使い方から、

言葉にしていなくてもぐっと我慢している態度とか、

いつもニコニコしてることとか、怒ってるのにそれを見せない態度なども含めて、

全てを見聞きして感じながら、いつのまにかそれを型としているものです。

その型は大概において、親のことが多いと思いますが、

女性の場合は、主に「母」、

男性の場合は「父」の型を

採用してる人が多いように思います。

親の型をそのまま写しながらいく人が多いかもしれませんが、

初期のうち=つまり幼少期から、親の型を嫌って、

その型をやぶって生きていく人もいます。

いわゆる親を反面教師としてるわけですが(私もそのタイプ苦笑)、

いずれにしろ、元型である親を支点にして違う型を選んでいるので、

そういう人であっても親の「型」から学んだことに変わりはありません。

人は家庭内で型を学んだ後は、

学校など社会の中で、他の型をみていきながら、

自分の親の型に疑問をもったり、否定したり、もしくは肯定したりします。

そして、だんだんと自分はどうやって生きていきたいかを学びながら、親の型をいじくったり、

壊したりと、それまでの型を調整して、自分のオリジナルの型になっていくのだと思います。

そういう「型」という視点でみるならば、

自分の意思表示や自己表現といった問題を持ってる人は、

この親からの「型」を擬(なぞら)えているのが原因のようにみえます。

親の型を今も自分の型として生きてるので、自分を発揮できていないようです。

親の型があまり好ましくない型だった場合は、
子供だった自分も、その型にはまりたくないなと認識してるからわかりやすいのですが、

厄介なのは、親の型をとても良かったと評価してる場合です。

良い型だから、といっても、それは完全にあなたを表すものではないのに、その型で

生きていこうとしてるから苦しいのです。

なぜなら、あなたと親は違う人間なのだから。

体も違うし、

心も違うし、感覚も違っています(似てるところはあったとしても)。

だから、親の型通りで生きていってると、

あなたとして生きてるわけではないので、とても苦しいのです。

着ぐるみきてるみたいな感じ?!笑

「習字」が進んだ先にある芸術「書道」というのは、検索すると

ー自分の個性や感情を文字で表現するもの

ー書によって表現する芸術

という説明がありました。

まさに、人生も同じことだなと思います。

母や父の型をいつまでも擬(なぞら)えないで、

自分の型で人生を過ごしていくこと、

習字から書道の道を極めていくように、

過去に学んだ親の型から自由になり、

自分というたった一人の人間をこの世で表現していくことが人生の芸術なんじゃないかな〜と思います。

今年も新茶の季節。↑ 一番茶といわれる新芽を摘みました。
毎年一緒につくらせてもらってる仲良し御近所さんの鉄鍋で炒っては干して乾かすを繰り返します。
鉄鍋で茶葉を炒ってます、ものすごーい良い香り!浄化される感じ。
今年の一番茶。甘みがあって、口の中がさっぱりします。美味い!

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子育て中に、私はよくない親の見本(型)を子供にみせてしまっていないだろうか、と不安になる人がわりといるのですが、親はどんな型をみせてもいいのではと私は思います。

なにか学ぶとき最初は型がいるものですから。

いずれにしろ、その子が親の型をみて学びながら、自分で自分の型を獲得していくことになるのだと思います。

そういう意味でいうと、家系のカルマというのは、延々となぞらえて苦しんできたご先祖様からの型という言い方もできるかもしれません苦笑。

あまりにも長い間、親の型を擬(なぞら)えすぎて、

自分で親の型を壊すのが難しい場合は、

その型を変えるエネルギー物質を使って、型を壊すお手伝いができます。

(親の型は、1種のエネルギーパターンみたいなものですので)

詳しくはHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

薬と自然療法

このところ、自然療法と薬との併用について相談を受けることが重なったので、

そのことについて記事にしたいと思います。

自然療法家でもある私の個人的な考えですが、

私が思う薬が必要なときというのは;

重篤もしくは

緊急と思われる症状のとき

です。

そういうときに、薬は本当に強い味方だと思います。

逆に薬が不要だと思うときは、

未然の状態で使うとき(このままだとXXXになるかもしれないので、という不安や恐れが動機)と、

重篤や緊急時を脱したのに、延々と薬という外部の力に頼ってるとき

です。

薬が不要な状態というのは、

自分に備わった自然治癒力を使っていないとき → 自然治癒力を発揮できるときという

言い方もできます。

薬は、松葉杖や車椅子と同じようなものだと思います。

足を折って骨が固定されていないときに、車椅子や松葉杖は必要だと思います。

でも、骨がくっついたあとまで、松葉杖や車椅子に乗り続けていこうと思う人はいないのではないでしょうか。

また一方で、松葉杖や車椅子を長いこと使っていたひとが、

いきなりそれをはずして、すぐに歩けるか?

ということも考えるとよいと思います。

これまで、長い間、薬を体内に取り込んでいたのに(その状態で体が安定してるのに)、

薬をやめたから、すぐに自然治癒力が魔法のように発動するかというとそれもないと思います。

骨折の例でいうなら、これから自分の力で歩いていきたいと決めたのなら、

最初は車椅子に少し頼りながらも、同時にリハビリをして筋肉をつけていきながら、

段々と歩けるようになっていくのが体の自然な治癒過程だと思います。

また、自力で歩きたいと決めた人に、

「じゃ、歩いてみてください」といって車椅子から降ろして歩かせたら、すぐには歩けない、

そのときに「ほら、やっぱり歩けないよね、じゃ車椅子を使い続けてね」というような判断は、

目の前の現実だけ=そのときの検査の数値だけで評価してるので、

いつまでたっても自分の治癒力を発揮できない状態に留めるとも思います。

こういうことを考えると、医療と自然治癒力をつかった自然療法は、

途中でバトンタッチするように共存していくのがベストでは、と思います。

どちらが患者さんを「治した」ということに拘らないで、

患者さんが治っていく=自立した健康を取り戻すために、お互いの得意なところを発揮したらよいと思います。

昨今では統合医療という考えもかなり浸透してきましたので、これからそれがさらに普及&具体化していくと、

薬との併用に悩んだり、

自然療法にかかりたいけどお医者様のいうことに従わなきゃいけないのではと葛藤する悩みは減っていくのではないかなと思います。

ちなみに厚生労働省の統合医療ページに、過去にあんなにバッシングされた(汗)、
ホメオパシーという文言すら載る時代になってますので、統合医療の考えはさらに進んでいくと思います:

https://www.ejim.ncgg.go.jp/public/about/

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今が旬のかきつばた、この深い紫をみると体のエネルギーが動きます。
今年は苗をゲットできたので来年から自宅で咲くのがみれるかも〜
ホームセンターでみかけたバラ。清楚で上品なピンク、パーフェクトな形態の花弁、しばし見惚れました(でも買わなかった苦笑)。

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上記に書いた、お医者様が言うことに従わないと、というジレンマを抱えてる人はすごく多いです。

そのジレンマを深くみていくと、

言うことをきかないと見放されるという幼少期の親との問題がみえたり、

権力には逆らえないという無力感がみえたり、

自分が決めたことに自分で責任を取る自信がない、

というような自立の問題がでてきます。

究極は、健康に関する問題も、

自分の深いところで自分が望んでいることにつながっていくと、

自分にとってベストの療法にいきつけます(医療にしても、自然療法にしても)。

自然療法の扉もたたいてみたい方、

私がやってるのはエネルギーを扱う療法です。

詳しくはHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

メディアと自分

気がつけば、4月はBlog記事を1つも更新していなかった(汗)。

Instagram を始めて小出しに自分の中のものをアウトプットしてることで、

Blog記事を書くという衝動が少なくなってるのかもしれません(?!)。

ところで誰でも、フォローしてるSNSやブックマークに入れてるブログなどあると思うのですが、

私はお気に入りにしていたものでも、発信者が自分のとても好きな人や尊敬する人であっても、

それを見たり読んだりしたときに、

自分の中からコメント(つまり批判)がでてくる回数が増えたら、

フォローやブックマークを外すようにしています。

批判のようなコメントがでてくるということは、

その発信内容と、自分の周波数が合わない(または合わなくなってきた)ということだと思うからです。

以前、ある海外在住の日本人の方が書いてる人気のBLOGを読んでいたことがあります。

日本人の常識からしたらナンデー?!と思うような海外生活で起こる日常の出来事を、

辛辣に面白おかしく書いてる記事でした。

ほぼ毎日更新されるので、まるでルーティンのように読んでいたわけですが、

ある日、その記事を読むと毎回自分の中にコメントが湧き上がってくるのに気がつきました。

「そこを我慢してるから、こういう出来事が起きてるんだけどな….」とか、

「ネタとして書いてるんだろうけど、この出来事の締めくくりがなんか腑に落ちないな」とかです。

つまり、ブログ記事を読むことで自分の中にノイズをつくりだしてるなと気がついたのです。

簡単に言うなら、私はあまり気分がよくなっていないな、と思ったのです。

それで、そのブログのフォローをやめました。

メディアに限らず、身の回りの物や服でもなんでもそうですが、

不満を感じていたり、コメントが浮かぶもの=つまり自分の周波数にノイズを起こしてると感じるものがあったら、

とりあえず、そのノイズから自分を遠ざけるのがよいのでは、と思います。

別の角度からみると、

自分のお気に入りやフォローのメディアのチョイスは、

自分の周波数の状態を表していると言えるかもしれません。

自分が選ぶものは、自分と合ったものだからです。

もし批判したり、けなしながらも、フォローしつづけている特定のメディアがあったら、

自分も実は同じ周波数帯にいるということかもです。

惹かれるもの、ここち がよいと思うものも、自分の成長に伴って、徐々に進化(変化)してるはず。

だから、メディアのチョイスも、時々見直そうとちょうど今朝思いました。

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近所の神社で朝陽をみる、心洗われる〜
↑ 神社の池、ノイズがないと飛行機雲までクリアに写ってる〜

特定のメディアをみて、

批判やコメントと共に「強い感情」がわきあがってくる場合は、

自分の中にもともとあったノイズが拡大されてるということ=エネルギーのブロックがある
ということなので、その場合は、それに気がついて解消するのがお勧めです。

自分はブロックがあるだろうけど、それが何かわからないという方は、

それを外すお手伝いができます。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

別れとは

一昨日、「別れ」について話す機会があったからか、

今朝起きたら、そのむかーし、わりと長くつきあった彼と別れたときのことを思い出しました。

その彼とは少し前に別れていたのだけれど、

私がまだ持っていた彼の私物を渡すためだけに、その日 ”最後に会った” のでした。

その時点で、彼のことはもう1ミリも好きではなく(だから、別れたのですけど)、

むしろ何故私はこの人とつきあってたんだろう?!と自問するほど(→ 顔がよかった笑)の気持ちでした。

駅で会って、私物をただ渡し、彼は改札を抜けて電車に乗る、これが最後の瞬間でした。

特に何の感情もなく、「じゃあね、バイバイ!」とあっさり終わろうとして、

「これまで、ありがとぅ…」と言った瞬間、私に涙がぶわっとこみ上げてきました。

彼はそれを見たのかわかりませんが、静かに背をむけて改札をくぐって、

そこでこちらを振り向き、少し笑顔で手を振る仕草をして行ってしまったのですが、
私はその場でしばらく泣いていました….

ある時期を一緒に過ごし、

そばにいるのが当たり前のようになっていたどころか、

最後には嫌なところばかり目につくようになっていた彼、

その彼にこれまでしてもらったたくさんのことが、ありがとうという言葉でうわーっと回想されて、
涙が止まらなくなったのでした。

あの涙は、自分でもびっくりするくらい想定外でした(汗)。

少し前に記事にした外猫フェリックスでもそうでしたけど、

当たり前と思っていたことのありがたさに気づくのは、それを失くしたときなんだなとつくづく思います。

病気で寝込んではじめて、普通に動けていたことがありがたかったと気づくように、

「別れ」をとおして、その人との関係のありがたさに気づくのだなと思います。


ですので「別れ」というのは、

自分の中にあった相手への感謝を感じる機会でもあるなと今は思っています。


その視点でいうならば、別れのときに過度な悲しみがおそってくるとしたら、

これまでその相手に対して感謝をもてていなかったり、

感謝を表現できていなかったときではないのかなとも思われます。

別れというのをスピリチュアル的にみると、

その人とあなたの体験は終了しました、ということだと私は思っています。

そして、ある体験が終了したということは、

今後はお互いの新しい体験が始まるときでもあると思います。

ですので、「別れ」は感情では確かに悲しかったり、寂しかったりしますが、

そこで終わらないで、

次の体験に向けて ”心を開く” 状態にお互いを持っていくことで、

別れを「終わりの点」じゃなくて、「輝く通過点」にできるのではと思います。

これまで体験をさせてくれてありがとうという感謝とともに、

次の新しい体験にお互いが向かっていこう!(鼻息っ)

わたしは大丈夫!

そしてあなたもきっと大丈夫!

お互いに次の冒険、頑張ろう!

みたいな感じで、別れを「終点」じゃなくて「スタート」として

捉えたいなと思っています。

ここから、おまけですが、

「別れ」にまつわる私の友人の話です。

彼女は、息子さんが就職で家をでてから(大学まで自宅通いだった)、

わりと長いこと落ち込んでいました。

息子さんが巣立った後、夕方、買い物にいって何をつくろうかなと考えるとふっと息子さんのことが頭をよぎって、せつなくて寂しくてたまらなかったそうです。

そんな彼女の思いが通じたのか、就職して数年後に息子さんは転勤で地元に戻ってきました。

そして家賃がもったいないからと実家で再び暮らし始めたのです(!)。

あんなに離れて寂しがっていた息子さんが戻ってきて嬉しいのかと思いきや、
再度ご飯やら洗濯などのお世話が始まり、現実には大変だなと彼女は困ってしまったそうです(苦笑)。

客観的的にみるなら、彼女と息子さんの体験というかレッスンは、まだ終わってなかったんだろうなと思いましたが、

引き寄せの法則的にみるなら、望むと叶うから、本当に望んでいないことは望まないほうがいいな(汗)でした。

今、現在は、息子さんは別のところに就職して、家は出ています。

そして彼女はもう寂しがったりはしていません(笑)。

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↓ 4年目にやっと咲いたさくらんぼの花たち(これまで毎年葉っぱだけだった)。

今年は自分ちのさくらんぼが食べられるかな〜

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ずるずると続く関係や、依存的な関係から、なかなか離れられない方、

その体験はもう終了してもよい時期かもしれません。

新しい体験に旅立ちたいと思うけど、自分ではどうしたらよいかわからないとき、

あなたの意識やエネルギーを変えることでそのお手伝いをさせていただきます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/