習字を習うとき、まずはお手本をみて、
とめ、はね、はらいというような技術から、
字全体の整った型を学んでいくと思います。
それと同じで、人は自分の周りにいる人から「型」を学んで育っていくのだと思います。
毎日みたり、聞いたりする言葉の使い方から、
言葉にしていなくてもぐっと我慢している態度とか、
いつもニコニコしてることとか、怒ってるのにそれを見せない態度なども含めて、
全てを見聞きして感じながら、いつのまにかそれを型としているものです。
その型は大概において、親のことが多いと思いますが、
女性の場合は、主に「母」、
男性の場合は「父」の型を
採用してる人が多いように思います。
親の型をそのまま写しながらいく人が多いかもしれませんが、
初期のうち=つまり幼少期から、親の型を嫌って、
その型をやぶって生きていく人もいます。
いわゆる親を反面教師としてるわけですが(私もそのタイプ苦笑)、
いずれにしろ、元型である親を支点にして違う型を選んでいるので、
そういう人であっても親の「型」から学んだことに変わりはありません。
人は家庭内で型を学んだ後は、
学校など社会の中で、他の型をみていきながら、
自分の親の型に疑問をもったり、否定したり、もしくは肯定したりします。
そして、だんだんと自分はどうやって生きていきたいかを学びながら、親の型をいじくったり、
壊したりと、それまでの型を調整して、自分のオリジナルの型になっていくのだと思います。
そういう「型」という視点でみるならば、
自分の意思表示や自己表現といった問題を持ってる人は、
この親からの「型」を擬(なぞら)えているのが原因のようにみえます。
親の型を今も自分の型として生きてるので、自分を発揮できていないようです。
親の型があまり好ましくない型だった場合は、
子供だった自分も、その型にはまりたくないなと認識してるからわかりやすいのですが、
厄介なのは、親の型をとても良かったと評価してる場合です。
良い型だから、といっても、それは完全にあなたを表すものではないのに、その型で
生きていこうとしてるから苦しいのです。
なぜなら、あなたと親は違う人間なのだから。
体も違うし、
心も違うし、感覚も違っています(似てるところはあったとしても)。
だから、親の型通りで生きていってると、
あなたとして生きてるわけではないので、とても苦しいのです。
着ぐるみきてるみたいな感じ?!笑
「習字」が進んだ先にある芸術「書道」というのは、検索すると
ー自分の個性や感情を文字で表現するもの
ー書によって表現する芸術
という説明がありました。
まさに、人生も同じことだなと思います。
母や父の型をいつまでも擬(なぞら)えないで、
自分の型で人生を過ごしていくこと、
習字から書道の道を極めていくように、
過去に学んだ親の型から自由になり、
自分というたった一人の人間をこの世で表現していくことが人生の芸術なんじゃないかな〜と思います。




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子育て中に、私はよくない親の見本(型)を子供にみせてしまっていないだろうか、と不安になる人がわりといるのですが、親はどんな型をみせてもいいのではと私は思います。
なにか学ぶとき最初は型がいるものですから。
いずれにしろ、その子が親の型をみて学びながら、自分で自分の型を獲得していくことになるのだと思います。
そういう意味でいうと、家系のカルマというのは、延々となぞらえて苦しんできたご先祖様からの型という言い方もできるかもしれません苦笑。
あまりにも長い間、親の型を擬(なぞら)えすぎて、
自分で親の型を壊すのが難しい場合は、
その型を変えるエネルギー物質を使って、型を壊すお手伝いができます。
(親の型は、1種のエネルギーパターンみたいなものですので)
詳しくはHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/