自分の内側の感覚に気づく③

あなたが人に対して感じてること①」と「自分を愛するには②」のつづきです。

人に対して感じる不快な思いや批判が、自分の内側の感覚の反映であると書きましたが、

この自分の内側の感覚が何なのか?

について書いてみたいと思います。

大きくいうと2つのものがあります。

1つは、相手の人格や態度や言動に見える「自分の中の嫌な部分」です。

例えば、新しい誰かに出会ったとします。その人は何を話しても笑顔で答えてくれて、たくさん相づちを打ってくれるとします。もし自分がこの人をみて、「うわ、この笑顔は嫌だな、みていて疲れる〜」と感じたのなら、

それは、自分の内側に、笑顔で無理をしてる、という感覚があるからです。自分も会社や学校やら人付き合いのどこかで、そうしてる部分があるのでしょう。

だから、その人をみて、その内側の感覚が反応して不快に感じるのです。

ちなみに、これはポジティブな感覚を持つ場合も同じです。ニコニコ相づち&笑顔をみて、「うわ、いいな、この人、私もこんな風にいつも笑顔でいよう」みたいなことを感じるのなら、自分の中に ”人といるときはいつも笑顔で” という感覚があって、それが目の前で実現されてるから、それをポジティブな感覚で感じるわけです。

さて、人といるときに不快に感じるもう1つですが、それは相手の取ってる態度やその状況が「自分が過去に感じた嫌な状況とかぶってる」ときです。

例えば、ご主人が何も家事を手伝ってくれないとします。ご主人は横になってだら〜っとしてる、自分はこんなに忙しいのにとご主人に対してイライラしてるようなとき。

こういう場合は、ご主人の中に自分の嫌な部分をみてるというより、自分1人で忙しくしてて、もう1人が横でだら〜っとしてる状況自体にあなたの内側の感覚が反応しています。

あなたの過去にあった嫌な状況を追体験してる、と表現できます。

例えばですが、小さい頃に、お母さんだけが忙しく家事をして、お父さんは何もしないでだら〜っとしていて、それをみて、(恐らくお母さんがブツブツ言いながら家事してたのだと思いますが)小さなあなたが不快に感じていた出来事を思い出して、目の前の状況に当てはめてイライラしてるのです。

冷静に考えたら、お父さんと目の前のご主人は別の人だから、過去とは同じ状況ではないのに、ご主人をお父さんと同様の人と勝手に思い込んでるのです。

そして、ご主人は(お父さんと同じで)手伝ってくれない人、使えない人という思い込みを感じて、イライラしてるというわけです。

また同時にお母さんの状況を思い出して、家事は1人でやらないといけないという(お母さんと同じ)思い込みを持っていたりもします。

 

ということで、人に対して批判的なことを思いついたり、イライラしたりしたら、自分の内側の何が反応してるのだろうと気がつくことができたら、その不快な思いはかなり軽減します。

自分の何が反映してるかは、自分で探るのが難しい場合も多いのですが(無意識にやってるので)、ただ、あ、これは何か自分の内側のものが反応してるな、と気がつくだけでも、随分不快な思いが軽減します。

相手を責めてるだけのときは、その不快さはどんどん大きくなるのですが、それが自分の一部と気がつくと、相手を責めてばかりはいられなくなるからです。

別の言葉でいうならば、相手を変えることはできないけれど、自分は変えようと思えば自分で変えられるから対処できる、つまり解決できるということになります。

この記事、しつこく追記があります(汗)。

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↑ テリトリーを散歩してきたミヌが静かに私のほうに歩みよってきてます。
まるで幸せが静かに近づいてくるかのよう(苦笑)、足下にきてスリスリしてくれます。

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自分を愛するには②

①の続きになります。(「あなたが人に対して感じてること①」を先に読んだ方がわかりやすいです)

ということで、誰か人について感じてることは、自分の内側の感覚の反映なので、

誰かのことを悪くいったり、批判してるときは、実は自分の持つある部分を同時に否定していることになります。

人を批判する=自分を批判してる  わけです。

以前 「stop all criticism」という記事を書いたときは、このつながりがわかっていませんでした。

ですので人の批判をやめていけたら自分を肯定していくことになり、つまりは自分を愛していくことにもなるのです。
では、具体的にどうするか:

人の嫌な部分がみえたとしても、

ま、しょうがないね

と受け入れてみます。

そうしたら、そういう他人と同じ嫌な部分を持ってる自分も、並行して、ま、いいかと受け入れてるわけで、自分を愛していくことにどんどん近づいていきます。

どんなにひどくても、ずるくても、変な自分の部分でも、もうとにかくなんでもいいから、ま、しょうがないね、いいよね、と思ってみることです。

どんな自分も(他人も)許す、ってことですね。

↑ これができたら、ものすご〜く毎日が楽になります。

ただ、批判しないはわりと難しい時もあって、どうしても条件反射的に誰かを批判してしまうという場合は、もう1つ方法があります。

それは、批判が心に浮かんだら、それに「気がつく」ということです。

あ、今、批判したわ、とか、

あ、今、批判の言葉が心に浮かんじゃった!と、気がつくだけです。

批判してる自分を責めないで、批判してるな〜って気がつくだけです。

気がつくだけなんですが、これをやってると不思議なことに批判することは、どんどん減っていきます。

そしてどんどん心地よくなっていきます。

この話、しつこいんですけど(汗)につづきます。

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スコッチも外にでたらまず背中をスリスリします。
そして私も例外なくフサフサお腹を撫で撫でします〜(幸)。

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批判して自分を傷つけるのをやめられない方、1人で難しい場合は、
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あなたが人に対して感じてること①

ある人の印象について、複数の人で話してるとき、人によって持ってる印象がかなり違うということ、よくあります。

実際に私にあったことで話すと、もう数年前のことですが、Iさんという女性について友人と話していたとき、私はその Iさんに対して「会話がつながりにくくて話しにくい」という印象を話したのですが、友人は Iさんを「(その仲間内では)一番話がしやすい人」と言ったことがありました。

私という人間を通してみた Iさんと、友人を通してみた Iさんは、同じ人でありながら、まるで違う人のように受け取られています。

この違いは、それぞれの持つ感覚が Iさんに投影されているからです。

だから私の感覚が投影されたIさんと、友人の感覚が投影されたIさんは、それぞれ違うIさんになります。

これはどんな人についても同じことが言えると思います。

例えば、私のダンナさんは、私からみたダンナさんであって、息子からみたダンナさんはまた違うダンナさんになります。

逆を言うならば、誰の感覚も通さないピュアなダンナさん100%の状態は存在できません。なぜなら、この世のものは、必ず誰かの感覚を通して表現されてるものなので。

ということで、もし誰かに対して、よい印象や悪い印象、良い意見や悪い意見をもっているなら、それは相手のことを言ってるのではなくて、相手に投影された「あなたの感覚」を話してるということになります。

このことがもし腑に落ちたら、誰かのことを悪くいうことはできなくなっていきます。

何故なら悪く言ってるのは、他人のことではなく、その人を通して感じる「自分の内側の感覚」であって、人を悪く言うということは、いわゆる自分自身を悪く言ってるのと同じことになるからです。

長くなるので、に続きます。

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外にでてくると、まずごろんとひっくり返って背中をスリスリするミヌ。
私はすかさずフカフカのお腹をなでます、気持いい〜。

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人の悪いところしか見えない方、自分でその見方を変えられない場合は、

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真理へ

それは先月くらいから起きていました。

私は心や身体に何か不快なことが起こると、この出来事や感情は私の何を表しているのだろうと探ります。

一種のクイズみたいなもので、私が内に持ってる何が反映して、これが起こってるのかと探るわけです(例:過去記事「負けん気」)。

その答えをみつけるのは私には面白いし、一度みつけると、それに関連する不快な事象は起こらなくなるので、やればやるほど不快な出来事も日常から減っていきます。

そうなってくると、たまに出会う不快な出来事も、嫌だ〜と感情では騒ぎつつも、同時に、オー来た来た、久しぶりの難問!(苦笑)と変な楽しみにもなってたりします。

ところが今回私に起こっていた、その難問のクイズはなかなか解けないのでした。

そのとき私に起こっていたものが何かというと、感情でいうならば、

嫉妬

と呼べるものでした(詳しいことは関係者がいるので書きません)。

嫉妬、かなり苦しい感情です。

悲しみとか哀れみ、怒りみたいに、そこに留まったりできなくて、そこから逃げたくなるタイプの感情と思います。

嫉妬というのは、突き詰めていくと、子どもの頃に親/周りの人から、兄弟や友達と比較されたことが大元であることが多いです。

私も3人兄弟ですし、そんなんでいろいろ探ってみましたけれど、それらしく浮上してきたものがどれも腑に落ちないんです。

なんでだろ〜 今頃、嫉妬という感情を味わうなんて(苦)

外からみると私には何も起こってるようにみえなかったと思いますが、内側はのたうちまわるようにもがいておりました。

苦しいので早く解放されたくて、それ自体を消してしまいたくてジタバタしてました(汗)

しかし時間をかけて探っても腑に落ちるものがでてこないので、この難しいクイズを解くのをあきらめることにしました。

何もできないので、ただほおっておきました。

ほおっておいても、嫉妬という感情は消えはしないので、苦しいままそれを持ち続けました。

何日もです(涙)。

そうこうしていたら、ふっと、とある御方に辿り着きました。

具体的にいうと、その方の書いたものを読んだわけなんですが、そこで突然答えがわかったんです。

答えは:

この出来事は、私がこの嫉妬という、どうにもならない感情を体験するために起こった

が正解でした。

別の言葉でいうと、私の魂がそういう体験をしたかったから、そうなったとわかったのです。

そしてそこから、私の源は万能な魂だからなんでも可能、でもどうにもならないということを体験したいから肉体を持ってこの世に来てるんだ〜、ということまでが深く腑に落ちてしまったのです。

私を導いたその方は、既にこの世を去られてる男性なんですが、その方の書かれているものを読みながら、やっと、やっとだ、やっと、ここに辿り着けたと心が震えました。

(スピリチュアル系の言葉でいうなら、多分、その方は私のマスターソウルなんでしょう)

その方が書かれてることは、色んな方が色んな言葉で既にあちこちで語っているもので、私も知識的に大方知っていたものなんですが、その時、そのタイミングで、その方の言葉とフォーカスの仕方で、これが真理だと自分のものになりました。

ということで、嫉妬が雲散霧消しただけでなく、私が真理と思うものまで辿り着いたというエキサイティングな(でもとても静かな)体験となりました。

別の角度からみるならば、そこに辿り着く私の最後の壁が「嫉妬」として準備されていたのだと言えるかもしれません。

 

そして、この日から、私の中では、なかなかの勢いで変革が行われています。

まだまだ混乱していて、歩み始めたばかり、という感覚ですが、

今後Blogで、その辺りのことを時々書いていこうと思っています。

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↑ これはどこの国なの?! と思うような光景ですが、日本の鳥取、鳥取砂丘です。先日初めて行ってきました。

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不快な出来事ばかりが起こる方、病いをたくさん抱えてる方、そういう状況、自分で変えることができます。

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