良いお年を

あっという間に年の終わりですね。

30日はいつも誘ってくださるご近所さんとお餅つきをしました。

昨今は、ほとんどみかけない木の蒸篭(せいろ)で餅米を蒸します↓

DSC_3991

 

蒸し上がったもち米をまずは杵でざっとつぶしてから、もちをつきます ↓

DSC_3993

 

機械でつくのとは違って、臼でついたおもちは伸びがものすごいです↓

DSC_3997

 

白いお餅がメインですが、黒大豆をいれたお餅なども作りました(小さくみえるけど一升分あります)↓

DSC_4025

 

お餅つきの後は窓の掃除を軽ーく(?!)してから、お正月飾りの材料を山へ探しに行きました。
ミヌも一緒に山へついてきました(山の散歩久しぶりだにゃ〜)。

DSC_4033
山から取ってきた南天などでお正月飾りを作ります。
今年は、隣町のcafeでもらったしめ縄飾りも加えたので、いつもよりそれらしくみえます↓

DSC_4052

大晦日の今朝は、起きるとダンナさんがこの一年の感謝にと私に朝ご飯を作ってくれてました。

準備された平たいプレートをみると、
リンゴのスライス、その隣に3cm角に切られた絹豆腐が数個(水切りしてないっ)、豆腐の隣には目玉焼きという異色な組み合わせが並んでおりました。

さらにダンナさんは、ジュージューとなにかを焼いていたので、フライパンをのぞきこむと、そこで焼かれていたのは5cmほどの輪切りにされたバナナ達でした。

どういう発想でこの組み合わせが….(謎)

テイストが全く統一されていない朝食でしたが(汗)、ありがたく頂きました。

今年1年もいろいろなことがありましたが、無事に過ごせたことに感謝です。

どうぞ皆様も良いお年をお迎えくださいませ。

 

味方になる

先日、Aさんという方とメールをやりとりしていました。

AさんはBさんとの関係で悩みがあります。

Aさんはホメオパシー療法にかかってるわけではないので、レメディでなく言葉によるアドバイスをメールで送ったのですが、経緯をみてると、BさんがAさんを”自分の味方”だと思うことが二人の関係改善のポイントに思えたので、そのことを書いてみました。

普通に第3者からみれば、BさんとAさんは明らかに味方同士の関係なのですが、BさんはAさんを味方とは思っておらず、むしろ敵対してると思い込んでいるのです。いわゆる一種の妄想なんですが、そのように思い込んでいることで、Aさんとの関係がよくないのでした。

Aさんにメッセージを書きながら、誰かにとって自分がその人の味方と思ってもらえるようになるには、具体的にどうしたらいいのだろう?! と思いました。

自分が誰かの味方になるのは簡単だと思いますが、相手から自分を味方と認識してもらうには?!

ビジネスなら利益を基準にすればよいので簡単かもしれません。

相手の利益を損なわない関係でいること、

相手の利益に貢献できる、もしくは共同で利益を追求できる関係であれば、

味方として位置づけられるでしょう。

利益の絡まない人間関係だと、どうしたら、味方と認識してくれるのでしょう….

私は、私の味方だと思ってる人を思い浮かべてみました。

そしたら一番に浮かぶだろうダンナさんや子供のことは思い浮かばずに(ごめん)、何十年も前になくなった母方のおばあちゃんの顔がすぐに浮かびました。

そのおばあちゃんは、昔のおばあちゃんらしく腰が曲がっていてとても小さな人でしたが、綺麗な顔をしていてとても優しいおばあちゃんで一人暮らししてました(おじいちゃんは私が生まれる前に亡くなってる)。

小学生の夏休みによくおばあちゃんの家に遊びに行っていたので、そのときの記憶しかありませんが、なんでも、ハイハイと聞いてくれる人でした。

ある夏休みの滞在中に、私の洗濯物のことで(おばあちゃんがしてくれてた)、おばあちゃんともめたんですが、そこで、もうっ!と思いきり怒った私に、

はい、はい、悪いのは私ですね、私が悪うございましたね

とおばあちゃんが優しそうな顔で言ったのです。

私は子供ながらに十分わかってました、私が悪かったんです。

けれど認められなくて口をとがらせて怒ってたのを、おばあちゃんが自分が悪いとひきとって、コトを収めてくれたんです。

そんなことうちの母はしてくれたことがなかったので、びっくりしましたし、謝れない自分が恥ずかしいなとも思いました。

でも思い返すと、私がそのとき一番強く感じた感情は、

嬉しい

だったと思います。

何をいっても許してくれて、受け入れてくれる人がいるってことが、ものすごく嬉しかったのだと思います。

味方というエピソードでおばあちゃんを思い出したということは、おばあちゃんは私の味方だ!と感じていたということなんでしょうね。

そして、思いました。

誰かを自分の味方だと思うには、

なにを言っても、そうだね、といつも肯定してくれる人であること、

なんだろうなと。

肯定しつづける、というのは、応援しつづけるってことですよね。

好きなスポーツの選手がいたら、プレー中にミスしたって、応援しますよね。

そこで否定したり、罵ったりしないで、また好プレーをするように応援する。

それが味方ってことなんでしょうね。

と、いうことで、Aさんへのメッセージに、私の考える”味方になるには”というアイデアも添えておきました。

今回、Aさんへのメッセージを書いたことで、

私もこれから、周りの人の味方になって、どんどん応援しよう、と思いました。

私のおばあちゃんが私にそうしてくれたように(感謝&涙)。

DSC_3956

GUI:ギ という名前の植物↑  宿り木です。
木の枝などに鳥の巣みたいにからまって寄生してます。フランスではクリスマスに、このギを林や森から取ってきて、ランプのまわりなどに飾ります。
宗教的な意味もあるらしく縁起もいいそうですが、見た目が綺麗で白い実が天然のランプみたいにみえます。義理の母のいない初めてのクリスマス、彼女が毎年飾ってたGUIは今年はみられないのかな…。

 

教師か反面教師か

10年ほど前に読んだ河合隼雄さんの本の中に、

「(子供が)親よりちょっとだけ変われるというのは、ものすごい難しいんです」

とありました。

これはとても面白い事実だと思うので、親と子の話題がでたときに私はこの文章をよく引き合いに出します。

上記の文章が指してる例をあげると

一夜にしてお金持ちになることを夢見てるようなお父さんがいる家では、必ず息子が「お父さん、そんなバカな夢ばかり見てないでコツコツ働かんと」(文章抜粋)と言うみたいなことです。

ものすごい数のカウンセリングをされた河合隼雄さんからみても、子供は親に似たような人になるか、全く正反対のような人になるかで、親とちょっとだけ違う人にはなかなかならないようです。

こういう例は実際よくみかけます。

おっちょこちょいの母親になぜかしっかりものの娘さんがいるとか、すごく優しいお母さんの娘さんはまったく同じように優しい娘さんで格好もよく似てるとか。

父親/母親のことをひどく嫌っていて、ああはなりたくないと言いながら、客観的にみると全く同じような生き方をしてる人もいます。

この現象は、その子が親を教師としたのか、それとも親を反面教師にして人生を学んでいったのかの違いと思います。

ちなみに私の場合は、私の親は完全なる反面教師です(汗)。

ところで、親という存在&親の人生が子供の人生に反映される現象ですが、これは子供が連れてくる恋愛/結婚相手にもつながるはずです。

河合さんの同じ本の、でも別の箇所からの抜粋ですが、

「(子供が)どんな相手を選ぶかというのは、親がそれまでやってきたことが全部入った”総決算”としてでてきている」のだそうです。

つまり、自分の息子が連れてきた相手が、母親に似ているタイプなら、その子は口には出さなくても良い母親だったと思ってくれてるし、娘が連れてきた相手が父親に似てるタイプなら、その子は良い父親だったと思ってくれてたということになります。

似てるなら、自分たちがみせてきた母親像や父親像が子供から評価されていたと言えるし、正反対のタイプを連れてきたら、違う母親父親像をその子は欲していたといえます。

ちなみに、私のダンナさんは、私の父親と正反対のタイプ(汗)、あんな父親はいやだって思っていたという表れですね(大汗)。

そして私は、義理の母とは趣味や好みは違いますが、似てるタイプと思います。

だから私のダンナさんは自分の母親が良かったと思ってたということだと思います→ 本人に確認しましたが事実でした。

ということで、「親」として子供からどう評価されていたかは、結婚相手を連れてきたときに、はっきりとわかるということです(怖)。

そして、もし子供が結婚しない道を選んだら、結婚自体を良いものとしてみせられなかったとも言えますね(怖)。

注)もちろん、親とちょっとだけちがった人生を歩めてる人は少ないけどいると思うので、上記の話は、全ての人に合致するわけではありません。

sapin

クリスマスがあっという間に近づいてきました、その前に今年、私は大掃除ができるのだろうか…(謎)。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

上記の河合隼雄さんの本は、

「こころの子育て」誕生から思春期までの48章 朝日文庫

Q&A方式で簡単に答えられないような問題にも、暖かく、しかし真実からそれない回答をしてくれてます。全世代の子育て中の方にオススメの本です。