自然の中の「流れ」

私は築80年を超える古い家に住んでいて、暖房は薪ストーブです。

暖房の理想は、私にとってガス(電気でなく)の床暖房なんですが(前に住んでた家がこれで非常に快適だったから)、今、住んでいる地域はプロパンガス。

プロパンガス代金というのはうわさ以上に高かったので!それを床暖房に使うなどという勇気はなく、古い家という条件で、田舎生活も楽しめる暖房として薪ストーブを選んだのでした。

住むにつれ、薪で火をつけることにも相当慣れてきました。火をつけるには、火付け役となる材料(杉の葉や紙)も必要なんですが、非常に大事なのが薪自体の組み方。空気がよく抜けるように組み上げて、火の通り道がつくることが重要なのです。

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↑ 火の様子を写真に撮るの難し〜、ってか、これ猫が完全にメインの写真(苦笑)

この空気が抜ける部分を上手に作れていると、1回マッチを擦っただけで、ごおーっと勢いよく火がまわり、薪が燃え上がります。

ごおーっと音がして火がまわるその勢いをみていると、自然治癒力の流れのことをいつも思います。

自然治癒力というのは、自分で自分を治す力のことですが、それはエネルギーの流れでもあります。ホメオパシー療法では Vital force と言ったりしますが、この自然治癒力が綺麗に流れていないと、心であれ身体であれ不調の状態になります。

土から寄生虫病の特効薬となる微生物を発見しノーベル賞を受賞した大村教授が、我々の持つ問題の答えはいつも自然の中にある、というようなことをおっしゃってましたが、同じような言葉を芸術家や知識人達が残しているので、まさにそうなんだろうと思います。

薪ストーブの火をみながら、火の流れは自然治癒力=人間のエネルギーの流れをみせてくれていると私は感じます。火も抜け道があると燃え上がるように、人のエネルギーもつまりなく流れれば、不調が解消され思いきり、その人らしいエネルギーで生きることができます。

なにがエネルギーの流れをつまらせているかというと、人により様々ですが、薬などで抑圧された症状だったり、事故でのケガだったり、精神的なショックや、過去に作られた思い込みの感覚や思考パターンだったりします(正確にいうと流れがつまっているだけでなく、波動自体が本来のものとは違うものになっているのですが)。

そのようなつまりを外すことができたら、火のようにごおーっと勢いよく、その方のエネルギーは流れ、今よりもっと自分らしく、元気に生きることができるようになります。

自分のエネルギーの流れ、つまってませんか?

エネルギーはみえないものだけど、つまっている人は実は自分でわかっているのだと思います。

いろんな病いや不調に妨げられてる毎日だったり、心の方もなんだか縮こまって生きている気がするとか、自分の能力をフルに使ったことがないとか、そんなことを感じてるはず。本来はもっと自分のエネルギーって勢いのあるものだとは思いませんか?

エネルギーがつまっている感じがする方、ホメオパシー療法ではそのつまり(乱れ)をレメディというものを使って取ろうとします。ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

可愛い侵入者

先日、我が家に  とっとこハム太郎がおりました(汗)。

もうそろそろお風呂入って寝る頃と思っていたら、ダンナさんがものすごいでっかい声で私を呼びつけるので、なにごとかと駆け寄れば、ちゅ〜、野ネズミです。

私のダンナさんはスキンヘッドで眼鏡をかけており、瞳の色も茶色なので、見た目的になんの違和感もなくこの日本の里に同化して住んでおりますが、こういうときに突如感じる文化的背景の違い。

欧州人にとってのネズミは、日本人にとってのゴキブリ的なものと思われます。

そりゃ、私だって、東京の飲食店街にいるようなドブネズミがいたら、

ギャーー!!!です。

ゴキブリもギャー!!!

(ちなみにフランスでは日本のようなでかいゴキブリはいません)

でも、野ネズミで、お顔がとっとこハム太郎ですから、ぷぎ?!としか感じない私。

しかし、ダンナさんはいつのまにかハエたたきなどを手に握りしめ、すっかり戦闘態勢(冗談抜きで真剣)。抹殺するまで寝ないという殺気が….(怖)この感覚はその昔、ペストで苦しんだ先祖から受け継いできたDNAの記憶なのかもしれません。

哀れ、冷蔵庫の後ろに隠れたハム太郎は、ダンナさんがしかけたゴキブリほいほいの粘着テープのワナにとらえられあの世に送られました…(涙)

後日、ご近所さんにこの野ネズミの話をしたら、大きさから言って「はつかねずみ」ということでした(親指と人指し指でわっかをつくった中に入るくらい小さかった)。昔は家とか倉庫にいたらしいけど、最近はほとんどいないそうです。

そもそも、この辺りでは畑に植えてるお芋類を食べたりするくらいで、家の中にはそんなにねずみは入らないらしい。我が家もこの日までネズミがかじった痕などみかけていないので、たまたまこの夜にどこからか侵入してきたようです。

我が家はそれにネズミの天敵、猫がおりますから。しかし、このねずみ騒ぎのとき、我が家のニャンコは外にでかけておりました…がくっ。

別のご近所さんの話ですが、そこのお宅でお仏壇におそうめんを1束あげておいたら、はつかねずみがそこから数本おそうめんを抜いていたそうで、巣にしている場所をみたら、そのそうめんが綺麗に数本並べてあったとのこと、そんなことってあるのか、日本昔話?!

ゴキブリは即撲殺で異議なし、はつかねずみなら、できたら生かしたまま逃がしたい。でもはつかねずみでも、もし家に5匹以上いたら、私も迷わず処理します。

私の動物の本能として自分のテリトリーに脅威を感じる地点がそのくらいなんでしょうかね(?)

野ネズミはそういえば外にはおりました ↓

以前、ニャンコがつかまえていたときの写真。

やっぱりお顔がかわいくてハム太郎にしかみえん〜

minouネズミ

 

 

 

imagine

パリで起こった同時テロ、かなりの衝撃でした。

フランスの家族&親戚、友人に安否を確認したら、あの日、◯◯さんの友人が(テロの標的となった)サッカー会場に観に言っていたとか、◯◯の親戚がその地区に実際にいた、とか、友人の旦那さんが2週間後にあの襲撃された劇場で仕事する予定だった etc.、実際に被害にはあっていないけれど、つながっているどこかの誰かが被害の一歩そばにいた、ということがわかりました。

そのくらい身近に起きた襲撃事件だったわけです。

フランスだけじゃないれけど、このテロ問題の根は非常に深いし、背景も複雑で報道自体の偏りも考えると正確に理解もしにくく、自分の考えも定まりにくい、色んな思いは頭を駆け巡るけど具体的な意見も言う気にならなくて、ため息しかつけないような気持ちでいたら、偶然、ジョンレノンの imagine の清志郎版に行き着きました ↓

この歌詞が今、必要なのではないだろうか。

 

続けて、ジョンレノンのオリジナルも聞きました↓

今こそ、世界に必要な歌ではないのか。

 

と思っていたら、テロの後のパリで、imagineを黙って演奏している人がいました。↓

 

まさに

You may say I’m a dreamer

But I’m not the only one

だと思いました。

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清志郎….  RCの好きな歌、幾つもありますが、私は大ファンなわけでもなかったです。なのにとっても不思議なんですが、清志郎の歌の動画をみると間違いなく涙が流れてきます。なんでだか全然わかりません。この動画も涙流れてきました….

私の友人で清志郎の大ファンだった女性は、彼の死後、未だに彼の動画を1度もみれないそうです。未だに彼の死を受け入れられないということのようで → この症状こそ、ホメオパシー療法いると思いますが(汗)。とりあえず偉大な清志郎に黙祷。

 

自己内省日記

自己内省日記は、英語で書くと self reflective journal だと思うのですが、私が学んだホメオパシーの学校ではこの課題が毎週だされていました。

ホメオパシーの知識のお勉強とは別の枠で、自分の内省日記を英語で(大汗)毎週1つ書いて担当の先生(英国人女性ホメオパス)にオンラインで送らなければなりませんでした。量は特に規定はないのですが、A4サイズ1枚くらいが妥当だったかと思います。(英語は完璧じゃなくてもよくて、とりあえず意味が通じればいいと言われてました….ひー)

どういう風に書くかというと、例えばこんな感じです。↓

先日知り合って日の浅い友人を家に食事に招いた。ところが友人が連絡もなく1時間近く遅刻してきた。最初、約束の時間を間違えているのかと思ったけど、実際には我が家に来る前に、他の友人の集いに顔を出しており、そちらに長いことつかまったために、我が家に来るのが遅れたらしかった。そして遅れるというメールは送ってくれていたのだが、私が気づいていなかっただけだった。

私は友人が到着しときにすでにかなり腹が立っており、冗談ぽい突っ込みのようなトーンではあったけど「なんでこんなに遅れたの?」と少し大きな声で問いただした。友達は一瞬びっくりしたような顔をしたが、遅れた理由を話してくれて、その後は普通の雰囲気で食事ができた。

私は実際に声にだして問いつめたことで少しすっきりして、怒りはその後そんなに残らなかった。でもその夜に、理由はあって遅れたとわかったのに、なんであそこまで声を出して怒っていたのだろうと内省してみた。

内省してみると、こちらが招待して、準備にも時間がかかっているのに、あんなに遅れるなんて失礼だ!と思っていることがまずわかった。次に、交通の便などが理由で遅れたのなら腹も立たなかったけど、他の友人の集いに行ったのでこちらに来るのが遅れたという理由が失礼だと思っていることに気がついた。そしてさらに、私の方はその人を大事なお客様と思って招待したのに、相手は他の友人の集いにも顔をだし、こちらには遅れてもいいと思ったことに腹を立てていることに気がついた。私の方を軽視しているということが許せないということが私の一番の怒りの理由だったようだ。

そしてさらにその心理の奥を探ると、私は軽くみられているのかもしれないという恐れがあることにまでたどり着けた。

私のこの恐れが「怒り」という形でぶつけられたわけだ。大事に思ってもらいたかったのに、そうじゃなかったことに傷ついたのだった。
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bougie

こういう内省を毎週、毎週やっていると、とにかく自分の感情に客観的になるクセがつきます。このクセは日々生活する上でも非常に助かるのですが、ホメオパスという仕事をやっていく上でも本当に助けになっています。

クライアントさんの感情を客観的にみつめるというだけでなく、境界線の問題などお互いの関係性を客観視したり、またケース自体がうまくいかないときに冷静に見直したりすることができるからです。

こういうスキルは一朝一夕で身につくものではなく、また1人で孤独にやっていてもなかなか続けるのも難しいし、物事の見方をすぐに変えることができるものでもないので、その道の達人に毎週コメントをもらい、見方のアドバイスまでもらえたことは、まるで長期間カウンセリングにでも通ったかのような経験でした。

 

このself reflective journalの担当は Janeジェーンという英国人女性ホメオパスだったのですが、彼女は会っているだけで「慈愛」という言葉が浮かんでくるような人でした。Janeは我が校の生徒だけでなく英国でも多くのホメオパスのスーパーヴィジョンをされてる方で、この自己内省の方法について本も出版しています。この度も新刊を出され、お知らせがきたのでここで紹介します(英語ですが…)↓:

http://janewood.me/books

自己内省日記は、ホメオパスやセラピーをされている方だけでなく、感情的になったときにどうしたらいいかわからないと思っているような方にもとても有効です。

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1人で自己内省するのが難しい方、ホメオパシー療法でお手伝いができるかもしれません。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.wordpress.com

 

Digital detox

”デジタル デトックス”って言葉が流れてきました(どこから!?)。

聞くだけで意味が推測できるような、ワードです(汗)

IT依存者が多いアメリカからでた考えのようで、もともとは単にネットとつながらない時間を増やそうってことみたいですが、SNSにいつもつながることで精神的に疲れている状態を脱却しようという意味も含んでいます。

子供にはゲームの時間を決めてやりなさいとか、スマホは何時以降いじらないようにとルールを強いている親が、実はスマホをいじっている時間が一番長かったりして(苦笑)。

この時代、オンラインにつながない日はゼロという方も多いと思います。SNSをほぼやっていない私もオンラインにつながらない日は、旅行中でもない限りありません。

(デジタルデトックスしようと、山の奥にでかけてみつけた不思議な川の風景↓)

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よく考えたら、以前って、どうやって毎日過ごしてたんだっけ?

オンラインにつながっていないときはTV?読書?なんか書いてた?それとも団欒?

その記憶がたどれないぐらい、デジタル機器に密着した生活になってます。

私はホメオパシーという自然療法をやっているので、ナチュラル系の考えをもった人に会うことが多いのですが、そういう人達でもデジタル機器は抵抗なく(?)使っているようにみえます。自然に近い生活を、と言っていても、デジタル生活は拒まず、そこに関してはアナログへの逆戻りはないようで(謎)。

そこって、なんというか不思議な共存だな〜と思う私。
我が家にしても、この自然豊かな生活で不便を感じていないのは、デジタル生活のおかげだと思いますし。

冒頭の言葉、デジタルデトックスに戻ると、これだけデジタル生活が浸透しているのでなくすというのは考えられず、そこはやっぱりバランスが大事なんだと。飽食状態だった人がプチ断食するみたいなもんでしょうか。

オンライン中毒になっているとなにが足りないって、

ー静けさ

ー時間

だと私は感じます。

オンラインにつながっていると孤独じゃない気がするし、気晴らしもいっぱいある。でも、ある程度まとまった時間静かにしていないと自分の中から涌き上がってくるものをみれないし、感じられないんじゃないかな〜と。オンラインでたくさんの人とつながっているようだけど、肝心の自分自身とつながっていない状態になるような気がします。

時間に関しては、ネットしていると文字通りアッという間です。

1時間読書をして本を閉じたときと、1時間ネットやって画面閉じたときのあの充実感の違い(大汗)。

やっぱり無駄に過ごしてるなわたし(反省)。

ときどき、意識してデジタルデトックスしたほうがいいな、こりゃ。

 

 

猫と山に

去年、猫と裏山をよく散歩して(登って)ました。

おかげで足腰が太く(悲鳴)いや、丈夫になりました。

その後、春になって夏に向うときに山に入るのは止めました。

ヒルやら虫やら、へびなんかがでる時期だからです。

山に生まれ育ったご近所さんでも春の終わりぐらいから夏までは山に入らないそうなんで、わざわざヒルやら蜂やらへびなんかに噛まれるリスクを避けるってことなんでしょうね。

そして今年もまたそういう厄介な生き物が冬眠する時期になりました。

ニャンコも久々に山に復帰です↓

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ワイルドに探索しております。ニャッニャッ。

古木で爪を研ぎ放題、シャーシャー。

斜めに生えてる木にジャンプしたり、駆け下りたり、なんかいいな〜(って私も体動かせよ!)

中高生の苦しさ

このところの劇場用のアニメ作品で、これは!と思ったのは「バケモノの子」(細田守監督)でした。細田監督の作品は心理の描き方がかなり好きで、よくできたフランス映画をみた後のような余韻が残ります。

以前はジブリ作品以外では、劇場用アニメをみることはあまりなかった私ですが、ここ最近は観てみたいと思うアニメ作品も多く、そして実際観ても期待を裏切られないことも多いので、私のように詳しくない者でもそう思うくらい円熟してきた分野なのかと思います。それとも”アニメだし..というような”私の個人的な偏見が単になくなったせいなんでしょうか。

今秋に映画館で

「心が叫びたがってるんだ」(長井龍雪監督)をみました。

小さい頃の出来事がきっかけで一言も話せなくなってしまった女子高校生が主人公のアニメ映画作品です。

そして先日はDVDで

「Colorfulカラフル」(原恵一監督)をみました。

森絵都原作のベストセラー小説のアニメ映画化作品。自殺して1度死んだはずの中学生男子の身体に違う魂が入って生き返るというストーリーです。

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どちらの作品もなかなか感動しました。中高生というのは可能性無限のうらやましい時期でもありますが実際には生きづらい年代でもあるように思います。特に中学生というのは、実は人生で一番つらい時期ではと私は思います。それでもこの時期にはそれを乗り越えるだけのエネルギーがでてくるのが人間の身体のよくできてるところ。

上記の2作品ですが、一言も話せなくなった少女も、自殺するほどの状況におかれていた少年もラストにはそれぞれ前進します。そのきっかけとなったのは、母親でもなく父親でもなく、ましてやセラピーなんかでもなく、まわりの1クラスメートだったというのが非常にリアルだと思いました。

少女の方は”恋”というのがキーワードにもなっているので、彼女が自分の問題を克服することになったきっかけがクラスメートの男の子だったというのはわりにわかりやすいです。恋というのはそういう力がありますから。

でも「カラフル」の方は、ぱっとしない凡人なオタクのクラスメートの男子が、重要な役割だったんです。

そのオタクな男子は、自殺した少年がいじめられていたときにかばってくれたわけでもないし、心を溶かすような優しい言葉をかけてくれたわけでもない。でも確実に少年に変化をもたらしました。

2作品とも面白いのは、問題を克服する鍵となったそれぞれのクラスメート達が、問題を抱えている前からずっとクラスメートだったことです。そこに、ずっと教室にいたのに、主人公達は以前は彼らがそんな役割をしてくれる人だったとは意識もしていなかった。

なぜ彼らの存在に気がつくことができたか?というと、それは主人公達の”見る目”が変わったからだと思いました。特にいじめを受けていた「カラフル」の主人公は、それまではまわりのクラスメートはいじめる奴らか、いじめをみて笑っている奴ら、もしくはそれに迎合している奴らの集合体でしかなかった。

それが自分の見る目を変えたら、仲間と呼べそうなやつもいたってことに気がつくのです。全部がクロでなくて、実はシロもいて、灰色なんかもいて、みたいに違ってみえてきたんだと私は解釈しました。

でもこの”見る目を変える”、”見方を変える”って、いうほど簡単じゃないです。大人だって難しい。そんなんで「カラフル」の自殺して死にかけた中学生に”違う魂が入った”という設定は秀逸の選択だな〜と思いました。そのくらいのことが起きない限り、1度自殺した中学生がまわりを違う見方でみる、なんて技にたどり着かないのかもと思うからです。

話はずれましたが、この2作品をみて、中高生の世界における他者=クラスメートや同年代の子供達、の存在は本当に大きいんだなと改めて思いました。親や先生に認められることよりも、たった1人でもいいから、同じ立場の子に認められること、それがどんなに価値を持つことか、わかるように思います。

無視したり、いじめたり、最悪なのもクラスの皆、でも折れた心を修復してくれるのも、自分に力を与えてくれるのも、またクラスの誰かだったりするわけです。そして自分もまたその中の1人であって、人をおとしめることも、救うこともできる存在だと気づくと、また違う見方を持てるかもしれません。

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自分の見方を変えたいと思っているけど実際には固定観念が強すぎて実践できない方。自分の自然治癒力でその固定観念を変えることができるかもしれません。ホメオパシー療法にご興味のある方はHPの方へ: https://arnicahomeo.wordpress.com

女性が集まると

先日、近所の学校で”お紅茶の入れ方講座”なるものがありました。
家庭の教育力向上を目的にPTAが主宰する教室の1つだったんですが、私は係でした…(辛)。

その講座は、紅茶の効用/茶葉の種類などという実用主義な視点ではなく、ティータイムを楽しみましょう、できたらエレガントに、みたいなマダ〜ム視線の催し。係じゃなかったら、私はまず参加しない類いのものです(苦笑)。

会場にはスコーンなど先生お手製のお菓子が4種類もならべられ、キャスキッドソンまがい(?)のイングランドテイストのテーブルセッティング、が、たたみの和室の座卓テーブルに並べられました(汗)。

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様々な茶葉の”お紅茶”をおしゃべりしながら楽しむ会でしたが、茶葉がいいからなのか、温度管理がいいからなのか、とにかくぽっかぽっかしてきて、カーディガンを脱ぎ、腕まくりしないといけないくらいの汗がでてきました。まさにその年齢である私は思わずホットフラッシュか!?と思いましたが、他の出席者の方や校長先生(男性)まで汗がすごくでるとおっしゃっていたので、紅茶の効用のようでした。

私は朝食はずっと紅茶派で、何十年もアールグレイを飲み続け、ここ最近はチャイなんですが、それぞれリーフティでしか飲まないのにここまで紅茶の作用で汗がでることはないので、なんでだろう、この紅茶の秘密は?と思い、ふと客観的な視点で会場を眺めると、参加者のママさん達がものすごいキャピっとしておりました。

ワクワクした少女のような華やかな雰囲気で紅茶を楽しんでおられたんです。私は皆さんよりも一回りほど年上ということもあって、なんかかわいいなと思いました(それでもまあ皆さん、それなりの年齢なんでしょうが…)。

その皆さんの全体の感じは、女性特有のエネルギーなんだろうなと思いました。男子が集まってワイワイやっても決してでないこの雰囲気。不思議なものは全くみえないけど、彼女達のまわりがなんかフワフワしてピンクのような白のようなそんな雰囲気がありました。女性って集まるとなんでか声のトーンが高くなる。

本来、女性ってこういう生き物なんだよな〜。こういう可愛さとフワフワなエネルギーがあって、そこに男性がひかれる。守ってあげたくなったり、その柔らかさみたいなのに包まれたい気持ちになったり、元気づけてもらいたくなったりする。

普段のママさん達には、こういう感じの雰囲気を感じたことないから(苦笑)、日々の生活っていうのは、仕事に子育て、家事もあるしそれどころじゃない、ってことなんでしょう….

それとも、ひょっとしたら女性って複数集まらないと、こういうエネルギーが出せないのか??

エレガントであることとか、目の前のお菓子やお茶をたわいもないおしゃべりしながら楽しむって、女性にものすごく向いてる=本来備わっている性質なんだろうな…などと先生のアフタヌーンティーパーティの起源のお話を聞きながら思いました。

そんなフワフワ感やキャーキャー言う元気が完全に欠落している自分に気がついて、この会に参加できてなんだか良かった、と思いました。女性特有のエネルギーに包まれて、身体がぽっかぽっかしたんでしょうね、きっと。

猫がでてくるおはなし:「順番を守ること」

こんなお話(漫画)みつけました ↓

動物を飼っている人は特に、ぐっと来るでしょう。

http://togetter.com/li/780318

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そして同じ作者の方の別の作品。

おかしいやら、恐ろしいやら (汗)
ページ下にある「次のマンガ」もクリックして続けて読んでみてください… ↓

http://www.comic-essay.com/episode/read/45

愛する者に厳しすぎる

タイトルの「愛するものに厳しすぎる」という言葉は、
先日観た映画の中のセリフでした。
(”Love and other impossible poursuit” 邦題 ”水曜日のエミリア”  日本公開は2011年)

このセリフの言語が気になったので、何度も再生して聞き取ってみると

It’s the people who you love you’re hardest on. のようでした。

直訳すると、あなたが一番きつくあたるのは、あなたが愛している人々ですね、
になるでしょうか。

映画のストーリーは、ナタリーポートマン演じる新米弁護士が、
就職した事務所で出会った既婚で息子がいる上司と恋愛関係になり、
彼の子供を妊娠したのがきっかけで、既婚だった上司が離婚を選び、
彼女が彼の新しい妻になるという恋愛話です。

ただの恋愛映画でないのは、彼女は念願の彼との子を出産するのですが、
その赤ん坊が生後3日でSIDS(乳幼児突然死症候群)で亡くなってしまい、
そこから彼女がもがいていく過程がメインだからです。

タイトルのセリフは、彼女が赤ちゃんを亡くしてから、うまくいかなくなってしまった彼(上司)との関係をやりなおそうと二人で話し合いをしているときに、彼から言われた言葉です。

このセリフのあとに、

彼はもう彼女との関係をつづけることは無理だと言い渡し、別れとなります。

私はアメリカ映画というのは全般的にあんまり好きではなくて、それは心理描写が嘘くさいというか全然心に響かないからなんですが、軽い気持ちでみたこの映画は意外に真にせまったものがありました。

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ナタリーポートマン演じるヒロインは、赤ちゃんを亡くした後、自分の心の痛みだけにフォーカスして生きてます。

自分だけがつらい大変な思いをしてると思い込んで、周りの親しい人に接しています。

彼女の親友にも彼女より少し前に流産したエピソードがでてくるのですが、その親友が赤ちゃんをなくした彼女を優しくなぐさめようとしても、

流産と生誕後に死ぬのはわけが違う、一緒にしないで!

というようなことをその友人に言ってしまいます。

可愛い赤ちゃんを失くした悲しみは、上司である彼女の旦那さんだって父親としてショックなのに、自分一人だけがつらい思いをしてると思い込んでます。

まあ、つまり自己中心的な感情の中で日々生きてるわけです。

でも彼女の心理状態というのは、よくあるものだと思います。

なにかで悩んで苦しんでいる人というのは大概こういう思考です。

自分だけがつらい、自分の世界だけでしかものをみてない状態です。

私もこの状態に陥っていた時期があり、そのときはこういう思考でしたし、今でもこういう思考になりそうなときはあります。

自分だけがひどい目にあっていると思い込んでいるから、つらくなる。

自分だけが苦しいと思っていて、誰もわかってくれない、孤独だと思ってるから、それが「悩み」になる。

もし、楽しそうにしている周りの人々も深刻に悩んでいることがあると知ったら、かなり気が楽になるのではないでしょうか。

つらさの度合いを他人と比較するということではなくて、

自分だけが苦しみもがいてるという悲しさどっぷりの小さな世界のフタを開いて、

具体的に何もしてくれなくても、人が苦しんでるのを聞くと心を痛めてくれる人の優しさや、

手を差し伸べてくれなくても、ただ優しい視線を送ってくれる人の暖かさに気づけたら、自分の悩みは軽くなるのではないでしょうか。

また悩んでるあなた自身も、
自分より苦しんでるひとがいたら、
私もですよ、とか、なんとか励ましてあげよう、寄り添ってあげようって思う自分の暖かさや優しさをも思い出したら、意外と自分は強いって思えるかもしれません。

そう思えたら、自分の悩みは思ったよりも軽いものかも、と思えて、
もしかしてなんとかできるかも、と思えてきて、
そしたら、じゃ、なんとかしようって先に進めるのではないでしょうか。

自分がつらいときに、愛する者に厳しく対応するのは、その愛する人たちが自分のつらさをわかってくれてないと思っているからでしょう。

厳しくしてつらくあたることで、自分のもつ苦しみを共有してほしくて、そこから救ってほしい、と実は願っているんですよね。

もっともっと、このつらさをわかってよ = だから、もっともっと私のことを愛してよ、という言葉の裏返しだと思います。

それに気がついたら

ストレートに、助けて、つらいよ、と弱さをみせるのもいいですよね。

マザー •  テレサの言葉から

If you judge people, you have no time to love them.

私を助けてくれないと批判ばかりしてたら、愛する人を愛する時間がなくなりますよ(私の意訳)。

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自分の愛する人々とうまくいかなくて、つらい方。ホメオパシー療法が助けになるかもしれません。

ご興味のある方はHPの方へ→ https://arnicahomeo.wordpress.com