志村けんさん

昨日志村けんさんが亡くなったことで、世間が動揺してるのが伝わってきます。

もちろん、私も驚きました。

テニス仲間でも近所の人でもその話題がでてました。

そしてクライアントさん達からのメールにも、彼の死に対する見解が皆さんなりに書かれていて、そこには動揺が伺えます。

昨日彼の訃報が流れたあとに、フランス人友人が、

彼の過去のコントのリンクを送ってきてました。

志村けんさんが訛りのある英語教師で、生徒は全員アメリカ人、その彼らに思い切り上からでたらめの発音を教えるというコントでした。

それをみて、私、思わず声をだして笑っちゃいました。

バカバカしいのだけど、その馬鹿馬鹿しさが実はまかり通ってる社会への風刺も感じつつ、でも笑えました。

このタイミングで彼が亡くなったのにもだから意味があるのだなと思います。

現実レベルで言えば、彼のような現役で活動していた人が死に至ったというウイルスの怖さを伝えてくれてるのでしょうが、

でもコントのリンクが私に流れてきたように(世界中でリンクがまわってるから、私にも流れてきたのだと思います)、

こんなときこそ笑いの視点を忘れるなよみたいなメッセージを伝えてくれてるのだろうなと思いました。

怖がるのはわかるけど、怖がりすぎて風刺できるようなおかしな状態になってないかとか、

ちょっとナンセンスなことで笑ってみようよみたいな、そんなことを教えてくれてるのかなと。

個人的に、彼のコント、あまりみたことなかったし、見てもそんなに面白いと思ってなかったけど、今回改めてみたら、あのコントは愛がないとできないなと思いました。

彼がやってるベタなあれらの役柄って(権力をみせつける夫や上司や先生とか、すけべなおっさんとか)彼が演じる役の人物像に対して軽蔑や怒りや糾弾などそんな思いがあったら、あのコントはみてて笑えないと思うのです。

でも彼には、それがなかったから、そういう人間のエゴの部分を認めていて、それが自分にも皆にもあるけど、それもいいか〜みたいな愛を感じるから、みてて悲惨な感じがしないで、安心して笑えるのだと思いました。

だから、今、私たちが混乱してたり、あせってたりしても、それもありだよ、みたいなそんなことも教えてくれてるのかもしれません。

これが送られてきたコントです。ビューの数がすごい:↓