こんなときこそ暖かく

日本のトイレットペーパー品薄騒ぎは鎮静化(?)してきてますが、

旦那さんの同僚の女性から昨日聞いたところによると、彼女が住んでるニュージーランドでも、そして別の同僚が住むシアトルでもトイレットペーパーが今まさに売り切れてるのだとか(汗)。

ウイルスが世界の遠く離れた場所でも同じように感染者を出すように、トイレットペーパーにも世界各地で皆が同じ反応するというのは、妙な親近感や一体感を感じてしまいます。

見た目や人種は違っても、私たちみんな同じ人間なんだなって…(苦笑)

デマで買い占めをする行動を批判する風潮がありますが、

1つ前の記事に書いたように、トイレットペーパーを並んで買う人達をその場で目撃した私としては、全く違うことを感じました。

私がみたとき、トイレットペーパーを並んで買っていた人達は、自分だけが得をしようみたいな顔は全然していませんでした。

むしろ、並んでるのがはずかしそうな感じで、下を向いてるひとが多かった(私も我が家のなくなりかけのトイレットペーパーを買うのがなんとなく恥ずかしかった)。

私がいたあの夕方にレジに並んでいた人々は、若いママとみえる人達が多くて、

私の前にトイレットペーパーを2つ持って並んでいた女性も赤ちゃんを前抱っこしていて、その背中を優しくぽんぽんとたたいてあげながら、この買い物がおかしいというのはわかっているんです、という感じで少し申し訳なさそうな顔をしていました。

レジでちょうど精算をしていた黒いおしゃれなメガネをかけた若い女性の買い物カゴには、購入数が制限されていない赤ちゃん用の紙おむつと生理用ナプキンが幾つも入っていました。

そのママ達の細い背中をみていたら、思わず涙がこみあげてきた私です(年とともに涙腺が弱くなってる….汗)。

必死なんだな、

大事なものを守ろうと頑張ってるんだな、

というのがひしひしと伝わってきたから。

ホームセンターに入る前にみかけた軽トラの後ろにトイレットペーパーを6つも積んでいた運転手も

見た目からして若いパパのようでした。

頭にタオルでハチマキをしていて作業着だったので、仕事帰りにヨメにトイレットペーパー買ってきて!と頼まれたのかもしれません。

みんな一生懸命に家族を守るために生きてるな、と思ったら、自然と胸があつくなります。

もしかして家族がかつての震災の経験者で、いくらニュースで大丈夫といわれても、紙類がないとすごく困るよ、と言われたのかもしれない。

もしかして、両親や親戚から離れた頼る人がいない土地で、夫婦だけ、もしくはシングルで子育てしてるのかもしれない。

人の事情というのは、全くわかりません。

だからデマで買い占めていたとしても、それだけ必死なんだな、頑張って生きてるんだな、とむしろ励ます気持ちでいてあげたいなと、あのレジに並んでるときに周りの人をみて思いました。

緊急時に自分だけ被害をうけないように、と考えるのが悪いのではなくて、
何かあっても誰にも助けてもらえないような環境にいたり、
自分で自分を守るしかないという追い詰められた社会になってることのほうを変えていくのが大事なのかもしれません。

今のような特別な事態や緊急事態に、1人1人が慎重になることはとても大事だけれど、

おかしな行動をとったとしても、間違いかもしれない判断をしてしまったとしても、
しかたないよね、一生懸命に生きてるんだもんね、と少し暖かい視線を持つことも忘れないようにしたいなと思いました。

↑ あの日ホームセンターで買った新しい爪とぎ(手前の)になかなか移行してくれず、古い爪とぎに固執するスコッチ(汗)。