そういうものにわたしはなりたい

「雨ニモ負ケズ」に描かれてる宮沢賢治がなりたい「そういうもの」は、現実に存在した人だそうですね。

私も、好きな外見の女性や、生き方がカッコいいと思う人、雰囲気に憧れる人などをあげることができますが、でも、ソウイウモノニワタシハナリタイ、というフレーズを聞くと、私には具体的に頭に浮かぶ人がいます。

その人は、以前、東京で中古の住宅を購入したときにリフォームをお願いした地元の小さなリフォーム会社の営業の男性です。

その方、Hさんと書きますが、当時20代半ばor後半くらいの若者で、中肉中背、笑顔になるとちょっと照れるような表情をする人でした。

Hさんの良さを文章で形容するのは難しいのですが、話す言葉の1つ1つに無理のない人で、彼といると私も地に足がしっかりとつく感じがする人でした。

彼は営業という職種でしたが、話してることに誇張もお仕着せも媚びも感じなくて、営業の人対お客さんとして接してるというより、して欲しい仕事をそれができる人にただ頼んでるというフラットな感じで、ビジネスを通してのつながりなのに自然体でいさせてくれる楽な人でした。

家のリフォームでは外壁を全部塗り替えたのですが、裏に住む家の人から、外壁の塗料の臭いで具合が悪いとクレームが入り、Hさんと一緒にそのお宅に謝罪に行ったことがありました。

そのときのHさんの態度で、私のHさん評価はさらに上がりました。

うるさい人がいるよね、でもなく、とりあえず謝っておけばという態度でもなく、具合が悪くなってることに謝罪をして会社からの菓子折りも渡しましたが、塗料のデータから臭いの基準はクリアしてることなども話し自分の会社の業務は守りつつ、クレーム主と真摯にでも対等な感じで話をしていたのです。

相手を高くあげるのでもなく、自分の側を低くすることもなく、しかも態度は冷たくないし、くだけすぎてもないのです。その絶妙なバランスを横でみてて私は唸りました。

彼の取る態度や言動は、経験で培ったものでも、頭で考えて作ったものでもなくて、そういう風に生まれてそういう風に育ったと感じさせるものだったので、余計に感動したのです。

裏の家のクレーム主さんは、それきり何もいわなかったどころか、後になってあの時は神経質になりすぎてごめんなさいね、と声をかけてくれましたし、その後、道であっても普通に立ち止まって話ができる間柄になりました。

Hさんがそのような関係性の布石を置いてくれたのだと思います。

彼のように自然体でバランスがとれてて、ブレナイ人に私は会ったことがありません。

私はもう何十年も生きていますが(汗)、あの人いい人だね、と言われる人でも、すごく優しい人であっても、偉い人でもどこかの社長さんで成功してる人であっても、ホメオパシーの先生であっても、不思議なものがみえるヒーラーさんであっても、彼のようにあるがままで存在して日常生活を送れてる人に出会ったことはありません。

別の言葉でいうならば、彼は、恐らく自分と100%つながった人なのだろうと思います。

自分の存在から、浮き上がったり、沈んだり、大げさになったり、小さくなったりしてない人、それがHさんだと思います。

ということで、Hさんのように自分の内側の存在といつもつながった人、そういうものにわたしはなりたい、です。

hagi

この記事を書くので、Hさんの会社のHPを検索してみにいったら、Hさん、いつのまにか所長さんになってました。あの人なら、そうなるわ〜。