健全な怒りの処理の仕方

日々生活する中で持ってしまった
「怒りをうまく処理する」ことについて書いてみます。

”うまく”というのは、
相手からなにかされてあなたが持ったその怒りを、
きっちり相手にお返しするというような”怒りをやり取り”することではなく、
自分の中に沸き起こった怒りを、
なるべく何も傷つけることなく解消することを指します。

クライアントさんのお話を聞いていても、
怒りの対処に問題を持ってる方は多く、
私自身にとってもこれはいつも課題でもありました。

特に日本社会では、
怒りをただ単純に外に出してると、
見苦しいとか大人気ないとか判断されたり、
人格が未熟なんてことも言われてしまいます。

そのせいか、
怒りをみせないでやり過ごしたり:
これも学びだよ〜、私も悪かったのよね、とか、

怒りを感じる相手をなんとか理解することでごまかしたり:
あの人も大変なんだよね、きっとつらいんだよね、とか、

自分の中に起こった怒り自体をなかったかのように扱う傾向があると思います。
これらは感情を思考でなんとかする方法です。

しかし、これをしてると、いったんその場では解消したようにみえますが、
怒りという感情だけがエネルギーフィールドに取り残されることになるのです。

怒りを感じる出来事を学びへと解釈すること、
怒りの原因となった相手を理解し共感してあげること、
これらは自分の心の成長への必要なステップだとは思いますが、
それと自分の中に持ってしまった感情:怒りをなかったことにするのは、
違う作業になります。

怒りというのは一旦発生させてしまったら、解消させない限り、
いつまでもエネルギーとして残ってしまうのです。
それがどんなに昔の怒りであっても、
解消されていない怒りは、
ふとしたきっかけで思い出すと瞬時に戻ってきたりしますので、
そこに実はずっとあったのだと言えると思います。

ということで、自分の中に怒りを溜めていかないように、
健全に怒りを解消する方法について有効だと思われることを書いてみます。

前提として、その怒りの原因となってる相手や事象がわかってる場合で、
その怒りを相手に表現したほうがよいケースは、
まずはそうするのがベストです(私はそうされて怒ってます、私は不快に感じます、etc.)。

でもそれができないとき(相手が亡くなっていたり、相手は子どもだとか、はたまた相手が会社の上司やお客さんでどうしても怒れないとか)、
もしくは相手にちゃんと反論してみたけど、怒りがおさまらないとき、
またはなんでこんなに怒りっぽいのか原因がわからないようなときにも以下のような方法があります。

レベル1:
1人で声に出して外に怒りを出したり、クッションにぶつけたり、
歌を歌ったり、スポーツしたりして怒りのエネルギーを外にだす。
ポイントとなるのは、自分の内側に生じた怒りを外の方向に向って出す、ことです。
外に出すときに、怒りのエネルギーも一緒にくっついてきて、
外にでるイメージを持つのがよいです。
これは小さな日常の怒りの解消などに向いています。

レベル2:
自分の怒りについて紙に書き出してから燃やす。
もやもやとしてる思いや感情を文章にしたり、罵詈雑言にしたりして、
正直に書き出します。
それに火をつけてもやします(流しのシンクなどを使って)。

怒りについて書いた紙が燃えていき、
煙がでるときに、自分の怒りも一緒に消失してるイメージを持つのがいいです。
これは、過去にためてきた怒りなどの解消に向いています。

DSC_0541~2

レベル3:
怒ってるな、怒りを感じてるな、と自分の感じてることに正直になります。
そしたら、その怒りから逃げないで、怒りを感じ尽くします。
感じ尽くすというのが抽象的でわかりにくいかもですが、
怒りを感じてるその部分に意識を集中するのです。
そうすると、感じつくされた怒りのエネルギーが昇華します。
怒りのエネルギーが昇華したのは、自分でもわかります。
昇華したら、それ以上、そこに集中する必要がないとなります。
これは、どんな怒りにも効果があります。
レベル1よりも2よりも手間がかからず、
自分の内側だけで行うことができるので、これが一番おすすめです。

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怒りのモヤモヤを解消した後に、改めて、
自分に怒りを起こした事象をみると、
相手の行為を理解することができたり、思いやったりできて、
その出来事を受け入れられるようになります。

怒った出来事を1つの経験として受け入れることができたら、
それは人生での学びとなり、心の成長につながります。

怒ることは人間のもつ感情の1つで、
自然に起こってしまうものだから、計画して避けることはできません。

でもそれが起きたからといって、いつまでも持ってる必要もないものです。
だから、それを解消する方法を知っているとより生きやすくなるのでは、と思います。

*怒りを持つのは何故かについてヒントとなるかもです → こちらの記事*

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過去に抱えた怒りがあまりにも大きくて、一人で掃除することができそうにない方。
ホメオパシー療法が助けになるかもしれません。詳しくはHPの方へどうぞ:
https://arnicahomeo.wordpress.com

蛇イチゴと野イチゴ

ご近所さんのお友達にお昼にお呼ばれしました。

出されたサラダに、赤い実がバラバラとトッピングで振りかけられてありました。

これは蛇イチゴでは?!(汗)….いいえ、それは”野イチゴ”でした。

食べてびっくり、甘い!

裏の山に生えてる野いちごを摘んできて、サラダにトッピングしたのだそうです。

野いちごというものを知らなかった私を、
実際に生えてる場所に連れていってくれました。

最初、蛇いちごと見分けがつきにくかったのですが、
両方を摘んで同時に見比べるとよくわかりました。

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↑ 左が蛇イチゴ:実の真ん中が白い。
葉っぱは三つ葉で、葉の縁はゆるいぎざぎざになってる
右が野イチゴ;実の真ん中は空洞。葉っぱは三つ葉だけど細長く先がとがってる。

お花の時期には違いが一目瞭然、蛇イチゴは黄色で、野イチゴは白い花が咲くそうです。

蛇イチゴって、蛇がいそうなちょっと湿った場所に生えてるとか言われ、
別名毒イチゴとも言われますが、実際には毒もなく食べれるそう。
ただ味がないので美味しくないらしい。

実際に我が家の裏にも蛇イチゴ結構生えてますが、バラでもなんでも食べちゃう庭を荒らすシカ達も蛇イチゴをなぜか食べない…
同じバラ科でこんなに似ている実なのに一方は甘くて美味しくて、
片方は美味しくもない。
蛇イチゴは食べられないことで、進化をとげて繁殖してきたのかも?!

ところで蛇イチゴは、
蛇苺(ジャバイ)という名称で漢方にも使われるそうです。
効能は抗菌•抗炎症作用。

そして民間薬としても昔からおばあちゃんのくすりばこ的に使われており、
蛇イチゴの実を焼酎につけておいて、
虫さされや汗疹(あせも)の薬として使うんだそうです。
抗菌•抗炎症作用があるからか、痒みが止まり、虫さされは跡も残りにくいんだとか。

この民間薬はホメオパシー的にみて効果あるだろうと感じました。
類似の法則からいっても、蛇イチゴの赤くぶつぶつした表面と腫れた感じは、
虫にさされて腫れた感じを思わせるからです。

早速、裏に生えてた蛇イチゴを摘んできて焼酎につけました〜今年の夏はこれを使ってみようっと。

(作り方:蛇イチゴの実だけを摘んで、二倍の量くらいの焼酎を注ぐだけ。
2週間くらい漬けたら使えるそうです。虫にさされた部分や汗疹の部分に塗るだけです)

死ぬときに起こること

エリザベス・キューブラー•ロスの自伝『人生は廻る輪のように(原題:The wheel of LIfe)』を読みました。

以前にもBlogで紹介しましたが、彼女はアメリカで活躍したスイス人精神科医。死に向う患者への医療体制を革新的に改善させた終末期医療分野のスペシャリストです。

世界的に有名な著書『死ぬ瞬間』や『ライフ•レッスン』を読んだときは、その内容自体に感動しましたが、今回彼女の自伝を読んで、彼女個人、そしてその人生に心を打たれました。エリザベス・キューブラー•ロスは私が敬愛する人の一人になりました。

ここでは彼女の人生については書かず、本の中で興味深かったことを紹介したいと思います。

エリザベス

あるときエリザベスに臨死体験を語った女性がいました。今の時代では普通に”臨死体験”やら”幽体離脱”という事象が認められていますが、当時はそんなことを話すと精神病=頭がおかしくなったと思われてた時代でした。実際に臨死体験をした人々は、その体験を誰にもしゃべらず、ずっと黙ったままだったそうです。

エリザベスはその体験を聞いて、同僚と一緒に具体的に調査をはじめました。同僚とエリザベスがそれぞれ臨死体験をした症例を20ずつ集めるという調査でした。しかもお互いが調査している期間中は、それぞれが手中にした症例について意見を交わさないという条件で客観性を保つようにしました。

実際にお互いがノルマの症例を集めた後、いざ、それぞれの結果をつきあわせてみたら、人々が非常に似た話をしていることがわかりました。つまり、いかなる人も臨死体験は同じような過程をたどり、類似の体験をしているということがわかったのです。その後も多くの臨死体験の症例にでくわす度に、類似の過程の真実みが増していきました。

本書には死後に何を体験するかが簡潔に書いてあるので、それをここで簡単にまとめて紹介したいと思います。

第一期:肉体から抜け出して空中に浮かびあがる。事故であろうが、自殺であろうが死因がなんであれ、意識はまだあるのに体外離脱をする。そしてここでは身体感覚の「完全性」が得られる。身体に麻痺があった人はそれがなくなり、目がみえなかった人もみえる状態になる。このときの身体とは一般的に幽霊とよばれる半透明な状態と思います。

第二期:別の次元、霊とかエネルギーといわれる世界にいきます。私が死んで家族はどうしてる?と思った瞬間、その家族のいる場所に瞬時に移動してたりするそうです。そしてこの段階でガイド、守護天使(子どもはこの存在を”友だち”と語ることが多い)、日本でいったらご先祖様でしょうか、に出会うそうで、つつむような愛でなぐさめられるそうです。

第三期:守護天使に導かれて次の次元にいきます。その入り口の表現は人によって異なるそうで、トンネルという人もいれば山の小道という人もいたり、川という人もいるそう。日本でいうと三途の川でしょうかね。ここでは最後にまぶしい光をみるそうです。その光にだんだん近づいていくと、その光が、エネルギー、暖かさ、最後には”愛”であるということがわかるんだそうです。無条件の愛、途方もなく強く、圧倒的なもの。この愛を”神”と表現する人もいるけれど、とにかくそれは圧倒的な愛で、それに包まれている状態から肉体をもつ状態に戻りたくないと感じるくらい心地よい完璧な状態だそうです。

第四期:第三期までは幽霊みたいなエーテル状の身体がまだあるんですけど、四期からは霊的エネルギーそのものに変化。ここで人生を走馬灯のようにみせられ、人生のすべてを振り返るんだとか。自分の行動がどのように他者に影響を与えたかもみるし、あらゆる命がつながりあっていたこと、地球上の生物にさざ波のように影響していたことが目の前でみれるんだそうです。そしてあなたは人生で「どんな奉仕をしてきたか?」と問われるそうです。ギクッー!!(冷汗)

日本語で奉仕というとボランティアみたいなイメージを持ちますが、奉仕=無条件の愛、を身につけてきたか、という問いのようです。人生で最高の選択をしてきたか、世界のためになる選択、人類を向上させるような選択をしてきたか、ということです。

人生で何を選択をするかは自由です。この自由は神が与えたもの。神が与えたこの自由は、成長する自由であって、愛する自由ということになります。

自分の利益や地位のためでなく、何かを選択するとき、その根底は無条件の愛に基づくものであったのか、ということでしょうか。

抽象的で実際に生活の中でどう行動したらよいのか、と考えますが

私達の生活は自分で選んだものでできあがっています。

お金を稼いだり、高級なものor安いものを買ったり、転職をしたり、子どもを叱ったり、ゴミを捨てたり、花を育てたり、運動したり…(いい例が思いつかない〜ひー)とにかく毎日いろんなことをしている、でもそれをするときに、愛が根底にあるのか、自分が成長するため(ひいては人類を向上させる)にそれをしているのか、そういうことを選択していけばよいということでしょうか、そんなことを今の時点では思いつきました。

そしてこれまでやってきたことで、愛が根底にあったり、自分が成長するための選択だったらうまくいってきた=心がすっきりしていた ように思います。

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人生で選択していることが本来の自分の望むものでないときに、病いという症状が現れるときがあります。いつからでも選択を変えていくことはできます。そうしたい、と思った方、ホメオパシー療法が助けになるかもしれません。詳しくはHPの方へどうぞ:

https://arnicahomeo.wordpress.com