前述のエリザベス・キューブラー・ロスの「ライフ•レッスン」の中から、
印象に残った例を1つ紹介します。
ある講演をおえたエリザベスのところに、髪がきちんとセットされた文字通りきちんとした身なりの女性が話しかけてきました。
そのきちんとした女性には、18歳の息子がいるのですが、彼はいつもよれよれのTシャツを着ていて、彼女が毎日仕事から家に戻るとキッチンカウンターにそのよれよれのTシャツを着て座っているそうです。彼の仲間達も似たような感じで、彼女はそれも気に入らず毎晩のように息子を叱って不満をぶつける関係でした。
その女性は以前にエリザベスのワークショップに参加して臨終のエクササイズを行ったらしく、そのことをエリザベスに話してきました。臨終のワークショップとは、「もしあした死ぬとしたら」と想像して自分の今の人生をどう感じるかというワークだそうです。
彼女はワークショップの後、帰宅してから本気でそのワークを再現しました。
そのきちんとした女性は続けました(以下抜粋):
「もし自分があした死ぬとしたら、自分の人生をどう感じるだろうか?息子との関係が満点ではないにしても、自分のことはだいじょうぶだという気がしました。
つぎにもし息子があした死ぬとしたら、と考えました。(…)
息子との関係について、恐ろしいほどの喪失感と深刻な葛藤を感じるに違いないという気がしました。こころのなかで恐ろしいシナリオがくりひろげられ、息子の葬儀の場面が浮かびました。息子をスーツ姿にして埋葬したくないという気もちが生まれました。スーツを着るような子じゃないんです。好きだったよれよれのTシャツのまま埋葬してやりたいと思いました。そうすることで、息子とかれの人生をまっとうさせてやりたかったんです。
そこで気づきました。死んだ息子にたいしてはあるがままのかれと、かれが好きだったものを愛することができるのに、生きている息子にはそれができないということに。
とつぜん、息子にとってTシャツには大きな意味があるのだということがわかりました。」
彼女は、その気づきの後、そのままのあなたを愛していると息子に言ったそうです。
そして彼に対する期待を手放し、息子を矯正しようとするのを止め、ありのままの息子がとても愛らしいということがわかったそうです。今のままの息子を愛するのは、とても気分のいいことだそうです。
私はこの女性のエピソードを読んで、すぐに自分の子どものことを考えました。
もし子どもが死ぬとしたら彼の棺に入れてあげたいのは、あるゲームソフト。
これがすぐに頭に浮かびました。
今、彼がとても夢中になっていて、夢中になりすぎているので、私が幾つかのルールで制限していたもの….
ゲームについては賛否両論あるし、問題ももちろんあります。
私はいわゆるゲーマーじゃないどころか、ゲームの何が楽しいのかさっぱりわからない人、だからなのかゲームに夢中になっている子どもをみると心配になります。
でも私はもし彼が急に死ぬことがあったら、その好きなものを十分にさせてあげれば良かったと後悔するんだなと感じました。
そんなに好きなんだから、十分にやったらいい、と考えを変えました。
それでこの日から、我が家はゲームについては解禁となったのでした。
(目への注意や、それ以外のやるべきことはちゃんとやる、という条件はついてますが)
ゲームソフトと、上記のきちんとした女性のよれよれのTシャツは、同類項だったわけです。
そのまま愛するということがわかっていても、なかなかできない苦しみをお持ちの方。
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