イソップの「すっぱいぶどう」に出てくるキツネは、ぶどうがおいしい食べものだとわかっています。
でも手が届かないから、「あのぶどうは、すっぱい」と強がりをいいます。
ぶどうが食べものではないものにとっては…?
我が家の猫、ぶどうを発見しました。クンクン(嗅)。
チョイ、チョイ。ころころ。チョイ、チョイ。ころころ。
その真剣さがあまりも可愛くて、猫がテーブルに乗っかったのそのままにしちゃいました。
アーニカチップス; 日々のいろんなこと書いてます
栗がでまわる季節になりました。
去年、いただいた栗で初めて渋皮煮に挑戦したのですが、あまりうまくいかず(見た目がひどかった)、結局つぶして生クリームとまぜてマロンクリームにしました。
今年はそんなんで手間ひまかかるわりには達成感のない渋皮煮には挑戦する気はなかったのですが、お隣のおばあちゃんの娘さんが作ったという渋皮煮を味見させていただいてから気持が変わりました。
その渋皮煮は、見た目が栗そのままの形を保ち、均一で美しく完璧でつややか、シロップもほどよくからみ、最高に美味しかったのです。お店で売られていたら最高級品と呼ばれるレベルの仕上がりでした。
素人の人がこんな素晴らしいものを作れるのなら、私も頑張ったら似たようなものができるかもしれない。俄然やる気がでて、早速昨日挑戦しました。
まずは幾つものレシピを見比べ、去年の敗因と合わせみると、私は灰汁抜きのやり方が甘かった&水にすぐつけなかったとわかりました。でも一番の問題は渋皮の掃除がよくできていなかったからみたいです。
渋皮煮のレシピのサイトでは、スポンジで細かい皮や汚れをとり、竹串で太い筋を取る、と書いてあります。でもそんなに綺麗にならないんですよね。去年それで爪を駆使したような気がする….爪、真っ黒になります。
今年はどなたかのサイトに、灰汁抜きが終わった栗を古いハブラシを使って掃除するやりかたが載っていたので、それを試したのですが、これがもうドンピシャ。筋まで綺麗にとれるし、なによりも栗本来の形が綺麗に現れてきて見た目が去年と全然違うっ(鼻息)。
去年の渋皮煮が100点中20点としたら、今年のこれは70点くらいいけてると思います。
できれば、もう1回くらい挑戦して80点以上だして、あの理想の渋皮煮に近づきたい…
それにしても目指す具体的なイメージ(お隣で食べた渋皮煮)があると、どこを改善したいかが明確になるので、戦略がたてやすく、しかもモチベーションが高くなるということがわかりました。
これって、なんにでも言えるんでしょうね。
ダイエットするときは、具体的なモデルや芸能人の方を想定するほうがイメージがわきやすい。
家の片付けをするときも雑誌などの部屋の写真を目指すと、具体的に手がつけやすい。
勉強するときだって具体的になりたい職業や理想とする人がいるほうが、なにをすればいいか計画が立てやすく、そうなりたいっていうモチベーションが高いからくじけにくい。そして具体的なイメージというのはなにせ現実なので近づきやすいわけて、最後には達成感も得られたりするわけです。
話は少しずれますが、なにかに達したいけど、集中力がない、いつも長続きしないなど、どう解決したらいいかわからないお悩みに、ホメオパシー療法が助けとなるかもしれません。
ご興味のある方はHPのある方へどうぞ:http://arnicahomeo.wordpress.com
この時期、なぜか柿の木の葉に空豆が…..
よくみると、モリアオガエルでした(恐らく)。
猫にみつからないでね〜
自分がこうなったらいいなと考えてるけどが、現実にはそれほどうまくいっていないときがあります。
まさに、今日の午前中にそう思いました。
何かやらなきゃ、と焦りました。何をすればいいか、と頭をグルグルと巡らせました。
私の焦りとは裏腹なのんびり熟睡のニャンコ zzz 手足ものびのび
午後、気がついたら(頭を使い過ぎたせいか)イスに座ったまま、眠りこけていました。
頭が上下にガクガク揺れていました….(痛)
その後洗濯物をたたみながら、よく考えたら、今年の初めに私がやり遂げようと思っていた目標は既に8割ほど終了できていることに気がつきました。
私にはこうやって自分を追い込むパターンがときによって現れます(危)。
目標をさらに上げなくてもいいんだ、当初の目標通りに進んでいるのだから。
目標を高く設定しなおさないで、ゆっくり、楽しもう、と思い直しました。
目標は低くしておくと、達成感ありますね。そしたら次の目標を掲げる気にもなる(来年だけど)。
いつみても、心がほっこり、眠る猫zzz
昨夜疲れていたので早くに就寝したせいか、今朝は久しぶりに朝寝坊できるはずだったのに、早朝に目が覚めてしまいました(老化)。
ゴミ出しをしてから、裏庭でイスに座ってぼーっと空を眺めました。
山が暗く写ってしまったけど、実際には山は濃い緑で空は明るいブルーです。
雲はゆっくりと流れます。野鳥の鳴き声と、川の流れる音。
秋の早朝なので、涼しいというより少し寒い。あー、こんなところに住めるなんてなんという幸せ。
東京からこの自然豊かな場所に引っ越してきて、不安はあったけど後悔などはしたことはなく、むしろ今までどういう気持であの自然の少ない場所で長いこと暮らせていたのか、今の自分にとってはそのほうが不思議でしようがない。
長いこと当たり前のように続けていることって疑うことすらしなくなるんだなと、思います。
しかし思い返せば、いつも国内で旅行に行くなら、観光地ではなく自然あふれる場所を選んでいたし、それもできれば混まない、人が少ない場所を無意識に選んでいました。
人が普通に暮らしている里山に行くといつも満足してたんです。
でもそこで暮らすことは考えていなかった、都会で暮らして、休みごとに自然の多い場所にいく、なんとなくそんなパターンしか想像できなかったんです。
思い込みとは根が深い…
今なら、いつも自然いっぱいの中にいて、たまの機会に都会にでて文化を味わう、これが私達にとっては心地よい暮らしなんだと思います。
50年近く生きてきて、やっとそんなことに気がついたりするんだ….(呆)
固定観念や思い込みを取り除くことができたら、もっと自分らしく楽しく生きられる場所、仕事や趣味そして人に出会える可能性は大、ですね。
ご近所の妙なかかし。サンタなのは廃品利用?赤だと効果があるから??
自分を苦しめているパターンや思い込みを取り除きたいけど、どうしたらいいかわからないという方、ホメオパシー療法というものがありますよ。
ご興味のある方はこちらのHPにどうぞ:http://arnicahomeo.wordpress.com
セラピストというような類いの仕事をしていますと(私の場合はホメオパシー療法家)、それなりに精神や身体の問題をみてきますし、ひとさまの問題に対して少しばかり達観できるようになります。達観というのは、客観視しすることで、それができないと仕事にならないからです。ホメオパシー療法の場合は、客観視できないとレメディをみつけることが難しくなります。
と、いっても、心&体の問題を、いざ自分のことに置き換えたときに、セラピスト達がちゃんとできているのかといったら、正直それはできていないのではと思います、私の場合ですが(汗)。
だからBlogなんかでわかったようなことを書いたりしていても、自分がそれを遂行できているかと尋ねられたら、そうじゃないことが多々あります(謝)。
自分のことというのは、それくらいみえないもので、簡単には客観視できないのだと私は思ってます。
別の言い方をすると、他人様のことはよくみえる、ものなんだと思います。
つまり自分のことを自分でなんとかするというのは至難の業で、そこは誰かに客観的に自分をみてもらって、なにかしら改善しようとするのが有効だと私は思います。カウンセリングやヒーリング、そしてホメオパシー療法などです(私も自分のかかるホメオパスがいます)。
療法家達は、私のように自分のことは完璧にはできないかもしれないけど、他の人をみることはできるのですから。
他人のふりみてわがふりなおせ、という言葉って、そんなわけで本当にリアルだと思います。
他人をみたときに、客観的にみえてくる嫌なとこ、悪いとこ、それは自分の嫌な部分が拡大&増長されているときが多いです。
で、かわいい猫をそういう視点でみてみました。
紙袋に隠れちゃう猫の真剣さと臆病さ、思いっきり力を抜いたときののんびり具合、そして自分勝手な気まぐれさが私は好きなんでしょうね〜(私の中の願望が拡大表現されてる?!)
ホメオパシー療法にご興味のある方はHPの方にもどうぞ:
今朝、錦織選手の速報をみたくて珍しくTVをつけている私の横に、息子(小学校高学年)がやってきて、のんびりと画面をみながら歯を磨いていました(登校10分前)。
その後突然嵐のようなバタバタ。
学校に持って行かないとならない道具を押し込んだり、帽子がみつからないとあわてふためいています。
しかもまだ靴下はいていない汗。
帽子が彼のいつも読んでいる本の下敷きになっていたのが見えたので、ひっぱりだして教えてあげました。
それを機に我慢できずにわたしから小言がわんさか飛び出す(鬼)
彼はそんなお小言に構っていられないので、私に切れ気味に反論しながら、あわてて登校していきました。
このパターン、よくあるわー、一体いつ学ぶのだろうか…..
その後、ゴミ出ししながら、ふと気がつきました。
「本人が直そうという気ないんだから、そりゃ学ぶわけないわ」
親は、生活を自分で整えることを教えようとしてますが、
そこに恐らく価値を見いだしていないのだろうと思いました。
うちのダンナさんは、出張で海外に行くときですら、スーツケースの準備は通常「当日」です。
以前、義母にその話をしたら、「あら、私と同じよ」とさらっと言われました。
母子揃って、ギリギリに準備する人達 (汗)。
息子も同じ思考のようで、前日の夜に「明日の準備しておけば?」と声をかけても、ほぼやってない。
この人達の頭の中は??と思うけれど、
彼らにとって、明日の ”準備” や 旅行の ”準備” は前日からやるほどのことでもないと思っているようです。
私は準備しておかないと安心できないと自分でわかっているので前日までにやります。
(学校でも家庭でも一般的にはそう学ぶでしょうが)
でもうちのダンナさんが仕事の準備もしていないかと言ったら、仕事はちゃんと準備しているんですから、やっぱり彼らにとって衣類等の準備はあせってすることでもないってことなのかもです。
確かに当日まで準備していなくても全然あせったりしていない。
海外に2週間いくときも、一泊で近場への旅行のときもそれは変わらず、
ってことは事前準備を私は教えようとしていたけど、もし息子の価値観がダンナさんと同じだとしたら、息子には幾ら言っても響かないということですね笑。
問題は、息子自身は今朝あせっていたわけなので、こういう出来事を本人はどういうふうに生かしていくのか、今後楽しみです。むふーっ(鼻息)
後記:
2021現在、息子は高校生ですが、小学校時代は上記のまま、いつもバタバタ、夏休み宿題も2学期前日の夜中までかかってやってたタイプ。小学校時代は、高学年になるまでは、その都度注意はしてましたが、上記のように本人が学ばないと動かないと気づいたのでその後は口出ししないようにしてました(→ 私が楽になりました笑)。
中学校では意識が改善してましたが(早めにしようと)でも現実には小学校と似たような感じでした(行動がまだともなってなかった)。
高校生になってからは、宿題は早く終わらせるようになりました(終わらせて早く自分の好きなことがしたいからのようです)。
高校生の今でも登校準備は相変わらず事前にやってるようですが、前のように嵐のようなバタバタぶりではなくなりました。
親は教えたいことを教えたら、あとは本人の学ぶ速度や本人の性質&傾向があるので、それを見守っていればいいんだろうなと私は思いました。