あなたはどうだった?

ある友人男性の話です。
20代の息子がいます。
その息子はやりたいことはあるのだけど、
今はそれに向けた具体的な活動はしていなくて家にいるだけ。
とりあえず、現時点で、その息子が決めてるのは、
彼女が住んでいる国に短期間で旅に出る予定だけです。
その状態を、父であるその男性はかなり心配してると言うのです。

私は、それを聞いて、あはは、と文字通りに笑ってしまいました。

なぜ、笑ったかというと、
その男性の若い頃を知ってるからです。
彼は、20代の頃、気の赴くままに、
しばらくある国に滞在していたことがあって(好きな女性がいた国)、
今の息子と非常に似たことをしていたのです。

この男性の家は、いわゆるお固い家で、
お父さんも固い仕事についていたので、
彼のその当時のフラフラしてる状態は、
さぞかし、お父さんを心配させただろうと思います。

若き頃に、お父さんをさんざん心配させていたように、
今は息子が自分を心配させています。

自分も同じようなことをしていたことをすっかりと忘れて、
息子の将来を懸念してる、その彼の状態が
私には、おかしかったのです。
いやいや、どの口が言うねん?!と。

しかし、このパターン:
自分が過去にしていたことをすっかり忘れて、
今、目の前に同じ事象が起きてることに
全く気が付かない
というのは、よくみられますし、
自分にも起こりました。

今は巣立った息子が、
高校生くらいのとき、私が言うことを
はい、はい、と、いなしだしたときがありました。
はなから私の言うことを聞かない態度を
取り出したのです。

なんだ、この態度!?と思って
いっしゅん腹がたったのだけど、
これを体験するということは、
私も過去にそういうことをしたんだろうなと思って、
自分の昔をよくよく思い起こしたら、
私も全く同じことを母にしていたのでした。

しかも私の場合はもっとひどくて、
いなすというより、母が言ってくることすべてを
完全にバカにしていました。

その事象が自分に戻ってきたのだと気づいたら、
苦笑しましたし、
私の母はすごく傷ついただろうなと申し訳なく思いました。

と、いうことで、
人のことで悩んだりしたとき、
まずは、
そういう私はどうだったんだろう?と
自分が似た事象を起こしたことがないか、
点検してみるといいと思います。

思い返して苦笑することになれば、
その悩みは軽くなってると思います……

↑ 9月に訪れた石垣島の海の写真。
日の出直前の、この色、毎日毎日美しすぎでした。



みんな違って当たり前を体感するには

先日、あるママ友さんから教えてもらったのですが、

赤ちゃんの頃から猫を飼っているといいらしい です。

なんでも犬だと飼い主の意向を汲んで答えてくれるけど、猫はそうではない。

目の前の生き物に自分とは違う意志や好みがあるっていうのを
赤ちゃんが自然に学べるから、だそうです。

猫を飼ってる私は、な〜るほど、と思いました。

もちろん犬を飼うことにもたくさんの利点や喜びはありますが、
この点に関しては確かに猫はそういう生き物だから妙に納得です。

赤ちゃんが少し大きくなってお友達とかかわるようになって、
そんなことしたらXXちゃんは嫌だよ、とか、XXちゃんは悲しいよ、怒ってるよと
言葉で教えていく以前に、猫はそれを体感&体験させてくれる生き物みたいです。

言葉=頭で理解するのでなく身体で、自分以外の生き物が嫌がってる、
怒ってる(猫パンチがとびだす)、自分はこうしたいけど拒否される、
などと体感することは人との関係を作っていく際の重要な基礎となるんでしょうね。

とはいえ、犬みたいな従順な性質の生き物がいるというのを体感するのも大事だろうし、もしおじいちゃんやらおばあちゃんと同居してる大家族なら、
多様な人間の性質をみる機会となるわけで、猫だけに限らず、
言葉を覚えるまえに、家庭の中で自分とは違う生き物&人間の様(さま)を
体感できるのは良いのだろうなと思いました。

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↑空いた段ボールがあるとすぐさま入り込むニャンコ。
閉所が得意でない私にはわからない好みだ〜でも、そんな違いこそが面白い。

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自分と違う人や、違う思考を許容できないで苦しんでる方。
ホメオパシー療法が助けになるかもしれません。
ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.wordpress.com

子どもの学校

学童期以降大人になるまで、子どもが平日に一番長く時間を過ごす場所は、
寝てる時間を除けば、学校です。

長い時間を過ごす学校での生活や学びは
子どもの人格形成にかなり影響するだろうなと思います。

ホメオパシー療法にかかる方の過去の話をお聞きしていても、
学校生活の中でかなり自分の個性を封印しなければならなかった人や、
学校の先生や生徒とのかかわりや学校のシステム自体で心の傷を受けた人も結構います。

それぞれの体験の結果なんでしょうが、
特に子どもの意志がまだはっきりしない幼稚園や小学校を選ぶときに、
親の持つ学校教育に対する価値観や過去に得た教訓がでてるな〜と思います。

私が知ってる人の例であげると、
受験でのちのち苦労しないようにエスカレーター式の学校にいれる人、
悪い影響も少なく、ある程度のレベルを保ったままの環境が大事だと有名校など勉強のできる学校にいれる人、
自分で考えることができるのが一番だと自主性に重きをおいた学校に入れる人、
変に矯正されないように、自由にさせてくれる斬新な学校を選ぶ人、など様々です。

ちなみに私が子どもに通って欲しいと思った学校は上記の例でいうと、
後者2つを足して2で割ったような学校でした。
こんな学校に子どもを入れることができたらいいなと思っても、
現実にはそういう学校がないと話になりませんね。
(我が家が姫路市に引っ越してきたときには、私立の小学校は1校もなかった)

最近、とある女性が、私が子どもを入れたくなるような学校を作ろうと頑張っていらっしゃると知りました(後記:その後小学部というのが発足しました)。

既に自然学校というかたちで預かり保育を実施されていますので、就学前のお子さんのいる方で、シュタイナー教育や自然を近くに感じる集団保育を望まれている方は、是非HPを御覧になってみてください:

「ころあい」 子ども 自然楽校 加古郡にあります: http://eekoroai.jimdo.com

「ころあい」さんは進化を続けているそうです。
まずはNPO法人化して今年から幼稚園同様の週4という保育回数が実現されることになっていますが、ゆくゆくは小学校や中学校をサドベリースクールという形で運営できないか検討されているようです。

運営者の女性は、保育園や児童館で働いた後に、
自分の目指す教育機関がないならば、つくろうってことで、この自然学校を設立されたそうです。

ないから、つくる、こういう人が「道」をつくっていく人なんですよね。
華奢な彼女の持つパワー、けれどそのパワーをぐいぐいと前面に押し出していないところが逆に人を集めるのだな〜と思います。

子ども達が親から離れて最初に体験する小さな社会、そこが好き、と言える場所であったなら、人生の幸先が良いですね〜

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学校という場が一番の苦しみだった方、
そしてそれを今もひきずっている方、ホメオパシー療法が助けになるかもしれません。
ご興味のある方はHPの方へどうぞ: https://arnicahomeo.wordpress.com

Life lessons 2

前述のエリザベス・キューブラー・ロスの「ライフ•レッスン」の中から、
印象に残った母と子のライフレッスンを1つ紹介します。

ある講演をおえたエリザベスのところに、
髪がきちんとセットされた文字通りきちんとした身なりの女性が話しかけてきました。

そのきちんとした女性には、
18歳の息子がいるのですが、
彼はいつもよれよれのTシャツを着ていて、
彼女が毎日仕事から家に戻ると
キッチンカウンターにそのよれよれのTシャツを着て座っているそうです。

彼の仲間達も似たような感じで、
彼女はそれも気に入らず、毎晩のように息子をなじって不満をぶつける関係でした。

その女性は、以前にエリザベスのワークショップに参加して、
臨終のエクササイズを行ったらしく、
そのことをエリザベスに話してきました。
臨終のワークショップとは、「もしあした死ぬとしたら」と想像して、
自分の今の人生をどう感じるかというワークだそうです。
彼女はワークショップの後、帰宅してから本気でそのワークを再現しました。

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そのきちんとした女性は続けました(以下抜粋):

「もし自分があした死ぬとしたら、
自分の人生をどう感じるだろうか?
息子との関係が満点ではないにしても、
自分のことはだいじょうぶだという気がしました。
つぎにもし息子があした死ぬとしたら、と考えました。(…)

息子との関係について、
恐ろしいほどの喪失感と深刻な葛藤を感じるに違いないという気がしました。
こころのなかで恐ろしいシナリオがくりひろげられ、
息子の葬儀の場面が浮かびました。
息子をスーツ姿にして埋葬したくないという気もちが生まれました。
スーツを着るような子じゃないんです。
好きだったよれよれのTシャツのまま埋葬してやりたいと思いました。
そうすることで、息子とかれの人生をまっとうさせてやりたかったんです。

そこで気づきました。
死んだ息子にたいしてはあるがままのかれと、
かれが好きだったものを愛することができるのに、
生きている息子にはそれができないということに。
とつぜん、息子にとってTシャツには大きな意味があるのだということがわかりました。」

彼女は、その気づきの後、
そのままのあなたを愛していると息子に言ったそうです。

そして彼に対する期待を手放し、
息子を矯正しようとするのを止め、
ありのままの息子がとても愛らしいということがわかったそうです。
今のままの息子を愛するのは、とても気分のいいことだそうです。

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私はこの女性のエピソードを読んで、
すぐに自分の息子のことを考えました。
もし子どもが死ぬとしたら彼の棺に入れてあげたいのは、
あるゲームソフト。
これがすぐに頭に浮かびました。

今、彼がとても夢中になっていて、
夢中になりすぎているので、私が幾つかのルールで制限していたもの….
ゲームについては賛否両論あるし、問題ももちろんあります。
私はいわゆるゲーマーじゃないどころか、
ゲームの何が楽しいのかさっぱりわからない人、
だからなのかゲームに夢中になっている子どもをみると心配になります。

でも私はもし彼が急に死ぬことがあったら、
その好きなものを十分にさせてあげれば良かったと
後悔するんだなと感じました。

そんなに好きなんだから、十分にやったらいい、と考えを変えました。
それでこの日から、我が家はゲームについては解禁となったのでした。
(目への注意や、それ以外のやるべきことはちゃんとやる、という条件はついてますが)

ゲームソフトと、
上記のきちんとした女性にとってのよれよれのTシャツは、
同類項だったわけです。

自分の大切な人をそのまま愛するということがわかっていても、
なかなかできない苦しみをお持ちの方。
ホメオパシー療法があなたの助けとなるかもしれません。
ご興味のある方はこちらへ:http://arnicahomeo.wordpress.com

五味太郎さん

図書館で、五味太郎さんの子ども向けの本をみつけました。

私は五味太郎さんとか谷川俊太郎さんの作品を読むと、
どきっとする、いや、ぎくっとします。

自分の心の底で思っていることや、
子どものころには感じていたのにいつのまにか忘れたり、
すり減ったものをつきつけられたような気がして、ぎくっ!!とするんです。

今回みつけた本は
「じょうぶな頭とかしこい体になるために」(ブロンズ新社)というタイトルで、
かしこい「頭」とじょうぶな「体」が逆転しているところに、
すでにちょっとぎくっとしました(苦笑)。

はじめにこんなことが書いてあります:

『大人の言う事は素直に聞いて、
決められたことはきちんと守り、
出された問題にはうまく答え、
与えられた仕事はだまってやる。
決してさぼったり、ごまかしたりしない、
それが「かしこい頭とじょうぶな体」のよい子です。

言われたことの意味をたしかめ、
決められたことの内容を考え、
必要があれば問題をとき、
自分のために楽しい仕事をさがし出し、
やるときはやるし、さぼりたいときはすぐさぼる。
これが「じょうぶな頭とかしこい体」を持った、これもまたよい子です。』

本の中味は、子ども達の疑問、悩みと思われることに
五味氏流の答えが書かれているのですが、
どれも無邪気そうに書かれていて実際サティリカル(汗)。
ヒヤヒヤします。
読み終わったら、
あっしはいつのまにかこんな大人に成り果てていました…親分、すみません、
と五味氏に謝りたくなりました。

一見、子どもを理解しているよ〜、わかっているよ、いいんだよ〜と
子どもよりの意見を述べながら、
最後はうまく「社会でのよい子」に導こうとしている本はたくさんありますが、
五味氏の本はその手の本ではありません。

彼が自分で考え生きて経験してきて、本当に感じたまま、
子どもの純粋さをもったまま、答えた本だと感じます。
こりゃ、子どもの心に響くだろうな….

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私が一番ぎくっとしたのは:
”わたし ぼーっとしているのが好きなの ぼーっとしていてはいけないのか”
というお題のものです。一部抜粋させていただきます。

『せっせと勉強して、せっせといい学校に入って、
さらにせっせと働いて、せっせとお金を稼いで、
せっせとお金をためて、そして何をしたいかというと、
ぼーっとしたいんだと、これは笑い話です。』

それから、こんなことも:

他にも ”なにがしたいのか自分でよくわからないんだ”

というお題にはこんなことが書かれていました:

『人間にある目的、目標が生まれるのも自然なら、
それに向って努力するのもまた自然です。
その目的、目標がどんなものなのか誰にもわかりません。
当人にもよくわかりません。
そしてとりあえずの目的、目標がないというのもまた自然です。
その状態でいわゆる努力しないのもまたあたりまえです。
そこのところが分かっていない人が多すぎます』

ぎくーっ
この本は子どもでなく、大人が読んだほうがいい本だと思いました。

事前にするorしない

今朝、錦織選手の速報をみたくて珍しくTVをつけている私の横に、息子(小学校高学年)がやってきて、のんびりと画面をみながら歯を磨いていました(登校10分前)。

その後突然嵐のようなバタバタ。

学校に持って行かないとならない道具を押し込んだり、
帽子がみつからないとあわてふためいています。

しかもまだ靴下はいてない汗。

帽子が彼のいつも読んでいる本の下敷きになっていたのが見えたので、
ひっぱりだして教えてあげました。

それを機に我慢できずにわたしから小言がわんさか飛び出す(鬼)

彼はそんな小言に構っていられないので、
私に切れ気味に反論しながら、あわてて登校していきました。

このパターン、よくあるわー、一体いつ学ぶのだろうか…..

その後、ゴミ出ししながら、ふと気がつきました。

「本人が直そうという気がないんだから、そりゃ学ぶわけないわ」

親は、生活を自分で整えることを教えようとしてますが、

そこに恐らく価値を見いだしていないのだろうと思いました。

うちのダンナさんは、
出張で海外に行くときですら、スーツケースの準備は通常「当日」です。

以前、義母にその話をしたら、「あら、私と同じよ」とさらっと言われました。

母子揃って、ギリギリに準備する人達 (汗)。

息子も同じ思考のようで、
前日の夜に「明日の準備しておけば?」と声をかけても、ほぼやってない。

彼らにとって、明日の ”準備” や 旅行の ”準備” は
前日からやるほどのことでもないと思っているようです。

私は準備しておかないと安心できないと自分でわかっているので前日までにやります。

でも、私のダンナさんが仕事の事前準備もしていないかと言ったら、
仕事はちゃんと準備しているんですから、
やっぱり彼らにとって旅行や衣類等の準備は
あせってすることでもないってことなのでしょう。

確かに当日まで準備していなくても全然あせったりしていない。

海外に2週間いくときも、一泊で近場への旅行のときもそれは変わらず。

ということは事前準備を私は教えようとしていたけど、
もし息子の価値観がダンナさんと同じだとしたら、
息子には幾ら言っても響かないということだと納得しました。

ただ、息子自身は今朝あせっていたわけなので、
こういう焦ったり、ストレスになる出来事を体験しながら、
本人はそれをどういうふうに生かしていくのか……..今後楽しみです。

後記:その後、息子は家を巣立ち(これを記した時点で21歳)、
今夏に帰省したときのスーツケースをみていたら、
出発の日の前日に準備するようになっていました。
体験した後、最終的にそのように学んだようです。

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この記事を、振り返って思うのは、
親は自分が体験してきて子供に教えたいことを教えたら、
あとは本人の学ぶ速度や本人の性質&傾向があるので、
それを見守っていればいいんだろうな、
何より大事なのは、本人自体が自分でそれを体験し、学ぶことかなと思いました。