私は瞑想をするとき、あぐらで座って、目を閉じて、何もしない状態になろうとします。
何もしないというのは、思考しないということですが、
私が「思考しない」ように意図してるのに、
思考というのは勝手に湧いてきます。
まるで自然発生するかのように、頭の中に声や映像として湧いてきて、
その思考を川のようにさらさらと流せるときもありますが、
湧いてきた思考が別の思考につながって思考の長い連鎖になっていくこともあります。
(ちなみに、その思考の連鎖をただ眺めてほおっておくと、いつのまにか思考はなくなって瞑想状態になります、また瞑想状態にならないときもあります)
一方で、私が例えば新しい講座をやろうかと思いついたとき、
その講座内容を吟味するとき、
私はよりよい内容を考えよう、アイデアを出そう、つまり具体的に思考しようと自分で意図してるわけですが、このようなときは、
私は自分が意図した通りにちゃんと「思考しています」。
この2つの思考を比較すると、
わたしが意図していないのに自然に湧いてくる思考 と
意図して行う思考
の2種があることがわかります。
エネルギー療法をやってるので、その視点でこれを分析するならば、
前者の意図しないのに湧いてくる思考は、
わたしたちのエネルギーフィールドに存在するエネルギー(過去に体験したり、思考したエネルギー)を単にキャッチしてるのだと思います。
後者は、何かを創造していくために、思考というツールを使っている状態だと認識しています。
どんな人も十分に体験してると思いますが、
自然に湧いてくる思考というのは、私たちの精神にとって好ましくないものの方が多いです(苦笑)。
勝手に湧いてくる思考というのは、
過去にしでかした後悔だったり(あのとき、あれに気づいてこうしてれば良かったんだよ、みたいな)、
消化していない怒りや悲しみを追体験してたり(あの人にあの時、こう言われて、なんで言い返せなかったんだ、くそーとか)、
気にしてることや漠然とした恐れだったり(今度のイベント無事に問題なくできるのか?とか、親の介護のことそろそろ考えないと、とか、地球環境はこのままどうなってしまうのかな?みたいな)
他には、自分にとってどうでもいいことなのに、なぜか印象に残ってるシーンだったり(あそこでAさんにこう言われたときのBさんの変な顔とか、昨日読んだ漫画のどうでもいい1シーンやYoutubeでみたある映像や音楽がただ蘇ったり)、
いわゆるそれらを再度思考したところで、幸せになるものではないものが大半で、簡単にいうとネガティブな思考が多いです。
ある具体的な悩みを現在進行形で持ってる人の場合は、
その悩みが起きたシーンから対象相手のそのときの言動や、相手への批判など映像や思考やそれに伴う感情の連鎖が次々と起きてると思います。
何を言いたいかというと、
このように自分が意図しないのに、勝手に湧いてくる思考というのは、
「自分が起こしたものではない」と知るのがよいと思います。
セルフサービスのカフェに座っていたら、向こうからジュースのコップを運んできた人が何故かつまづいて、自分の目の前でジュースをぶちまけたとします。
それをみて、あ〜私があれを起こしたんだ、とは思わないですよね。
それが、なぜ起きたかはわからないけど自然発生的にそれは起きたのです。
だから、自然に湧いてきた思考も、自分が意図して起こしたわけではないので、それらの思考に囚われる必要はなくて、またネガティブな思考が起きてる自分も責めたりしなくていいのです。
思考というのは、上記したように、意図して使うときは、私たちがよりよく人生を送れるように使えるツールです。
よりよくするにはどうしたらといいだろうと意図したときに思考を使うだけでよくて、
湧いてくる思考の方は引きずりこまれないでスルーしておけばいいのです。
もちろん、湧いてくる思考が自分にとって苦しかったり、具体的な悩みがあって苦しい場合は、
この湧いてくるネガティブな思考から解放されるにはどうしたらいいだろうと、
敢えて意図してツールとして思考すればいいと思います(解決法を探るのに思考を使う)。
といっても、勝手に湧いてくる思考をスルーしていくのは実際にはなかなか難しいですが、
多くの時間、自分の頭の中を占領してる「意図してないのに勝手に湧いてくる思考」に
巻き込まれてる状態に気づく回数が増えていくと、
もっと目の前のことに集中できて、日々の心の調子はかなり軽くなるし、寝つきもよくなります。
と、これを記事にしてる私ですが、
昨晩、瞑想していたら、昨日ご近所さんにいただいた「たらの芽」を天ぷらにして食べたことが思考としてすぐに浮かんできて、
そしたら、20代の頃に働いていた会社の社長さんに都心のおしゃれなカウンターの料理屋さんに連れていってもらって、そこで新春の山菜のこごみだかたらの芽が出された記憶がつながって湧いてきて、それを私はあまりにも苦くて一口しか食べられなかったな、今は全く苦いと思わないのに、あのときあんなに苦く感じたのは何だったのか……、新春の山菜でデトックスするのを私の体が拒んでいたのかなとか、思考の連鎖が始まり、そういえば、あの社長さんはある社員の女性とそういう関係だとうわさされてて、他の女性社員たちがその女性社員にすごい不満をもらしていたなとか……. はっと気がつくと、どんどん湧いてきた思い返したところで本当に全くどうでもいい思考に溺れていたのでした。
はい、それで、この思考のことを今朝、記事にしてみました(笑)。

↑ たらの芽の写真は、撮り忘れた… ホームセンターで買ってみたチューリップがいい感じに咲きました。