恋愛分析

人の大きな悩みの1つに恋愛があると思います。

思考では制御できない現象で、

ワクワクする素敵な体験でもあるけど、

いったんうまくいかないと、心をここまで苦しくできるのかとおののくような(笑)現象にもなります。

恋愛もいろんな角度からみることができると思いますが、

まずは脳内物質でみていくと(精神科医:樺沢紫苑さんの著書あり)

ドーパミン的恋愛とオキシトシン的恋愛にわけられるそうです。

>「ドーパミン的恋愛」とは、盛り上がる、情熱的な恋愛

>「オキシトシン的恋愛」とは、そこにいるだけで幸せ、という恒常的な愛情

簡単に私の言葉で書かせてもらうと、

ときめいて恋におちてずっと一緒にいたくて夫婦になった(ここまでドーパミン的)、

子供もできたり生活していくうちにお互いに色んな面がみえはじめ、

人としては嫌いじゃないけど、お互いにときめかない状態(これがオキシトシン的)

ということだと思います。

恋愛によってでるドーパミンは、2-3年で失われるそうですから、

世の中の夫婦の多くは、こんな感じではないでしょうかね(我が家も例外ではありません笑)。

中にはずーっとドーパミンをだして恋愛に永続夢中な人もいますが、

それはそれなりの刺激が続いてるからだと思われます。

相手を定期的に取り替えてるとか、決してかなわない恋だとか、どちらかが片思いの状態だとか、

もしくはある種の障害があるために完全にオキシトシン的=安心状態にならない=つまり執着や依存状態ともいえるかもです(ツインレイのケースもありますが)。

というように脳内物質からみるならば、

ときめきが薄れたよくある夫婦関係も、

実はみたされた安心感のある愛情関係に移行してる、と言えるかなと思います。

他の見方でいうと、ギリシャ哲学で分類される「愛」の様相の見方があります。

エロスeros

フィリアphilia

ストルゲーstorge

アガペーagape

と4つの種類があるのですが、エロスはおなじみな言葉ですよね。

その言葉通り、エロスは上記でいうとドーパミン的でいわゆる燃え上がる恋愛で、

性的な関係につながる愛です。

フィリアは、好きな友人や他者に対してもつ愛のことを指します。

日本だと友愛という言葉がこれに当たると思います。

好きな友人のために一肌ぬごう!なんて感覚もフィリアだと思います。

ストルゲーは肉親/血縁に向けられる愛です。親子や兄弟、親戚に対する愛です。

エロスやフィリアは、その人を好きな間だけ起こる「愛」といえるかなと思います。

だから、永続的とは限らず、その人が嫌いになったら、終わる愛です。


ストルゲーは肉親に対する愛なので、

憎しみあう親子であってもきれない縁があるので(憎しみは愛の裏返しなので)

ほぼ永続的と言える愛と思います。



つまりストルゲーは対象人物がどういう状態であれ、持ちつづける愛で、

私の言葉でいいかえると 「つながり」「きずな」に対する愛だと思います。

アガペーは、聖書にもでてくるので、上記2つの言葉よりは聞き慣れてるかもしれませんが、

無償の愛 神の愛 を指します。

いっさい条件のない愛。

慈愛という日本語もこれを指すかもしれません。

この4つの「愛」の種類には

優先順位というのはなく、ただ4つの様相を示してるだけですが、

精神の進歩度合いでいくと、もしくは歳を重ねて成長していくとしたら、

やはりエロスから始まって、最後のアガペーを体験するように人生をたどっているのではないかと思われます。

エロスの愛はうつろいやすく、

幸せと別れを繰り返すループになることは、恋愛を体験してきたひとはわかってるし、
もちろん、それを体験しつづけるのもまた人生の醍醐味でしょうが、

それを超えた心からの安心や永続的な愛を求めていくのも、また自然な心のように思います。

(と書きつつ、素敵な人がいてときめいたら、やっぱ嬉しいですけどね笑)

心や精神世界の視点で恋愛をみるならば、

人が恋愛に落ちる相手というのは、

自分に持っていないものを、その誰かが持ってるからだと思います。

美しい人や、かっこいいと思う人がすきなのは、

その美やかっこよさを自分が持っていないとどこかで感じてるから。

お金をもってるひとや、権力をもってたり、有名な人がすきなのは、

その強さや成功、知名度を自分が持ってないとどこかで思ってるから。

なぜなら、恋愛というのは、究極には 1つになりたくて起こる現象だからです。

体を1つにすることもそうだし、

自分にないものを相手に補ってもらって、1つの完璧なものになりたいという心の現れだからです。

(1つになった先には「創造」がある、セックスで子をつくるのも創造)

ということで恋愛を覚めた視点でみるならば、

そんな感じで自分に足りないものや、

自分が欲しいものを相手に求める現象ということになります、チーン(なんか寂しい?…汗)。

エネルギーという観点で言うならば、

恋愛というのは、エネルギー上昇していくために(高次元のエネルギー体となるのに)通る過程の1つだと思います。

恋愛対象の相手とエネルギー的にひきあって、

そのひきあったときに起きるエネルギー現象を使ってお互いに波動をあげていく、

そのレッスンをしてると言えるんじゃないかと思います。

原子が、他の原子とひきあって、

不足や過多になってる電子をお互いに放出したり or 受け取ったりして

イオンを帯びて安定しようとする動きと同じではないか、と思います。

最後に、この記事を書きながら、私の場合はなんだっけ?

ダンナさんと恋におちたときに、

私が持っていなくて、私が欲しかったもので彼が持っていたものは?と考えてみたら….

私は、基本的に草食系男子が好みだったのですが、

ダンナさんにであったのがパリの図書館で(ツボですね、こりゃ)、

彼は眼鏡をかけてて、一人で本を読んでた(これもツボですね笑)、

そして親しくなって個人的に話をしたら、文化教養度がめちゃくちゃ高い!と思ったのを思い出しました(理系の人なのに、文学やクラシック音楽、美術など多方面で詳しかった)。

そっか〜、私は自分に足りないと思ってた文化教養度を、彼といることで補っていたんだな〜とわかりました (念のため、私が持ってなくて彼が持っていたものは、これだけではありませんが)。

結末としては、結婚して、特に今の田舎に住むようになったら、

ダンナさんは草食系からクマのような人になりましたけどね涙&オキシトシン笑。

ということで、恋愛の悩みを持ってる方は多いですが、

違う視点で恋愛をみると、それは悩みではなくなるかもしれません。

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それでも恋愛で苦しくてたまらない方、その恋愛であなたになにが起こってるか、
一緒に解き明かしていくことができます。

コンサルテーションだけでなく、レメディやエッセンスを使って、

あなたのその恋愛で停滞したエネルギーを解放することができるかもしれません。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ: https://arnicahomeo.com/

体験するためにいます

夏頃にコンサルテーションを受けた方で、そのときに困っていた心の問題は静まったけれど、

最近は、別の問題のループにはまってるということでメールをいただきました(ご本人の許可をいただいて記事にしています)。

その問題と共にみられる体の症状は、右手の甲の肌の問題(肌が荒れてる)です。

手というのは、体の中でも最も様々な行為ができる部位で、その手を使って、

自分が何かしたり、相手に何かしてあげたりするために使います。

手の甲は、内側というより外側に向けてる部位なので、

この女性の症状は、

外側=他者に対して何かするときに問題があるよ、というのを教えてくれています。

この方は、その部位が ”荒れてる” と表現されていますので、

他者に対して起こしているご自身の行為が荒れている(穏やかでない心)を教えてくれてると思います。

彼女のループにはまってる問題の相手はご主人で、お二人は仕事を一緒にしています。

具体的な問題は:

“(仕事をしていく中で)ある程度(奥さんが)失敗も予測できて、

(失敗になると思うからそうしないほうがよいよと夫に)助言したにも関わらず、

(夫が)それをせずに、結果失敗に終わることがあると、

ムカつき、イラつき、(夫を)許せない気持ちが出てきます ”

というものです。

手の甲の問題は、これと関連してるように思えます。

それにしても、このような問題、夫婦や母子間にアルアルではないでしょうか〜苦笑。

奥さまご自身が学んで習得したことを失敗しないようにご主人に伝えたのに、

その助言を聞きいれないだけでなく、案の定、失敗してる….. しかも1回だけじゃない汗

もうっ! だから!言ったでしょっ!!

と、なりますよね苦笑。

このような日常の心がささくれだつ(笑)問題を、どう考えていくかの答えは、

人それぞれなので正解などありませんが、

私がメールでお答えしたのは、一文で書くとこれでした ↓

相手の人生の体験の機会を奪わないでおく

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この世は、”失敗しない”ことがすごく大事なわけではないと思うんです。

うまくいきたい、成功したいというのがベースにあるにしても、

全てのことに対するモチベーションって「これ、やってみたいな」という

ただ、そんな気持ちじゃないかなと思うんです。

人って、やってみてどうなるか、を体験したいのだと思うのです。

もっというと、私たちはただ体験するためにこの世に来てるのだと、私は思っています。

この奥様ご自身が、過去に何かを体験したから(彼女にとって)それは失敗する、という結果を得たわけで、

だから、その彼女の体験をご主人様にシェアして助言はしたとしても、

それでも敢えて実行するご主人様を、

あ〜体験をしたいんだな、と見守っていると心は穏やかでいれるかもしれません。

ジェットコースターに乗ったことがない人が、乗った体験のある人から、

「あの頂上で止まってシンとしてから突然落ちる時が怖いんだよ」といくら口で教えてもらっても、

自分が乗らない限り、それを体験できないのと同じようことかもです。

ご主人が1回の失敗で懲りないのは、

腑に落ちないと学ばないタイプで、まだ、彼の腑に落ちてないのかもしれませんが、

別の見方をするならば、

奥様からみると、それは ”失敗” にみえるのだけど、

ご主人からすると それは ”失敗”ではなくて、

”なにかにチャレンジしてる行程中” 、うまくいくかやってみてる途上ではないかなと私は思います。

ご主人は、奥様が体験したのとは違う結果を導き出そうとしてるのかもしれません。

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さらに、この事象は、他の角度からも分析することができます。

奥様は、失敗しないように、と転ばぬ先の杖をご主人に差し出していて、

その杖を使ってくれないので、イライラしています。

手の甲の症状が右側ですが、右に症状がでてるときは「与える」問題があるときです。

ですから奥様は(助言や手を出すのを)与えすぎてるかも、と言えます。

だとすると、なぜ、与えすぎているか….. です。

私が、自分自身やクライアントさんたちを通してみてきたところでいうと、

他者に情報や、助言や、実際の助けなどを与えすぎてるとき、

その人は自分のことをないがしろにしています。

自分自身を見ることや、自分自身についてすることから逃げて、

他者のことに一生懸命注目してるのです。

他者のことには口を出しやすい、他者のことは見えやすいから。

一方で、自分自身が中心になって何か体験するのを避けてるか、怖がってるのです。

ということで、

ご主人やお子さんをはじめ、

ご家族やご友人などに、

手や口を出して不快な摩擦が起きてる場合は、

自分が手や口を出しすぎていないかセルフチェックしてみるといいかなと思います。

そして、自分自身は「これ、やってみたいな」という自分の体験をおざなりにしていないか、

自問してみるといいかもしれません。

「これ、やってみたいな」ということって何だろう?と自分に問うて、

ぱっと浮かんできたこと、それが何であれ、

それをやっていたら、他者のミスや他者の行動にそんなに注目していられないので、

自分と他者の距離のバランスがとれていくと思います。

最近、私が体験したかったのは洗面所のタイル貼り笑 ↑
洗面所の漆喰の壁に飛びはねた水汚れが目立ってきて、ただ塗り直すんじゃなくて、気分があがるのはなにかな〜と考えました。

昨今は”タイルシート”という商品があって、陶器のタイルがシート状で貼れるのです、ありがたや。
問題は、漆喰壁にはそのシールがくっつかないこと汗。

旦那さんも、仲良しの大工さんも、薄いベニヤを貼るとかしないとくっつかないよと助言くれたけど、どうしてもそういうのなしで貼れるかやってみたかった…..笑。

いろいろ検索して&考えて、結局、壁に薄い膜をつくれる商品をホームセンターで購入して、それからタイルシートを貼ったら、ばっちりくっつき貼れました! やっぱ、どうなるかなって体験してるときが、私も一番楽しいです笑