異なる意見を合わせるとき

メールでご相談をいただきまして、そしてそれはわりとよく頂くご相談なので、この機会に記事にしてみようと思います。

内容を簡単に書くと、

ご相談をしてくださった女性は、子供や家族の日常の健康維持のためにホメオパシー療法を使いたい

ご主人は、それを快く思っていない、むしろ使ってほしくない

いくら話し合っても平行線、どうしたらよいでしょうか、です。

こういう問題が浮上してきたとき、

対象が「ホメオパシー療法」というマイナーな(笑)療法なので、

それがそもそもどうなのか?という

対象物にフォーカスをしていくと、解決にはつながりにくいと私は思います。

対象物にフォーカスをすると、

それは怪しいとか(苦笑)、エビデンスがなんちゃら、とか、

かたや、これは健康にいいんだとか、免疫力があがるとか、

どっちが正しいか間違ってるかという結論の出ない論争になるからです。

もし、夫婦で意見が合わない対象が、

子供の学校をどこにするか? とか、

どこの地域で家を買うか? とか、

親の介護はどうするか?

みたいな、大きな人生の選択だとしたら、

夫婦で意見が違うときはどうしますか?

これと同じような問題が起きてるとみるとよいのでは、と私は思います。

対象が

ホメオパシー療法であろうと、

家を買う町をどこにするか、であろうと、

複数の人間の意見が異なっているときに、

どのようにしていけばお互いが気持ちよく理解しあって、納得がいく選択ができるか、というレッスンに対面してるのだと思います。

ここから、あくまで私個人の考え方というかやり方ですけど、

そういうとき、いつもお互いの「ツボ」があるなと思っています。

ご相談の例でいうと、

ご主人にはご主人の反対意見のツボがあるのです。

メールから読み取ると、私が思うご主人のツボは、

ホメオパシーはいいのか悪いのか実際よくわからない、

でも嫌だなと思うのは、それを良いと思い込んでる奥さんの頑(かたくな)さで、

それは別の言葉でいうと、それを信じすぎてる感じがして違和感を感じるということだと思います。

いわゆる宗教に入って洗脳されてるような不気味さを感じるのだと思います。

これを心の言葉でいうならば、

そっちを頼りにしてるけど、俺の考えは信頼していないし、俺を頼りにもしてないよな、

というような寂しい気持ちもあるのでは、と思います。

私はそのホメオパシー療法をやっていますが笑、このご主人の気持ちはとてもよくわかります。

だって、もし、ご主人がセミナーかなにかである人に感化を受けてきて、これをやったら人生が好転するよ、とかいいだして、なにか特定のことを真剣にやり出したら、

うわ、大丈夫?!って思いますよね?

それと同じだと思います。

ちなみに、奥さんの方も同じで、奥さんがそれを使いたいと思うツボ(もしくは医療をなるべく使いたくないというツボ)があると思いますので、

それをちゃんと自分で把握しておくのが大事と思います。

ということで、私は、意見が違う人となにかを決めていかないとならないときは、

反対してる相手が一番恐れてることは何か?

反対してる相手が最も嫌がってることは何か?

を知るのが、もっとも早い解決法だと思っています。

誰かが何かに反対!というとき、

隅から隅まで全て真っ黒に反対!と思ってることは少なくて、

ある数点のみの部分が、真っ黒で反対!で、

残りの部分は、意外とグレーか白で、そこまで反対では、なかったりすることがほとんどなのです。

ですので、真っ黒な部分=ツボ をまずは知ることが、解決の糸口になると思います。

頂いたご相談の例に戻ると、

ご主人がもっとも嫌だと思ってることを、具体的に話してもらって、

それをまずは理解して共感する。

例えば、私の推測のように、ご主人が奥さんの狂信的なところを嫌だと感じてるなら、

「そうか、なるほど、それはわかるわ、確かに不気味だよね、そうだよね〜 心配するのもわかるわ」

「でも大丈夫だよ、そこまで狂信的じゃないけど、そうみえるなら理性的でいるように注意するね。そして、今後はあなたの意見をまず聞くようにするね」

という感じで、相手の最も嫌だと思う部分に対する理解や妥協案を示すと、

相手のツボはおされてゆるむ、と思います。

ここで相手はどう感じるかをそこで再度聞くのもよいと思います。

そしたら、次に、自分のツボもそこでいれるといいと思います。

「なにか重大な症状とかはちゃんと医療にかかるけど、

でもできたら日常のケアは、ホメオパシーを使っていこうと思うんだ。

使ってみて効果を感じるし、あと、私は、あまり薬という化学的に合成された物質を体に入れたくないんだ」

みたいな自分のツボを知らせて、相手に私はそこが大事だと思ってるんだ、とわかってもらえるといいなと思います。

人は、できたら、わかりあいたい

それはどんな人も同じだと思います。

そのためには、まずは、自分の方から先に相手をわかってあげるのが大事

→ かといって、そんな寛容な人間になれないかもしれません(わたしもなれない笑)。

そんなとき

相手を全部わかってあげなくてもいいし

相手を全て受け入れなくてもいい…..

相手のツボだけ、わかってあげて、そこだけ受け入れるなら、

できるんじゃないでしょうか。

面白いのは、そのお互いのツボが通ったとき、心が通い合ったように感じるのです。

それはとっても心地よい体験です、お試しあれ。

お互いの心が一部でも通いあったときは、雲の隙間から光が差し込むような感じ。希望がもてます〜

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いつも誰かとぶつかってしまう、

誰かともめたらいつもあきらめてしまう

それが自分の人生の大きな問題だと思ってる方、

それはあるエネルギーパターンを身につけてしまってるから、のことが多いです。

コンサルテーションで、それが何か一緒にみていくことができます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

選択を迷うとき

先日、息子が17歳になりまして、

プレゼント、何か欲しいものあるの?

と尋ねましたら、

いまどきの子らしく、タブレット型の電子機器が欲しいとのことでした。

私のときと比べると、そんな高価なものをプレゼント?!と驚きを隠せませんが

(というか、そもそも私は親から誕生日プレゼントをもらった記憶すらないのですが汗)

旦那さんは、息子がこの大人に近い年齢になったことがとてつもなく嬉しいようで(もちろん私もですが)、

なんでも好きなものは買ってやるぞっっ的な勢いなので、任せることにしました。

息子があれやこれやと候補の商品を調べて、

旦那さんにそれらの情報をみせて、二人でワイワイ比較検討しているようでしたが、

今朝、息子を送迎してる車の中で、私に、最終選択の相談をしてきました。

結局、2つの商品 A と B にしぼったらしいのですが、どっちにしようかな〜と

迷ってるそうです。

プロセッサの性能は、Bの方がAより良い、といってもそこまで大きな差ではない。

使い勝手や画面の大きさもBの方がよい、しかし、これも大差ではない。

値段は、Aの方がBより2万くらい安い → ここまでが条件ならAにする、ということらしいのですが、

問題は、Aだと納期が1ヶ月以上待ち状態で、Bはすぐに発送可だそうです。

それで、どっちがいいかな〜と、早朝から、うなっています。

その息子の楽しそうな?悩みを聞きながら、私が思っていたのは

「そういや、この子は、よく2つのうち、どちらを選ぶかで迷ってるな…..」

でした笑。

それで、これはちょうど良い機会かも、と、私が迷ったときにどう選択するかについて話すことにしました。

私は、例えば何かを買いたいとなって、最終に2つもしくは3つの中から選ばないといけなくなったときに

「タイミング」というのを重視しています。

例えば、息子の選択の例だと、

納期が先のものは選ばないで、すぐに手に入るほうを選択します。

なぜなら、私が欲しいと感じて出してるエネルギーに合致して、現れた品だからです。

違う表現をするならば、これは大いなる流れが与えてくれたものだから、そちらを選ぼうと思うわけなのです。

ただし!

納期が先であっても、その日数を待ったとしても、あちらの方が欲しいと「感じてる」なら、

それは物理的条件を超えたところで、自分の深いところが望んでるものだから、

あちらを選択するようにします。

例えば、今の車(mazda CX-3 黒)を数年前に選んだときにも、

デザインが好きだったので、最初からこの車と決めていたのですが、

新車を試乗して購入しようとしたら、

色は「白」が希望だったのですが、白だと、納期が3ヶ月先だと言われました。

一方、1万kmしか走っていない中古の「黒」が販売されてるのも見たのですが、中古なので、こちらは即入手可能でした。

白を買うつもりでいたので、旦那さんとも相談したし、うーむ、と迷いましたが、

今、この車が欲しい私に「黒」が与えられてる、だから、黒にしよ、と思いました。

(黒は、白の次の第二希望の色だった)

あのとき、3ヶ月待ってでも、「白」が欲しいと感じなかったということでもあります。

そして、実際にその車にして、今は黒でよかったな、と思います。

もちろん、あのとき、3ヶ月待って「白」にしても、それでも自分は「白」で

良かったなと思っただろうなと思います笑。

ま、つまり、どっちを選んでも、満足したんだろうなと思うのです。

別の言い方をすると、

何を選んでも、成功も失敗もない、ということだと思っています。

自分がソレを選んだことを受け入れて過ごしていけば、ソレでよかったってなるものではないかなと思います。

人生はとにかく選択の連続で、その選択では、あー、あっちにしたらよかったな、とか、こっちを選んで失敗だ、と思うことも、あるでしょうが、

そう思うことも、それを体験することになっていたんだと思います。

いずれにしろ、私が息子に伝えたかったのは、

物理的な条件や、損得条件だけで選択できないとき、

もう少し大きな視点で選べば(大いなる流れとかタイミングとか、自分が深いところから望んでる感覚を大事にする)心がすっ!とした感覚で選べるよってことでした。

これから、彼の人生で、もっと大きな規模の人生の選択をしていくだろうなと思います。

大学だったり、職業自体の選択とか就職先だったり、

人生のパートナーとか、家とか住む場所…etc..

そのときに、自分の深いところとつながる選択ができるといいなと願います。

また選ぶことより、選択してそれで「何を体験するか」のほうが大事だということにも気がついてほしいなと思いました。

車を運転しながら、上記の「私の選択の仕方」について息子に話したら、

「わかった、決めたわ!」とすっと答えた息子でした。

私は誕生日に欲しいもの、思いつかない….「旅」かな。