HSPと言われる人をどう思いますか?
というご質問をいただいたので、記事にしたいと思います(ネタありがとうございます、礼)。
HSPは、かなり普及してる言葉だと思うので説明不要かもしれませんが、
Highly Sensitive Person の略語で、
簡単にいうと「超敏感な人」のことを指します。
エレイン・N・アーロンというアメリカ人女性心理学者が、25年ほど前にこのタイプの人のことを本に書き、
共感を持つ人が多かったため、徐々に世界で認知されていったワードです。
HSPは後天的に形成された性格というより、もともと持って生まれた性質のことを指しています。
HSPの代表的な特質としては、
音や光や匂いなど環境からの刺激に超敏感である とか
他人の気分や雰囲気に非常に大きく左右される とか
変化や起きる出来事で、神経が他の人よりもたかぶる
というような反応があげられます。
HSPをどう思いますか?と尋ねられたのは、ご質問者ご自身が、
自分もそのような気がするということらしく、もしそうなら、
そのことをどう考えていけばいいのかを知りたかったようでした。
どう思うか?ということに対しては、
私個人としては「特に何も思いません」です。
これは、
下世話な例でいうと、
”陰キャ” とか ”陽キャ” みたいなもので
(余談ですが、これらは昔は”根クラ”、”根アカ”と呼ばれてた笑)
そういうカテゴリーを設けるなら、確かにそこに入る人はいるよね、と思うくらいです。
実際、クライアントさんでも、私はHSPだと思います、と自分からおっしゃる方に何名もお目にかかったことあります。
中には、HSPというカテゴリーがあったことで救われた気分になった方もいます。
生きづらいのは自分のせいじゃなかったんだ、そういう性質だったからなんだ と安心したとか、
そういう超敏感な人が自分以外にも一定数以上いるとわかって (15-20%という統計あり)、
自分だけじゃなかったんだ!という孤独感の払拭にもなったようです。
このような人の性質や性格の分類分けにはいろんなカテゴリーやジャンルがありますが、
それに自分を当てはめるというのは、何をしてるかというと
自己認識
なんだと私は思います。
自分はこういうところあるよね、とか、
自分という人間は、文章にしてみればそういう表現で形容できる人間だよね、
みたいな自分を客観的に認識する1つの手段だと思います。
だから、もし自分がHSPだなと思ったら、それは自己認識した段階といえると思います。
ここから、ちょっと自分のことを例に書きたいと思いますが、
今回この記事を書こうと思ったので、ネット上にあるHSPセルフチェック(テスト)というのを
3つほどやってみました。
そしたら、2つのテストでは、私はギリギリHSPの範囲であるというのと、HSP中度であるという結果がでました。
3つめのテストでは、「あなたはHSPではないようです」という結果になりました。
もし、このセルフチェックを30年前にやっていたとしたら、
私は完全に高度なHSPと認定されたと思います。
私は、エネルギー療法というのをやってるだけあって、いわゆるエネルギーにとても敏感です。
だから、HSP気質の人の特徴である
音や匂いや光にももちろん敏感ですし、
カフェインや暴力的な描写などにも弱いし、
人が放つエネルギー → つまりは気分や雰囲気、不快な思いなどを察知する能力も高いと思います。
ですから、生まれ持った気質は完全にHSPだと思います。
とはいえ、30年前なら高度なHSPと認定されたであろう私が、
今はそうでないとか、中度や低度の判定がでたのは、
HSPと診断される幾つかの基準は、もともとの性質や気質だけといいきれないものがあるからで、
それらの点を、私は今までの人生で生きやすいように変えてきた、と言えると思います。
私が変えてきた点は、例えば、以下のようなものです(セルフチェック項目よりコピーさせてもらいました):
ーミスをしたり物を忘れたりしないよういつも気をつけている
ー短期間にたくさんのことをしなければならない時、混乱してしまう
ー仕事をする時、競争させられたり、観察されていると、緊張し、いつもの実力を発揮できなくなる
ーあまりにもたくさんのことが自分の周りで起こっていると、不快になり神経が高ぶる
このような自分を追い込んだり、つらい気持ちになったりする意識は、
モノの見方や考え方などを変えることで、変化させることができると思います。
別の言い方をすると、これは一種のエネルギーブロックがおきてる現象ではないかと私は思うからです(そのブロックがなくなれば解消する可能性が大きい)。
例をあげると、
ミスをしたり物を忘れたりしないよういつも気をつけている
→ 過去にミスをしたり、物を忘れた体験があり、そこで恐怖や不安をもってしまったので
そこに今もひっかかってる
今は、そのようなブロックは私にはないので、
ただ現実的にミスや忘れ物をしないよう事前に自分で対処するだけです。
(精神的な不安は恐れはなくて、物理的なチェックをするのみ)
もちろん、それでもミスや忘れ物は起こり得ますが、それに対して、必要以上に自分を責めたり、恐れたりすることはありません。
事前にできることはしてたけど、ミスや忘れ物がおきたら、
あー、これを忘れるようになっていたんだな、とそれが起きたことを受け入れるみたいな感じです。
もしくは、その忘れものが重大なことであった場合は、
これを忘れたことは、私に何を教えてくれてるんだろう?というような見方をして、
そこで何かに気がついたら、次回からそれをしないようにするだけです。
ですから、そのようなことで神経をすり減らしたり、考えすぎで苦しくなったりすることはありません(影響を受けすぎない)。
他の例もあげると、
ーあまりにもたくさんのことが自分の周りで起こっていると、不快になり神経が高ぶる
これも、確かに神経はたかぶりやすくなりますが、
フォーカスすべきは、今、現在、目の前で起きてることだけ、という意識を持ってるので、
今、できることだけに集中して、それ以外は「今は」考えないようにしています。
そうすると、いっぺんに複数のことを考えてテンパることはなくなり、
物事が多数起きてようが、1つのことが起きてようが、要はやることは1つのみなので、
集中して落ち着いて
物事をすすめることができるようになってきたわけです。
もともとの敏感すぎる気質についていえば、
例えば私は仕事でこれを生かしてるな〜と思います。
HSPというような敏感な気質は、いわゆる感度が人よりよいわけで、
神様からの才能のプレゼントともいえますから、それを活かす方向に考えていればよいと思います。
(HSPを困った性質ととらえる考え方をしないことが私のおすすめ)
その敏感さで気づいてあげれることがまわりの人の癒しにもなるし、
植物や動物のことをよく感知してあげられるから、そういうところで生かしたり
環境への変化にいち早く気づくことができたりするから、それを社会へ発信することもできるだろうし、
またその感度の高い感性を、絵やら詩やら小説やら漫画、音楽など芸術でいかすこともできると思います。
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ということで、HSPについて私の考えをまとめますと、
HSPという自己認識した段階を過ぎたら、
HSPだから私は人とは違う、とか、
私はHSPだから無理、みたいな「特別意識」で、
他の人との垣根や壁をつくらないことが大事ではないかなと私は思います。
HSPでなくて、逆に人の気持ちや感情を感じることができなくて苦しんでる人もいたりします。
ですから、自分だけが苦しい、自分だけが生きづらい、そう思わないで、
その難点を工作みたいにあれこれ工夫したり、生かす方向にいって、それすらも楽しんで体験してしまおうと思えばよいのでは、と思います。
どんなジャンルのこともそうですが、カテゴリーという分類を
自分と他者をわける分離の方向に使わないで、
カテゴリーでの違いを知った上で、
あえてそれぞれが統合されていく方向に使っていけるといいなと思います。

↑ 先日の夕方、家からみた虹、山と山をつないで大きな橋が架かっていました。
虹は7つの色が同時にみれるから美しくて貴重だなと思います。
7つの色は異なっているようだけど拡大するとグラデーションで切れ目なくつながっています。
人間も性質や容姿でかなり違ってるようにみえるけど、その違いは虹みたいなグラデーションの現れで、実際に人は中身をあけてみたらそんなに違いはないだろうなと思っています。
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HSPの人のような生きづらさを抱えているかた、
過去にため込んできたエネルギーブロックを外して、
少しだけ楽に生きてみませんか。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/