異なる意見を合わせるとき

メールでご相談をいただきまして、そしてそれはわりとよく頂くご相談なので、この機会に記事にしてみようと思います。

内容を簡単に書くと、

ご相談をしてくださった女性は、子供や家族の日常の健康維持のためにホメオパシー療法を使いたい

ご主人は、それを快く思っていない、むしろ使ってほしくない

いくら話し合っても平行線、どうしたらよいでしょうか、です。

こういう問題が浮上してきたとき、

対象が「ホメオパシー療法」というマイナーな(笑)療法なので、

それがそもそもどうなのか?という

対象物にフォーカスをしていくと、解決にはつながりにくいと私は思います。

対象物にフォーカスをすると、

それは怪しいとか(苦笑)、エビデンスがなんちゃら、とか、

かたや、これは健康にいいんだとか、免疫力があがるとか、

どっちが正しいか間違ってるかという結論の出ない論争になるからです。

もし、夫婦で意見が合わない対象が、

子供の学校をどこにするか? とか、

どこの地域で家を買うか? とか、

親の介護はどうするか?

みたいな、大きな人生の選択だとしたら、

夫婦で意見が違うときはどうしますか?

これと同じような問題が起きてるとみるとよいのでは、と私は思います。

対象が

ホメオパシー療法であろうと、

家を買う町をどこにするか、であろうと、

複数の人間の意見が異なっているときに、

どのようにしていけばお互いが気持ちよく理解しあって、納得がいく選択ができるか、というレッスンに対面してるのだと思います。

ここから、あくまで私個人の考え方というかやり方ですけど、

そういうとき、いつもお互いの「ツボ」があるなと思っています。

ご相談の例でいうと、

ご主人にはご主人の反対意見のツボがあるのです。

メールから読み取ると、私が思うご主人のツボは、

ホメオパシーはいいのか悪いのか実際よくわからない、

でも嫌だなと思うのは、それを良いと思い込んでる奥さんの頑(かたくな)さで、

それは別の言葉でいうと、それを信じすぎてる感じがして違和感を感じるということだと思います。

いわゆる宗教に入って洗脳されてるような不気味さを感じるのだと思います。

これを心の言葉でいうならば、

そっちを頼りにしてるけど、俺の考えは信頼していないし、俺を頼りにもしてないよな、

というような寂しい気持ちもあるのでは、と思います。

私はそのホメオパシー療法をやっていますが笑、このご主人の気持ちはとてもよくわかります。

だって、もし、ご主人がセミナーかなにかである人に感化を受けてきて、これをやったら人生が好転するよ、とかいいだして、なにか特定のことを真剣にやり出したら、

うわ、大丈夫?!って思いますよね?

それと同じだと思います。

ちなみに、奥さんの方も同じで、奥さんがそれを使いたいと思うツボ(もしくは医療をなるべく使いたくないというツボ)があると思いますので、

それをちゃんと自分で把握しておくのが大事と思います。

ということで、私は、意見が違う人となにかを決めていかないとならないときは、

反対してる相手が一番恐れてることは何か?

反対してる相手が最も嫌がってることは何か?

を知るのが、もっとも早い解決法だと思っています。

誰かが何かに反対!というとき、

隅から隅まで全て真っ黒に反対!と思ってることは少なくて、

ある数点のみの部分が、真っ黒で反対!で、

残りの部分は、意外とグレーか白で、そこまで反対では、なかったりすることがほとんどなのです。

ですので、真っ黒な部分=ツボ をまずは知ることが、解決の糸口になると思います。

頂いたご相談の例に戻ると、

ご主人がもっとも嫌だと思ってることを、具体的に話してもらって、

それをまずは理解して共感する。

例えば、私の推測のように、ご主人が奥さんの狂信的なところを嫌だと感じてるなら、

「そうか、なるほど、それはわかるわ、確かに不気味だよね、そうだよね〜 心配するのもわかるわ」

「でも大丈夫だよ、そこまで狂信的じゃないけど、そうみえるなら理性的でいるように注意するね。そして、今後はあなたの意見をまず聞くようにするね」

という感じで、相手の最も嫌だと思う部分に対する理解や妥協案を示すと、

相手のツボはおされてゆるむ、と思います。

ここで相手はどう感じるかをそこで再度聞くのもよいと思います。

そしたら、次に、自分のツボもそこでいれるといいと思います。

「なにか重大な症状とかはちゃんと医療にかかるけど、

でもできたら日常のケアは、ホメオパシーを使っていこうと思うんだ。

使ってみて効果を感じるし、あと、私は、あまり薬という化学的に合成された物質を体に入れたくないんだ」

みたいな自分のツボを知らせて、相手に私はそこが大事だと思ってるんだ、とわかってもらえるといいなと思います。

人は、できたら、わかりあいたい

それはどんな人も同じだと思います。

そのためには、まずは、自分の方から先に相手をわかってあげるのが大事

→ かといって、そんな寛容な人間になれないかもしれません(わたしもなれない笑)。

そんなとき

相手を全部わかってあげなくてもいいし

相手を全て受け入れなくてもいい…..

相手のツボだけ、わかってあげて、そこだけ受け入れるなら、

できるんじゃないでしょうか。

面白いのは、そのお互いのツボが通ったとき、心が通い合ったように感じるのです。

それはとっても心地よい体験です、お試しあれ。

お互いの心が一部でも通いあったときは、雲の隙間から光が差し込むような感じ。希望がもてます〜

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いつも誰かとぶつかってしまう、

誰かともめたらいつもあきらめてしまう

それが自分の人生の大きな問題だと思ってる方、

それはあるエネルギーパターンを身につけてしまってるから、のことが多いです。

コンサルテーションで、それが何か一緒にみていくことができます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

健全な怒りの処理の仕方

日々生活する中で持ってしまった
「怒りをうまく処理する」ことについて書いてみます。

”うまく”というのは、
相手からなにかされてあなたが持ったその怒りを、
きっちり相手にお返しするというような”怒りをやり取り”することではなく、
自分の中に沸き起こった怒りを、
なるべく何も傷つけることなく解消することを指します。

クライアントさんのお話を聞いていても、
怒りの対処に問題を持ってる方は多く、
私自身にとってもこれはいつも課題でもありました。

特に日本社会では、
怒りをただ単純に外に出してると、
見苦しいとか大人気ないとか判断されたり、
人格が未熟なんてことも言われてしまいます。

そのせいか、
怒りをみせないでやり過ごしたり:
これも学びだよ〜、私も悪かったのよね、とか、

怒りを感じる相手をなんとか理解することでごまかしたり:
あの人も大変なんだよね、きっとつらいんだよね、とか、

自分の中に起こった怒り自体をなかったかのように扱う傾向があると思います。
これらは感情を思考でなんとかする方法です。

しかし、これをしてると、いったんその場では解消したようにみえますが、
怒りという感情だけがエネルギーフィールドに取り残されることになるのです。

怒りを感じる出来事を学びへと解釈すること、
怒りの原因となった相手を理解し共感してあげること、
これらは自分の心の成長への必要なステップだとは思いますが、
それと自分の中に持ってしまった感情:怒りをなかったことにするのは、
違う作業になります。

怒りというのは一旦発生させてしまったら、解消させない限り、
いつまでもエネルギーとして残ってしまうのです。
それがどんなに昔の怒りであっても、
解消されていない怒りは、
ふとしたきっかけで思い出すと瞬時に戻ってきたりしますので、
そこに実はずっとあったのだと言えると思います。

ということで、自分の中に怒りを溜めていかないように、
健全に怒りを解消する方法について有効だと思われることを書いてみます。

前提として、その怒りの原因となってる相手や事象がわかってる場合で、
その怒りを相手に表現したほうがよいケースは、
まずはそうするのがベストです(私はそうされて怒ってます、私は不快に感じます、etc.)。

でもそれができないとき(相手が亡くなっていたり、相手は子どもだとか、はたまた相手が会社の上司やお客さんでどうしても怒れないとか)、
もしくは相手にちゃんと反論してみたけど、怒りがおさまらないとき、
またはなんでこんなに怒りっぽいのか原因がわからないようなときにも以下のような方法があります。

レベル1:
1人で声に出して外に怒りを出したり、クッションにぶつけたり、
歌を歌ったり、スポーツしたりして怒りのエネルギーを外にだす。
ポイントとなるのは、自分の内側に生じた怒りを外の方向に向って出す、ことです。
外に出すときに、怒りのエネルギーも一緒にくっついてきて、
外にでるイメージを持つのがよいです。
これは小さな日常の怒りの解消などに向いています。

レベル2:
自分の怒りについて紙に書き出してから燃やす。
もやもやとしてる思いや感情を文章にしたり、罵詈雑言にしたりして、
正直に書き出します。
それに火をつけてもやします(流しのシンクなどを使って)。

怒りについて書いた紙が燃えていき、
煙がでるときに、自分の怒りも一緒に消失してるイメージを持つのがいいです。
これは、過去にためてきた怒りなどの解消に向いています。

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レベル3:
怒ってるな、怒りを感じてるな、と自分の感じてることに正直になります。
そしたら、その怒りから逃げないで、怒りを感じ尽くします。
感じ尽くすというのが抽象的でわかりにくいかもですが、
怒りを感じてるその部分に意識を集中するのです。
そうすると、感じつくされた怒りのエネルギーが昇華します。
怒りのエネルギーが昇華したのは、自分でもわかります。
昇華したら、それ以上、そこに集中する必要がないとなります。
これは、どんな怒りにも効果があります。
レベル1よりも2よりも手間がかからず、
自分の内側だけで行うことができるので、これが一番おすすめです。

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怒りのモヤモヤを解消した後に、改めて、
自分に怒りを起こした事象をみると、
相手の行為を理解することができたり、思いやったりできて、
その出来事を受け入れられるようになります。

怒った出来事を1つの経験として受け入れることができたら、
それは人生での学びとなり、心の成長につながります。

怒ることは人間のもつ感情の1つで、
自然に起こってしまうものだから、計画して避けることはできません。

でもそれが起きたからといって、いつまでも持ってる必要もないものです。
だから、それを解消する方法を知っているとより生きやすくなるのでは、と思います。

*怒りを持つのは何故かについてヒントとなるかもです → こちらの記事*

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過去に抱えた怒りがあまりにも大きくて、一人で掃除することができそうにない方。
ホメオパシー療法が助けになるかもしれません。詳しくはHPの方へどうぞ:
https://arnicahomeo.wordpress.com

魔法ではありません

少し前の話ですが、とあるお店に出かけたときに、
そこのお店に置いてあったチラシを読みたくてシニアグラス=老眼鏡をかけたら、
私がホメオパスであると知ってるそこの店主さんが

「ホメオパスでも老眼になるか〜!?」

と突っ込みました。

これはいわゆる”ホメオパシーの誤解あるある”です。

ホメオパシーを使ってれば老眼にならない、まるで不死とでも思われていたのか?!、
だとしたらそれはホメオパスではなくて、文字通りの魔女、です、はい。

その店主さんはホメオパシーというのは知っててもご自身は使用したことはなくて、
いろんなところで仕入れてきた奇跡まがいの情報で
すっかりそんな思い込みを持ってしまったようでした。

ホメオパシーはその人の自己治癒力の乱れを治すけど、
本来のその人の持って生まれた体質、器質&気質を超えることはないです。

レメディを取ってるうちに視力があがったというのは実際にありますが、
それはその方の自然治癒力の乱れが治って、
本来の視力に戻ることができた、というレベルの話です。

これはマインドについても言えることで、
マインドの問題を抱えてる方が、全〜く違う自分になれるかもという望みを持って
ホメオパシー療法を受けにいらっしゃることがあります。

思い描いてる「全く違う自分」イコール= 本来の自分なら、そうなりますが、
そうでなければ人間そのものが完全に違う人間になりはしません…….。

とはいっても、コンサルテーションで、

「(あなたは行く行くは)どういうふうになりたいのですか?」と具体的に尋ねて、
そこに返ってくる答えというのは、大概の場合、

本来の自分がそうなることが可能な姿

と私は感じます。

今、そうなっていないのは、
それまでの人生のパターンや環境やら思い込みで、
ただ実現できていないだけなんだろうなと思います。

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↑ 本来の自分に戻れた後は私はこんな感じかなと。
ただ感じるままに生きていく、そして寝る、休む。

あー、本当はこうなりたいんだよな、と思ってるけど、そこに近づけていない方。

ホメオパシー療法が助けになるかもしれません。詳しくはHPの方へどうぞ:

https://arnicahomeo.wordpress.com

レメディを使えるっていいな〜

以前、とあるホメオパスが、心理療法家はいいな〜みたいなことをつぶやいてました。

心理療法家ならセッションがうまくいけば、

患者さんは自分の悩みを全部聞いてもらい、
しかも気づきなんかもあって大満足して帰り、
心理療法家も、その人との仕事はとりあえず終了するわけで(セッションは次回に続いたとしても)、

うわ〜、それは気持ちよく終われるな〜…

と、そんな意味のつぶやきでした。

なぜそんなことをいうかというと、
ホメオパスの場合は、仕事はそこで終わりではなくて、
セッション後の方が山場で、コンサルでの情報を元に、
その人のレメディを全力で探さないとならないからです。

ホメオパシーのコンサルテーション中に幾つかの気づきがあり、
話すことで満足したクライアントさんであっても、
その後のレメディで結果がでないと、
ホメオパシー療法への満足度は低くなるので、
レメディ選択はなかなかの仕事です。

上記のホメオパスがつぶやいた気持ちは、
自分がホメオパスとして活動しだしてから、
なるほど、こういうことだったのね…と理解できたのですが、

先日、意外にも、その真逆の出来事がありました。

ある人から人生の進路を決めるような相談を受けました。
それはホメオパシー療法での相談ではなく、いわゆる単なる人生相談でした。

事情をいろいろと聞きながら、ついついホメオパシー療法のコンサルテーションのように話を組み立てていくと、その方の問題がなにか、と、
その方のマインドのある部分に歪みがあると、私にはわかったように思いました。

ところが、

ホメオパシー療法なら、その方を表しているレメディを取ってもらうことができますが、

そのときは、単なる口頭での人生相談…

問題の根源と思われることを、
その方が自分自身で気づくようにやんわり遠回しに提示してみたものの、
それ以上のことはできません。

その方自身も言われてみればそうだと問題の根源には気づいたのに、
マインドの歪みには無自覚で、
確かにそこに問題はあるのかもだけど、でもどうすることもできないし、となりました。

それで、その時思いました。

レメディという存在に助けられていたな、と。

わかっちゃいるけど、
具体的にどうやってアプローチしていいかわからないことに
レメディは働きかけてくれるからです。

もちろん心理療法もセッションの回を重ねれば、
そのマインドの歪みにアプローチできる療法なので、
結果的には同じようなことだと思うのですが、
それでも第3者が口で促さなくとも、
その人自身の身体と心が反応してくれるレメディというのは
なんとありがたいものだと思いました。
(もちろん、そのレメディがその方を動かすエネルギーでないいけないのですが)

そんなんで

心理療法家はいいな〜ではなくて、
ホメオパスっていいな〜レメディを使えるっていいな〜

と新鮮に思った私です。

椿

結局その相談者の方には、心理カウンセリングもしくは他のセラピーを受けることをオススメしたのですが(ホメオパシーは抵抗があるとのことで)、
今の時点で実行されていません。

もどかしいけど、本人がそうしようと思わないかぎり、なにも動かないですからね。

でもおかげさまでこの経験により、レメディを選択して、レメディの力を借りることができるのは非常にありがたいのだとわかったのでした。

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マインドの歪み、気づいているけど具体的にどうしたらいいの〜って方、ホメオパシー療法が助けになるかもしれません。詳しく知りたい方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.wordpress.com

ホメオパシーのコンサルテーションとは?

ホメオパシー療法を受けようと(=ホメオパスにかかる)決めたら、
まずはコンサルテーションを受けてもらいます。

コンサルテーションのことを、セッションと呼ぶ人もいるし、
ケーステイキング、相談会と読んでいる人々もいます。

いずれにしろ、それは ”カウンセリング”のようなものです。

ただ心理療法のカウンセリングと異なるのは、
ホメオパシー療法のコンサルテーションは、レメディ選択のために行なっています。

コンサルテーションは、
初回では約2時間ほどかかって、色々なお話を伺っていきます。

困っている症状(身体も心も)から始まって、どんな体質か、怖いものは何か、どんな食べ物が好きか、どんな夢をみるか、どういう子どもだったかなど、ありとあらゆることについてお尋ねします。

どんな態勢で眠りますか?みたいな質問もするときがあり、
質問自体に「え?」と問い返す方もいたりします。

こちらがなぜそんなに多岐に渡ることを知りたいかというと、レメディを探すためです。 レメディを表す特長というのは、その方の様々な部分にでているものなので、それを多角的に探しているのです(レメディは数千種類あるので)。

私にはなんとなくその方を表す首飾りのようなもの、
ロザリオを作っているようなイメージが浮かびます。
コンサルテーションで伺った1つ1つの情報を珠としてつなげていくと、
最後にその方全体を表すロザリオができる、みたいな感じです。
その方を表したロザリオと似たレメディを選択するのが、コンサル後のホメオパスの仕事になります。

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ちなみに私が行うコンサルテーションは、私独自の方法を組み込んでいます。
レメディの情報集めが目的なのは他のホメオパスと同じですが、
クライアントさんの症状の大元の原因と思われるエネルギーがブロックされてる事象についてコンサルテーションで探り、それをクライアントさんにも一緒に認識してもらうことを目指しています。

それがうまくいくと、本来ならレメディでもたらされる効果が、すでにコンサルテーションの時点からスタートしたりします。
さらに後日に出すレメディを使うことで、エネルギーブロックがさらに外れるか、もしくは整ったエネルギー状態を固定化することができます。

レメディはいらないけど、コンサルテーションだけ受けたいというのにも対応しています。HPはこちらです:https://arnicahomeo.wordpress.com

河合隼雄さん

「のぞみはもうありません」
と面と向かって言われ、私は絶句した。
ところがその人が言った。
「のぞみはありませんが、光はあります」
なんとすばらしい言葉だと私は感激した。
このように言ってくださったのは、
もちろん、新幹線の切符売場の駅員さんである。

(河合隼雄さんの書かれた文章から引用)

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ホメオパシー療法では、
コンサルテーションと呼ばれるカウンセリングに近い問診のようなものがある。
心理療法のカウンセリングとは内容が異なるのだけど、
私の向き合い方は、河合隼雄さんに影響をとても受けている、と思う。

上記の文章は、
真面目も休み休みに(せまい一面の世界にだけとらわれないように)、と、
おっしゃっていた河合さんのお茶目なエスプリが効いている、
でも同時にはっとさせられる感動も忘れない、
客観性と主観のバランスが絶妙な文だと思う。

真面目が行き過ぎて、生きづらくなっている方、
心の自然治癒力を整えるホメオパシー療法が助けになるかもしれません。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:

https://arnicahomeo.wordpress.com

ホメオパシー療法、何が起こる?

ホメオパシー療法を受けると、どんなことが起こるの?について書いてみたいと思います。

以下、私が行うクラシカルホメオパシーの場合を前提にしてのお話です(ホメオパシーにはプラティカルという手法とクラシカルという手法があります、流派みたいなもの)。
ちなみに身体的&精神の問題の深さの度合いには個人差があるので、反応も同様に一律ではありませんが、平均的に起こることを書いてみます。

私はホメオパシーの学校で、ホメオパシー療法のいわゆる問診みたいなもの「コンサルテーション」のやり方を学びましたが、実際にクライアントさんたちをみていくうちに、もっと効果的だと感じる方法に辿り着きまして、以降、それを独自のやり方で行なっています(典型的なホメオパシー療法のコンサルとは少し異なる)。

ですので、私にかかる場合は、まずコンサルテーションというのが大きな動きを起こす場になります。私がコンサルでやっているのは、なぜ、その人にその症状(肉体または心)が起きているのか?を一緒に解明していくことです。

そしてコンサル後には、その人にもっとも必要と思われるレメディを検討して、レメディを郵送しますが、このレメディへの反応も含めて、その方が改善したいと思っている身体症状や心の症状に動きがでます。症状の動き具合は、その人がどのくらい問題となってる意識を変えていくかと比例しています。

具体な肉体症状の例でいうと、頭痛だったら、レメディで少しづつ痛みや出現頻度が軽減していき、数ヶ月したらもう全く頭痛はでなくなっていった、みたいな感じになります。
1年も経ってメモ代わりにつけてた日記を見返したら「ああ、そういえば、私は頭痛持ちだったな〜」なんてくらいの過去のものとなったりします。
そしてそう見返せる頃には、その頭痛を起こしていた根源の意識の問題も完全に変化をしていて、より楽に生きられるようになっています。

アトピーや、花粉症といった長年患っているような症状の場合は、症状が軽減するまでに長い期間がかかることが多いです。

レメディ一の1回摂取で、どーんと効果をあげたい方もいると思うのですが、そういうときは反動で揺り戻しも大きく、実際問題として日常生活にかなりの支障をきたすので、徐々に症状を軽減していくことが心身的には望ましいかなと思ったりします。
言い換えると、長く抱えてきた問題は、その元の意識を変化させるのに、少し長くかかるということが言えます。

いずれにしろ身体症状はほとんど全ての場合、心の問題との組み合わせで起こっていることが多いので、上記のような感じで身体症状を改善していく過程では、精神症状にも自然と向き合うことになります。 向き合うというのはどういうことかというと、「気づき」が起きていくということです。

いつも無意識に行っていた思考過程や感情の動きにふと気がつきはじめるのです。
「あれ、私、こんな風に考えていたんだ」「あ、過去のあの出来事から、私はあまり意見を言わないようになったんだ」とか、「なんだか自分が被害者になるように行動してるな」など、自分が当たり前のように行なっていたパターンに気がつくのです。

そしてその気づきから新しい選択が起きたら、全体がスムーズに流れるようになり、より精神的に生きやすく(=自分らしく)なっていくのと平行して、身体症状も軽減していきく、別の言い方をすると、心身ともに全体的にその人らしく健康になっていく、このようなことが起きていきます。

だから、単に病だけをきりとって、それをなくす、というのとは、
異なるアプローチです。ホリズム(全体)的に自分という存在をみていく、
それがホメオパシー療法にかかると起きることです。

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ただ、そうはいっても人はすぐに解脱するわけでもないので(苦笑)、
楽になったその後も必要な学びは人生において常にやってきますが、ね。

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初回のコンサルテーションの後は、レメディの反応をみて方向性が確定してくるまで、続く2、3回はフォローアップは1ヶ月おきくらいが理想ですが、自分の心身についての気づきがはじまって、それを自分でみていける場合は、その後は療法にかからないで、自分でやっていくこともできます。

というわけで、ホメオパシー療法おもしろそう、と思われた方はHPの方へもどうぞ: https://arnicahomeo.wordpress.com

Life lessons 2

前述のエリザベス・キューブラー・ロスの「ライフ•レッスン」の中から、
印象に残った母と子のライフレッスンを1つ紹介します。

ある講演をおえたエリザベスのところに、
髪がきちんとセットされた文字通りきちんとした身なりの女性が話しかけてきました。

そのきちんとした女性には、
18歳の息子がいるのですが、
彼はいつもよれよれのTシャツを着ていて、
彼女が毎日仕事から家に戻ると
キッチンカウンターにそのよれよれのTシャツを着て座っているそうです。

彼の仲間達も似たような感じで、
彼女はそれも気に入らず、毎晩のように息子をなじって不満をぶつける関係でした。

その女性は、以前にエリザベスのワークショップに参加して、
臨終のエクササイズを行ったらしく、
そのことをエリザベスに話してきました。
臨終のワークショップとは、「もしあした死ぬとしたら」と想像して、
自分の今の人生をどう感じるかというワークだそうです。
彼女はワークショップの後、帰宅してから本気でそのワークを再現しました。

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そのきちんとした女性は続けました(以下抜粋):

「もし自分があした死ぬとしたら、
自分の人生をどう感じるだろうか?
息子との関係が満点ではないにしても、
自分のことはだいじょうぶだという気がしました。
つぎにもし息子があした死ぬとしたら、と考えました。(…)

息子との関係について、
恐ろしいほどの喪失感と深刻な葛藤を感じるに違いないという気がしました。
こころのなかで恐ろしいシナリオがくりひろげられ、
息子の葬儀の場面が浮かびました。
息子をスーツ姿にして埋葬したくないという気もちが生まれました。
スーツを着るような子じゃないんです。
好きだったよれよれのTシャツのまま埋葬してやりたいと思いました。
そうすることで、息子とかれの人生をまっとうさせてやりたかったんです。

そこで気づきました。
死んだ息子にたいしてはあるがままのかれと、
かれが好きだったものを愛することができるのに、
生きている息子にはそれができないということに。
とつぜん、息子にとってTシャツには大きな意味があるのだということがわかりました。」

彼女は、その気づきの後、
そのままのあなたを愛していると息子に言ったそうです。

そして彼に対する期待を手放し、
息子を矯正しようとするのを止め、
ありのままの息子がとても愛らしいということがわかったそうです。
今のままの息子を愛するのは、とても気分のいいことだそうです。

ーーーーーーー

私はこの女性のエピソードを読んで、
すぐに自分の息子のことを考えました。
もし子どもが死ぬとしたら彼の棺に入れてあげたいのは、
あるゲームソフト。
これがすぐに頭に浮かびました。

今、彼がとても夢中になっていて、
夢中になりすぎているので、私が幾つかのルールで制限していたもの….
ゲームについては賛否両論あるし、問題ももちろんあります。
私はいわゆるゲーマーじゃないどころか、
ゲームの何が楽しいのかさっぱりわからない人、
だからなのかゲームに夢中になっている子どもをみると心配になります。

でも私はもし彼が急に死ぬことがあったら、
その好きなものを十分にさせてあげれば良かったと
後悔するんだなと感じました。

そんなに好きなんだから、十分にやったらいい、と考えを変えました。
それでこの日から、我が家はゲームについては解禁となったのでした。
(目への注意や、それ以外のやるべきことはちゃんとやる、という条件はついてますが)

ゲームソフトと、
上記のきちんとした女性にとってのよれよれのTシャツは、
同類項だったわけです。

自分の大切な人をそのまま愛するということがわかっていても、
なかなかできない苦しみをお持ちの方。
ホメオパシー療法があなたの助けとなるかもしれません。
ご興味のある方はこちらへ:http://arnicahomeo.wordpress.com

Life Lessons

アメリカの精神科医:エリザベス・キューブラー・ロスの「ライフ・レッスン」(角川書店)読みました。

彼女の著作としては、On Death and Dying =邦題「死の瞬間」が有名です。
「死の瞬間」は、死にゆく患者にインタビューを続け、
死に直面した人の心理を分析した本です。

死に至る病いにおかされると、

人はまずそんなことは無いと否認して、

次になんで私がこんな目にあうの?!と怒り、

いやでも薬や手術でなんとかなるだろうと死なないように取引をしようとし、

それが無理だと(つまり死ぬと)わかると絶望して抑うつとなり、

あがいた最後にやっと死ぬという事実を受容するというプロセスを辿るそうです。

このプロセスは死にいく病だけでなく、ただ単に病におかされたときでも、ほぼ同じ心理状態をたどるのでは、と思います。

私が高齢出産後にアトピーを患ったときもほぼ同じ心理状態をたどりました。

違いがあるとしたら、死に至る病気でない場合は、受容して初めて回復や改善に向うことができる、もしくは回復できる道にたどりつくところです。

このプロセスは恐らく失恋や愛する人の死を体験するときも同じ過程だと私は思います。

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話を戻しますが、
キュブラー・ロスの「ライフ・レッスン」は、
まだ読み終えていないのに内容を紹介するのもなんですが、死にゆく人々が死に直面したときに、浮かび上がってくる(というか突きつけられる)

”その人の人生でやり残している課題”

に焦点をあてています。

それぞれの人のレッスン、かなりリアル、です。

この著書は、
死に直面した人々が、その最後の瞬間に学んだそれぞれの貴重なライフ・レッスン、
言い換えるとまだ十分に生きられる間に私たちが行っておくべきことを先輩方に教えていただける、非常にありがたい内容となっています。

読みながら息をのんでしまったある女性の例を1つ、抜粋させてもらいます:

「ロサンゼルスの町はずれにさしかかったとき、まえを走っていた車がいきなり停止しました。急ブレーキをかけながらみたバックミラーには、急接近して来る後続車が映っていました。

ものすごいスピードで、わたしの車に衝突しそうな感じでした。そのドライバーがまえをみていないこと、猛烈ないきおいで追突されることが、一瞬のうちにわかりました。まえで停車している車との距離も、ほとんどなくなっていました。

もう、だめだと、おもいました。死ぬかもしれないとおもったんです。

ふとみると、自分の両手がハンドルをぎゅっと握りしめていました。意識的につよく握ろうとしていたわけではありませんが、いつもそうなんです。それが癖なの。

なぜだかわかりませんが、こんなふうに生きたくない、こんなふうに死にたくないっておもいました。

私は目をとじ、息を吸って、両手をだらんと垂らしました。力をぬいて、身をまかせたんです。生きることに、そして死ぬことに、自分を明け渡したというのかな、その瞬間、ものすごい衝撃につつまれました。」

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アコーディオンのように車はクラッシュしたのに彼女は無傷だったそうです。力を抜いていたから、助かったと警官に言われたそうです…

私はこの本を読んだ数日後に、
体の使い方をまなぶワークショップに参加するタイミングでしたので、
この自動車事故にあった彼女のレッスンは、私にも必要なものだと感じました。

自分の人生を生きていない、と感じているけど、どうしていったらいいのかわからない方。あなたの自然治癒力を目覚めさせるホメオパシー療法が助けとなるかもしれません。ご興味のある方はこちらのHPから、どうぞ:

https://arnicahomeo.wordpress.com

動物のきもち

先日「動物と話せる女性ハイジ/アニマルコミュニケーター」(ワニブックス)
という本を読みました。

読んでみて正直「本」として中身が濃いかはさておき、
彼女が伝えてくれる動物たちの気持は、とても興味深く、
色々なことを考えさせられました。
特に今は猫を飼っているので、
すとーんと心の中に動物たちの気持が入ってくるような気がしました。

ハイジさんは小さい頃から動物達の気持がよみとれるところがあったらしいです。
動物の気持を読むといっても、動物達と人間の言葉でやりとりするわけではなく、
動物達は彼女になにか伝えたいイメージを送ってきたり、
味や音や怖さなどの感覚をハイジさんに伝えてきて、
それを彼女が人間の言葉に言語化しています。
(動物によっては、人間の言葉を短いながら伝えたりもできるそう)

彼女が動物の気持をよみとる動画はYoutubeにもたくさんアップされています。

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へーっと驚いた楽しい例をだすと、
彼女が実家で飼っていた1匹の猫は、
クリスマスなどのときの綺麗にテーブルセッティングされたテーブルの上に乗っかって、グラスなどを倒すことなく、
しっぽを振り振り食器の間を上手に縫って歩きまわっていたらしいのですが、
そのときのその猫の気持は、
”何も壊さずにすいすいと食器の間を縫って歩くことが
すごく得意げで楽しかった”そうです。
ディズニー映画にでてくる猫とかがやりそうな行為ですが、
あれ、猫は楽しんでいるんですね。

他には、
ある猫が楽しいイメージとしてハイジさんに送ってきたものが、
飼い主と穴みたいなところで一緒に遊んでいる映像だったそうなんですが、
その映像のことを飼い主の若い男性に尋ねると、
ある雪が積もった日にカマクラを作って、
その中にその猫と一緒に入ってじゃれたり携帯で一緒に写真を取ったりして過ごしたことがあったそうです。
そんなこと人間が勝手に楽しんでいるだけかと思ったら、
猫も飼い主と一緒に楽しんでいたんですね、
そうやって一緒に過ごすことが楽しいのは、
私達と同じ気持なんだなって妙に感動しました。

涙をさそった例だと、
猫が突然凶暴になって噛み付いたりするようになって困った家族が、
ハイジさんに相談して気持を読み取ってもらったら、
その猫と小さいときからいつも一緒だった飼い主が、
進学をするために家を離れたことが原因でした。

ずっと一緒にいたのに突然いなくなって、
猫は相当に悲しい思いをしたそうです。
最初はなぜその飼い主が家に帰ってこないかわからず、
ずっと帰りを待っていたそうですが、
その悲しみや寂しさがいつのまにか怒りに変わってしまって、
その飼い主がたまに家に戻ってきても爪をたてて威嚇していたそうです。

ハイジさんからそれを聞かされた飼い主は愕然として、
とにかく猫にあやまり続け、好きだよという思いを送り続けていました。
動物は人間の言葉がわからないかと思いきや、ちゃんと話せば伝わるようです。
だから留守にするときや、
長く家を空けるときはきちんと何度も説明してあげたほうがいいなと思いました。

動物達に異変がおきたり、なにか調子がわるかったりするのには、
ちゃんと原因があって、
それは人間が病気になるのと同じプロセスだなと、
ホメオパシー療法をやっているものとして感慨深かったです。

私が個人的に特に興味深いと思ったことは、
ハイジさんを通して説明された動物達の気持に
「感謝」「ありがとう」がなかったことです。
飼ってくれてありがとう、とか、感謝している、という言葉はなかったことです。

その代わりとなる言葉は、飼い主さんのことが「好き」でした。
よく考えたら、ありがとう、感謝、って、
人間が宗教的に考えだした言葉なのかも。
社会として成り立つのに必要な言葉だったのか、
もしくは人間がもてる特別な感情なのか?!
動物達にありがとうという感情や言葉やイメージはないのかもと、
ちょっとした発見でした。

人間は、飼ってあげている、と上から目線で、動物達に「感謝」や「ありがとう」を人間同志のように期待しているかもしれないけど、
動物達にしたら上も下もないわけで、
ただ一緒にいる飼い主が好きか嫌いか怖いか怖くないか、
そしてそこの家でエサをくれるのかくれないのか、
その家にいてもいいのかどうか、だけなのかもしれないです。

別の言い方をすると、
人間は動物はペットという位置づけですが、
動物からしたら人間と自分達は同等なんだと思いました。

ホメオパシー療法は動物にも使えて、動物専門で診ているホメオパスも結構います。
私はいまのところ動物は診ていませんが、
ハイジさんの本と動画をみたことで、
動物も人間と同じように扱えばいいんだなと
(飼い主さんから情報を得たりすれば)思えて新たな発見でした。

上述の猫みたいに、
誰かを失ったショックや悲しみから抜け出せないもしくは調子を崩している方には、
ホメオパシー療法が助けになるかもしれません。ご興味のある方はこちらのHPへどうぞ:https://arnicahomeo.wordpress.com