狭き門より入れ

狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。

新約聖書マタイ福音書7からの一節ですが、「狭き門より入れ」は、アンドレ・ジッドの小説のタイトルにも使われたせいか、ことわざのように使われているかと思います。

私は、これまでの人生で何度か、この言葉を受け取ったことがあります。

この「狭き門」から通ずる道は、神の国なので、悟りへの道を示しているのが本来でしょうが、

私はこれを、次の意味のように受け取っています。

「狭き門から進みなさい。それは、あなた独自の道。

誰かが言った通りにすることや、世間がすでに示している道は、その他大勢の人が流されて進んでしまう広い道。

しかし、その狭い独自の道を進むなら、あなたのソウルに従った道を進むことになる。」

という感じで、私たちはヒトという形で似たようにみえても、それぞれが全く独自でオリジナルな存在なのだから、
独自の道を進むことが、本当のあなたらしい人生の道を進むことになります、という導きの言葉として受け取っています。


他の大勢の人がやるように、こうやったらもっと楽だよ、簡単にできるよ、こうしておけば波風立たないよと、いうような広い道は一見簡単で従いやすいのだけど、その広い道を進んでいると、あなたらしく生きられない道を歩むことになりますよ、という教えだと思っています。

この文言を、一番最初に受けとったのは、ホメオパスになるための学校選択で悩んでいたときでした。

ホメオパシー自体がそもそもマイナーな道なのですが、
それでも日本で一番大きな学校があり、そこの見学会に行ったあとに、どの学校を選択するかで自分の中で迷いが生じていたときでした。

その学校は施設もカリキュラムもしっかりしてるし、生徒の人数も多い、そして卒業後の進路まで道筋をつけてくれてるような学校でした。

その道がホメオパスになるのに一番の近道、いわゆる広い道でした。
でも、自分の中には迷いがありました….

それで公園に座りこんでいたのですが、考えても選択できないので、ぶらっと周りを散歩しようとしたら、そこに教会がありました(当時、東京に住んでた)。

信者でもないのですが、ふらりとその教会の扉をあけて中に入ると、教会だとフォーチュンというのか?、おみくじ的な箱が置いてあり、自由にひくことができました。

手をいれて、1つの小さく折りただんだ紙を取り出し、開いてみると、

「狭き門より入れ」と書いてありました。

この導きが、私のその後のホメオパスになる道へのシフトとなりました。

狭き学校を選び、狭き?ホメオパスとして活動することになりました笑。

もし、あなたがやろうとしてること、やりたいことが、狭き門を通らねばならず、

その狭さゆえに、他のさっさと進む多くの人と比べるとうまくいかなかったり、早く進めないこともあるかもしれません。

でも、その狭さは、あなたのオリジナルさを表してるのです。

狭ければ狭いほど、あなた独自の道です。

自分がどのような門から入っているか、それに気づくよう、まさに今朝もこの言葉を受け取りました。

去年植えた水仙が咲きました。
正面からみると、マカバと呼ばれる星形正八面体に見える〜

狭き門より入れ」への2件のフィードバック

  1. とても響きました。ペルーさんが狭き道を選んでくれたおかげで私はペルーさんと出会えた気がしました。私も狭き門を意識していこうと思います。

    いいね: 1人

    1. コメントありがとうございます(コメントが違うファイルに入っていたので気づかずすみません)。
      狭き道のおかげで、わたしもひかるさんと出会えましたね!
      というか、そうでなくても今世で必ず出会うようになってた気がします笑

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