究極の望み

あるとき、それは起こりました。

それは何年も前のある夜の出来事で、寝る前にいつもの瞑想をした後だったと思います。

そのとき、私は「わたし」が胸のあたりにいると、気づきました。

ピッタリする言葉で言うと

「わたし」がハートにいる、と感じたのです。

それまで、「わたし」がどこにいるかなどと考えたことはなかったと思いますが、
そのとき、私は「わたし」はいつも脳の辺りにいるのに、今はハートにいるなと気づいていました。

「わたし」がハートにいる感覚、これを言葉で表現するのは難しいです。

なぜなら、「わたし」がハートにいる感覚は、それまで何十年も生きてきた私が一度も体験したことがない感覚だったからです。

それでも、その感覚を敢えて言葉でいうなら、

完全なる平和 とか

完全なる安心感 という表現になるかと思います。

それまでも生きてきて、”あ〜今日は平和だな”とか、”すごい安心感だ”みたいな表現をする状態を味わったことはありますが、そういう平和や安心感とはケタ違いの感覚なのです。

どんなスキも、一分の疑いもない、完全なる、まったき平和な感覚でした。

その後も、瞑想中などにそのまったき平和を体験してきましたが、2回目からは、それが「空 Kuu」つまり「大いなる源の意識」なんだとわかりました。

私の究極の望みは、この平和の感覚と共にありつづけることです(ありつづけられないので、それが望みになっています)。

この私が望む状態を、インナーピース Inner Peace と呼べると思います。

この世で、どんなに才能を発揮し成功しようとも、お金をたくさん稼げたとしても、どんなによい人間関係を持てたとしても、 Inner Peace に勝るものはないと思います。

というのも、Inner Peace は、私たちの外側で起こることや、外側で獲得するものに全く影響を受けないからです。

そして、実はこれがどんな人の内側にも在るもので、全ての人は遅かれ早かれ、その道を求めることになっているのだろうと思います。


あなたの中に常にあるインナーピースに気づいていく集まり、
コンシャスミーティングConscuous Meeting というのをやります。

メンバー募集についての記事は、コチラをどうぞ。

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