消臭剤の代わりに

来客できた子どもが我が家のトイレに行くと、なかなか出てこないことがあります…

こういう場合、その子のママさんは、我が子がヨソの家で(つまり私の家ですが)”大”をもよおしたらしい、粗相はないかしら、えらく遅い…、と気にかけます。

幼児のママさんだと、心配でトイレを覗きに行く方もいます。

子どもらは、我が家のトイレで何をしているかって? 実はマッチを何本も擦っているのです。

(子どもらの後に入ったらマッチの燃えカスが何本もあるので)

我が家は、トイレの匂い消しに「マッチ」を使っています。

”大”をした後に、匂いを消すのに、マッチをしゅっと擦るのです。そうすると匂いはあっと言う間に消えます。

この消臭方法は、その昔、CLUB ME◯で働いていたことのある友人に教えてもらいました。

彼女が言うには、リゾートホテルのトイレにはマッチを置く場所があって、実際に消臭に使っていたのだとか。換気の設備があまりよくなかった時代なのかもしれません。

消臭剤やら芳香剤を置きたくないので、この方法を知ってから我が家のトイレはずっとマッチで消臭しています。

ということで、子どもらは我が家のトイレで ”大” をしてたわけではなくて、マッチを擦ることに夢中になっていただけなのです。

聞いてみれば、マッチをみたことはあっても、実際にマッチを擦るのは人生で初めて!という子も少なくありません。

マッチというのは、そのくらい使われなくなってるんですね。お家に御仏壇があっても、最近は火事防止でマッチでなく電気タイプの灯明が多いし、火が必要なときはライターやらチャッカマンみたいな道具があるのでマッチというのを初めて触る子も多いようです。

マッチをしゅっ、しゅっと擦って火をつけるのは、ちょっとしたコツがいります。やっと上手く擦れてマッチの先にボオーッと赤い炎がともったときは、ちょっとワクワクします。だから子どもらがあの感覚に夢中になるの、よくわかります。

火→ 火事という発想があるし、火遊びはよくないといわれるので、子どもはなかなか火をつける機会がありません。空き地でたき火なんてのも、よほど田舎でないと、みることもなくなりました。

我が家のトイレで一生懸命マッチを擦ってる子らの姿を思い浮かべると、なんだかおかしくて、どうぞ思う存分、マッチを擦ってちょうだいな〜と思います。

allumet

もちろん、後からトイレに火を消してるか見に行きますが、いつもちゃんとマッチの火は消えていて、燃えカス入れに消えたマッチ棒がきちんと入れてあります、ええ、そりゃ何本も(笑)。

ところで芳香剤の匂いが好きではない私ですが、先日ヨソ様のトイレのバラのワンポイント入りのピンクのスリッパ、バラ模様のトイレットペーパー&ペーパーホルダー、バラ模様の便座カバー、窓辺の小瓶に入ったミニバラ、トイレ室内は優しいバラの匂いの芳香剤という徹底ぶりをみたときは、芳香剤の匂いも心地よく感じたのでした。窓が開いてたから、匂いが優しかったのか?!  いや、多分、あれは匂いを別の匂いで消してしまえという発想の空間でなくて、心?気合い?のこもった トイレだったからでしょう…..

 

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自分の排出物や汗などの匂いがきつすぎて困っている方、食事を見直すというのが最初にできることでしょうが、それでも変わらない方は、ホメオパシー療法が助けになるかもしれません。

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暑いときのニャンコ

この夏、関西は連日ものすごい暑さです。

私の住む山に囲まれた涼しい地域でも、朝晩は気温が下がるけれど、昼間はうだるように暑い…汗、汗。

毛モフモフのニャンコも、日中はひたすら眠って、夕方気温が下がってからお出かけする毎日です。

まるで飛んでるように眠るニャンコ ↓

丸まってなんか寝てられない、ふさふさお腹を開放にゃ〜

minou2016

 

存在の影響

その日は、朝からなんだか変な感じでした。

イライラするようなあせるような落ち着かない気持で、洗濯物を干しながら、なんでこんな気持なんだろうと自問しました。

えっと、今日やることはこれとこれ、なんだ全然あせるようなこともないじゃない、なんで私の気持はこんなにざわざわしてるんだろう….?!

その日は仕事で少し遠くまで車で行ったのですが、行きも帰りもなんだか障害が多く、普段にないパターンで無理に割り込まれたり、変な運転をする車が前にいたり、ぼおっとして駐車券にスタンプ忘れて(割引になる)正規の駐車料金払うことになったり…

仕事は内容は良かったのだけれど、時間をうまく使えなくてオーバーしすぎて、初めて会議室代の追加料金を請求されたのもその日でした。

あー、なんか今日はおかしな日だな…そんな思いで帰宅したら、だんなさんもなんだか似たような日だったらしい。

暑い日が続くし、自分をはじめ、皆がちょっとリズムを崩したり、変な気持になったりするのかな、と暑さのせいにしてみました。

そしたら夕方になって、隣のおばあちゃん=Mさんがその日に亡くなったと知らされました。

ガーン(嘆)!

そうか、Mさんんがいなくなったんだ、だから、こんな日だったんだ….、変な解釈かもしれないけど、そう考えるのが一番しっくりきました。

以前にもご近所のおじいさんが亡くなって、数日後にそこのわんちゃんが亡くなったときに同じことを感じたんですが、人がこの世からいなくなるときに、その人のそこにあったエネルギーがなくなると、眼に見えないけど保たれてたバランスが崩れるような感覚があります。

これは都会に住んでるときには感じたことはなかったです。あまりにも多くの人が生まれたり亡くなったりしているから、感じられなかったのか?!

Mさんですが、以前にBlog記事にも書いたんですが彼女は今年94才で、一人暮らしをしていて、畑で野菜まで作ってるおばあちゃんでした。腰はまがっているけど、ちゃんと会話もできて、身体だけでなく気持もしゃんとしてる人で、髪も綺麗に櫛が通してありこぎれいにしている人でした。

身体のリハビリで週に2回ほどセンターには行くけれど、誰の介護も受けないで(お子さんやお孫さんが少し離れたところに住んでいて時々家に寄る)、1人で当たり前のように暮らしていることに感嘆してました。

亡くなる二日前でしたが、
Mさんは、自らはしごをかけて雨樋の不具合を直すために屋根に昇ろうとしてました.…(無謀)はしごに昇ろうとしたMさんをみたうちのダンナさんがあわててとめて代わりに昇ってましたが。

亡くなる一日前には移動販売車で食物を買ってたMさん、端数の小銭をきちんと数えて支払っていました。

最後まで普通の日常を暮らし、誰の手をわずらわせることなく、ぽっくりと?この世を去られたわけです。本当に健康な方の人生の最後というのは、こういうふうになるんじゃないでしょうか。

 

Mさんのいなくなったあの日が私にとってなんだか変なバランスの日であったこと、見えないけれど人は周りにいろんな影響を及ぼしてる存在なんだと感覚的に悟りました。

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Mさん、今まで、いろいろありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

 

 

負荷をかける

身体を鍛えるとき、わざと負荷をかけたりします。

何かのスポーツを学んでいるときに、ハードな練習をしたり、苦手な部分を何度も繰り返したりして上手になろうとします。

苦手なテニスのサーブを練習しながら、ふと、身体のように「心」にもわざと強くなるために負荷=ストレスをかけることはあるんだろうか?と思いました。

例えば、営業の人達にノルマを課すのって、心に負荷をかけるみたいなことかしら?なんかつらいイメージし湧かないけど、それでも達したときにはかなりの達成感があって、捉え方によっては心の成長につながるような経験になるのかもしれません。

しかしよく考えてみたら、日々暮らすなかで学校、職場、地域社会、家庭なんかでも、心への負荷は既にそこらじゅうにたくさんあるので、わざわざ負荷をかける必要はないのでしょう。

人生でやってくる心への負荷を1つ1つクリアしていきながら、心も身体のように強くなって成長していくのが人生なのかもしれません。

けれど心への負荷が重すぎたとき、つぶれてしまうこともありますよね。

身体を鍛える話で例えると、現時点での身体の状態の少し上を行く負荷なら乗り越えることができるんでしょうが、それ以上の負荷は身体の故障につながることになるので、心への負荷も重すぎると心の故障になるかもしれません。

そういう場合は、ウエイトトレーニングでバーベルの重さを減らすのと同様に、心の負荷=ストレスをよいしょ、と減らすことができたらいいなと思います。

例えばママ友関係で苦しんでいたら、ちょっとママ友集団と距離を置いてみるとか、学校でつらいなら学校以外のつながりを探してみるとか、学校をちょっと休んでみるとか。

営業成績のノルマがきついなら、う〜ん、どうしたらいいんだろう(汗)、ノルマ気にしないでやってみるとか(クビ?)、戦略変えてみるとか?、誰かに相談してみるとか?思い切って職を変えてみるとか? あまり、納得できる案は思いつきませんが、いずれにしろ自分が過重な負荷でつぶされないように、この負荷は自分には重すぎると判断できる客観性を持っておくことが大事だと思います。

ところで、心に負荷がかかっても平気でいられる状況というのもあります。

それは目指す目標やゴールがあるときです。

負荷を乗り越えた先をみているときです。

営業成績にきついノルマが課せられていても、もし、その人がゆくゆくはその会社で上部の地位を目指す野心があるときは、ノルマでくじけてる場合ではないわけで、ノルマという負荷は序の口ということになり、こんなのへっちゃら、という心境になります。

勉強が全然つまらない学生時代でも、将来、例えば獣医になるんだとか、外資系企業で働こう、みたいな具体的な先の目標があれば、勉強から逃げてたりへこたれてるわけにはいきません。頭や心に負荷はかかるでしょうけれど、それは乗り越えるべきものとして受け入れ、そして乗り越えるでしょう。

高度3000mの山を目指してるとき、手前の500mの山はほんの小手調べでしかなくなり、負荷は軽く超えられるものになります。

ボディトレーニングと同じで、心への負荷も自分には必要で超えられるものであると確信していればつらくないのかもしれません。

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↑ 負荷など不要 zzz  クマのように? 眠るニャンコ …zzz
この寝姿を見て、私の心の負荷はかなり軽減されます(愛)。

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心への負荷が重すぎてつぶれてしまいそうな方、ホメオパシー療法が状況を客観的にみる助けになるかもしれません。ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com