あのマハトマ・ガンジーは、毎週月曜日を「沈黙の日」として、
何も話さない日をもうけていたそうです。
もし、その日に誰かが彼を訪ねてきても、ガンジーは沈黙を守り、紙と鉛筆で筆談をして対応していたらしい。
沈黙の日をもうけたのは、多忙なガンジーが手紙を読むための時間だったそうですが、そのうち、この沈黙の時間が自分の精神にはなくてはならないものになった、と本人が語るのをある本の中で読みました。
食べる回数を減らすファスティング(断食)や、
物を減らす断捨離と同じように、言葉を減らす沈黙の日は、
わたしたちに何かを教えてくれるのだと思います。
そうはいっても、1日中沈黙するのは日常生活上なかなか難しいように思うので、
夜寝る前の2時間ほどを沈黙タイムとしてお試し中です。
沈黙しだして、すぐにわかったのは、言葉を使わないコミュニケーションはとてもシンプルでもどかしいどころか逆に心地がよいということです。
私と寝る前の2時間でコミュニケーションをとるのは、我が家ではダンナさんだけなのですが(沈黙すると事前に説明済み)、
しかも、その時間に取り立てて、私たちは話し合うこともないので(苦笑)、
目が合ったら、ただにっこり笑ったり、静かに会釈や手振りで意思を示してみる……
言葉がない分、相手の目や表情、全身をしっかりと見るので、相手のそのときの真の状態をきちんと感じることができます。
”誤解”というのは、言葉によって起きてることなんだなと改めて思いました。
なにか相手に伝えたいときに選ぶ言葉や、それを受け取ったときのイメージというのは各々がもつ価値観や感覚によって異なるので、言葉に重きを置きすぎてることが、人間関係の主要な問題ではないのか、などと思ったりもしてます。
また、沈黙してみると、自分が言葉を話そうとするときにいかに気をつけていたり、気を張っていたのかにも気づきました。
相手にわかりやすい言葉を使おうと思っていたり、誤解を与えない言葉を選ぼうとしていたり、そもそも無駄な?カラ元気な?会話→ 本当はそこまで話したくもない会話、そんなこともしていたなと気がつきました。
私が黙ると、ダンナさんも黙る、とても静か…..
1日の終わりにこのような静かな時間を持てると、日中の活動でかき混ぜられた自分のマインドが静かに沈殿していき、まるで波紋がなくなった湖のような静かな感覚になります。
沈黙タイムは、瞑想に匹敵すると思います。

↑ 姫路に住んで10年経つけど、まだ訪れていなかった書写山。
今年やっと紅葉が綺麗な時期にいくことができました。