体験するためにいます

夏頃にコンサルテーションを受けた方で、そのときに困っていた心の問題は静まったけれど、

最近は、別の問題のループにはまってるということでメールをいただきました(ご本人の許可をいただいて記事にしています)。

その問題と共にみられる体の症状は、右手の甲の肌の問題(肌が荒れてる)です。

手というのは、体の中でも最も様々な行為ができる部位で、その手を使って、

自分が何かしたり、相手に何かしてあげたりするために使います。

手の甲は、内側というより外側に向けてる部位なので、

この女性の症状は、

外側=他者に対して何かするときに問題があるよ、というのを教えてくれています。

この方は、その部位が ”荒れてる” と表現されていますので、

他者に対して起こしているご自身の行為が荒れている(穏やかでない心)を教えてくれてると思います。

彼女のループにはまってる問題の相手はご主人で、お二人は仕事を一緒にしています。

具体的な問題は:

“(仕事をしていく中で)ある程度(奥さんが)失敗も予測できて、

(失敗になると思うからそうしないほうがよいよと夫に)助言したにも関わらず、

(夫が)それをせずに、結果失敗に終わることがあると、

ムカつき、イラつき、(夫を)許せない気持ちが出てきます ”

というものです。

手の甲の問題は、これと関連してるように思えます。

それにしても、このような問題、夫婦や母子間にアルアルではないでしょうか〜苦笑。

奥さまご自身が学んで習得したことを失敗しないようにご主人に伝えたのに、

その助言を聞きいれないだけでなく、案の定、失敗してる….. しかも1回だけじゃない汗

もうっ! だから!言ったでしょっ!!

と、なりますよね苦笑。

このような日常の心がささくれだつ(笑)問題を、どう考えていくかの答えは、

人それぞれなので正解などありませんが、

私がメールでお答えしたのは、一文で書くとこれでした ↓

相手の人生の体験の機会を奪わないでおく

ーーーー

この世は、”失敗しない”ことがすごく大事なわけではないと思うんです。

うまくいきたい、成功したいというのがベースにあるにしても、

全てのことに対するモチベーションって「これ、やってみたいな」という

ただ、そんな気持ちじゃないかなと思うんです。

人って、やってみてどうなるか、を体験したいのだと思うのです。

もっというと、私たちはただ体験するためにこの世に来てるのだと、私は思っています。

この奥様ご自身が、過去に何かを体験したから(彼女にとって)それは失敗する、という結果を得たわけで、

だから、その彼女の体験をご主人様にシェアして助言はしたとしても、

それでも敢えて実行するご主人様を、

あ〜体験をしたいんだな、と見守っていると心は穏やかでいれるかもしれません。

ジェットコースターに乗ったことがない人が、乗った体験のある人から、

「あの頂上で止まってシンとしてから突然落ちる時が怖いんだよ」といくら口で教えてもらっても、

自分が乗らない限り、それを体験できないのと同じようことかもです。

ご主人が1回の失敗で懲りないのは、

腑に落ちないと学ばないタイプで、まだ、彼の腑に落ちてないのかもしれませんが、

別の見方をするならば、

奥様からみると、それは ”失敗” にみえるのだけど、

ご主人からすると それは ”失敗”ではなくて、

”なにかにチャレンジしてる行程中” 、うまくいくかやってみてる途上ではないかなと私は思います。

ご主人は、奥様が体験したのとは違う結果を導き出そうとしてるのかもしれません。

ーーーーー

さらに、この事象は、他の角度からも分析することができます。

奥様は、失敗しないように、と転ばぬ先の杖をご主人に差し出していて、

その杖を使ってくれないので、イライラしています。

手の甲の症状が右側ですが、右に症状がでてるときは「与える」問題があるときです。

ですから奥様は(助言や手を出すのを)与えすぎてるかも、と言えます。

だとすると、なぜ、与えすぎているか….. です。

私が、自分自身やクライアントさんたちを通してみてきたところでいうと、

他者に情報や、助言や、実際の助けなどを与えすぎてるとき、

その人は自分のことをないがしろにしています。

自分自身を見ることや、自分自身についてすることから逃げて、

他者のことに一生懸命注目してるのです。

他者のことには口を出しやすい、他者のことは見えやすいから。

一方で、自分自身が中心になって何か体験するのを避けてるか、怖がってるのです。

ということで、

ご主人やお子さんをはじめ、

ご家族やご友人などに、

手や口を出して不快な摩擦が起きてる場合は、

自分が手や口を出しすぎていないかセルフチェックしてみるといいかなと思います。

そして、自分自身は「これ、やってみたいな」という自分の体験をおざなりにしていないか、

自問してみるといいかもしれません。

「これ、やってみたいな」ということって何だろう?と自分に問うて、

ぱっと浮かんできたこと、それが何であれ、

それをやっていたら、他者のミスや他者の行動にそんなに注目していられないので、

自分と他者の距離のバランスがとれていくと思います。

最近、私が体験したかったのは洗面所のタイル貼り笑 ↑
洗面所の漆喰の壁に飛びはねた水汚れが目立ってきて、ただ塗り直すんじゃなくて、気分があがるのはなにかな〜と考えました。

昨今は”タイルシート”という商品があって、陶器のタイルがシート状で貼れるのです、ありがたや。
問題は、漆喰壁にはそのシールがくっつかないこと汗。

旦那さんも、仲良しの大工さんも、薄いベニヤを貼るとかしないとくっつかないよと助言くれたけど、どうしてもそういうのなしで貼れるかやってみたかった…..笑。

いろいろ検索して&考えて、結局、壁に薄い膜をつくれる商品をホームセンターで購入して、それからタイルシートを貼ったら、ばっちりくっつき貼れました! やっぱ、どうなるかなって体験してるときが、私も一番楽しいです笑

HSPだとしたら

HSPと言われる人をどう思いますか?

というご質問をいただいたので、記事にしたいと思います(ネタありがとうございます、礼)。

HSPは、かなり普及してる言葉だと思うので説明不要かもしれませんが、

Highly Sensitive Person の略語で、

簡単にいうと「超敏感な人」のことを指します。

エレイン・N・アーロンというアメリカ人女性心理学者が、25年ほど前にこのタイプの人のことを本に書き、

共感を持つ人が多かったため、徐々に世界で認知されていったワードです。

HSPは後天的に形成された性格というより、もともと持って生まれた性質のことを指しています。

HSPの代表的な特質としては、

音や光や匂いなど環境からの刺激に超敏感である とか

他人の気分や雰囲気に非常に大きく左右される とか

変化や起きる出来事で、神経が他の人よりもたかぶる

というような反応があげられます。

HSPをどう思いますか?と尋ねられたのは、ご質問者ご自身が、

自分もそのような気がするということらしく、もしそうなら、

そのことをどう考えていけばいいのかを知りたかったようでした。

どう思うか?ということに対しては、

私個人としては「特に何も思いません」です。

これは、

下世話な例でいうと、

”陰キャ” とか ”陽キャ” みたいなもので

(余談ですが、これらは昔は”根クラ”、”根アカ”と呼ばれてた笑)

そういうカテゴリーを設けるなら、確かにそこに入る人はいるよね、と思うくらいです。

実際、クライアントさんでも、私はHSPだと思います、と自分からおっしゃる方に何名もお目にかかったことあります。

中には、HSPというカテゴリーがあったことで救われた気分になった方もいます。

生きづらいのは自分のせいじゃなかったんだ、そういう性質だったからなんだ と安心したとか、

そういう超敏感な人が自分以外にも一定数以上いるとわかって (15-20%という統計あり)、

自分だけじゃなかったんだ!という孤独感の払拭にもなったようです。

このような人の性質や性格の分類分けにはいろんなカテゴリーやジャンルがありますが、

それに自分を当てはめるというのは、何をしてるかというと

自己認識

なんだと私は思います。

自分はこういうところあるよね、とか、

自分という人間は、文章にしてみればそういう表現で形容できる人間だよね、

みたいな自分を客観的に認識する1つの手段だと思います。

だから、もし自分がHSPだなと思ったら、それは自己認識した段階といえると思います。

ここから、ちょっと自分のことを例に書きたいと思いますが、

今回この記事を書こうと思ったので、ネット上にあるHSPセルフチェック(テスト)というのを

3つほどやってみました。

そしたら、2つのテストでは、私はギリギリHSPの範囲であるというのと、HSP中度であるという結果がでました。

3つめのテストでは、「あなたはHSPではないようです」という結果になりました。

もし、このセルフチェックを30年前にやっていたとしたら、

私は完全に高度なHSPと認定されたと思います。

私は、エネルギー療法というのをやってるだけあって、いわゆるエネルギーにとても敏感です。

だから、HSP気質の人の特徴である

音や匂いや光にももちろん敏感ですし、

カフェインや暴力的な描写などにも弱いし、

人が放つエネルギー → つまりは気分や雰囲気、不快な思いなどを察知する能力も高いと思います。

ですから、生まれ持った気質は完全にHSPだと思います。

とはいえ、30年前なら高度なHSPと認定されたであろう私が、

今はそうでないとか、中度や低度の判定がでたのは、

HSPと診断される幾つかの基準は、もともとの性質や気質だけといいきれないものがあるからで、

それらの点を、私は今までの人生で生きやすいように変えてきた、と言えると思います。

私が変えてきた点は、例えば、以下のようなものです(セルフチェック項目よりコピーさせてもらいました):

ーミスをしたり物を忘れたりしないよういつも気をつけている

ー短期間にたくさんのことをしなければならない時、混乱してしまう

ー仕事をする時、競争させられたり、観察されていると、緊張し、いつもの実力を発揮できなくなる

ーあまりにもたくさんのことが自分の周りで起こっていると、不快になり神経が高ぶる

このような自分を追い込んだり、つらい気持ちになったりする意識は、

モノの見方や考え方などを変えることで、変化させることができると思います。

別の言い方をすると、これは一種のエネルギーブロックがおきてる現象ではないかと私は思うからです(そのブロックがなくなれば解消する可能性が大きい)。

例をあげると、

ミスをしたり物を忘れたりしないよういつも気をつけている

→ 過去にミスをしたり、物を忘れた体験があり、そこで恐怖や不安をもってしまったので

そこに今もひっかかってる

今は、そのようなブロックは私にはないので、

ただ現実的にミスや忘れ物をしないよう事前に自分で対処するだけです。

(精神的な不安は恐れはなくて、物理的なチェックをするのみ)

もちろん、それでもミスや忘れ物は起こり得ますが、それに対して、必要以上に自分を責めたり、恐れたりすることはありません。

事前にできることはしてたけど、ミスや忘れ物がおきたら、

あー、これを忘れるようになっていたんだな、とそれが起きたことを受け入れるみたいな感じです。

もしくは、その忘れものが重大なことであった場合は、

これを忘れたことは、私に何を教えてくれてるんだろう?というような見方をして、

そこで何かに気がついたら、次回からそれをしないようにするだけです。

ですから、そのようなことで神経をすり減らしたり、考えすぎで苦しくなったりすることはありません(影響を受けすぎない)。

他の例もあげると、

ーあまりにもたくさんのことが自分の周りで起こっていると、不快になり神経が高ぶる

これも、確かに神経はたかぶりやすくなりますが、

フォーカスすべきは、今、現在、目の前で起きてることだけ、という意識を持ってるので、

今、できることだけに集中して、それ以外は「今は」考えないようにしています。

そうすると、いっぺんに複数のことを考えてテンパることはなくなり、

物事が多数起きてようが、1つのことが起きてようが、要はやることは1つのみなので、

集中して落ち着いて

物事をすすめることができるようになってきたわけです。

もともとの敏感すぎる気質についていえば、

例えば私は仕事でこれを生かしてるな〜と思います。

HSPというような敏感な気質は、いわゆる感度が人よりよいわけで、

神様からの才能のプレゼントともいえますから、それを活かす方向に考えていればよいと思います。

(HSPを困った性質ととらえる考え方をしないことが私のおすすめ)

その敏感さで気づいてあげれることがまわりの人の癒しにもなるし、

植物や動物のことをよく感知してあげられるから、そういうところで生かしたり

環境への変化にいち早く気づくことができたりするから、それを社会へ発信することもできるだろうし、

またその感度の高い感性を、絵やら詩やら小説やら漫画、音楽など芸術でいかすこともできると思います。

ーーーーー

ということで、HSPについて私の考えをまとめますと、

HSPという自己認識した段階を過ぎたら、

HSPだから私は人とは違う、とか、

私はHSPだから無理、みたいな「特別意識」で、

他の人との垣根や壁をつくらないことが大事ではないかなと私は思います。

HSPでなくて、逆に人の気持ちや感情を感じることができなくて苦しんでる人もいたりします。

ですから、自分だけが苦しい、自分だけが生きづらい、そう思わないで、

その難点を工作みたいにあれこれ工夫したり、生かす方向にいって、それすらも楽しんで体験してしまおうと思えばよいのでは、と思います。

どんなジャンルのこともそうですが、カテゴリーという分類を

自分と他者をわける分離の方向に使わないで、

カテゴリーでの違いを知った上で、

あえてそれぞれが統合されていく方向に使っていけるといいなと思います。

↑ 先日の夕方、家からみた虹、山と山をつないで大きな橋が架かっていました。


虹は7つの色が同時にみれるから美しくて貴重だなと思います。

7つの色は異なっているようだけど拡大するとグラデーションで切れ目なくつながっています。
人間も性質や容姿でかなり違ってるようにみえるけど、その違いは虹みたいなグラデーションの現れで、実際に人は中身をあけてみたらそんなに違いはないだろうなと思っています。

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HSPの人のような生きづらさを抱えているかた、

過去にため込んできたエネルギーブロックを外して、

少しだけ楽に生きてみませんか。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

蛇イチゴと野イチゴ

ご近所さんのお友達にお昼にお呼ばれしました。

出されたサラダに、赤い実がバラバラとトッピングで振りかけられてありました。

これは蛇イチゴでは?!(汗)….いいえ、それは”野イチゴ”でした。

食べてびっくり、甘い!

裏の山に生えてる野いちごを摘んできて、サラダにトッピングしたのだそうです。

野いちごというものを知らなかった私を、
実際に生えてる場所に連れていってくれました。

最初、蛇いちごと見分けがつきにくかったのですが、
両方を摘んで同時に見比べるとよくわかりました。

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↑ 左が蛇イチゴ:実の真ん中が白い。
葉っぱは三つ葉で、葉の縁はゆるいぎざぎざになってる
右が野イチゴ;実の真ん中は空洞。葉っぱは三つ葉だけど細長く先がとがってる。

お花の時期には違いが一目瞭然、蛇イチゴは黄色で、野イチゴは白い花が咲くそうです。

蛇イチゴって、蛇がいそうなちょっと湿った場所に生えてるとか言われ、
別名毒イチゴとも言われますが、実際には毒もなく食べれるそう。
ただ味がないので美味しくないらしい。

実際に我が家の裏にも蛇イチゴ結構生えてますが、バラでもなんでも食べちゃう庭を荒らすシカ達も蛇イチゴをなぜか食べない…
同じバラ科でこんなに似ている実なのに一方は甘くて美味しくて、
片方は美味しくもない。
蛇イチゴは食べられないことで、進化をとげて繁殖してきたのかも?!

ところで蛇イチゴは、
蛇苺(ジャバイ)という名称で漢方にも使われるそうです。
効能は抗菌•抗炎症作用。

そして民間薬としても昔からおばあちゃんのくすりばこ的に使われており、
蛇イチゴの実を焼酎につけておいて、
虫さされや汗疹(あせも)の薬として使うんだそうです。
抗菌•抗炎症作用があるからか、痒みが止まり、虫さされは跡も残りにくいんだとか。

この民間薬はホメオパシー的にみて効果あるだろうと感じました。
類似の法則からいっても、蛇イチゴの赤くぶつぶつした表面と腫れた感じは、
虫にさされて腫れた感じを思わせるからです。

早速、裏に生えてた蛇イチゴを摘んできて焼酎につけました〜今年の夏はこれを使ってみようっと。

(作り方:蛇イチゴの実だけを摘んで、二倍の量くらいの焼酎を注ぐだけ。
2週間くらい漬けたら使えるそうです。虫にさされた部分や汗疹の部分に塗るだけです)

ホメオパシー療法、何が起こる?

ホメオパシー療法を受けると、どんなことが起こるの?について書いてみたいと思います。

以下、私が行うクラシカルホメオパシーの場合を前提にしてのお話です(ホメオパシーにはプラティカルという手法とクラシカルという手法があります、流派みたいなもの)。
ちなみに身体的&精神の問題の深さの度合いには個人差があるので、反応も同様に一律ではありませんが、平均的に起こることを書いてみます。

私はホメオパシーの学校で、ホメオパシー療法のいわゆる問診みたいなもの「コンサルテーション」のやり方を学びましたが、実際にクライアントさんたちをみていくうちに、もっと効果的だと感じる方法に辿り着きまして、以降、それを独自のやり方で行なっています(典型的なホメオパシー療法のコンサルとは少し異なる)。

ですので、私にかかる場合は、まずコンサルテーションというのが大きな動きを起こす場になります。私がコンサルでやっているのは、なぜ、その人にその症状(肉体または心)が起きているのか?を一緒に解明していくことです。

そしてコンサル後には、その人にもっとも必要と思われるレメディを検討して、レメディを郵送しますが、このレメディへの反応も含めて、その方が改善したいと思っている身体症状や心の症状に動きがでます。症状の動き具合は、その人がどのくらい問題となってる意識を変えていくかと比例しています。

具体な肉体症状の例でいうと、頭痛だったら、レメディで少しづつ痛みや出現頻度が軽減していき、数ヶ月したらもう全く頭痛はでなくなっていった、みたいな感じになります。
1年も経ってメモ代わりにつけてた日記を見返したら「ああ、そういえば、私は頭痛持ちだったな〜」なんてくらいの過去のものとなったりします。
そしてそう見返せる頃には、その頭痛を起こしていた根源の意識の問題も完全に変化をしていて、より楽に生きられるようになっています。

アトピーや、花粉症といった長年患っているような症状の場合は、症状が軽減するまでに長い期間がかかることが多いです。

レメディ一の1回摂取で、どーんと効果をあげたい方もいると思うのですが、そういうときは反動で揺り戻しも大きく、実際問題として日常生活にかなりの支障をきたすので、徐々に症状を軽減していくことが心身的には望ましいかなと思ったりします。
言い換えると、長く抱えてきた問題は、その元の意識を変化させるのに、少し長くかかるということが言えます。

いずれにしろ身体症状はほとんど全ての場合、心の問題との組み合わせで起こっていることが多いので、上記のような感じで身体症状を改善していく過程では、精神症状にも自然と向き合うことになります。 向き合うというのはどういうことかというと、「気づき」が起きていくということです。

いつも無意識に行っていた思考過程や感情の動きにふと気がつきはじめるのです。
「あれ、私、こんな風に考えていたんだ」「あ、過去のあの出来事から、私はあまり意見を言わないようになったんだ」とか、「なんだか自分が被害者になるように行動してるな」など、自分が当たり前のように行なっていたパターンに気がつくのです。

そしてその気づきから新しい選択が起きたら、全体がスムーズに流れるようになり、より精神的に生きやすく(=自分らしく)なっていくのと平行して、身体症状も軽減していきく、別の言い方をすると、心身ともに全体的にその人らしく健康になっていく、このようなことが起きていきます。

だから、単に病だけをきりとって、それをなくす、というのとは、
異なるアプローチです。ホリズム(全体)的に自分という存在をみていく、
それがホメオパシー療法にかかると起きることです。

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ただ、そうはいっても人はすぐに解脱するわけでもないので(苦笑)、
楽になったその後も必要な学びは人生において常にやってきますが、ね。

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初回のコンサルテーションの後は、レメディの反応をみて方向性が確定してくるまで、続く2、3回はフォローアップは1ヶ月おきくらいが理想ですが、自分の心身についての気づきがはじまって、それを自分でみていける場合は、その後は療法にかからないで、自分でやっていくこともできます。

というわけで、ホメオパシー療法おもしろそう、と思われた方はHPの方へもどうぞ: https://arnicahomeo.wordpress.com

治るとき

台風が過ぎ、今日は快晴かと思いきや、まだ湿気が含まれた空気が残っています。

台風が行き過ぎたからといって、すぐにはカラッといかないわけですね。

これって、体や心が治るときと同じだなと思ったり。
何かが治るときに奇跡的に一瞬で治るというようなことは、人体的にみて起こらないと私は感じてます。

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ホメオパシーのレメディでも奇跡的なことが起こることがあります。
奇跡的に症状が動くことはよく聞くことです。
でもそれは完治とは違うんですよね。
その人とレメディが正確に共振共鳴した場合に、
奇跡的と表現できるようなことは起こりますが、
それが完治とは呼べない。
患っていたある症状が劇的に改善したり、動くのだけど、
それでおしまいではない、ということです。

例えば自分がアトピーを患った経験から話すと、HPにも書いていますが(ご興味のある方はどうぞ:http://arnicahomeo.wordpress.com/わたしのこと-3/)。
私はあのとき、漢方などを使いながら、一応は治ったのです。
しばらくは皮膚症状はなく、
夏になるとあせもみたいなものができていたくらいです(これ気になってはいましたが)。

それがホメオパシー療法を使用しだしてから(セルフケアでなく)、
また似たようなアトピー症状が一部に表れました。
アトピーを患ったときよりは、せまい範囲で、症状もやや軽減した状態です。
ホメオパシーを勉強中でしたから、レメディを取ったことで排出をうながされているのはわかりましたが、レメディを取るたびに、皮膚症状がでるので、
うんざりして私のホメオパスに相談しました。

その時、私のホメオパスと話しながら、自分の体を通してわかったのは、
完治までたどり着きたくても ”一気にゼロ”の状態まで
体がすぐに持っていくことはできないのだ、ということでした。

台風のような好転反応(治るときに一時的な悪化にみえる症状)があったからって、
その後一気にすっきりするかといったら、その余波症状は残っているのです。

振り子をイメージしてもらうといいのかもしれません。
ビヨーンとゆれて、反動で戻っても、そこでピタッとは止まりません。
振れが少しづつ小さくなりながら、最後に止まります。
完治していくときも、あのイメージです。

人間という生体は、そんな急なことはできかねるのだと、私は思います。

私のアトピーの完治もそんな感じでした。レメディを取ったことで皮膚症状が、前回より軽めに少しせまい範囲で出る、その次はもっと軽くせまくでる、その次はさらに軽くさらにせまく出る、そして最後に出なくなる。
こんな感じで静かに終息していくのです。

これは恐らく精神症状についても言えると思います。
重い精神症状を患っていた人が一気に治って、
ある時を境にそれまでの症状が全くなくなるというのは、
生体として無理な反応をしている(させられている)のだと思います。

症状の揺り戻しは徐々に小さくなりますが、いきなりゼロにはならず、それが生体として正常な反応だと理解しておくことが重要なんだと思います。

例えば、万引きがクセの人がいて、なにかの療法で劇的に改善したとします。
あー、良かったと家族が安心しているところに、
またその人が万引きしたと警察から通報。
家族は再度奈落の底に…ではなくて、それ揺り戻しかもしれないのです。

他の精神の部分で改善がみられるのなら、良い方向に向っている過程の揺れとして、
そこは静観して様子をみるのが良いと思います。
本人もそれがわかっていれば、
自分は”やっぱり”ダメだって、落ち込んだりしなくていいわけです。
振り幅がどんどん小さくなっていっていることに注目したらいいと思います。

なんにでも実はいえることなのかも。
急なダイエットとか、禁煙とか、地震、実は株の急落なんかも?! 宇宙的にみて物事が動くときって、そういうことなのかもしれません……

ということで人体に自然な方法で、不調を 整えたい方、ホメオパシー療法のHPもよかったら御覧ください:http://arnicahomeo.wordpress.com

猫の魅力

生まれて初めて猫を飼って、猫じゃらし(おもちゃ)で遊んだとき、
猫ってまるでドンキホーテのようだと思いました。

私が振る猫じゃらしを、獲物のように追ってつかもうとするその真剣さにぐっときました。目の前にいる小さな猛獣、この生き物と同じ空間(しかもせまい!)にいるなんて、まるで宝石を手にいれたようだなと。

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人間がボール遊びを真剣にやるのと同じで、猫もじゃらしと知りつつ遊んでるのが、今はわかっているけど、それでも猫は、いつも真剣だなと思います。

自分の身を守るのに隙がなく、つねに警戒態勢のスイッチが入る。だからそんな猫が気をゆるして眠っていたり、だらっとしているとなんだかものすごく幸せな気分になります。

静かに優雅に歩く様子、丸くコンパクトに収まる姿に大げさでなく神秘すら感じる私です。

私の住んでる辺りで、木の関係の仕事をする人々は、仕事に出かける朝に”黒猫”をみるとそのまま家に引き返して、その日は仕事をしなかったそうです(黒猫がいると、山で木を切り出したりするときにケガや事故が起こる前触れとされていた)。

猫は20年以上生きると化け猫になるとかいわれるし、古代エジプトでは崇拝されていたこともあるし、なにかやっぱり不思議な世界とつながっているのでしょうね。

何がいいたいのか、いや、もう単に猫がかわいいだけです(名前はミヌです)。

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飼い猫など、その他動物にもホメオパシーは使えます。ホメオパシー療法にご興味のある方はこちらのHPへどうぞ:http://arnicahomeo.wordpress.com

ホメオパシーは何に効くのか?

ホメオパシー療法家(=ホメオパスといいます)をやっていますが、ホメオパシーは日本ではまだまだマイナーな療法で、知らない人がほとんどです。

ホメオパシーは何かを説明しても、一度でわかってもらえることはないし、セルフケアで使っている人でもよくわかっていない人も多そうです(自分も当初そうでした)。

そんな感じでよくいわれるのは、
「(説明はなんとなくわかった)で、ホメオパシーはつまり何に効くの?」。
結局何に効くかがわからないと、試そうと思うところまでいかないですからね。

この答え、でも正直難しいんですよ。ホメオパシー療法はもともと医師が病いを本当の意味で根本的に「治す」(薬で一時的に対処するのではなく)ために確立した療法なので、「病気にも心理的な病いにも、効きます」というのがまず浮かぶ答えなのですが、これ日本の薬事法の関係で公には言えません(苦笑)。

薬事法へのひっかかりだけでなく、なるべく誠実に誇大表現のないように言うとしても、「病気にも心の病いにも効くけど、それはレメディとその人(患者さん)しだいとしか言えない」ということになります。

ホメオパシー療法は、各人のもつ自然治癒力に働きかけるので、自然治癒力が深いところから整えば、その力で抱えている体や心の病いが改善されることはよくあります。

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ただ、それはその人の自然治癒力や遺伝的に受け継いだ要素によって差異があるので、ある人にすごく効果があったからといって、他の人にもそれがあてはまるとは言い切ることはできません。

学校でたくさんのケースも学びましたが、レメディで完全に健康な状態まで戻った人がいる一方、精神的にものすごい改善をみせたのにある病いだけは平行線のままだった人などもいて、それは1つの療法だけで治療する限界かもと思うし、その人のその症状はそのとき治るようにはなっていなかったというようなこの世の仕組みまで関係するような回答にもなるかもしれません。

また自然治癒力の差異だけではなく、レメディが正しく選ばれることも、とても重要です。
その人に流れているのと同じエネルギーを持つレメディを選ぶことができなければ、自然治癒力が深いところから整うことは難しいからです(ある程度は整いますが)。

これはホメオパシー療法に限らず、お医者さんや歯医者さん、またはマッサージなんかでも「人や技術による」ところが大きかったりするので同様でしょうか。

また自然治癒力だから何の病いにでも作用するのかというと、そうでもないです。
器官や骨の組織など長時間かかって硬直した状態になったものや、再生不可能な組織や、簡単な例でいうと進行した虫歯など、自然治癒力がどんなにうまく働いても、もうどうにもできない状態のものには作用しません。

最後にですが、上述したものだけでなく療法を受ける方自身の生活習慣も大事になってきます。
肥満で悩んでいて療法を受けレメディを取っているのに、相変わらず暴飲暴食を続けているなら、それは治癒するのは難しいです。
(わかりやすくこの例を書きましたが、ホメオパシー療法を受けていると暴飲暴食をさせていた心理的な要因にレメディが作用して暴飲暴食したくなくなる流れなので、
実際にはこの例は起きないかもしれません)。

まとめてみますと、ホメオパシー療法は、様々な病に効く可能性がある、ですかね。

こんな症状あるけど、ホメオパシー試してみようかしらって方は、こちらのHPへどうぞ:

http://arnicahomeo.wordpress.com