狭き門より入れ

狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。

新約聖書マタイ福音書7からの一節ですが、「狭き門より入れ」は、アンドレ・ジッドの小説のタイトルにも使われたせいか、ことわざのように使われているかと思います。

私は、これまでの人生で何度か、この言葉を受け取ったことがあります。

この「狭き門」から通ずる道は、神の国なので、悟りへの道を示しているのが本来でしょうが、

私はこれを、次の意味のように受け取っています。

「狭き門から進みなさい。それは、あなた独自の道。

誰かが言った通りにすることや、世間がすでに示している道は、その他大勢の人が流されて進んでしまう広い道。

しかし、その狭い独自の道を進むなら、あなたのソウルに従った道を進むことになる。」

という感じで、私たちはヒトという形で似たようにみえても、それぞれが全く独自でオリジナルな存在なのだから、
独自の道を進むことが、本当のあなたらしい人生の道を進むことになります、という導きの言葉として受け取っています。


他の大勢の人がやるように、こうやったらもっと楽だよ、簡単にできるよ、こうしておけば波風立たないよと、いうような広い道は一見簡単で従いやすいのだけど、その広い道を進んでいると、あなたらしく生きられない道を歩むことになりますよ、という教えだと思っています。

この文言を、一番最初に受けとったのは、ホメオパスになるための学校選択で悩んでいたときでした。

ホメオパシー自体がそもそもマイナーな道なのですが、
それでも日本で一番大きな学校があり、そこの見学会に行ったあとに、どの学校を選択するかで自分の中で迷いが生じていたときでした。

その学校は施設もカリキュラムもしっかりしてるし、生徒の人数も多い、そして卒業後の進路まで道筋をつけてくれてるような学校でした。

その道がホメオパスになるのに一番の近道、いわゆる広い道でした。
でも、自分の中には迷いがありました….

それで公園に座りこんでいたのですが、考えても選択できないので、ぶらっと周りを散歩しようとしたら、そこに教会がありました(当時、東京に住んでた)。

信者でもないのですが、ふらりとその教会の扉をあけて中に入ると、教会だとフォーチュンというのか?、おみくじ的な箱が置いてあり、自由にひくことができました。

手をいれて、1つの小さく折りただんだ紙を取り出し、開いてみると、

「狭き門より入れ」と書いてありました。

この導きが、私のその後のホメオパスになる道へのシフトとなりました。

狭き学校を選び、狭き?ホメオパスとして活動することになりました笑。

もし、あなたがやろうとしてること、やりたいことが、狭き門を通らねばならず、

その狭さゆえに、他のさっさと進む多くの人と比べるとうまくいかなかったり、早く進めないこともあるかもしれません。

でも、その狭さは、あなたのオリジナルさを表してるのです。

狭ければ狭いほど、あなた独自の道です。

自分がどのような門から入っているか、それに気づくよう、まさに今朝もこの言葉を受け取りました。

去年植えた水仙が咲きました。
正面からみると、マカバと呼ばれる星形正八面体に見える〜

波動の上げ方:「愛」を伴う反応の実例

波動をあげる具体的な方法は、

「愛」を伴った見方をする、「愛」を伴った言動をとる

です。

以下、具体例:

住む家をずっと探していたところ、「これはすごくイイ!」と希望にピッタリの物件をみつけた。

不動産会社に連絡をしたら、「あ〜、その物件は今もう契約段階に入ってるんで、ご紹介できません」と言われ、電話を切った。

この事象に対して↓↓↓

▶︎「愛」を伴わないどころか、恨みや怒りを放つ波動の見方と言動

「ったく、もう契約段階に入ってるなら、この情報ネットから削除しといてよ!」

「なんかの都合で、その先約の人、契約破棄にならないかな」

▶︎「愛」を伴わない見方と言動

「あー、もっと早く電話してたら、私にもチャンスがあったのかな、どうしてもっと機敏に動けなかったんだろう」

「あーあ、私にとってベストの物件だったのに、私はなんてついてないんだろう….」

▶︎「愛」を伴う見方と言動

「私よりもあの物件を本当に必要とした人がいて、その人が契約することができたんだ、良かったな」

「知らない人だけど、その人がぴったりの物件に巡り会えたことを喜ぼう」

▶︎さらに上級の「愛」を伴う見方と言動

「私でなく、その人が望むものに先に巡り会えたことを祝福します」

「その人が幸せで良かった、ありがとうございます」

「どんな人も、その人みたいに望むものに巡り会えますように」

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上記を解説するならば、

一番低い波動は、

起きた事象について他人のせいにしたり、他人を落としたり、批判する反応

そこまで低くないけど、高くない波動は、

他人に矢を向けないけれど、自分に矢を向ける反応
自分を責めたり、自分を下げたりする反応

高い波動は、

起きたことを良いこととしてただ受け入れる反応
他人に起きた幸せを自分のことのように喜ぶ反応
他人のことでも喜ばしいことが起きたことについて感謝する反応

さらに高い波動は、

自分のことより他人の幸せを願う反応
自他を問わずに、幸せな事象自体に感謝する反応
全ての人に対しての幸せを願う反応

という具合になります。

別の言葉でいうと、起きてくる事象に
どれだけ大きな愛を伴った見方と言動ができるかということが、
波動をあげることとリンクしています。

波動をあげていくというと抽象的で何を目指してるのかわからないけれど、
「愛」を伴った言動をしていくことで、「愛」を伴った現象がつくられ、「愛」が波及していく世界になっていきます。これからは、そんな時代になっていく流れだと思います。

ーーーーーー

上記の例は、自分が今、やりたいことのために物件を探してるので、思いつきました。
昨日まさに、畑付きの素敵そうな物件をみつけて電話したら、契約進行中だった汗。

その伸び伸び過ごせそうな田舎環境の物件に、ぴったりの人たちが巡り会えたんだろうなと思ったら、私でなくて良かったなと思い、そう思ったら、波動が上がったのか、自分も本当に幸せな心持ちになりました。

もちろん電話で断られたときは「あー、遅かった!」と思いましたよ→波動低っ、笑!

アーモンドの花が満開中、アーモンドの実は今のところ1粒しかなったことない….
濃いめのピンクで香りも濃い、このピンクをみてると気分が上がります。

「愛」を持った見方をするのが、どうしてもできない方、あなたの温かいハートを閉じる出来事が過去にあったのだと思います。その出来事のときに閉じたあなたのハートを開きませんか。エネルギー療法でそのお手伝いをすることができます。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

一人ぼっちになれたことなんか、ない

なんだかもやっとする夢をみて、もやっとした気分のまま、台所の窓をあける。

空をみてたら、春の野鳥がさえずった。

つーぴー、つつぴー、

ホーホケキョッ、

途端に、私の気分は完全に「春」になって軽やかになる。

誰かが、悲しい気持ちをつづったSNSをあげる、それにいたわりや共感のコメントがつく、それを読んで優しい気持ちになる。

誰かが、誰かに毒づく動画、それに賛同するコメントがあがったり、憐れむコメントがあがる、色々だな〜と自分も複雑に感じる。

入ったお店の店員さんが元気がよいと、その快活さに心地よくなる。

雨が降り続くと、なんとなく、どよんとしてくる、晴れるとからっとした気分になる。

風がふくと桶屋がもうかる、も同じこと。

どんな人も、こんな数々の影響の連続で毎日を過ごしてるはず。

ということは、間違いなく、私たちは、影響しあう世界で生きている。

影響し合うというのは、なにかがつながっているから、影響しあう。

これを、ワンネスということができる。

そういう意味で、わたしたちは、決してひとりぼっちにはなれない。

ひとりぼっちになんかなれたことない。

ひとりぼっちなら、この影響しあう世界に生まれることはできなかったから。

菜の花畑でどんな影響をうけてるかな〜

あなたの中のリーダーシップを取る

表題は、今日受け取った言葉です。

あなたがやると決めたこと、やりたいこと、それを進めていく過程で、

あなたの中に起きてくる迷い、ちょっとした弱気、しなくてもいいかというような怠け心 etc….,

そういうあなたの中のモヤモヤしたものたちも引き連れながら、

あなたはあなたの中でリーダーシップをとって、

したいことに向かって進んでいくことが、あなたの中のリーダーシップを取るということです。

リーダーシップは、人といるときに取るだけじゃなくて、
自分の中でも持つことができる、というメッセージ。

あなたがあなたの中でリーダーシップを握ったとき、
あなたの中には太い柱のような芯ができ、そこにエネルギーが流れ、
すると必ず天からの手助けが降りてきます。

天からの手助けが先ではなく、あなたの中のリーダーシップが先なことを忘れずに。
(なにか良いことが起きたからやろうか、ではない笑)

そろそろ、私の住んでる山間部でも水仙が咲き始めています。

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自分の中のリーダーシップをとりたいけど、
そもそも自分はなにがしたいのか、何を決めたらよいのかがわからない人は、
本来の自分以外の波動に影響を受けたままでいるかもしれません。

本来の自分以外の波動というのは、具体的にいうと親の価値観だったり、世間で良いといわれてるものが良いという思い込みなどから作られます。
そういう不要なものをはずしていくと、本来の自分を取り戻していくことができます。

レメディやエッセンスなどを使って、あなた本来のものではないものを外していけます。ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

苦しくなる2つの理由

エネルギー療法という名称で、私がやってることは、

人を苦しく感じさせる「エネルギーブロック」をあなたのエネルギーフィールドから外すことです。

エネルギーブロックとは、過去の体験の中で(過去世も含む)こしらえてきたマイナス波動を発したままのエネルギーの塊のようなものです。

それはまるで黒い雲や石の塊ように、その人のエネルギーが流れていくのを邪魔していて、その滞ったエネルギー状態を人は苦しいと感じるのです。

これらのエネルギーブロックは、マイナス波動をポジティブに変換していくことで、解消することができます。

しかし実はこれに加え、もう1つ、人を苦しくさせているエネルギー現象があります。

それは、その人の内側からあがってきた(ソウルから伝達された)情熱といいましょうか、衝動といいましょうか、ひらめきとして受け取ったエネルギーを、外に向かって放射しないという現象です。

簡単にいうと、インスピレーションや ”やる気” が内側から湧きあがってるのに、それを外の社会で実際にアクションにうつさない状態を指します。

行動しないまま、その湧き上がるエネルギーを自分の内に置いたままにしてる状態です。

そうすると、そのエネルギーは行き場がなく、それがいわゆるフラストレーションと呼ばれるものになり、人は苦しく感じるのです。

湧きあがる泉が、外に向かってこんこんと流れていくように、

その人の内に湧きあがったエネルギーも、外に向かって放射されていくのが自然な流れなので、それを止めると、その人は苦しいと感じることになるのです。

このようなエネルギーがいわゆる「未完了の体験」と呼ばれるもので、その人のエネルギーフィールドに溜まっていくことになります。

ということで、

過去にためたマイナスのエネルギーを解消していくことも地道にこなしながら、

同時にわきあがってくる内側からのインスピレーションは、外の世界で行動に移し、

実現していく(エネルギーを完全に燃焼する)のをお勧めしたいです。

それには、自分の内側から受け取るインスピレーションを信じることもとても大事になってきます(こんなことできないよとか、思考でジャッジしない)。

かくいうわたしも、ただいま、インスピレーションを外の世界での実現に向けて動いているところで、このエネルギーを存分に放射したいです。

一人一人が内側のエネルギーを発光させた世界、星空のように綺麗でしょうね。

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過去にこしらえたマイナス波動(苦しみ、憎しみ、恨み、悲しみ、自己憐憫など)の解消が難しいと感じる場合は、カウンセリングやレメディというエネルギー物質を使って、その解消のお手伝いをすることができます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

全てを愛せる

12月12日、夕方近くに帰ってきて空を見上げたら、雲の動きと背景の空になんだかとても心ひかれたので、しばらくただ見入っていました(写真もとりました) ↓

その後、家に入り1件のメールを送り、夕食の準備をしながら、そのメールの内容について思い返していました。

内容については長いので書きませんが、
「そうだ、今世で人間最後かもしれないから、もっと十分にこの人生を味わいつくしておこう….」なんてことを考えてました。

そしたら、そのとき、自分の中に…..

「全てが貴重! 全てが愛おしい!」という言葉がはっきりと湧き上がってきて

続いて、

「 全てを愛せる! 」 という言葉と、それに伴う強い思いというか確信のようなものが溢(あふ)れてきました。

自分の内側に何の揺らぎもなく、「全てを愛せる」と明言できる、そんなはっきりした感覚でした。

この言葉を口に出して人前で言ったとしても、

恥ずかしさも、空々(そらぞら)しさも微塵もなく、堂々と宣言できる、
いっさい嘘のない、そんな強い感覚です。

「ほんとうに、全てを愛せる」と、また言葉があがってきて、

胸がいっぱいになって、涙があふれてきました。

それまでは飼ってるニャンコは愛しい、家族も愛しい、でも、視界に入る整っていない部屋や、年末の大掃除を待ってる埃(ほこり)は嫌だ、と思っていた自分だったのに、

その埃を掃除していない私のだらしなさも、その埃すら、私は愛せるとはっきり思えました。

夕食準備の前にネットニュースでちらっとみた、裏金でワケのわからない答弁をしてる政治家のことももちろん愛せると思いました。

愛せるというのは、好きか嫌いかとは違う感覚です。

さっきネットニュースでみた政治家は私は好きではない、むしろ嫌い、でも愛せると思ったのです。

”愛してる” でもなくて、”愛する”でもなくて、「愛せる」です。

私が感じていた「愛せる」というのは、あえて言葉にするなら、そのまま認める、受け入れる、ゆるすみたいな表現だと思います。

そんな感じで、この世の聖なることや、優しい、美しいことだけでなく、汚いこともずるいことも、とんでもなくおぞましいことまで全てを愛せる、という確信で胸がいっぱいになりました。

私のハートの中にこの世の全ての善も悪も迎えてあげることができる、ハートが裏返って全てを包み込む、そういうイメージも出てきました。

そして、その後も幸せな感覚で満たされながら夕食を終えて数時間したとき、ある用事をふと思い出しました。

仲良しのご近所さんと年末に忘年会をするので、ある居酒屋さんを私が予約することになっていたのですが、まだやっていなかったのです。

私はその居酒屋さんに今夏に旦那さんと行ったのですが、食事は美味しかったけど接客とお勘定にあまり良くない感じを受けたので(行き過ぎた儲け第一主義を感じた)、実はあまり行きたくないなと思っていたのです。けれど、ご近所さんがそこを希望するので、じゃ、ま、それでいいかと場所はそこに決まっていました。

年末近くなってきたので早めに予約しないといけないのに、今夏のことを思い返して、なんとなく嫌だなと後回しにしていたのです。

でも、そのとき、「あれ!?私、全てを愛せるよね」と自問したのです。

そしたら、そのお店の「闇」のような部分も、店主さんの納得いかなかった今夏の態度も「そういうの全て愛せるわ!」とすぐに思えました。

「そうだ、何が起きても愛せるわ」と思って、すぐに電話をし、そして心地よく予約がとれました(しかも電話にでたのはその店主さんだった)。

この電話で、「愛せるならば、つまり何も怖くないんだ」と深く腑に落ちました。

何が起きても愛せるのだから、何が起きても平気なのだとわかったのです。

つまり、逆で、何かするときに避けたり、嫌がったり、怖がったりしてるのは、

自分が嫌な思いをしたり、傷つけられたり、心を痛めると思ってるからなんだ、

自分が起きる出来事を愛せないと思ってるから、そういう反応になるのだと気がつきました。

なんでも愛せる、なにが起きても愛せるというのは、最強の感覚です。

この日の私に起きたことは、ハートが完全に開いた体験かもしれません。

ハートは閉じたり、開いたりするから、また閉じるのかもしれませんが(苦笑)、でもあの何も怖れるものがない、全てを愛せる感覚、二度と忘れたくないなと思いました。

この日以降、心が少しでも曇る出来事が起きたら、

「愛せる?」 「問題ない、愛せる〜!」の自問自答の日々です(笑)

あの日、12-12のゲートウェイだったから、エネルギーが多く届いていたのかもしれません。

どちらを選ぶ

顔を洗ってたときに、ちょっとしたアナロジーanalogyが 浮かんできたので、記事にします。

ーーーーー

あなたには、彼氏がいます。

その彼とは、長年つきあっていて、一緒にいることにとても馴染んでいます。

しかし、彼と一緒にいて、あなたは心からの幸せを感じたことがないような気がするのです。

彼は、あなたの良いところや、頑張ったところを、
「それでいいよ、よくやったね」「おー、すごいね」などと、よく褒めてくれてるのですが、

同時にあなたがあまり良くできていないところを、
「ほら、また、やっちゃってる、ちゃんと注意しとかないと」「だめだめ、まだまだ」などとも指摘もしてくるのです。

あなたが努力してやっとできるようになったことに関しても、
「やったね、ちゃんとできたね、おめでとう」
「それで、次は何にチャレンジしていくの?」
という感じで、常に次のことが準備されていて、あなたは完全にリラックスしたり、平和な心持ちになれないのです。

一方で、あなたは最近、新しい男性と出会う機会がありました。

幾度か二人で話をしたのですが、この彼は、

あなたが素敵なところや、よくできるところを褒めはしないけれど、
失敗したことや、あなたの欠点と思われるところにダメ出しも評価もしなくて、
ただ静かにそばにいてくれる感じの人です。


その人といると、自分にマルやバツがつけられないので、
気分が特に盛り上がることもないけれど、
あとで落ち込んだりくやしくなったりすることもないので、
安心した平穏な気持ちでいられることに気がつきました。

今の長年つきあってる彼といて、彼のアドバイスに従って何かを努力し続けて、
そしてある日今より良くなったであろう私になれたとして、
それで私は最後に何を獲得するんだろう……
最後の最後に私が目指していることは何なのだろう…..

あーよくできた!
これでもう十分だ!やりきった!と感じて…..
そして完全に満たされた気持ちになるのかな?!

そもそも完全に満たされた状態って何だろう….
もしかして努力して「私」を良くしていくことって、
ラットレースみたいに終わりがない行為で、ただ虚しく続いていくだけなんじゃないの…..!?

ーーーーーーー

以上、

今の彼 =  あなたの頭の中のマインド(エゴ)の声

新しい彼 = ほんとうのあなたで在ること 


で喩えてみました。

あなたは、どちらの彼を選びますか…..

(顔や外見をみないと選べません、の声が聞こえる….笑)

↑ 6月頃に我が家に現れた迷い子猫(♂)。
最初、痩せていてあまり動けない様子でしたが(里親探すの無理だろうと思いました)、
いつのまにか元気になり、去勢手術も済ませ、我が家に定住することになりました。

あなたが為(な)さなくてよい

本を読んでいたら、心に響く文があったので、記事にします。

以下、私の意訳です ↓:

親愛なるひとよ、あなたは仕返ししなくてよいのです、

神の怒りに任せましょう、このように書かれています:

「恨みを晴らすのは、わたしの為すことです、私がやりましょう」

と神様が言われています。

Do not take revenge, my dear friends,

but leave room for God’s wrath, for it is written,

“It is mine to avenge;

I will repay,”  says the Lord.

新約聖書に納められてる「ローマ文書(ローマの信徒への手紙)」12章19の抜粋です。

当時、迫害を受けていた信徒あてに書かれた文章だそうですが、

誰かに悔しい思いをさせられたけれど、相手に仕返ししたり、報復することを望まない人、そのような戦いをしたくない人には、心が救われる教えではないでしょうか。


なにかのドラマみたいに倍返し?したいと思う気持ちが湧くのもわからなくはないですが、個人で報復しても、そこで終わりにならなくて、相手がさらにやり返してきたら、お互いの怒りや恨みは延々と続いていくでしょうし、それが戦争という愚かしいことの始まりだと誰しも気づいていると思います。

かといって、相手を恨んでしまう思いやそのときの悔しさは、忘れようと思っても、何度も脳裏に浮かんできて自分を苦しめるでしょうし、そうなるとその思いに毎度エネルギーを与え、回想は消えることはなく、自分が苦しい状態を保持することになります。

ということで、そういうときは、上記のように神の為すことを信じるのがベストではないでしょうか。

神=宇宙の法則は、必ず報復がなされる仕組みです。

マイナス波動を誰かに向けて発した場合、それはかならずその人に返っていくのです。

もし誰かがあなたにひどいことをしたら、その人には同等のエネルギーが必ず還ります。

ルイーズ・ヘイ(アメリカ人の亡ヒーラー)も言っていました。

財布を盗まれたと話す人がいたら、彼女はその人に尋ねたそうです。

あなたは、最近、なにかを誰かから盗みませんでしたか?と。

すると、その財布を盗まれた人は、ちょっと思いをめぐらせて、「はっ!」とするそうです。

それが、例えば会社の備品をちょっと拝借したといった小さなことでも、
物でなく友達の彼女/彼氏の横取りという形であっても、なにかしら、そういうことをしているそうなのです。

報復は、いつ、どんな形で起こるかは、神にしかわかりません。

しかし、報復はあなた個人が為す必要はなくて、あなたがするのは、そのとき自分の中にわきおこった感情の解放だけです。

ああ、いやだったな、悔しかったな、と。

そして、あとは、神(宇宙)を信じて、神(宇宙)にお任せしてみると良いと思います。

初めての場所を歩いていたら、軒下に咲いていたグラジオラス、華やかでした。

みんな、つながりたい

先日、海に行ってきました。

いつもなら、波打ち際で足を水につけるくらいだけど、今回は水着をきて、しっかり泳いできました。

海でがっつり泳ぐなんて、子供が小さかったとき以来なので10年以上ぶりです。

サイコーでした。 

そこのビーチには、いわゆるインスタ映えしそうなブランコが設置されており、そこでお互いにポーズをとり写真をとりまくる若い女子たちがいました

彼女たちは濡れてもよさそうな格好ではなかったので、海の水に触れることもなく、海をじっくり眺めることもなく、写真を取り終わるとそのビーチを離れていきました。

私は、海とつながりたくて、海に入り、海とつながった感覚をもち、

彼女たちは、人とつながりたくて、写真をとり(勝手な推測ですが)インスタにあげて、いいね!をもらうことで、人とつながった感覚をもつ。

自然とつながりたい、人とつながりたい、違うものにつながりたいようにみえるけれど、

全ての人の全ての行為は、その体験の奥の奥にあるなにか、
私たちを生かしてくれてる大いなる存在とでもいいましょうか、
1つのいのちみたいなものとつながりたい衝動から動かされてるんじゃないのかなと、思います。

ナイアガラの滝をみて圧倒されたい気持ちも、

過酷なエベレスト登山に挑戦したい気持ちも、

猛烈なスピードでバイクを飛ばしたい気持ちも、

大好きなシンガーの歌をライブで聞きたい気持ちも、

一流シェフの最高級の料理を食べにいってみたい気持ちも、

沈みゆく見事な夕陽や、愛する人の笑顔をみたい気持ちも、

それらに魅了される体験を通して、

自分の心がその奥にあるなにかに触れることができるから、
なにかにつながれて満たされるから、やってるんじゃないかなと思います。

その誰もがつながりたい何かとは、

遠くまで探しにいかなくても、

外側に求めなくても、

実は自分の中に存在していたことに気がついていく旅、

それが人生なんだろうな、と波に体を浮かばせながらぼんやり考えていました。

↑ 夕方、宿から撮影。光が海面に反射して綺麗でした。
(京都/京丹後市のビーチ)

早朝の海。人いなくて静か、爽やか、波の音だけ。
海は塩分のおかげで浄化作用があるといいますが、海に入って心身丸ごと清められた感がすごかったです。
いい年になってくると(汗)、海に入ろうと思わない人が多いと思いますが、色々背負ってる大人ほど海に入ったほうがいいなと、自分のことを含め思いました(笑)。

ーーーーー

自分の中に存在する大いなる何か、それを皆でみていく5回シリーズのミーティングをします。

土曜グループと午後グループ、まだメンバー募集中です。

ご興味のある方は、こちらの記事をどうぞ。

「心」を超えていく

いつの頃からか、ずっと自己実現というのを目指していました。

自己実現が自分にとって何を指しているのかはわかっていなかったけれど、若い頃に「これから何をやりたいの?」と聞かれると「自己実現です」と答えていたのを覚えています。

その私がずっと子供の頃から惹かれていたのは、「心」を扱った物語や、「心」の問題を話すことでした。

それを学問にするなら「心理学」ということになるのでしょうが、しかし、何故か心理学の道には行かずに、気づけば、ホメオパシーやエネルギー療法を使いながら、スピリチュアルな道に入っていました。

そしてこの過程で、ずっと自分が惹かれていた「心」を扱う仕事をやってくることができました。

思考、感情、精神を含めたいわゆる「心」をどう扱うかということに取り組んできました。

つかみようのない心ですが、仕組みや取り扱いがわかってくると、かなりうまく付き合えるようになってきます。

カルマに気づいたり、過去からのブロックを外したり、物事の見方、捉え方などで、心の持ち様が変わってくるからです。

しかし、ある程度浄化というものをしてくると、

「心」の掃除にはキリがないことに気づいてきます。

どんなに心を鍛錬しようと、どんなに自分を愛そうとも、終わりがありません。

誰も住まなくなった家にも、自然とホコリが絶えることなく積もっていくように、「心」もどんな大掃除をしたとしても、永久に安定した状態のままであることはないのです。

全てが諸行無常なように、それに反応する心もそうなのです。

しかし、人は心の平安を願い、

それを強く願う気持ちが次のステージに進ませることになります(というか人間はそのようにプログラミングされてると私は理解しています)。

次のステージは、なにかというと「心を超える」ことです。

心を超えるというのは、

私の言葉で簡単に言うならば、

心をなんとか扱いやすくしようとしていたことを止める

です。

頑張ってやってきた相棒?である心と訣別する、という言い方もできるかもしれません。

心というのは自分ではないのだ、と気づくことが、心を超えるということになります。

では自分とは何か、が続く問いになると思いますが、

それが、私が目指していた「自己実現」、ほんとうの自分を現す旅なのでした。

ということで、心を超えたいと思った方、

心を超え、大いなる1つの意識に気づいていくミーティングに参加しませんか。

ただいまメンバー募集中です。

詳しいことは ↓

こちらの記事をどうぞ。

*ご希望を頂き、午後開催のグループを追加しました。

 午後グループは、1回目が 7/24 (月)15時スタートです。
午後グループは、2回目以降の日時は、参加メンバーの都合に合わせて決めていこうと思っています。

 午後なら参加できるという方、customerarnica@gmail.comまでご連絡お待ちしています!

ユリが美しい季節ですね。