”ふと”気になることをやっていく

今朝、受け取った言葉です。

ポイントは、” ふと ” です。

ふと、気になったり、ふと、気づいたり、ふと、見たり…..

ふと、なにか自分が感じるのは、思考/マインドから起きたことではありません。

あなたの内側からの動きです。

それを大事にしていくと、あなたの現実は変わっていきます。

それは、あなたのハイヤーセルフからのサインだからです。

先日のことですが、コンサルテーションをして、さあ、その方に出すレメディを探そうと動いたとき、

通常、私がレメディを探すときは、専門のソフトウェアを駆使します(レメディが千種類以上あるので)。

しかし、そのとき、自分の本棚にあるホメオパシーのある本に、ふと、目が行ったのです。

ずーっとそこにある本です。しかも過去に読み尽くした、内容を全て知ってる本です。

しかし、「ふと」だったので、その感覚を大事にして、その本を取り出し、パラパラとめくりだしました。

そしたら、あるレメディのページにいったときに、あ、これだ!と何かがつながりました。

そのレメディは、ソフトウェアからだと導き出せなかっただろうなと思います。

そして、今朝、表題の言葉を受け取ったときに、先日のレメディの本のときも確かにそうだったよな、と思っていたら、

そこで、”ふと” 今、床掃除をしよう、と思いました。

私は、掃除はルーティンにはしてなくて、気が向いたら(笑)やることにしてる人なのですが、

今朝は、この「ふと」を大事にしようと思いました。

いつもなら、そこは日課のヨガをする時間帯のところだったのですが、

今朝は、そのルーティンよりも「ふと」を大事にしたのです。

それに従って、床を掃除してたら……

まあ、びっくり、とても大きなムカデがリビングと洗面所の間におりました(汗)。

ぎゃーっですが、ああ、これを教えてくれるためだったんだな、とわかりました。

(そのまま、ルーティン優先でヨガしていたら、後でそのムカデに噛まれた可能性は高い…..)

動きが緩慢なムカデだったので、さっとほうきで掃いて、大きなちりとりにいれて、外に連れていき逃しました。

ということで、

どんな小さなことから、大きなことまで、”ふと”気になったこと、”ふと” 起こることを大事にしていくと、いつも自分がサポートされていて、守られている、導かれていることに気がつけると思います。

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ふと、思いついて、サンキャッチャーを、一度も実のなったことがないりんごの木につるしてみました。特に意味もなく….ただ、なんだか楽しい気持ちになりました。

あなたの中のリーダーシップを取る

表題は、今日受け取った言葉です。

あなたがやると決めたこと、やりたいこと、それを進めていく過程で、

あなたの中に起きてくる迷い、ちょっとした弱気、しなくてもいいかというような怠け心 etc….,

そういうあなたの中のモヤモヤしたものたちも引き連れながら、

あなたはあなたの中でリーダーシップをとって、

したいことに向かって進んでいくことが、あなたの中のリーダーシップを取るということです。

リーダーシップは、人といるときに取るだけじゃなくて、
自分の中でも持つことができる、というメッセージ。

あなたがあなたの中でリーダーシップを握ったとき、
あなたの中には太い柱のような芯ができ、そこにエネルギーが流れ、
すると必ず天からの手助けが降りてきます。

天からの手助けが先ではなく、あなたの中のリーダーシップが先なことを忘れずに。
(なにか良いことが起きたからやろうか、ではない笑)

そろそろ、私の住んでる山間部でも水仙が咲き始めています。

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自分の中のリーダーシップをとりたいけど、
そもそも自分はなにがしたいのか、何を決めたらよいのかがわからない人は、
本来の自分以外の波動に影響を受けたままでいるかもしれません。

本来の自分以外の波動というのは、具体的にいうと親の価値観だったり、世間で良いといわれてるものが良いという思い込みなどから作られます。
そういう不要なものをはずしていくと、本来の自分を取り戻していくことができます。

レメディやエッセンスなどを使って、あなた本来のものではないものを外していけます。ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

どちらを選ぶ

顔を洗ってたときに、ちょっとしたアナロジーanalogyが 浮かんできたので、記事にします。

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あなたには、彼氏がいます。

その彼とは、長年つきあっていて、一緒にいることにとても馴染んでいます。

しかし、彼と一緒にいて、あなたは心からの幸せを感じたことがないような気がするのです。

彼は、あなたの良いところや、頑張ったところを、
「それでいいよ、よくやったね」「おー、すごいね」などと、よく褒めてくれてるのですが、

同時にあなたがあまり良くできていないところを、
「ほら、また、やっちゃってる、ちゃんと注意しとかないと」「だめだめ、まだまだ」などとも指摘もしてくるのです。

あなたが努力してやっとできるようになったことに関しても、
「やったね、ちゃんとできたね、おめでとう」
「それで、次は何にチャレンジしていくの?」
という感じで、常に次のことが準備されていて、あなたは完全にリラックスしたり、平和な心持ちになれないのです。

一方で、あなたは最近、新しい男性と出会う機会がありました。

幾度か二人で話をしたのですが、この彼は、

あなたが素敵なところや、よくできるところを褒めはしないけれど、
失敗したことや、あなたの欠点と思われるところにダメ出しも評価もしなくて、
ただ静かにそばにいてくれる感じの人です。


その人といると、自分にマルやバツがつけられないので、
気分が特に盛り上がることもないけれど、
あとで落ち込んだりくやしくなったりすることもないので、
安心した平穏な気持ちでいられることに気がつきました。

今の長年つきあってる彼といて、彼のアドバイスに従って何かを努力し続けて、
そしてある日今より良くなったであろう私になれたとして、
それで私は最後に何を獲得するんだろう……
最後の最後に私が目指していることは何なのだろう…..

あーよくできた!
これでもう十分だ!やりきった!と感じて…..
そして完全に満たされた気持ちになるのかな?!

そもそも完全に満たされた状態って何だろう….
もしかして努力して「私」を良くしていくことって、
ラットレースみたいに終わりがない行為で、ただ虚しく続いていくだけなんじゃないの…..!?

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以上、

今の彼 =  あなたの頭の中のマインド(エゴ)の声

新しい彼 = ほんとうのあなたで在ること 


で喩えてみました。

あなたは、どちらの彼を選びますか…..

(顔や外見をみないと選べません、の声が聞こえる….笑)

↑ 6月頃に我が家に現れた迷い子猫(♂)。
最初、痩せていてあまり動けない様子でしたが(里親探すの無理だろうと思いました)、
いつのまにか元気になり、去勢手術も済ませ、我が家に定住することになりました。

あなたが為(な)さなくてよい

本を読んでいたら、心に響く文があったので、記事にします。

以下、私の意訳です ↓:

親愛なるひとよ、あなたは仕返ししなくてよいのです、

神の怒りに任せましょう、このように書かれています:

「恨みを晴らすのは、わたしの為すことです、私がやりましょう」

と神様が言われています。

Do not take revenge, my dear friends,

but leave room for God’s wrath, for it is written,

“It is mine to avenge;

I will repay,”  says the Lord.

新約聖書に納められてる「ローマ文書(ローマの信徒への手紙)」12章19の抜粋です。

当時、迫害を受けていた信徒あてに書かれた文章だそうですが、

誰かに悔しい思いをさせられたけれど、相手に仕返ししたり、報復することを望まない人、そのような戦いをしたくない人には、心が救われる教えではないでしょうか。


なにかのドラマみたいに倍返し?したいと思う気持ちが湧くのもわからなくはないですが、個人で報復しても、そこで終わりにならなくて、相手がさらにやり返してきたら、お互いの怒りや恨みは延々と続いていくでしょうし、それが戦争という愚かしいことの始まりだと誰しも気づいていると思います。

かといって、相手を恨んでしまう思いやそのときの悔しさは、忘れようと思っても、何度も脳裏に浮かんできて自分を苦しめるでしょうし、そうなるとその思いに毎度エネルギーを与え、回想は消えることはなく、自分が苦しい状態を保持することになります。

ということで、そういうときは、上記のように神の為すことを信じるのがベストではないでしょうか。

神=宇宙の法則は、必ず報復がなされる仕組みです。

マイナス波動を誰かに向けて発した場合、それはかならずその人に返っていくのです。

もし誰かがあなたにひどいことをしたら、その人には同等のエネルギーが必ず還ります。

ルイーズ・ヘイ(アメリカ人の亡ヒーラー)も言っていました。

財布を盗まれたと話す人がいたら、彼女はその人に尋ねたそうです。

あなたは、最近、なにかを誰かから盗みませんでしたか?と。

すると、その財布を盗まれた人は、ちょっと思いをめぐらせて、「はっ!」とするそうです。

それが、例えば会社の備品をちょっと拝借したといった小さなことでも、
物でなく友達の彼女/彼氏の横取りという形であっても、なにかしら、そういうことをしているそうなのです。

報復は、いつ、どんな形で起こるかは、神にしかわかりません。

しかし、報復はあなた個人が為す必要はなくて、あなたがするのは、そのとき自分の中にわきおこった感情の解放だけです。

ああ、いやだったな、悔しかったな、と。

そして、あとは、神(宇宙)を信じて、神(宇宙)にお任せしてみると良いと思います。

初めての場所を歩いていたら、軒下に咲いていたグラジオラス、華やかでした。

みんな、つながりたい

先日、海に行ってきました。

いつもなら、波打ち際で足を水につけるくらいだけど、今回は水着をきて、しっかり泳いできました。

海でがっつり泳ぐなんて、子供が小さかったとき以来なので10年以上ぶりです。

サイコーでした。 

そこのビーチには、いわゆるインスタ映えしそうなブランコが設置されており、そこでお互いにポーズをとり写真をとりまくる若い女子たちがいました

彼女たちは濡れてもよさそうな格好ではなかったので、海の水に触れることもなく、海をじっくり眺めることもなく、写真を取り終わるとそのビーチを離れていきました。

私は、海とつながりたくて、海に入り、海とつながった感覚をもち、

彼女たちは、人とつながりたくて、写真をとり(勝手な推測ですが)インスタにあげて、いいね!をもらうことで、人とつながった感覚をもつ。

自然とつながりたい、人とつながりたい、違うものにつながりたいようにみえるけれど、

全ての人の全ての行為は、その体験の奥の奥にあるなにか、
私たちを生かしてくれてる大いなる存在とでもいいましょうか、
1つのいのちみたいなものとつながりたい衝動から動かされてるんじゃないのかなと、思います。

ナイアガラの滝をみて圧倒されたい気持ちも、

過酷なエベレスト登山に挑戦したい気持ちも、

猛烈なスピードでバイクを飛ばしたい気持ちも、

大好きなシンガーの歌をライブで聞きたい気持ちも、

一流シェフの最高級の料理を食べにいってみたい気持ちも、

沈みゆく見事な夕陽や、愛する人の笑顔をみたい気持ちも、

それらに魅了される体験を通して、

自分の心がその奥にあるなにかに触れることができるから、
なにかにつながれて満たされるから、やってるんじゃないかなと思います。

その誰もがつながりたい何かとは、

遠くまで探しにいかなくても、

外側に求めなくても、

実は自分の中に存在していたことに気がついていく旅、

それが人生なんだろうな、と波に体を浮かばせながらぼんやり考えていました。

↑ 夕方、宿から撮影。光が海面に反射して綺麗でした。
(京都/京丹後市のビーチ)

早朝の海。人いなくて静か、爽やか、波の音だけ。
海は塩分のおかげで浄化作用があるといいますが、海に入って心身丸ごと清められた感がすごかったです。
いい年になってくると(汗)、海に入ろうと思わない人が多いと思いますが、色々背負ってる大人ほど海に入ったほうがいいなと、自分のことを含め思いました(笑)。

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自分の中に存在する大いなる何か、それを皆でみていく5回シリーズのミーティングをします。

土曜グループと午後グループ、まだメンバー募集中です。

ご興味のある方は、こちらの記事をどうぞ。

Higher selhとlower self

突然ですが、あなたという存在には、

ハイヤーセルフ(高次の自己) と  

ロウワーセルフ(低次の自己)と呼べる幅があること、ご存じですか?

わかりやすい例で説明すると、

例えば、あなたに高慢なタイプの知り合いがいて、

いつもその人はあなたに上からモノを言っている。

ある日、その人が誰かにギャフン(死語?)と言わされる出来事が起きたとき、

「ふふん、いい気味〜、私はいつもあなたからそんな目に遭わされてるんだからね!」

とほくそ笑むのが Lower Self、

「あの人、プライド高いからものすごく傷ついてるかも、大丈夫かな……でも、今回のことであの人が何かに気がつきますように」と、相手を思いやったり、良きことを願うのが Higer Self  みたいな感じです。

上記のように書くと、

うわ〜、人によくないことが起きたときにそんなこと思う人になりたくない、私はLower Self は要らないわ、みたいなことを思う人がいるかもしれませんが、

Lower Self も Higher Self もどちらもあなたなのです。

低い自己も高い自己も、あなたは含有してるのです。

別の言い方をすると、私たちは、固有の波動の範囲内で、低い波動にもなるし、高い波動にもなるエネルギー体なのです。

ちょっと、思い出してもらうといいのですが、

あなたのこれまでの人生で、

ああ、あの頃の自分はどうかしてたなとか、

あのときの自分には絶対戻りたくないなとか、

あのときの自分は最悪の人間だった、どうしてあんな馬鹿なことしたんだろうとか、これまでの人生で、そんな時ありませんでしたか?苦笑。

私は、あります。

1つどころか、複数、ある、ある……ある!

あのときの自分はどうかしてた、あのときの知り合い達には恥ずかしくてもう二度と会いたくない、というような自分が幾つも幾つも思い出されます(冷汗)。

それらの自分、それがつまり、 Lower Self が現れていたときなのです。

私のようにたくさん思い出した人もいるかもですが、しかし、落ち込まなくても大丈夫。

そういうLower な自己を認識できてるのは、幸(さいわ)いなのです。

その Lower Self も自分の一面だったと体験して、

その自分はどうかしていたんだ(本来の自分ではない)、と学んでいるので、

その後、生きていく上で、何を選択していくかが、はっきりしていくのです。

Lower Self を表現していたことで、心地悪かったり、自分を責めたり、後悔した人は、

そちらのSelf を選びたいとは思わなくなっていくのです。

なぜなら、本当の私たちというのは、実は Higher Self の方の波動なのです。

肉体をもったことで、エゴ(自意識)が付随し、 Lower Self も出現するのだけど、

この肉体を動かしてる真の存在は、Higher Self の方なのです。

真の自分が一致するのが Higher Self の方なので、

Lower Self として現れた自分を思い出すと、居心地が悪かったり、自責したりするのです。

Higher Self と一体となって日々を生きてる人は、実際にはごく少数と思いますが、

誰しも段階を追いながら、Higher Self の方に近づく旅をしてると思います。

あなたが、今の自分をそんなに好きでないのなら、

それは、あなたが Lower Self の方を表現してるだけかもしれません。

私たちは、自分を Lower にも Higher にも表現できる存在です。

それなら、Higher の表れのほうを選びたいですよね。

もちろん、時々 Lower がでても、それも自分の一部で仕方なし笑。

明るくまぶしく軽く感じるのがハイヤーセルフ、
暗くて重くて粘っこいのがロウワーセルフ。毎時、自分はどちらか気づけるといいなと思います。

Higher Self を発揮したいけど、どうしてもLower Self の方が強くて、その表現で終わってしまう方、

それは、あなたの Higher Self を自由に表現させないようなブロックや傷ついたトラウマがあるからだと思います。

それらを解放して、本来のあなたらしくいきませんか。

コンサルテーションと、エネルギー物質のレメディを使って、それらの解放のお手伝いをします。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

虫刺されの処置

夏でなく秋の今頃に、このネタで恐縮です…..笑。

今朝早く、外にでて空をみていたら、台風前で湿度が高いせいなのか、思いのほか、

蚊がおりまして、足と腕など5箇所も刺されました。

蚊に刺されたときに、痒みも最小限で、刺された跡も最小限で済むと私が思っている処置を書きます(今朝もこれで、痒み等あっという間に過ぎた)。

①刺された箇所に、石鹸をつけて洗い流す

 (蚊が刺すときに出すと言われてる痒みの元の ”蚊の唾液” を洗い流す)

②流した後に、刺された場所に 塩 を摺(す)り込む

 (きゅうりの塩揉みみたいに、塩を塗り込むと水分がでます、この塩に対する反応を利用して、皮膚の少し奥にはいってる蚊の唾液を、外に出します)

しばらくしたら、塩をはらって(もしくは洗い流して)終了です。

その後は、私は、ビワの葉エキス をちょんちょんと塗ったりしますが、そこはご家庭で愛用してるものを使うといいと思います(そういうものを使わなくても痒みは残りません)。

この処置は、刺されたらすぐにやるのがオススメです(肌がヒスタミンを出す前、外出先で石鹸がないときは水で流すだけでもよし)。

ブヨなど、痒みが強くでる虫の場合は、塩を2、3度すり込むのがよいです。

山ヒルにも使えます、汗(私は自然豊かなところに住んでます)。

ヒルの場合も、塩を何度かすりこみます。

ヒルの場合は、痒みはやはり多少残りますが、

石鹸洗い流し → 塩すりこみ をしたときと、しないときの痒みは、雲泥の差です。

痒みの元を残したまま、外用薬を何度も何度も上から塗布するのは、あまり意味がないな〜と長年蚊に刺されながら?生きてきて、実感しております。

これは、心の問題も同じで、心の闇部分(怒りや悲しみ)を中に閉じ込めたまま、

外から、私は私を愛してます、とか、私は最高の自分になります、のようなアファメーションを何十回、何百回繰り返しても、なかなか芯から癒されていかないのも、そういうことだと思います。

心の刺された跡も、蚊に刺された跡みたいに、ちゃんと自分の目でみれると、もっと浄化が楽だろうな〜と思います。

コスモスが目立ってきました。台風すぎたら、秋ですかね。

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心のうちに閉じ込めた怒りや悲しみを、コンサルテーションという会話の中で取り出して、それを自分の中から洗い流すこと、やってみませんか。

詳しくは、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

草の存在

ホメオパシーを学び始めた頃にイギリスの先生から聞いた話です:

ある男性ホメオパスが、南米のある部族が住む地域にしばらく住みにいった。

彼の滞在期間中に、部族の誰かが病いにかかった。

すると部族内のシャーマンがジャングルのようなところに向かい、しばらくすると手に何かの植物を持ち戻ってきた。

その植物をすりおろしてor煎じて(詳細忘れた汗)病にかかった人にとらせた(のちに回復した)。

ホメオパスがシャーマンに、その植物について尋ねると

「ジャングルに入り、病の人と同じエネルギーをだしてる植物を探して持ち帰ったのだ」と答えた……

当時、こういう世界に入ったばかりだったので、私の心はこの話にふるえました笑。

ついでにいうと、バッチフラワーエッセンスをつくったエドワード・バッチも、どの花が何を癒してくれるエネルギーをもっているかわかったそうですし、日本の昔の和漢薬師にもそういう人がいたというのを聞いたことがあります。

さて、私の話ですが、一昨日、庭のいらん草を抜いていて、

その草の特徴に目がとまり、ふと

「あ、これは関節炎によい植物だな」と思いました。

後で、ネットで検索してみると、

その草の効用に案の定「利尿、関節炎、脚気」と書かれていました。

うわ〜、わたしもシャーマンなれるのかな笑……というのは冗談ですが、

私がその植物をみて関節炎に効くと思ったのは、似てるものが似てるものを癒すという原則を知っていたからです。

その草の名前は、イノコヅチ(調べて初めて知りました) 
薬草名:牛膝(ごしつ)です。

↑上からみたところ、どこにでも生えてると思います。秋になるととがった実がたくさんついて、それが服にくっついてくる〜
↑横からみたところ、茎が赤っぽい色です。この写真ではみれませんが、節がまさに関節炎みたいにふくれてたりします
(それで牛膝とよばれる)。

イノコヅチは、関節炎だけでなく、抗アレルギー、抗腫瘍などの作用もあります。

また、イノコステロン、エクジステロンなどの昆虫変態ホルモンがふくまれていて、それは昆虫の幼虫がイノコズチの葉を食べると変態が早まり、葉が食される被害から身を守るためだといわれています。

上記情報コピー元:武田薬品工業  日本家庭薬協会
*関節炎みたいな節の写真は武田薬品のサイトに載ってます。

さらにイノコヅチについて調べると、膝の悪い人にはとても耳寄りな情報がありました。

>膝が痛くてという方におすすめで、含まれるホルモン成分の働きで膝の痛みが和らぎます >膝の痛みをとり、血流を良くし、更に元気にしてくれるイノコヅチ

情報コピー元:飛騨の薬草を学ぶ教養講座

膝が痛いというのをよく見聞きしますが、サプリや健康食品を定期的に買う前に、庭のイノコヅチで試してみてはいかがでしょうか……

イノコヅチが含有するエクジステロンを検索してみると、筋トレやるひとがサプリとして飲んだりしてるみたいです、なっとく〜。

エクジステロン(植物性エクジソン)は、天然のステロイドと呼ばれ
筋骨草と呼ばれる植物(シソ科)や、
ほうれん草(ポパイ!)にも含まれ、、
運動時にとると筋肉増量につながるという情報もでてきました。

スパイスみたいな実もそうですが、植物は置かれた環境で生存しつづけるためになんらかの物質を体内でつくります。

それが昆虫に作用があったり、人間においては効用になったりもします。

雑草というくくりでブチブチ抜いていたけれど汗、1つ1つをみたら、どんな草もそれぞれの特性や能力を備えている存在なんだよな、と改めて思いました。

おまけですが、去年、野生の野ばらのローズヒップ を甘く煮込んで食したら(乾燥させてなかった)、もんのすごい下痢になり、その日のうちに体重が1kg落ちたことがありました大汗。

そのときは、ローズヒップ でしか調べなかったのだけど、

今回、薬草の視点で探してみたら、

野ばら / ローズヒップ = ノイバラ / 偽果

という薬草扱いになっていて、効用は

峻下(強い下剤作用)  となってました。

本当にあれはものすごい浄化でした、
薬草、めちゃくちゃ効くじゃないの(苦笑)!

↑ 膝は痛くないけど、指の1つの関節に問題があるので、イノコヅチの葉のお茶つくってみます。                


               

あなたの身近に、やたらあなたの目につく草があれば、
それはあなたに必要な薬効を持ってる可能性があります(エネルギーの引き寄せ的に)。
調べてみてはいかがでしょうか。

いつも必要なものが必要なときに与えられてる……

自然なリズムで生きる

わたしたちの体は、心臓の規則的な収縮で動いています。

収縮というのは、「ひきしまってちぢまること(辞書より)」で、

ちぢまるには、いったんのびてる状態に戻ってることがセットになりますが、心臓は循環して戻ってきた血液の圧力で毎回ふくらんでいる(のびる)のだそうです。

心臓の血液循環が起きないと私たちが生き延びれないのだとすると、
のびる →  ちぢまる → のびる → ちぢまる という繰り返しのリズムは、
私たちの体の自然なリズムと言えるように思います。

「のびる」は、別の言い方でいうと、

ゆったり、のんびり、リラックス、

「ちぢむ」は、

緊張、集中、頑張るというような言葉で言い換えられると思います。

何がいいたいかというと、

ずっと、ちぢんだ状態だけ(緊張した状態のみ)、

のびた状態だけ(緊張感のない状態のみ)で生きることは、自然のリズムに反していて、

生きづらい状態になってるのではないかなということです。

私はエネルギー療法をやっていて、

心臓に問題がある方(主に心拍数)をみることがたまにありますが、

そういう方々は、まさに上記のどちらかに大きく傾いているのがみられます。

頻脈ぎみの方は、

緊張した状態が長く続きすぎていて、ゆるめている時間が極端に少ない方、

徐脈ぎみの方は、

生活に目標やハリがなく、何かをきっかけにやる気を失ってしまっているというのがみられたりします。

つまり、どちらも自然のリズムからずれて生きづらくなってるわけです。

私は去年から週1ファスティング というのをしていますが、そして12時間ファスティングみたいに一定時間あけて消化機能を休めることが流行ったりもしていますが、

これも同じで、しばらくなにも活動のないゆるんだ状態というのを、たまに消化器官に与えるのも自然なリズムかもしれないなと思います(通常はきちんと睡眠をとっていればその間に消化器官はゆるめられていますが)。

緊張した状態とゆるんだ状態の長さを比べると、

今の世の中では、圧倒的に緊張した状態でいる時間の方が長いのでは?と思いますが、どうでしょうか。

緊張した状態というのが何を指すかというと

わかりやすいのは、仕事や勉強を長時間頑張り続けてる状態とか、
苦手な人たちの中にいる状態とかですが、

これは言い換えると

「社会」にいるときに起こってるのではないかと私は思います。

「社会」にいるから認めてもらいたくて、頑張ったり、何かを続けたりするわけだし、

人間関係でいっても、
友達といたとしても、相手のことを気遣ったり考えたりもするだろうし、
ましてや距離感が微妙な人たちといたら、その気遣いは何倍にもなるし、自分の言動も少し取りまったりor 少し元気よく振る舞ったりして、

そんなに「素」ではいられないと思うのです。

これが、さらに大人数の会社や学校という「社会」で考えたら、毎日行くので慣れているとしても、実際には相当な緊張状態でいるのではないでしょうか。

ならば「社会」にいない状態とは?!

「家」にいるってことかな

「ひとり」でいるってことかな

「社会」とのかかわりからなるべく離れた自分でいるってことかな……

ということで、

1週間に1回とか、できなければ2週間に1回くらいでも、

何も予定がない日や、何もしない日、家にこもる日、
自分をただただゆるめる日、を意識的に持つことは大事なんじゃないかなと思います。

なぜ、この記事を書いたかというと、

先日まさに自分がこの状態だったからです笑。

時間があいたら、テニスの予定をいれていて、気づけば毎日外の「社会」の中で動いていた… 

そしたら、案の定、強制停止がやってきて(歯茎が熱をもって腫れた)1日何もしない日をつくらされたのでした。

そこで、やっと、目が覚めて、

あー自然のリズムからずれてたわ!汗、と気がつきました。

たとえ緊張してる対象が好きなことであっても、自然のリズムの方がうわまわるということがわかった日でした。

「社会」から離れて「自然」の中でリラックスはかなりよいかも(注:私の自転車ではありません笑)

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あることをきっかけにやる気がなくなり、生活に全く緊張感やハリがない方は、
エネルギーがブロックされてる状態です。
エネルギー物質をつかってそのブロックを外して、やる気や緊張感を取り戻しませんか。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

いつまでも遊んでいたい

昨日、パワーストーンレメディプログラムのシェア会だったのですが(レメディをとって自分に何が起きたかをグループ内でシェアしていく場)、

これまで持っていた社会的な思い込みや制約が外れる動きが

皆の中に起きてきたのがわかったので、

その流れで、以下のような質問をメンバーにしてみました:

「今、自分が置かれている社会的な状況やら役割を

全て、ぜーんぶ、とっぱらったら、

自分って本当はどんなひと?」

各自の答えは、

なんだかかわいらしくて、自分もそんな部分あるあるって共感しました。

そうそう、みんな、もとは、そんなこどもだったんだよね、みたいな感じです。

社会的な役割やら状況って、大人になる過程でいつのまにか身につけていったものですよね。

おとなといっても、こどもの自分がただ外見的に年をとっただけで汗、

その内側って、なにもかわらない、こどもな自分がいるはず。

それを覆い隠して、大人のふりをしてるのが、今の自分ってことですよね。

本当の自分ってどんなひと?に対する私自身の答えでは、

私が今も夢中でやってる趣味のテニスがでてきて、

ゲームとわかってて、100%のエネルギーをだして人とぶつかりあうのが面白いって

表現したんですが、

会が終わった後で、これもまだ大人な表現だったなと気がつきました。

私がテニスが好きなのは、

こどものときに、そのへんの空き地とか運動場とかで、皆でただ思いきり遊んだ、

あの感覚が好きなんだと思いました。

意味もないし、特に生産性もないし、それで賢くなるわけでもないんだけど笑、

ただ皆が遊びに夢中で、ちょっとのことでげらげら笑って、

おにごっこやら缶けりやら、勝手にルールきめたわけわからん遊びとか、

ズルした子を皆がけなすくらい真剣に遊びの勝ち負けにこだわったりとか、

ただただ思いきり目の前のことで一生懸命「遊ぶ」、

あの感覚が好きなんだ〜と思いました。

遊んでた子たちが誰だったかはっきり覚えてないから、

友達が限定されてたわけでもなく、クラスの子や近所の子、その辺にいた子たちとテキトーに遊んだり、

お盆や暮れのときに集まった親戚の子たちと年の差バラバラながら大勢で遊んだり、

その場その場の遊びのルールの中で思いきりやる!

あの感覚が好きで、あれをずーっと忘れたくなくて、それでテニスやってるんだ、と気がつきました。

テニスやってるひとの中には、健康維持のためですと大人なこと言う人もいるけど笑、

私みたいに真剣にやってるひともわりと多くて、

その人たちは恐らく私みたいに、

こどものときの感覚でずーっとずーっと思いきり遊んでいたい人たちなんだろうなと思いました。

そんなこどものときのピュアな元気で明るい自分を思い浮かべたら、

その小さな自分をとても愛おしく感じました。

↑ 私のラケッドバッグにこっそり入ろうとするスコッチ汗、このまま、連れていこか笑。