急かされる、焦ってしまうなら

何月何日までに、XXXをしないといけない

何時までにXXXに到着しなければいけない

というような時間や期日の制約というのは、

誰にとってもストレスではないでしょうか。

時間の制約があると、自分の自然なペースを、そこに合わせるために調整しないといけないので、

しかもほとんどの場合、ペースを「早める」ことになる方が多いので、ネジを巻くように少しキリキリするのだと思います。

もし、時間の制約に”同行者”がいる場合は(子供を連れて約束の時間までに到着しないといけない等)、自分のペースを早めるだけでなく、同行者のペースも合わせなければならないので、さらに調整にキリキリすると思います。

わたしは、期日のある仕事については早めに仕上げることができるのですが、
出かける時間に関しては、ぎりぎりまでぼんやりゆったりして、直前にバタバタするところがあります(ネジを巻き出すのが遅い、笑)。

焦ったり、時間に追われることに対して、今朝方、ある方にメールを書いていたのですが、

このテーマに関して取り組んできた私が、ベストと思われる方法があるので、

Blogの方でシェアしようかなと思いました。

わかりやすく、具体例で書きます↓↓↓

例)今日は10時に約束があるので、
道の混み具合も考慮して9時には家をでないといけない

① このスケジュールを自分に言い聞かせ、インプットします

 (正確にいうと、自分のエネルギーフィールドに刻んでます)

 具体的な文言としては、こんな感じです→「私は、今日は10時にXXXに着きます、家を9時に出発します」

 *同行者がいる場合は、同行者にこのスケジュールを伝えます(宣言するニュアンス)

② インプットしたら、上記の時間の制約のことは完全に忘れて大丈夫、
  そして、いま、目の前でやってることに没頭します

 ただ、ひたすら、目の前のやること、準備だけに集中しておきます

 *このとき、XX分までにはあれしなきゃ、と頻繁に時計をみたり、あーあれもしてない、本当に間に合うかな?とか思考をしないことがとても重要です

これで、終わりです。

情報のインプットをして、目の前のことに集中していたら、信じられないくらい決めた時間通りにコトが運びます。

そのようにエネルギーフィールドに刻んだので、そのようになるように動く流れが起きたということなのです。

えー!?ホント〜?!と思った方、ぜひ、お試しあれ(笑)

この方法がとてもよいのは、準備してる間に心が乱れないことです。

だから、焦る、という心の状態になりません。

焦るというのは、未来にフォーカスして、いまにフォーカスしていない状態なので、

もし焦りを感じたら、いま、に戻って、目の前のことだけに集中してください。

最初にインプットして決めたことを信じて、ただ、いま、やるべきことをやっていればいいのです。

例外として、
この方法でやっても、想定外のことが起きて、時間通りにコトが運ばなかったときは、

それはどうしても遅刻する必要があったということです(遅れたことにより事故に遭わずにすんだとか、遅れることで何かがうまくいくようになっていたというシナリオ)。

この方法を知ってる私が、時々、バタバタしてるのは、インプットするのを忘れてしまってるときです(笑)

昨日の満月↑ 雨が降った後だったので、霧の中に揺れるように浮かび上がってすごい存在感でした。


 

”ふと”気になることをやっていく

今朝、受け取った言葉です。

ポイントは、” ふと ” です。

ふと、気になったり、ふと、気づいたり、ふと、見たり…..

ふと、なにか自分が感じるのは、思考/マインドから起きたことではありません。

あなたの内側からの動きです。

それを大事にしていくと、あなたの現実は変わっていきます。

それは、あなたのハイヤーセルフからのサインだからです。

先日のことですが、コンサルテーションをして、さあ、その方に出すレメディを探そうと動いたとき、

通常、私がレメディを探すときは、専門のソフトウェアを駆使します(レメディが千種類以上あるので)。

しかし、そのとき、自分の本棚にあるホメオパシーのある本に、ふと、目が行ったのです。

ずーっとそこにある本です。しかも過去に読み尽くした、内容を全て知ってる本です。

しかし、「ふと」だったので、その感覚を大事にして、その本を取り出し、パラパラとめくりだしました。

そしたら、あるレメディのページにいったときに、あ、これだ!と何かがつながりました。

そのレメディは、ソフトウェアからだと導き出せなかっただろうなと思います。

そして、今朝、表題の言葉を受け取ったときに、先日のレメディの本のときも確かにそうだったよな、と思っていたら、

そこで、”ふと” 今、床掃除をしよう、と思いました。

私は、掃除はルーティンにはしてなくて、気が向いたら(笑)やることにしてる人なのですが、

今朝は、この「ふと」を大事にしようと思いました。

いつもなら、そこは日課のヨガをする時間帯のところだったのですが、

今朝は、そのルーティンよりも「ふと」を大事にしたのです。

それに従って、床を掃除してたら……

まあ、びっくり、とても大きなムカデがリビングと洗面所の間におりました(汗)。

ぎゃーっですが、ああ、これを教えてくれるためだったんだな、とわかりました。

(そのまま、ルーティン優先でヨガしていたら、後でそのムカデに噛まれた可能性は高い…..)

動きが緩慢なムカデだったので、さっとほうきで掃いて、大きなちりとりにいれて、外に連れていき逃しました。

ということで、

どんな小さなことから、大きなことまで、”ふと”気になったこと、”ふと” 起こることを大事にしていくと、いつも自分がサポートされていて、守られている、導かれていることに気がつけると思います。

ーーーーーーー

ふと、思いついて、サンキャッチャーを、一度も実のなったことがないりんごの木につるしてみました。特に意味もなく….ただ、なんだか楽しい気持ちになりました。

ポジティブ波動で反応する

引っ越してきた隣人のお宅から、怒る声や、どなり声が聞こえてくるようになったというお話をお聞きしました。

人が怒る声というのは、当人達にはただの親子喧嘩や夫婦喧嘩であったとしても、その現場にいなくてシチュエーションがはっきりみえない人にとっては、穏やかに聞いていられない音だと思います。

実際、このお話をしてくださった方は、その声が聞こえると「胸がざわっとする」「怖い」という感覚だそうです。

こういうときの解決法として、相手のお宅にピンポンして苦情言える人は少ないと思いますが(汗)、そこまでしなくても、その相手になんとか穏やかに変わってもらいたい、なんとかしてその相手が怒るのを押さえてくれないかなと、相手が変わることの方を考えるのが通常の思考ではないでしょうか。

しかし、この現象をエネルギー的にみるならば、この現象を引き寄せ、「怖い」現象として感知してるのは、自分なのです。

自分の中にそのエネルギー波動があるから、それが具現化されて体験しています。

ということで、このようなことが起きたときは、自分のその波動を変換するチャンス到来?!ということになります。

具体的にどうやって波動を変換するかといいますと:

(現時点)

怒る声、どなり声を「怖い」現象という捉え方:つまりネガティブ現象として反応してる 

(変換の例)

怒る声、どなり声が聞こえたら、
「あ〜わかりますよ、つい怒っちゃったり、どなることもありますよね、私もやってしまいますから」みたいな「共感する」ポジティブな波動で反応する

または、

怒る声、どなり声が聞こえたら、
「あんなに怒るってことは、親御さんは必死なんだな、でもうまくいかなくてつらいんだろうな、よく頑張っていますね、応援していますよ」みたいな「理解してあげる」「寛容に受け止めてあげる」ポジティブな波動で反応する

など、です。

他にもポジティブな波動の反応の仕方はあると思いますので、それを自分なりに考えてみると面白いと思います。

いずれにしろ、その反応を考えついたときに、自分の心がすっとするもの、それがあなた本来の波動です。

このようなポジティブ波動の反応をしていくと、事象自体に変化が起きます。
そのとき、あなたのネガティブ波動も完全に変化した状態になっています。

ーーーーーーー

種が飛んできたのか、薪置き場の前に突如咲いていた綺麗な青いお花。
検索すると、シノグロッサム:オオルリ草というらしい。
初夏らしく爽やかな青です。

ーーーーーーーー

自分でポジティブ波動に変換することを思いつけないし、したくてもできない、というときは、深いエネルギーブロックが作られているからです。

そのようなときは、エネルギー物質であるレメディを使って、波動変換のお手伝いができます。

詳しいことは、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

ワクワクしないのは

あなたが本当にあなたらしく生きるには、

内側からあがってくる衝動や、

ワクワクした気持ち、

これをやりたいんだという熱い思いに従って動いていくことが鍵になります。

このような話を講座やコンサルテーション中にすることがあるんですが、

先日、このことをふと自分にあてはめて客観的にみてみると……

私は、これはしたい、これをしよう、これ、どうなるんだろうみたいな内側からの衝動はあるし、それに従って動くようにしてるんですけど、

ワクワクという言葉にぴったりする叶えたいと思うこと、今、ないなって思ったんです(汗)。

ワクワクっていう言葉は、私にとって胸が高鳴るようなきゅーんと自分を思い切り上に引き上げてくれるようなイメージなんですが、それに匹敵するようなものがないなと気づいたのです。

内なる声とか衝動に従ってるのに、ワクワクに匹敵することがないとは、いったいこれはどういうことなんだろう?と、自問しました。

そしたら、

それは、あなたが叶えたいことが小さすぎるから

という言葉を受け取りました。

叶えたいことが小さすぎる、すぐに手が届きそうなことには、ワクワクしない

つまり、もっともっと胸が高揚してたまらなくなるような大きなことをイメージしなさい

ということだったのです。

! ! ! Oh My God

いや、ほんと、その通りでした。

いつ頃からなのか、私は自分が叶えたいことを常に小さく見積もってきていたように思います。

もう、このへんでいいだろう、みたいな感じです。

そりゃ、ワクワクしないよね。

なぜなら、ほぼ想定内のことを起こそうとしてるわけですからね。

上記の気づきのおかげで、その後、ワクワクする状態を妄想し尽くしました(笑)。

そしてそれに伴い、今、やることもはっきりみえてきました。

ということで、もし、ワクワクしていない人がいたら、

自分が心からワクワクしてくる、
自分がそうなりたい最もすごいレベルの状態を思い描いてみるとよいと思います。

波動がそれによって上がり、それに伴ったものが引き寄せられてくるはずです。

↑ 我が家にふらりと迷い込んできて、そろそろ1年経つアシュラム(♂)。
最初から我が家に暮らしていたようなくつろぎぶりです。
ーーーーーーー

ホメオパシーのレメディやエッセンスを用いるエネルギー療法をやっています。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

コロナ以降、zoomを使ったオンラインでのコンサルテーションをメインでやってきましたが、店舗を作り、対面コンサルテーションを復活?させようとしているところです。
実現できそうになったら、またお知らせします。

花と似てる

種から芽がでて、葉っぱや茎が育ち、ツボミがでてきて膨らんで、花が咲く。

花は咲くのがゴールじゃない。花の奥では種をつくり、有効な方法で種を他の場所に広げ、その後は葉を枯らしたりして身を小さくして、次のシーズンまで静かに土の中で潜んだりする。

これが宇宙が教えてくれる自然の流れであるなら、
同じ自然の流れの中にいるヒトも同じことをしているに違いない。

なにかで着想を得て(種)、それを葉や茎を伸ばすように大きくしようと動いて、
花が咲けるほどに成長すると、ツボミがでてきて、そして自分がしたかったことを実現したという花が開く。

人は花が開くというのをゴールのように捉えたりするけれど、このサイクルは自然の花のように繰り返され、やりたかったことを実現した後も、次に備えてしばらく休んだり、その体験で学んだ知識を整理したり、実現できたことに感謝をし身を低くしたりして、

それからまた次の種=やりたいことを育てていく流れに入っていく。

花が枯れて死んでしまうまで、自然とこの営みが繰り返されるように、人もこのサイクルを肉体が滅びるまで繰り返してると思う。

とても小さなことから大きなことまで、自分のやりたいことの種を育てて、その花を咲かせて実現するの繰り返しをしていると思う。

もし苦しいとか、うまくいってないと感じるとしたら、

花を休眠期なく咲かせ続けようとしていないか、

種を眠らせつづけて発芽させないようにしていないか、

はたまた、今は葉を落として静かにして学んだことを整理するときなのに、

すぐに芽をださなきゃ、花が咲いていないじゃないの、みたいに、成果の方だけを追い続けていないか、今、自分はどこにいるのか、みてみるのがいいかもしれない。

そんな今日の私は、庭のまわりに生い茂りだした雑草の中からカタバミを摘みながら、
私がやりたいなと思ったこと(複数あるけど)、それぞれ、どの段階なんだろうと考えてみました。

1つは、ツボミがみえてきたところだな、と思いました。

もう1つは、芽がでて葉や茎が育ってるけど、花を咲かせるにはまだほど遠いところだとわかりました。

いずれにしろ花は、自然の完璧なタイミングで咲いてます。

だから人も自然の流れにいたら、完璧なタイミングで花を咲かせられるはず。

カタバミ、とても綺麗な花だなと思います。
野の花摘んでいると、少女のような気持ちになる〜

狭き門より入れ

狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。

新約聖書マタイ福音書7からの一節ですが、「狭き門より入れ」は、アンドレ・ジッドの小説のタイトルにも使われたせいか、ことわざのように使われているかと思います。

私は、これまでの人生で何度か、この言葉を受け取ったことがあります。

この「狭き門」から通ずる道は、神の国なので、悟りへの道を示しているのが本来でしょうが、

私はこれを、次の意味のように受け取っています。

「狭き門から進みなさい。それは、あなた独自の道。

誰かが言った通りにすることや、世間がすでに示している道は、その他大勢の人が流されて進んでしまう広い道。

しかし、その狭い独自の道を進むなら、あなたのソウルに従った道を進むことになる。」

という感じで、私たちはヒトという形で似たようにみえても、それぞれが全く独自でオリジナルな存在なのだから、
独自の道を進むことが、本当のあなたらしい人生の道を進むことになります、という導きの言葉として受け取っています。


他の大勢の人がやるように、こうやったらもっと楽だよ、簡単にできるよ、こうしておけば波風立たないよと、いうような広い道は一見簡単で従いやすいのだけど、その広い道を進んでいると、あなたらしく生きられない道を歩むことになりますよ、という教えだと思っています。

この文言を、一番最初に受けとったのは、ホメオパスになるための学校選択で悩んでいたときでした。

ホメオパシー自体がそもそもマイナーな道なのですが、
それでも日本で一番大きな学校があり、そこの見学会に行ったあとに、どの学校を選択するかで自分の中で迷いが生じていたときでした。

その学校は施設もカリキュラムもしっかりしてるし、生徒の人数も多い、そして卒業後の進路まで道筋をつけてくれてるような学校でした。

その道がホメオパスになるのに一番の近道、いわゆる広い道でした。
でも、自分の中には迷いがありました….

それで公園に座りこんでいたのですが、考えても選択できないので、ぶらっと周りを散歩しようとしたら、そこに教会がありました(当時、東京に住んでた)。

信者でもないのですが、ふらりとその教会の扉をあけて中に入ると、教会だとフォーチュンというのか?、おみくじ的な箱が置いてあり、自由にひくことができました。

手をいれて、1つの小さく折りただんだ紙を取り出し、開いてみると、

「狭き門より入れ」と書いてありました。

この導きが、私のその後のホメオパスになる道へのシフトとなりました。

狭き学校を選び、狭き?ホメオパスとして活動することになりました笑。

もし、あなたがやろうとしてること、やりたいことが、狭き門を通らねばならず、

その狭さゆえに、他のさっさと進む多くの人と比べるとうまくいかなかったり、早く進めないこともあるかもしれません。

でも、その狭さは、あなたのオリジナルさを表してるのです。

狭ければ狭いほど、あなた独自の道です。

自分がどのような門から入っているか、それに気づくよう、まさに今朝もこの言葉を受け取りました。

去年植えた水仙が咲きました。
正面からみると、マカバと呼ばれる星形正八面体に見える〜

波動の上げ方:「愛」を伴う反応の実例

波動をあげる具体的な方法は、

「愛」を伴った見方をする、「愛」を伴った言動をとる

です。

以下、具体例:

住む家をずっと探していたところ、「これはすごくイイ!」と希望にピッタリの物件をみつけた。

不動産会社に連絡をしたら、「あ〜、その物件は今もう契約段階に入ってるんで、ご紹介できません」と言われ、電話を切った。

この事象に対して↓↓↓

▶︎「愛」を伴わないどころか、恨みや怒りを放つ波動の見方と言動

「ったく、もう契約段階に入ってるなら、この情報ネットから削除しといてよ!」

「なんかの都合で、その先約の人、契約破棄にならないかな」

▶︎「愛」を伴わない見方と言動

「あー、もっと早く電話してたら、私にもチャンスがあったのかな、どうしてもっと機敏に動けなかったんだろう」

「あーあ、私にとってベストの物件だったのに、私はなんてついてないんだろう….」

▶︎「愛」を伴う見方と言動

「私よりもあの物件を本当に必要とした人がいて、その人が契約することができたんだ、良かったな」

「知らない人だけど、その人がぴったりの物件に巡り会えたことを喜ぼう」

▶︎さらに上級の「愛」を伴う見方と言動

「私でなく、その人が望むものに先に巡り会えたことを祝福します」

「その人が幸せで良かった、ありがとうございます」

「どんな人も、その人みたいに望むものに巡り会えますように」

ーーーーーーーー

上記を解説するならば、

一番低い波動は、

起きた事象について他人のせいにしたり、他人を落としたり、批判する反応

そこまで低くないけど、高くない波動は、

他人に矢を向けないけれど、自分に矢を向ける反応
自分を責めたり、自分を下げたりする反応

高い波動は、

起きたことを良いこととしてただ受け入れる反応
他人に起きた幸せを自分のことのように喜ぶ反応
他人のことでも喜ばしいことが起きたことについて感謝する反応

さらに高い波動は、

自分のことより他人の幸せを願う反応
自他を問わずに、幸せな事象自体に感謝する反応
全ての人に対しての幸せを願う反応

という具合になります。

別の言葉でいうと、起きてくる事象に
どれだけ大きな愛を伴った見方と言動ができるかということが、
波動をあげることとリンクしています。

波動をあげていくというと抽象的で何を目指してるのかわからないけれど、
「愛」を伴った言動をしていくことで、「愛」を伴った現象がつくられ、「愛」が波及していく世界になっていきます。これからは、そんな時代になっていく流れだと思います。

ーーーーーー

上記の例は、自分が今、やりたいことのために物件を探してるので、思いつきました。
昨日まさに、畑付きの素敵そうな物件をみつけて電話したら、契約進行中だった汗。

その伸び伸び過ごせそうな田舎環境の物件に、ぴったりの人たちが巡り会えたんだろうなと思ったら、私でなくて良かったなと思い、そう思ったら、波動が上がったのか、自分も本当に幸せな心持ちになりました。

もちろん電話で断られたときは「あー、遅かった!」と思いましたよ→波動低っ、笑!

アーモンドの花が満開中、アーモンドの実は今のところ1粒しかなったことない….
濃いめのピンクで香りも濃い、このピンクをみてると気分が上がります。

「愛」を持った見方をするのが、どうしてもできない方、あなたの温かいハートを閉じる出来事が過去にあったのだと思います。その出来事のときに閉じたあなたのハートを開きませんか。エネルギー療法でそのお手伝いをすることができます。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

一人ぼっちになれたことなんか、ない

なんだかもやっとする夢をみて、もやっとした気分のまま、台所の窓をあける。

空をみてたら、春の野鳥がさえずった。

つーぴー、つつぴー、

ホーホケキョッ、

途端に、私の気分は完全に「春」になって軽やかになる。

誰かが、悲しい気持ちをつづったSNSをあげる、それにいたわりや共感のコメントがつく、それを読んで優しい気持ちになる。

誰かが、誰かに毒づく動画、それに賛同するコメントがあがったり、憐れむコメントがあがる、色々だな〜と自分も複雑に感じる。

入ったお店の店員さんが元気がよいと、その快活さに心地よくなる。

雨が降り続くと、なんとなく、どよんとしてくる、晴れるとからっとした気分になる。

風がふくと桶屋がもうかる、も同じこと。

どんな人も、こんな数々の影響の連続で毎日を過ごしてるはず。

ということは、間違いなく、私たちは、影響しあう世界で生きている。

影響し合うというのは、なにかがつながっているから、影響しあう。

これを、ワンネスということができる。

そういう意味で、わたしたちは、決してひとりぼっちにはなれない。

ひとりぼっちになんかなれたことない。

ひとりぼっちなら、この影響しあう世界に生まれることはできなかったから。

菜の花畑でどんな影響をうけてるかな〜

ダウンしてるなら、体を動かす

気分のアップダウンが激しくて、みたいなお悩みを聞きますが、

人はアップだけを望んで、ダウンしてる状態を良くないこととして嫌がり、避けようとします(自分も然り)。

嫌がるだけならいいけど、ダウンしてる自分をほじくり返して、ああでもない、こうでもない、自分はうまくできてない、こんな自分はどうしようもないと思考でさらにダウンしていく状態に導いてる人もいます。

ダウンというのは、エネルギー的にみるならば、その人の本来循環してるエネルギーが停滞気味のことを「体感してる状態」と言えます。

その人のエネルギーが澱(よど)み始めてる不快さを、「ダウンしてる」と感知してるわけです。

だったら、そこでさらにダウンに導くことをやめて、エネルギーを動かしていくのがよいです。

空気の淀んだ部屋の窓を開け放して、風通しをよくするのと同じ。

エネルギーを動かす最も簡単な方法は、体を動かすことです。

スポーツでもよいし、家の掃除でもよいし、少し早めに歩く散歩でもよいし、歌を歌うとかでもよいし、とにかく体を動かすことから、全体のエネルギーを動かすことができます。

今朝、起きたら、自分がダウンしてる感じがあり、これは何を教えてくれてるのでしょう?!と、問うたら、(メンタルについての答えが返ってくるかと思いきや)、上記の気づきを受け取りました。

まさに、今週は雨でいつものテニスができていなかったので、なるほど〜と唸りました。

私は毎日ヨガの呼吸法でエネルギー動かしているのだけれど、テニスをして大きくエネルギーを動かすことは、今の私のエネルギー状態にとって必要だったようです。

ということで、朝、この言葉を受け取って、すぐにゴミ捨てに颯爽と?でかけて(歩いて200mくらいのところですが)、外の空気を吸って深呼吸したら、もうダウンの感覚はなくなっていました。

↑青い空の下、蓮の間を延々と散歩したとき気持ちよかった(去年の7月のことですが笑)

ーーーーーーー

ダウンが大きすぎる方、なかなか抜け出せない方は、過去に自分がこしらえたエネルギーブロックという雲みたいなものを晴らすことができていないのかもしれません。

自分がつくったものは、自分で晴らすことができます。

エネルギー物質を使って、それを晴らすガイドができます。

興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

子どもの頃、どうやって遊んでた?

こどもの頃、ぶらーっと小学校の運動場にいって、

そこにいる子たちで遊んでた

何をして遊んでたかはっきり覚えてないけど….

校庭に一人で鉄棒してる子いたら声をかけて誘って、

引っ越してきたばっかりで隅っこで土をほじほじしてる子がいたら声をかけて誘って、

その日のメンバーで、その組み合わせで、その日にできあがる遊びが、楽しかった

女子らしく、いつもの2人や3人組でおしゃべりするより、近所の子たちだけで遊ぶより、そこに居合わせた子たちで、その日のメンバーの組み合わせで起こる、その日にできる遊びをするのは楽しかった

これが、わたしの遊びの原点だなと思う

私のダンナさんに子どもの頃の遊びを聞くと、

一人で絵を描くのが好きだったそうだ

彼は、当時貴重で皆の憧れだったディズニーなどのアニメの絵をトレーシングペーパーで写して、その絵をキャラクターごとに切り抜いてを小学校に持っていってたらしい

なぜなら、クラスの皆が、その絵をすごい欲しがって(ブロマイドみたいな感じ?笑)、当時流行っていたビー玉と絵を交換してくれ!となって……
彼はそのおかげでクラスでもっともビー玉を多くもっていた子だったらしい

彼は、今もこれと似たことをしている

トレーシングペーパー →  ペンタブレットに進化してるけど、

自分のインスピレーションにしたがって、自分で絵を描いて、それをSNSであげたり、漫画本を自費出版したりしてる

大人の言葉でいうと、

私の仕事は、とか、わたしのやりがいは、人生の使命は、なんて、もっともらしく語れるけれど、

わたしたちが大人になってしてることや、したいことは、

こどもの頃の遊びの大人バージョンだと思う

なぜなら、それが、わたしたちの内側のピュアな喜びのエネルギーから起こってることだから

それが子供なら「遊び」と呼ばれ、大人になると、それが「仕事」とか「使命」なんて呼ばれる

ということで、わたしも、こどものころの遊びを再度やろうとしています

声をかけて、そのときのメンバーで、”いま”を楽しむ遊びの場をつくること、

カタチになってきたら、一緒に遊びたいひとに声をかけます〜

↑ AIが描いてくれました、ここに皆で寝っ転がりたい