ホメオパシー療法、何が起こる?

ホメオパシー療法を受けると、どんなことが起こるの?について書いてみたいと思います。

以下、私が行うクラシカルホメオパシーの場合を前提にしてのお話です(ホメオパシーにはプラティカルという手法とクラシカルという手法があります、流派みたいなもの)。
ちなみに身体的&精神の問題の深さの度合いには個人差があるので、反応も同様に一律ではありませんが、平均的に起こることを書いてみます。

私はホメオパシーの学校で、ホメオパシー療法のいわゆる問診みたいなもの「コンサルテーション」のやり方を学びましたが、実際にクライアントさんたちをみていくうちに、もっと効果的だと感じる方法に辿り着きまして、以降、それを独自のやり方で行なっています(典型的なホメオパシー療法のコンサルとは少し異なる)。

ですので、私にかかる場合は、まずコンサルテーションというのが大きな動きを起こす場になります。私がコンサルでやっているのは、なぜ、その人にその症状(肉体または心)が起きているのか?を一緒に解明していくことです。

そしてコンサル後には、その人にもっとも必要と思われるレメディを検討して、レメディを郵送しますが、このレメディへの反応も含めて、その方が改善したいと思っている身体症状や心の症状に動きがでます。症状の動き具合は、その人がどのくらい問題となってる意識を変えていくかと比例しています。

具体な肉体症状の例でいうと、頭痛だったら、レメディで少しづつ痛みや出現頻度が軽減していき、数ヶ月したらもう全く頭痛はでなくなっていった、みたいな感じになります。
1年も経ってメモ代わりにつけてた日記を見返したら「ああ、そういえば、私は頭痛持ちだったな〜」なんてくらいの過去のものとなったりします。
そしてそう見返せる頃には、その頭痛を起こしていた根源の意識の問題も完全に変化をしていて、より楽に生きられるようになっています。

アトピーや、花粉症といった長年患っているような症状の場合は、症状が軽減するまでに長い期間がかかることが多いです。

レメディ一の1回摂取で、どーんと効果をあげたい方もいると思うのですが、そういうときは反動で揺り戻しも大きく、実際問題として日常生活にかなりの支障をきたすので、徐々に症状を軽減していくことが心身的には望ましいかなと思ったりします。
言い換えると、長く抱えてきた問題は、その元の意識を変化させるのに、少し長くかかるということが言えます。

いずれにしろ身体症状はほとんど全ての場合、心の問題との組み合わせで起こっていることが多いので、上記のような感じで身体症状を改善していく過程では、精神症状にも自然と向き合うことになります。 向き合うというのはどういうことかというと、「気づき」が起きていくということです。

いつも無意識に行っていた思考過程や感情の動きにふと気がつきはじめるのです。
「あれ、私、こんな風に考えていたんだ」「あ、過去のあの出来事から、私はあまり意見を言わないようになったんだ」とか、「なんだか自分が被害者になるように行動してるな」など、自分が当たり前のように行なっていたパターンに気がつくのです。

そしてその気づきから新しい選択が起きたら、全体がスムーズに流れるようになり、より精神的に生きやすく(=自分らしく)なっていくのと平行して、身体症状も軽減していきく、別の言い方をすると、心身ともに全体的にその人らしく健康になっていく、このようなことが起きていきます。

だから、単に病だけをきりとって、それをなくす、というのとは、
異なるアプローチです。ホリズム(全体)的に自分という存在をみていく、
それがホメオパシー療法にかかると起きることです。

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ただ、そうはいっても人はすぐに解脱するわけでもないので(苦笑)、
楽になったその後も必要な学びは人生において常にやってきますが、ね。

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初回のコンサルテーションの後は、レメディの反応をみて方向性が確定してくるまで、続く2、3回はフォローアップは1ヶ月おきくらいが理想ですが、自分の心身についての気づきがはじまって、それを自分でみていける場合は、その後は療法にかからないで、自分でやっていくこともできます。

というわけで、ホメオパシー療法おもしろそう、と思われた方はHPの方へもどうぞ: https://arnicahomeo.wordpress.com

事前にするorしない

今朝、錦織選手の速報をみたくて珍しくTVをつけている私の横に、息子(小学校高学年)がやってきて、のんびりと画面をみながら歯を磨いていました(登校10分前)。

その後突然嵐のようなバタバタ。

学校に持って行かないとならない道具を押し込んだり、
帽子がみつからないとあわてふためいています。

しかもまだ靴下はいてない汗。

帽子が彼のいつも読んでいる本の下敷きになっていたのが見えたので、
ひっぱりだして教えてあげました。

それを機に我慢できずにわたしから小言がわんさか飛び出す(鬼)

彼はそんな小言に構っていられないので、
私に切れ気味に反論しながら、あわてて登校していきました。

このパターン、よくあるわー、一体いつ学ぶのだろうか…..

その後、ゴミ出ししながら、ふと気がつきました。

「本人が直そうという気がないんだから、そりゃ学ぶわけないわ」

親は、生活を自分で整えることを教えようとしてますが、

そこに恐らく価値を見いだしていないのだろうと思いました。

うちのダンナさんは、
出張で海外に行くときですら、スーツケースの準備は通常「当日」です。

以前、義母にその話をしたら、「あら、私と同じよ」とさらっと言われました。

母子揃って、ギリギリに準備する人達 (汗)。

息子も同じ思考のようで、
前日の夜に「明日の準備しておけば?」と声をかけても、ほぼやってない。

彼らにとって、明日の ”準備” や 旅行の ”準備” は
前日からやるほどのことでもないと思っているようです。

私は準備しておかないと安心できないと自分でわかっているので前日までにやります。

でも、私のダンナさんが仕事の事前準備もしていないかと言ったら、
仕事はちゃんと準備しているんですから、
やっぱり彼らにとって旅行や衣類等の準備は
あせってすることでもないってことなのでしょう。

確かに当日まで準備していなくても全然あせったりしていない。

海外に2週間いくときも、一泊で近場への旅行のときもそれは変わらず。

ということは事前準備を私は教えようとしていたけど、
もし息子の価値観がダンナさんと同じだとしたら、
息子には幾ら言っても響かないということだと納得しました。

ただ、息子自身は今朝あせっていたわけなので、
こういう焦ったり、ストレスになる出来事を体験しながら、
本人はそれをどういうふうに生かしていくのか……..今後楽しみです。

後記:その後、息子は家を巣立ち(これを記した時点で21歳)、
今夏に帰省したときのスーツケースをみていたら、
出発の日の前日に準備するようになっていました。
体験した後、最終的にそのように学んだようです。

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この記事を、振り返って思うのは、
親は自分が体験してきて子供に教えたいことを教えたら、
あとは本人の学ぶ速度や本人の性質&傾向があるので、
それを見守っていればいいんだろうな、
何より大事なのは、本人自体が自分でそれを体験し、学ぶことかなと思いました。

校長センセイのこと

私が勉強したホメオパシー学校の校長について常々思っていることがあり、それを書いてみます。

この校長さんは、イギリス人の男性でオックスフォード大学をでられた優秀な方なのですが、最初に会った日に特別な印象を受けました。

私が最初に彼をみたのは、半年ごとに行われる学校の東京でのセミナー(いわゆる学校のスクーリングのようなもの、3日間行われる)でした。
入学後初めてのセミナーだし、校長に会うし、しかも英語で行われるので(ちゃんと通訳されます)、とにかく少しどきどきしていました。
ところが、彼がしゃべり出してすぐに「ん?…ん?」「え?何?! 声、ちっさすぎ〜」、これが最初に思ったことでした。

校長さんは、スマートというよりペンのように細く、お顔も細く、そして声も細かったのです…
「覇気がない….」聞きながら、文字通り苦笑していた私なのですが、そうなんです、私は恥ずかしながら偏見があったんです。

校長や社長やトップに立つ人は、ダイナミックで多少なりともカリスマ性があって、人を引きつけるものだという偏見。
だから、覇気を感じない、声が小さめの我が校の「校長」に肩すかしをくらったようでした。

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けれどセミナーが進んでいくうちに、私の思いは全く違うものになっていました。
参加者からのある質問に、彼はさらっと「そのことは、すみません、わかりません」と答えたりします。
参加者の別の人がある項目について自分の考えをとうとうと述べたのを聞いたとき、校長さんは「ああ、そうですね、そうかもしれません」とさらっと大げさでなく真摯な態度で答えます。

これまでみてきたセミナーやら講演を行う人、いや学校の先生であっても、
自説を押し付けてこない人、わからないとさらっと答えられる人、あいまいなことをわかったように言わない人を私初めてみたかもと思いました。

わからないことがあって「わからない」という講師の人いたかもしれません、でもその方々はわからないと言った後で足しました、「それはわからないけど、でもこうであーで、だから自分はこれだけ知っていてこうであーで」。

それがこの校長さんにはなかったのです。わからなかったことは、
「わからない。私はそれについて知らないから、誰か知っている人いますか?」と皆にさらっと聞いたりする…「わからないので、調べときますね」と言ったりも、
それホメオパシーのことなので、ここで知らないって言っちゃっていいんですか、あなた校長さんですよね?、私の方がドキドキしました(今となればそれがわからないということは知識がないわけでもなんでもないとわかるのですが)。

かといって彼が知識が不足しているってことは全くなくて、ものすごい豊富なしかもレベルの高い知識をさらさらと
力も入れずに披露していくんです。そのときの彼の態度に、自然体というよりも謙虚さのようなものを感じました。

なんだろう、これ?!この感じ。
もしかしてこれが「ホメオパス」という職業の人なんだ… 私にとってこれは一種の衝撃でした。

その後この学校で学べば学ぶほど、彼の豊富で高度な知識を垣間みさせてもらっているのですが、
奢らない(無意識なんでしょうが)その態度と謙虚な感じに、大げさではなくて毎度、頭を垂れる私です。
ごり押しである知識が正しいという主張はなくて、いつでも公平に冷静にものを判断しようとするその態度と知性。

私が生まれて初めて対面したホメオパスが彼のような人であったこと、ありがたい限りです。

(後記:彼が校長だったISHLは残念ながらその後閉校しました)

そして私は、現在ホメオパスとして活動しています。ご興味があればHPへもどうぞ:

http://arnicahomeo.wordpress.com