子どもの頃、どうやって遊んでた?

こどもの頃、ぶらーっと小学校の運動場にいって、

そこにいる子たちで遊んでた

何をして遊んでたかはっきり覚えてないけど….

校庭に一人で鉄棒してる子いたら声をかけて誘って、

引っ越してきたばっかりで隅っこで土をほじほじしてる子がいたら声をかけて誘って、

その日のメンバーで、その組み合わせで、その日にできあがる遊びが、楽しかった

女子らしく、いつもの2人や3人組でおしゃべりするより、近所の子たちだけで遊ぶより、そこに居合わせた子たちで、その日のメンバーの組み合わせで起こる、その日にできる遊びをするのは楽しかった

これが、わたしの遊びの原点だなと思う

私のダンナさんに子どもの頃の遊びを聞くと、

一人で絵を描くのが好きだったそうだ

彼は、当時貴重で皆の憧れだったディズニーなどのアニメの絵をトレーシングペーパーで写して、その絵をキャラクターごとに切り抜いてを小学校に持っていってたらしい

なぜなら、クラスの皆が、その絵をすごい欲しがって(ブロマイドみたいな感じ?笑)、当時流行っていたビー玉と絵を交換してくれ!となって……
彼はそのおかげでクラスでもっともビー玉を多くもっていた子だったらしい

彼は、今もこれと似たことをしている

トレーシングペーパー →  ペンタブレットに進化してるけど、

自分のインスピレーションにしたがって、自分で絵を描いて、それをSNSであげたり、漫画本を自費出版したりしてる

大人の言葉でいうと、

私の仕事は、とか、わたしのやりがいは、人生の使命は、なんて、もっともらしく語れるけれど、

わたしたちが大人になってしてることや、したいことは、

こどもの頃の遊びの大人バージョンだと思う

なぜなら、それが、わたしたちの内側のピュアな喜びのエネルギーから起こってることだから

それが子供なら「遊び」と呼ばれ、大人になると、それが「仕事」とか「使命」なんて呼ばれる

ということで、わたしも、こどものころの遊びを再度やろうとしています

声をかけて、そのときのメンバーで、”いま”を楽しむ遊びの場をつくること、

カタチになってきたら、一緒に遊びたいひとに声をかけます〜

↑ AIが描いてくれました、ここに皆で寝っ転がりたい

文字通りの ”無条件の”愛

言葉やインスピレーションを受け取るのは、朝が多いけれど、
今日は珍しく夕方に受け取りました。

たとえ、いま、

あなたがもんもんと苦しい思いをしていても、

あなたに1つとして嬉しい出来事が起きていなくても、

もしくは、どん底と呼ばれるような不幸を味わっているときであっても、

いま、ここで、あなたは、幸せな気持ちでいることを、自分に選ぶことができます。

大した努力もしていないし、

何の良い行いもしていないし、

なんなら悪いことをしたばっかりかもしれないけど、

それでも自分を責めたり、状況や誰かを呪ったりしないで、

ただ単に「幸せな気持ち」でいることを、いま、自分にゆるすことができます。

何の条件も、何の前提も、何の言い訳もいらない。

ただ無条件に、本当にまったくの無条件で、

ただ、自分が幸せな気持ちでいることをゆるすことができます。

これを、文字通りに 「無条件の愛」 と呼びます。

良いことがあるから喜ぶ、楽しいことがあったから楽しむ、そんな組み合わせになれていたけど、確かに、無条件で幸せな気持ちを自分に与えることはできる……
誕生日でも記念日でもなんでもないのに、自分に美しい花束を贈るみたいな感じ(嬉しい!)

ホメオパシー療法やってます:https://arnicahomeo.com/

あなたの中のリーダーシップを取る

表題は、今日受け取った言葉です。

あなたがやると決めたこと、やりたいこと、それを進めていく過程で、

あなたの中に起きてくる迷い、ちょっとした弱気、しなくてもいいかというような怠け心 etc….,

そういうあなたの中のモヤモヤしたものたちも引き連れながら、

あなたはあなたの中でリーダーシップをとって、

したいことに向かって進んでいくことが、あなたの中のリーダーシップを取るということです。

リーダーシップは、人といるときに取るだけじゃなくて、
自分の中でも持つことができる、というメッセージ。

あなたがあなたの中でリーダーシップを握ったとき、
あなたの中には太い柱のような芯ができ、そこにエネルギーが流れ、
すると必ず天からの手助けが降りてきます。

天からの手助けが先ではなく、あなたの中のリーダーシップが先なことを忘れずに。
(なにか良いことが起きたからやろうか、ではない笑)

そろそろ、私の住んでる山間部でも水仙が咲き始めています。

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自分の中のリーダーシップをとりたいけど、
そもそも自分はなにがしたいのか、何を決めたらよいのかがわからない人は、
本来の自分以外の波動に影響を受けたままでいるかもしれません。

本来の自分以外の波動というのは、具体的にいうと親の価値観だったり、世間で良いといわれてるものが良いという思い込みなどから作られます。
そういう不要なものをはずしていくと、本来の自分を取り戻していくことができます。

レメディやエッセンスなどを使って、あなた本来のものではないものを外していけます。ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

苦しくなる2つの理由

エネルギー療法という名称で、私がやってることは、

人を苦しく感じさせる「エネルギーブロック」をあなたのエネルギーフィールドから外すことです。

エネルギーブロックとは、過去の体験の中で(過去世も含む)こしらえてきたマイナス波動を発したままのエネルギーの塊のようなものです。

それはまるで黒い雲や石の塊ように、その人のエネルギーが流れていくのを邪魔していて、その滞ったエネルギー状態を人は苦しいと感じるのです。

これらのエネルギーブロックは、マイナス波動をポジティブに変換していくことで、解消することができます。

しかし実はこれに加え、もう1つ、人を苦しくさせているエネルギー現象があります。

それは、その人の内側からあがってきた(ソウルから伝達された)情熱といいましょうか、衝動といいましょうか、ひらめきとして受け取ったエネルギーを、外に向かって放射しないという現象です。

簡単にいうと、インスピレーションや ”やる気” が内側から湧きあがってるのに、それを外の社会で実際にアクションにうつさない状態を指します。

行動しないまま、その湧き上がるエネルギーを自分の内に置いたままにしてる状態です。

そうすると、そのエネルギーは行き場がなく、それがいわゆるフラストレーションと呼ばれるものになり、人は苦しく感じるのです。

湧きあがる泉が、外に向かってこんこんと流れていくように、

その人の内に湧きあがったエネルギーも、外に向かって放射されていくのが自然な流れなので、それを止めると、その人は苦しいと感じることになるのです。

このようなエネルギーがいわゆる「未完了の体験」と呼ばれるもので、その人のエネルギーフィールドに溜まっていくことになります。

ということで、

過去にためたマイナスのエネルギーを解消していくことも地道にこなしながら、

同時にわきあがってくる内側からのインスピレーションは、外の世界で行動に移し、

実現していく(エネルギーを完全に燃焼する)のをお勧めしたいです。

それには、自分の内側から受け取るインスピレーションを信じることもとても大事になってきます(こんなことできないよとか、思考でジャッジしない)。

かくいうわたしも、ただいま、インスピレーションを外の世界での実現に向けて動いているところで、このエネルギーを存分に放射したいです。

一人一人が内側のエネルギーを発光させた世界、星空のように綺麗でしょうね。

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過去にこしらえたマイナス波動(苦しみ、憎しみ、恨み、悲しみ、自己憐憫など)の解消が難しいと感じる場合は、カウンセリングやレメディというエネルギー物質を使って、その解消のお手伝いをすることができます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

どちらを選ぶ

顔を洗ってたときに、ちょっとしたアナロジーanalogyが 浮かんできたので、記事にします。

ーーーーー

あなたには、彼氏がいます。

その彼とは、長年つきあっていて、一緒にいることにとても馴染んでいます。

しかし、彼と一緒にいて、あなたは心からの幸せを感じたことがないような気がするのです。

彼は、あなたの良いところや、頑張ったところを、
「それでいいよ、よくやったね」「おー、すごいね」などと、よく褒めてくれてるのですが、

同時にあなたがあまり良くできていないところを、
「ほら、また、やっちゃってる、ちゃんと注意しとかないと」「だめだめ、まだまだ」などとも指摘もしてくるのです。

あなたが努力してやっとできるようになったことに関しても、
「やったね、ちゃんとできたね、おめでとう」
「それで、次は何にチャレンジしていくの?」
という感じで、常に次のことが準備されていて、あなたは完全にリラックスしたり、平和な心持ちになれないのです。

一方で、あなたは最近、新しい男性と出会う機会がありました。

幾度か二人で話をしたのですが、この彼は、

あなたが素敵なところや、よくできるところを褒めはしないけれど、
失敗したことや、あなたの欠点と思われるところにダメ出しも評価もしなくて、
ただ静かにそばにいてくれる感じの人です。


その人といると、自分にマルやバツがつけられないので、
気分が特に盛り上がることもないけれど、
あとで落ち込んだりくやしくなったりすることもないので、
安心した平穏な気持ちでいられることに気がつきました。

今の長年つきあってる彼といて、彼のアドバイスに従って何かを努力し続けて、
そしてある日今より良くなったであろう私になれたとして、
それで私は最後に何を獲得するんだろう……
最後の最後に私が目指していることは何なのだろう…..

あーよくできた!
これでもう十分だ!やりきった!と感じて…..
そして完全に満たされた気持ちになるのかな?!

そもそも完全に満たされた状態って何だろう….
もしかして努力して「私」を良くしていくことって、
ラットレースみたいに終わりがない行為で、ただ虚しく続いていくだけなんじゃないの…..!?

ーーーーーーー

以上、

今の彼 =  あなたの頭の中のマインド(エゴ)の声

新しい彼 = ほんとうのあなたで在ること 


で喩えてみました。

あなたは、どちらの彼を選びますか…..

(顔や外見をみないと選べません、の声が聞こえる….笑)

↑ 6月頃に我が家に現れた迷い子猫(♂)。
最初、痩せていてあまり動けない様子でしたが(里親探すの無理だろうと思いました)、
いつのまにか元気になり、去勢手術も済ませ、我が家に定住することになりました。

あなたが為(な)さなくてよい

本を読んでいたら、心に響く文があったので、記事にします。

以下、私の意訳です ↓:

親愛なるひとよ、あなたは仕返ししなくてよいのです、

神の怒りに任せましょう、このように書かれています:

「恨みを晴らすのは、わたしの為すことです、私がやりましょう」

と神様が言われています。

Do not take revenge, my dear friends,

but leave room for God’s wrath, for it is written,

“It is mine to avenge;

I will repay,”  says the Lord.

新約聖書に納められてる「ローマ文書(ローマの信徒への手紙)」12章19の抜粋です。

当時、迫害を受けていた信徒あてに書かれた文章だそうですが、

誰かに悔しい思いをさせられたけれど、相手に仕返ししたり、報復することを望まない人、そのような戦いをしたくない人には、心が救われる教えではないでしょうか。


なにかのドラマみたいに倍返し?したいと思う気持ちが湧くのもわからなくはないですが、個人で報復しても、そこで終わりにならなくて、相手がさらにやり返してきたら、お互いの怒りや恨みは延々と続いていくでしょうし、それが戦争という愚かしいことの始まりだと誰しも気づいていると思います。

かといって、相手を恨んでしまう思いやそのときの悔しさは、忘れようと思っても、何度も脳裏に浮かんできて自分を苦しめるでしょうし、そうなるとその思いに毎度エネルギーを与え、回想は消えることはなく、自分が苦しい状態を保持することになります。

ということで、そういうときは、上記のように神の為すことを信じるのがベストではないでしょうか。

神=宇宙の法則は、必ず報復がなされる仕組みです。

マイナス波動を誰かに向けて発した場合、それはかならずその人に返っていくのです。

もし誰かがあなたにひどいことをしたら、その人には同等のエネルギーが必ず還ります。

ルイーズ・ヘイ(アメリカ人の亡ヒーラー)も言っていました。

財布を盗まれたと話す人がいたら、彼女はその人に尋ねたそうです。

あなたは、最近、なにかを誰かから盗みませんでしたか?と。

すると、その財布を盗まれた人は、ちょっと思いをめぐらせて、「はっ!」とするそうです。

それが、例えば会社の備品をちょっと拝借したといった小さなことでも、
物でなく友達の彼女/彼氏の横取りという形であっても、なにかしら、そういうことをしているそうなのです。

報復は、いつ、どんな形で起こるかは、神にしかわかりません。

しかし、報復はあなた個人が為す必要はなくて、あなたがするのは、そのとき自分の中にわきおこった感情の解放だけです。

ああ、いやだったな、悔しかったな、と。

そして、あとは、神(宇宙)を信じて、神(宇宙)にお任せしてみると良いと思います。

初めての場所を歩いていたら、軒下に咲いていたグラジオラス、華やかでした。

Conscious meeting

私、なんであんなことしちゃったんだろうと、

”後になって気づく”こと、誰しもあるのではないでしょうか。

怒りたくないのに、ついカーッとなって大きな声で言ってしまったとか、

いつのまにかYoutubeを何時間も見て過ごして、後で思い返したら、特に見たい内容でもないし、自分に何のよい影響もなかったのに、なんで途中で止められなかったんだろうみたいなこととか、

信号のない横断歩道を渡ろうとしてる人がいるのに、車のスピードをゆるめる余裕がなくて停車しないでついそのまま通り過ぎてしまったこととか、

冷静な自分に戻ると、そうはしなかったよなと思えるような言動です。

このようなとき、あなたは「無意識」状態だったということができます。

ちゃんと自分の「意識」を保てていたのなら、しなかったわけなので。

だから、本当の自分らしく生きるには、細かいことから大きなことまで、

いかに「意識的にいるか」が、大事になってきます。

パワハラやモラハラといった社会的な事象なども、昔は当たり前みたいにスルーされて通っていたことですが、昨今明るみにでてきて、そこに人々の意識が向けられてきたら、

なんという恐ろしいことをやっていたんだ、

なんと意識が低かったんだ、と気づいていき、改善されていきます。

無意識状態で過ごしていたことを、意識的にみるというのは、

「自分が今、何をしているか」にはっきりと気づくことであり、
その都度、本当の自分がしたい判断や選択をできていくということになります。

ということで、無意識状態をなるべく減らして、意識的にいるように、意識を上げていく場をつくりたいなと思いまして、

Conscious Meeting コンシャスミーティング

というネーミングで定期的な集まりを企画しようと思います。

意識を上げていくとき、同じ志の仲間といることはとても大事で、そしてそれは集合意識にも影響していくものです。

ということで、その事前のお知らせです。

詳細は、これから練って、後日お知らせしますが、

5名くらいのスモールグループで、

1〜2ヶ月に1回くらいのペースで 全部で 5, 6回くらい、

zoomにて、

エッセンスやレメディも使いながら、

お互いの気づきをシェアしていくことで、意識を上げていく場になればなと考えています。

ただ話す場だけでなく、

無意識で言動を起こしてしまうのは、それぞれの人が体験してきた根本的なトラウマとリンクしてるなどの心についての学びも織り交ぜていこうかなと考えています。

この集いに、こうしてほしい、こういう内容も興味があるというような要望や、

ご意見、アイデアなどがある方がいましたら、教えてくださると嬉しいです。

日時や曜日のご希望などもありましたら、customerarnica@gmail.com までご連絡ください。

少し前に惹かれて購入したオレンジのバラが咲きました。
これに惹かれたということは、第二チャクラと関係してたんだろうな〜笑。

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この企画、Mさんという方がご希望くださいまして、カタチにしました。
Mさん、もやもや&モタモタしてた私を動かしてくださり、ありがとうございます。

自分をちゃんとみてあげる

何年も前にお会いした男性の話です。

その男性は当時30代くらいで、

「お、アーティストか!?」と思わせる印象の人でした。

はっきりした色の服、自分の体型とマッチしてる独特の着こなし、

ヘアスタイルもキマっていて、どこにいても目をひくだろうオリジナリティが外観にも出ていました。

聞けば、少し前までアメリカで映像関係のクリエイティブな仕事を実際にしていた人でした。

この男性の悩みは、

「(帰国してから仕事がみつからず)アーティストになりたいけど、なれない」

というようなことでした…….(!)

見た目がアーティスト、

経歴もアーティストです。

自分のオリジナリティ(芸術性)をすでに外側に現していて、

社会の中でもそれを具現化していた人です。

この男性に足りなかったのは、

「自分で自分をアーティストと認める」ことだけでした。

ということで彼の悩みは、彼が自分をアーティストと認めることにより、あっという間に解決したわけですが、

この話は、見方によっては、笑い話のようにもとれます。

全て揃っていて、足りなかったのは、どこに探しにいく必要もない、何の努力も不要な自分自身への評価だけだったのですから。

かといって、この話を笑い話として笑い飛ばせないのは、

この彼のような状態で苦しんでいる人はわりと多いし、

自分自身も過去にこの状態だったことがあるからです(苦笑)。

あなた、すごいね〜とか、

本当によくやってるよ、とか、

いろんな評価の言葉を周りからもらっても、

いやいや、まだまだ、と受け取らなかったり、

ありがとうといいながら、全然それを本気で自分の中で受け入れてなかったりしていることありませんか。

人のことは簡単に褒めてあげたり、評価してあげるのに、いざ、自分のことになったら、

理想が高くて、自分は全然だめだとか、できてないと厳しい評価を下していませんか。

そのような自分で自分を認められない苦しさをもっていたら、おすすめしたいのは、

”鏡” をもっともっと見ることです。

この機会に大きめの鏡を1枚買い足すのもいいかもしれません。

要は、自分をもっとみてあげるためです。

鏡を見ない日はないかもしれませんが、さっと見終わらないで、ちゃんと&じっと自分をみてあげる。

目をきちんとみつめてあげたり、自分といる時間を(鏡の中の自分をみる時間を)もっと多めにとってあげるといいと思います。

自分がどうやって生活したり、行動してるかを動画にとってみるのもいいと思います。

自分に評価が辛い人は、人のことはみてあげてるけど、自分のことをみてあげてない人が多いように私は思っています。

だから、自分をもっとみてあげると、だんだん、自分がしてる言動にもちゃんと目を向けられるようになっていきます。

そしたら、自分ってわりとちゃんとやってるなとか、等身大の自分がみえてきて、自分への評価を自分でできるようになっていきます。

鏡をちゃんとみる習慣というのは、そのうち、自分を客観視する習慣に移行していきます。

そうすると、他人を評価してあげるように、自分のことも評価できるようになったり、
衝動的に感情に圧倒されてしまう自分なども客観視できるようになってきて、
自分ととてもうまくつきあっていけるようにもなっていきます。

実のところ、本当のわたしたちというのは、1つの大きな意識で(神ともいう)、

その意識が肉体をもったヒトの私たちを通して体験をしてるので、

「鏡で自分をみる」というやり方は、1つの大きな意識が、肉体をもってる私たちを高い次元からみてあげてるのとリンクする見方ではないのかなと私は解釈しています。

Youtube 見るより、自分をもっとたくさん見てあげよう(笑)!

↑ 記事と全く関係ないのですが、最近はまってるオートミールのクッキー。
バナナをつぶしてオートミールとナッツやドライフルーツと混ぜるだけ。
砂糖も小麦粉も不要で、分量も計らないでパパッとつくれるから楽です。

↑ 丸められるくらいの固さにして(柔らかくてOK)、180度で30分焼きます。
トレイに少しオイルを塗っておくと、くっつきません。
オートミールでやってるけど、今度、ハトムギでもやってみようかと思ってます。

マインドフルネスの奥義

去年あたりから、瞑想の時間だけでなく、日中の生活の中でも瞑想状態を持つ、というの試しています。

これは、エックハルト・トールという方が教えてくれてるやり方で、

思考にまみれてる生活の中で、意識的に思考をストップさせる時を持つという生き方です。

(エックハルト・トールは、ドイツ生まれ、カナダ在住の ”悟った人”)

別の言い方をすると、日常の生活の中でなるべくマインドフルネスの状態でいる、ということにもなります。

自分の思考を客観的に観察してもよくわかるのですが、

人というのは、いつもなにかについて思考していて、その中身は、

ー今思い出してもどうしようもない過去のことを回想していたり(あのときXXさんにこう言われたとか、同時にそのときの感情も味わったり)、

ー未来のこと(例えば明日の用事はなんだっけとか、夕飯は何する?とか)をあれこれ想定していたり、

ー目の前の出来事に自分語りのナレーション(あのレジの人は仕事が遅いな、とかのジャッジ)をいれたりしています。

マインドフルネスでいるはずなのに、気がつけば、そんな感じで、いつのまにか思考にのっとられて、目の前のこととは全然違うことを考えていたりするものです。

以前は瞑想してる時間だけで満ち足りていたのですが、思考から離れることが日中でも実践できるのだということがわかったので、そちらにも取り組んでいます。

そしたら、先月、それは車の運転中に起こったのですが、

自分にとっては大きな気づきを得たので、記事にしたいなと思います。

生活しながら瞑想状態(思考をストップ)=マインドフルネスでいるということは、

本当の意味では何をしているのか、が、ふっとわかったのでした。

箇条書きにしてみます:

マインドフルネスでいるということは、

いま、目の前で自分に起きてる体験に、関係のない思考をはさまずに
真剣に/誠心誠意、取り組むということ

真剣/誠心誠意、取り組むというのは、その目の前の事象に自分の注意を100%向けるということ

自分の注意を100% 向けるということは、
その事象に、自分の「心を込める」「心をくだく(真心をこめる)」ということ

心を込める とは 何をしてるかというと、

自分のハートをその事象に向けて完全にオープンにしてるということ

つまり、その事象に ハートを開いて愛を向けてる、
愛というエネルギーを放射してる

ということなんだなと、気づいたのでした。

別の言葉でいうと、

その体験に ”光” をあててる、ということでもあるなとわかりました(1人で勝手に深く納得、笑)。

私が、愛しい猫たちを心を込めて撫でるとき、

私が、テニスのボールを100%真剣に追いかけてるとき、

私が、クライアントさんの話を全身傾けて聴くとき、

瞑想状態です、マインドフルネスです。

これらをしてるとき、心地いいのは、

ハートがオープンで、愛を放射してたからなんだ〜、つまり源のエネルギーとつながっていたからなんだ、ととても深く腑に落ちました。

このマインドフルネスの奥義がわかると、ただ単に思考をストップするのが目的ではなく、

生活のいろんなシーンで、この心地よさを実践していきたいという違う角度からの瞑想状態でいるためのモチベーションを持てるようになりました。

日常で、洗濯物をひろげていく行為に心をこめる、干すときにも心を込める、

鼻をかむときにも、使ったティッシュを捨てるときにも、お茶をのむときにも、髪の毛を洗うときにも、掃除をするときにも….etc.,

これをしはじめると、”雑”に物事をこなせなくなります。

早いペースではなくなり、自然とゆっくりになります。

バタバタ、ざわざわ、さっさ、パッパッとできないのです。

目の前の対象に心を込めると、優しい扱いになって、ペースが静かになります。

自分の大事なものを扱うときに、誰でもそっと触れますよね、
あんな感じで、自然と丁寧になるのです。

だから、その辺にぶつかったり、つまづいたり、物を落としたり、が減ります。

人とコミュニケーションしてるときもそうです。

特に家族には、100%で心から向き合うのは真剣な話題のときだけで、わりとテキトーに

これまで向き合ってたんだなと気づきました。

猫に心くだくように、家族にもそうしよう….(笑)。

といろんな瞬間の瞑想状態にトライしてますが、はっと気がつくと、すぐに思考が入っています。

思考の波にずーっと流されていた、という漂流時間の方が、正直完全に多いです。

マインドフルネス100とすると、できてるのは、100のうち10どころか、5とか6くらいじゃないか、いや3とか4かも、とも思います。

そのくらい、マインドフルネスでいることに慣れていないのだと思います。

でも、これ、やっていくとわかるのですが、本当に心地が良いのです。

100のうち、1でも2でも日中にマインドフルネスを味わいだしたら、もうやめられません。

なぜなら、その心の平穏さ、平和な感じを体験してる自分のほうが、本当の自分だったとわかってくるからです。

目の前の事象に、心を100%込める、愛を持って接する、とても心地よい訓練?なので、おすすめしたいです。

雪が降り積もった朝のあの全ての音が吸収されたしーんとした静かな感じ。自分の内側があんな感じになります。

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マインドフルネスになりたいけど、どうしてもなれない。

それは、その平穏な状態を邪魔するノイズがあるからです。

そのノイズは、もういらない過去の出来事や感情、未来への不安だったりします。

ノイズキャンセルをエネルギー療法でお手伝いします。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

challenge してますか

”Challenge” という言葉が降りてきたので、

自分がこれまでの人生でやってきた「チャレンジ」について、今朝、思い巡らせてみました。

ここで書くチャレンジの定義は、

「できるかできないか予想もつかない、むしろできるとはなかなか思えないけれど、

試してみた、思いきってやってみた」ことです。

私はこれまでの人生で、海外にも1人で無防備に住みにいったし、わりと色んなことをやってきた方だとは思うけれど、

上記のチャレンジの定義に当てはまることを思い返してみたら、実はあまりやったことがないということがわかりました。

海外に行ったときは、ただ行きたいという気持ちで動いていただけなので(怖さも何もなかったから思いきりも必要なかった)チャレンジとは呼べないし、

マイナーなカテゴリーに入るホメオパスという仕事を選んだときも、できるかわからないけどやってみようというチャレンジではなく、気がついたらいつのまにかなっていたというただ起きてくる流れに乗ったような出来事だったので、自分の中ではチャレンジではありませんでした。

えー!?ちょっと、まって!ということは、私は人生であまりチャレンジしていないってこと?!と我ながら気づいて、

やれるかやれないかわからないけど、敢えてやってきたことを念入りに調べてみたら、

3つほどでてきました(良かった…..笑)。

1つ目にでてきたのは、テニスの試合にでたことです(まだこれからもでるかもですが)。

小さなコミュニティで何年もテニスをやってきた私でしたが、
少し広い世界に歩みでて自分がどれくらいできるか検討がつかない、ものすごい低レベルかもしれない、大恥かくかもしれない、それでも自分を試してみようと思って(しかもこの年齢で、汗)テニスの試合にでてみたことは、自分の中ではとても大きなチャレンジでした。

思えば、試合くらい緊張することは、私の人生では少ないと思います → つまり、緊張しない、チャレンジしようとしない自分の一面にあらためて気がつきました、笑。

2つ目に思い浮かんだのは、ボイストレーニングを始めたことです。

私は歌を歌うのが下手で、いわゆるコンプレックスでした。
そのコンプレックスに取り組むのはわりとハードル高かったけど、とりあえずやってみようと始めたのは、私にとって正真正銘チャレンジと言えます(現在も継続中、毎回レッスンで緊張して汗かきます)。

こう書いてくると、チャレンジというのは、

できなくて恥をかくかもしれない、失敗して後悔するかもしれない、自分のプライドが傷つくかもしれない、

それでもそういうエゴの痛みをも引き受けて、覚悟してやってみるってことなのかなと思いました。

3つ目に思いついたのは、移住したことです。

東京から今の姫路市の山間部に住みにきたことは、古民家暮らしも初めてなら、いわゆる村の中に入り込むのも初めてのことだし、人間関係やら暮らしやら、どうなるか全くわからないけど、とりあえずやってみようと思った、これもチャレンジだなと思いました。

とはいえ、これは私個人でのチャレンジというより、家族としてのチャレンジだと思います。

ということで、私のこれまでの人生のチャレンジで思いついたのは、上記の3つでした。

このチャレンジの数から自分のことを分析すると、

私は、ある程度予想できることしか手を出さないタイプの人だなと言えます。

予想して失敗しそうだとか、うまくいかなそうなことには、やらないようにしてきた安全圏で生きようとしていた人なのかもしれません。

もちろん、これを別の角度から言い換えるなら、自分が世間でできることがちゃんとわかっていて見通すのがうまいとかいう言い方もできますが笑。

しかし、いっけん、人生がわりとうまくいってきたように思えるとしても、

それは自分の想定内でだけ、安全圏内でやってきたとも言えますね(苦笑)。

家で、学校で、社会で、

何かをするときに助言をされることが多いです:

安全第一に。

先々のために保険を考えといた方がいい。

リスクをいつも考えなさい。

見通しが立ってやろうとしているのか。

もちろん、これらの言葉は、シチュエーションによっては大事かもしれません。

でも、安全第一すぎて、自分が失敗しない、危うい目に合わないことが、人生を生きることではないですよね。

安全でチャレンジしない人生は、違う角度からみるならば、

フルに自分のポテンシャルを発揮する機会を自分に与えていないとも言えるかなと、自分の人生を振り返りながら、思いました。

ということで、チャレンジが私に残ってる1つの課題だろうなと、新春に思いました。

なんとなく感じたのは、チャレンジすることの数を増やすより、
チャレンジすることの規模自体を大きくするほうが私には大事そう……。

2023年、あなたはのチャレンジは、どうですか。