3回シリーズ講座:『Just Be me』参加メンバー募集

私はこれまで、
クライアントさんのエネルギーブロックを、
レメディやカウンセリングで外しながら、
わたし自身の中にあるブロックも同時にはずしてきました。

自分の中の不要なパターンや思い込みが浮上するたびに、
浄化作業にせっせと励んできました。
そして、それがある程度まで終えたと思える頃に、
「いま、にいる=Being」という次の扉が開きました。

そして、それを探求し続けていたら、
いま、にいることの現実的な過ごし方として、
次のことに導かれました。

言葉で表現するならば、
”わたし”でいる、”わたし”として生きる、
と言えるような在り方で、
その在り方をいまも深化させているところです。

JUST BE ME の “わたし” とは、
自我意識のわたし、のことではなく、
真のわたしを指しているのですが、
それが何を指すのかというのを体験し理解できるように、
様々な視点、やり方を導かれながら学ばせてもらってきました。

そしてわかってきたのは、それを実践していく生き方は、
とても気楽なことだったということです。

自我の ”わたし” ではないほうでいることになるので、
自我の ”わたし” の苦しみが減ります。
自我の落ち込みも、自分へのジャッジも減るからです。

そうはいっても、今もそこに取り組み中の私なので、
起きてくる事象によっては心のさざ波が起きますが、
ベースが平安な心になってきているので、
さざ波から起きる影響が以前に感じていたような深刻なものではなく、
全体的にライト(Light) です。

この自分が体験しながら獲得してきた知識や具体的なやり方を
シェアしたいと思い、下記のような講座の形で提供してみることにしました。

1つ前の記事で書いた変容を促すレメディや、
私が体験したことをワークという形で取り入れながら、
参加者の方々にとっても、真の ”わたし” の方に変容していく流れに
なればいいなと願います。

上記の講座に参加ご希望の方は、
①お名前(よみがなも)
②希望曜日グループ
③簡単な参加志望動機
④郵便番号と住所(最初にとってもらうレメディを郵送します)
を記載の上、

customerarnica@gmail.com まで送信ください。

受け付けた方には、参加料金の振り込み先をご連絡します。

*現在、同講座の受講をオンライン参加で希望されている方がいます。
もう一名以上オンラインでの受講希望者がいれば、
オンラインでの開催も考えますので、
ご希望の方は、上記のe-mailまでご連絡ください。

12/24 クリスマスイブの日、キャンドルつけてみました(ニューコラボで)。
静かになって自分の中の灯(あかり)とつながる、そんな講座にしたいです。

レメディはエネルギーを動かす

私はホメオパスをやってるので、
レメディを自宅にたくさん持っています。

レメディは、
様々な物質や非物質(光線など)のエネルギーを転写してつくられますが、
ホメオパシー療法では、
私たちの心身の不調にそれらを使ってエネルギー的な働きかけをします(どのエネルギーを処方するか選ぶのがホメオパスの仕事)。

レメディの種類は、今や数えきれないくらい存在していて、
私が使用しているのは、
恐らく500種類くらいじゃないかと思うのですが、
購入元のイギリスの Helios 薬局では、
3500種を超えるレメディが取り扱われています。
とにかく、いろんなレメディがあります。

ホメオパスだからといって、
私がレメディを自分で日常的に取っているということはなく、
それこそ急性症状が起きたときに、
必要なものをチョイスして取るくらいの使用頻度ですが、
たまに浄化や精神的なステップのために、
自分でレメディを選んで取ることもあります。

少し前に、あるレメディを初めて取りました。
そのレメディは、
非常に珍しい物質のエネルギーを転写しており、
深いところからの変容をもたらすと言われているので、
何がおきるんだろう〜とワクワクしながらとりました。

案の定、その後、
自分にとってはなかなかの変化が起こったのですが、
しかし、このレメディの反応で、
予想外に面白かったのは、夢でした。

レメディをとると、
その人のエネルギーフィールドに干渉が起こり、
それにより夢をみることがとても多いです。

レメディをとった後にみる夢は、
その人にとっての深いところからのメッセージで、
とても重要だったりします。

具体的にいうと、
まだ浄化し終えていない過去の事象を教えてくれる内容だったり、
その人が顕在意識では気がつくことのできない不要なパターンを
教えてくれるものだったりします。

今回とったレメディの夢の話に戻りますが、
面白かったのは、夢の内容の方ではなくて、
その”現れ方”でした。

このレメディ、期間をあけて1粒づつを2回とったのですが、
2回目をとって寝たら、
1回目の夢の続きの中に私がいたのです。

1回目は、
4, 5階建てのこじんまりとした商業ビルの中に私がいる夢でした。
そのビルは、カフェや雑貨屋さんが各階に1つづつ入っていて、
私は雑貨屋さんの階にいて雑貨をみていたのですが、
初対面の女性から話しかけられて、
最近インスタでいわゆるバズっている某投稿についての意見を
求められてるという内容でした。

2回目のレメディをとって見た夢は、
私が、またその同じビルにいて、
再度その同じインスタ投稿についての意見を、
今度は他の違う人たちから求められているものでした。
そこで自分の意見を述べて、その後、その自分の答えを、
私が本当に内側で感じていたことなのかどうか?と内省しながら、
カフェのある階に移動したり、
階下にあるトイレにいったりして、
最後は、そのビルの外に出ていました。
そしてビルの前の広い大通りを渡った先の丘にそびえ立つ、
とても大きなラウンド形状のビルに行かないといけない、
それが目的でここに来たのだからと
思っている内容でした。

夢の内容はさておき、
同じレメディをとって、同じ夢に戻って来た、というのが、
初めての体験だったので、おもしろーっ!となりました。

同じ夢が、
同じエメルギー層での現象だと言えるとしたら、
そのレメディをとって同じ夢に導かれたのは、
レメディが同じ周波数のエネルギー反応を
ちゃんと起こしてくれたのだと思えて、
それを自分で体験できたのが面白かったです。

しかし、それだけでなく、
こういうことを起こせるレメディは、
通常業務のホメオパシー療法として心身の病に使うだけでなく、
もっと積極的に人を変容させるツールとして使っていくのが
いいのでは、と改めて思ったのでした。

ちなみに、これまでも、同じレメディを2度、もしくは3度と取ったことは何回もありますが、同じ夢に連れていってくれたことはなかったので、今回のレメディがそういう作用を起こすレメディだったといえるかもしれません。

とにかくも、このような面白い体験、
1人で味わって終わるのは、
なんだかもったいない (!?) ということもあり、

このレメディや、他のレメディも使っていきながら、
「わたし」の浄化や、変容を体験していける講座を
来年開催しようかと思ってます。

少人数での数回の連続講座の予定です。
内容もそうですが、曜日や時間や料金など、
これから詰めていきます。

この記事を読んだ時点で「参加してみたい」と思われた方で、
曜日や時間帯にご希望がある方がいらっしゃいましたら、
個別にご連絡ください(メールでもインスタDMでも)。

ご希望をできるだけ反映するよう考えていきたいと思います〜

石垣島の観光地でもなんでもない半洞窟みたいなところの写真↑↑
膝くらいの深さにジャブジャブ入って進むと(服で)、
この半洞窟を潜り抜ける通路みたいなところが、
なんともいえない心地よい空間でした。
向こうに抜けると、ただ青い海が広がってるだけ。

大きな海にでてしまったときの爽快感より、
通路を通っていくときの
だんだんスムーズにになってく感じが
浄化がすすむような感覚で
すーっと心地よかったです。
変容って、こんな感じで進めば進むほど心地よいのかもしれません。



あなたはどうだった?

ある友人男性の話です。
20代の息子がいます。
その息子はやりたいことはあるのだけど、
今はそれに向けた具体的な活動はしていなくて家にいるだけ。
とりあえず、現時点で、その息子が決めてるのは、
彼女が住んでいる国に短期間で旅に出る予定だけです。
その状態を、父であるその男性はかなり心配してると言うのです。

私は、それを聞いて、あはは、と文字通りに笑ってしまいました。

なぜ、笑ったかというと、
その男性の若い頃を知ってるからです。
彼は、20代の頃、気の赴くままに、
しばらくある国に滞在していたことがあって(好きな女性がいた国)、
今の息子と非常に似たことをしていたのです。

この男性の家は、いわゆるお固い家で、
お父さんも固い仕事についていたので、
彼のその当時のフラフラしてる状態は、
さぞかし、お父さんを心配させただろうと思います。

若き頃に、お父さんをさんざん心配させていたように、
今は息子が自分を心配させています。

自分も同じようなことをしていたことをすっかりと忘れて、
息子の将来を懸念してる、その彼の状態が
私には、おかしかったのです。
いやいや、どの口が言うねん?!と。

しかし、このパターン:
自分が過去にしていたことをすっかり忘れて、
今、目の前に同じ事象が起きてることに
全く気が付かない
というのは、よくみられますし、
自分にも起こりました。

今は巣立った息子が、
高校生くらいのとき、私が言うことを
はい、はい、と、いなしだしたときがありました。
はなから私の言うことを聞かない態度を
取り出したのです。

なんだ、この態度!?と思って
いっしゅん腹がたったのだけど、
これを体験するということは、
私も過去にそういうことをしたんだろうなと思って、
自分の昔をよくよく思い起こしたら、
私も全く同じことを母にしていたのでした。

しかも私の場合はもっとひどくて、
いなすというより、母が言ってくることすべてを
完全にバカにしていました。

その事象が自分に戻ってきたのだと気づいたら、
苦笑しましたし、
私の母はすごく傷ついただろうなと申し訳なく思いました。

と、いうことで、
人のことで悩んだりしたとき、
まずは、
そういう私はどうだったんだろう?と
自分が似た事象を起こしたことがないか、
点検してみるといいと思います。

思い返して苦笑することになれば、
その悩みは軽くなってると思います……

↑ 9月に訪れた石垣島の海の写真。
日の出直前の、この色、毎日毎日美しすぎでした。



自分の感覚を信頼する

昨日、「感覚を頼りに選ぶエッセンス」というミニセッションを開催しました。
午前に5名、午後に2名、合計7名の方にご参加いただきました、どうもありがとうございます。

自分が企画したものに反応していただけるというのは、
非常に、ありがたい(礼)

ミニセッションで使ったのは Indigo Essences。
5〜6年前からこのエッセンスを使用してますが、
これまでは私がコンサルテーションの内容から必要なものを選んでお渡ししていました。

けれど今回は “ご自身の感覚で選ぶ”  という方法に切り替え、
20分のミニセッションにまとめました。
料金も1,200円と気軽に体験していただける設定に。

エッセンスで何かしようと思ったときに、
”各自の感覚を使う”というアイデアが降りてきたのですが、
日々をよりよく生きるために一番信頼できるものは、
外側から取り入れた知識や、権威や能力がある誰かの言葉ではなく、
内側にある「自分自身の感覚」だということを体験してもらいたい、
というのがこのセッションの意図です。

そしてさらに良いと思うのが、
セッションで自分の感覚で選んだエッセンスを
トリートメントボトル として持ち帰ることで
(セッション代金に含まれる)、
そのエネルギーを継続的に取り入れられること。

セッションが終わってからも、
自分が必要と感じたエネルギーで、
自分のエネルギーフィールドや心を整えていけます。

ミニセッションの行程は:
自分の感覚でボトルを自由に選ぶ
→ 自分の筋反射を使い、ボトルをさらに厳選(筋反射はOリング、ペルーがやります)
→ 選考されたボトルたちのエネルギーを言葉で説明
→  最終的に自分に響いたエネルギーボトルをチョイス
となります。

実際に昨日の7名の方々が、自分の感覚で選んだボトル達は、
それぞれにまさに必要なエネルギーだったようで、
それを目の前で確認できて、私自身もおぉ….! となりました。

例えば、ある方は、
家系にまつわるエネルギーのボトルを2本選ばれていましたが、
その方は少し前に親族が集まる葬儀に出席されたばかりで、
そこでいろいろ思うところがあったタイミングでした。
ですので、昨日のミニセッションで選んだボトル達を通じて、
家系にまつわる不要なエネルギーパターンを外すサポートを
受け取られていたのかもしれません。

自分の感覚という、その正確な羅針盤を、
どの人も内側に持っている、
だから、それを使っていきましょう、
そんなことを強調したくなった昨日のセッションでした。

この「感覚を頼りに選ぶエッセンス」のミニセッション、
来月も行うことにしました:

10月20日(月) ニューコラボのセッションルーム
10時〜15時
ミニセッション所要時間 20分
料金 1.200円(トリートメントボトル付き)



大人の方はもちろん、
子どもも、いや、子どもこそ、自分の感覚で選べる、と思うので、
10/20(月)はお子さまにも、このミニセッションを提供しようと思います。


子どもだけでも、親子でも、もちろん大人だけでもどうぞご参加ください。
(料金は同一で、子どもも大人も1.200円です)

*自分の意志でボトルを選べるお子さんが対象になります。

予約は不要で、来た順にセッションしていきます。

ご興味のある方は、ぜひ気軽にお越しください。
私がこれを選んだんだ!みたいな
”自分の感覚を頼りにしていいんだ” という安心感を体験していただけたらと思います。


Indigo Essences 55種から選びます〜
今月すでに来た方も、次回は、違うエネルギーを選びたくなってるだろうから、
それを確かめてみるのも面白いと思います。

「歓喜」の体験

わたし個人に起きた体験についての記事になります。

昨年末にアメリカのサンタフェに行ったときのことです。
そのツアーでは複数のミラクルな体験をしたのですが、
どれも言葉にするのは難しいなと思っていて記事にするつもりはなかったのですが、
先日ニューコラボで行ったチェロの音浴(サウンドバス)で、
サンタフェで体験したことと非常に似た体験をしたので、
これはアウトプットしてシェアするのがよいだろうと思い、書くことにしました。

サンタフェは、古代アトランティスの聖地という波動が高いエネルギーの土地であり、
そこで波動が高く保たれたオフィスにいて、
その一室で波動が高い人からスピリチュアルなワークを受けるという
全てが揃った環境でした。

その体験が起きる前、その部屋では皆で誘導瞑想を受けていました。

誘導瞑想の声で、どんどんと自分の奥深くに入っていってるのに、それと反比例するように私は自分がどんどん上昇していってる感がありました。浮かんでるというのか、拡大していってるというのか、そんな体感です。

そのうち誘導瞑想は終わり、そのまま各自の瞑想タイムになり、しんとした中で、私も瞑想を続けていました。

その間も私の上昇は続いており、ある地点まできたら、体感的にはハートチャクラあたりだと思うのですが、なんともいえない心地よさの波がやってきて、もっと、もっと、上昇したいという感覚になりました。

そして、その流れに伴い、ある呼吸法を自然と行っていました。

口蓋の部分というか鼻の先端辺りに向けて吸い込んだ息を送り続ける呼吸法で、
この呼吸法がエネルギーを上昇させるということを知識的に知ってはいたのですが、
それをいつのまにか自然と自分が行っていたのです。

この呼吸法は呼吸音がかなり大きくて周りにもはっきり聞こえるし、
はぁぁ、みたいに合間に声も自然とでてきたので、
瞑想タイム中の周りの方には迷惑だったかもしれませんが、
そんなことには構ってられなくて、ひたすら上昇する流れに身をまかせていました。

そして、その上昇が最高地点に達したとき、

歓喜 ”  

の感覚が訪れました。

言葉でいうと、「歓喜」なんですが、「至福」とも表現できると思います。

白い鳩が飛んでいて、天使がラッパをふいてくれてるような祝福された感覚です。

実際、私の全細胞は、歓喜!歓喜!歓喜!と本当に湧いていて
(各細胞が光のように点滅&脈動するのがみえていた)、
その波動に共鳴しているから、ほかの状態になることなどできない、
その歓喜の波動状態にいるのだから、問答無用でわたしはその状態なのだ、
そんな圧倒的な状態でした。

最高潮に達したとき、あぁぁー、と声も漏れていて、
同時に暖かい涙が両目から自然と流れていました。

自分だからみれないけど、おそらく顔は光輝いていたと思います。

あとから、これを分析するならば、いわゆる”昇天”したんですよね。
クンダリーニエネルギーが突き抜けたのだと思います。

その後は、自分が3,5mくらいの高さにいるという感覚でした。

なんで3,5mかというと、そのオフィスに高い天窓があって、
私はそのあたりにいるなと思っていて、
その天窓が推定するとそのくらいの高さにあったからです。

拡大したわたしは、なんでもみえる、わかる、なんでもできる、
という無敵な感覚でした。

その感覚のまま、その部屋にいた他の参加者である一人の女性の背中に
牛乳瓶のフタの形状をしたエネルギーブロックがみえたので、
勝手に部屋を歩き回って(単なるイチ参加者なのに汗)、
それに手をあてて外そうとしたり、
浄化が始まって涙がでそうな他の人のところにいって勝手に抱きしめたりしてました。

拡大した私には、思考がほとんど起きていなくて、
下方の床のところにしゅっしゅっと2、3回黒い影が動いたのですが、
それが私の思考なんだということもわかっていました。

話がずれていくので、この拡大した私の話はここで終わりにしますが、
拡大した私は、その日の夕方か夜くらいには、
ほぼ、もとの私に戻っていたと思います。

戻るときに、地に足をつけるのに非常に苦労したのを覚えています。
足をつけるのに自分の足を電信柱のように重くして、
よいしょっと地に埋め込むような作業を行ったので。
なぜ、戻したかというと、移動したり、食べたり、
日常の活動をしないといけなかったからです。

やっと、ここから、
先日ニューコラボで行ったチェロの音浴(サウンドバス)の話になります。

チェロの演奏は、バッハの無伴奏チェロ組曲1番プレリュードから始まったのですが、
演奏を聞いてるうちに、各曲に対して、
自分の各チャクラが反応してることを感じてました。

6曲目のシューベルトのアヴェマリアのときでした。

ハートチャクラの後ろが反応して、回転していました。
この回転は、他の曲よりも、反応が明確でした。

それを味わっていると、
上記に書いたサンタフェで上昇していくときの感覚が起こりました。

もっと、もっと、という流れです。

前述のようにこの体験を既にしていたので、あーあれだわ、と感じて、
ここでサンタフェでもやったエネルギーをさらに上昇させる呼吸法を
やりたかったのですが、大きな呼吸音だけでなく、
声もでてしまうこともわかっていたし、
この音浴の場では自分は運営側の立場でもあったので、
あの呼吸法を存分にやることを理性により遠慮しました。

しかし、この上昇の心地よさを止めることはできないので、
呼吸法を小さく小さくしながら、わーすごいすごい、
と小さな歓喜状態は味わいました。
(あの歓喜状態はミニサイズでも味わえるのだと発見、笑)

ちなみに、アヴェマリアの2つ前に「いのちの名前」というジブリソングが
演奏されたのですが、この曲ではハイハートチャクラが
反応していたので(この曲は波動が高いんだ、と発見でした)、
その反応も、このときの小さなクンダリーニのエネルギー上昇を手伝ったのでは?!
と勝手に推測しています。

この音浴の日、家に帰ってから、
確認のためにアヴェマリアを再度普通の音源で聞いてみたのですが
(この曲は過去にも数えきれないくらい聞いたことあり)、
心は震えましたが、あの歓喜の状態にはならなかったので、
生演奏、生の音の振動というのは、わたしたちにダイレクトに影響してるのだな、
と実感しました。

歓喜の体験は、サンタフェという特別な条件が揃った環境での体験だと
思っていたけれど、他でも体験できるのだというのも発見でした。

おまけの話になりますが、
演奏最後の曲が、パッヘルベルのカノンだったのですが、
この曲を浴びてると、第2チャクラが思いきり脈動してました
(チャクラの反応はあくまでわたし個人の体感なので、
他の方の反応とは異なるかもしれません)。

カノンは第2チャクラを動かす曲なんだ〜!と思っていたら、
この曲が大好きで、この日の演奏曲の中でも最も感動したと感想を話していた、
チェロ音浴を主催したみきちゃん(https://www.instagram.com/miki_cocoro22/)が、
この日、第2チャクラ=オレンジ色の服を着ていたので、なんだか妙に納得した私です笑。

今後、このような皆の感性を開いたり、チャクラを活性化させるような深い体験を
ニューコラボで提供していけたらなと思っています。

そういう企画をされたい方(自分がやってもよいし、誰かを招いてやってもらってもよいし)、よかったらニューコラボに話をしにきてください。

毎月1回、N(エヌ)カフェというカフェを開いて、こういうのをやりたいとか、そういう話をしにこれる場をつくっています。

今月は、2月26日(水)です。お待ちしています。

3/5(水)に開催される「にじみ絵とスープのじかん」は、
そういう企画ではないかな〜と、なんとなく心がウキウキしています(私も参加するつもりです笑)。
ご興味ある方は:こちらのインスタ記事をどうぞ

先週の寒波、私の住むところは、↑15cm近く積もりました。降った雪に太陽の光があたるときれいです。

そのままのあなたで

ここ最近受けたメールだったり、人との会話のやりとりで、自分の中に上がってきたことを書こうかなと思います。

そのままのあなたでいいんだよ、みたいなことが言われます。

そして、この言葉を聞くと、ぐっと胸にせまる人も多いのではないかなと思います。

しかし、この言葉を聞きながら、

そのままのわたしでいい、って、どうやったら本当にそんなふうに思えるの?とか、

この言葉のようにありたいけど、実際には自分にどうやってこれを落とし込めばいいのかわからないという人も多いのではないかなと思います。

ということで、わたしが体験し探索?してきた ”そのままのあなたで、よい” とは、具体的にどういうふうにするのか!?について書きます。

そのままのあなた、とは、

いま、この瞬間の、

その瞬間の、

あなたを指していて、

いまのあなたを、自分で認めることが、

いまのあなたのままでよい、ということになります。

具体例をあげると、

友達といて、その人が言ったことに対して、「えーそれは、違うんじゃない」みたいにあなたが何か意見を言ったとします。

すると相手の顔がみるみる曇り、それを見て「あ、しまった、余計なこと言っちゃった….」と思ったとします。

こういうとき、すぐにその場で「ごめん、そんなつもりじゃ、なかった」と言ったとしても、そう言えなくて黙ったままになったとしても、いずれにしても、多くの人は、後から「あーしまった、なんであんなこと言っちゃったんだろう」みたいに反省することが多いと思うんです。

深刻に考える人なら、その晩中、自分にあれこれダメ出ししたりとか、
次にその人に会うときに、ああ言おう、こう言おうと考えつづけたり、はたまた誰かに相談したりして、すごく長引かせるかもしれません。

このケースで、

「そのままのあなたで、よい」を導入する時点は、

「あ、しまった、余計なこと言っちゃった….」と思ったときになります。


そこで、「余計なこと言っちゃった…..でも、これが今のありのままのわたしなんだ」と

認めるのです。

余計なことを言わないで済ませられた自分もいるかもしれない、
でも、言っちゃったのです。

事象として、そうなったのです。

だから、今の言っちゃったそのままのあなた、が、今のあなた、なので、それをよし、とするのです。

簡単にいうならば、
自分をジャッジしてることが、そのままのあなたでよし、としていないことになるので、
ジャッジしないで、単に、今、自分がしたこと、自分に起きてることをよし、とするのです。

もう1つ、時間軸が長めの例をあげると、

自分の体や顔のどこそこが嫌い、例えば、

あー、もっと目が大きくぱっちりとしてれば、と常々思ってる人は、

確かに目が大きかったら自分はもっと可愛かったかもしれないけど(汗)、

でも、今の自分はそうじゃないなら、その今の自分をよし、とするんです。

鏡をみて、あーなんか顔がぱっとしないな〜と思っても、
いまの自分は、その姿であるので、そのいまの状態を、よし、とするのです。

もっとそのうち可愛くなれるかもしれないけど、
でも、いま、目の前でみてる自分は、目が小さくて、
そんなに(自分では)可愛く思えないかもしれないけど、
その今の状態をみとめて、よし、今の私はこれだ、とちゃんと対面して、
いったん受け入れるのです。

それが、そのままのあなたでいいんだよ、ということになります。

私たちは、

もっとよくできるかもしれない自分、

本当は、もっとよい自分がいるはずだ、と

いま、”目の前にいる自分とは違う自分” を、探し続けています。

確かに、そうなる可能性がある自分がいるかもしれないし、

未来にそうなってる自分がいるかもしれない。

でも、それは、いま、目の前にはない、だから、ただ、それを認める、

いま、の状態に 抗(あらが)わない、ということなのです。

いまのあなたをそのまま認めたら、

その次には、何をしてもいいんです。

友達に言っちゃったことをなんとかしたいなら、
あやまってもいいし、

目が小さなことをなんとかしたいなら、メイクして大きくみせてもいいし、
眼輪筋マッサージ?してもいいし笑、

ただ、その何かを起こす前に、

いま、目の前の自分、そこから逃げたり、それを否定する必要はなくて、

いったんそのまま、今の状態を認めたら、

それでよしということなんです。

いまのそのままの自分をよし、としだすと、

思考の量が減ります。

すると、思考に使っていた無駄なエネルギーが減るので、全体的に軽くなります(つまり波動が上がる)。

そして、自分を責めなくなるので、人をも責めることが減ってきて、優しくなれます。

はー、楽ちん笑。

お店のお隣さんの駐車場に生えていた白い彼岸花、美しい!
昔はここは田んぼだったんだな〜(彼岸花は害獣など対策のために畦に植えられていたそうなので)。

Man proposes, god disposes.

できることをやるだけ、あとは神様にお任せする

日本語の言い回しでいうと、

人事を尽くして天命を待つ

と同じだと思います。

これに似た文章はフランスにもあるそうで、どの国や文化であっても、この生き方の秘訣にたどり着いたのでしょうね。

私は、今、ある場所をお借りしようとしていて、そのためのやり取りをここ1、2週間しています。

持ち主さんがいて、仲介者もいます。

当初は、とんとんとコトが運びそうだったのですが、仲介者さんが入ってから、雲行きが怪しくなり、昨日の時点で、当初お願いしたことはムリです、と言い渡されました。

がーん、となったのですが、なにかあきらめない思いが自分の中にあったので、

私がここで他に何かできることはないか….と、集中してみたら、ふっとあるアイデアが湧いてきたので、それを言葉にして当初とは少し観点の違う提案をしてみました。

今は、その回答待ちです。

昨晩は、どうなるのかな〜とフツーに思考でいっぱいでした。

朝、目が覚めて、窓から山の景色を眺めていたら、まさに表題の言葉が降りてきました。

それで、自問しました。

私は、この件に関して、何度も話にいったし、お互いにできるだけwin-winになるようにというのをベースに考えて、それを提案した。

だから、この件に関して、できることは、もうやった。

あとは、神様がどうされるのか待つだけ、結果がどちらであれ、私はそれを受け入れられる、と思いました。

昨日の提案でも断られたら、それが私にとってベストなことなのだと思えました。

(そしたら、また次に行って、それはきっと何かにつながることになる)

そう思ったら、窓から見える木々の新緑のように、心がスッキリしました。

何かコトがうまくいかないとき、状況に文句を言ったり、関係者を恨んだり、

はたまたうまくいかない運命や自分自身を憐れんだりしてるときは、

よーく吟味すると、そのときまだできることがあるのに、それをやろうとしていなかったり、

ちょっとやってすぐにあきらめて、まだ十分にやりきっていなかったりするときが多いように思います。

ということで、なにかうまくいかないというときは、他者や環境に不満を言う前に、今、自分ができることは他になにがあるだろう!?と自問してみるくせをつけるといいかなと思いました。

それは攻略法をみつけるゲームみたいなもので、他にできることがみつかったとき、うわっ、どうなるんだろう、それ、やってみようと思えるんじゃないかと思います。

実際、私が昨日他になにかできないかと集中したら、ふっと湧いてきたアイデア、それを提案したら、この事象はどう動くんだろう〜と思ったとき、ゲームみたいでちょっとワクワクしました。

先日訪れた、昔の大庄屋さんのお庭の飛石。私は、飛石をみると「人生の選択(ターニングポイント)」という言葉がいつも浮かんできます。

(姫路市林田町にある大庄屋旧三木家住宅です)

花と似てる

種から芽がでて、葉っぱや茎が育ち、ツボミがでてきて膨らんで、花が咲く。

花は咲くのがゴールじゃない。花の奥では種をつくり、有効な方法で種を他の場所に広げ、その後は葉を枯らしたりして身を小さくして、次のシーズンまで静かに土の中で潜んだりする。

これが宇宙が教えてくれる自然の流れであるなら、
同じ自然の流れの中にいるヒトも同じことをしているに違いない。

なにかで着想を得て(種)、それを葉や茎を伸ばすように大きくしようと動いて、
花が咲けるほどに成長すると、ツボミがでてきて、そして自分がしたかったことを実現したという花が開く。

人は花が開くというのをゴールのように捉えたりするけれど、このサイクルは自然の花のように繰り返され、やりたかったことを実現した後も、次に備えてしばらく休んだり、その体験で学んだ知識を整理したり、実現できたことに感謝をし身を低くしたりして、

それからまた次の種=やりたいことを育てていく流れに入っていく。

花が枯れて死んでしまうまで、自然とこの営みが繰り返されるように、人もこのサイクルを肉体が滅びるまで繰り返してると思う。

とても小さなことから大きなことまで、自分のやりたいことの種を育てて、その花を咲かせて実現するの繰り返しをしていると思う。

もし苦しいとか、うまくいってないと感じるとしたら、

花を休眠期なく咲かせ続けようとしていないか、

種を眠らせつづけて発芽させないようにしていないか、

はたまた、今は葉を落として静かにして学んだことを整理するときなのに、

すぐに芽をださなきゃ、花が咲いていないじゃないの、みたいに、成果の方だけを追い続けていないか、今、自分はどこにいるのか、みてみるのがいいかもしれない。

そんな今日の私は、庭のまわりに生い茂りだした雑草の中からカタバミを摘みながら、
私がやりたいなと思ったこと(複数あるけど)、それぞれ、どの段階なんだろうと考えてみました。

1つは、ツボミがみえてきたところだな、と思いました。

もう1つは、芽がでて葉や茎が育ってるけど、花を咲かせるにはまだほど遠いところだとわかりました。

いずれにしろ花は、自然の完璧なタイミングで咲いてます。

だから人も自然の流れにいたら、完璧なタイミングで花を咲かせられるはず。

カタバミ、とても綺麗な花だなと思います。
野の花摘んでいると、少女のような気持ちになる〜

「いま」にしかいれない

なにか問題が起きていたり、悩みがあったり、うまくいかないことがあったとしても、

それが過去に起きた問題であれ、未来に起こるだろう心配事であったとしても、

いずれにしろ、わたしたちがいることができるのは、「いま」しかない。

過去に起きた嫌な出来事を頭の中で回想しても、その過去の気持ちを味わったとしても、わたしたちは「過去」にいることはできなくて、「いま」にしかいれない。

「いま」にいながら、頭の中だけで過去を味わってるだけ。

明日の用事をあれこれ考えても、「明日」にいることはできない。

「いま」にいながら、明日のことをあれこれ、頭の中だけで想定してるだけ。

わたしたちは、どうあがいたって

「いま」にしかいれないのだから、「いま」にしか解決法はない。

もし、いま、問題や悩みや心配事があるなら、

「いま」できることはあるのか?

それを考える。

「いま」できることがあるなら、それを「いま」最大限にやる。

それしか、できることはない。

もし、いま、とくに困り事も悩みもないのなら、「いま」を味わう。

「いま」やってること、それだけに集中する。

座ってお茶飲んでるなら、お茶を味わいつくす。

人と話してるなら、その人とじっくり向き合って話を聞く。

歩いてるなら、体を通り過ぎる風を味わったり、聞こえてくる音を聞いたり、歩調を楽しむ。

どうやってみても、わたしたちという存在は「いま」にしかいられないし、

「いま」にしかいたことはない。

「いま」何をしてるのか、に意識を持つことにしよう。

もし、何かで苦しんでるなら、「いま」できることは何だろう?!

「いま」できることだけを、意識的に選択していこう。

「いま」できることだけをやったあとは、それがどうなるのかは未来のことなので「いま」考えなくてよし。

このところ、いろいろ考えることが多くなっていたせいなんでしょうね、今朝、上記のようなメッセージを受け取りました。感謝。

芝桜が地面を埋め尽くしだしましたね。

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「いま」にしかいないのに、頭の思考が「いま」にベクトルを向けることは実際とても難しいです。それでも起きている間、一度も「いま」にいれてないなと思う人は、エネルギーを過去や未来に使いすぎて、とても疲労してると思います。

「いま」にいれなくしてるのは、過去にこしらえたある思いへの執着であることがしばしば。その執着を手放して、「いま」に少しでもいるようにできると、もっと楽に生きられるようになります。執着=エネルギーブロックとも呼べますが、それは外すことができます。 カウンセリングやレメディを使って、執着を手放すお手伝いができます。

詳しいことはHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

波動の上げ方:「愛」を伴う反応の実例

波動をあげる具体的な方法は、

「愛」を伴った見方をする、「愛」を伴った言動をとる

です。

以下、具体例:

住む家をずっと探していたところ、「これはすごくイイ!」と希望にピッタリの物件をみつけた。

不動産会社に連絡をしたら、「あ〜、その物件は今もう契約段階に入ってるんで、ご紹介できません」と言われ、電話を切った。

この事象に対して↓↓↓

▶︎「愛」を伴わないどころか、恨みや怒りを放つ波動の見方と言動

「ったく、もう契約段階に入ってるなら、この情報ネットから削除しといてよ!」

「なんかの都合で、その先約の人、契約破棄にならないかな」

▶︎「愛」を伴わない見方と言動

「あー、もっと早く電話してたら、私にもチャンスがあったのかな、どうしてもっと機敏に動けなかったんだろう」

「あーあ、私にとってベストの物件だったのに、私はなんてついてないんだろう….」

▶︎「愛」を伴う見方と言動

「私よりもあの物件を本当に必要とした人がいて、その人が契約することができたんだ、良かったな」

「知らない人だけど、その人がぴったりの物件に巡り会えたことを喜ぼう」

▶︎さらに上級の「愛」を伴う見方と言動

「私でなく、その人が望むものに先に巡り会えたことを祝福します」

「その人が幸せで良かった、ありがとうございます」

「どんな人も、その人みたいに望むものに巡り会えますように」

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上記を解説するならば、

一番低い波動は、

起きた事象について他人のせいにしたり、他人を落としたり、批判する反応

そこまで低くないけど、高くない波動は、

他人に矢を向けないけれど、自分に矢を向ける反応
自分を責めたり、自分を下げたりする反応

高い波動は、

起きたことを良いこととしてただ受け入れる反応
他人に起きた幸せを自分のことのように喜ぶ反応
他人のことでも喜ばしいことが起きたことについて感謝する反応

さらに高い波動は、

自分のことより他人の幸せを願う反応
自他を問わずに、幸せな事象自体に感謝する反応
全ての人に対しての幸せを願う反応

という具合になります。

別の言葉でいうと、起きてくる事象に
どれだけ大きな愛を伴った見方と言動ができるかということが、
波動をあげることとリンクしています。

波動をあげていくというと抽象的で何を目指してるのかわからないけれど、
「愛」を伴った言動をしていくことで、「愛」を伴った現象がつくられ、「愛」が波及していく世界になっていきます。これからは、そんな時代になっていく流れだと思います。

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上記の例は、自分が今、やりたいことのために物件を探してるので、思いつきました。
昨日まさに、畑付きの素敵そうな物件をみつけて電話したら、契約進行中だった汗。

その伸び伸び過ごせそうな田舎環境の物件に、ぴったりの人たちが巡り会えたんだろうなと思ったら、私でなくて良かったなと思い、そう思ったら、波動が上がったのか、自分も本当に幸せな心持ちになりました。

もちろん電話で断られたときは「あー、遅かった!」と思いましたよ→波動低っ、笑!

アーモンドの花が満開中、アーモンドの実は今のところ1粒しかなったことない….
濃いめのピンクで香りも濃い、このピンクをみてると気分が上がります。

「愛」を持った見方をするのが、どうしてもできない方、あなたの温かいハートを閉じる出来事が過去にあったのだと思います。その出来事のときに閉じたあなたのハートを開きませんか。エネルギー療法でそのお手伝いをすることができます。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/