ワクワクしないのは

あなたが本当にあなたらしく生きるには、

内側からあがってくる衝動や、

ワクワクした気持ち、

これをやりたいんだという熱い思いに従って動いていくことが鍵になります。

このような話を講座やコンサルテーション中にすることがあるんですが、

先日、このことをふと自分にあてはめて客観的にみてみると……

私は、これはしたい、これをしよう、これ、どうなるんだろうみたいな内側からの衝動はあるし、それに従って動くようにしてるんですけど、

ワクワクという言葉にぴったりする叶えたいと思うこと、今、ないなって思ったんです(汗)。

ワクワクっていう言葉は、私にとって胸が高鳴るようなきゅーんと自分を思い切り上に引き上げてくれるようなイメージなんですが、それに匹敵するようなものがないなと気づいたのです。

内なる声とか衝動に従ってるのに、ワクワクに匹敵することがないとは、いったいこれはどういうことなんだろう?と、自問しました。

そしたら、

それは、あなたが叶えたいことが小さすぎるから

という言葉を受け取りました。

叶えたいことが小さすぎる、すぐに手が届きそうなことには、ワクワクしない

つまり、もっともっと胸が高揚してたまらなくなるような大きなことをイメージしなさい

ということだったのです。

! ! ! Oh My God

いや、ほんと、その通りでした。

いつ頃からなのか、私は自分が叶えたいことを常に小さく見積もってきていたように思います。

もう、このへんでいいだろう、みたいな感じです。

そりゃ、ワクワクしないよね。

なぜなら、ほぼ想定内のことを起こそうとしてるわけですからね。

上記の気づきのおかげで、その後、ワクワクする状態を妄想し尽くしました(笑)。

そしてそれに伴い、今、やることもはっきりみえてきました。

ということで、もし、ワクワクしていない人がいたら、

自分が心からワクワクしてくる、
自分がそうなりたい最もすごいレベルの状態を思い描いてみるとよいと思います。

波動がそれによって上がり、それに伴ったものが引き寄せられてくるはずです。

↑ 我が家にふらりと迷い込んできて、そろそろ1年経つアシュラム(♂)。
最初から我が家に暮らしていたようなくつろぎぶりです。
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ホメオパシーのレメディやエッセンスを用いるエネルギー療法をやっています。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

コロナ以降、zoomを使ったオンラインでのコンサルテーションをメインでやってきましたが、店舗を作り、対面コンサルテーションを復活?させようとしているところです。
実現できそうになったら、またお知らせします。

Man proposes, god disposes.

できることをやるだけ、あとは神様にお任せする

日本語の言い回しでいうと、

人事を尽くして天命を待つ

と同じだと思います。

これに似た文章はフランスにもあるそうで、どの国や文化であっても、この生き方の秘訣にたどり着いたのでしょうね。

私は、今、ある場所をお借りしようとしていて、そのためのやり取りをここ1、2週間しています。

持ち主さんがいて、仲介者もいます。

当初は、とんとんとコトが運びそうだったのですが、仲介者さんが入ってから、雲行きが怪しくなり、昨日の時点で、当初お願いしたことはムリです、と言い渡されました。

がーん、となったのですが、なにかあきらめない思いが自分の中にあったので、

私がここで他に何かできることはないか….と、集中してみたら、ふっとあるアイデアが湧いてきたので、それを言葉にして当初とは少し観点の違う提案をしてみました。

今は、その回答待ちです。

昨晩は、どうなるのかな〜とフツーに思考でいっぱいでした。

朝、目が覚めて、窓から山の景色を眺めていたら、まさに表題の言葉が降りてきました。

それで、自問しました。

私は、この件に関して、何度も話にいったし、お互いにできるだけwin-winになるようにというのをベースに考えて、それを提案した。

だから、この件に関して、できることは、もうやった。

あとは、神様がどうされるのか待つだけ、結果がどちらであれ、私はそれを受け入れられる、と思いました。

昨日の提案でも断られたら、それが私にとってベストなことなのだと思えました。

(そしたら、また次に行って、それはきっと何かにつながることになる)

そう思ったら、窓から見える木々の新緑のように、心がスッキリしました。

何かコトがうまくいかないとき、状況に文句を言ったり、関係者を恨んだり、

はたまたうまくいかない運命や自分自身を憐れんだりしてるときは、

よーく吟味すると、そのときまだできることがあるのに、それをやろうとしていなかったり、

ちょっとやってすぐにあきらめて、まだ十分にやりきっていなかったりするときが多いように思います。

ということで、なにかうまくいかないというときは、他者や環境に不満を言う前に、今、自分ができることは他になにがあるだろう!?と自問してみるくせをつけるといいかなと思いました。

それは攻略法をみつけるゲームみたいなもので、他にできることがみつかったとき、うわっ、どうなるんだろう、それ、やってみようと思えるんじゃないかと思います。

実際、私が昨日他になにかできないかと集中したら、ふっと湧いてきたアイデア、それを提案したら、この事象はどう動くんだろう〜と思ったとき、ゲームみたいでちょっとワクワクしました。

先日訪れた、昔の大庄屋さんのお庭の飛石。私は、飛石をみると「人生の選択(ターニングポイント)」という言葉がいつも浮かんできます。

(姫路市林田町にある大庄屋旧三木家住宅です)

花と似てる

種から芽がでて、葉っぱや茎が育ち、ツボミがでてきて膨らんで、花が咲く。

花は咲くのがゴールじゃない。花の奥では種をつくり、有効な方法で種を他の場所に広げ、その後は葉を枯らしたりして身を小さくして、次のシーズンまで静かに土の中で潜んだりする。

これが宇宙が教えてくれる自然の流れであるなら、
同じ自然の流れの中にいるヒトも同じことをしているに違いない。

なにかで着想を得て(種)、それを葉や茎を伸ばすように大きくしようと動いて、
花が咲けるほどに成長すると、ツボミがでてきて、そして自分がしたかったことを実現したという花が開く。

人は花が開くというのをゴールのように捉えたりするけれど、このサイクルは自然の花のように繰り返され、やりたかったことを実現した後も、次に備えてしばらく休んだり、その体験で学んだ知識を整理したり、実現できたことに感謝をし身を低くしたりして、

それからまた次の種=やりたいことを育てていく流れに入っていく。

花が枯れて死んでしまうまで、自然とこの営みが繰り返されるように、人もこのサイクルを肉体が滅びるまで繰り返してると思う。

とても小さなことから大きなことまで、自分のやりたいことの種を育てて、その花を咲かせて実現するの繰り返しをしていると思う。

もし苦しいとか、うまくいってないと感じるとしたら、

花を休眠期なく咲かせ続けようとしていないか、

種を眠らせつづけて発芽させないようにしていないか、

はたまた、今は葉を落として静かにして学んだことを整理するときなのに、

すぐに芽をださなきゃ、花が咲いていないじゃないの、みたいに、成果の方だけを追い続けていないか、今、自分はどこにいるのか、みてみるのがいいかもしれない。

そんな今日の私は、庭のまわりに生い茂りだした雑草の中からカタバミを摘みながら、
私がやりたいなと思ったこと(複数あるけど)、それぞれ、どの段階なんだろうと考えてみました。

1つは、ツボミがみえてきたところだな、と思いました。

もう1つは、芽がでて葉や茎が育ってるけど、花を咲かせるにはまだほど遠いところだとわかりました。

いずれにしろ花は、自然の完璧なタイミングで咲いてます。

だから人も自然の流れにいたら、完璧なタイミングで花を咲かせられるはず。

カタバミ、とても綺麗な花だなと思います。
野の花摘んでいると、少女のような気持ちになる〜

ダウンしてるなら、体を動かす

気分のアップダウンが激しくて、みたいなお悩みを聞きますが、

人はアップだけを望んで、ダウンしてる状態を良くないこととして嫌がり、避けようとします(自分も然り)。

嫌がるだけならいいけど、ダウンしてる自分をほじくり返して、ああでもない、こうでもない、自分はうまくできてない、こんな自分はどうしようもないと思考でさらにダウンしていく状態に導いてる人もいます。

ダウンというのは、エネルギー的にみるならば、その人の本来循環してるエネルギーが停滞気味のことを「体感してる状態」と言えます。

その人のエネルギーが澱(よど)み始めてる不快さを、「ダウンしてる」と感知してるわけです。

だったら、そこでさらにダウンに導くことをやめて、エネルギーを動かしていくのがよいです。

空気の淀んだ部屋の窓を開け放して、風通しをよくするのと同じ。

エネルギーを動かす最も簡単な方法は、体を動かすことです。

スポーツでもよいし、家の掃除でもよいし、少し早めに歩く散歩でもよいし、歌を歌うとかでもよいし、とにかく体を動かすことから、全体のエネルギーを動かすことができます。

今朝、起きたら、自分がダウンしてる感じがあり、これは何を教えてくれてるのでしょう?!と、問うたら、(メンタルについての答えが返ってくるかと思いきや)、上記の気づきを受け取りました。

まさに、今週は雨でいつものテニスができていなかったので、なるほど〜と唸りました。

私は毎日ヨガの呼吸法でエネルギー動かしているのだけれど、テニスをして大きくエネルギーを動かすことは、今の私のエネルギー状態にとって必要だったようです。

ということで、朝、この言葉を受け取って、すぐにゴミ捨てに颯爽と?でかけて(歩いて200mくらいのところですが)、外の空気を吸って深呼吸したら、もうダウンの感覚はなくなっていました。

↑青い空の下、蓮の間を延々と散歩したとき気持ちよかった(去年の7月のことですが笑)

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ダウンが大きすぎる方、なかなか抜け出せない方は、過去に自分がこしらえたエネルギーブロックという雲みたいなものを晴らすことができていないのかもしれません。

自分がつくったものは、自分で晴らすことができます。

エネルギー物質を使って、それを晴らすガイドができます。

興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

子どもの頃、どうやって遊んでた?

こどもの頃、ぶらーっと小学校の運動場にいって、

そこにいる子たちで遊んでた

何をして遊んでたかはっきり覚えてないけど….

校庭に一人で鉄棒してる子いたら声をかけて誘って、

引っ越してきたばっかりで隅っこで土をほじほじしてる子がいたら声をかけて誘って、

その日のメンバーで、その組み合わせで、その日にできあがる遊びが、楽しかった

女子らしく、いつもの2人や3人組でおしゃべりするより、近所の子たちだけで遊ぶより、そこに居合わせた子たちで、その日のメンバーの組み合わせで起こる、その日にできる遊びをするのは楽しかった

これが、わたしの遊びの原点だなと思う

私のダンナさんに子どもの頃の遊びを聞くと、

一人で絵を描くのが好きだったそうだ

彼は、当時貴重で皆の憧れだったディズニーなどのアニメの絵をトレーシングペーパーで写して、その絵をキャラクターごとに切り抜いてを小学校に持っていってたらしい

なぜなら、クラスの皆が、その絵をすごい欲しがって(ブロマイドみたいな感じ?笑)、当時流行っていたビー玉と絵を交換してくれ!となって……
彼はそのおかげでクラスでもっともビー玉を多くもっていた子だったらしい

彼は、今もこれと似たことをしている

トレーシングペーパー →  ペンタブレットに進化してるけど、

自分のインスピレーションにしたがって、自分で絵を描いて、それをSNSであげたり、漫画本を自費出版したりしてる

大人の言葉でいうと、

私の仕事は、とか、わたしのやりがいは、人生の使命は、なんて、もっともらしく語れるけれど、

わたしたちが大人になってしてることや、したいことは、

こどもの頃の遊びの大人バージョンだと思う

なぜなら、それが、わたしたちの内側のピュアな喜びのエネルギーから起こってることだから

それが子供なら「遊び」と呼ばれ、大人になると、それが「仕事」とか「使命」なんて呼ばれる

ということで、わたしも、こどものころの遊びを再度やろうとしています

声をかけて、そのときのメンバーで、”いま”を楽しむ遊びの場をつくること、

カタチになってきたら、一緒に遊びたいひとに声をかけます〜

↑ AIが描いてくれました、ここに皆で寝っ転がりたい

あなたの中のリーダーシップを取る

表題は、今日受け取った言葉です。

あなたがやると決めたこと、やりたいこと、それを進めていく過程で、

あなたの中に起きてくる迷い、ちょっとした弱気、しなくてもいいかというような怠け心 etc….,

そういうあなたの中のモヤモヤしたものたちも引き連れながら、

あなたはあなたの中でリーダーシップをとって、

したいことに向かって進んでいくことが、あなたの中のリーダーシップを取るということです。

リーダーシップは、人といるときに取るだけじゃなくて、
自分の中でも持つことができる、というメッセージ。

あなたがあなたの中でリーダーシップを握ったとき、
あなたの中には太い柱のような芯ができ、そこにエネルギーが流れ、
すると必ず天からの手助けが降りてきます。

天からの手助けが先ではなく、あなたの中のリーダーシップが先なことを忘れずに。
(なにか良いことが起きたからやろうか、ではない笑)

そろそろ、私の住んでる山間部でも水仙が咲き始めています。

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自分の中のリーダーシップをとりたいけど、
そもそも自分はなにがしたいのか、何を決めたらよいのかがわからない人は、
本来の自分以外の波動に影響を受けたままでいるかもしれません。

本来の自分以外の波動というのは、具体的にいうと親の価値観だったり、世間で良いといわれてるものが良いという思い込みなどから作られます。
そういう不要なものをはずしていくと、本来の自分を取り戻していくことができます。

レメディやエッセンスなどを使って、あなた本来のものではないものを外していけます。ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

苦しいなら、感謝の言葉を唱えなさい

降りてくるインスピレーションを「受け取った言葉」として、頻繁に外に出していこうと思いながら、自分のメモに書き込んだところで完了してしまっています…..

とりあえず、できるだけアウトプットしよう!ということで、
つい先日「受け取った言葉」を記事にします。

そのとき、私に起きていたことは、ある人から意見を受けて、自分の思惑通りにいかない状態でした。

この出来事は何だろう?と思いつつ、片方で私のマインドはその意見に左右されていて、私はとても苦しいなと感じていました。

その出来事自体は、そんなに問題ではないことは(いずれにしろうまくいく)わかっているのに、心がなんだか苦しいと感じていたのです。
はーっとため息をつきたくなる、いや、実際、ため息をついてました。

そしたら、表題の言葉を受け取りました…..

そうだ、私は意見をくれたその人のことに頭を悩ませていたんだ(ネガティブにとっていた)、いや、そうじゃなくて、その人に感謝をしよう、と思いました。


XXさん、あなたがいてくれて、本当にありがとうございます。

この出来事を起こしてくれて、


私に何かを教えてくれて、本当にありがとうございます。


と、手を合わせて心の中で唱え終わると、
すでに、私の中の苦しさは、なくなっていました。

わたしの中に残ったのは、感謝の気持ちと心地よさ、その人への愛おしさ、でした。

その人の必死さ、わたしにエネルギーを使ってくれて、かかわってくれたことへのありがたさで、私の中は満たされました。

感謝の言葉を唱えたことで、

自分の中で起こったネガティブな波動を、

感謝の波動に転換できた
のだと体感しました。

これは、もう魔法です笑。

感謝というエネルギーを使った波動の転換、誰にでもできると思います、お試しあれ。

今の時期に咲くフリージア。この香り、ずっと吸い込んでいたくなります。

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感謝の言葉を唱えたくてもできない、そんな特定の相手がいるとき、
あなたの中にエネルギーブロック(雲のような固まり)が残っています。
そんなものを自分の中に持っていても、ただ苦しいだけです。

お掃除と一緒です。そのブロックを外す作業を一緒にしませんか。

ご興味のある方は、エネルギー療法のHPの方へどうぞ:

https://arnicahomeo.com/

苦しくなる2つの理由

エネルギー療法という名称で、私がやってることは、

人を苦しく感じさせる「エネルギーブロック」をあなたのエネルギーフィールドから外すことです。

エネルギーブロックとは、過去の体験の中で(過去世も含む)こしらえてきたマイナス波動を発したままのエネルギーの塊のようなものです。

それはまるで黒い雲や石の塊ように、その人のエネルギーが流れていくのを邪魔していて、その滞ったエネルギー状態を人は苦しいと感じるのです。

これらのエネルギーブロックは、マイナス波動をポジティブに変換していくことで、解消することができます。

しかし実はこれに加え、もう1つ、人を苦しくさせているエネルギー現象があります。

それは、その人の内側からあがってきた(ソウルから伝達された)情熱といいましょうか、衝動といいましょうか、ひらめきとして受け取ったエネルギーを、外に向かって放射しないという現象です。

簡単にいうと、インスピレーションや ”やる気” が内側から湧きあがってるのに、それを外の社会で実際にアクションにうつさない状態を指します。

行動しないまま、その湧き上がるエネルギーを自分の内に置いたままにしてる状態です。

そうすると、そのエネルギーは行き場がなく、それがいわゆるフラストレーションと呼ばれるものになり、人は苦しく感じるのです。

湧きあがる泉が、外に向かってこんこんと流れていくように、

その人の内に湧きあがったエネルギーも、外に向かって放射されていくのが自然な流れなので、それを止めると、その人は苦しいと感じることになるのです。

このようなエネルギーがいわゆる「未完了の体験」と呼ばれるもので、その人のエネルギーフィールドに溜まっていくことになります。

ということで、

過去にためたマイナスのエネルギーを解消していくことも地道にこなしながら、

同時にわきあがってくる内側からのインスピレーションは、外の世界で行動に移し、

実現していく(エネルギーを完全に燃焼する)のをお勧めしたいです。

それには、自分の内側から受け取るインスピレーションを信じることもとても大事になってきます(こんなことできないよとか、思考でジャッジしない)。

かくいうわたしも、ただいま、インスピレーションを外の世界での実現に向けて動いているところで、このエネルギーを存分に放射したいです。

一人一人が内側のエネルギーを発光させた世界、星空のように綺麗でしょうね。

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過去にこしらえたマイナス波動(苦しみ、憎しみ、恨み、悲しみ、自己憐憫など)の解消が難しいと感じる場合は、カウンセリングやレメディというエネルギー物質を使って、その解消のお手伝いをすることができます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

全てを愛せる

12月12日、夕方近くに帰ってきて空を見上げたら、雲の動きと背景の空になんだかとても心ひかれたので、しばらくただ見入っていました(写真もとりました) ↓

その後、家に入り1件のメールを送り、夕食の準備をしながら、そのメールの内容について思い返していました。

内容については長いので書きませんが、
「そうだ、今世で人間最後かもしれないから、もっと十分にこの人生を味わいつくしておこう….」なんてことを考えてました。

そしたら、そのとき、自分の中に…..

「全てが貴重! 全てが愛おしい!」という言葉がはっきりと湧き上がってきて

続いて、

「 全てを愛せる! 」 という言葉と、それに伴う強い思いというか確信のようなものが溢(あふ)れてきました。

自分の内側に何の揺らぎもなく、「全てを愛せる」と明言できる、そんなはっきりした感覚でした。

この言葉を口に出して人前で言ったとしても、

恥ずかしさも、空々(そらぞら)しさも微塵もなく、堂々と宣言できる、
いっさい嘘のない、そんな強い感覚です。

「ほんとうに、全てを愛せる」と、また言葉があがってきて、

胸がいっぱいになって、涙があふれてきました。

それまでは飼ってるニャンコは愛しい、家族も愛しい、でも、視界に入る整っていない部屋や、年末の大掃除を待ってる埃(ほこり)は嫌だ、と思っていた自分だったのに、

その埃を掃除していない私のだらしなさも、その埃すら、私は愛せるとはっきり思えました。

夕食準備の前にネットニュースでちらっとみた、裏金でワケのわからない答弁をしてる政治家のことももちろん愛せると思いました。

愛せるというのは、好きか嫌いかとは違う感覚です。

さっきネットニュースでみた政治家は私は好きではない、むしろ嫌い、でも愛せると思ったのです。

”愛してる” でもなくて、”愛する”でもなくて、「愛せる」です。

私が感じていた「愛せる」というのは、あえて言葉にするなら、そのまま認める、受け入れる、ゆるすみたいな表現だと思います。

そんな感じで、この世の聖なることや、優しい、美しいことだけでなく、汚いこともずるいことも、とんでもなくおぞましいことまで全てを愛せる、という確信で胸がいっぱいになりました。

私のハートの中にこの世の全ての善も悪も迎えてあげることができる、ハートが裏返って全てを包み込む、そういうイメージも出てきました。

そして、その後も幸せな感覚で満たされながら夕食を終えて数時間したとき、ある用事をふと思い出しました。

仲良しのご近所さんと年末に忘年会をするので、ある居酒屋さんを私が予約することになっていたのですが、まだやっていなかったのです。

私はその居酒屋さんに今夏に旦那さんと行ったのですが、食事は美味しかったけど接客とお勘定にあまり良くない感じを受けたので(行き過ぎた儲け第一主義を感じた)、実はあまり行きたくないなと思っていたのです。けれど、ご近所さんがそこを希望するので、じゃ、ま、それでいいかと場所はそこに決まっていました。

年末近くなってきたので早めに予約しないといけないのに、今夏のことを思い返して、なんとなく嫌だなと後回しにしていたのです。

でも、そのとき、「あれ!?私、全てを愛せるよね」と自問したのです。

そしたら、そのお店の「闇」のような部分も、店主さんの納得いかなかった今夏の態度も「そういうの全て愛せるわ!」とすぐに思えました。

「そうだ、何が起きても愛せるわ」と思って、すぐに電話をし、そして心地よく予約がとれました(しかも電話にでたのはその店主さんだった)。

この電話で、「愛せるならば、つまり何も怖くないんだ」と深く腑に落ちました。

何が起きても愛せるのだから、何が起きても平気なのだとわかったのです。

つまり、逆で、何かするときに避けたり、嫌がったり、怖がったりしてるのは、

自分が嫌な思いをしたり、傷つけられたり、心を痛めると思ってるからなんだ、

自分が起きる出来事を愛せないと思ってるから、そういう反応になるのだと気がつきました。

なんでも愛せる、なにが起きても愛せるというのは、最強の感覚です。

この日の私に起きたことは、ハートが完全に開いた体験かもしれません。

ハートは閉じたり、開いたりするから、また閉じるのかもしれませんが(苦笑)、でもあの何も怖れるものがない、全てを愛せる感覚、二度と忘れたくないなと思いました。

この日以降、心が少しでも曇る出来事が起きたら、

「愛せる?」 「問題ない、愛せる〜!」の自問自答の日々です(笑)

あの日、12-12のゲートウェイだったから、エネルギーが多く届いていたのかもしれません。

沈黙の日

あのマハトマ・ガンジーは、毎週月曜日を「沈黙の日」として、

何も話さない日をもうけていたそうです。

もし、その日に誰かが彼を訪ねてきても、ガンジーは沈黙を守り、紙と鉛筆で筆談をして対応していたらしい。

沈黙の日をもうけたのは、多忙なガンジーが手紙を読むための時間だったそうですが、そのうち、この沈黙の時間が自分の精神にはなくてはならないものになった、と本人が語るのをある本の中で読みました。

食べる回数を減らすファスティング(断食)や、

物を減らす断捨離と同じように、言葉を減らす沈黙の日は、

わたしたちに何かを教えてくれるのだと思います。

そうはいっても、1日中沈黙するのは日常生活上なかなか難しいように思うので、

夜寝る前の2時間ほどを沈黙タイムとしてお試し中です。

沈黙しだして、すぐにわかったのは、言葉を使わないコミュニケーションはとてもシンプルでもどかしいどころか逆に心地がよいということです。

私と寝る前の2時間でコミュニケーションをとるのは、我が家ではダンナさんだけなのですが(沈黙すると事前に説明済み)、

しかも、その時間に取り立てて、私たちは話し合うこともないので(苦笑)、

目が合ったら、ただにっこり笑ったり、静かに会釈や手振りで意思を示してみる……

言葉がない分、相手の目や表情、全身をしっかりと見るので、相手のそのときの真の状態をきちんと感じることができます。

”誤解”というのは、言葉によって起きてることなんだなと改めて思いました。

なにか相手に伝えたいときに選ぶ言葉や、それを受け取ったときのイメージというのは各々がもつ価値観や感覚によって異なるので、言葉に重きを置きすぎてることが、人間関係の主要な問題ではないのか、などと思ったりもしてます。

また、沈黙してみると、自分が言葉を話そうとするときにいかに気をつけていたり、気を張っていたのかにも気づきました。

相手にわかりやすい言葉を使おうと思っていたり、誤解を与えない言葉を選ぼうとしていたり、そもそも無駄な?カラ元気な?会話→ 本当はそこまで話したくもない会話、そんなこともしていたなと気がつきました。

私が黙ると、ダンナさんも黙る、とても静か…..

1日の終わりにこのような静かな時間を持てると、日中の活動でかき混ぜられた自分のマインドが静かに沈殿していき、まるで波紋がなくなった湖のような静かな感覚になります。

沈黙タイムは、瞑想に匹敵すると思います。

↑ 姫路に住んで10年経つけど、まだ訪れていなかった書写山。
今年やっと紅葉が綺麗な時期にいくことができました。