ニューコラボができるまで 4

3の続きです。

降りてきた言葉を具現化していく流れで、
一時託児に関することをやろうとしていたみきちゃんも加わることになったわけですが、その兼ね合いにより、ニューコラボの物件探しが迷走していきます苦笑。

しかし、同時に、このことによってニューコラボがどういうものになるかの構想がはっきりしました。

一時託児をやるひと、かなこさんやあきこさんは自分たちがちが興味をもってる社会/市民活動に関することをやればいいし、私はわたしの活動を、そして飲食関連のことをやりたいひとはそれをやればいい、そんな感じで、それぞれのやりたいこと、好きなこと、才能を、今いるメンバーだけでなく、他の人たちも同様に使える場所にすればいいんだ!というカタチが決まりました。

物件探しについても、今、振り返れば、あれは迷走ではなくて、そうなるべきものに導かれていく流れだったのですが、当時は、ログハウス物件にすっと決まると思っていたので、そうならなかったことで動きが停滞したように見えていました。

ログハウスに決まらなかった第一の理由は、市街化調整区域での保育事業が認めらていないからでした。購入をする前に担当部署に電話で確認をしたら、その市街化調整区域では保育事業は認められていないと言われ、断念しました。

ここから物件探しが少々難しくなりました。
わたしの第一希望もそうでしたし、託児のことも考えると尚更お庭もあってのんびりした場所というフォーカスになったのですが、そういう場所は例外なく市街化調整区域なので、あー、これいい!とみつけても、あ、やっぱり市街化調整区域ね…みたいな感じで何も進みません。

そこで、これは何かに気がつかないといけないなと思いました(望むことに近づけないのは、違うレーンにいるからなので)。

それで、市街化調整区域=無理、という脳内の図式を、
〇〇と〇〇をすれば、市街化調整区域でも可能という図式に変えられるように、
実際に役所に出かけ、具体的な指南を受けることにしました。

市街化調整区域の建物で何かしようとすると建築基準法がかかわってくるわけですが、
簡単にいうと、私たちがしようとしてることに既存の建物の用途変更が可能か、というのが焦点でした。(売却中の古民家が居住用として建築されてるなら、それを飲食店や保育事業という用途に変更が認められるかが鍵)

ターゲットエリアにしていた加古郡と加古川市の担当部署を両方まわりましたが、
簡単にまとめると回答は:
私たちがやりたいことを叶えるには、
2種の業種について用途変更を同一建物内で申請することになる
そのためには建物や敷地内で境界線を明確に設ける
そしてそれぞれについて用途変更の許可申請をする
つまり測量&建築図面もそれぞれについて作成し提出しなければならない、ということでした(それをしても許可がおりるかはわからない)。
さらには、福祉条例の関係で、建築指導課にも届出も必要ということまで言及され、手間や費用としてのハードルが、自分達には高すぎることがはっきりとわかりました。

この日、1日どっぷり役所で相談したり、話をしましたが(職員食堂でお昼まで食べた笑)、この日のおかげで出てきた結論は、

市街化調整区域を、選択肢から外す

でした。

はー、すっきり。

作成しないとならない書類の手間や、測量などのコスト、それをかけてまで市街化調整区域の古民家にこだわる理由は、わたしにはない、とはっきり認識しました。

ということで、さらに選択肢のフォーカスが絞られたことで、一気に動きが起きました。

役所をまわって市街化調整区域をあきらめたのが3月5日、
今のニューコラボの物件と出会ったのが、4月28日でした。

この間、3つの物件が候補となりました。

どの物件も、よし!と購入を進めたのに、進めた途端にダメになるという漫画みたいなことが起きました。
はっきりと、神さまに、No !そこじゃないって、と言われてるのをヒシヒシと感じて、
非常に面白かったです。

その3つの物件の話は、コチラへ → to be continued ニューコラボができるまで 5

昨日の夕焼けとネコ。ゆらめく炎のようでした。

ニューコラボができるまで 3

2 の続きです。

市街化調整区域でお店をするには、測量&建築図面の作成をしなければならない、でも全くやる気が湧いてこない、そして一緒にやってくれる2人も他の活動を始めたこともあり、カフェ&クリニック構想は、そのまま流れていったような状態になりました。

その辺りから、私の方は腸内細菌レメディプログラム、パワーストーンレメディプログラムというレメディを使ってボディチャクラを順番に浄化していくプログラムを始めていたのですが、

その過程で、完璧な内なる平和の感覚を体験することがあったりして、それを機にエンライトメント(いわゆる悟り)に向かって集中していく流れにのっていました。

外側の事象の獲得でなく、内側の平安を目指しだすと、物質的に何かを成し遂げたり、成功するとか、そういうことに興味がなくなっていくせいなのか、無気力になりかけてました。

もう何もしないまま、静かに過ごしたいみたいな気持ちで、その頃は自分がやってる仕事を ”エネルギー療法” と呼んでいましたが、それももうやめて心静かに暮らしていこうかなとぼんやり思ったりしていました。

しかし、私がそうなるには、まだまだ未熟すぎたようで笑、静かに隠居する思いを実現させてもらえる流れにはならず、その代わりに悟りについて自分が探求してきた知識や体験をシェアするコンシャスミーティングというのを始めることになりました。それが2023年でした。

そして、今年2024年になったときです。

カフェ&クリニック構想のことは時折考えることはあったのですが、その火は、ほぼ消えていたと思っていたのに、そこに再度、火が灯されたのでした。

それは、1月28日の夜でした(メモってた笑)。

ふと、本当に、ふと、
あ〜、あのやりたいと言葉に出したカフェ&クリニック構想の種を刈り取らないことには、わたしの人生は終われないんだ、と、自分の内側と思考がつながったのでした。

観念した、という感覚だったかもしれません。
はい、もう、やります!と思いました。

(この思いに至るには、当時、第7チャクラの浄化していてことも関係あったと思います、が、決断したのは、この一瞬でした)

そして、次の日に、カフェ&クリニック構想を再開させることについて、
かなこさんとあきこさんに連絡をしました。

そしたら、すでに自分たちの活動で忙しかったにもかかわらず、
2人とも、自分ができる範囲で一緒にやってくれると答えてくれて、
そこから、計画はどんどん進んでいきました。

1/29に再スタートすると決まってから物件を探し、
お店のリフォーム工事が終了して実質的にオープンできるようになったのが 8/29なので、
7ヶ月で、全てが完了したことになります。

内なる自分の衝動と、それを現実世界で動かす外側の自分のフォーカスが合致したとき、事象はあっという間に進むのだなと思います。

ここから、再スタートの具体的な過程について書いていきます。

物件探しを再スタートしたとき、場所については数年前の学びがありましたので、
今回は 加古川or加古郡という地域にだけ絞って探すことに決めていました。

そして再スタートして探し出した2日後に、これだ!という物件をみつけました。

稲美町のログハウス物件でした。
そこも市街化調整区域でしたが、過去の福崎の物件のおかげでその知識も獲得していたので、そこは冷静でした。

そのログハウス物件は、前のオーナーが建築段階から市街化調整区域での飲食店営業許可をとっていたので、正式な図面も存在しますし、カフェをやるなら、そのまま引き継げば、こちらは営業許可をとる必要もないことまでわかっていました。

むしろ、この時点での問題は、以前のカフェ&クリニック構想よりもさらに発展したことをしようと考えていたので、実際にそれでどういう店舗にするかということでした。

運営をする3人が誰も飲食物提供が得意でないので(汗)、カフェをメインにすることは違うよなということだけがわかっていました。

ただ、そこは物件を購入してから考えたらどうにかなるよなとこの時点では思っていて、この流れでいくと、ログハウス物件を購入することになるだろうと私は思っていました。

ところが、この物件を発見した夜にいつものように瞑想をしていたら、
「物件は保育事業に貸すのがよい」という言葉が降りてきました。

その受け取った言葉にへーっ?!と思いながら、具体的にやることについて考えが決まっていなかったので、保育事業も一緒に組み合わさるなら場所が活性化されるし、そこで部屋代も発生するのなら、運営としてはとてもよいことだなと思いました。

とりあえず、私が知ってる保育事業をしてる人は、ころあいさん(ニューコラボができるまで 2 に出てきます)だけだったので、
ころあいのゆりこさんに電話をかけて、その物件を見に行ってもらいました。

そんな電話を受けたところで、物件、見に行け?!なんでやねん?!という感じなんでしょうが苦笑、突然のそのわけのわからない私からの電話を受けて、ゆりこさんは、その物件をその日にすぐに見に行ってくれたのでした。

フツーなら、「落ちついてください、まず順を追ってどういうことか説明してみて」となると思うので、あのとき詳しいことも尋ねずにすぐに動いてくれた彼女は、やはりただモノではないなと後から改めて思いました笑。

物件は見に行ってもらったのですが、当然ながらころあいさんがそこを借りる理由もなく、また必要もないので断られ(笑)、いったい、あの降りてきた言葉は何だったんだ?!と思って、その一連の流れをかなこさんに話したら、ちょうど保育をするので事務所みたいなのを探してる人いるよ、と教えてくれました。

しかも、その人は、わたしも知ってる人で、当時私の講座も受けてくれていた
ママの木という活動をしているみきちゃんでした。

あー、保育事業をする人に貸すといいという言葉は、そっちのことだったのか!!と
合点がいき、早速、みきちゃんに連絡をとりました。

それが、今、ニューコラボの和室で、一時託児事業を提供しているフェルマータさんにつながっています。

→ to be continued ニューコラボができるまで 4

コスモスと猫、カワイイもの同志。


ニューコラボができるまで 2

1の続きです。

資金については、ダンナさんと具体的になったところで再度もめるかもと思いつつも、物件探しに進んでいきました。

正直、この時点で、どの場所にするか、自分の中で明確に決めていませんでした。

みつかったものにしよう、みたいな感覚でしたが、自分の奥の奥をのぞくならば、
「場所はどうしよう….」という迷いがありました。

この奥に迷いがある状態で、物事を引き寄せることはできませんので、どう考えても、あの時点で自分たちに合う物件をみつけることはできなかったよな、と、後で思いました。

場所を絞れなかったのは、私が姫路市安富町というところに住んでいて、一緒にやってくれると答えてくれたかなこさんとあきこさんは、加古川、加古郡に住んでいたからで、

双方の距離は、車で1時間強、離れています……

この頃、思っていたのは、双方にとってちょうどよい場所、つまり距離が
真ん中くらいだといいのかな?というようなことでした。
しかし、このような折衷案というのは、実はどちらのメリットにもならないことに、後で気づきました。

お互いの中間地点にすると、両方の利便性をただ削(そ)ぐだけで、
誰の旨味にもならないということだとわかったのでした。

双方が1時間かかる距離の真ん中地点を選んだとして、
それぞれが30分づつかけて通勤したとすると、それはまるで数値上は平等のようにみえるけれど、お互いがそれぞれ30分を削ってるだけ。

100を50 にわけて減らすより、どちらかでもいいので、誰かが100のメリットを受けてるなら、それはメリットなのだと、のちに気づきました。

今のニューコラボの場所を加古川、加古郡方面にフォーカスしたのは、そういう考え方の転換をしたあとでした。

と、ここでも、ニューコラボについてよく質問されることの1つが、
「あなたは姫路に住んでるのに、どうして稲美町なの?」です。

手短にいうと、稲美町に縁があったから、という答えになりますが、
少し長く言うならば、稲美町に「ころあい自然楽校」という施設があり、そこの運営者のゆりこさんとつながった縁により稲美町に導かれた、です。

運営をやってくれてるかなこさんやあきこさんも、ころあいさんを通して出会いましたし、どこの馬の骨ともわからない(この表現は死語?!)私を、ホメオパスにしてくれたのは、ころあいさんを通して出会ったお客様の方々でした。

私は、HP や Blog記事、途中からInstagram はやっていますが、対外的な広報活動というのを、ほぼしてこなかった人です(やる気が起きてこないという理由により….)。
そんな私がホメオパスとしてやってこれたのは、ころあいさんのおかげが9割だと思っています。

ころあいさんとの最初の出会いは、発酵つたえ士として有名な米種花(コメシュカ)のきくこさんからでした。

東京から越してきて、どうやってホメオパスとして活動しようか〜と考えあぐねていて、HPとBlog以外にもさすがに何かしないと、この地での動きは起きないよなと思っていたので(当時Instagramは日本ではまだリリースされておらず、facebookも認知度低かった)、自分を奮い立たせてハガキサイズのチラシをつくり、何軒かのお店に置いてもらったことがありました。

きくこさんは、その希少な(笑)ハガキちらしをみつけてくださり(太子町のネパール料理のお店で)、きくこさんの工房でホメオパシー講座を開催してもらったときに、ゆりこさんがそこに来てくださったのが縁の始まりでした。

最終的にニューコラボの場所選びを稲美町にフォーカスしたのは、
私をホメオパスというものにさせてもらった地域に、それを返したいと思ったのが大きいのと、運営を手伝ってもらうかなこさんとあきこさんが通いやすいから、そのメリットを100のまま生かすことができるという現実的な理由、それがどちらもかなうことになるからでした。

前置き長くなりましたが、ここからやっと具体的な物件探しの話です。

そういう感じで、最初は場所を迷いながら、物件をみていきました。

自分が希望していたのは、住宅街とか都心の混み合った場所ではなく、
畑や田んぼに近い、庭が広い物件でした。

予算は1.000万。

この条件に該当するのは、いわゆる古民家と呼ばれる物件になります。

一番最初にみたのは、加古川の北部などでした、志方町とか。

中間地点として、加西市の物件なども見に行ったりしましたが、

あまり、ピンとくる物件には出会えませんでした。

そんなとき、ふと、私、古民家より洋館みたいな方が実は好きなんだよね(長崎生まれでグラバー邸みたいなのが好き)という思いに気づき、
古民家だけでなく、洋館風の現代住宅にも間口を広げてみました。

するとすぐに古いけれどよい感じの洋風の建物がヒットしました。
物件の場所は、神崎郡福崎町。

家は洋風で、駐車場となる庭も十分にあり、目の前には田んぼがひろがっていて空が広々と見渡せる物件で、しかもすぐそばに小学校があり、非常に感じのよい場所でした。

これは!と思い、具体的に話をすすめようと、

ここは住居でなくお店で使いたいんですと、案内してくれてた不動産業者さんに話すと、

その若い男性の顔はみるみる曇り、

「店ですか?!無理です、ここは市街化調整区域の地縁者住宅ですから」とおっしゃり、

あー無駄足踏んだ!といいたげな動作で、すぐに撤退の準備を始められました汗。

いやーお恥ずかしいことに、私、この時点まで、市街化調整区域というものが、よくわかっていなかったんです(苦笑)。

*市街化調整区域は、市街化させないために商業施設や住宅を建築しないように都市計画法で定めている地域

ガーンとなった私ですが、帰宅後、え?じゃあ、なんですぐにピンとくる物件にであったんだろう?この流れは何?と、自問しつつ、市街化調整区域について調べました。

そしたら、その不動産業者さんの男性からちょうど連絡が来て、
私が買う気を出していたから考えてくれたのか?、
帰社してから、市街化調整区域でお店を開くことについて自分でも調べてくれたようで、完全に不可能ではなくて、条件を満たして許可をとれば開業する道があるようです、と教えてくれました。

この流れは、それで動けということだなと、近日中に具体的なことを知るために、役場に行きました。

役場の担当部署の方は、とても親切で、お店をそこでやろうということにとても好意的でした。市街化調整区域ということで地域を活性化できてない実情もあるから、そういう話はサポートしていきたいんです、ということまで言ってくれました。

物件の場所を詳細な地図で確認してくれて、何をすればお店として開業することができるかを教えてくれました。不動産業者さんが言ってくれたように、それらの条件をみたすことができて、認められれば営業許可がとれることもわかりました。

都市計画法と建築基準法に定められた基準をどちらも満たす必要があるのですが、
まずは、リフォームするとしても既存の建物の正式な建築図面が必要というのが、最初のハードルでした。

物件は古い建物で最初の持ち主さんは亡くなっているので、建築当時の図面は紛失してることは知っていました。

だとしたら、私が業者さんに依頼して測量してもらって建築図面を作成しなければならず、まずは、それは幾らだ?!となりました。

役場で業者を紹介することはしてないと言われたので、
帰宅してネットで調べると、30〜40万円くらいかかると出てきました。

まだ購入していない自分のものではない物件について建築図面を作成し、しかもそれで営業許可が降りるかどうかは不確定、それでその金額を使うの?!というのが、そのときの正直な心の声でした。

一応、周辺の建築屋さんや、測量してくれそうなところも探したりもしたのですが、
自分の心というのは、本当に正直な動きをするもので、
その後、いくら待っても、あの物件の建築図面を作成しようというエネルギーが内側から湧いてきませんでした。
全然、内側から力が入らなくてふにゃふにゃしてる感じでした。

今、思い返すと、それは内側からの(魂からの)波動と合致していなかったから、
動きが起きなかったのですが、当時はやる気を起こせない自分のことを、チャレンジすることに弱いのかも、などとジャッジしてました苦笑。

そして内側からエネルギーが湧き上がってこないので動きようがなく、物件探しはこの時点でストップしていくことになるのですが、
その頃、一緒にやってくれる予定のかなこさんとあきこさんにも動きが起きていました。

2人とも、社会活動というのか市民活動のようなことをやり始めた時期でした。
(かなこさんはこども食堂、あきこさんはコープ自然派さんの理事になった)

それを知って、そうか、2人はそういうことをやることになっていたんだ、
私のカフェ&クリニック構想を伝えてから、そっちに動きが起きてきたということは、
2人がやりたかったことがはっきりしてきたんだなと思いました。

私の当初の目的の1つが、それぞれも自分でなにかやる、だったので、
カフェ&クリニックが作られる前に、それが起きたのなら、もう目標達成したようなものだなとも思いました。

という感じで、このカフェ&クリニック構想は、いったんここで頓挫します。

→ to be continued ニューコラボができるまで 3

先日みかけた不思議な空。雲の水平な隙間から光が漏れていました。







ニューコラボ ができるまで 1

加古郡にニューコラボというレンタルスペースを作ったところですが、
先日のOPEN DAY (誰でも見に来てくださいの日)では、私と同じようなスペースを作ろうと考えてる方々も来てくださって、お店をつくっていく過程のことに対していくつか質問を受けました。

人は、誰かと同じようなインスピレーションを受けとったり、似たような目的を持つことがあります。なぜなら、私たちは何かでつながっている存在なので(ソウルグループが同じだったりとか)、どこかで影響しあいながら似たような動きが起きるのです。

私がレンタルスペースを作ることになった過程を書くことが、そういう同じことをしようとしてる人たちの何かになるかもしれないし、自分の備忘録にもなるので、これから「ニューコラボができるまで」のストーリーを何回かに分けて書いていこうと思います。

ということで、1回目です。

一番最初に、私がインスピレーションを受けたのは、4年ほど前で、コロナの時期でした。

ある日、ふと、そうだ、カフェ&クリニックみたいなのを作ろう!と思ったのです。

クリニックというのは、私はホメオパシー療法のコンサルテーションをしてたから、そういう名称が浮かんだのだと思いますが、実際に”クリニック”という名称にするつもりはありませんでした。ただ、カフェ&クリニック構想として、進めていこうという感じでした。

カフェを併設していこうと思ったのは、それが手っ取り早い「何か」だったからだと思います。

誰かと何かをしていくときに、カフェという場所があれば、そのスペースを使って何でもできると思っていたからです。

そして、これを思いついたとき、1人でやるつもりは全くありませんでした。
ホメオパシー療法というのを1人でやってきて、1対1でなにかをやるのは発展性がないなと感じていたのと、単に1人でやるのが寂しいなと思っていたのもあります。

他にも、自分はコンサルテーションで人に対して意識を変える促しみたいなことをやっていたのですが、いつも自分が人に言う側なのは、なんか違和感あるなというのも感じていました。

そのとき、この世のしくみを話すみたいな講座もやっていたのですが、受講側の人たちも、自分でなにかやって欲しいなと(すでにやってる人もいましたが)、そういう双方向の動きをつくれないかなと思っていました。

その思いを具体的にどういう形にするのか、その時はわかっていませんでしたが、とりあえず着想を得たカフェ&クリニック構想として、スタートすることにしました。

それで、声をかけたのが、その当時にやっていた講座を受講してくれていたかなこさんとあきこさんでした(今のニューコラボの運営メンバー)。

声をかけて、やってみたい、と答えてくれたときの嬉しさは、今も覚えています。
(プロポーズする人ってこんな気持ち?!みたいな笑)

やること決めた、人も揃った、それでいざ物件を探していくことになりました。

と、ここで、皆さんが一番、謎?に思ってるだろう資金のことを書いておきます。

ニューコラボに来た方に、
「それで…….ここを購入されたのですか??」と、いう質問をよくされます
(賃貸ではないんですよね?という確認)。

そのとき、ほんとに、皆さんの顔がハテナ?になっていて、
「で、そのお金はどこから??」という声には出さない脳内の質問が伝わってきます笑。

ニューコラボを作る際にかかったお金は、
以前に私が東京に住んでいたときに購入した中古の家の売却金額と、
今すんでる自然豊かな姫路市安富町の家の購入金額の差額をあてています。
その差額について詳しく知りたい方は過去に書いた →  こちらの記事へ

その差額が貯金になってたわけですが、このようなお金はフツーは、子供の教育とか老後の資金にあてるかもしれません。

しかし、我が家の場合は、息子が1人で、
東京では私立の小学校に入れていましたが、
今の場所に越してきて、公立小学校 → 公立中学校 → 県立高校とお金のかからない進学をしたので(通えるところに私立などの選択肢がなかったのが実情ですが)、
もう学費に大金は必要ないなということが見えていました。
塾には高校受験のために数ヶ月通ったこともありますが、その体験から、塾は行かなくてよいと本人が断言したので、その経費も不要だというのがみえてました。
(彼の勉強に関する補強は、もっぱら勉強系Youtubeによりなされました、感謝)


息子は去年大学生になり、今、ドイツに住んでいます。ご存知ない方も多いと思いますので書きますと、フランスやドイツなどほとんどの欧州の国は、私立でない限り大学費用はほぼ無料なのです(イギリスは違います、高額!)。
あちらの大学で必要なのは、保険と住居費だけ(しかも学生は待遇されてて日本の都会より住居は安い)、だから、こどもの大学のためにと大金をとっておく必要もなかったわけです。

老後の資金の方ですが、我が家もこのままいって、その年齢になればフツーに年金をもらえる予定ですので、老後の生活費の心配は特にしていません。畑があるので、今の調子でダンナさんが野菜をつくっていけば食べるものにも困るとは思えません(というか、そもそも、少量食べられれば生きていけるよね、と思っています)。

それ以外に皆さんが老後資金に、といってるのは、医療にかかる資金のことを計算にいれてると思うのですが、我が家は私がホメオパスなので(自然療法士)、これまでも医療にほぼお金を使ったことがありませんので、それは老後であっても変わらないと思っています。介護となればかかるかもしれませんが、その分くらいはなんとかなります。

ということで、お金を教育や老後のためにと貯蓄しておく必要はないなという判断がありまして、東京の家との購入差額を、カフェ&クリニック構想に使うと決めました。

あ、決めたのは、私が勝手に決めただけで(苦笑)、ダンナさんは最初完全に不機嫌でした(反対とまでは言わないけど、不機嫌により反対の態度を表明していた笑)。

ビジネスプランは?みたいに言われて、私なりに計算して出したりもしました。

という感じで、不機嫌なダンナさんを横に置きながら、物件探しがスタートしました。

→ to be continued …..ニューコラボができるまで 2

カマキリと対面のアシュラム(♂)。
この後、ちょっかいを出して、かまきりに鎌を向けられてました笑。