花と似てる

種から芽がでて、葉っぱや茎が育ち、ツボミがでてきて膨らんで、花が咲く。

花は咲くのがゴールじゃない。花の奥では種をつくり、有効な方法で種を他の場所に広げ、その後は葉を枯らしたりして身を小さくして、次のシーズンまで静かに土の中で潜んだりする。

これが宇宙が教えてくれる自然の流れであるなら、
同じ自然の流れの中にいるヒトも同じことをしているに違いない。

なにかで着想を得て(種)、それを葉や茎を伸ばすように大きくしようと動いて、
花が咲けるほどに成長すると、ツボミがでてきて、そして自分がしたかったことを実現したという花が開く。

人は花が開くというのをゴールのように捉えたりするけれど、このサイクルは自然の花のように繰り返され、やりたかったことを実現した後も、次に備えてしばらく休んだり、その体験で学んだ知識を整理したり、実現できたことに感謝をし身を低くしたりして、

それからまた次の種=やりたいことを育てていく流れに入っていく。

花が枯れて死んでしまうまで、自然とこの営みが繰り返されるように、人もこのサイクルを肉体が滅びるまで繰り返してると思う。

とても小さなことから大きなことまで、自分のやりたいことの種を育てて、その花を咲かせて実現するの繰り返しをしていると思う。

もし苦しいとか、うまくいってないと感じるとしたら、

花を休眠期なく咲かせ続けようとしていないか、

種を眠らせつづけて発芽させないようにしていないか、

はたまた、今は葉を落として静かにして学んだことを整理するときなのに、

すぐに芽をださなきゃ、花が咲いていないじゃないの、みたいに、成果の方だけを追い続けていないか、今、自分はどこにいるのか、みてみるのがいいかもしれない。

そんな今日の私は、庭のまわりに生い茂りだした雑草の中からカタバミを摘みながら、
私がやりたいなと思ったこと(複数あるけど)、それぞれ、どの段階なんだろうと考えてみました。

1つは、ツボミがみえてきたところだな、と思いました。

もう1つは、芽がでて葉や茎が育ってるけど、花を咲かせるにはまだほど遠いところだとわかりました。

いずれにしろ花は、自然の完璧なタイミングで咲いてます。

だから人も自然の流れにいたら、完璧なタイミングで花を咲かせられるはず。

カタバミ、とても綺麗な花だなと思います。
野の花摘んでいると、少女のような気持ちになる〜

文字通りの ”無条件の”愛

言葉やインスピレーションを受け取るのは、朝が多いけれど、
今日は珍しく夕方に受け取りました。

たとえ、いま、

あなたがもんもんと苦しい思いをしていても、

あなたに1つとして嬉しい出来事が起きていなくても、

もしくは、どん底と呼ばれるような不幸を味わっているときであっても、

いま、ここで、あなたは、幸せな気持ちでいることを、自分に選ぶことができます。

大した努力もしていないし、

何の良い行いもしていないし、

なんなら悪いことをしたばっかりかもしれないけど、

それでも自分を責めたり、状況や誰かを呪ったりしないで、

ただ単に「幸せな気持ち」でいることを、いま、自分にゆるすことができます。

何の条件も、何の前提も、何の言い訳もいらない。

ただ無条件に、本当にまったくの無条件で、

ただ、自分が幸せな気持ちでいることをゆるすことができます。

これを、文字通りに 「無条件の愛」 と呼びます。

良いことがあるから喜ぶ、楽しいことがあったから楽しむ、そんな組み合わせになれていたけど、確かに、無条件で幸せな気持ちを自分に与えることはできる……
誕生日でも記念日でもなんでもないのに、自分に美しい花束を贈るみたいな感じ(嬉しい!)

ホメオパシー療法やってます:https://arnicahomeo.com/