体によくないものを食べるとき

コンサルテーションで、

消化不良を起こした方や、

吹き出物、湿疹などのアレルギー症状などが肌に出てる方に、

その原因について何か思い当たるかをお尋ねすると、

「XXを食べたからだと思います」とか

「たぶんXXが原因です」

と食べ物が原因と思われるという答えが返ってきます。

「そのXXを食べたときにどんな思いを持っていましたか?」

とお尋ねすると、

「XXを食べたら胃もたれ起こすかもな」

「XXを食べたらお通じ悪くなるかも」

「XXは体によくないけどな」

「XX食べたら肌が荒れるかも」

みたいなことを思いながら食べているそうです……

以前のblog記事にも書きましたが(参照:治るについて)、

私たちの「思い」というのは体が聴いて答えてくれます。

これを量子力学的に言うなら、心から体への量子的飛躍が起こってる/情報は物理に影響を大きく与えるから、ということができるかもしれませんし、

一般的に理解しやすい言葉でいうと、プラセボ効果が起こってるということかなと思います。

「この食べ物は体に良くないよ」 という心の情報を

「そうかこれは普通に消化できないものなのだ」と体が受け取って、

消化不良を起こしたり、

普通の経路(排便排尿)で排出できないで肌に症状を出したりしてる

ということだと私は理解しています。

私も、たまにジャンクなおつまみを食べるとき

「あーこれで吹き出物できるかもな」って思いながら食べてます(苦笑)。

だから私の体は、

これは吹き出物を出す食べ物ですね、りょーかい!

と忠実に反応してくれてるわけです。

そしてちゃんと吹き出物ができて、私はやっぱりな!って再確認してます(改めて書くとかなりアホなやり取り….汗)。

例えば、一人暮らしの大学生男子が毎日コンビニ弁当とカップラーメンを食事にしてたとします。

彼は特に意識していないし、美味しくいただいてるのだけど、半年くらいして肌の症状や胃腸の具合が悪くなったとします。

そういう情報を与えてないのに(美味しく食べてるのに)なぜ? と思うかもしれませんが、

これも実は同じで、その大学生男子はそういうのを食べてると体に悪いよなって実は頭の片隅で知ってるのです。

そうでなければその症状はでません。

男子大学生は、こんな食生活を続けてたら「そのうち」調子悪くなるかもね、と思ってるから体への反応は遅かったのかもしれません。

そういう視点でみると、添加物や体に悪い食品について熟知してたり、非常に気にしてる方というのは、消化器系や肌への反応も早いし、現れる症状も顕著です。

私がジャンクなものを食べて、すぐに吹き出物ができるのもそういうことだろうと思います。

では、どういう心持ちで食べたらいいか!? ですが、

全ての食べ物に感謝して食べる

ができるのがいいですよね。

しかし添加物やら、遺伝子組み換え食品やら体に悪い食品を、ありがたい〜と思って食べることはなかなかできないでしょう。

食べ物への感謝の思いを素直に実践できる手作りの野菜やお米、心がこもった手作りお菓子などというものはここでは問題ではありません。

問題は、そうじゃない食べ物を食べるときです。

悪いだろうとしってる けど、食べてるもの、食べたくなるもののときです。

ずばり、私が時々食べてしまうジャンクなおつまみを食べるとき、です。

そのときは、例えばこう思うのはどうでしょうか ↓

「このおつまみを食べたいのです

これを食べることを私にゆるします

だからどうぞ上手に消化するのを手伝ってね」

違う観点からみると、

これは良くないなと思いながら食べてるとき、実は自分を罰してるんですよね
(悪いことしたから罰が下るという認識を持ってるので)。

体にでる症状は、それで自分を罰した証という見方もできるのです。

だから、その行為を「ゆるす」のがいいんじゃないかなと私は思います。

こんな文言を毎回食べるときに思うんかい〜!?

めんどくさ!ともしあなたが思ったとしたら、

そんなに「毎回」自分の消化器官に負担をかけてるんだと気づくといいですね。

上記の文言に、もう一言付け加えるとしたら、

「いつも私が食べるものをちゃんと消化してくれてありがとう!」

だと思います。

あーほんとに、わたしの体よ、いつもお酒やおつまみを消化してくれてありがとうね!!

山にも桜がぽんぽんと開花しています。遠くからみる桜の白はとてもやさしい感じがします。

続コロナウイルスで起こること

コロナ騒ぎは、延々と続いておりますが、クライアントさんたちにお会いして、コロナ騒ぎがどのように影響してるかを尋ねると、

外側で彼らに起きてるのは、ビジネスの不調からくる経済的な打撃や、自粛による生活の不便さだったりするのですが、

その一歩先の質問で

「あなたにとってこのコロナ騒ぎが教えてくれてることは?」

「このコロナ騒ぎはあなたにとってどういう体験ですか?」

みたいなことをお尋ねすると、

それぞれにまさによいタイミングで「コト」は起こってるというのを確認できて、あー、これが人生のミラクルだ〜と一緒にそれを目撃させてもらっています。

ある方はある症状を完治させるために今取り組んでいるところなのですが(守秘義務のためぼやかして書きます)、その症状のピークをまさにこのコロナの自粛騒ぎの最中に迎えていて、仕事がテレワークになってることがその人にはとてもありがたいことになってます。

またあるお子さんは、学校が長期休校になったことで(自分だけでなく皆もお休みになったことで安心して)十分に必要な休息や英気を養えて気力を取り戻していたり、

ある方は、自営ビジネスが忙しすぎて息をつく間がない生活をされていたのですが、この自粛騒ぎで逆にたっぷりと時間をとることができて、これまでにない充実した時間を家族と過ごすことができてるのだそうです。

また別の方は、春に予定していた仕事での大きな企画が先送りになったけど、それはもう1回案を練れる時間をもらえたと思って実は逆にほっとしてるだとか、

そんな感じで、外側の慌ただしさや不安とは別に、内面の深いところではこれは好機でもあると皆さんは捉えてるようです。

私の家族の話でいうならば、妻をなくした義理の父(フランス在住)は、

一人暮らしでさぞやこの騒ぎで不便や不安を感じてるだろうと尋ねてみると、

自粛騒ぎで外にでれないことで逆にほっとして、嬉しいくらい!だそうなんです(苦笑)。

どういうことかというと、

定年後いわゆるやもめ暮らしになった彼に、周りの人が心配してもっと外に出たほうがいいよとか、なにか活動とかスポーツしたらとか色々言ってきてたのに自粛騒ぎでそれがなくなったので、

これで堂々と1人で家にこもってていいんだ!と思うとそれがすごく楽なんだそうです。

もともと義理の父はオタク系のタイプなので社交活動をするのは気が進まないのだけど、
1人で家にずっといるのはよくないと人からも言われるし、自分でもこれじゃよくないかと自分で自分を戒めたりしてたけど、外にでなくていいと公(おおやけ)に言われてるのが、

「あなたはそのままでいいんだよ」と言われたような感じがしてほっとするようです(苦笑、でもよくわかるこの気持ち)。

延々と続いてるコロナウイルス 問題で、あなたの気分は表面上では落ちつなかったり騒いでいるかもしれませんが、

もう一歩深いところで、あなたの心は本当はこれをどう感じているのか、これをどう捉えているかを静かに問うてみると、意外と良い気づきをもらえるかもしれません。

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ダンナさんが海外の人と仕事をしてるせいか、感染してる人は結構身近にいて、それらを生きた情報?として伝えますと:

たくさんの疾患もつアメリカ人男性同僚とその奥さん、子供が感染してました(ワシントン州)。

男性は病院が満室で入院できなくて(汗)疾患がたくさんあるのでどうなるかと思ったけど、普通に回復してます。奥さんもです。お子さんにいたっては軽い風邪程度で全くダメージがなかったそうです。

オーストラリアに住む同僚の女性も感染、ご主人も感染してたそうですが、2人とも風邪程度の症状で回復したそうです。

スペインに住む昔の知り合い男性(アメリカ人)は、症状がわりとひどくて2週間くらい苦しんだそうですが(肺炎みたいな症状で呼吸などが苦しかったそう)、今は回復しています。

いったんかかったら、免疫もつので逆に安心?!(新型インフルみたいにそのうち変異するかもですが、汗)

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ホメオパシーでいうなら、コロナで集めた症状情報によると

乾いた咳と熱が特徴のようなので Bry が有効です。

そこに呼吸器系の苦しさ(胸の苦しみ)がでたら Lyco が使えるようです。

枯れ葉の間からにょっきりでてきた芽、力強さに心を打たれます。なにが咲くかな〜。

こんなときこそ暖かく

日本のトイレットペーパー品薄騒ぎは鎮静化(?)してきてますが、

旦那さんの同僚の女性から昨日聞いたところによると、彼女が住んでるニュージーランドでも、そして別の同僚が住むシアトルでもトイレットペーパーが今まさに売り切れてるのだとか(汗)。

ウイルスが世界の遠く離れた場所でも同じように感染者を出すように、トイレットペーパーにも世界各地で皆が同じ反応するというのは、妙な親近感や一体感を感じてしまいます。

見た目や人種は違っても、私たちみんな同じ人間なんだなって…(苦笑)

デマで買い占めをする行動を批判する風潮がありますが、

1つ前の記事に書いたように、トイレットペーパーを並んで買う人達をその場で目撃した私としては、全く違うことを感じました。

私がみたとき、トイレットペーパーを並んで買っていた人達は、自分だけが得をしようみたいな顔は全然していませんでした。

むしろ、並んでるのがはずかしそうな感じで、下を向いてるひとが多かった(私も我が家のなくなりかけのトイレットペーパーを買うのがなんとなく恥ずかしかった)。

私がいたあの夕方にレジに並んでいた人々は、若いママとみえる人達が多くて、

私の前にトイレットペーパーを2つ持って並んでいた女性も赤ちゃんを前抱っこしていて、その背中を優しくぽんぽんとたたいてあげながら、この買い物がおかしいというのはわかっているんです、という感じで少し申し訳なさそうな顔をしていました。

レジでちょうど精算をしていた黒いおしゃれなメガネをかけた若い女性の買い物カゴには、購入数が制限されていない赤ちゃん用の紙おむつと生理用ナプキンが幾つも入っていました。

そのママ達の細い背中をみていたら、思わず涙がこみあげてきた私です(年とともに涙腺が弱くなってる….汗)。

必死なんだな、

大事なものを守ろうと頑張ってるんだな、

というのがひしひしと伝わってきたから。

ホームセンターに入る前にみかけた軽トラの後ろにトイレットペーパーを6つも積んでいた運転手も

見た目からして若いパパのようでした。

頭にタオルでハチマキをしていて作業着だったので、仕事帰りにヨメにトイレットペーパー買ってきて!と頼まれたのかもしれません。

みんな一生懸命に家族を守るために生きてるな、と思ったら、自然と胸があつくなります。

もしかして家族がかつての震災の経験者で、いくらニュースで大丈夫といわれても、紙類がないとすごく困るよ、と言われたのかもしれない。

もしかして、両親や親戚から離れた頼る人がいない土地で、夫婦だけ、もしくはシングルで子育てしてるのかもしれない。

人の事情というのは、全くわかりません。

だからデマで買い占めていたとしても、それだけ必死なんだな、頑張って生きてるんだな、とむしろ励ます気持ちでいてあげたいなと、あのレジに並んでるときに周りの人をみて思いました。

緊急時に自分だけ被害をうけないように、と考えるのが悪いのではなくて、
何かあっても誰にも助けてもらえないような環境にいたり、
自分で自分を守るしかないという追い詰められた社会になってることのほうを変えていくのが大事なのかもしれません。

今のような特別な事態や緊急事態に、1人1人が慎重になることはとても大事だけれど、

おかしな行動をとったとしても、間違いかもしれない判断をしてしまったとしても、
しかたないよね、一生懸命に生きてるんだもんね、と少し暖かい視線を持つことも忘れないようにしたいなと思いました。

↑ あの日ホームセンターで買った新しい爪とぎ(手前の)になかなか移行してくれず、古い爪とぎに固執するスコッチ(汗)。

コロナウイルスによって起こること

昨日近くのホームセンターに猫の爪とぎを買いに行ったら、トイレットペーパー12ロール入りを6つほどを後ろに乗せた軽トラをみかけました。

不思議な買い物だなと思いつつ、ホームセンターの中に入るとトイレットペーパーとティッシュ売り場が特設?してあり、マスク不足のXXXにより品薄のためお一人様2つまで、みたいなことが貼ってありました。

えー!うちのトイレットペーパーもうすぐなくなるのに(私はストック置かないでなくなりそうな頃に買う人)そりゃ困るわ〜と、ほぼなくなりかけてるトイレットペーパーのパックの1つを取り、猫の餌と爪とぎと一緒にとりあえず購入しました。

帰宅して調べたら、デマ?が広がって日本全国でトイレットペーパーが品薄なのだとか(汗)。

東京に住んでたときは、このような事態が一気に広がるのを身近に肌で感じてたけど、人口が少ない今の場所でこういうのをみると逆にお〜ここまで来たか!と余計にその凄さを体感します(苦笑)。

コロナウイルスで一斉学校休校という事態も起きてますが、

この動きはやはり意味があるんだな〜と思います。

コロナウイルスから起こる「病」の方だけにフォーカスしてたら、恐ろしかったりパニック 気味になると思うので、

そこはそこでマスクや人が大勢集まる場所を避ける対策をしつつも、

この大きな流れをもっと遠目にみて、これが今起きてることは、今後のよいきっかけや価値観変更になるのではとみるのがよいと思います。

なんとなく私が感じたのは、例えば小中高一斉休校やイベント中止の一報で、

えー!困る!とか

そりゃないわ〜

と自分が「嫌に思った部分」、

そこと向き合ってよい流れにしましょうね、みたいなことなのではと思いました。

例えば、

学校長期休校のニュースを聞いて、

子供いるのに仕事どーすんの!?

と思った方は、仕事のことに力が入りすぎてる(仕事もしくはお金への思いが強すぎる)のかもしれないし、

子供らが家にずっといると毎度のご飯や世話が大変だ!

と思った方は、お子さんとじっくり腰を据えて向き合ったり時間を過ごすことを苦手としてるのかもしれないし、

イベント中止が何よりも嫌だ〜!となった方は、

日常の嫌なことからイベントに目を向けることで自分の何かをごまかしているとか…..

そんなところが浮き彫りになるから、そこに気づいて、それを変えてくきっかけにしていく、

そんな感じで過ごしていれば、この騒ぎも貴重な機会ととらえることができます。

私はというと、この騒ぎの余波で自分の楽しみが奪われるのでは?!と反応したタイプです(汗)。

あ〜、これからしばらく日本全体がいろんなことの自粛ムードの中、私は何に気がつけるでしょうか(苦笑)。

↑ ウイルスのことなど関係なく、ミヌはもっふりしてます(?!)

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最後に、ホメオパシーセルフケアキットを持っていらっしゃる方は、自宅待機推進となればまさにキットは強い味方です。

簡単な使い方シェアしておきます:

周りにウイルス感染者がでてきて、感染を恐れる状態になったら:Aconite

発熱しだして骨や筋肉にインフルエンザみたいな痛みを感じたら:Gels

発熱しだして水分を欲しがる感じ、または乾燥した咳をしてる: Bry

熱があがりだしたら:Bell

咳がでて痰がからむなら:Ant-c

激しい咳がでるなら:Dros

鼻水などがでてきたら、その状態や色に合わせてレメディを選んでください。

コロナウイルスの症状だから特別なレメディをというより、

普段の風邪の対策のように、目の前で起きてる症状に合わせてレメディを選択してみてください。

もちろん重篤や緊急の症状では医療機関を受診されてくださいね。

*急性症状でレメディを処方して欲しい方は、メール相談も受けています(3.000円税込)。
 customerarnica@gmail.com までどうぞ。

見るのも聞くのもつらいとき

小学生のお子さんのことで、ちょっとしたご相談がありました。

そのお子さんは、先生がクラスの誰かを怒っているのを聞いているのがとてもつらい

のだそうです。

大人でも誰かが叱責されてるのを聞けば不快になると思いますので、心が摩耗していない(汗)子供たちなら尚更そういうシーンでは嫌な思いをすると思います。

特に繊細だったり、心の優しいお子さんは、それを自分のことのように捉えてしんどくなるのかもしれません。

まず、こういうとき、最初に確認したいのは、

その先生の怒りが、叱責してる生徒の言動や行為にたいして「適当であるか」だと思います。

ー生徒への叱責が先生の個人的な感情の噴出口になっていないか

ー叱責が生徒達をコントロールするために使われていないか(指導なのか威嚇なのか)

もし、お子さんが怯える先生の叱責に上記のような可能性があるなら、学校の管理組織か上部組織に相談するのがよいと思われます。

でも、もし、先生の叱責の度合いが許容範囲(それなら怒ってもしかたないなと思える)ならば、

他人の叱責を聞くのがつらいお子さんのケアはどのようにしたらよいでしょうか。

そんなに気にしなくてもいいよ、と言われても、声は聞こえますし、見えてますから、それをスルーするのは難しいかもしれません。

私は、こういう状態というのは、

遠い国で起こっている戦争を見聞きする

のと似ていると思います。

被害の度合いやリアリティは違うけれど、遠い国で攻撃をうけて破壊されたり、そこに暮らす人々、特に子供達が被害に遭ってる事実をニュースで見聞きすると、つらくてたまらなくなる、それと似た状況だと思うのです。

(そういうニュースを聞いて寄付するとか署名集めるとかのアクションのことは横においておきます)

先生に向かって、そんなに怒らないでくださいと児童が言えないように、

攻撃する国に直接抗議することは簡単にはできないし、

怒られてる生徒に声をかけることがその場でできないように、

攻撃されてる民衆を助けようとするのは距離的&物理的に難しい。

そもそも、その戦争はどちらが悪くてどうして起こってるのかを簡単に分析できなくて、

戦争を回避する手段が大人たちにもわからないように、

怒る先生と怒られる生徒をみながら、先生の声が怖いし嫌なんだけど、

何でこんな事態になってるのか、どうしたらいいかもわからない、

だから、ただ見聞きするしかない状況という意味で似ていると思うのです。

こういうシーンにいるとき、子供の性質によって反応は違います:

先生は怒ってばかりで嫌い 

と先生を非難したり怒りを感じる子もいれば、

あの子怒られてかわいそうと

クラスメートに同情したり、悲しくなったりする子もいれば、

ああ、この怒られてる雰囲気はいやだ〜と

心がただ重くなる子もいます。

私の場合は、いじめでも戦争でも話を聞くと、やってる側を憎む気持ちを自動的に感じてしまいます。

こういう感情や思いは、自然と起きてしまうので、そこは変えられません。

でも、この地点で終わってしまうと、人は、言葉にするならただ無力感を感じてしまうのだと思います。

嫌な状況を知ったり、見たりして、それに対して感情がわき起こるのに、何もできない自分で終わってしまうからでしょう。

こういう一見何もできなさそうときであっても、私たちが能動的にできることがあります。

それは

祈る

というアクション。

祈る、というと、祈りの言葉でも唱えるように宗教チックなイメージを持つかもしれないので、

もっとわかりやすい言葉でいうと、

幸せを願う

平和を願う

というアクションです。

先生が生徒を怒ってる 

→ 怒ってる声、いやだな、つらい、聞いていたくない とまず自分の感覚を感じる

→ つぎに皆の前で怒られて嫌な思いをしてる生徒を思いながら

 XXちゃんが幸せでいますように と怒られてる間、願ってあげる

怒ってる先生、全然好きじゃないけど、

XX先生も幸せでいますように と先生が怒ってる間、願ってあげる

こうすると、ただ嫌なシーンをみせられ続けてる自分から、能動的にアクションを起こしてる自分になれます。

全然違う気持ちでいることができるのです。

私は子供の頃、平和の祈り(長崎出身なので)という言葉を何度も聞きました。

祈りって、ただのごまかしじゃないの?!、具体的に何か進めるほうがよい、と長いこと思ってました。

でも、特に、この仕事をするようになって、エネルギーというのを意識するようになって、

祈りや願いというのは、ごまかしでも、ただの「形」でもなく、

とても能動的なアクションで、見えないけれどもとても大きな力があるのだと腑に落ちました。

私たちの元は1つにつながってる波動みたいなもので、誰かが誰かの幸せを願う、そのエネルギーというのは私たちに強く影響を与えるものなのです。

その影響は周りの人だけでなく、自分自身にもです。

ですので、自分が実際にはなにもアクションできないけど、心が痛くなる出来事があったら、

あなたやわたしができること、

それは、その当事者たちの

幸せを願う

もしくは全体の平和を願う

ことだと思います。

長くなりましたが、

私が、その心優しい繊細なお子さんにアドバイスをあげるなら、

今度、先生が怒ってる間、

先生と怒られてるお友達が幸せでいられますように、って願ってみてね、

もっと願いたかったら

クラス皆が幸せで平和でいられますようにって、心の中で願ってみてね、

と言うと思います。

憎い相手ほど、幸せを願ってみる。→ ハードルとっても高いのですが(冷汗)、そうすると、相手だけでなく自分にも幸せな感覚がやってきます〜 

改善したいときに、何を変えるか

日々の暮らしの中で、自分の問題点に気がついたときに、なんとかしたいと思いますよね。

そういうときに何を変えるか、について、書きたいと思います。

例えば、子供にいつもうるさくいってしまって、それでしょっちゅう喧嘩・険悪になる、それをなんとかしたいなと思ってるとき、

もう少し優しい言い方してみよう とか

もう少し注意する回数へらしてみよう とか

自分ができる具体的な策が浮かぶかもしれません。

それらを実行できて関係が改善するなら、それが早道だと思います。

痩せたい、そのためには食べる量を減らして運動もする みたいなダイレクトな方法です。

でも、現実には、それがなかなかうまくいかないので問題が膠着してしまいます。

こういうとき、本当に改善したほうがよいところは、実は違ったりするのです。

改善を目指すのは、

自分の態度 や やり方 ではなくて

「自分の気分とか気持ち」です。

自分の気持ちや気分をいかによくするか、が改善するところなのです。

つまり、改善すべきは、相手の態度でも、自分の態度でもなくて、

自分の気分や気持ちなのです。

今、子供に過度に注意をしてしまうのは、

子供の態度や子供のなにかが悪い、とあなたが判断してるからです。

それが悪いとかよくないと判断してるから、あたなの気分はよくない、

もしくは、子供の悪いところを私がなんとかせねばならないと思ってるから、

気分がすぐれないのです。

自分以外のひとのなにかが悪いと思ってるときや、

それを自分が変えねばならない状態というのは気分がよくないですよね。

だから、その自分の気分自体を、よいものに変えること、これが改善するところになります。

目の前の自分が問題と思ってるその状態をみつつ、どうやったら自分の気分を楽にできるか、これに取り組むのです。

例)子供が宿題をしていない

この状況で、どうすれば自分の気分が楽になると思いますか?

この答えは、人により様々なので、これが正解というのはありませんが、

例をあげるならば:

宿題をしていない → それを気にしてないならこの子は大物だ! 

と考えたら、気分が楽になって、宿題はしときなさいよ〜って軽い感じで言えて、それ以上は気にしないでいられる。この考えで気持ちが楽になるひともいるかもしれません。

宿題をしていない →  この子の人生を長い目でみたら、宿題のようにやるべきことは自主性を持ってやることを学ばないとならない。この子は今、それを学ぶ機会を与えられてる、だから、これはこの子にとってチャンス。私は1回宿題やりなさいっていった、もうそれで十分、私の役目は果たした、

と思えば、すっきりした気分でいられる人もいると思います。

もしくは、そこまで完全に親が手をださない状態を選ばなくても、

一応、毎回声だけはかけるほうが自分の心が楽なら「宿題はやっておきなさいよ」と声をかけることはよし、とすればいいのです。

宿題をしなさいと何回も声をかけることを「よし」としてれば、あなたの心は楽なのです。

自分は口うるさい親になってるのでは?!と自分で自分を責めてるから苦しくなって、そうさせてる子供に対して怒りがわいてくるのです。

口うるさくいうことで子供と毎回喧嘩になったとしても、子供はこうやって言い訳して反抗するものだから〜と流していれば自分の気分は楽でいられます。

将来、子供から「俺のかーちゃん、うるさかった!」って言われて笑い話になるかも、って想像すると、それもいいかもなって思えるなら、どんどん口だしてもいいと思います。

そうやってワイワイやってる親子も、漫画チックな感じで人情味があって、いいんじゃないかなと私は思います(微笑)。

だって、「全てあなたの責任ですからね」ってかかわらないで冷静にいられるより、暖かさがあるじゃないですか。

ということで、結局のところ、あなたの心が自分を責めたり、相手を責めたりしないで、楽な気持ちでいられたら、目の前の問題は問題ではなくなるのです。

ということで、なにか改善したいとき、

なによりも大事なのは、

あなたの気分や気持ちをよくすることです。

これは別の言い方をすると、

あなたがあなたのしてることを肯定してあげること

と言えるかもしれません。

↑ 息子のことが大好きなスコッチ。
今は180cmとデカくなった息子ですが、彼も小学校のとき、夏休みの宿題のほとんどを最後の1日で夜中までかかってやるようなタイプでした(大汗)。計画をたてても計画通りにならないことを小学校で6年かけて学んだひとだと思います(笑)つまり、非常にゆっくり学ぶタイプです(苦笑)。
私の場合は、子供とはいえ自分とはタイプが全く違うんだ〜、だから私がいいと思うことが彼に合うとは限らない、と理解したら楽になって、ほおっておけるようになりました。

サインは散りばめられてる

車で少し遠くまで仕事に行く時、道路の事情も考えて大体30分くらい余裕をもって出ることにしています。

昨日もそんな具合で家から右折で出ようとしたら、左奥からご近所の方が車で家の前を通り過ぎました。

我が家は里山でまわりの民家も少ないので(苦笑)、車で出ようとするその瞬間にさえぎられて、いったん停止することになるのは、わりに珍しいことです。

それで、あ、今日はなにかそんな日かもな〜と思いました。

なにか起こることは、わたしたちへのサインなので、ありがたく受け取っておくとスムーズです。別の言い方でいうとただ受け取ると宇宙から自分へのエネルギーの流れを止めません。

この例えのように行く手をさえぎられたときに、

これは幸先が悪いな〜とか、

ちっ(舌打ち、笑)邪魔された!とか、

気分が悪くなる解釈をしないで、

これは、なにか知らせてくれてるんだろうな〜とただ受け取るのをお勧めします。

私も昨日そんな感じで出かけましたが、

最近お気に入りの音楽をかけて軽く口ずさみながら車を走らせてたら気分がよく、しかも道はすいていたので、さっきの出かけにおこったことは完全に忘れてました。

その後、姫路バイパスにのり、目的地までは3つのトンネルを通るのですが、1つ目のトンネルの手前から車が長蛇の列でした(大汗)。

姫路バイパスは頻繁に混む道ではあるのですが、それでも渋滞になるのは姫路中心部辺りで、こんなに手前から渋滞してるのはわりに珍しいことです。

ひーこんなところから混んでるなんて!と思いましたが、車の流れは完全に止まってるわけではなくて、ノロノロとすすんで はいます。

そのうちもっと進むかな、と、とりあえず音楽を聴きながらノリノリでいました。

こういうとき私は時計をあまりみないようにします、みるとジリジリあせるので(汗)。

いずれにしろ、うまくいくようになってるから大丈夫と現実逃避します(苦笑)。

それでもかれこれ20,30分は経ったと思われる頃、時計をみたら、案の定そのくらい時が進んでました、が、車はほとんど進んでいません(大汗)。

とりあえず、そこで、できることは約束をしてるクライアントさんに遅刻の可能性をメールすることでした。

それでノロノロ進みながらも、少し車が止まったときに

「バイパス大渋滞で…」

と手短なメール文をうちはじめました。

そこでまた車が少し動いたので、メールの手を止めて運転に集中。

そして次でまたいったん車の動きが止まったときに、

メール文を続けて

「遅るかもしれま…」

と打ったところでまた車が動き出しました。

残りの

「せん」

とさえ打てば、メール送信ボタンを押せたのに、

そこでちょうど車が動きだしたのです。

昔の私なら、ここで先に進むのを遅らせて(どうせ少ししか進んでいないので)

無理に「せん」と打ち終わってメール送信していたと思います。

でも、世の中で起きることがいつもサインとわかってからは、

あ、そっかー、ここでちょうど動き出したってことは、

じゃ、このメールは送らなくていいってサインだな!と受け止めて

運転に集中しました。

そしたら、その後、車は普通に進んでいって(途中の電光掲示板で「事故処理終了」の文字がみえました)

クライアントさんとの約束時間10時でしたが、

お宅に私の車が入り込んだのが10時1分、

ドアをあけたのが10時2分でした(→ 推測)。

やっぱり間に合った!(いや正確には遅れたけど….)

と、こんな感じで、毎日の生活には気づくと楽しいサインが散りばめられてます。

これを「奇跡」とも言えるし、「神からのメッセージ」のチャネリングとも呼べると思います。

サインに気づきだすと、とにかく面白くってしようがありません。

そしてそのサインは、いつも、あなたがよりよく生きていくための道しるべなんです。

今朝もとっても小さいけど笑えるサインがありました。

粗大ゴミの日だったのですが、粗大ゴミは重いので(ワインの瓶とか缶とか本とか)、

ダンナさんに出してもらうようにいつものように玄関前に並べておいてました。

そして私は家事をしていたら、登校したはずの息子が忘れ物したらしく引き返してきて、

その 2 度目のあわてていく登校に「いってらっしゃい」と玄関まで声をかけにいったら、

粗大ゴミが、そこに置いたままなのがちょうど目に入りました。ん?!

ここで、

「あれ、フレデリック(ダンナさんの名前)捨ててないじゃん!(怒)」

と思うんじゃなくて、

あ、これ、私が捨てにいきなさい、ってサインだなって受け取りました。

なぜかというと、ちょうど今朝方、「相手にまかせないで自分でやるときが来てる」という内容のメールをある方に送ったばかりだったからです(大汗、私にも言えるって)。

それで粗大ゴミを捨てにいきながら、気づきました。

粗大ゴミを捨てるのはダンナさんという役割をいつのまに決め込んでいたのだろうって(苦笑)。

なにか決め込むと守られてないときに文句がでるから(やってない!とか)、

やめよって気づきました。

という感じで、とっても小さなものから、大きなものまで、サインは日常に散りばめられてます。

サイン、はいつも、ん?!みたいにふっと気がつくように提供されてます。

ちょっといつもと違うな、とか、なにか自分をいっしゅん引き込むものです。

「サイン受け止めゲーム」はとにかく面白いし、それを受け止めていくとどんどん自分らしい道を歩くことになり、そして幸せになっていくようになってるので、つよくお勧めします。

サイン1つ1つが、クリスタルや綺麗な石のようだと思うと日常がキラキラしてみえます。

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病や症状も、実はそのサインの1つなんです。

病や症状はつらいものじゃなくて、あなたを幸せに導くための大きなサインです。

えー!と思うでしょうが、一緒にそのサインを解読しませんか。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

目標実現ツール

先日スポーツをやる子向けに作られた無料広報誌の1つを手にする機会がありました。

親と指導者の子どもへの接し方の記事などをふむふむと読んでたのですが、
別のページに日ハム(この当時です)の大谷翔平選手の記事があり、
それを読んでたら、えー!すごい!と思わず叫んでしまいました。

そこには大谷選手が高校1年のときに書いた目標達成表が掲載されていたんですが、
文字通り仰天!しました。
その表をこのBlogに載せようとしてたら、
ネット上ですでに紹介されてたのでそのリンクを貼ります↓

http://heart-quake.com/article.php?p=934

目標設定に野球だけでない「運」という項目をいれて、
運をつかむための実践まで考えていた大谷選手。

15歳でこんなこと自発的にやってて、すでにこんな思考法を獲得して、
さらにずば抜けた身体能力まであったなんて、すごすぎる…..
しかもあんな爽やかな表情を今でも保っていられる、尊敬します。

ところで、この表は調べてみると、9マス目標設定シートという名称でしたが、
海外でもNine Matrix(ナインマトリックス)と呼ばれており、
知ってる人は知ってるツールのようです。

日本でもパターン化した思考法を抜け出すためのブレインストーミングツールの1つとして特にビジネスで使われているようです。
9マス日記という形態にして活用している人もいたりして、アプリにもなってました。

なんでもこれは”曼荼羅”からきてるフォームのようです。なるほど〜

早速、私もやってみることに…..

数分後。ハイ、これど真ん中の目標がまずないと、使えないツールですね…..。

真ん中の目標の時点ですでにブレインストーミングが起こった私。

そんでもって今年の目標としてたその目標自体を変えることになりました。

私の目標はホメオパシー療法のことなんですが、ナインマトリックスに書き込む前の目標は、受け身だったと気がつきました。新しい目標がずばりと定まって士気があがりました。

このナインマトリックスを埋めていく作業は、自分の弱さや怠惰さとも対決し乗り越える一歩ですね…

弱さと怠惰さにひるんだ私の心を表すよう猫の寝姿(苦笑)↓

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目標実現の1つに健康がある方、
自分の持つ治癒力を高めるホメオパシー療法が助けになるかもしれません。
ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.wordpress.com

実行の人

以前にBlogの記事で紹介したフランス人の写真家クリストフが、とりあえず第一弾として安富町のカフェで写真展を開いております。神戸新聞さんに取材してもらって記事になりました↓

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クリストフがこの村に来るのは3回目。

前回までの2回の訪問で写真をカシャカシャ★と撮りまくり(6×6というアナログなカメラで撮影)、とあるカフェで作品を展示させてくれると聞くや否や、パリに戻っている間にもサササッと展示会を実現させてもらえるように行動&作品の厳選とプリント。

あっという間に小さな展示会を実現させてしまう実行力があります。

展示会するなら次回の来日のときにまずは企画して〜とか、せっかくやるなら大きな会場で〜とか、会期をもっと長くしよう〜とか、そういうふうには考えないんですね。

今、実現できることがあるなら、

とりあえずやろう〜 さささ〜っと実行しちゃいます。

もちろんそこには、現地にいる私のダンナさんの雑用のお手伝い、カフェの寛容な協力があったのも事実ですが、彼には変なプライドとかメンドくさいこだわりがないから(作品へのこだわりはあるんでしょうが)、こちらのアドバイスにもさっと対応し、すぐに行動する。だから物事が滞りなく進む。

自分のやりたいことにただ単にまっすぐな、その姿勢が妙に新鮮でした。

こだわりのいらない部分にこだわっていないか、自問自答した私です。

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深い内面が欲することと、実際にやっていることに隔たりのある方、
自然治癒力の乱れを整えることで、もっと自分が望むように物事を進められるようになるかもしれません。自然治癒力の乱れを取るホメオパシー療法にご興味のある方はHPの方へどうぞ:

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贈り物があらわすもの

先日、私のダンナさんがこんなお土産をもらってきました↓

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これはタイルに描かれた絵なんですが、がっしりとした木枠にはいっていてどうやら「鍋敷き」として使うもののようです。絵がキッチュ すぎでは〜。

これをくれたのはオランダから出張でやってきた非常に大柄の男性。彼はこれを私のダンナさんにお土産としてくれたのでした。巨漢から巨漢へのプレゼントがこれ(苦笑)。

ダンナさんは包み紙をあけたしゅんかん、手が止まったそうです…

なぜ これが なぜ 俺に… みたいな感覚でしょうか。

贈り物というと、

贈り主が相手のことを想定して選んだものか

贈り主自身の思いをなにかしら表すもの

に大きく分かれると思うのですが、日本の方は前者の贈り物が多く、海外の人は後者の割合の方が多いと感じます。

しかし、この鍋敷きは前者でも後者でもないような、いや恐らく後者だと思われますが(謎)。

この鍋敷き、かなりずっしりとするので、重さを計ってみたら550g以上ありました(!)。

飛行機の旅をする場合、なるべく軽く壊れないものを選ぶのが一般的ですが、この重さのものを選んだからにはやはり強い思いがあったのかと思われます(謎深…)。

目の焦点があっていないような少女と、ガチョウを引き連れて歩くこちらをじっとみる婦人、いろんなミステリアスが重なって、私の好奇心を非常にそそる贈り物です。実は妙に気に入ってます(最終的に私のものとなりました)。

以前は、贈り主の思いのみが先行している贈り物に圧迫感を感じたこともあったのですが、今は、そういうものをもらうと、まるで贈り主の分身のように感じて、なんというか可愛いと感じるようになりました。

今は思い入れの強いモノをみると、
その人の強い気持ちがそこにあるっていうのが、いいな、と思います。

年をとって寛容になってきたせいか?!

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ホメオパシー療法をやっています。

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