今年も手作り番茶

私の住む地域では、GWが明けたらお茶の新芽を摘める時期です。

今年はコロナ自粛により時間があるので、私も茶摘みから参加しました。

茶摘みといっても、新芽のでてる枝をハサミで切り落とし、家に持ち帰って一番茶といわれる新芽の部分だけをちぎっていきます。

枝だけ切り落とすのは、茶摘みの体勢がつらいのと、摘んでる間に山ヒルが(汗)つかないようにという理由だけではなく、そうしておくと来年も新芽の部分だけ綺麗に枝が伸びて摘みやすいからだそうです(これ、あくまで教えてくれたご近所のSさんのやり方です、苦笑)。

↓  裏山の小さなお茶の木に新芽だけが伸びてる様子。

新芽だけを摘み取ったところ ↓

大きな鍋で炒ってるところ ↓  炒っては少し乾かし、さらに炒るを3〜4回くらい繰り返します。
鍋の熱であつくなってくるので、ビールを飲みながら、のんびりと(笑)。

いったん家に持ち帰り、1,2日干してから、仕上げに一度フライパンで炒って瓶詰めしました↓
お茶を炒る香りがたまりません〜

こんな感じにホームメイド番茶ができあがりました ↓

自家製番茶がなぜこんなに美味しいか説明できないのですが、つい、あともう1杯と飲みたくなる味なのです。

美味しい緑茶のような味ですが、なにかが違う….ネットでみると一番茶(新芽)にはテアニンという旨味成分が凝縮されてるからと書いてますので、それが美味しさの理由なのかもしれません。

そこら中の山に、昔、皆が自家用に植えたお茶の木がありますが(多分日本全国の山が同じだと思いますが)、今はごくわずかな人しかお茶摘みしないので、文字通りオーガニックのワイルドな新芽が毎年たっくさん余っている(涙)。

でもこれからコロナ自粛で花や野菜作りに人が向かい始めたように、自家製お茶づくりに向かう人も増えるんじゃないかな〜(?!)。

5月いろいろ

COVID-19の影響で特別な5月となってますが、人間社会から自然に目を向けるとのどかな5月も見えてきます。

シジュウカラのヒナ達は知らぬ間に旅立っていました ↓
巣は苔(こけ)と鹿の毛!でつくられています。

ものすごーく 鮮やかな空と木々の緑(写真補正なし)↓
地球環境が綺麗になってることを目でみて実感。

この時期に咲いてる花で一番心惹かれるのが、コガクウツギ(小額空木)↓ 見た目のとおりアジサイ科アジサイ属です。山の斜面の少し木の影になる涼しげな場所に可憐に咲いています。

かなり暑くなってきたのでジョギングからウォーキングに変更。
ウォーキングのお供をしてくれる柴犬(メス、近所の友人夫婦の犬)、↓ 
今は水路から田んぼに水を入れる時期です。

冬の間、田んぼは泥だけなのに、どうやって春の田んぼにメダカ が いるのか以前は謎でしたが、
川で冬を越した親メダカ は、この水路を通って田んぼに流れ込んでるのだとわかりました。

すでに水が入った田んぼ ↓  柴犬はモグラを一生懸命探してるようです。

木の削りカスをそのうち肥料になるだろうと撒いてる場所があるのですが、感触が心地よいからか?よくここで寝そべってる&お腹おっぴろげのミヌ(汗)↓ 

東屋(あずまや、洗濯物干しの屋根兼用)の柱に設置されたキャットツリーに登ってるスコッチ。
スコッチはいつも高いところを目指してます(?) ↓

顔つきがすっかり変わってきたフェリックス ↓ 
去勢手術とダニ駆除に連れて行きたいのですが、まだ触らせてくれません(苦笑)。

先日から短縮営業でテニスコートを使えるようにしてくれた施設があるので、1ヶ月以上ぶりにテニスにいきました。テニスではウォーキングとは違った汗がでてきて老廃物が一気に流れた感あり。

自粛で家にいるのもかなり好きですが、こういう日常が戻ってくるのも正直嬉しいなと思います。

↓ テニスメイトからの自家製の差し入れ苺、見た目も形もきれいで甘い!
こんなに上手にしかも人にあげれるほどたくさんの量を作れるのがすごい〜

私の住む地域は、GWには大勢の人が行楽に訪れる地域。
でも今年は自粛の影響でほぼ観光客はいませんでした。
一方でGWにびっくりするくらい混んでいたのが地元のホームセンター(ホームセンターだけは複数ある、苦笑)、多くの人が野菜や花の苗を買い求めていました。

今の時期、人が密になるのは避けるのが賢明なのでしょうが、
これから畑や花壇が野菜や花で密になっていくのは、なんだか嬉しいなと思いました。

お腹が満たされたら

少し前の記事に登場したノラネコくん (この記事の末尾に→写真アリ)、

フェリックスと呼んでます(Felix the cat というアニメの猫と同じ柄だから、笑)。

彼は最近こんなです ↓

我が家の離れの前の縁台(えんだい)でのんびりしてます=ゴハンが来るのを待ってます(苦笑)

↓ 死んでません(汗)気をゆるしてるのか思いきり寝てますzzz

これまで何を食べて生きてきたのかわかりませんが、ゴハンをあげるようになったら、毛並みが整ってきました。何よりも顔つきがかなり変わってきました。

お腹が満たされ、エサを探しうろつきまわる必要がなくなると、

こんなに柔和な顔になるものなんだな〜と思います。

フェリックスは、ご飯をたくさんもらったら、フイッと近所にお散歩?にでかけます。

そしてまたお腹が空いてくる頃に我が家の離れの前に現れます。

ご飯をあげて顔つきが変わってきたフェリックスをみながらつくづく思うのは、

ベーシックインカムを実現させよう

です。

コロナによる経済的打撃で

ユニバーサル・ベーシック・インカム(Universal Basic Income

というアイデアが浮上してきますが(以前から言われてたそうで、フィンランドでは試験的な導入などが行われてた)、

私が説明するまでもなく「全ての人に無条件で一定額の金額を給付する策」のことです。

今回の10万円給付が今後も毎月全国民に配られたらどんなにいいだろう、と思いませんか。

ご飯を与えられただけで、顔が柔和になり、毛並みもよくなったフェリックス。

人間だって同じですよね。

基本的に食べていけるお金が与えられたら、どれだけ皆が穏やかな気持ちになるでしょうか。

それじゃ怠ける人がでてくるでしょ、なんていうことはないと思います。

ベーシックインカムっていわゆる年金暮らししてる方と似たような生活になるだろうと私は思います。

年金でやりくりしてご飯は食べていけるから、余った時間に野菜をつくったり、趣味の時間をもったりしてる年金暮らしの方が多いように、人は食べていければ、なんとなく自分が好きなことをするように動いていくものだと思います。

年金もらってても仕事が好きな人は、シニアサービスに登録して人の役に立とうとかおこづかいを稼ごうとするし、持ってる知識を地域の講座で教えたり、新たに何かを勉強したりするひともいる、そういう各人の性質ごとに動いていくものだと思います。

若い人だって同じで、食べていけることが保証されていれば、本当に自分の好きな道を選択することができるようになると思います。

働くことが好きなら仕事しようとなるだろうし、のんびりして暮らしたい子はたまに欲しいものができたときにアルバイトでもいいと思うし、農業など自給自足の道を選ぶ子もいるだろうし、絵を描くのがすきな子は望むだけ絵を描いていればいいし、ビジネスで成功したい野心のある子はそう動けばいいしetc.

ベーシックインカムが実現されたら、

今まで刷り込まれてきた価値観「働かざるもの食うべからず」が消滅して、

この職業なら一生食べていけるからこれにしなさい(→親のアドバイス)、

なんて選択肢はなくなっていくのではないでしょうか。

自分の大事な一生の多くの時間を、

好きでもなかったし、特にやりたくもなかった、でも稼ぐために選んだ仕事に費やしているというのは、

冷静に考えてみたら、なかなかぞっとする、まるで心を生贄(いけにえ)にするような選択ではなかったのでしょうか。

フェリックスがお腹がいっぱいになったら、ふらっとどこかに出かけていくように、

ベーシックインカムが実現されて、

食べる心配をしなくてよくなったら、私たち人間も、本当にやりたいことにふらっと向かっていくのではないでしょうか。

↑  ベーシックインカム配給中のフェリックス。そのうち、撫で撫でスリスリしたいです。

春、真っ只中ということもお忘れなく

毎日毎日、ニュースからだけでなく、SNS上での話題、または近しい人との話題からもコロナウイルス関連のことばかりが耳に入ってきます。

ウイルス自体の話、感染者数の話、休校措置、自粛がいつまでだろうとか、

コロナの影響でウチでは何が起こってるかとか、

はたまたGWで旅行にでかける人たちに向けた問題提起や、

アフターコロナに備えるには?! といった対策まで夥(おびただ)しい話題、

でも根っこは全てコロナ騒ぎから来てます。

リアルなことはコロナだけ!みたいな感覚になって、他のニュースや他の出来事にあまり関心が向きにくいような状況になっているのではないでしょうか(汗)….ハイ、私もです。

しかし、今、生きてるこの世界、他にもいろんなことが同時に起きてます。

自分で自分の頭の中をコロナ一色に染めないで、

他の色あいもたくさんあることに気がついて、

コロナに圧倒されてる脳や思考を整えておくと、

今後も長く続いていくかもしれない状況とうまくやっていけるかもしれません。

本来なら、今はとても快適な季節で、例年ならどこかにお出かけしたくなる、

春真っ只中なんですよね〜

そんなわけで、我が家のコロナ以外のリアルな話題を1つ記事にしてみます。

クルミの木に据え付けた鳥の巣箱がありました。

設置して2年ですが、まわりに木も多いので、わざわざこの巣は使われないだろうと諦めていたら、

シジュウカラが巣をつくっておりました。中には7羽の雛たちが(!)。

巣箱として使われ出したことにどうやって気がついたかというと ↓ これです(汗)

ある日、ミヌが突然木登りしておりました ↓ ヒナたちが鳴いてる音が聞こえたようです(冷汗)

どうでもいいですけど、お腹がたぷたぶです、ミヌさん…..(苦笑)。

すぐさま、猫たちが登らないように、できる策をほどこしました。

シジュウカラはつがいでせっせと小さな青虫たちをヒナに運んできています ↓

枝にGoPro をくくりつけて旦那さんが撮影しましたが、親のシジュウカラは数分おきにしか現れないので全体を短めにつなげて編集してます。

それでも心がソワソワしてると、じっくりとみていられない動画かもです(汗)。

虫をくわえた親鳥が巣箱に入るまでに、何度も何度もまわりを見渡して危険がないかを毎回確認するのがなかなか感動的です。

ざーっという音は下を流れてる川の音、他にも鳥のさえずりがたくさん聞こえます。

30分の撮影時間の中、通った車は、最初の方に写ってる軽トラだけ(苦笑)、ノドかです…..。

アドバイスするとしたら?

何年も前に、TED(世界に広めたいアイデアを持ってる人がスピーチするアメリカの番組)で

アジア人の若い男性(インドの人だったような)が以下のようなスピーチしていたのを覚えています。

あやふやな記憶ですがかいつまんで書くと….

彼は、勉強を頑張っていい大学にいって優良企業に勤められたらよい給料がもらえて、「良い暮らし」ができると教えられてそれを信じてきました。

そしてその通り彼は都会のいい大学に入って大きな企業に勤めました。

その後、結婚して家を買おうとしたら、都会の家はローンなしでは購入できない金額だっただけでなく、それを手にいれたらこれからもずっと長時間働いていかねばならないことが見えてきたのでした。

ちょっと待てよ!? 

これのどこが「良い暮らし」なんだ!?

と目が覚めて、彼は生まれ故郷に戻りました。

彼の故郷では、収入の「金額」は都会のそれと比べると相当低いのだけれど、

でも生活のレベルは、都会も田舎も変わらないとわかったのです。

高い給料で高い家を購入もしくは高い家賃を払って高い物価で生活するのと、

低い給料で低い家を購入もしくは低い家賃を払って低い物価で生活するのは、

単に「額」が高いか低いかだけで、お金の使い方の割合、つまり生活レベルは同じだと。

それなら、いったい何のためにわざわざ空気もよくない都会に住んでせまい家を借金をするほどの高いお金で購入し、

その対価に自由時間の少ない人生を送らなければならないのか、

いつの間に都会で暮らすことが「良い暮らし」という考えを植え付けられたのだろうかと、

そんなスピーチをしていました。

私は、彼と同じ流れを体験してきてるので、本当にその通りだなと深くうなづいたのを覚えています。

以前、私たちは、東京で家を購入して(中古物件ですが)、人気の場所だったので土地代も高くウン千万というローンを組んでいました。

今、思い返しても、何であんな額を頑張って払おうと思っていたのか(大汗)。

今の田舎の家を購入して東京の家を売りましたが、

東京の家の売却金額は、購入時の金額+中古リフォーム代よりも

当然低く、最終的には損が発生したにもかかわらず、

売却したお金で、東京の家に残っていたローンを完済してもなお、お釣りがくるどころか、逆に、それが貯金と呼べるほどの額として残ったというプラスのスパイラル。

今の姫路の山間部の家+土地の値段は、東京の家の10分の1以下なのです(!)。


しかも裏の畑を含めた今の家の敷地の広さは、東京の家の大体 6 倍です(広い土地が欲しかったわけではなくただ付属していた、苦笑)。

当然、固定資産税も、東京の家で払っていた額の 1/10 です。


こんなにお安く、こんなに広く、こんなに空気がよく環境のいい場所、

どこに行っても空いていて並ぶ必要なし、

文化的な催しや買い物が必要なときだけ都会にいけばよい、

と私たちにはいいとこづくしの田舎生活です。

そんなんで移住の話などをする機会があるときに、

都会/街の人に 

「田舎に住むのは経済的にもメンタル的にも健康にもいいよ〜」と言うのですが、

「田舎はいいけど、

でも仕事はどうするの?!」

という紋切り型の回答が返ってきます。

しかし、今のコロナ 騒ぎで、テレワークでの仕事の可能性も十分認知されたと思いますし(うちのダンナさんは以前からずっとテレワーク)、ご近所の働く世代の人は農業でなく通勤してる人ばかりです(つまり仕事はある)。

それに加え、私たちの生活条件自体が変化しようとしています。

コロナ騒ぎが完全に終息する日が本当に来るのか(変異していく可能性大、ウイルスキャリアの可能性大)、と、なんとなくどこかで皆が感じ始めているのではないでしょうか。

もし、

今の自粛生活と似たような暮らしが今後も(ウイルスが活発になるたびに)断続的に行われるとして

「今後は、どんな生活をしていくのがよいでしょうか?」

とアドバイスを求められたら、

あなたはどのようなアドバイスをあげるでしょうか?

以前のような暮らしぶりがもう戻ってこないかもしれないとしたら、

どんな暮らしを提案しますか?

私がもしアドバイスを求められたら、

住宅ローン=借金を帳消しにできて経済負担が激減する田舎生活、

いざとなれば畑で食料を自分で確保できる田舎生活、

人が密集していなくて感染リスクが低い田舎生活、

これを個人的にはオススメすると思います。

今後オンラインが全ての生活の中心になることは必至でしょうが、それは田舎でも十分にできますから。

冒頭のTEDでスピーチした男性が選択したように、実家のある土地、小さい頃住んでた土地などが田舎なら移住するのに抵抗は少ないかもしれませんが、

私のように全く知り合いがいなかった土地でも、家族同様につきあえるような人々に出会える可能性もあります。

もし、今回のコロナ 騒ぎを機に移住を考えてる人がいるとしたら、

移住する場所を選ぶアドバイスとして

値段や便利な条件などを頭だけで考えるのではなく、

実際に行ってみて

自分たちの「気」が合う場所、

それをちゃんと感じて選ぶと、人間関係などもうまくいくと思います。

↓  猫も裏庭(もと畑)を満喫できる田舎生活〜♪

みつけることになる

コロナ 騒ぎで、予想以上に私に影響したのは、

趣味のテニスができなくなったことです(苦笑)。

緊急事態宣言により地元のコートをはじめ、近隣の民間運営のコートまで全て閉鎖されています。

仕方のないことですが、正直がっくりしました。

日頃頭ばかりを使っていますし、長時間のPC作業で肩こりも起こりやすいので、運動は私には食事と同じくらい必要なものです。

ということで、テニスができないならと、すぐさまジョギングに切り替えました。

ジョギングといっても、私がやってるのは「スロージョギング」で、歩くのと同じくらいの速度でゆっくり小刻みに走るやり方です。

スロージョギングはウォーキングしてるような体感で、息もあがらないし疲れにくいので長距離を楽に走り続けることができます。

とはいえ私が走るのは往復5kmほどで、しかも帰り道はウォーキングに切り替えるというゆるさ(汗)。

私の住んでるところは山に囲まれてるので大勢の人に会うこともなく(近所の人とすれ違うくらい)、自然あふれる環境の中を走ったり、歩いたりすることができます。

↓ 家のまわりの道路はアスファルトですが、2kmくらい奥に進むとこんな感じの林道を走ることができます。

↓ 沢の流れる音に加え野鳥のさえずりも聞こえ、空気も澄んでます。
徐々に昇り坂になり、道に石ころが増えてくるとウォーキングに切り替えます。

↓  屋久島まで行かなくても、苔寺まで出向かなくても、神秘的な自然の風景がすぐそこに幾つも幾つもあったことを発見しています。

名も無い小さな山が内包してる美しさ、日本国中の山にこの美しさが隠されてるかと思うと、宝石のありかをみつけたようでドキドキします。

ところでこの辺りは杉山が多いせいか(日本全国かもですが)、植物の数のヴァリエーションはそんなに多くありません。

今の時期は、野イチゴの花が満開です。正式には「くさいちご」というらしく、ラズベリーに似ていて食べることができます ↓

↓ こちらも今が満開のヤマブキ。濃いはっきりした黄色をみると元気をもらえます。

このコロナ 騒ぎで、どんな人にも普段とは異なる何かが起きてると思います。

異なる何かが起きて、何かに気づいたり、何かをみつけてるはず。

それは、大いなる存在からの「贈り物」だと思います。

それをちゃんと受け取ったら、以前と全く同じ私たちではいられないのではないでしょうか。

コロナ 騒ぎがいつの日かおさまることがあったとしても、そして以前と同じ日常の生活が戻ってくるように思えても、

その贈り物を受け取ったあなたは、以前のあなたとは違う感覚のあなただと思います。

ひいては、今後の社会もコロナ 騒ぎが起こる前の社会とは変わらざるを得ないだろうと思います。

いずれにしても、以前よりもっと皆にとって&地球にとって心地よい社会になっていくことを願っています。

↓  緊急事態宣言後くらいから我が家に立ち寄るようになった野良ネコくん(オス)。


我が家の猫たちとテリトリー争いになったら困るからと、以前は野良ネコにはエサをあげてませんでした(我が家周辺では野良ネコ自体とても少ないけれど)。


でも私の中でも何かが変わったようで(不要な制限が外れたのか)、
この子が立ち寄ったときには、ご飯をあげるようになりました。


野生的なダミ声で鳴いてたこの野良ネコくん、最近は私の姿をみると少し可愛くみゃーと鳴くようになりました(苦笑)。

こころの余裕

この大変な時期、医療関係者を始め、運送業、食品産業、ネット環境をささえる通信業など、またインフラを支えてくださってる方々は感染リスクもありながら、ご多忙でもあると思います。日々の生活を支えていただき感謝です。

かくいう私個人の生活はというと、朝起きてセカセカとすることもなくなったので、メールチェック&お茶を沸かし洗濯機を回したら、

朝日を浴びに裏庭に向かいます。

すると猫たちも、われもわれもと(苦笑)ついてきます。

朝はまだ寒いので、背中にちょうど暖かい朝日を浴びることができるこの場所 ↑ に私も猫も集合です。

柵の向こうは川で、向かい側には低い小さな山がみえます。

背中に朝日を浴びながら、ぼーっとしてその場にたたずみます。

一種の瞑想状態…..

こんな感じで時間に余裕があると気持ちがゆったりして、心に余裕が生まれます。

心に余裕ができると、いろんなことを寛容にみれて、自分にも家族にも優しくなります(苦笑)。

心に余裕を持つというのは、

時間ができた →  心に余裕を持てた ではなくて、

時間ができたことで「自分の心とつながることができたから」心に余裕を持てるのだと思っています。

普段の日常では、大概の人は「外側のこと」をうまくまわすことで頭がいっぱいだと思います。

早くXXをこなさないといけないとか、

仕事をさっさと終わらせてとか、

お金のことを考えたりとか、

これから先どうなるのとか、

「自分の内面」に注意するのではなく、

外側の出来事をいかにうまくまわすか、

外側をいかに改善できるか、

そんなことで頭がいっぱいな状態なんだと思います。

それはそれで大事なことでもあるけれど、

心に余裕ができることで、自分にもまわりにも優しくできるなら、外側に努力するのと同じくらい、自分の内側の心に接する時間も大事にするのはどうでしょうか。

自分の心に接するには、

ただ静かにして(最初はいろんな思考が湧いてきますが)そのうち自分の深いところの言葉が

あがってくるのを待ちます。

何の努力もしなくてもいいから、ただリラックスして静かにいます。

言葉が深いところから上がってきたら、自分でわかります。

あー、疲れた

って言葉だったり、

もうなにもやりたくないな

って言葉だったり、

仕事やめようかな

だったり、

こうやって生きてられるの幸せだな、だったり、

人それぞれだと思います。

それが上がってきたら、

そうか、私は XXX と感じてるんだ

と自分の心の思いを認めてあげます。

これが心に接するということだと私は思っています。

自分の深いところで何が起きてるか、それに気がついてあげることです。

心の言葉に気がついてあげると、心に余裕が生まれます。

(その思いのエネルギーが流れるから)

心に余裕をもつ習慣が身についたら、緊急事態宣言が終わってまた元の生活が戻ってバタバタしたとしても、

以前とは違って心の余裕を持ったまま、人に接したり、時間をつかっていけるのではないかなと私は思います。

ちなみに先日の朝、

学校って本当にいるのか!?

(学校って毎日行く必要あるのかの意味)

という言葉が私に上がってきました(苦笑)。

それで息子に学校行きなくなかったら(休校が再開しても)もう行かなくてもいいんじゃないと言ってみたら、

彼は学校に行きたいそうです……そっか〜

学校に行かせてるのが苦しいと感じてるのは、私の心でした(自分なら毎日そんな長時間学校にいたくないから、汗)。

ミヌはメダカの水を飲んだりしてます(!)。

スコッチは野ネズミの巣をみつけてるようで、被害にあった野ネズミをよく目にします、ヒー!

自分の心の言葉に気づくには、瞑想がおすすめですが、一人で散歩やウォーキングなどもいいと思います。

死ぬまでに

文句が多かったり、不平を言い続けてる人というのは、

自分が老人と言われるくらいまで生きていくと思いこんでる人だと思う。

もし余命1ヶ月ですと言われたら、

自分に残された時間を考えたら、

その貴重な時間に文句や不平を言おうと思うだろうか。

これからもずっと生きていけるだろうと思ってるから、お金がもっと必要、もっと欲しい、今の量では足りないと思う。

これからもずっと生きていけると思ってるから、あんな家が欲しい、こんな服が着たい、もっと綺麗になりたい、もっと良い人になろうなんて思う。

これからも今の生活が続くと思ってるから、まわりにいる家族にこれはやめてよ、あれはああして、それじゃだめよと改善をもとめて文句をいったりする。

これからも、長いこと生きていけると思ってるから、毎日の暮らしを今と同じに保つことが優先になって、こんなことしたらやっていけないんじゃないかとか、あれをしたらさすがに良くないだろうといろんな制限を自分にかける。

ずっと生かしてもらえるかどうかはわからない。

311で地震が起きて、津波が起こり、立て続けに原発事故まで起きたとき、私はこれからも自分がこのまま普通に生きていけるのだと思い込んでいたことにはっとしました。

地震の揺れがあまりに大きくて家の中から外の通りに飛び出して、まだ小さかった子供と抱き合いながら、私が、家族が、周りの人々が、この地震で今、ここで死ぬことだってありえるのだという現実におののきました。

あのくらいのことが起きなかったら、自分の「命」が当たり前だと思い込んでることに気がつきませんでした。

あのくらいのことが起こったから、いつかやろうとか、いつかそうなったら、と考えていた自分の人生を、いつかじゃなくて、今やるしかないんだと思いました(それでも実際に動くまで時間はかかりましたが)。

だっていつまで生かしてもらえるかはわからないから。

そのおかげで、都会をでて今の土地に引っ越してきて、そして好きなように生きてきたはずなのに、気がつけばまたいつのまにか毎日文句やら不平不満を抱いています(大汗)。

昨日はなぜかある映画がやたらと目につきました。

「死ぬまでにしたい10のこと」という作品で、既にみたことがあるのだけど、サインに従ってあえて再度観ました。

23歳で余命2ヶ月と宣告された若いママが、死ぬまでに自分がすることをリストアップして実行していく話です。

いつまでも生きていられないことがわかった女性の行動をみて、生きていられること、生かしてもらってることがとてつもなく貴重なんだということを再確認しました。

特に今は、コロナ騒ぎで感染、死亡、さらに経済的な問題もどんどんでてきていますが、どんな人もいつまで生かされてるのかわかりません。

だから、もし本当にしたいことをしていない人生を過ごしてるなら、いつまで生きさせてもらえるのかわからないのだし、いつかじゃなくて、そのうちじゃなくて、今からそのしたいことを大事にする人生にしていくのはどうかなと思います。

自分が本当にしたいことがわからない人は、まずはそんなにしたくはないのだけどなんとなく惰性的にやってきたことをやめていく、そんなことから始めると大事なことが見えてくるかなと思います。

コロナ騒ぎの自粛は、止めたくても止めることができなかった毎日の動きを止めてくれています。

一部の地域だけでなく、世界がそのように動いています。

自分だけ止めるのは勇気がいるけれど、皆が止まってます。

この機会をチャンスと受け止めて、より自分らしい方向に進んでいける岐路になるといいなと思います。

もし自分がもうすぐ死ぬという目で周りをみまわしたら、どんな嫌な人も、鬱陶しい人も、愛(いと)しくってしかたがなくなると思う。人はできることなら、全てをゆるしてからこの世を去っていきたいのだと私は思います。

志村けんさん

昨日志村けんさんが亡くなったことで、世間が動揺してるのが伝わってきます。

もちろん、私も驚きました。

テニス仲間でも近所の人でもその話題がでてました。

そしてクライアントさん達からのメールにも、彼の死に対する見解が皆さんなりに書かれていて、そこには動揺が伺えます。

昨日彼の訃報が流れたあとに、フランス人友人が、

彼の過去のコントのリンクを送ってきてました。

志村けんさんが訛りのある英語教師で、生徒は全員アメリカ人、その彼らに思い切り上からでたらめの発音を教えるというコントでした。

それをみて、私、思わず声をだして笑っちゃいました。

バカバカしいのだけど、その馬鹿馬鹿しさが実はまかり通ってる社会への風刺も感じつつ、でも笑えました。

このタイミングで彼が亡くなったのにもだから意味があるのだなと思います。

現実レベルで言えば、彼のような現役で活動していた人が死に至ったというウイルスの怖さを伝えてくれてるのでしょうが、

でもコントのリンクが私に流れてきたように(世界中でリンクがまわってるから、私にも流れてきたのだと思います)、

こんなときこそ笑いの視点を忘れるなよみたいなメッセージを伝えてくれてるのだろうなと思いました。

怖がるのはわかるけど、怖がりすぎて風刺できるようなおかしな状態になってないかとか、

ちょっとナンセンスなことで笑ってみようよみたいな、そんなことを教えてくれてるのかなと。

個人的に、彼のコント、あまりみたことなかったし、見てもそんなに面白いと思ってなかったけど、今回改めてみたら、あのコントは愛がないとできないなと思いました。

彼がやってるベタなあれらの役柄って(権力をみせつける夫や上司や先生とか、すけべなおっさんとか)彼が演じる役の人物像に対して軽蔑や怒りや糾弾などそんな思いがあったら、あのコントはみてて笑えないと思うのです。

でも彼には、それがなかったから、そういう人間のエゴの部分を認めていて、それが自分にも皆にもあるけど、それもいいか〜みたいな愛を感じるから、みてて悲惨な感じがしないで、安心して笑えるのだと思いました。

だから、今、私たちが混乱してたり、あせってたりしても、それもありだよ、みたいなそんなことも教えてくれてるのかもしれません。

これが送られてきたコントです。ビューの数がすごい:↓

共にいます

先日、ある方=Aさんとします の話を聴いていたら、

私の中にふっと 「独善的」 という言葉が浮かんできました。

Aさんは、人との関係が良い方に向かうように様々な努力してるのがよくわかるのだけど、

話を聞いてると、その努力がまだうまく結実していなくて、

その一生懸命さゆえに本人も疲れてるし、私も聞いているだけでしんどい感じになってきたのでした。

このしんどさはなに?と思いつつ聴いていたんでしょうね(汗)、だからAさんの一生懸命さの源が「独善的である」と私は思いついたようでした。

自分の中にこのような言葉が浮かんでくるときは、

自分が相手を ジャッジしてる ときです。

ジャッジするというのは、相手にそのような「レッテルを1つ貼りました」ということでもあり、

この場合でいうと、私の中で「Aさんは独善的」という見方ができてしまうことになります。

そうなると、気をつけないと相手を批判したり責めるような言葉がでてきてしまい、良い関係性をきづくのは難しくなります。

こういうときにどうするかというと、

まずは、そのジャッジに気づく、ことが大事です。

あー、私はAさんを独善的と思ってるな、と認めます。

….と、記事をここまで書いてこの日は仕事に行きました。

そしたら、その日の夜、以下のような夢をみました:

私は閑静な少し傾斜のある住宅街にいます、そこに小さな子が走って私を呼びにきて、

女の人が自分の犬で猫を襲わせようとしてるよ!というのです。

急いで見に行くと、フランス風のお洒落な少し年のいったマダムが、黒皮のリードをつけた毛の長い高級そうな大型犬を散歩させていましたが、

ある家の裏の通りに設置してある洋風のベンチに座ると、犬のリードから手を離し、

さあ、おいき!

といって、目の前の家にいる毛長の大型猫2匹を襲わせようとしてるところでした。

むっかー!と怒った私は、獣の鳴き声(グルル..みたいな)を真似て、その犬をおっぱらってから、

マダムのとこに歩み寄り、

「そんなことさせてるなら、警察に介入してもらいますが、いいですか!?」

と携帯を手にして強気の口調で言い放ちました。

するとマダムは気高い雰囲気で「結構ですよ」といって立ち上がったので、

すぐに110に電話したら、電話の向こうの警察から

こういう案件は弁護士の管轄でしょうみたいなニュアンスで、

話し合いでなんとかできないかやってみなさい

とたしなめられたので、電話を保留にしたまま、

どうしましょうか?!とそのマダムの方をみたら、

彼女は黒皮のリードで犬を連れたまま、

毛長猫のお宅の女性といつのまにか肩を組んでいて、

「私たち、一緒に住むことにしたから、もう大丈夫よ〜」

と明るく笑っていました。

「あらー素敵!どこに住むんですか?」と尋ねたら、

たぶん、あっちかな、とそのマダムのお宅があるらしい方向をアゴでさしてました(汗)。

そうだよね、一緒に住めば、あの犬と猫も最初は喧嘩するかもだけど、いつのまにかいい友達になるだろうし、あのオシャレなマダムと猫の家の女性も一緒に暮らすことになったら、お互い寂しくないし(なぜか”おひとりさま”設定)、ご飯を一緒につくったり、お酒を飲みながら話をしたりして今後の人生楽しく暮らせるだろうな、それ、いいな!と私は頭の中で納得してました。

と、ここで、私はバチっと目が覚めたのですが、

なんじゃ、この夢?!

と思ってしばらく分析してみたら(マダムは昨日寝る前にみたフランス映画の女優さんからイメージを拝借してました)、

あー、そっかー!昨日の書きかけのBlog記事のオチをみたんだ〜 ! 

とわかって、ふとんの中で、その絶妙な夢に思わず笑ってしまいました(早朝5時半に、汗)。

私たちが、誰かをジャッジするとき、自分とその相手は「別々の人」なので、

自分の方を守るためや正当化するために、相手をジャッジして、相手が悪いと判断しようとしてしまいます。

でも、夢でみたように、相手と自分が同じ場所に住むとしたら、生活共同体として敵対することはなく、むしろ協力して理解しあって毎日を楽しく過ごせる仲間になります。

あの夢が教えてくれたように、

自分と他者が、同じ「心」に住んでるとしたら、

私たちは霊的な存在としては同じ源、1つですから(いわゆるワンネス)、

そういう見方で相手をみると、相手は自分とは別の存在ではなくて、

心でつながってる、心を共有できる仲間だとわかります。

話をAさんに戻しますと、

独善的とAさんを思ってしまったけれど、それを認めて、

改めてAさんと私の心がつながってるという視点でAさんを見直すと、

人との関係をよりよくしようと一生懸命なAさんのひたむきな姿は、

人がより楽にいきられるようにヒントをあげることはできないかなと一生懸命に頑張ってる私の姿の反映でもあることがわかってきます。

Aさんの一生懸命さと自分の一生懸命さが重なったとき、私のハートは開かれて(Aさんのハートとつながって)

Aさんが愛しくてしかたがなくなり、私の目頭はあつくなります(年とともに涙腺が….)。

ここまできたら、私のジャッジはなくなり、

Aさんに対して心の寄り添った話をすることができるようになります。

↑ 家から車で5分くらいのところにあるダム。

ダムが空をうつしているように、目の前のその人はあなたの内面を反映してくれてる人です。