なんでも導きのサイン

今朝6時前、息子をバス停まで送っていく途中で信号待ちになり、

フロントガラス越しに流れていく雲をみていたら、浮かんできたのが:

インスタ始めよう

でした。

きっかけは、数日前にお会いしたころあい自然楽校の佑里子さんに、

「Blogは、私を知ってる 人が読みにくるもの、

もっと多くの人に知ってもらうには インスタとか がいいですよ」

みたいなことを教えてもらったから。

ころあいさんは、インスタを始めてから、問合せの数が目に見えて増えたそうです。

このときは、へ〜そうか〜、そうだよね、と思っていただけです。

なぜなら、まだこの時点で「自分の思い込み」の方が、

「導きのサイン」よりも強かったので。

私は、Facebook や Twitter や Instagramなどは、

不特定多数に向けて情報発信したい人や、

キラキラした生活をしてる人が活用するSNS

だという思い込みを持っていたのです(汗)。

わたしは個人的にひっそり(?)してたいタイプで、

生活も、ものすごーく地味なんで(苦笑)、

SNS始めても、自然 か 猫 しかあげるもんがない、つまりキラキラした生活も情報もないから、そういうものと自分は関係ないと思い込んでいました。

この化石のような古い思い込みは、いつからもってたんだろう〜って苦笑しながら考えたら、

Facebookが普及しはじめたときのイメージかもと思いました。

当時は、どこそこでランチしたとか、

こんな素敵なもの購入しましたとか、こんなに友人たちと楽しんでますよ、

みたいな投稿しかみたことなくて、

うわ〜自分とは無縁の世界だっ!て思ったの覚えてます(汗)。

一応、わたしも個人事業しているので、Facebookを活用しようかと考えてアカウントをとってはみたものの、

仕事でお会いするクライアントさんとVサインした写真は撮るような業種じゃないし(苦笑)、
そもそもわたしのプライベート生活には華(ハナ)がない……と再確認し、

SNSとわたしはそぐわない、という「思い込みをつくった」のでした。

しかし、今朝、あの瞬間、あ〜佑里子さんから告げられた言葉は、まさにサインなんだ!、と気づいて、

即実行することにしました。

「ふっとやってきて、あなたの気をひくものはサインですから受け止めましょう」なんて人様に言ってるわりには、自分にブロックかかってた(笑)!

猫、山、空しか、うつってない地味なインスタも、全然アリだし!

そんなんで、思い込みがカチッと外れました。

折しも、わたしはこれから、新しい活動をしようと考えているところなので(そのうちお知らせします)、

まさにこれは絶好のタイミングでした。

↑ こうやって文章にしてみたら、とても小さな、しかし相当にくだらない思い込みでしたね〜

でも、誰しもこんなの持ってるんじゃないでしょうかね。

私にはそれムリ  とか

ガラじゃないとか

なんとなく手をださないでおこう とか

それら 1回点検してみたら いいかもです。

てなわけで、ジミーなインスタ開設してみました:https://www.instagram.com/arnica.pe/?hl=ja

これから、いろんなインスタみにいってフォローしていこっと♡ワクワク♡

沖縄じゃないです苦笑、山陰海岸ジオパークの一部。
やっぱ、海はいい!

1つ前の時代のモンでは?!

私が子供の頃、母がコトあるごとに私に言い聞かせてたのは、

「  あきちゃん(と母は私を呼んでた)、

女は 愛嬌(あいきょう)よ 

という言葉でした。

ふざけた口調でも、断定的な口調でもなく、これこそが大事なのよ、みたいに説得するような口調でこれを言うのでした。

こどもの私はそれを聞くたびに、

なんてバカなことをこの人は言ってるんだろう!

と思ってました。

この人は、なんてくだらないことを私に教えるんだろう!

と思ってました(苦笑)。

そして、その母の教えにはうなづきもせず、ただ毎回黙っていたと記憶しています。

この教えに対する反目から、

私はぶっきらぼうな愛嬌のない女性になったのかもしれません(汗&苦笑)、

もしくは母が幼い私にこの文言を繰り返していたのは、もともと私が、もっと愛嬌があれば愛されるのにと思わせる愛想のない娘だったからかもしれません(大汗)。

母のパーソナリティでいうと、彼女は上に姉が3人いて、上の人たちに可愛がられるのが日々を楽に円滑に過ごすコツだと学んだのかもしれなくて、

実際、母はどんなコミュニティに入っても、いつも姉さん風の人と仲良くなって、その人に可愛がられるような人間関係を作っていました。

それにしても、こういう親からの教えというのは、親個人の生い立ちや性質だけでなく、

「時代」を大きく反映してるな〜と思います。

私の母が生きた時代というのは、女性の社会進出はまだまだ少なく、女が学(がく)を積むと嫁にいけなくなると言われていた時代、

専業主婦が大部分で、女は男に仕え、男性に愛され大事にされてこそナンボみたいな時代の流れがあったと思います。

だから、私の母も、あなたも愛嬌のある愛される女性になるのが一番よ、みたいなことを教えたかったのかもしれません。

私のダンナさんの話もだすならば、彼は子供の頃から、漫画みたいな絵を描くのが好きで(実家でみせてもらった)かなりクリエイティブな発想の子だったと思うのですが、

彼の両親は幼少期の彼のそういう才能を十分知りながらも、漫画みたいなものを描いても生活できないからと、進路を決めるときにエンジニアの道に進むことを強く勧め、そして彼はその道に進みました。

もちろん、両親の希望通りに彼は食べることで困りはしませんでした、食べていける職業だったから。

でも、彼は自分が生まれもった才能を存分に発揮するということにずーっと苦しむことにもなったわけです。

ダンナさんの両親が彼に勧めた進路も、「時代」の影響を受けた考えだな〜と思います。

親の考えには、彼らが生きた「時代」の中で、彼らが生きていくのにこれがよいだろうと思った選択が反映されています。

何が言いたいかというと、この流れは実は今も綿々と続いてるということを自覚するのがよいのでは、ということです。

たとえ、若い世代のパパ&ママであっても、

自分がこれまで生きてきた時代から受けた影響の教えを、

子ども達に押し付けていないか自問自答するとよいのでは、と思うのです。

もちろん、私も(苦笑)。

今、子どもに教えようとしてるルールや価値観は、

自分の(1つ古い)時代のモンではないか!?、って、

1回考えてみるのはどうかなと思うのでした。

その価値観やルールは、本当に自分が心から大事だと思ってることなのか、

その子が幸せになるためのものなのか、

はたまた、それは自分の親や時代から刷り込まれただけの考えではないのか、

まずは大人自身も点検してみるといいのではと思いました(今朝、この内容がインスピレーション で降りてきた)。

最後に…..

母から愛嬌について言われた上記のエピソードをダンナさんに話したら、

「確かに愛嬌ナイネ(→私)、愛嬌あるほうがこっちは嬉シイヨ!」

と言われました。

あ、やっぱり、私、笑顔足りなかった?!(大汗)。

愛嬌こそが大事である、とはやはり思わないけど、

笑顔でいることは大事ですな〜(反省)!

↑ にゃんこ達の寝てる姿をみてると自然に笑顔になるのですが、ね。猫達には愛嬌のある私です。
人間に対して愛嬌がないのかも(汗)。

自由な選択だった

私には、年に一度、一緒に旅行することにしてる高校のときからの大親友がいます。

彼女は病院で介護の仕事に就いているのですが、その病院で少し前にコロナのクラスター感染が起きました(汗)。

彼女が働いていた病棟に感染者がいたため、彼女はホテルで2週間の隔離生活をするはめになったのです。(自宅待機という選択肢もあったけど、一緒に暮らす彼女の娘さんが看護師のため、感染のリスクがないようホテル待機を選択した)。

滞在したホテルの1フロアに病院の同僚らが待機してるのは察しがつくけど、万が一の感染を防ぐためにコンタクトしちゃいけないので会話もなし、部屋の外でドアが開いたりする音が聞こえるのみ&朝それぞれの部屋の前にだされたゴミをみてあー誰かいるねと思うだけ、というなかなか不気味なシチュエーションだったそうです…..

2週間の間、食糧の買い出しだけ外にでていいらしいのですが(待機中に2回PCR検査して陰性だった)、それ以外はビジネスホテルの狭い部屋で、誰と話をすることもなく、ひとりきり(汗)。

私が電話したときは、うつになりかけてたかも、と苦笑してました。

私がそういう隔離生活を送ると想像すると….

わーい、2週間、料理、掃除、洗濯しなくていい、ひゃっほー!

ワイン買い込んで、読書三昧、動画三昧、運動不足ならヨガして、瞑想も誰にも邪魔されずたくさんできる〜って、喜んじゃいそうですが(苦笑)、

あ、猫たちに会えないのが寂しいかも(汗)、

なんて思ったけど、

実際に自分がそういうせまい部屋に隔離されたら、おそらく、あれして、これして、などというやる気自体がなくなっていくのかもしれません。

ホテル隔離の最終日、最後の検査をうけて陰性かどうかの結果待ちのとき、

いよいよ明日帰宅できるとなって彼女がまず思ったのは、

栄養失調気味だから、自分が食べたい美味しいものを作ろう!

ということでした。

ずっと外で作られたものを食べてきたのだから、なによりもまず、そこを思うだろうと思います。

よく考えたら、

自分で食べたいものを決めて、

材料を選んで買って、

それを自分で作って食べる。

毎日の料理作りとは、

なんと自由なことをさせてもらっていたんだ! と、私も彼女の言葉を聞きながら、

気づきました。

家族のための料理を作っていると、だんだん義務みたいに感じて、うんざりすることもあるのですが、

料理って全て自由な選択から成り立ってるんですよね。

自由に食べる品を決めてよくて、

自由に材料を選んでよくて、

作り方も自分の好きなようにできる、

そして好きに盛り付けて、

好きな食べ方ができる(手でつまんだり、かぶりついたり、

フォークとナイフで食べたり、5秒でたいらげたり、おしゃべりしながら食べたり)。

料理&食べるって自由選択の結晶だったんだ!って改めて思いました。

そんなこといったら、全て人生は自由選択でできてるんですけどね。

自由だったというのは、不自由な状態にならないとなかなか気づけないものです。

コロナは困ることも深刻な問題も多いけれど、こんな感じで不自由さを強制的に教えてくれることで、

これまで当たり前だったことがどんなに自由で幸せだったかも教えてくれてるな〜と思った出来事でした。

しかしコロナのおかげで、彼女との例年の旅行計画はキャンセルとなりました。

それもまたこれまで当たり前にできてたことができなくなって、友達と旅行できてたことがどれだけありがたかったんだと気づくことになってます….。

暑くなってくると、猫たちは猫ベッドでなく床に寝そべります。一番涼しいんでしょうね。
好きな場所でいつでも寝そべることができる、自由だ〜!

行動にうつすまでの速度

行動が早い人と、遅い人の差ってなんだろう、と思ったことあるでしょうか。

エネルギー療法をやってるものからいうと、これは、

その人のエネルギーの流れにつまりがあるか、ないか

だと思っています。

ある講座を開催したときに、

この方とこの方(過去のクライアントさんで今も繋がってる方)は、

この講座を受けるのがいいだろうな〜と

思い浮かべた方々がいました。

しかし残念なことに、想定したこの2名からお申し込みはありませんでした。

別のある方に限っては、その講座はその方には必要だろうと思ったので、直接お声かけをしました。

しかし、その方は辞退されました(日時の都合の問題でなく)。

一方、フタをあけたら、その講座は特に受けなくても大丈夫でしょう(メンタル的に)、

と思う方々が申し込んでくれてました。

ここで私の講座が魅力的でないからという問題は横に置いておいて(汗、苦笑)、

このような例は、他のシーンでも同じかもな〜と思います。

良い状態で暮らしてる人は、さらに良くなるようにさっさと動き、

停滞してる状態で暮らしてる人は、停滞してるまま動きが起こりにくい。

停滞してる人は、エネルギーの流れに滞りがある、つまりエネルギーブロックも多いと言えるし、

頭で考えすぎるから動けない、つまり自分の心とつながってない、直感を信じてないという言い方もできるかと思います。

電気信号でいうなら、電気が弱い or 伝わるのに中継箇所が多すぎる、もしくは電気信号が最後の「行動」スイッチまで到達できない(汗)のかもしれません。

久しぶりに会った人で、家族内での出来事や年齢の変化はあるけど、本人にほとんど変化がない人って、いますよね。

数年前に聞いた愚痴と全く同じ愚痴を話してる人とか(汗)。

一方、環境を変えてたり、趣味でもなんでも新しいことを始めてたりする人がいる。

そういう人は会うと軽やかな感じがします。

変化が多いということは、それだけたくさんの経験をしてるということで、

経験が多ければそこで新しいなにかを学んだり、問題を乗り越えたりして、

人としての成長&進化の機会も多くなるのだろうと思います。

注)転職を繰り返す、ということとは違います。
また生活環境がずっと同じでも、内面で日々学びをしてる人もいるので全ての人に
上記の例があてはまるわけでもないです。

そういえば自分は行動までの速度が遅いな〜とか、ここ数年あまり自分に変化がない、と思ったら、

とりあえず頭で考えすぎないで、まずは目の前に流れてきたことに動いてみると、エネルギーのつまりを自分で外していくことができます。

↑ ハーバリウムというのをいただきました。青いエリンジュームや霞草が浮かんでいます。
みるだけで、ひんやり感、涼しさ、そして静けさまで感じさせてくれます。

知ってるか知らないか

昨日、暑い中、家の前庭に座り込んで、伸びてきた雑草を文字通り1本づつ手で抜いていたダンナさんに、

誰か男の人が話しかけているのが聞こえてきました(私は、そこの前に建ってる”離れ”でオンラインの仕事が始まるのを待っていたところ)。

どこの国の人?、いつから住んでるの?などと、質問を立て続けに浴びせかけられているところからすると、近所の人でなく、通りがかりの人のようです。

知らん人:「おとうさん(とダンナさんに呼び掛けてた)は、草、そうやって抜いてくの?」

ダンナ:「ウン、そう(と日本語で答えてる)」

知らん人:「除草剤は使わない?」

ダンナ:「使わない、アレでしょ、◯ウンドアップ?!」

知らん人「うん、◯ウンドアップ」

ダンナ「アレ、ガンになるから使ワナイ」

知らん人「ガンになんの!?』

ダンナ「そう、あれ、ガンになるから、フランス禁止」

知らん人「フランス禁止なの?!」

ダンナ「あれ、売ってるの日本だけ」

知らん人「えー、日本だけ?!」

って、おいおい(汗)、何のレクチャーしてんだ(苦笑)….

と障子開けて見てみたら、地面に座り込んで草抜いてるダンナさんに話しかけてたのは、

ロン毛金髪で頭にタオルをまいた30代くらいの作業着の男性でした… 誰?!(笑)

そこで、アナタは、誰?!と今度はダンナさんに質問されたその男性は、

自分は隣町に住んでクズ鉄などを回収してるXXといいます、また、来ますわ!

といって軽トラに乗って去っていきました。

あー回収業者の人だったのね(苦笑)。

◯ウンドアップは、発癌の可能性ありで多くの国で販売禁止、フランスでも去年販売禁止になったのに、この間まわってきた回覧板にJAのチラシが入っていて、

◯ウンドアップ「JA推奨」と印字があったのをみてダンナさんは腹を立てていたのでした。

だから、レクチャー(?)したかったのかも(汗)。

ここら近隣のホームセンターでも◯ウンドアップは、いまだに 堂々と目立つ場所に並べて売られていますので、

さっきの金髪男性みたいに、健康リスクがある可能性を知らないで、草を殺す効果がある方だけをみて使ってる人は結構多いのかもしれません。

そういう情報は、自分で調べないとでてきませんからね(汗)。

他国では健康&環境リスクから販売禁止となってるのを知ったあとでも、これは便利だからと使おうと思う人はいるのかな?!

しかしながら雑草をすっきりさせるというのは、現実問題とても大変です。

こんな広さの庭でも、砂利を敷いてるのに雑草は伸びてきて、ひーひーいうし、これでよしと思えるくらい雑草なしで綺麗になったこと正直一度もないです(苦笑)。

だから、大きな畑や田んぼの畔、スポーツ用のグランドなど広い場所だと除草剤を使わないとやっていけないのかもしれません。

ただ安全な除草剤がないかと調べると、最近は火山灰や塩をつかった安全な除草剤も販売されてるようです。

こういう代替品が生態系にどういう影響を与えるのかも今の時点でわかりませんが、

◯ウンドアップみたいにズバリ「毒」をまくものではないので、

できることなら、環境そして自分たちの体にも負担をかけない製品を選択していけたらと思います。

そういう我が家では、除草剤代わりにダンナさんに草を抜かせて彼の体に負担かけてる!?いや健康にしてる、と思っておこー(汗)。

玄関あけたらフェリックスがご飯をねだります…
その向こうに抜いてもすぐに生えてくる雑草の茂みがみえます(汗)    

思い通りにならないとき

先日のことです。

午後から予定が入っていたので、午前中のうちに、

仕事の資料作りとプリントアウト、

それを郵便局にて郵送、

買い物、

アップされたばかりの見たい!と思ってる動画をみる、

コインランドリーで洗濯物を乾かす(雨だったので)、

という複数の用事を頭の中で効率よく組み合わせて、それに従って行動してました。

資料作りと郵便局は計画通りにささーっと済ませることができ、

次にコインランドリーに向かい、洗濯物を乾かす間に動画をみて、

帰り道で買い物を済ませたらバッチリだ!と、

乾燥機をまわし、

車に戻り、いざ!動画 ♪ と思ってバッグをさぐったら、

スマホを家に忘れてきてました(!)

昔の私なら、あーバカっ!、私はどっか抜けてるな〜と思いつつ、

この待ち時間に買い物に行って、少しでも予定を進めようと動いてたのですが、

このところの私は….

こういうときは、サレンダーするか〜と力を抜いて、車の中にとどまりました。

そんで瞑想しました。

私は車に Ipod積んでいて運転中に音楽を聞いたりするんですが、

そこに瞑想音源とかヒーリングBGMも入れてます。

このときは、チベットのヒーリングミュージックというのを聞いたのですが(雨音とマッチしたので)、瞑想して…. はっ!と気がついたら、乾燥機がすでに停止してました。

寝てた?!苦笑、5秒も経った感覚ないのに、40分以上たってた(汗)。

しかし非常にすっきりした心で、インスピレーションまで もらって、買い物もスムーズにすすみ、午後も気持ちよく予定をこなせました。

サレンダーsurrender という言葉は、

カジノ用語にもありまして(カードの賭けを途中で放棄できる)、

降伏する、放棄する、というのが文字通りの意味です。

英語版オラクルカードを使う方は、surrenderと書かれたメッセージカードはお馴染みかもしれません。

そちらの世界の意味でいうと、サレンダーは、

天にまかせよう、

エゴで動いて四苦八苦しないで、大いなる流れのままに、

みたいな意味です。

この日の私みたいに、日常の小さなことから人生の大きな出来事まで

ー「自分の思い通りに」コトが運ばないとき、

ー「自分の予想」とは違ったことが起こったとき、

サレンダーすると、とても楽になります。

自分の思い通りにコトが進まないときは、

大いなる流れと違うことを起こそうとしてるよ、というお知らせだからです。

コトがうまくいってるときは流れにのってる、

コトがうまくいかないときは違う流れにのろうとしてる(もしくは逆らおうとしてる)、

ということなので、

あーそっかー!と、自分の「思い通りをあきらめてみる」のはどうでしょうか。

ということで、私は問題解決の最短で最強、最楽な方法が、

サレンダーする、だと思っています

(というか、それが真理なのですが)。

サレンダーという言葉をわざわざ使うのは、類似表現の

手放す とか

流れに身をまかせる

という少々使い古された言葉で理解すると、

新しい習慣としてなかなか導入しにくいからです。

サレンダーというあまり聴き慣れない言葉を使うことで、

新しい概念として自分の中に導入していくことができたら、

新しい生き方に変わっていくんじゃないでしょうか。

加古郡で遭遇した満開のラベンダー! 匂いを深ーく何度も吸い込ませてもらいました!

フェリックス その後

ノラネコのフェリックス(勝手に命名)のその後ですが、

ご飯をあげたからか、完全に居着(いつ)いています….. 我が家に、と

書きたいところですが、実際はこんな状態です ↓  注)死んでません。

おーい!、ひかれるぞー!!(冷汗)

なんでこの位置かというと、フェリックスは、お向かいの奥さんからもご飯をいただいているようで、

いつのまにかフタマタ野郎になっていたんです!!→ ついついオスだから、こんな表現に(汗)、

失礼しました。

そうじゃなくて、お腹すかせたやんちゃな子なんだわ〜

あらあら、お腹がすいてるの、

じゃ、おばちゃんとこでご飯食べていきな、おやつ食べていきな〜

という感じで近所の人に生かされる昭和な子の状態になっています(笑)。

お向いの奥さんはお勝手口からあまった食べ物をくれてるようで、そこにいつでも飛んでいけるように

スタンバッているのです(汗)。

そんなんで、フェリックスは、

道の真ん中か、

お隣さんの勝手口の前か、

我が家の玄関先に住んでおります(苦笑)。

我が家は玄関をあけると、まるでコンビニ自動ドアのチャイムのように、ニャアニャア、ニャアと、

フェリックスが鳴きながら怖いくらいにご飯をねだってくる毎日です(汗)。

ずいぶん慣れてきて、エサを置けばキャリーバッグに誘導できそうなので、

フェリックスは望んでもいないだろうけど(ごめんね!フェリックス)、

今月中に去勢手術に連れていこうと思ってます。

先日、裏で読書してたら、私がつまんでいた食べ物をもらえると思ったのか、↑ 気がついたらテーブルに飛び乗ってきたのでびっくりしました。ちかっっ、フェリックス!(でもナデナデはできません….)

みんな同じ旅をしてる

先日、

久しぶりに話をする機会があった男性(60前後くらいの人)から、

自粛期間中の彼の状況を聞いていました。

仕事上に起こった変化の話がメインでしたが、最後にそのことで彼の心にもなにか変化があったか尋ねてみました。

この男性に、以前、いわゆる精神世界のことを話したことがありましたが(彼の話題にそういう意味を感じたので伝えてみた)

「それは怪しい宗教みたいなもんだよね!」

という反応でした(苦笑)。

(「肉眼で見える物質世界」だけしか存在しないと信じてる人も多いようですが、逆にそういう人たちは、自分たちが受け入れやすい学術の知識:最新の科学、物理学や天文学等で解明されはじめてる現状の方にも触れていないのかもしれません)

そのような男性が、私からの質問にこう答えました:

「なんだかね….なんで自分は生まれてきたんだろう、って思って、

それが知りたいなと思ったんだよ」と。

!!!(→ 無言で目をむく私)。

「そうなんですか!」(→ これは、声にでた)

やっぱり、どんな人もそこにたどり着くんだな〜としみじみ思いました。

私もずっと探してきました。

私の場合は、

子供の頃から、なぜかわからないけど、お金とか物より

「心」が一番大事だなと思っていました。

もちろん、お金や物や外側のものに目がくらんだ(汗)こともたくさんありますが(今も、苦笑)、

でもいっつも「心」がなによりも大事なものだと感じてました。

昔は、そのことを、自分は「心理」に興味があるのだと思っていました。

そのうち、その思いは「自己実現したい」という言葉に変わり、

そして「真実を知りたい」という言葉になっていきました。

やがて「真実」を探している途上で、

ホメオパシー療法に流れていって、

ホメオパスをやって、コンサルテーションで人々の人生を一緒に追体験するうちに、

今度はこれら全てが起こってる「この世の仕組みを知りたい」という探求になりました。

そして、この世の仕組みがわかっていく途上で、

自分が探し求めていた「真実」とは何のことだったのか、

「自分」とは何だったのか、にたどり着きました。

たどり着いたといっても、覚醒したわけではありませんが(苦笑)。

けれどそこで真実探求の道はいったん終わって、

今度はそれを分かち合っていきたい状態に変わり、今があります。

人は、究極の問いとして、

ー自分が何であるか知りたい(自分は何者なのか、自分は何で生まれてきてここにいるのか)

ーこの世とは何か(この世の真実とは何か)

ー神は本当にいるのか

を深いところに持ってると思います(上記3つは、言葉は違うけど同じ問いだと思います)。

意識的でも無意識でもこの問いをどこかに持ちながら、

その答えにたどり着いていって、自分がどんな存在だったかを思い出す、

それが人生だと私は思っています。

色んな悩みを持つのも、

問題にぶつかるのも、

そして病になるのも、

とにかくそういう様々な用意されてる経験が、

その答えにたどり着くための 

きっかけであり、

ツール 

なのだと思います。

話を戻しますと、その男性に、

「(なんで生まれてきたのか)よかったら、私が説明しましょうか〜」

と冗談ぽく提案してみたら、

「結構です!」

と断られました(笑)。

彼は、それを知りたいとはっきり認識したのだから、それにたどり着くでしょう。

今後の時代は、そういう内面の旅をしていく人がさらに増えるのだろうと思います。

道端のアジサイが美しい季節になりました:

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少し前に始めた「心のスタディグループ」は、自分だけの体験でなく、他の人の悩みや体験をもツールにして、各々の心の旅をしていくものです。

上記の究極の問いが心に浮かんでいる方、今、もっている悩みや病の症状をツールにして
内面の旅を始めるてみるのはどうでしょうか。

ホメオパシーのレメディなど高次のエネルギーを使って、その旅のサポートをします。
ご興味のある方は、HPをご覧ください:https://arnicahomeo.com/

喜べない贈り物 続編

一つ前の記事と関連した内容になりますが、実は私も「喜べない贈り物」をもらっていた時期があります。

贈り主は義理の母でした。

義理の母は、なにか機会があれば贈り物をくれる人でした(既に他界してます)。

私の両親は誕生日ですらめったに贈り物をしない人達だったので(変人?!、苦笑)、私にとって贈り物をもらうということはとても嬉しかったのに、

義理の母からの贈り物は、

開けて “びっくり” → 正直いうと ”がっくり” な品物ばかりでした….

例えば、私が着ていた服は、無地もしくは柄でもせいぜい水玉やストライプ、花模様なのに、

ヒョウ柄の服をくれたり(汗)。

バンビ柄くらいなら着れそうですけど、なんで私にヒョウ!?みたいな(苦笑)。

私は 当時からカゴバッグ愛用者だったのですが、その私に

パンクロッカー?調のデザインの黒のテカテカ光るビニール製のバッグをくれたり(汗)、

アクセサリーも小ぶりなものしかつけてない私に、

動けばジャラジャラと音が鳴る大ぶりの複数のパーツが組み合わせてあるブレスレットをくれたり(汗)….etc.

今は、振り返ってわかるんです、

あれらの贈り物は、彼女から私への(無意識ながらの)こういうメッセージだったんだなって↓

「Akiko(私の名)、もっとはじけなさい!!!」(苦笑&泣ける)

あー、ヒョウ柄と黒いビニールバッグもって、ブレスレットジャラジャラ言わせてパツキンに染めて、義理の母に会いにいっとけばよかった!(笑)

でも当時の私は、そんなことに気づけるキャパはなく、

彼女からの贈り物を開封しては、彼女の息子であるダンナさんに、

「みてよ、これ! なんで、私にこれ選ぶかな?!」と文句言って騒いでました。

ダンナさんは自分の母のことで文句を言われるのも嫌だけど、

自分の母のプレゼントのチョイスの悪さにもうんざりしたような顔をして

「もう、わかった、それ、捨てといて!」

みたいな応答をしていました。

私は文句をいいつつも、贈られたものをすぐに捨てられなくて(贈り物をもらうことは嬉しかったので)、しばらく保管してから一度も使わないまま処分してました(結局、汗)。

かたや、私も誕生日やクリスマスに義理の母に贈り物をするようになりました。

最初は何をあげたらよいのかわからなかったけど、

直接尋ねて、紫&モーブ&ピンク系統の色が好きとわかったので、

そういう色の品を選んで贈るようにしました。

そして機会があれば、私が好きな色は白だよ、と伝えたり、

私は自然派なものに興味がある、というアピールも忘れませんでした(ちゃっかり笑)。

そんなんで 3, 4年くらい経ったあるとき、

私からの贈り物をその場で開封した義理の母が、

少し目を潤ませながら興奮を抑えた声で

「Akiko、私ね、この色が大好きなのよ!」

と告白するように言ってきました。

「知ってるよ、だからあなたに選んだんだよ」

内心、今頃気がついたんかーい!?とツッコミながら、そう答えました。

(そのときの品の色が彼女のドンピシャ好きな色だったのでしょう)

それから、彼女が私に贈ってくるものが変わっていきました。

それまでくれたことのない生成りの麻の生地の雑貨 とか、白を貴重にしたもの、

自然派の珍しい石鹸やエッセンシャルオイルなどをくれるようになったのです。

これ、過去に実際にくれたもの、今でもとってあります ↓

義理の母は、両親が妹の方を溺愛していて(2人姉妹)、

愛情だけでなく物質的にも、妹と差をつけられて育った人らしいです(→ 本人談)。

義理の母は、自分勝手に好きなように生きるタイプ、

妹は、親のいい子になることでコントロールされてしまったタイプの人です。

彼女たちの両親は、姉=義理の母の目の前で、妹の方を可愛がるのをみせつけることで、

”いい子になってくれればお前も可愛がるよ” という条件を示していたのかもしれません。

彼らは全く従順でなかった義理の母をなんとか自分たちの範疇におさめたかったのでしょう。

贈り物をするのが好きな理由が「相手を喜ばせたいため」だとしたら、

義理の母が贈り物好きなのは、

両親を本当は喜ばせたかったという代償行為なのかもしれません。

自分が思うままに好きなように生きることを残念ながら喜んでくれる親じゃなかった、

だから喜ばせることはできなかった、

そんな思いを、贈り物をして人を喜ばせることで癒していたのかもしれません。

あー、それにしても、

あの開封した瞬間に「げっ!!」と毎回思った

義理の母からのクセの強い贈り物たちとの思い出が懐かしい〜(笑)

↑ 彼女が好きだった系の色たち(ネイルの画像でみつけました)、この系統の色をみると瞬間的に義理の母を思い出します。

野鳥の親子

先日の朝、スコッチ(猫)が巣立ったばかりと思われる野鳥のヒナをくわえてきました(汗)。

すぐに保護して、猫に再度捕まえられないよう少し離れた裏山で解放しようとしたのですが、この小鳥はなぜか逃げようとしません。

これまで猫に捕まえられてきた小鳥たちは、外で解放するや否や、一目散に逃げ飛んでいくのですが、

この小鳥はまったく逃げようとしません ↓ (左にうつってるの私の頭です)

逃げるどころか、私の手のひらに座ったままで、うとうとと目を閉じて寝そうになってます(苦笑)。

飛び立てるまで成長していなかったヒナなんでしょうか、しかし全く怯える気配も警戒心もありません。

とりあえずしばらく休ませようと、巣にみたててタオルでつくった入れ物にいれても出てきてしまいます。

人の指とか手に乗せてるほうが体温があるからなのか?安心するようでした。

手のり文鳥のように指に乗せてもそのままじっとしていて、指に乗せたまま私が移動しても飛び立ちません、きゅーん、可愛い。

こちら息子の手 ↓  誰の手にのせてもうとうと寝ながら、チチッと時々思い出したように鳴きます(この写真は目を閉じてるところ)。

仕事があったので、ずーっと指にのっけておくわけにもいかず、
スーパーのマイバスケットを使って枝を差し込み、簡易のつかまり枝をつくりました ↓

枝が太すぎてつかまれないようなので、軍手の綿のひっかかりを利用しました…..
この開放感のある枝にのっても、飛んでもいかず、半分眠りながら、時々チチッと規則的に鳴いております。

仕事の間、猫に襲われないように別のカゴでフタをしていたのですが、仕事が終わって見にいくと、なんと親鳥が近くまで来ていました。

親が清らかな声で鳴いたあとに、この子がチチッと鳴くというやりとりを何度も何度も繰り返していて、この子もやっと枝から移動していました。

朝にスコッチがこの子を連れてきて、この親鳥が現れるまで 5, 6時間経過していたと思いますが、ちゃんと探しにきた親鳥、すごい〜!!

何の鳥かわからなかったのですが、親鳥の様相からみるとホオジロという鳥のようです。

親鳥は人間がいると近寄ってこないので、このつかまり枝のマイバスケットごと、少し離れた場所に置いて様子をみました。できることなら親鳥の元に帰ってほしい(祈)。

親鳥は一生懸命に鳴いて子をはげますのですが、この子はなかなか飛ぼうとしません。

すると親鳥はどこかへ飛んでいって、餌(虫)をつかまえてきて、この子にあげました。


すると ↓ 地上から、 Aの位置(隣のお宅の屋根の上)まで羽ばたけました。やった!

親鳥は、その後も近くの電線にとまって、こっちにおいでというように鳴いてるのだけど、子はなかなかAの位置から動かず(汗)、そしたらまた親はどこかから虫を運んできて食べさせます。

そこでやっとBの位置まで飛びました。

そしてまた親が鳴いてはげまして、動かない子に虫を2回くらい運んできて、なんとかCの位置まで飛びました。

AからCまでいくのに、数十分かかったと思います。

この子はまだ飛べない子なんだろうな、と思いつつ、このままだと今晩この子はどうなるんだろうと心配になった頃、やっと屋根のてっぺんで親子合流しました ↓

左が親で、右が子です。

どうなるの…とみつめる私、

そのとき、まるで、イチニノサンッ と声をかけたかのように、

二羽でいっせいに空に飛び立ちました。

あの子、思ったよりもずっと高く飛べたんです(涙)!

すぐに追いかけましたが、どこに飛んで行ったのかわかりませんでした。

スコッチが連れてきたくらいだから巣はそんなに遠くないと思うので、巣に帰ったのかもしれませんが、いずれにしろ親と一緒に移動できたのでよかったです。

あとで調べると、ホオジロは生まれて2週間もたたないうちに巣立ちはするのだけど、その後1ヶ月ほどは親に餌をもらいながら成鳥になっていくそうです。

だとすると、あの子は普通のヒナより早い時期に空を飛ぶことになってしまったのかもですが、でもちゃんと飛べたのだから、すごい潜在能力です。

あの親子で飛び立ったシーンを思い出すと、今でも胸が熱くなります。

親鳥は少しづつステップアップさせて、食べさせて&励まして、

雛鳥もちょっとづつ踏み出して、生まれて初めてあんなに高く飛んだのでしょう。

あの子がもっと自由に飛べるようになったら、我が家まで飛んできてまた私の指に止まってほしいな〜(夢)。