メディアと自分

気がつけば、4月はBlog記事を1つも更新していなかった(汗)。

Instagram を始めて小出しに自分の中のものをアウトプットしてることで、

Blog記事を書くという衝動が少なくなってるのかもしれません(?!)。

ところで誰でも、フォローしてるSNSやブックマークに入れてるブログなどあると思うのですが、

私はお気に入りにしていたものでも、発信者が自分のとても好きな人や尊敬する人であっても、

それを見たり読んだりしたときに、

自分の中からコメント(つまり批判)がでてくる回数が増えたら、

フォローやブックマークを外すようにしています。

批判のようなコメントがでてくるということは、

その発信内容と、自分の周波数が合わない(または合わなくなってきた)ということだと思うからです。

以前、ある海外在住の日本人の方が書いてる人気のBLOGを読んでいたことがあります。

日本人の常識からしたらナンデー?!と思うような海外生活で起こる日常の出来事を、

辛辣に面白おかしく書いてる記事でした。

ほぼ毎日更新されるので、まるでルーティンのように読んでいたわけですが、

ある日、その記事を読むと毎回自分の中にコメントが湧き上がってくるのに気がつきました。

「そこを我慢してるから、こういう出来事が起きてるんだけどな….」とか、

「ネタとして書いてるんだろうけど、この出来事の締めくくりがなんか腑に落ちないな」とかです。

つまり、ブログ記事を読むことで自分の中にノイズをつくりだしてるなと気がついたのです。

簡単に言うなら、私はあまり気分がよくなっていないな、と思ったのです。

それで、そのブログのフォローをやめました。

メディアに限らず、身の回りの物や服でもなんでもそうですが、

不満を感じていたり、コメントが浮かぶもの=つまり自分の周波数にノイズを起こしてると感じるものがあったら、

とりあえず、そのノイズから自分を遠ざけるのがよいのでは、と思います。

別の角度からみると、

自分のお気に入りやフォローのメディアのチョイスは、

自分の周波数の状態を表していると言えるかもしれません。

自分が選ぶものは、自分と合ったものだからです。

もし批判したり、けなしながらも、フォローしつづけている特定のメディアがあったら、

自分も実は同じ周波数帯にいるということかもです。

惹かれるもの、ここち がよいと思うものも、自分の成長に伴って、徐々に進化(変化)してるはず。

だから、メディアのチョイスも、時々見直そうとちょうど今朝思いました。

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近所の神社で朝陽をみる、心洗われる〜
↑ 神社の池、ノイズがないと飛行機雲までクリアに写ってる〜

特定のメディアをみて、

批判やコメントと共に「強い感情」がわきあがってくる場合は、

自分の中にもともとあったノイズが拡大されてるということ=エネルギーのブロックがある
ということなので、その場合は、それに気がついて解消するのがお勧めです。

自分はブロックがあるだろうけど、それが何かわからないという方は、

それを外すお手伝いができます。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

ミソジニー逆バージョン

昨日、とても大きな気づきがあったので記事にします。

昨夜、家族で口喧嘩になりました。

食事中に、息子とダンナさんはよく歴史上の戦争や国家戦略等についての話題を出すのですが、

そういうとき私は門外漢扱いとなります(実際そうなんですが)。

時々話題が他のことにうつったときに、私がそこに関連する精神世界の話題や、医療にまつわる裏話なんかをすると、

2人はちょっとあきれたような顔でお互いに示し合わす感じです(あ〜あ、何、空想みたいなこといってるの?!みたいな)、

昨夜もそれがみられ、しかも薄ら笑いしていたので、

私はそこで思いきり怒ったのです。

自分たちの話題は現実的で科学的で確実だけど、女性の話題って世間で通用しないよね、頭大丈夫?!みたいに(汗)思ってるよね!?

それって、森喜朗(呼び捨て汗)みたいなミソジニーだから!

みたいな感じでまくしたてました。

しかし、それをわかってもらって話し合いにもっていこうとしてもなかなか話はまとまらず、

非常にいやーな感じで終わりました(ダンナさんは、その後、ふて寝した、汗)。

少し時間が経って、なんでこれが起きてるのかな〜?と

思いを巡らせていたら(目の前で起こることは自分の内側の反映なので)、

なんと!私の中にも、同様の意識があることにはっきり気がついたのでした。

私は、どこか深いところで

男の人って表面的なことしか理解してないよね とか

男の人の心の進歩は遅れてるな とか

戦争を引き起こしてるのは男たちなんだから、ほんとにもう! とか

そんな意識をもっていたのでした。

ダンナさんや息子や知ってる男性たちに対してダイレクトにそう思ってるわけではないのですが、

でも深い意識のどこかで、

「男たち全体」にそういう思いを持っていたことに気がついたのでした。

ミソジニー逆バージョンです(汗)。

ちなみにミソジニー(女性軽視、蔑視)の逆は、ミサンドリー(男性憎悪、嫌悪)というそうです。

短い言葉でいうなら、あ〜男はしょうもない、女性の方が実はなんでもわかってる、みたいな意識です。

その自分が持っていた意識に気づいたら、

腰が抜けたような、つきものがとれたみたいな感覚になりました。

そして早速、まだ起きていた息子に謝りにいきました。

ごめんね、ママも同じ感覚もってたよ、と。

そして、さらに思いました、これはおそらく多くの女性がもつ集合意識なんだろうなと。

女性って、例えば父親やダンナさんや上司など男性に上から言われることがあっても、

心のどこかで、

あ〜あ、男の人ってどうしようもないよね〜

と思ってるところないでしょうか。

男性に蔑視されてるようで、実はその奥で女性も男性のこと、そんなふうに 評価してるのでは

ないのかなと思うのです。

そして、この一見外側では見えにくい女性から男性への上から目線ってどこから来るのかな?と考えてみたら、

女性ってもとは皆が母だから、かもなと思ったのです。

どんな人間もつまりどんな男性も母から生まれてきてます。

そして母として男の子を育てる過程で、

もう男なんだからしっかりしなさい、とか

あーあ、もうだらしない、とか、そんな上から目線の感覚を歴代の母たちは

もっていたのではないのかなと。

それが歴史的に重なっていって集合意識で女性に備わっているのではと思い至ったのでした。

実際、夫婦関係でも、

ダンナさんになにか言われて黙って聞いてるその裏で、

多くの奥サマ達が、

あー、もっと尊敬できるような男になれないのかな、とか、

もっとしっかりしてくれたらな、とか

もっと器の大きな男になれないのかな、とか

もっと社会で成功する男になってよね、とか

そんな母親のような感覚でご主人のことをみてたりしませんかね(汗)。

そのような女性の無意識的な男性への裁き(息子のような感覚で)を、

男性はどこかで感じるから、その反応として社会は男性優位になっていったのでは?!

そんなことまで思いを巡らせてしまいました。

女性&男性蔑視は、どちらが卵かニワトリなのかはわかりませんが、

そんな感じで、実はお互いがそれぞれを下にみる気持ちを持っていたのかもしれません。

本来なら男性と女性は、お互いの違いを尊重して協力することでうまくいき、違うからこそ惹かれあい愛し合う存在なのに…..

と、話が広がりましたが、

いずれにしろ、私も森氏のことなど批評してる立場ではなかったのでした(苦笑)。

ということで、今朝は起きてすぐに、ダンナさんのところに行き(先に起きてた)、
上記の説明をして、ごめんね、と謝りました。

そして女性を代表して(?)、

世の中の「男たち」にも、これまで、ごめんなさい、です。

これからは、フラットな意識でお互いを補完する同胞として心を通わせていきたいなと思いました。

あ、↑ この言い方固いな(苦笑)

書き直しますと、

たった今、この場から、性がどちらであろうと、お互いの違いを尊重して、そしてその違いに愛をもって接していきたいなと心の底から思いました。

↑ イメージ画像です(私とダンナさんではありません、笑)

あなたの大事な家族なら

1つ前の森氏に関しての記事の後記になります。

あの記事を書いたとき、まだ一側面しか報道されていませんでしたが、

その後、他の側面の情報を読んだり(オリンピックに関する仕事については森氏は無報酬でやってきたのだそうです)、森氏の謝罪会見を見たりして感じたことがあったので書きます。

彼の謝罪会見をみて、

「あ〜、この人は全然ブレていないんだな」と思いました。

本当に心から女性を蔑視してるか、については実際はどうなのかな?と私は疑問に思いました。

森氏が最も大事にしてること&自分の役割だと思ってることは、

「自分たち(所属政党)が決めたことをつつがなく進行する」

だと思いました。

そういうわけで議論して進行をさまたげる女性や、わずらわしい質問をしてくる記者を制するのだと私には見えました。

女性だから、記者だから、というくくりというより、自分たちが決めたことを邪魔してくる人を除外したい思考なのだと思いました。

しかし、森氏が彼の役割をつつがなく遂行して、それで何が起こるかといえば、

当の国民は、え?、そんなこと誰が望んだっけ?みたいなことになってるのが現実ではないかなと思います。

彼がつつがなく遂行したいのは、いろんな団体の利害を守るためのもので、国民の希望や幸せがあまり反映されていないから、だと思うのです。

なにかを政治的に決断するときに、A団体の利害とB側の利害、C団体の利害etc.をどう折衷させるかがメインになってるからかなと思われます。

国を自分の大事な家族に例えてみたら、もっと違う選択になるのでは、といつも思います。

7人家族だとしましょう。

2021年、家族でオールスターの野球観戦にいくのを楽しみにしてました。

チケット予約したり、ホテルもとったし、旅程もばっちり。

でも直前でおじいちゃんとおばあちゃんが感染症で床にふせってる。

お母さんは看病で疲弊してる。

そんなときに、残りの4人家族で、さあ、野球観戦に行くぞ!とお父さんは決めるでしょうか。

もし観戦日を変更できるなら、手数料をはらってでも変更して、家族が元気になって全員で行こうとお父さんは決めませんかね。

例えば、お母さんはガーデニングが趣味です。
草むしりが大変なのであるときから除草剤を使い始めました。

すると、そのあたりからお母さんは具合が悪くなりはじめました。
お母さんはなんとなく、その除草剤のせいではないかとお父さんに話しました。

そしたら、お父さんは科学的な因果関係は証明できないから、これは引き続き使用してもいいんじゃないとは言わないでしょう。

それはすぐに捨てなさい、そしてもしお嬢さんもガーデニングをやってるなら、それは使わないようにアドバイスするでしょう。

もし近所の人もそれを使ってると知ったなら、警告するだろうし、なんならメーカーに電話するかもしれません。

さらに例えると、住んでる家が古くなって大幅なリフォームしようという案がでたら、家族で話すでしょう。

お母さんの要望がたくさんあって話が長くなりそうだとしても、「母さんは話が長いから」といって、リフォームの話し合いのメンバーからお母さんを外しはしないでしょう。

「話、長いな〜」と思いながらも、お母さんの要望について聞き取るでしょう。

もし長男が自分の要望を述べたら、「お前は、混ぜっ返すから黙っとけ」なんて、彼の発言を途中で止めないでしょう。

もし、お父さんが1人で「ワシが思った通りに決めればそれでいい!」と、
リフォーム会社と予算を話し合って両者で全てを決めてサクサクっと完成までこぎつけたとして、

その家に入居した家族の皆は何を感じるでしょう。

これ、誰のための家?!

わたしたち、こんな家望んだっけ?!

森喜朗氏だけでなく、今、私たちが変えていきたいのは、

そんな誰のために行われてるかわからない政治だなと、会見をみてつくづく思いました。

国のことを決めていくとき、まるで自分の家族のことを決めるように、皆が幸せで社会が平和になるようなことを選んでいく、そんな政治家を望んでいこう、

そう強く思いました。

様々な意見や要望を聞きながら、皆が幸せで平和になるように、決断し遂行していく、そんな仕事である政治。母性(幸せ、平和になるように)と父性(決断、遂行)がうまく統合されていくこと、願います。

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その人の性格性質、体質を大きく左右すると言われてるあなたの腸内細菌叢。
腸内細菌のバランスを整える腸内細菌レメディプログラムを実施します。

まだ若干空きがありますので、ご興味のある方はこちらの記事をご覧ください〜。

2021:新年おめでとうございます

私の住むところでは、雪の大晦日〜新年を迎えました。

といっても大晦日の夕方には、雪は大方溶けていましたが。

いろんな意味で特別だった2020年が過ぎ、その流れのまま2021年が始まりました。

今年もどんどん新しい時代に向かっていくのだろうな〜と思います。

古いいらないモノ(自分たちを幸せにしないもの)がどんどんなくなっていくんじゃないかなと思います。

社会的なレベルでも、個人的なレベルでも。

なにが起こるかはお楽しみで今年も過ごしていこうと思います。

以下、我が家の年越し〜新年の様子です:

今年のおせちは、姫路のル・シャボテのフレンチおせちにしました↓:

自分じゃつくれないものばかり!一応おせちとして購入したので元日の朝に食べる予定でしたが大晦日に↑これを目にしてしまったものだから、食べたくてたまらなくなり(笑)、年越しのごちそうとしていただいてしまった(笑)。

↑ だんなさんのアメリカの上司からクリスマスに送られてきたヴーヴクリコ(シャンパン)と!この組み合わせがかなってありがたや〜

結局、大晦日に予定していた「年越し天ぷらそば」は元日の夜に作って食べました(苦笑)。
時節や縁起の意味がなくなったのが新しい時代らしい…..?!

ちなみに上記の写真にみえますようにオマール入りピロシキだの、トリュフのしこまれたフォアグラ、鴨のコンフィなど、お品が肉肉(にくにく)しくリッチでしたので、和(わ)な胃袋をもつ私は少量で大満足となり….(苦笑)、結局元旦にもお雑煮と残ったフレンチおせちを美味しくいただくことができました。

↑ 2020年からダンナさんが「のんびり農業部」という命名で「週末だけしか」畑をいじらない無農薬の野菜づくりをご近所の仲良しさんとまさに”のんびりと”始め、その成果の野菜でつくったお雑煮(もちが写ってない汗)。お餅もそのご近所さんと年末に石臼でついたもの。この中で自家製でないのは、餅米と味噌。いつのまにか自給率あがってきたぞ〜。

↑ 元日は例年通り、村の山にある小さな神社にお参り。今年もこの時間に神社いたのは我が家だけ。
厳(おごそ)かです。

↑ 神社がある山からの眺め。


↑ 私の住む村がふもとにみえます(我が家は山にさえぎられてみえない)。
残雪のせいか太陽光線のせいかエル・グレコの作品なみに写真の陰影のエッジがきいてます、そういう年になるのかもな〜(謎)。

2021年も、ワクワクしながら、たのしく、しぶとく生き抜こうっと。

ルーツを知る

少し前から新しいことを始めようと準備してるのですが、その過程で

「自分のルーツを認識して土台をしっかりと」というインスピレーションが降りてきました。

それで自分のルーツを知るために私が何をしたかというと….

アカシックレコードAkashic Records

のリーディングをしてもらいました。

アカシックレコードとは、

「地球上の生命の意識体験のすべてが記録されている記憶の貯蔵庫」です(By ゲリーボーネル)。

大雑把にわかりやすい言い方をするならば、

地球に生まれたすべての人のすべての過去世体験が記憶されてるクラウドコンピューターと

思うといいかもしれません。

アカシックレコードにはなんと2億600万年前〜西暦6732年(つまり未来も)までの記録が貯蔵されてると言われています(ゲリーさんによると)。

私が知りたいと思った自分のルーツは、

親とか祖先のことや、住んでる国の歴史ではなくて、

自分の魂の歴史=すべての過去世でした。

多くの人は、これまで数百回輪廻転生してるそうですが、私も自分がそのくらい生まれ変わってきてるのだと認識しています。

でも、今、この地球に、またも生かされてるので、

その数百回の輪廻転生を経てきたルーツ=過去世を知りたくなったというわけです。

現在アカシックレコードを読み取ることができる人はとてもとても多くて、そういう時代なんだな〜と思います。

ということで多くの人の中から、自分にピン!と来る人を探していたら、海外のある女性の方が通訳付きでリーディングしてくれるという情報に行き着きましたので、早速申し込みました。

(ご興味のある方のために書きますが….かなり高額です、冷汗)

リーディングは1時間でオンライン。

他人のものと間違わないで、正しく私のアカシックレコードを読んでもらうには、この世で法的に記載されてる氏名を伝える必要があるのだそうです(役所仕事か?!笑)。

そんな感じで、リーディングが始まりましたが、

やはり私は何百回も転生してきた魂だそうで、その中でも今世と最も関連してる記録にアクセスしてもらうと、

「あなたは Temple Priest だった」、

日本語でいうと「神官」だったと云われました。

そして、その私の過去世の記録にアクセスしてるときに

「おお!」という表情をして

「ものすごーく威厳のある姿がみえて、そのエネルギーを感じます」とジェスチャー付きで、その感じが伝わってくるように説明されました。

きょとん….(→ 威厳とはほど遠い影のうすい現在のわたし、苦笑)。

神官だったというのは、以前にもアトランティス の過去世でそれだったといわれたことがあって、オラクルカードでもよく出てきてたので、やっぱそっか、という感じでしたが、

威厳があったというのは、正直びっくりしました。

その過去世のときは未来を見通す力もあったので、王や女王のような指導者たちに進言することもしていたそうです。

↑ これを聞いてその場で私の頭に浮かんだのが….じゃ、なんで今世はあんな庶民の家を選んで生まれたんだ?!でした(笑)。

しかし、この自問への答えは、セッション後に「それが今世の1つの目的でもあるんだ〜」と妙に納得してすっきりしました。

他には、

「こどものときに親元を離れて、特別なスピリチュアルの教育を受けるための特殊な学校に行っています」

と言われ、

なぬ?!子供のときに山寺のようなとこにつらい修行に1人でだされたわけ?!みたいな寂しいイメージを持ったら、その私の感覚を感じたのか、リーディングしてくれた女性が笑いながら、

「いや、その世界では、こどもでそういう教育を受けることはむしろ栄誉なこと、光栄なこととして認識されていたんですよ」

とフォローしてくれました。

(後日に、レムリアのクリスタルシティスクールのことを知って、そこのことか?!と思ったけど、もうセッション終わってるので残念ながら確認できません)

他には、なぜ私がエネルギー療法に導かれてるかというのを教えてもらったのですが、

「植物を使ってヒーリングをする人たちとは違って、あなたは当時から、”エネルギー”や”意識”というものを取り扱っていた」

といわれました。

なるほど、そっかー、だから、私は気がつくと、エネルギーを扱うものにばかりひかれるわけなんだ〜と、これはルーツがわかって、非常にすっきりしました。

そしてもちろん他の色んな過去世もあるけど、総括していうならば、

私の魂は、アセンション トラベラー 

と呼べて、

人が意識を上昇させる時代にそれを助けるために転生しつづけてきてるのだそうです。

私は、その人の魂の高い方の目的に気がつかせることが得意というかお役目のようなことを言われました。

なんか、↑ すごいことしてるように思いますが(汗)、

確かに、コンサルテーションのときにクライアントさんに、

それがあなたのお役目でしょうとか、それがテーマでしょう、とか勝手に口から出てくるときがあって(汗)、

そういうのは、過去世と関係してたのかもなと思うと妙に納得してしまった私でした。

このリーディングをしてくださった女性は、こちらが知りたいことにだけ答えてくださって(それがアカシックを読むルールなのかもしれませんが)、

これをあなたはやり残してますよとか、これが前世でできてないとかいう心がへこむことは(?)、

伝えられませんでした(敢えて尋ねませんでしたし)。

ただ、こういうことを大事にしなさいみたいなことを教えてくれましたけど、それ、すでに知ってた(苦笑)。でも、改めて気に留めていよう、と思いました。

というわけで、アカシックレコードリーディングは、

時間枠を超えた壮大な旅をしたような体験となりましたが(高価なアトラクションに乗ったようなもの、汗)、

あーやっぱり過去世と今はつながってるのね、そうやって今の自分がいるんだとわかって、

ものすごーいながーい根っこが自分に生えたようで、土台がしっかりできたようにも感じます。

とはいっても、過去世すらも大いなる源からみれば、

魂の長い”夢”または”幻影”であるというのはわかってるので、

過去世にこだわりすぎないで、「今」を大事に生きればよいなとも思いました。

ただ、現世に疲れたときは、時間枠を超えて壮大な流れの中の自分の魂の物語を覗くことで、

今世をありがたく生きるのもありかもしれません。

↑ 現世からちょっとだけ抜け出すイメージ(?!)

あなたのところの Wildlife

「わたしの住むところのWildlife (野生動物)だよ〜」と、

旦那さんの同僚のアメリカ人女性が写真を送ってくれたんですが、

それらの写真があまりにも可愛いのでBlog記事にて紹介します。

こんな動物たちの写真はネットで探せば幾らでもみつかると思いますが、

知ってる誰かが、実際に目の前で写した写真というのはリアルさがあって、

これらの動物たちをとても身近に感じます(網戸越しなどで写されてるのでそんなにクリアでない写真もあり)。:

↓ Deer 鹿です。鹿なら私の家の周りにもたくさんいますが(苦笑)、鹿を見かけるのは夜か早朝。自宅の庭にこうやって明るいときに集ってるのをみると、まるでこちらの方が鹿の生息地に入り込んだような気になります。

↓ A small bear and her cubs 小さなクマとこぐまたち….と彼女は書いてますが、これ小さいクマなんですかね?!(汗)。親クマのツヤがきれいでナデナデしたくなります。


日本ならこんなに民家近くにクマが出現したら大騒ぎになり、捕獲されるか射殺となりそうですが、さすがアメリカ、森林の規模が違うのかな〜?と思ってネットで検索してたら、やはりアメリカでも熊が民家近くに出現するようになって射殺されるということが近年頻繁に起こっているようでした。
(民家にクマたちが寄ってきたというより、クマ達の生息圏に民家が入り込んできた?!)

↓ Racoons アライグマ。 木の家は、フクロウのために作ったのに、なぜかアライグマ親子が住み着いてしまったそうです。親子5匹が人間みたいに一軒の家に住んでるようで、なんだか可笑しい!
上記のクマの親子もそうだけど、動物が親子で生きてるのをみると、とてもなごみます。

↓ Fox きつね。夜に火を焚いてたら、すぐそこまで寄ってきていたそうです。
仲間にいれてよ、みたいな表情にみえます。相当、人に慣れてるのかもしれません。

この写真を送ってきた彼女はニュージャージー州に住んでいます。

ニュージャージー州ってどこだっけ?!(アメリカの州、全く頭に入ってません、大汗)と地図をみてみたら、ニューヨークと隣接してる州です。

マンハッタンまで車でいける通勤圏なのに、この自然!?

しかしニュージャージー州は、アメリカ全州の中で人口密度ナンバー1なんだそうです。

それなのにこんな野生動物たちを育む森林もあるんですね〜、おまけに東側にはジャージーショアーと呼ばれる長い海岸線もあり、ビーチも素敵だそうです。

人口密度が高いのは、大都市まで通勤圏でもあるのに自然も豊かなので、人が住みたがるからかもしれません。もしくは、森林や海岸におされて住宅となる土地が少ないから?!

ということで野生動物たちの写真から、アメリカのよく知らない州のことまで思いを馳せることができてちょっとした旅行気分を味わいました。

コロナウイルスで、海外旅行にいけなくなったのは残念だなと思っていたけど、
こうやって他の土地や生き物に思いをはせるだけでも結構楽しいものですね(→ コスト&移動疲れゼロ、苦笑)。

愛しのフェリックス

こんなに涙がでて、悲しかったのはいつ以来だろう…..

ノラ猫から我が家の外(そと)猫に昇格していたフェリックスですが、

おそらく亡くなってしまったと思います….

10月初め頃に、1、2日姿をみせなくなったと思ったら、喉の下を大きく腫らして戻ってきました。

ケンカ傷ではなさそうだったので、野生動物用のワナかなにかにひっかかって怪我をしたのかもしれません。

体液をかなり排出して匂いがひどい状態だったのですが、ごはんも普通にねだるし、よく食べるので、効果のありそうなレメディを与えて様子をみてました。

2,3日で腫れがおさまって傷もふさがってきたので、安心していたのですが、

その日はえさをあげてもほとんど食べないで、家裏にフェリックス用に置いてあげた箱の中に入って寝てました。

お湯に浸したタオルで体液が乾いて汚れた喉の部分を拭いてあげると、初めてごろんとお腹すらみせてくれました。

あぁ、こんなに慣れてくれたなら、明日は体をお湯で洗ってあげることができるかもしれないと思いました。

その日の夜は、少し冷えたので、寝る前にフェリックス に布をかけてあげようと見に行ったら、

相変わらず箱の中で寝てました。

布をかけてあげなら、頭をなでると、ゴロゴロ、ゴロゴロと喉を鳴らすのが聞こえてきました。

「フェリックス、明日は体を洗ってみようね〜」と声をかけながら、さらにナデナデすると、

みゃあ!とびっくりするくらい大きく鳴いてくれました。

翌朝、起きてすぐにフェリックスをみにいくと、箱はカラになっていて、

そしてその日からフェリックスは帰ってこなくなりました。

猫は亡くなるときに必ず姿を消すと言われますが、まさにそうしたのだろうなと思いました。

ナデナデできるようになったから、これからもっともっと近くなって、抱っこしたり、グルーミングしたり、もっともっと快適に過ごさせてあげたいと思っていた矢先でした。

1匹でどこかに隠れたまま、この世からひっそり姿を消したのだと思うと、

さびしくて 悲しくて、涙が止まりませんでした。

ノラ猫独特のフェリックスのほそっこい体、

玄関をあけると図々しいくらいにえさをねだってくる鳴き声、

道で寝転んでいてもわたしが帰ってくると、ひょいひょいと飛ぶようにこっちに歩いてくる姿、

そんな全てがもう戻ってこないのかと思うと、悲しくて悲しくてたまりませんでした。

あの晩、家の土間に無理やりにでも入れていたら、家でまだ看病できたのかな、とも思いましたが、

フェリックスが本能に従って選んだ死に方ができたのは、よかったな とも思えました。

とにかく、いつも外にいてくれたフェリックスが、突然いなくなった喪失感はとても大きかったです。

動物とは言葉でなくテレパシーみたいなもの、いわゆる心と心で交流しています。

だから、その交流がなくなったときに感じる心の痛みはきっと想定外に大きいのだと思います。

魂(動物の場合はスピリット)は永遠だとわかっていても、あの小さな体や鳴き声を五感でリアルに感じることがないのだと思うと寂しくてたまりません。

フェリックスがいなくなって数日たっても、涙は枯れることがなくて、自分の元気がどんどんなくなっていくので、これはちょっとなんとかしたいなと

ホメオパシーのレメディ Ignatia イグナシア をとりました。

Ignatia というのは「愛するものとの別れ」に使われるレメディですが、私がこの用途で使ったのは初めてです。

しかし、レメディをとってすぐに(といっても30分後くらいですが)インスピレーション が降りてきました。

「悲しみの方にフォーカスしてるよね」と。

そうでした、フェリックスがいなくなったほうにばかり視点を向けてたけど、

フェリックスがいて楽しかったほうをみよう!と思いました。

うちの猫が食べ残した餌(汗)でもなんでもあげたらペロリと美味しそうに食べてくれた姿とか、

最初に頭をなでようと触ったらびくっと飛び退いて後ろにさがったときのこととか、

そのうちご飯を食べてるときだけ頭をなでさせてくれるようになったこととか、

最後は足にすりすりしてくれるようになった姿とか….etc.

そんなのを思い返したら、フェリックスへの愛しさがどんどん&どんどん胸にあふれてきて、

今度は愛しくて愛しくて、愛しい涙が止まらなくなってきました。

涙は温かいものになったけど、結局、また涙が止まらない日々(汗)。

それでもう1度、後日にIgnatia をとりました。

そしたら、またインスピレーション が降りてきました。

「何が起こったか、が大事じゃない、何を体験したか、だよ」と。

フェリックスという野良猫が我が家に立ち寄って、私が餌をあげて、

そして最後に死ぬために彼が我が家を去ったという出来事が大事なのじゃなくて、

大事なのは、

フェリックスと過ごした時間に私が何を体験したか、それこそが大事なのでした。

以前なら野良猫には餌をあげるつもりはなかった私が、

ふと心を開いてご飯をあげたこと、そしてその猫と心の交流が始まって、

最後は心がつながった体験。

フェリックスを触ることに(ひっかかれるんじゃないかと)警戒心がなくなったときに、

フェリックスも私に心を開いてくれて、頭をナデナデさせてくれて、足にスリスリしてくれて、

喉をゴロゴロもいわせてくれた。

猫と人間だけど、見知らぬ者同志が、少しづつ心をひらいて、

心と心がつながって、とても暖かい愛を通わせることができた体験でした。

短い期間だったけど、こんなに涙があふれて止まらないくらい大きな出会いで体験でした。

うわー、ありがとう、フェリックス!

愛しい愛しいフェリックス、出会ってくれてありがとうね!

↑  我が家の猫ミヌともケンカせずに挨拶してましたっけ。

↑ これは秋になって少し寒くなったので玄関前に置いてみた箱、そしたらフェリックスはすぐに中に入ってくれてたのでおかしかったです。

↑ フェリックスといったら、玄関あけたらすぐに餌をねだってたこの顔を一番に思い出します。

追記:ペットロスにより長引いてしまう人間側の悲しみとは別に、実は動物たちは短い命でたくさん転生できるのを楽しんでるらしいです(苦笑)。
フェリックスも、ちゃんとした家猫か他の動物の姿で思い切り甘やかされる人生をちゃっかり既に始めてるのかもな〜と思います → 想像すると、フェリックスならありえる〜!と思って笑えます。

草むしり効用

草むしりの、「むしる」はつかんで引き抜くという意味だそう。

関西の方では、「草ひき」と言います。

少し前ですが、草むしりするぞー!と意気込んでやったところ(いつもはダンナさんにさせてる笑)、

家の前側に伸びた草だけなのに、延べ3時間もかかりました……!

草むしりは、ヒジョーにしんどいので、できたらやらないで済ませたいものですが(汗)、

ちゃんと向き合って草むしりしてみると、雑草がなくなって見た目や気分がすっきりする以外にも非常にありがたい機会なのだとわかります。


*その1

アーシングできる。

Earthing というのは、体にたまった電気(電磁波)を地面に触れることで地中に流す方法です(電気製品のアース線と同じことを自分の体でする)。

また地面(土)に触ることで地球のエネルギーとつながるという効用もあります。

草むしりすると、足と手から両方アーシングできるということになります。
(理想をいうなら裸足で、手にも軍手をはめないことですが)

畑をやってるのと同じ効果です。

森にでかけていかなくても、家周りを綺麗にしながらアーシングもできる、一石二鳥。


*その2

頭(こうべ)を垂れる機会になる。

地面に座り込んで、草をみながら、引き抜く、むしる。

草をむしるためには、どうしても頭を下に向ける姿勢になります。

このように頭を下げる機会というのは、

大人になると、そして歳をとればとるほどなくなっていきます。

これ、大事だな〜と思いました(→ 私にとって特に、汗)。

知らない間に態度がでかくなってる、知らない間に謙虚さがなくなってる、
草むしりでは思い切り頭を下げることができます。

エネルギー的にいっても、頭のほうに淀んでる思考まみれのエネルギーを振り落とすことができます。

更にいうなら、地球にこの土地にいさせてもらってありがとうねという意識をもつと、よりエネルギーの流れがスムーズになると思います。

*その3

雑念の掃除になる。

これは以前参加したあるワークショップで体験したことです。

ワークショップ会場が神社だったので、プログラムに神社の早朝お掃除奉公が組み込まれていて、その一環で草むしりを終えた後に非常にリアルに感じたのですが、

雑草抜きをしてると、同時に心の雑念抜きが行われるのでした。

雑草を抜いてると、その単純作業に並行して頭に雑念が湧いてきます。
しかし雑草を抜き終わったあと、雑念も同時になくなっていて頭がすっきりしてたのです。

雑草という言葉にかけて「雑念」とかきましたが、必要のない無駄な考え事のことです。

必要なもの(残す植物)と不要なもの(雑草)を体で取捨選択してる行為が、

思考にも並行して起こったのだと思います。

まめに草むしりしようとはなかなか思えないのですが(汗)、雑草が目につきだしたら、

それは自分の雑念も増えたサインだと思って、草むしりしようと思いました。

↑  この1輪車4、5杯分の雑草でした、どんだけ雑草+雑念ためこんでたんだ〜(大汗)
しかし、この記事書いて、前庭をみまわしたら、またごっそり雑草生えてました…..ひー。

冴えない日

わたしの心が晴れない日がありました。

気分が冴えなくて、傷ついたような沈んだ気分の日でした。

前日は、心が浮き立ってなにもかも順調で明るく楽しい日だったのに(苦笑)。

気分が冴えない理由を探るならば、自分の中の弱さ(プライドとも言える)が

傷ついたからだとわかっています。

そしてそれが何を私に教えてくれてるのかもわかっていて、

それで私はどうするのか、ということまでわかっています。

大きな心の問題が起きたわけではなくて、だから泣くようなことでも、

怒るようなことでもない、ただ、ほんのちょっと気分が落ちるようなことがあったのでした。

冴えない気分のまま空をみあげると、空もすっきりしない様相でした。

雲が薄〜くたちこめて、明るさがどこにもなくて、雲の輪郭がわからず面白みがない、

雨が降りだしそうな暗さでもない、どよーんとした空。

わたしの心をみせられてるような空でした。

あ〜、心と同じように、空もいつも明るく冴えてるとは限らない、いつも美しい空とは限らないよな。

でも、再び、また明るいスカッとする空や、美しい雲のパターンをみれることもわかってる。

そうやって、全てが流れ、事象が起こり続けてるとわかってるけど、

それでも、わたしは心の平安を求めてる。

一時的にじゃなくて、ずっとずーっと心が安らかだったら、

もしくはずーっと心が明るいままだったらよいのに、とどこかで望んでいる。

そんなことを思いながら寝る前に瞑想していたら、こんなインスピレショーンをもらいました ↓

「ほんとうのわたしたちは、

気象現象を見上げる側じゃなくて、

気象現象を見下ろす天空の方だよ」

あら、すみません、そうでした(汗)。

ほんとうの私たちは、

さまざまな気象現象が起こるその「真下」で生きてる存在じゃなくて、

気象現象の影響をいっさい受けない

そのはるかかなたの揺るがない「天空」の方でした。

天空は、

そこで雲が増えようと、雷が鳴ろうと、豪雨になろうと、

太陽が休みなく照りつけようと、なんの影響もうけない。

それらの気象現象の移りゆくさまを、ただ眺める存在。

私たち「人間」は、気象現象の起こる空間で、その影響の下でいきていて、

空模様と同じように、変化しつづける落ち着かない心模様を抱えて生きている。

そんな変化し続ける毎日の心の動きに疲れるな〜と思ったら、

ほんとうの自分は、永遠に平安な「天空」の方なんだと思い出すと、

心の動きを達観できるかもしれません。

↑ 達観したせいか(?)、今日はすっきり雲一つない秋晴れです。

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心の乱れを、レメディやエッセンスなどのヘルプで整えていくことができます。

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みんなのお母さん

昨日の夕方、家族で出かけてたら車の中で、非常に久しぶりの大口論になりました(汗)。

わたしとダンナさんがそれぞれ怒ってぶつかった、ブチギレた?!

怒りがおさまってから、ダンナさんに

「今週テニスが足りなかったんじゃない〜?(→ 私の怒りエネルギー噴出の場、苦笑)」

と言われたりしたけれど、

なんであんなに怒ったのかな〜と自分を分析してみたら、こんな感じでした:

前夜、息子が熱く語る話(私にはヒジョーに興味が薄い各国の武器開発の話)を聞いてあげた。

出かける少し前に、今熱中してるインドの賢者の本を1人で静かに「離れ」で読んでたら、

ダンナさんがやってきて、彼が午前に体験したことを熱く語り出し、

おまけに「後でみるから」と断ったのにそのとき撮影した動画までみせられ、

あげくに話が終わったら、その場で彼はぐーぐー昼寝を始めたため、

私の読書集中がとぎれて、結局、母屋で家事をした。

その後、家族で出かけた車の中で、行先について私が意見を言ったら、

それを聞きいれてくれなかったので、私は怒りが噴出したのでした。

”私はあななたちの話を聞いてあげたよね?!私の意見も聞いてくれていいでしょ!”

が怒りの元でした。

これって、ママ達の夫婦喧嘩の元とよく似ています。

日中、子供の気持ちをたくさん受け止めて、子供目線で話を聞いてあげて、

やっと帰宅したパパに、今度は自分の話を聞いてもらおうとすると、パパは全然聞いてくれない。

そこで怒り噴出みたいな(苦笑)。

年配の夫婦だって同じような喧嘩が多いかもです。

妻は夫の話を聞いてあげたり、食事や生活の要望を聞きいれてあげてるのに、

妻の話をほぼ聞けない夫。そしてだんだん口を聞かなくなる夫婦みたいな(苦笑)。

女性性(じょせいせい)というのは、

受容するという特徴がありますから、

女の人は自然と他者の話を聞いてあげたり、受け入れる という役割になるのだと思います。

特に「母」となると、母性が強くでますので、自分が属する家族全員の受け止め役に自然となってしまうのかもしれません。

ん?!、それなら「母」って、誰が受け止めてくれるの?

母の母かしら?!

実際、自分にお母さんがいると、実家にいって愚痴ったり話を聞いてもらってる人も多いかもしれません。

でも、そういうお母さんがいない母たちは、どうなるんだ?!

全国のそういうたくさんのお母さんを受け止める役は誰?!

なんて考えていたら、こんなインスピレーション が降りてきました↓

「みんなのお母さん、それはマザーアース」

Mother Earth : つまり地球です。

地球は、母なる星、なんて表現もされますし、

地球も意識をもっている惑星で、地球は女性性の星とも言われています。

例えば、地球はフランス語でいうと La Terre :ちゃんと女性名詞になってます。

このインスピレーション が降りてきて、

わ〜、わたしは、お母さんの上で暮らしてるんだ

って思ったら、ものすごく安らかな暖かい気持ちになりました。

地球:マザーアースは、

そこに住む子供(私たち)に、

食べ物を慈悲深く与えてくれて

(土に植えたら野菜や果物ができ、動物や海で魚も育ててくれてる)、

そこに住む子供たちが喧嘩(戦争)しても、

そこに住む子供たちが、ママをたたいたり傷つけても(環境汚染、環境破壊)、

その美しい自然の中で、子供たちを育(はぐく)んでくれています。

たまに、怒るけど?!(台風とか自然災害)。

ということで、誰にも受け止めてもらえてないなと思ったら、

マザーアースに受け止めてもらってることを思い出すのはどうでしょうか。

母が当たり前の存在じゃないように、

地球も当たり前の存在じゃない、

だから感謝を忘れないようにしたいな、地球という母の上で暮らせているありがたさをいつも感じていたいなと、

今回の出来事からつくづく思いました。

地球というみんなのお母さんとつながれる瞑想、おすすめです: