文字通りのアンチエイジング

私は毎晩、瞑想しているのですが、最近は時間があれば朝にもするようになりました。

先日、朝の瞑想から覚めたときに

「瞑想状態って 冬眠状態と同じだ」

と気がつきました。

早速、ネットで冬眠状態について調べてみると、

冬眠状態の動物たちは、

低体温や低心拍状態になっていて、それは”代謝を低下させてる”状態だ
ということが書いてありました。

ちなみに冬眠状態については、様々な分野で研究されてるらしく、

例えば、寝たきりの方々などは体を動かせないので筋萎縮が起こり、どんどん弱っていってしまうのですが、

冬眠状態の動物には筋萎縮が起こらず、それは代謝を低下させてる状態だからで、この冬眠のメカニズムを介護や医療の方面に使えないかというようなことが考えられているようです。

瞑想とリンクしてる冬眠の情報は探せませんでしたが、

その数日後に入手して読んだ瞑想の本に(導かれた…)、

瞑想してる状態では、人によるが代謝が16-20%くらい落ちている(医療機関で瞑想中の血液中の酸素濃度を計測した)と書いてありました。

瞑想状態では代謝の低下状態になってるんだ〜、だから冬眠してるようなもんだよね、と勝手に一人で納得しました笑。

私が瞑想を始めるきっかけをつくってくれた方が、

「瞑想してるとどんどん若返るよ〜」と言っていたのは、そういうことだったのね、

と、やっとここで腑に落ちました(その方は上記のような根拠はなく、ご自身の感覚で言っていたと思います)。

ということで私の理解で言うと、瞑想してると

「若返る」のではなく、

「老いていく速度が、瞑想してる時間分(代謝が落ちるので)少しゆっくりになる」です。

いわゆる抗老化タイム、つまり文字通りのアンチエイジングになる、のだと言えると思います。

これまで瞑想いいですよ、とオススメしても、なかなか実践する人はいませんでしたが、
アンチエイジングと聞けば、きっとやる気になるのではなかろうか……!?(今朝、この話を聞いた二人がすぐにやると言ってました笑)

洞窟にこもり瞑想してた僧の過去世(男性だった)があるといわれたことがあります……今世はせまいとこ嫌いだけど(笑)


あなたは、あなたのままでいい

気分が落ち込んでいくとき、なにかの”きっかけ”があると思うんですが、

100%といってもよいくらい、それは”他人のこと”から始まるように思います。

他人からダイレクトに批判された場合、そりゃ、落ち込みます。

でも他人からダイレクトに批判される機会よりも、
自分で自分を批判していくというマゾ的な(汗)落ち込みの方が圧倒的に多いのではないでしょうか …..

例えば、今の時代はSNSというものがあるから、それで目にした他人の活躍や、他人の私生活で充実してる様子、単に他人のフォロワー数とか、いいね!の数が多いとかそのような他者との比較から、落ち込みのループが始まることが多いように思われます。

あの人、友達と楽しそう、わたしにはこういう仲間はいないな….ずーん、とか

あの人、すごく頑張ってる、素敵、えらいな〜、それにひきかえ、わたしは、何も頑張っちゃいないな…..とか

どんどん自分の評価を自分で低くしていくループの始まり(汗)。

これは、何が起きてるかというと、

自分の、自分に対する評価がぐらついている、です。

別の言い方をすると、

自分の、自分への愛が試されてるとき、

自分で自分を信じる気持ちが試されているのです。

今(SNSでみた誰かと比べて、冴えないように思える)、この瞬間の

ありのままのあなたを好きですか?

と問われているのです(自問なのですが)。

ここで、落ち込んでいくとしたら、

いいえ、わたしは、いま、この瞬間のありのままのわたしが好きではないです

と答えてるようなものです。

ですので、こういうときは、しっかりとそこに意識を持って、

いやいや、わたしは、確かに今、人と比べて、このわたしを嫌いになりそうになりましたが(汗)、わたしは、実は、わたしが意外と好きです、

と思ってあげましょう笑。

素敵にみえた他人は、素敵だなと評価するままでいい、

でも、それをみてて落ち込みそうになった自分を嫌いになることはなくて、

私は私も好きです、と思っておくのがいいです。

そうすると、落ち込みループにはまることは減ってきます(ちゃんと自分が好きだと認識していくとループ自体にはまりません)。

前の記事でも書きましたが、

私たちは、自分オリジナルの神のシナリオを歩んでいます。

たとえ、あなたがあまりパッとしない生活をしていようとも、

たとえ、あなたがたくさんの欠点や改善点を抱えていようとも、

たとえ、あなたがしたいことを成し遂げていなくても、

あなたは、ちゃんとその自分オリジナルのシナリオを歩んでいますので、

安心して、そうだ私はこれでいいんだった、と思って、

自分で、その自分をどうぞ信じてあげてください。

ちなみに、私はありのままの私でいいんだ、というとき、

何もやらなくていいんだ、

何も進化しなくていいんだ、という意味ではないです。

私たちの源はエネルギー体なので、否応なしに進化する存在です。

ですので、進化はするんです、でも、

他人のように進化しなくていいし、

他人のようなスピードで進まなくていいのです。

あなたは、あなた独自のペースで、独自の進化をしていく存在。

だから、安心して、あなたのままで、進化していけばいいのです(人生を歩んでいく)。

誰かが素晴らしい生活を手に入れてるようにみえたり、
とても素晴らしいことを成し遂げていようと、
その人もその人で、その人の神のシナリオを
その人のペースで歩んでいるだけなのです。

ですので、
あなたもあなただけの、そのシナリオを信じて、
自分が主人公のそのシナリオを存分に生きてください。

と、いうことで、他人と比較して気分が落ちそうなときは、

あ、私の私への愛が確かめられてるんだ! と気づいて、

わたしはわたしのままでいいんだ、わたしはこのわたしが好きです、

と再認識してみてください。

心地よくてたまらなくなりますよ(笑)。

追記ですが、

わたしは、何もよくできていない自分が好きとは思えないんです、みたいなことをおっしゃる方がいますが、

そういう方であっても、自分のことが好きだと思える、みつけ方があります。

日常の生活の中で、あなたが、ちょっとでもいいから気に入ってるというもの、ありますよね。

10年以上も使ってる愛用のマグカップとか、

着古しだけど、着心地の良くて捨てられないTシャツとか、

この道は、ちょっとひっそりとして好きだな、とかそういう場所なんかありませんか。

そのような人からみたら、どこが好きなの?と言われちゃいそうなもの、

パッと見はさえないけどなんとなく好きとか、そういうものや空間や場所、

それはあなたが「愛着をもってる」ものです。

人の評価や社会的な価値は関係なくて、

あなたが好きなものなのです。

そういう愛着を何かにもてているのなら、

人の評価や社会的な価値がなさそうに自分が思える「あなた自身」にも、

愛着をもてます。

長年つれそってる「あなた」というその人、愛着をもつのに十分な存在です。

夏は冷えたスパークリングに愛着のあるわたしです(注)写真はわたしではありません(苦笑)

草の存在

ホメオパシーを学び始めた頃にイギリスの先生から聞いた話です:

ある男性ホメオパスが、南米のある部族が住む地域にしばらく住みにいった。

彼の滞在期間中に、部族の誰かが病いにかかった。

すると部族内のシャーマンがジャングルのようなところに向かい、しばらくすると手に何かの植物を持ち戻ってきた。

その植物をすりおろしてor煎じて(詳細忘れた汗)病にかかった人にとらせた(のちに回復した)。

ホメオパスがシャーマンに、その植物について尋ねると

「ジャングルに入り、病の人と同じエネルギーをだしてる植物を探して持ち帰ったのだ」と答えた……

当時、こういう世界に入ったばかりだったので、私の心はこの話にふるえました笑。

ついでにいうと、バッチフラワーエッセンスをつくったエドワード・バッチも、どの花が何を癒してくれるエネルギーをもっているかわかったそうですし、日本の昔の和漢薬師にもそういう人がいたというのを聞いたことがあります。

さて、私の話ですが、一昨日、庭のいらん草を抜いていて、

その草の特徴に目がとまり、ふと

「あ、これは関節炎によい植物だな」と思いました。

後で、ネットで検索してみると、

その草の効用に案の定「利尿、関節炎、脚気」と書かれていました。

うわ〜、わたしもシャーマンなれるのかな笑……というのは冗談ですが、

私がその植物をみて関節炎に効くと思ったのは、似てるものが似てるものを癒すという原則を知っていたからです。

その草の名前は、イノコヅチ(調べて初めて知りました) 
薬草名:牛膝(ごしつ)です。

↑上からみたところ、どこにでも生えてると思います。秋になるととがった実がたくさんついて、それが服にくっついてくる〜
↑横からみたところ、茎が赤っぽい色です。この写真ではみれませんが、節がまさに関節炎みたいにふくれてたりします
(それで牛膝とよばれる)。

イノコヅチは、関節炎だけでなく、抗アレルギー、抗腫瘍などの作用もあります。

また、イノコステロン、エクジステロンなどの昆虫変態ホルモンがふくまれていて、それは昆虫の幼虫がイノコズチの葉を食べると変態が早まり、葉が食される被害から身を守るためだといわれています。

上記情報コピー元:武田薬品工業  日本家庭薬協会
*関節炎みたいな節の写真は武田薬品のサイトに載ってます。

さらにイノコヅチについて調べると、膝の悪い人にはとても耳寄りな情報がありました。

>膝が痛くてという方におすすめで、含まれるホルモン成分の働きで膝の痛みが和らぎます >膝の痛みをとり、血流を良くし、更に元気にしてくれるイノコヅチ

情報コピー元:飛騨の薬草を学ぶ教養講座

膝が痛いというのをよく見聞きしますが、サプリや健康食品を定期的に買う前に、庭のイノコヅチで試してみてはいかがでしょうか……

イノコヅチが含有するエクジステロンを検索してみると、筋トレやるひとがサプリとして飲んだりしてるみたいです、なっとく〜。

エクジステロン(植物性エクジソン)は、天然のステロイドと呼ばれ
筋骨草と呼ばれる植物(シソ科)や、
ほうれん草(ポパイ!)にも含まれ、、
運動時にとると筋肉増量につながるという情報もでてきました。

スパイスみたいな実もそうですが、植物は置かれた環境で生存しつづけるためになんらかの物質を体内でつくります。

それが昆虫に作用があったり、人間においては効用になったりもします。

雑草というくくりでブチブチ抜いていたけれど汗、1つ1つをみたら、どんな草もそれぞれの特性や能力を備えている存在なんだよな、と改めて思いました。

おまけですが、去年、野生の野ばらのローズヒップ を甘く煮込んで食したら(乾燥させてなかった)、もんのすごい下痢になり、その日のうちに体重が1kg落ちたことがありました大汗。

そのときは、ローズヒップ でしか調べなかったのだけど、

今回、薬草の視点で探してみたら、

野ばら / ローズヒップ = ノイバラ / 偽果

という薬草扱いになっていて、効用は

峻下(強い下剤作用)  となってました。

本当にあれはものすごい浄化でした、
薬草、めちゃくちゃ効くじゃないの(苦笑)!

↑ 膝は痛くないけど、指の1つの関節に問題があるので、イノコヅチの葉のお茶つくってみます。                


               

あなたの身近に、やたらあなたの目につく草があれば、
それはあなたに必要な薬効を持ってる可能性があります(エネルギーの引き寄せ的に)。
調べてみてはいかがでしょうか。

いつも必要なものが必要なときに与えられてる……

カウンセリング講座やります

2つ前の記事でお知らせしたカウンセリングの講座が具体的に決まりましたので、お知らせします。

講座名:CC講座(カスタマイズカウンセリング講座)

講座内容:カウンセリングとは何か?という一般的な見方から始
     まり、相談者特有の悩みの核を理解し、それを解放さ
     せる働きかけまでを解説します。

     *講座という名称ですが、ワークショップ的に
      参加者同士での練習も含まれます      

具体的なプログラム:6回コース

         1) カウンセリングとは何か?

         2) カウンセラーという役割

         3) ヒアリングテクニックと実践

         4) 質問、整理テクニックと実践

         5) カスタマイズカウンセリングの仕組みとHow to 1

                                6) カスタマイズカウンセリングの仕組みとHow to 2

 
  コースプログラムを 2つづつ組み合わせて、1日の集中講座にします:

  1日目は、1) と2) コース

  2日目は  3)と4)コース

     3日目は、5)と6)コースの組み合わせにしますので、

実質的に「3回」で 3日間の講座になります。 

 
  料金: 1日(2コース)につき、11.000円税込

  

  場所:1回目は 加古川総合文化センター 会議室 
     にて行います。   

  

  日程: 1回目 2022年 7月9日(土) 10時〜16時
      お昼休憩あり

     *2回目以降の日時と場所は、皆さんと都合を合わせて事前
      に決めていきます。

  

  募集人数: 5名前後

        先日の記事で参加を決めてくださった方々が
       いますので、この記事で募集するのは、
       1、2名になります。


この講座を受けると起こるかもしれないよいこと:

 ・人の話を聞いて相談にのってあげたり、人の気持ちを軽くしてあげる
  ことができる。
  同時に自分の悩みへの向き合い方も大幅に変わってきて楽になる。

 ・カウンセリングに興味があったり、やりたいと思う気持ちがある人は、    
  そこに導かれているわけで、なんらかの形でそういう仕事につなげてい 
  くことができる。
  悩みの仕組みがわかるのでヒーラーなどのスピリチュアルな仕事にも
  つなげていける(その後、ご要望があればエッセンスやレメディの使
  い方を教えることも考えています)。

 ・参加者の方には、私がホメオパスになるときに大いに学びとなった
 Reflective Journal (自己内省日誌)を定期的に書いてもらいます。    
  Reflective Journalを書くことは、カウンセリングマインドを地道に
  しかし確実に身につけることになるし、同時に内面の自己浄化も     
  行うことになります。Reflective Journal にはフィードバックを送り
  ますので、まるで個人セッションを定期的に受けたような効果もえられ
  ます。
  

 心が動いた方、customerarnica@gmail.com までご連絡ください。
 (氏名、携帯電話番号、志望動機をお書きください) 

ーーーーーーーーーー

  

    

私にとっても新しい一歩。なにがどうなるかわからなくても、ちょっとだけ勇気をもって踏み出せば、いつのまにか自然の流れにのってることになる。

寛容=愛の別名

自分を愛しましょう、なんて言葉がフツーの声かけのように使われる時代になってきてますが、

自分を愛するって、結局のところ、そもそもどういうことを指してるのかわかりにくいので、

自分を愛したくても、なにから始めたらいいの?!と実践するのも難しいように思います。

「愛」が大事というのは感覚的に皆がわかっていても、具体的にそれを日常に取り入れる方法がわかりにくいのだと思います。

簡単にそれを始めるコツとして、

「愛」→「寛容」に変えるのがよいのでは、と私は思っています。

家族につい感情的に怒ってしまって、

なんでそんなことするの!

とどなってしまった自分をすぐに「愛する」のはできそうにないけど、

その自分にちょっと「寛容になる」のはできそうに思います。

「寛容」をオンライン辞書でひくと、

「他の罪や欠点などをきびしく責めないこと」

という文章がでてきます。

罪や欠点をゼロにするわけじゃなくて、”きびしく” 責めないんです、

起こったことを全面的に許容するわけじゃなく、ああ、そんな自分はまだまだだ、とも思うけど ”きびしく” 責めずに、

ちょっと / ゆるく責めるで終わりにするんです。

→ またイライラして怒っちゃったよね、でも、まあ、それはそれでいいよって、自分に寛容に接してあげるのです。

誰かからひどいことをされたときも、

そのひどいことをした相手を「愛する」なんて、

とてつもないことのように思うけど、

「寛容になる」くらいなら、ちょっとできそうな気がしませんかね。

なんてひどいことするの!…、でも、まあ、ちょっと、このことに寛容になってみようか…..くらいにゆるめてみるのはどうでしょう。

これは自己肯定感を高めましょう、みたいなことにも、

使えるのではないかと思います。

今すぐに、自分はすごい!自分はできてる!という肯定感を持つことは難しいけど、

自分がやらかしたミスやら、自分ができなかったことを、

寛容にみてあげる、はできるんじゃないかなと。

やらかしちゃったけど、まあ、仕方ないよ、それでとりあえずいいよ、とか、

できなかったけど、いいさ、いいさ、とか、

完全にいいよと思えはしなくても、ちょっと寛容になるくらいなら、手が届く範囲なんじゃないかなと思うのです。

自分で自分に寛容な言葉がけをするのが難しいなら、

仙人のようなおじいさん(おばあさんでもいいけど笑)がすぐそばにいるイメージで
「いいんじゃよ、それで」(おじいさん口調、笑)と、
代わりにささやいてもらってください。

あ、別に仙人じゃなくて、女神さまとかマリア様とか誰でもいいですけどね汗。

寛容というのは、これまで自分のことや、他人のことをジャッジしてた点数の数値を少しあげてあげることでもあります。

これまでなら、ああ、こんな自分は嫌だな、点数でいうと自分は50点くらいだなと評価していたのを、

ちょっと寛容につけてあげよう、
そうだな、70点にしてあげよう笑、みたいに点数を甘くつけてあげるようなことです。

寛容になるというのは、

自分に愛を今よりもう少しだけ多くあげること、

他人に愛を今よりもう少しだけ多くあげること

なんじゃないかなと思います。

宗教のキリスト教信者ではないのですが、なにかあると私に浮かんでくる人は Jesus です。
しかし自分や人を寛容にゆるそうとするときは「いいんじゃよ、それで」というおじいさん仙人の言葉がしっくりきます笑。

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やってみたけど、ほんの少しも、自分に寛容になれないよ、という方。
寛容になるのをゆるさない自分が何かの理由で存在するのかもしれません、
それは、いったい何なのか、コンサルテーションで一緒に探ることができます。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

できなくて、当たり前

例えばですが、

時々手作りの簡単なお菓子を作ってる人がいたとします。
その人は、できたらそのうち本格的なパティシエレベルのお菓子を作ってみたいと思っていました。

そして少し時間に余裕ができたので、念願の上級レベルのお菓子教室に通うことにしました。

その教室に通いだして、

先生に作り方を教わっているときに

自分は上級レベルのお菓子をつくることができない〜

と自分を評価して落ち込んだりするでしょうか。

つくれない、できなかったから、そこに通いだしたのは当たり前なわけなので、そんなことは思わないのでは、と思います。

(チョコのテンパリングなど1つ1つの技術がうまくできないと四苦八苦したりはするかもですが、そもそも自分はできない人だみたいな自分への総合の評価は下さないだろうという意味です)

これと同じで、もし、人生の中で、これが苦手とか、これが全然できないと思って苦しんでることがあるなら、

それ、できなくて当たり前ですよ

と声をかけたいなと思います。

なぜなら、それにチャレンジするために、あなたはそこにいるのですから。

この世の人生をお菓子教室みたいな「学校」ととらえると、

そのできないこと、苦手なことにチャレンジするために、今、その人生を体験してるのです。

人はできてることには苦しまないし、悩みません。

できてないとわかってるから、苦しんだり、悩みます。

それは、エネルギー波動でいうと、そのことに対してマイナス波動だったのでプラス波動に転換して波動の乱れを中和するために、引き寄せられた事象なのです。

だから、今、できないのは全くの当たり前、なんです。

できてたら、引き寄せないから汗。

例えば、私でいうと、私は病や心を扱う仕事をしていますが、

プライベート生活では、テニスに熱中して取り組んでいます。

これは何をしてるかというのを、上記の話に沿って書くと、

私にとっては、心の問題を転換させるのはわりとできることなのです(私に心の問題がないというわけではなく、心の問題の答えを解くことがわりとできる)、

しかし、私は「体を実際に使って」プレイを少しづつ変化させたり、改善したりすること、

勝ち負けを味わう中での人間関係は、上手にできないことなのです。

だから、そのできないことにチャレンジ中、もがいたりしながら学び中なのです。

このところ

「自分はできてない」

という自分への評価で苦しんでる方のご相談がシンクロで起きてるので、

この記事を書いてみました…

が、書きながら、私も全く同じことテニスで感じてたわ、とわかりました(私にもシンクロしてた笑)。

そう、できないから、それにチャレンジしてる最中なので、

どうぞ安心して、チャレンジしてください。

自分がOOをできないと感じてるとき、他の人をみると、

他の人はOOができてるようにみえてしまうものだけど、

その人は別のところでXXにチャレンジ中なのです。

だから、どんな人も人生で何かにチャレンジ中、

あなただけが苦しんでるわけではないのでしょげないでください。

そして、今、できなくてもがいてることは、

最終的に上手にできるようになる可能性がとても高いのですが、
もしそこまでできるようにならなくても、それはそれでOKなのです。

できる、できない、は、この物理次元社会の抽象的な評価です。

マイナス波動で残ってるのは何かというと、

できるorできないじゃなくて、

やり残してる=その波動を十分に体験していない (これまでその体験を避けてきた、逃げてきた)ということなのです。

ですので、大事なのは、

自分がそれにチャレンジした!

自分がやれるだけやってみた!

と体験する、ただそれだけのことです。

さー、だから結果は怖がらずに、チャレンジしよー!

(とテニスをする自分にも声かけてます笑)

いろんな色や味、匂い、音、風景を楽しむように、
体や感覚をつかって私たちは人生を楽しんでるのでしょう……

自然なリズムで生きる

わたしたちの体は、心臓の規則的な収縮で動いています。

収縮というのは、「ひきしまってちぢまること(辞書より)」で、

ちぢまるには、いったんのびてる状態に戻ってることがセットになりますが、心臓は循環して戻ってきた血液の圧力で毎回ふくらんでいる(のびる)のだそうです。

心臓の血液循環が起きないと私たちが生き延びれないのだとすると、
のびる →  ちぢまる → のびる → ちぢまる という繰り返しのリズムは、
私たちの体の自然なリズムと言えるように思います。

「のびる」は、別の言い方でいうと、

ゆったり、のんびり、リラックス、

「ちぢむ」は、

緊張、集中、頑張るというような言葉で言い換えられると思います。

何がいいたいかというと、

ずっと、ちぢんだ状態だけ(緊張した状態のみ)、

のびた状態だけ(緊張感のない状態のみ)で生きることは、自然のリズムに反していて、

生きづらい状態になってるのではないかなということです。

私はエネルギー療法をやっていて、

心臓に問題がある方(主に心拍数)をみることがたまにありますが、

そういう方々は、まさに上記のどちらかに大きく傾いているのがみられます。

頻脈ぎみの方は、

緊張した状態が長く続きすぎていて、ゆるめている時間が極端に少ない方、

徐脈ぎみの方は、

生活に目標やハリがなく、何かをきっかけにやる気を失ってしまっているというのがみられたりします。

つまり、どちらも自然のリズムからずれて生きづらくなってるわけです。

私は去年から週1ファスティング というのをしていますが、そして12時間ファスティングみたいに一定時間あけて消化機能を休めることが流行ったりもしていますが、

これも同じで、しばらくなにも活動のないゆるんだ状態というのを、たまに消化器官に与えるのも自然なリズムかもしれないなと思います(通常はきちんと睡眠をとっていればその間に消化器官はゆるめられていますが)。

緊張した状態とゆるんだ状態の長さを比べると、

今の世の中では、圧倒的に緊張した状態でいる時間の方が長いのでは?と思いますが、どうでしょうか。

緊張した状態というのが何を指すかというと

わかりやすいのは、仕事や勉強を長時間頑張り続けてる状態とか、
苦手な人たちの中にいる状態とかですが、

これは言い換えると

「社会」にいるときに起こってるのではないかと私は思います。

「社会」にいるから認めてもらいたくて、頑張ったり、何かを続けたりするわけだし、

人間関係でいっても、
友達といたとしても、相手のことを気遣ったり考えたりもするだろうし、
ましてや距離感が微妙な人たちといたら、その気遣いは何倍にもなるし、自分の言動も少し取りまったりor 少し元気よく振る舞ったりして、

そんなに「素」ではいられないと思うのです。

これが、さらに大人数の会社や学校という「社会」で考えたら、毎日行くので慣れているとしても、実際には相当な緊張状態でいるのではないでしょうか。

ならば「社会」にいない状態とは?!

「家」にいるってことかな

「ひとり」でいるってことかな

「社会」とのかかわりからなるべく離れた自分でいるってことかな……

ということで、

1週間に1回とか、できなければ2週間に1回くらいでも、

何も予定がない日や、何もしない日、家にこもる日、
自分をただただゆるめる日、を意識的に持つことは大事なんじゃないかなと思います。

なぜ、この記事を書いたかというと、

先日まさに自分がこの状態だったからです笑。

時間があいたら、テニスの予定をいれていて、気づけば毎日外の「社会」の中で動いていた… 

そしたら、案の定、強制停止がやってきて(歯茎が熱をもって腫れた)1日何もしない日をつくらされたのでした。

そこで、やっと、目が覚めて、

あー自然のリズムからずれてたわ!汗、と気がつきました。

たとえ緊張してる対象が好きなことであっても、自然のリズムの方がうわまわるということがわかった日でした。

「社会」から離れて「自然」の中でリラックスはかなりよいかも(注:私の自転車ではありません笑)

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あることをきっかけにやる気がなくなり、生活に全く緊張感やハリがない方は、
エネルギーがブロックされてる状態です。
エネルギー物質をつかってそのブロックを外して、やる気や緊張感を取り戻しませんか。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

追いかけられる夢をみたら

コンサルテーションで、よくみる夢についてお尋ねしますが、

「追いかけられてる」夢をみたことがある人は、わりと多いと思います。

ついでにいうなら、乗り物に「乗り遅れる」夢をみてる人もわりといます。

これらの夢は、その人の潜在意識にある不安や恐怖、プレッシャーを表してると言われますが、

このジャンルの夢を多くの人がみるということは、

個人ベースだけでなく集合意識の一部を表してるという言い方ができると思います。

追いかけられてる夢や、乗り遅れる夢を、個人ベースでなく集合意識からみると、

追いかけられてる場所は、

家の周りだったり、街角だったり、廃墟だったり、どこかの建物の屋上など様々ですが、

これは自分の周りの「社会」を表していると思います(その人が所属してると感じてる「社会」のメタファー)。

乗り遅れてしまった乗り物は、

その社会の中の「階層」や「到達点」にいくための移動手段や方法を表していると思います。

つまり、これらの夢をみるとき、その人個人は、

自分が認識してる社会的な価値観に追いかけられていたり、

社会で求められてるレベルに自分は乗り遅れてる(そのレベルに達していない)、という劣等感の意識を持ってることを教えてくれてるのですが、

集合意識でこれをみると、

追いかけられてる意識は、

(この社会では)これくらいできないといけない

(この社会では)こうしないといけない

という見えない圧力を受けてることを表し、

乗り遅れる意識は、

(この社会では)いつも精進していかねば遅れをとる

(この社会では)苦しくても頑張り続けて成長しつづけなければならない

というような社会の中で個人の怠惰を取り締まられてるような意識を表してると思います。

今の世の中をみると、数十年前に主流だった、勉強をちゃんとしていい大学にいって、いい会社に入り、いい家に住む、みたいな価値観はかなり廃(すた)れてきてると思います。

そのような誰か(大企業とか一部の層ですかね汗)が得するけど個人は苦しむ価値観のマインドコントロールから外れて、各個人がそれぞれに好きなことをしながら生きていくというのがかなり普及し認められてきてると思います。

生き方から嗜好まで、全てが多様化(個別化)してきてる時代と思います。

でも、上記の夢に現れるような

自分が属してる社会(コミュニティ)で生きるには、

周りの水準から外れると生きづらいからとりあえず合わせる、とか

いつも努力しつづけることが素晴らしい みたいな

見えない圧力というかマインドコントロールは、

まだまだ外れていないのかもしれません。

なぜなら、

周りと協調するのは大事なことだと思われてるし、

自分が属してる社会から外れると孤立するという恐怖は人間にはとてもつらいことだし、

努力して成長していくことは素晴らしいことだという認識をくつがえすのはなかなか難しいからです。

もちろん、これらの価値観が悪いということではなくて、

自分がその価値観を選択して、そうしたいのなら、それは問題ないのです。

XXXねばならない、という義務感はいらない、その縛りが個人の意識を苦しめてるということだけです。

追いかけられてる夢をみるひと、乗り遅れる夢をみるひとは、

すごく頑張ってるひとたちです。

真面目で、努力家で、上昇志向もあって、なんでも一生懸命なひとたちです。

でも、もしこのような夢をみたら、
自分は社会のために、まわりのために、評価のために頑張っていたんだな、と気がついて、その頑張りすぎをゆるめるといいと思います。

周りに合わせて、努力して常に成長して、あー楽しい!って思えるなら、それでいいと思います(だとしたら、こういう夢はみないけど)。

どうせ頑張るなら、そのエネルギーは自分がしたいことを楽しんで頑張るほうに使えばいいのではと思います。

あと、このような夢をみたときに、もう1つ言えることは、

努力していて苦しいとき、それはできてないことにフォーカスしてるからです。

なにかをできるようになりたいと強く思ってる、それは何かができてないという意識の裏返しなのです。

だから、苦しい。

そういうときは、できてないことを認識して苦しむより、今、できてることを認識するほうがよいです。

今、自分ができてることをみていくと、それができてることに感謝を感じる、
そうやって自分ができてるという感覚をもち感謝をもつと、エネルギーの流れが変わってきます。

するとエネルギーの仕組み的に自分に心地よいものが流れてくるようになり、苦しんで努力しなくても幸せな自分になっていきます。

ーーーーー

かくいう私ですが、なぜ、この記事を書いたかというと、

先日まさに夢をみたのでした(今やってる企画のパワーストーンレメディをとったからなんですが)。

レメディをとった初日の夢が、

家の中で追いかけられそうになる夢(あ、追いかけられるなと感じてるとこで目が覚めた)、

翌日の夢は、

都心にいて終電を逃した、でも構内にたくさんの人が残ってるから、そこの私鉄の人が臨時の列車をだしてくれることになって、何がなんでもそれに乗ろうと思ってる夢でした。

これらの夢のおかげで気がつきました。

あー、私、頑張りすぎてるね、一生懸命になりすぎてるなと笑。

なにを頑張っていたかというと… 趣味のテニスです。

フォーム改善にものすごい必死になっていたのでした。

去年末から、テニス環境を変え、スクールにいき、新しいコミュニティにも入って、そこでものすごく上手な人たちを目の当たりにして、

ああいうふうになりたい!

あのひとたちにそのうち勝ってみたい! みたいな動機をもっていたのでした。

私は技術を向上させたり、少しづつできるようになっていくのが好きなタイプなんですが、

それを初めは確かに楽しんでいたはずなんです。

ところが、気がつけばいつのまにか、自分のできないところばかりをみて、できる人と比べて落ち込んでいたのでした大汗。

このような夢をみたのは、私は、10? 20?年ぶりくらいなんです (記憶が汗)。

上記のような典型的な夢を2日続けてみて、あー、そうだよね、私、そういう意識をまだ持っていたんだよね、そしてこれは皆を苦しめてる集合意識だよね、と気がついたのでした。

私が長いこと、この夢をみていなかったのは、あるとき、あることに気がついて頑張るのをやめたからでした。

あることというのは、

なんでそんなに何かを頑張っていたかというと、それで自分が気持ちよくなるため →

これができた自分 これをやりとげた自分 と認めて気持ちよくなるため → 気持ちよくなるというのは、それで幸せを感じたいため なんだと気がついて、

え?!幸せのために今、苦しむ? そりゃ、本末転倒、

だったら、今、すぐに幸せを!と思ったのでした。

具体的には、自分がしたいことじゃなかったらあんまり頑張らなくていいや、

好きなことだけ、やりたいなと思うことだけを頑張ってやろうと決めたのでした。

テニス、好きでやってます、楽しくて、だったのに、違うコミュニティに入ったら、

そこで乗り遅れないようにしようとか、そこのレベルに持っていかねばといつのまにか頑張っていたわけです。

あーしんど汗。

ということで、夢をみたら、つきものが落ちたようにラクになって、

そもそも、この年齢で3、4時間練習できる自分の体に感謝、
長くはないテニス歴でこれだけ打ててる自分の身体能力に感謝、
新しいコミュニティに入れたことに感謝、
もっとうまくなろうと思わせてくれた人々に出会えたことに感謝、
できないところを調べたら教えてくれるテニスYoutuberたちに感謝、
テニスを楽しめる自分のマインドに感謝、
時間できたらテニスにでかけていく私を温かい目でみてくれる家族に感謝、
趣味を楽しめるという自分の今の人生に感謝….と感謝する項目がつきなくなりました笑

いや〜、ほんと、とっくに幸せでした、わたし苦笑。

体の症状も1つのサインなら、夢も1つのサイン、解読できると自分の深いところとコンタクトできたということになります。解読はクイズより面白い〜


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繰り返し同じ夢を見る方は、夢からのサインの重要度が高くなってるということになります(アラームが鳴ってる状態)。
自分で夢の解読が難しい場合は、一緒にそのサインを読み解くお手伝いができます。

詳しくは、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/


パターンを変えるゲーム

例えば、人間関係で問題や悩みを抱えてるとき、

解決に向かえる1つの実践的な方法は、

相手といるときに、それまでとは違うパターンの言動や行動をとってみることです。

なぜなら、悩みや苦しさがずーっと続いていて、解決に向かわないのは、

ずーっと同じパターンの言動や行動を自分がとっているからなのです。

例えば、会社の先輩が苦手で、その人と仕事をしてると体が緊張してしまうという苦しさを抱えているとき、

自分がその人といて、どういう態度をとっているかを、まるで動画にでもとってたつもりで思い浮かべてみてください。

おそらく、毎回同じパターンの言動や行動を起こしてると思います。

例えば、その人が話をしてきてたら、いつも、ただ黙ってうなずいて、ただ時間が過ぎるのをやり過ごしているとか、です。

こういうときは、頭の中の思考も同じ反応しか起こしていなくて、

「ああ、この人ってどうしてこんなに威圧的なんだろう」

「わたしは、こういう人、苦手なんだよね」みたいな見方を膠着させているのです。

ですので、

同じ思考 → 同じ言動&パターン →  その人との関係性はずっと同じ状態

にとどまっているわけで、これをエネルギーでいうと、

そこにエネルギーが流れずブロックをこしらえた状態になっているのです。

そりゃ、本当に相手がとんでもなくひどい人で無理なんです、みたいな現実もあるでしょう苦笑。

でも、相手がひどいからといって自分まで長く苦しむ必要はないので、
この関係性は自分を苦しめてるな、なんとか変えたいなと

気づいたほうの人が(つまり波動が高いほうの人が)

”パターンを変えれば” いいのです。

例えば、いつもただ黙ってうなづいていただけど、

今日は、「はい、はい、と声にだして相槌をうってみよう」とか、

声を出すなんてハードルが高すぎると感じるのなら、

ではせめて、「目をみて思いきりうなづいてみよう」と変えるとか、

もしくはいつもうなづくだけで終わるけど、今日は最後に

「よくわかりました、ありがとうございます」と締めくくるようにしてみようとか、

もっと積極的なパターンで、

「先輩って、いつもすごいですよねと、ちょっとほめてみる」とか、です。

いやいや、先輩が怖すぎて行動にうつすのは無理です、というなら、

思考の反応を変えてみるのがいいです。

いつもの「威圧的な人」と自動的にみる反応をやめて、

「あー、この人も家ではただの女(男)の人なんだよね」と冷静に一人の人間としてみるように変えるとか、

「この人がもし仲の良い友達だったら、あんた、その話し方、怖いよ!って笑ってうまくつっこめるかも」とか、

いつもの自分の思考の反応を変えてみるのです。

そうすると、相手がちょっと違ってみえはじめます。

私はエネルギー療法というのをやってますが、

単純な言い方でいうと、人の問題というのは、エネルギーの流れがとまってるところに起こっています。

同じエネルギーパターンでとどまっていてエネルギーが流れてないよ、というのを教えてくれるために、心や体に痛みや苦しさを感じるようになっているのです。

(そうでないと私たちは気がつけない)

ですので、

もっと楽にいきたいとか、

もっと幸せを感じたいとか、

もっと波動をあげて良い事象を呼び込みたいとか、

そういう場合は、

自分が心地よいと感じていない部分を点検してみて、

そこで同じパターンを繰り返していないか、

同じ思考の反応でものごとをみていないか、をチェックしてみるといいと思います。

別の言い方をすると、

実はすべてのものごとは毎瞬間、あたらしく、起こってる のを、まるで繰り返しのように私たちがそれをみてるだけ、だと思います。

(これを心底腑に落とすのは難しいですが汗)

かくいう私も、今朝、いつもと違う行動をとってみました。

今までなら、少しブロックされた心で送らなかっただろうメールを、ある人に送ってみたのでした。

やっぱり、こうやって1歩すすむと、ふわっとエネルギーが流れて軽くなった感じがします。

そしてこの流れは相手にも影響するだろうなと感じました。

今朝は、そんなことが起こり、なんとなくですが今年は、人とのコミュニケーションの枠を1つ外すときなのかもと感じました。

パターンを変えるというと、抽象的なことに聞こえるかもしれませんが、

この世の人生はゲームみたいなものなので、ゲーム攻略法のように、

これまでの自分とは違うパターンを試してみよ!みたいな軽い気持ちで

面白がってやってみたらどうでしょうか。

実際、パターンを変えると、エネルギーの仕組み上、起こってくることも必ず変わってきますから、それを体験できたとしたら、こんなに面白いゲームはないと思います笑。

フィボナッチ数列に並べられたと思われるステンドグラス(無料写真から拝借しました)
このようなパターンでエネルギーが上昇し流れるのが自然なのだと思います。

いつまでも遊んでいたい

昨日、パワーストーンレメディプログラムのシェア会だったのですが(レメディをとって自分に何が起きたかをグループ内でシェアしていく場)、

これまで持っていた社会的な思い込みや制約が外れる動きが

皆の中に起きてきたのがわかったので、

その流れで、以下のような質問をメンバーにしてみました:

「今、自分が置かれている社会的な状況やら役割を

全て、ぜーんぶ、とっぱらったら、

自分って本当はどんなひと?」

各自の答えは、

なんだかかわいらしくて、自分もそんな部分あるあるって共感しました。

そうそう、みんな、もとは、そんなこどもだったんだよね、みたいな感じです。

社会的な役割やら状況って、大人になる過程でいつのまにか身につけていったものですよね。

おとなといっても、こどもの自分がただ外見的に年をとっただけで汗、

その内側って、なにもかわらない、こどもな自分がいるはず。

それを覆い隠して、大人のふりをしてるのが、今の自分ってことですよね。

本当の自分ってどんなひと?に対する私自身の答えでは、

私が今も夢中でやってる趣味のテニスがでてきて、

ゲームとわかってて、100%のエネルギーをだして人とぶつかりあうのが面白いって

表現したんですが、

会が終わった後で、これもまだ大人な表現だったなと気がつきました。

私がテニスが好きなのは、

こどものときに、そのへんの空き地とか運動場とかで、皆でただ思いきり遊んだ、

あの感覚が好きなんだと思いました。

意味もないし、特に生産性もないし、それで賢くなるわけでもないんだけど笑、

ただ皆が遊びに夢中で、ちょっとのことでげらげら笑って、

おにごっこやら缶けりやら、勝手にルールきめたわけわからん遊びとか、

ズルした子を皆がけなすくらい真剣に遊びの勝ち負けにこだわったりとか、

ただただ思いきり目の前のことで一生懸命「遊ぶ」、

あの感覚が好きなんだ〜と思いました。

遊んでた子たちが誰だったかはっきり覚えてないから、

友達が限定されてたわけでもなく、クラスの子や近所の子、その辺にいた子たちとテキトーに遊んだり、

お盆や暮れのときに集まった親戚の子たちと年の差バラバラながら大勢で遊んだり、

その場その場の遊びのルールの中で思いきりやる!

あの感覚が好きで、あれをずーっと忘れたくなくて、それでテニスやってるんだ、と気がつきました。

テニスやってるひとの中には、健康維持のためですと大人なこと言う人もいるけど笑、

私みたいに真剣にやってるひともわりと多くて、

その人たちは恐らく私みたいに、

こどものときの感覚でずーっとずーっと思いきり遊んでいたい人たちなんだろうなと思いました。

そんなこどものときのピュアな元気で明るい自分を思い浮かべたら、

その小さな自分をとても愛おしく感じました。

↑ 私のラケッドバッグにこっそり入ろうとするスコッチ汗、このまま、連れていこか笑。