子どもの頃、どうやって遊んでた?

こどもの頃、ぶらーっと小学校の運動場にいって、

そこにいる子たちで遊んでた

何をして遊んでたかはっきり覚えてないけど….

校庭に一人で鉄棒してる子いたら声をかけて誘って、

引っ越してきたばっかりで隅っこで土をほじほじしてる子がいたら声をかけて誘って、

その日のメンバーで、その組み合わせで、その日にできあがる遊びが、楽しかった

女子らしく、いつもの2人や3人組でおしゃべりするより、近所の子たちだけで遊ぶより、そこに居合わせた子たちで、その日のメンバーの組み合わせで起こる、その日にできる遊びをするのは楽しかった

これが、わたしの遊びの原点だなと思う

私のダンナさんに子どもの頃の遊びを聞くと、

一人で絵を描くのが好きだったそうだ

彼は、当時貴重で皆の憧れだったディズニーなどのアニメの絵をトレーシングペーパーで写して、その絵をキャラクターごとに切り抜いてを小学校に持っていってたらしい

なぜなら、クラスの皆が、その絵をすごい欲しがって(ブロマイドみたいな感じ?笑)、当時流行っていたビー玉と絵を交換してくれ!となって……
彼はそのおかげでクラスでもっともビー玉を多くもっていた子だったらしい

彼は、今もこれと似たことをしている

トレーシングペーパー →  ペンタブレットに進化してるけど、

自分のインスピレーションにしたがって、自分で絵を描いて、それをSNSであげたり、漫画本を自費出版したりしてる

大人の言葉でいうと、

私の仕事は、とか、わたしのやりがいは、人生の使命は、なんて、もっともらしく語れるけれど、

わたしたちが大人になってしてることや、したいことは、

こどもの頃の遊びの大人バージョンだと思う

なぜなら、それが、わたしたちの内側のピュアな喜びのエネルギーから起こってることだから

それが子供なら「遊び」と呼ばれ、大人になると、それが「仕事」とか「使命」なんて呼ばれる

ということで、わたしも、こどものころの遊びを再度やろうとしています

声をかけて、そのときのメンバーで、”いま”を楽しむ遊びの場をつくること、

カタチになってきたら、一緒に遊びたいひとに声をかけます〜

↑ AIが描いてくれました、ここに皆で寝っ転がりたい

文字通りの ”無条件の”愛

言葉やインスピレーションを受け取るのは、朝が多いけれど、
今日は珍しく夕方に受け取りました。

たとえ、いま、

あなたがもんもんと苦しい思いをしていても、

あなたに1つとして嬉しい出来事が起きていなくても、

もしくは、どん底と呼ばれるような不幸を味わっているときであっても、

いま、ここで、あなたは、幸せな気持ちでいることを、自分に選ぶことができます。

大した努力もしていないし、

何の良い行いもしていないし、

なんなら悪いことをしたばっかりかもしれないけど、

それでも自分を責めたり、状況や誰かを呪ったりしないで、

ただ単に「幸せな気持ち」でいることを、いま、自分にゆるすことができます。

何の条件も、何の前提も、何の言い訳もいらない。

ただ無条件に、本当にまったくの無条件で、

ただ、自分が幸せな気持ちでいることをゆるすことができます。

これを、文字通りに 「無条件の愛」 と呼びます。

良いことがあるから喜ぶ、楽しいことがあったから楽しむ、そんな組み合わせになれていたけど、確かに、無条件で幸せな気持ちを自分に与えることはできる……
誕生日でも記念日でもなんでもないのに、自分に美しい花束を贈るみたいな感じ(嬉しい!)

ホメオパシー療法やってます:https://arnicahomeo.com/

あなたの中のリーダーシップを取る

表題は、今日受け取った言葉です。

あなたがやると決めたこと、やりたいこと、それを進めていく過程で、

あなたの中に起きてくる迷い、ちょっとした弱気、しなくてもいいかというような怠け心 etc….,

そういうあなたの中のモヤモヤしたものたちも引き連れながら、

あなたはあなたの中でリーダーシップをとって、

したいことに向かって進んでいくことが、あなたの中のリーダーシップを取るということです。

リーダーシップは、人といるときに取るだけじゃなくて、
自分の中でも持つことができる、というメッセージ。

あなたがあなたの中でリーダーシップを握ったとき、
あなたの中には太い柱のような芯ができ、そこにエネルギーが流れ、
すると必ず天からの手助けが降りてきます。

天からの手助けが先ではなく、あなたの中のリーダーシップが先なことを忘れずに。
(なにか良いことが起きたからやろうか、ではない笑)

そろそろ、私の住んでる山間部でも水仙が咲き始めています。

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自分の中のリーダーシップをとりたいけど、
そもそも自分はなにがしたいのか、何を決めたらよいのかがわからない人は、
本来の自分以外の波動に影響を受けたままでいるかもしれません。

本来の自分以外の波動というのは、具体的にいうと親の価値観だったり、世間で良いといわれてるものが良いという思い込みなどから作られます。
そういう不要なものをはずしていくと、本来の自分を取り戻していくことができます。

レメディやエッセンスなどを使って、あなた本来のものではないものを外していけます。ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

苦しいなら、感謝の言葉を唱えなさい

降りてくるインスピレーションを「受け取った言葉」として、頻繁に外に出していこうと思いながら、自分のメモに書き込んだところで完了してしまっています…..

とりあえず、できるだけアウトプットしよう!ということで、
つい先日「受け取った言葉」を記事にします。

そのとき、私に起きていたことは、ある人から意見を受けて、自分の思惑通りにいかない状態でした。

この出来事は何だろう?と思いつつ、片方で私のマインドはその意見に左右されていて、私はとても苦しいなと感じていました。

その出来事自体は、そんなに問題ではないことは(いずれにしろうまくいく)わかっているのに、心がなんだか苦しいと感じていたのです。
はーっとため息をつきたくなる、いや、実際、ため息をついてました。

そしたら、表題の言葉を受け取りました…..

そうだ、私は意見をくれたその人のことに頭を悩ませていたんだ(ネガティブにとっていた)、いや、そうじゃなくて、その人に感謝をしよう、と思いました。


XXさん、あなたがいてくれて、本当にありがとうございます。

この出来事を起こしてくれて、


私に何かを教えてくれて、本当にありがとうございます。


と、手を合わせて心の中で唱え終わると、
すでに、私の中の苦しさは、なくなっていました。

わたしの中に残ったのは、感謝の気持ちと心地よさ、その人への愛おしさ、でした。

その人の必死さ、わたしにエネルギーを使ってくれて、かかわってくれたことへのありがたさで、私の中は満たされました。

感謝の言葉を唱えたことで、

自分の中で起こったネガティブな波動を、

感謝の波動に転換できた
のだと体感しました。

これは、もう魔法です笑。

感謝というエネルギーを使った波動の転換、誰にでもできると思います、お試しあれ。

今の時期に咲くフリージア。この香り、ずっと吸い込んでいたくなります。

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感謝の言葉を唱えたくてもできない、そんな特定の相手がいるとき、
あなたの中にエネルギーブロック(雲のような固まり)が残っています。
そんなものを自分の中に持っていても、ただ苦しいだけです。

お掃除と一緒です。そのブロックを外す作業を一緒にしませんか。

ご興味のある方は、エネルギー療法のHPの方へどうぞ:

https://arnicahomeo.com/

苦しくなる2つの理由

エネルギー療法という名称で、私がやってることは、

人を苦しく感じさせる「エネルギーブロック」をあなたのエネルギーフィールドから外すことです。

エネルギーブロックとは、過去の体験の中で(過去世も含む)こしらえてきたマイナス波動を発したままのエネルギーの塊のようなものです。

それはまるで黒い雲や石の塊ように、その人のエネルギーが流れていくのを邪魔していて、その滞ったエネルギー状態を人は苦しいと感じるのです。

これらのエネルギーブロックは、マイナス波動をポジティブに変換していくことで、解消することができます。

しかし実はこれに加え、もう1つ、人を苦しくさせているエネルギー現象があります。

それは、その人の内側からあがってきた(ソウルから伝達された)情熱といいましょうか、衝動といいましょうか、ひらめきとして受け取ったエネルギーを、外に向かって放射しないという現象です。

簡単にいうと、インスピレーションや ”やる気” が内側から湧きあがってるのに、それを外の社会で実際にアクションにうつさない状態を指します。

行動しないまま、その湧き上がるエネルギーを自分の内に置いたままにしてる状態です。

そうすると、そのエネルギーは行き場がなく、それがいわゆるフラストレーションと呼ばれるものになり、人は苦しく感じるのです。

湧きあがる泉が、外に向かってこんこんと流れていくように、

その人の内に湧きあがったエネルギーも、外に向かって放射されていくのが自然な流れなので、それを止めると、その人は苦しいと感じることになるのです。

このようなエネルギーがいわゆる「未完了の体験」と呼ばれるもので、その人のエネルギーフィールドに溜まっていくことになります。

ということで、

過去にためたマイナスのエネルギーを解消していくことも地道にこなしながら、

同時にわきあがってくる内側からのインスピレーションは、外の世界で行動に移し、

実現していく(エネルギーを完全に燃焼する)のをお勧めしたいです。

それには、自分の内側から受け取るインスピレーションを信じることもとても大事になってきます(こんなことできないよとか、思考でジャッジしない)。

かくいうわたしも、ただいま、インスピレーションを外の世界での実現に向けて動いているところで、このエネルギーを存分に放射したいです。

一人一人が内側のエネルギーを発光させた世界、星空のように綺麗でしょうね。

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過去にこしらえたマイナス波動(苦しみ、憎しみ、恨み、悲しみ、自己憐憫など)の解消が難しいと感じる場合は、カウンセリングやレメディというエネルギー物質を使って、その解消のお手伝いをすることができます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

全てを愛せる

12月12日、夕方近くに帰ってきて空を見上げたら、雲の動きと背景の空になんだかとても心ひかれたので、しばらくただ見入っていました(写真もとりました) ↓

その後、家に入り1件のメールを送り、夕食の準備をしながら、そのメールの内容について思い返していました。

内容については長いので書きませんが、
「そうだ、今世で人間最後かもしれないから、もっと十分にこの人生を味わいつくしておこう….」なんてことを考えてました。

そしたら、そのとき、自分の中に…..

「全てが貴重! 全てが愛おしい!」という言葉がはっきりと湧き上がってきて

続いて、

「 全てを愛せる! 」 という言葉と、それに伴う強い思いというか確信のようなものが溢(あふ)れてきました。

自分の内側に何の揺らぎもなく、「全てを愛せる」と明言できる、そんなはっきりした感覚でした。

この言葉を口に出して人前で言ったとしても、

恥ずかしさも、空々(そらぞら)しさも微塵もなく、堂々と宣言できる、
いっさい嘘のない、そんな強い感覚です。

「ほんとうに、全てを愛せる」と、また言葉があがってきて、

胸がいっぱいになって、涙があふれてきました。

それまでは飼ってるニャンコは愛しい、家族も愛しい、でも、視界に入る整っていない部屋や、年末の大掃除を待ってる埃(ほこり)は嫌だ、と思っていた自分だったのに、

その埃を掃除していない私のだらしなさも、その埃すら、私は愛せるとはっきり思えました。

夕食準備の前にネットニュースでちらっとみた、裏金でワケのわからない答弁をしてる政治家のことももちろん愛せると思いました。

愛せるというのは、好きか嫌いかとは違う感覚です。

さっきネットニュースでみた政治家は私は好きではない、むしろ嫌い、でも愛せると思ったのです。

”愛してる” でもなくて、”愛する”でもなくて、「愛せる」です。

私が感じていた「愛せる」というのは、あえて言葉にするなら、そのまま認める、受け入れる、ゆるすみたいな表現だと思います。

そんな感じで、この世の聖なることや、優しい、美しいことだけでなく、汚いこともずるいことも、とんでもなくおぞましいことまで全てを愛せる、という確信で胸がいっぱいになりました。

私のハートの中にこの世の全ての善も悪も迎えてあげることができる、ハートが裏返って全てを包み込む、そういうイメージも出てきました。

そして、その後も幸せな感覚で満たされながら夕食を終えて数時間したとき、ある用事をふと思い出しました。

仲良しのご近所さんと年末に忘年会をするので、ある居酒屋さんを私が予約することになっていたのですが、まだやっていなかったのです。

私はその居酒屋さんに今夏に旦那さんと行ったのですが、食事は美味しかったけど接客とお勘定にあまり良くない感じを受けたので(行き過ぎた儲け第一主義を感じた)、実はあまり行きたくないなと思っていたのです。けれど、ご近所さんがそこを希望するので、じゃ、ま、それでいいかと場所はそこに決まっていました。

年末近くなってきたので早めに予約しないといけないのに、今夏のことを思い返して、なんとなく嫌だなと後回しにしていたのです。

でも、そのとき、「あれ!?私、全てを愛せるよね」と自問したのです。

そしたら、そのお店の「闇」のような部分も、店主さんの納得いかなかった今夏の態度も「そういうの全て愛せるわ!」とすぐに思えました。

「そうだ、何が起きても愛せるわ」と思って、すぐに電話をし、そして心地よく予約がとれました(しかも電話にでたのはその店主さんだった)。

この電話で、「愛せるならば、つまり何も怖くないんだ」と深く腑に落ちました。

何が起きても愛せるのだから、何が起きても平気なのだとわかったのです。

つまり、逆で、何かするときに避けたり、嫌がったり、怖がったりしてるのは、

自分が嫌な思いをしたり、傷つけられたり、心を痛めると思ってるからなんだ、

自分が起きる出来事を愛せないと思ってるから、そういう反応になるのだと気がつきました。

なんでも愛せる、なにが起きても愛せるというのは、最強の感覚です。

この日の私に起きたことは、ハートが完全に開いた体験かもしれません。

ハートは閉じたり、開いたりするから、また閉じるのかもしれませんが(苦笑)、でもあの何も怖れるものがない、全てを愛せる感覚、二度と忘れたくないなと思いました。

この日以降、心が少しでも曇る出来事が起きたら、

「愛せる?」 「問題ない、愛せる〜!」の自問自答の日々です(笑)

あの日、12-12のゲートウェイだったから、エネルギーが多く届いていたのかもしれません。

沈黙の日

あのマハトマ・ガンジーは、毎週月曜日を「沈黙の日」として、

何も話さない日をもうけていたそうです。

もし、その日に誰かが彼を訪ねてきても、ガンジーは沈黙を守り、紙と鉛筆で筆談をして対応していたらしい。

沈黙の日をもうけたのは、多忙なガンジーが手紙を読むための時間だったそうですが、そのうち、この沈黙の時間が自分の精神にはなくてはならないものになった、と本人が語るのをある本の中で読みました。

食べる回数を減らすファスティング(断食)や、

物を減らす断捨離と同じように、言葉を減らす沈黙の日は、

わたしたちに何かを教えてくれるのだと思います。

そうはいっても、1日中沈黙するのは日常生活上なかなか難しいように思うので、

夜寝る前の2時間ほどを沈黙タイムとしてお試し中です。

沈黙しだして、すぐにわかったのは、言葉を使わないコミュニケーションはとてもシンプルでもどかしいどころか逆に心地がよいということです。

私と寝る前の2時間でコミュニケーションをとるのは、我が家ではダンナさんだけなのですが(沈黙すると事前に説明済み)、

しかも、その時間に取り立てて、私たちは話し合うこともないので(苦笑)、

目が合ったら、ただにっこり笑ったり、静かに会釈や手振りで意思を示してみる……

言葉がない分、相手の目や表情、全身をしっかりと見るので、相手のそのときの真の状態をきちんと感じることができます。

”誤解”というのは、言葉によって起きてることなんだなと改めて思いました。

なにか相手に伝えたいときに選ぶ言葉や、それを受け取ったときのイメージというのは各々がもつ価値観や感覚によって異なるので、言葉に重きを置きすぎてることが、人間関係の主要な問題ではないのか、などと思ったりもしてます。

また、沈黙してみると、自分が言葉を話そうとするときにいかに気をつけていたり、気を張っていたのかにも気づきました。

相手にわかりやすい言葉を使おうと思っていたり、誤解を与えない言葉を選ぼうとしていたり、そもそも無駄な?カラ元気な?会話→ 本当はそこまで話したくもない会話、そんなこともしていたなと気がつきました。

私が黙ると、ダンナさんも黙る、とても静か…..

1日の終わりにこのような静かな時間を持てると、日中の活動でかき混ぜられた自分のマインドが静かに沈殿していき、まるで波紋がなくなった湖のような静かな感覚になります。

沈黙タイムは、瞑想に匹敵すると思います。

↑ 姫路に住んで10年経つけど、まだ訪れていなかった書写山。
今年やっと紅葉が綺麗な時期にいくことができました。

「心」を超えていく

いつの頃からか、ずっと自己実現というのを目指していました。

自己実現が自分にとって何を指しているのかはわかっていなかったけれど、若い頃に「これから何をやりたいの?」と聞かれると「自己実現です」と答えていたのを覚えています。

その私がずっと子供の頃から惹かれていたのは、「心」を扱った物語や、「心」の問題を話すことでした。

それを学問にするなら「心理学」ということになるのでしょうが、しかし、何故か心理学の道には行かずに、気づけば、ホメオパシーやエネルギー療法を使いながら、スピリチュアルな道に入っていました。

そしてこの過程で、ずっと自分が惹かれていた「心」を扱う仕事をやってくることができました。

思考、感情、精神を含めたいわゆる「心」をどう扱うかということに取り組んできました。

つかみようのない心ですが、仕組みや取り扱いがわかってくると、かなりうまく付き合えるようになってきます。

カルマに気づいたり、過去からのブロックを外したり、物事の見方、捉え方などで、心の持ち様が変わってくるからです。

しかし、ある程度浄化というものをしてくると、

「心」の掃除にはキリがないことに気づいてきます。

どんなに心を鍛錬しようと、どんなに自分を愛そうとも、終わりがありません。

誰も住まなくなった家にも、自然とホコリが絶えることなく積もっていくように、「心」もどんな大掃除をしたとしても、永久に安定した状態のままであることはないのです。

全てが諸行無常なように、それに反応する心もそうなのです。

しかし、人は心の平安を願い、

それを強く願う気持ちが次のステージに進ませることになります(というか人間はそのようにプログラミングされてると私は理解しています)。

次のステージは、なにかというと「心を超える」ことです。

心を超えるというのは、

私の言葉で簡単に言うならば、

心をなんとか扱いやすくしようとしていたことを止める

です。

頑張ってやってきた相棒?である心と訣別する、という言い方もできるかもしれません。

心というのは自分ではないのだ、と気づくことが、心を超えるということになります。

では自分とは何か、が続く問いになると思いますが、

それが、私が目指していた「自己実現」、ほんとうの自分を現す旅なのでした。

ということで、心を超えたいと思った方、

心を超え、大いなる1つの意識に気づいていくミーティングに参加しませんか。

ただいまメンバー募集中です。

詳しいことは ↓

こちらの記事をどうぞ。

*ご希望を頂き、午後開催のグループを追加しました。

 午後グループは、1回目が 7/24 (月)15時スタートです。
午後グループは、2回目以降の日時は、参加メンバーの都合に合わせて決めていこうと思っています。

 午後なら参加できるという方、customerarnica@gmail.comまでご連絡お待ちしています!

ユリが美しい季節ですね。

思考は、ツール

私は瞑想をするとき、あぐらで座って、目を閉じて、何もしない状態になろうとします。

何もしないというのは、思考しないということですが、

私が「思考しない」ように意図してるのに、

思考というのは勝手に湧いてきます。

まるで自然発生するかのように、頭の中に声や映像として湧いてきて、

その思考を川のようにさらさらと流せるときもありますが、

湧いてきた思考が別の思考につながって思考の長い連鎖になっていくこともあります。

(ちなみに、その思考の連鎖をただ眺めてほおっておくと、いつのまにか思考はなくなって瞑想状態になります、また瞑想状態にならないときもあります)

一方で、私が例えば新しい講座をやろうかと思いついたとき、

その講座内容を吟味するとき、

私はよりよい内容を考えよう、アイデアを出そう、つまり具体的に思考しようと自分で意図してるわけですが、このようなときは、

私は自分が意図した通りにちゃんと「思考しています」。

この2つの思考を比較すると、

わたしが意図していないのに自然に湧いてくる思考 と

意図して行う思考 

の2種があることがわかります。

エネルギー療法をやってるので、その視点でこれを分析するならば、

前者の意図しないのに湧いてくる思考は、

わたしたちのエネルギーフィールドに存在するエネルギー(過去に体験したり、思考したエネルギー)を単にキャッチしてるのだと思います。

後者は、何かを創造していくために、思考というツールを使っている状態だと認識しています。

どんな人も十分に体験してると思いますが、

自然に湧いてくる思考というのは、私たちの精神にとって好ましくないものの方が多いです(苦笑)。

勝手に湧いてくる思考というのは、

過去にしでかした後悔だったり(あのとき、あれに気づいてこうしてれば良かったんだよ、みたいな)、

消化していない怒りや悲しみを追体験してたり(あの人にあの時、こう言われて、なんで言い返せなかったんだ、くそーとか)、

気にしてることや漠然とした恐れだったり(今度のイベント無事に問題なくできるのか?とか、親の介護のことそろそろ考えないと、とか、地球環境はこのままどうなってしまうのかな?みたいな)

他には、自分にとってどうでもいいことなのに、なぜか印象に残ってるシーンだったり(あそこでAさんにこう言われたときのBさんの変な顔とか、昨日読んだ漫画のどうでもいい1シーンやYoutubeでみたある映像や音楽がただ蘇ったり)、

いわゆるそれらを再度思考したところで、幸せになるものではないものが大半で、簡単にいうとネガティブな思考が多いです。

ある具体的な悩みを現在進行形で持ってる人の場合は、

その悩みが起きたシーンから対象相手のそのときの言動や、相手への批判など映像や思考やそれに伴う感情の連鎖が次々と起きてると思います。

何を言いたいかというと、

このように自分が意図しないのに、勝手に湧いてくる思考というのは、

「自分が起こしたものではない」と知るのがよいと思います。

セルフサービスのカフェに座っていたら、向こうからジュースのコップを運んできた人が何故かつまづいて、自分の目の前でジュースをぶちまけたとします。

それをみて、あ〜私があれを起こしたんだ、とは思わないですよね。

それが、なぜ起きたかはわからないけど自然発生的にそれは起きたのです。

だから、自然に湧いてきた思考も、自分が意図して起こしたわけではないので、それらの思考に囚われる必要はなくて、またネガティブな思考が起きてる自分も責めたりしなくていいのです。

思考というのは、上記したように、意図して使うときは、私たちがよりよく人生を送れるように使えるツールです。

よりよくするにはどうしたらといいだろうと意図したときに思考を使うだけでよくて、

湧いてくる思考の方は引きずりこまれないでスルーしておけばいいのです。

もちろん、湧いてくる思考が自分にとって苦しかったり、具体的な悩みがあって苦しい場合は、

この湧いてくるネガティブな思考から解放されるにはどうしたらいいだろうと、

敢えて意図してツールとして思考すればいいと思います(解決法を探るのに思考を使う)。

といっても、勝手に湧いてくる思考をスルーしていくのは実際にはなかなか難しいですが、

多くの時間、自分の頭の中を占領してる「意図してないのに勝手に湧いてくる思考」に
巻き込まれてる状態に気づく回数が増えていくと、

もっと目の前のことに集中できて、日々の心の調子はかなり軽くなるし、寝つきもよくなります。

と、これを記事にしてる私ですが、

昨晩、瞑想していたら、昨日ご近所さんにいただいた「たらの芽」を天ぷらにして食べたことが思考としてすぐに浮かんできて、

そしたら、20代の頃に働いていた会社の社長さんに都心のおしゃれなカウンターの料理屋さんに連れていってもらって、そこで新春の山菜のこごみだかたらの芽が出された記憶がつながって湧いてきて、それを私はあまりにも苦くて一口しか食べられなかったな、今は全く苦いと思わないのに、あのときあんなに苦く感じたのは何だったのか……、新春の山菜でデトックスするのを私の体が拒んでいたのかなとか、思考の連鎖が始まり、そういえば、あの社長さんはある社員の女性とそういう関係だとうわさされてて、他の女性社員たちがその女性社員にすごい不満をもらしていたなとか……. はっと気がつくと、どんどん湧いてきた思い返したところで本当に全くどうでもいい思考に溺れていたのでした。

はい、それで、この思考のことを今朝、記事にしてみました(笑)。

↑ たらの芽の写真は、撮り忘れた… ホームセンターで買ってみたチューリップがいい感じに咲きました。 

あなたはあなたを愛しています

あなたには、この人みたいになりたいなと憧れたり、目指してる人、いますか?

もし「その人になれますよ」と神様が願いを叶えてくれるとしたら、

本当にその人になりますか?

その人の憧れてる部分だけじゃなくて、顔から体、体質、性質、遺伝子、過去の記憶まで、

そっくりそのまま、自分がその人になるのだとしたら、

はい、わたしはその人になりたいです!と望む人は、ほぼいないのではないかと思います。

なぜなら、あなたは、

「あなた」のままで在りながら、他人のいいところだけを欲しいと思ってるからです。

別の言い方をすると、

あなたは、実は「あなた」と思ってる自分のことを好きなのだと思います。

「あなた」ではない、他の人として生きていくことは望んでいないのです。

自分で自分をあまり評価していなかったり、嫌いなところも幾つもあるかもしれないけれど、

あなたは、あなたを愛していて、「あなたとして」生きていきたいのです。

「あなた」で在りながら、

「あなた」をできたらもっと良い存在にしていきたい、

そして良くなった「あなた」を受け入れて好きになりたいのだと思います。

つまり、「あなた」をもっと愛していきたいと願っているのです。


良くなった「あなた」を好きになるには、

たくさん「あなた」を良くしていかないといけないのですが、

究極の目的が「あなたをもっと好きになること」「あなたをもっと愛していきたい」のだとしたら、

「あなた」を好きになることを、いますぐ始めてみるのは、どうでしょうか。

ということで、簡単にできるミラーワークを紹介したいと思います。

これは、偉大なアメリカ人ヒーラー Louise Hay (ルイーズ・ヘイ)が教えてくれたワークですが、以下、少しアレンジしています。

毎日、鏡をみて、そこに映る自分を好きだ、と言っていくのです。

あなたは、日常で何気なく、こどもや家族、パートナーや恋人、友達や仲間や同僚を、

褒めたり、励ましたり、してると思います。

よく頑張ったね、よくやったね、とか

よくXXXができるよね、尊敬するわ、とか、

うわー、それ素敵だね、とか

かっこいいねとか、

わたし、あなたのこと好きだよ、とか、

それでも、ママはあなたの味方だからね、みたいな

そんな相手を肯定する言葉をフツーにかけてますよね。

肯定するというのは、その人のよい面をあげて、それが好きだと言ってるわけですが、

ところで、自分には、そんな言葉を日常的にかけてあげてますか?

ミラーワークでは、

あなたが「あなた」に対面して、そういう言葉をかけてあげるのです。

朝、夜など鏡の前にたって、自分の目をみて、

自分を好きだという言葉、自分を肯定する言葉をかけていきます。

声を実際にだせない環境の人は、心の声でOKです。

このワークをやってると、すぐに日常の自分の言動に変化がみられます。

その変化はとても面白くて、それにとても心地よくなります。

あなたは、他の誰にもなりたくないくらい実はあなたを愛してるのだから、それを自分で自分に表現していくといいと思います。

↑ 先日、桜舞い散る中、テニスしました(このコート初でした)。
ミラーワーク:「テニス、上手くなってる!素敵!」
「たくさんミスしたけれど、それでもあなたが好きだよ!」

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ある人と自分をそっくり入れ替えてしまいたい、

自分を失くしてしまっても平気だと思った方、

とても大きなエネルギーブロックがかかってると思います。

一体、あなたに何が起きて、あなたはあなたを愛せないのか、

レメディというエネルギー物質を使いながら、一緒にひもといていくことができます。

ご興味のある方は、コンサルテーションを受けてみませんか。

詳しくはHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/