New collab.ニューコラボ

New Collaboration ”新しいかたちのコラボレーション” という意味で

「 New Collab. ニューコラボ 」

この名前をつけた店舗を9月中にオープンしますので、お知らせです。

場所は、兵庫県加古郡稲美町です。

どんな店舗かというと、具体的にはこんな感じです(拙い手書きですみません) ↓

昭和な平家(ひらや)物件をリフォームして、つくりました。

4つのスペースからなっていて、それぞれのお部屋が、レンタルスペースです。

・和室

・セッションルーム

・講座ルーム

・キッチン&イートインスペース(シェアキッチンです)

これらの部屋を使って、いろんな方が、やりたい、やってみたいと思うことに使ってもらえたらなと思い、現実化しました。

どんな人も、何かしらの才能を持っています。

人にお会いして、その方の過去や現在の話を聞く仕事をしてきましたが、どんな方にもオリジナルな才能が散りばめられていて、それは随所に現れています。

その人の才能というのは、以下のこととリンクしています:

・得意だと思うこと、上手くできること

・それをするのが好きだなと感じること

・それをやってみたいと感じてること

・それをしてるときに無我夢中になれること などです。

今の時代、自己啓発系やスピリチュアルなアドバイスなどで、

好きなことだけやっていこう とか

好きなことをやっていれば上手くいく のような言葉が聞かれますし、

それを実践されてる方も多くなってきていますが、

この言葉を、いざ自分の人生に適用するとなると、いろんな現実的な抵抗があるのもみられます。

やりたいけれど時間がない、始めるにも資金がない、そこまでの思いきりや勇気を持てない、そうはいっても具体的にどうやっていくのかわからなすぎる…..etc.,

そもそも、好きなことやっていれば上手くいくなんて、ホントかな?!と疑いを持ってる人もいると思います。

いやいや、それ、ホントなんですよ、この世というのは、そういう仕組みになっているんですから、と口角泡を飛ばして言いたいくらいですが(笑)、

頭で考えてるだけでなく、実際に動かないと何も起きないというのも、またこの世の仕組みの1つなので、

「とりあえず、ちょっとやってみたら!」と、言いたくて、この場所を考えました。

人は、自分の持って生まれてきた才能を発揮してるときが、もっとも輝いてるなと思います。

特に何もしなくても、何もやらなくても、受動的に事象は起きてきて、人はそのまま歳をとり、人生はいつのまにか終盤に進んでいきます。

でもできることなら、自分が持って生まれた才能を使って輝きたいし、他の人が才能を使って輝いてる姿もみたいものです。

面白いのは、それぞれの人が持ってる才能を発揮していくと、パズルのピースが埋まって作品が完成していくように、

いろんなことが可能になっていき、人がどんどんつながっていき、あちこちが良い方向に発展していくのがみられます。

と、前置きがすごく長くなりました、そして話が壮大になっていますが、実際につくったお店は小さいです(笑)

このお店に、ご興味のある方は、インスタアカウントを作りましたので、今後に出していく情報をご覧ください。

9月中に、誰でも気軽に見に来れるOPEN DAYをもうける予定です。

New Collab. インスタ:https://www.instagram.com/newcollab2024

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わたしのコンサルテーションも、コロナ以降、ずっとzoomになっておりましたが、
この場所で対面を復活させていこうと思っています。

ホメオパシー療法など、あなたのエネルギー波動を整える療法のHPは、こちらです:
https://arnicahomeo.com/

怒りはガスと同じ扱いで大丈夫です

今朝、怒りについてのメールをある方に打っていたら、長い文章が降りてきたので、
Blog記事にすることにしました。

怒りを持て余す人というのは、とても多いと思います。

怒りを感じてるとき、心地よい人なんていないと思います。

かくいう私も、できたら怒りたくないな〜と長いこと、思ってきた人です(すぐ怒る人だったので汗)。

怒りというのは、自分が持ってる信念や定義に反することが起きたときに、湧くものです。

例えば、「時間は守らなくてはいけない」という信念を持っている場合、

時間を守れない自分や、
時間を守らない人がいたときに、そこに対して怒りが湧くという仕組みです。

信念や思い込みに対する現実の出来事への反応として、怒りという感情が湧くのです。

ですので、そういう信念や定義を外していくと、怒ることはかなり減っていきます。

(上記の例でいうと、守らなければ”いけない”という縛りをゆるめる、時間はできたら守りたい、くらいの軽い思いに変えると、怒りという反応が起きにくくなる)

この仕組みがわかったので、私はそういう怒りを湧かせる信念をせっせと外してきました。かなりの数、外してきました。

だから、怒ることは激減しましたが、それでも、たまに怒ります。

先日も、旦那さんに対して、あることで怒って、へー、まだこんなことで怒るんだと自分でも意外だったのですが、
ただ、そこで信念探しをしようとは思わなくて、こんな怒りはもう別に気にしなくていいなと思いました。

今朝のメールに話を戻しますが、そのメールを打ちながら降りてきたのは、

怒りは、「おなら」みたいなものだという内容でした(笑)。

おならが、食べ物の組み合わせやその人の咀嚼の仕方、最終的には消化の流れで発生するように、

怒りも、起きる出来事の組み合わせや、その出来事に対するその人のモノの見方、最終的には、それをどう捉えるか(消化するか)で発生するので、似ています。

もし、ある出来事で怒りが発生したら、ガスと同じなので、

できてしまったガスは、速やかに出してください(笑)。

ガスを出さないようにしたり、溜めておかないで、自然な流れとして出しましょう。

怒りは、ガスと同じで、実体はありません。

外に放出してしまえば、それで終わり、それが正体です。

出してしまったガスのことを、いつまでも考えませんよね。

それと同じで、放出してしまった怒りのことは、もう追いかけなくていいのです。

ガスが大きすぎたり、回数が多すぎたり、臭すぎたり、それでお腹が痛くなったりするなら、

どんな食べ物を食べてるのか、咀嚼の仕方は大丈夫か、消化機能は弱っていないか検討するのは必要だと思います。

怒りも、回数が多かったり、大きすぎたり、苦しみを伴うなら、どんな苦しい信念をもってるのだろうと見ていくことは、根本的な解決になりますが、

異常性がないのなら、発生してしまった怒りは、自然なものなので、速やかに出して、それで終わらせるのでいいのです。

怒りの健全な出し方は、これもガスと同じで、

出しても良い安全な場所で出す

相手に伝える必要があるなら(自分だけの問題でないなら)、対象相手に向かって出す

自分の内側の問題なら、一人で出す(スポーツで出したり、歌として出したり、クッションにぶつけたり、書き出してみたり)

ということになります。

そう、怒りは、ガスと同じ扱いで大丈夫です(笑)。

先日、海で泳ぎたくて、早朝に出かけていき↑、7時30分くらいから泳いだり海に浮かんだりして10時30分くらいには着替えも全て終了した状態になりました(駐車場もビーチに設置されたシャワーもガラ空き)。海からあがると、心の底からさっぱり感を味わえて、浄化された感がハンパなかったです。

今は、ライオンズゲートといって、天体の位置的に地球に注がれるエネルギーがとても高い時期です。波動が高くなるということは、低い波動のものが振動に耐えられずに浮上してきます。それで現在、体に浄化が起きてる方が複数いらっしゃいます。
肌の症状、歯の痛み、目の痒みや鼻水、咳など…..一見、悪いことが起きてるようですが、体の掃除が行われてるんだ〜と見ておくのをオススメします。対処としては、キットのレメディが最適だと思います。

ポジティブ波動で反応する

引っ越してきた隣人のお宅から、怒る声や、どなり声が聞こえてくるようになったというお話をお聞きしました。

人が怒る声というのは、当人達にはただの親子喧嘩や夫婦喧嘩であったとしても、その現場にいなくてシチュエーションがはっきりみえない人にとっては、穏やかに聞いていられない音だと思います。

実際、このお話をしてくださった方は、その声が聞こえると「胸がざわっとする」「怖い」という感覚だそうです。

こういうときの解決法として、相手のお宅にピンポンして苦情言える人は少ないと思いますが(汗)、そこまでしなくても、その相手になんとか穏やかに変わってもらいたい、なんとかしてその相手が怒るのを押さえてくれないかなと、相手が変わることの方を考えるのが通常の思考ではないでしょうか。

しかし、この現象をエネルギー的にみるならば、この現象を引き寄せ、「怖い」現象として感知してるのは、自分なのです。

自分の中にそのエネルギー波動があるから、それが具現化されて体験しています。

ということで、このようなことが起きたときは、自分のその波動を変換するチャンス到来?!ということになります。

具体的にどうやって波動を変換するかといいますと:

(現時点)

怒る声、どなり声を「怖い」現象という捉え方:つまりネガティブ現象として反応してる 

(変換の例)

怒る声、どなり声が聞こえたら、
「あ〜わかりますよ、つい怒っちゃったり、どなることもありますよね、私もやってしまいますから」みたいな「共感する」ポジティブな波動で反応する

または、

怒る声、どなり声が聞こえたら、
「あんなに怒るってことは、親御さんは必死なんだな、でもうまくいかなくてつらいんだろうな、よく頑張っていますね、応援していますよ」みたいな「理解してあげる」「寛容に受け止めてあげる」ポジティブな波動で反応する

など、です。

他にもポジティブな波動の反応の仕方はあると思いますので、それを自分なりに考えてみると面白いと思います。

いずれにしろ、その反応を考えついたときに、自分の心がすっとするもの、それがあなた本来の波動です。

このようなポジティブ波動の反応をしていくと、事象自体に変化が起きます。
そのとき、あなたのネガティブ波動も完全に変化した状態になっています。

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種が飛んできたのか、薪置き場の前に突如咲いていた綺麗な青いお花。
検索すると、シノグロッサム:オオルリ草というらしい。
初夏らしく爽やかな青です。

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自分でポジティブ波動に変換することを思いつけないし、したくてもできない、というときは、深いエネルギーブロックが作られているからです。

そのようなときは、エネルギー物質であるレメディを使って、波動変換のお手伝いができます。

詳しいことは、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

ワクワクしないのは

あなたが本当にあなたらしく生きるには、

内側からあがってくる衝動や、

ワクワクした気持ち、

これをやりたいんだという熱い思いに従って動いていくことが鍵になります。

このような話を講座やコンサルテーション中にすることがあるんですが、

先日、このことをふと自分にあてはめて客観的にみてみると……

私は、これはしたい、これをしよう、これ、どうなるんだろうみたいな内側からの衝動はあるし、それに従って動くようにしてるんですけど、

ワクワクという言葉にぴったりする叶えたいと思うこと、今、ないなって思ったんです(汗)。

ワクワクっていう言葉は、私にとって胸が高鳴るようなきゅーんと自分を思い切り上に引き上げてくれるようなイメージなんですが、それに匹敵するようなものがないなと気づいたのです。

内なる声とか衝動に従ってるのに、ワクワクに匹敵することがないとは、いったいこれはどういうことなんだろう?と、自問しました。

そしたら、

それは、あなたが叶えたいことが小さすぎるから

という言葉を受け取りました。

叶えたいことが小さすぎる、すぐに手が届きそうなことには、ワクワクしない

つまり、もっともっと胸が高揚してたまらなくなるような大きなことをイメージしなさい

ということだったのです。

! ! ! Oh My God

いや、ほんと、その通りでした。

いつ頃からなのか、私は自分が叶えたいことを常に小さく見積もってきていたように思います。

もう、このへんでいいだろう、みたいな感じです。

そりゃ、ワクワクしないよね。

なぜなら、ほぼ想定内のことを起こそうとしてるわけですからね。

上記の気づきのおかげで、その後、ワクワクする状態を妄想し尽くしました(笑)。

そしてそれに伴い、今、やることもはっきりみえてきました。

ということで、もし、ワクワクしていない人がいたら、

自分が心からワクワクしてくる、
自分がそうなりたい最もすごいレベルの状態を思い描いてみるとよいと思います。

波動がそれによって上がり、それに伴ったものが引き寄せられてくるはずです。

↑ 我が家にふらりと迷い込んできて、そろそろ1年経つアシュラム(♂)。
最初から我が家に暮らしていたようなくつろぎぶりです。
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ホメオパシーのレメディやエッセンスを用いるエネルギー療法をやっています。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

コロナ以降、zoomを使ったオンラインでのコンサルテーションをメインでやってきましたが、店舗を作り、対面コンサルテーションを復活?させようとしているところです。
実現できそうになったら、またお知らせします。

Man proposes, god disposes.

できることをやるだけ、あとは神様にお任せする

日本語の言い回しでいうと、

人事を尽くして天命を待つ

と同じだと思います。

これに似た文章はフランスにもあるそうで、どの国や文化であっても、この生き方の秘訣にたどり着いたのでしょうね。

私は、今、ある場所をお借りしようとしていて、そのためのやり取りをここ1、2週間しています。

持ち主さんがいて、仲介者もいます。

当初は、とんとんとコトが運びそうだったのですが、仲介者さんが入ってから、雲行きが怪しくなり、昨日の時点で、当初お願いしたことはムリです、と言い渡されました。

がーん、となったのですが、なにかあきらめない思いが自分の中にあったので、

私がここで他に何かできることはないか….と、集中してみたら、ふっとあるアイデアが湧いてきたので、それを言葉にして当初とは少し観点の違う提案をしてみました。

今は、その回答待ちです。

昨晩は、どうなるのかな〜とフツーに思考でいっぱいでした。

朝、目が覚めて、窓から山の景色を眺めていたら、まさに表題の言葉が降りてきました。

それで、自問しました。

私は、この件に関して、何度も話にいったし、お互いにできるだけwin-winになるようにというのをベースに考えて、それを提案した。

だから、この件に関して、できることは、もうやった。

あとは、神様がどうされるのか待つだけ、結果がどちらであれ、私はそれを受け入れられる、と思いました。

昨日の提案でも断られたら、それが私にとってベストなことなのだと思えました。

(そしたら、また次に行って、それはきっと何かにつながることになる)

そう思ったら、窓から見える木々の新緑のように、心がスッキリしました。

何かコトがうまくいかないとき、状況に文句を言ったり、関係者を恨んだり、

はたまたうまくいかない運命や自分自身を憐れんだりしてるときは、

よーく吟味すると、そのときまだできることがあるのに、それをやろうとしていなかったり、

ちょっとやってすぐにあきらめて、まだ十分にやりきっていなかったりするときが多いように思います。

ということで、なにかうまくいかないというときは、他者や環境に不満を言う前に、今、自分ができることは他になにがあるだろう!?と自問してみるくせをつけるといいかなと思いました。

それは攻略法をみつけるゲームみたいなもので、他にできることがみつかったとき、うわっ、どうなるんだろう、それ、やってみようと思えるんじゃないかと思います。

実際、私が昨日他になにかできないかと集中したら、ふっと湧いてきたアイデア、それを提案したら、この事象はどう動くんだろう〜と思ったとき、ゲームみたいでちょっとワクワクしました。

先日訪れた、昔の大庄屋さんのお庭の飛石。私は、飛石をみると「人生の選択(ターニングポイント)」という言葉がいつも浮かんできます。

(姫路市林田町にある大庄屋旧三木家住宅です)

花と似てる

種から芽がでて、葉っぱや茎が育ち、ツボミがでてきて膨らんで、花が咲く。

花は咲くのがゴールじゃない。花の奥では種をつくり、有効な方法で種を他の場所に広げ、その後は葉を枯らしたりして身を小さくして、次のシーズンまで静かに土の中で潜んだりする。

これが宇宙が教えてくれる自然の流れであるなら、
同じ自然の流れの中にいるヒトも同じことをしているに違いない。

なにかで着想を得て(種)、それを葉や茎を伸ばすように大きくしようと動いて、
花が咲けるほどに成長すると、ツボミがでてきて、そして自分がしたかったことを実現したという花が開く。

人は花が開くというのをゴールのように捉えたりするけれど、このサイクルは自然の花のように繰り返され、やりたかったことを実現した後も、次に備えてしばらく休んだり、その体験で学んだ知識を整理したり、実現できたことに感謝をし身を低くしたりして、

それからまた次の種=やりたいことを育てていく流れに入っていく。

花が枯れて死んでしまうまで、自然とこの営みが繰り返されるように、人もこのサイクルを肉体が滅びるまで繰り返してると思う。

とても小さなことから大きなことまで、自分のやりたいことの種を育てて、その花を咲かせて実現するの繰り返しをしていると思う。

もし苦しいとか、うまくいってないと感じるとしたら、

花を休眠期なく咲かせ続けようとしていないか、

種を眠らせつづけて発芽させないようにしていないか、

はたまた、今は葉を落として静かにして学んだことを整理するときなのに、

すぐに芽をださなきゃ、花が咲いていないじゃないの、みたいに、成果の方だけを追い続けていないか、今、自分はどこにいるのか、みてみるのがいいかもしれない。

そんな今日の私は、庭のまわりに生い茂りだした雑草の中からカタバミを摘みながら、
私がやりたいなと思ったこと(複数あるけど)、それぞれ、どの段階なんだろうと考えてみました。

1つは、ツボミがみえてきたところだな、と思いました。

もう1つは、芽がでて葉や茎が育ってるけど、花を咲かせるにはまだほど遠いところだとわかりました。

いずれにしろ花は、自然の完璧なタイミングで咲いてます。

だから人も自然の流れにいたら、完璧なタイミングで花を咲かせられるはず。

カタバミ、とても綺麗な花だなと思います。
野の花摘んでいると、少女のような気持ちになる〜

狭き門より入れ

狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。

新約聖書マタイ福音書7からの一節ですが、「狭き門より入れ」は、アンドレ・ジッドの小説のタイトルにも使われたせいか、ことわざのように使われているかと思います。

私は、これまでの人生で何度か、この言葉を受け取ったことがあります。

この「狭き門」から通ずる道は、神の国なので、悟りへの道を示しているのが本来でしょうが、

私はこれを、次の意味のように受け取っています。

「狭き門から進みなさい。それは、あなた独自の道。

誰かが言った通りにすることや、世間がすでに示している道は、その他大勢の人が流されて進んでしまう広い道。

しかし、その狭い独自の道を進むなら、あなたのソウルに従った道を進むことになる。」

という感じで、私たちはヒトという形で似たようにみえても、それぞれが全く独自でオリジナルな存在なのだから、
独自の道を進むことが、本当のあなたらしい人生の道を進むことになります、という導きの言葉として受け取っています。


他の大勢の人がやるように、こうやったらもっと楽だよ、簡単にできるよ、こうしておけば波風立たないよと、いうような広い道は一見簡単で従いやすいのだけど、その広い道を進んでいると、あなたらしく生きられない道を歩むことになりますよ、という教えだと思っています。

この文言を、一番最初に受けとったのは、ホメオパスになるための学校選択で悩んでいたときでした。

ホメオパシー自体がそもそもマイナーな道なのですが、
それでも日本で一番大きな学校があり、そこの見学会に行ったあとに、どの学校を選択するかで自分の中で迷いが生じていたときでした。

その学校は施設もカリキュラムもしっかりしてるし、生徒の人数も多い、そして卒業後の進路まで道筋をつけてくれてるような学校でした。

その道がホメオパスになるのに一番の近道、いわゆる広い道でした。
でも、自分の中には迷いがありました….

それで公園に座りこんでいたのですが、考えても選択できないので、ぶらっと周りを散歩しようとしたら、そこに教会がありました(当時、東京に住んでた)。

信者でもないのですが、ふらりとその教会の扉をあけて中に入ると、教会だとフォーチュンというのか?、おみくじ的な箱が置いてあり、自由にひくことができました。

手をいれて、1つの小さく折りただんだ紙を取り出し、開いてみると、

「狭き門より入れ」と書いてありました。

この導きが、私のその後のホメオパスになる道へのシフトとなりました。

狭き学校を選び、狭き?ホメオパスとして活動することになりました笑。

もし、あなたがやろうとしてること、やりたいことが、狭き門を通らねばならず、

その狭さゆえに、他のさっさと進む多くの人と比べるとうまくいかなかったり、早く進めないこともあるかもしれません。

でも、その狭さは、あなたのオリジナルさを表してるのです。

狭ければ狭いほど、あなた独自の道です。

自分がどのような門から入っているか、それに気づくよう、まさに今朝もこの言葉を受け取りました。

去年植えた水仙が咲きました。
正面からみると、マカバと呼ばれる星形正八面体に見える〜

波動の上げ方:「愛」を伴う反応の実例

波動をあげる具体的な方法は、

「愛」を伴った見方をする、「愛」を伴った言動をとる

です。

以下、具体例:

住む家をずっと探していたところ、「これはすごくイイ!」と希望にピッタリの物件をみつけた。

不動産会社に連絡をしたら、「あ〜、その物件は今もう契約段階に入ってるんで、ご紹介できません」と言われ、電話を切った。

この事象に対して↓↓↓

▶︎「愛」を伴わないどころか、恨みや怒りを放つ波動の見方と言動

「ったく、もう契約段階に入ってるなら、この情報ネットから削除しといてよ!」

「なんかの都合で、その先約の人、契約破棄にならないかな」

▶︎「愛」を伴わない見方と言動

「あー、もっと早く電話してたら、私にもチャンスがあったのかな、どうしてもっと機敏に動けなかったんだろう」

「あーあ、私にとってベストの物件だったのに、私はなんてついてないんだろう….」

▶︎「愛」を伴う見方と言動

「私よりもあの物件を本当に必要とした人がいて、その人が契約することができたんだ、良かったな」

「知らない人だけど、その人がぴったりの物件に巡り会えたことを喜ぼう」

▶︎さらに上級の「愛」を伴う見方と言動

「私でなく、その人が望むものに先に巡り会えたことを祝福します」

「その人が幸せで良かった、ありがとうございます」

「どんな人も、その人みたいに望むものに巡り会えますように」

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上記を解説するならば、

一番低い波動は、

起きた事象について他人のせいにしたり、他人を落としたり、批判する反応

そこまで低くないけど、高くない波動は、

他人に矢を向けないけれど、自分に矢を向ける反応
自分を責めたり、自分を下げたりする反応

高い波動は、

起きたことを良いこととしてただ受け入れる反応
他人に起きた幸せを自分のことのように喜ぶ反応
他人のことでも喜ばしいことが起きたことについて感謝する反応

さらに高い波動は、

自分のことより他人の幸せを願う反応
自他を問わずに、幸せな事象自体に感謝する反応
全ての人に対しての幸せを願う反応

という具合になります。

別の言葉でいうと、起きてくる事象に
どれだけ大きな愛を伴った見方と言動ができるかということが、
波動をあげることとリンクしています。

波動をあげていくというと抽象的で何を目指してるのかわからないけれど、
「愛」を伴った言動をしていくことで、「愛」を伴った現象がつくられ、「愛」が波及していく世界になっていきます。これからは、そんな時代になっていく流れだと思います。

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上記の例は、自分が今、やりたいことのために物件を探してるので、思いつきました。
昨日まさに、畑付きの素敵そうな物件をみつけて電話したら、契約進行中だった汗。

その伸び伸び過ごせそうな田舎環境の物件に、ぴったりの人たちが巡り会えたんだろうなと思ったら、私でなくて良かったなと思い、そう思ったら、波動が上がったのか、自分も本当に幸せな心持ちになりました。

もちろん電話で断られたときは「あー、遅かった!」と思いましたよ→波動低っ、笑!

アーモンドの花が満開中、アーモンドの実は今のところ1粒しかなったことない….
濃いめのピンクで香りも濃い、このピンクをみてると気分が上がります。

「愛」を持った見方をするのが、どうしてもできない方、あなたの温かいハートを閉じる出来事が過去にあったのだと思います。その出来事のときに閉じたあなたのハートを開きませんか。エネルギー療法でそのお手伝いをすることができます。

ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

一人ぼっちになれたことなんか、ない

なんだかもやっとする夢をみて、もやっとした気分のまま、台所の窓をあける。

空をみてたら、春の野鳥がさえずった。

つーぴー、つつぴー、

ホーホケキョッ、

途端に、私の気分は完全に「春」になって軽やかになる。

誰かが、悲しい気持ちをつづったSNSをあげる、それにいたわりや共感のコメントがつく、それを読んで優しい気持ちになる。

誰かが、誰かに毒づく動画、それに賛同するコメントがあがったり、憐れむコメントがあがる、色々だな〜と自分も複雑に感じる。

入ったお店の店員さんが元気がよいと、その快活さに心地よくなる。

雨が降り続くと、なんとなく、どよんとしてくる、晴れるとからっとした気分になる。

風がふくと桶屋がもうかる、も同じこと。

どんな人も、こんな数々の影響の連続で毎日を過ごしてるはず。

ということは、間違いなく、私たちは、影響しあう世界で生きている。

影響し合うというのは、なにかがつながっているから、影響しあう。

これを、ワンネスということができる。

そういう意味で、わたしたちは、決してひとりぼっちにはなれない。

ひとりぼっちになんかなれたことない。

ひとりぼっちなら、この影響しあう世界に生まれることはできなかったから。

菜の花畑でどんな影響をうけてるかな〜

ダウンしてるなら、体を動かす

気分のアップダウンが激しくて、みたいなお悩みを聞きますが、

人はアップだけを望んで、ダウンしてる状態を良くないこととして嫌がり、避けようとします(自分も然り)。

嫌がるだけならいいけど、ダウンしてる自分をほじくり返して、ああでもない、こうでもない、自分はうまくできてない、こんな自分はどうしようもないと思考でさらにダウンしていく状態に導いてる人もいます。

ダウンというのは、エネルギー的にみるならば、その人の本来循環してるエネルギーが停滞気味のことを「体感してる状態」と言えます。

その人のエネルギーが澱(よど)み始めてる不快さを、「ダウンしてる」と感知してるわけです。

だったら、そこでさらにダウンに導くことをやめて、エネルギーを動かしていくのがよいです。

空気の淀んだ部屋の窓を開け放して、風通しをよくするのと同じ。

エネルギーを動かす最も簡単な方法は、体を動かすことです。

スポーツでもよいし、家の掃除でもよいし、少し早めに歩く散歩でもよいし、歌を歌うとかでもよいし、とにかく体を動かすことから、全体のエネルギーを動かすことができます。

今朝、起きたら、自分がダウンしてる感じがあり、これは何を教えてくれてるのでしょう?!と、問うたら、(メンタルについての答えが返ってくるかと思いきや)、上記の気づきを受け取りました。

まさに、今週は雨でいつものテニスができていなかったので、なるほど〜と唸りました。

私は毎日ヨガの呼吸法でエネルギー動かしているのだけれど、テニスをして大きくエネルギーを動かすことは、今の私のエネルギー状態にとって必要だったようです。

ということで、朝、この言葉を受け取って、すぐにゴミ捨てに颯爽と?でかけて(歩いて200mくらいのところですが)、外の空気を吸って深呼吸したら、もうダウンの感覚はなくなっていました。

↑青い空の下、蓮の間を延々と散歩したとき気持ちよかった(去年の7月のことですが笑)

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ダウンが大きすぎる方、なかなか抜け出せない方は、過去に自分がこしらえたエネルギーブロックという雲みたいなものを晴らすことができていないのかもしれません。

自分がつくったものは、自分で晴らすことができます。

エネルギー物質を使って、それを晴らすガイドができます。

興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/