いろんなカタチのサポート

毎度blogの記事を書こうとして、
もっとさらっと書けないのか?と自問/自責しつつ、
お蔵入りになった記事かなりアル。

しかし、長すぎでもくどくてもなんでもいいから、
とりあえず自分らしく表現したものは、
外に出していくのがよいという流れが、
ここ最近来てるので、
ちょこちょこ出していきます。

これは、今年の9月ごろの話です。
我が家の裏で、ダンナさんと2人で話をしていました。

我が家の裏は元は畑なのですが、
一部に砂利を敷いて、東屋の下にテーブルと椅子を置き、
外でもご飯を食べれたり、
人が来たらそこで話ができるようにしています。
(片付いていない家の中に通さなくてもいいように笑)

その日はちょうど、ダンナさんが休みをとっていたのもあり、
私も用事がなかったので、裏に2人で座ってなんとなく話をしていました。

2人で話をしだすと、
ここ1年くらい、ずっと同じ話題に最後はなります。
それは彼が会社員としての仕事をやめるのか、やめないのか。

ちなみに会社員といっても、毎日通勤してるわけではなく、
今の山間部の家に引っ越してきてから、つまりコロナのずっと前から
リモートワークです(アメリカの会社なのもアリ)。

妻の私としては、好きではない仕事をやめることに異存はなく、
それだけでなく、仕事をやめた後のやりたいこともはっきりしてるので、
逆になぜに辞めないのか、そこがわからないと思ってました。

辞めないのは、給料=お金がなくなるのが怖い、という単純な理由なのですが、
お金がないのが怖いと感じる彼だからこそ、
これまで地道な株を購入してきていて、
その株を活用していけば生活費はなんとかなるくらいまで整えているのです。

だから、準備万端では?と思うのですが、
毎度「だから、やめなよ」と言っても、
話が進んでいきません。

彼もやめることを心の底では望んでいるのに、
いざ、実行となると、いや、あと数年後にしようか、という感じで、なかなか踏み切れない状態でした。

そして、この日も、また、
その対話の繰り返しになりそうな話の流れ……

すると、そのとき、
2人の間を縫うように蝶が飛んできました。
モンシロチョウでした。

まだ残暑が十分に残る暑い日です。
この時期にモンシロチョウがいるんだ、と思ってみていると、
その蝶は、私の右手の手のひらにとまりました。

蝶が手にとまるなんて、
そんなに頻繁に起こることではないので、
これはきっと何かの現れだろうなと思い、
静かにしていました。

10秒くらいとまっていたでしょうか、
蝶が私の手を離れていったあと、
私がいつもの「だから、やめなよ」という言葉を放ち、
それに続いて会社をやめるように誘導する言葉がベラベラとでてきたのですが、
その中に、
「もし、やめるのを先延ばしにして、
そのうち定年退職になって、
あなたがやりたいことを定年後にやってるとしたら、
それは、こんな感じになるんじゃないかな…….」
と、今まで言ったこともない文章が口からでてきました。

こんな感じ、というのは、
ある人を具体例として挙げたのです。

そしたら、
ダンナさんの顔に「!!」という表情が浮かんで、
一瞬、空気がとまりました。

そして「わかった、辞める!」
という決断がなされました。
(翌週に辞職を申請し、その後1ヶ月強で無事に退職となった)

彼には「したいことをやりなよ」というのは響かなくて、
やめないと、XXXXさんみたいなことをしてるかもね、
という自分が望んでいない方のイメージを明確に想像させたほうが
機動力があったということなんです。

私は、その例に挙げた人のしていること、
個人的にその人らしくて好きだしすごいとも思っているので、
その人を例に挙げるとは自分でも全く思っておらず、
だから、ああ、これは何かに言わされた、きっとあの蝶だ、と思いました。

なんとなく、ですが、
あの蝶は亡くなった義理の母の遣(つか)いだったように感じました。
さすが、息子である彼のスイッチを押す方法を知ってるな〜

いずれにしろ、大事なのは、
彼が心の奥で願ってる通りに生きていくことで、
例に挙げたその人は、そういう意味で、
彼の人生の転換スイッチを押す影響を与えてくれた重要な存在となりました。

ダンナさんは、この記事を書いてる時点で仕事をやめて1ヶ月以上経ちますが、
仕事してるときより忙しそうに色々やってます笑。
やめて、本当に、本当に、よかったそうです。


あの日の蝶、
もし、私が右手を動かしてすぐに飛び立ってしまったら、
私の口から、あの文章はでてこなかったかもしれません。

みえないものだから
答え合わせはできないけれど、
私たちへのサポートは、あの蝶のように
あちこちにあるのかもしれません。

あの日のモンシロチョウではないけれど、西表島で見たリュウキュウアサギマダラ。蝶には、やっぱり何かを感じます。


ダンナさんこと、ワカメタマゴ(ペンネーム)です↓↓↓
自分の中に湧いてくるアイデアを絵にしたり、話したりしたいそうです:
https://www.instagram.com/wakametamago/?hl=ja












あなたはどうだった?

ある友人男性の話です。
20代の息子がいます。
その息子はやりたいことはあるのだけど、
今はそれに向けた具体的な活動はしていなくて家にいるだけ。
とりあえず、現時点で、その息子が決めてるのは、
彼女が住んでいる国に短期間で旅に出る予定だけです。
その状態を、父であるその男性はかなり心配してると言うのです。

私は、それを聞いて、あはは、と文字通りに笑ってしまいました。

なぜ、笑ったかというと、
その男性の若い頃を知ってるからです。
彼は、20代の頃、気の赴くままに、
しばらくある国に滞在していたことがあって(好きな女性がいた国)、
今の息子と非常に似たことをしていたのです。

この男性の家は、いわゆるお固い家で、
お父さんも固い仕事についていたので、
彼のその当時のフラフラしてる状態は、
さぞかし、お父さんを心配させただろうと思います。

若き頃に、お父さんをさんざん心配させていたように、
今は息子が自分を心配させています。

自分も同じようなことをしていたことをすっかりと忘れて、
息子の将来を懸念してる、その彼の状態が
私には、おかしかったのです。
いやいや、どの口が言うねん?!と。

しかし、このパターン:
自分が過去にしていたことをすっかり忘れて、
今、目の前に同じ事象が起きてることに
全く気が付かない
というのは、よくみられますし、
自分にも起こりました。

今は巣立った息子が、
高校生くらいのとき、私が言うことを
はい、はい、と、いなしだしたときがありました。
はなから私の言うことを聞かない態度を
取り出したのです。

なんだ、この態度!?と思って
いっしゅん腹がたったのだけど、
これを体験するということは、
私も過去にそういうことをしたんだろうなと思って、
自分の昔をよくよく思い起こしたら、
私も全く同じことを母にしていたのでした。

しかも私の場合はもっとひどくて、
いなすというより、母が言ってくることすべてを
完全にバカにしていました。

その事象が自分に戻ってきたのだと気づいたら、
苦笑しましたし、
私の母はすごく傷ついただろうなと申し訳なく思いました。

と、いうことで、
人のことで悩んだりしたとき、
まずは、
そういう私はどうだったんだろう?と
自分が似た事象を起こしたことがないか、
点検してみるといいと思います。

思い返して苦笑することになれば、
その悩みは軽くなってると思います……

↑ 9月に訪れた石垣島の海の写真。
日の出直前の、この色、毎日毎日美しすぎでした。