ニューコラボができるまで 2

1の続きです。

資金については、ダンナさんと具体的になったところで再度もめるかもと思いつつも、物件探しに進んでいきました。

正直、この時点で、どの場所にするか、自分の中で明確に決めていませんでした。

みつかったものにしよう、みたいな感覚でしたが、自分の奥の奥をのぞくならば、
「場所はどうしよう….」という迷いがありました。

この奥に迷いがある状態で、物事を引き寄せることはできませんので、どう考えても、あの時点で自分たちに合う物件をみつけることはできなかったよな、と、後で思いました。

場所を絞れなかったのは、私が姫路市安富町というところに住んでいて、一緒にやってくれると答えてくれたかなこさんとあきこさんは、加古川、加古郡に住んでいたからで、

双方の距離は、車で1時間強、離れています……

この頃、思っていたのは、双方にとってちょうどよい場所、つまり距離が
真ん中くらいだといいのかな?というようなことでした。
しかし、このような折衷案というのは、実はどちらのメリットにもならないことに、後で気づきました。

お互いの中間地点にすると、両方の利便性をただ削(そ)ぐだけで、
誰の旨味にもならないということだとわかったのでした。

双方が1時間かかる距離の真ん中地点を選んだとして、
それぞれが30分づつかけて通勤したとすると、それはまるで数値上は平等のようにみえるけれど、お互いがそれぞれ30分を削ってるだけ。

100を50 にわけて減らすより、どちらかでもいいので、誰かが100のメリットを受けてるなら、それはメリットなのだと、のちに気づきました。

今のニューコラボの場所を加古川、加古郡方面にフォーカスしたのは、そういう考え方の転換をしたあとでした。

と、ここでも、ニューコラボについてよく質問されることの1つが、
「あなたは姫路に住んでるのに、どうして稲美町なの?」です。

手短にいうと、稲美町に縁があったから、という答えになりますが、
少し長く言うならば、稲美町に「ころあい自然楽校」という施設があり、そこの運営者のゆりこさんとつながった縁により稲美町に導かれた、です。

運営をやってくれてるかなこさんやあきこさんも、ころあいさんを通して出会いましたし、どこの馬の骨ともわからない(この表現は死語?!)私を、ホメオパスにしてくれたのは、ころあいさんを通して出会ったお客様の方々でした。

私は、HP や Blog記事、途中からInstagram はやっていますが、対外的な広報活動というのを、ほぼしてこなかった人です(やる気が起きてこないという理由により….)。
そんな私がホメオパスとしてやってこれたのは、ころあいさんのおかげが9割だと思っています。

ころあいさんとの最初の出会いは、発酵つたえ士として有名な米種花(コメシュカ)のきくこさんからでした。

東京から越してきて、どうやってホメオパスとして活動しようか〜と考えあぐねていて、HPとBlog以外にもさすがに何かしないと、この地での動きは起きないよなと思っていたので(当時Instagramは日本ではまだリリースされておらず、facebookも認知度低かった)、自分を奮い立たせてハガキサイズのチラシをつくり、何軒かのお店に置いてもらったことがありました。

きくこさんは、その希少な(笑)ハガキちらしをみつけてくださり(太子町のネパール料理のお店で)、きくこさんの工房でホメオパシー講座を開催してもらったときに、ゆりこさんがそこに来てくださったのが縁の始まりでした。

最終的にニューコラボの場所選びを稲美町にフォーカスしたのは、
私をホメオパスというものにさせてもらった地域に、それを返したいと思ったのが大きいのと、運営を手伝ってもらうかなこさんとあきこさんが通いやすいから、そのメリットを100のまま生かすことができるという現実的な理由、それがどちらもかなうことになるからでした。

前置き長くなりましたが、ここからやっと具体的な物件探しの話です。

そういう感じで、最初は場所を迷いながら、物件をみていきました。

自分が希望していたのは、住宅街とか都心の混み合った場所ではなく、
畑や田んぼに近い、庭が広い物件でした。

予算は1.000万。

この条件に該当するのは、いわゆる古民家と呼ばれる物件になります。

一番最初にみたのは、加古川の北部などでした、志方町とか。

中間地点として、加西市の物件なども見に行ったりしましたが、

あまり、ピンとくる物件には出会えませんでした。

そんなとき、ふと、私、古民家より洋館みたいな方が実は好きなんだよね(長崎生まれでグラバー邸みたいなのが好き)という思いに気づき、
古民家だけでなく、洋館風の現代住宅にも間口を広げてみました。

するとすぐに古いけれどよい感じの洋風の建物がヒットしました。
物件の場所は、神崎郡福崎町。

家は洋風で、駐車場となる庭も十分にあり、目の前には田んぼがひろがっていて空が広々と見渡せる物件で、しかもすぐそばに小学校があり、非常に感じのよい場所でした。

これは!と思い、具体的に話をすすめようと、

ここは住居でなくお店で使いたいんですと、案内してくれてた不動産業者さんに話すと、

その若い男性の顔はみるみる曇り、

「店ですか?!無理です、ここは市街化調整区域の地縁者住宅ですから」とおっしゃり、

あー無駄足踏んだ!といいたげな動作で、すぐに撤退の準備を始められました汗。

いやーお恥ずかしいことに、私、この時点まで、市街化調整区域というものが、よくわかっていなかったんです(苦笑)。

*市街化調整区域は、市街化させないために商業施設や住宅を建築しないように都市計画法で定めている地域

ガーンとなった私ですが、帰宅後、え?じゃあ、なんですぐにピンとくる物件にであったんだろう?この流れは何?と、自問しつつ、市街化調整区域について調べました。

そしたら、その不動産業者さんの男性からちょうど連絡が来て、
私が買う気を出していたから考えてくれたのか?、
帰社してから、市街化調整区域でお店を開くことについて自分でも調べてくれたようで、完全に不可能ではなくて、条件を満たして許可をとれば開業する道があるようです、と教えてくれました。

この流れは、それで動けということだなと、近日中に具体的なことを知るために、役場に行きました。

役場の担当部署の方は、とても親切で、お店をそこでやろうということにとても好意的でした。市街化調整区域ということで地域を活性化できてない実情もあるから、そういう話はサポートしていきたいんです、ということまで言ってくれました。

物件の場所を詳細な地図で確認してくれて、何をすればお店として開業することができるかを教えてくれました。不動産業者さんが言ってくれたように、それらの条件をみたすことができて、認められれば営業許可がとれることもわかりました。

都市計画法と建築基準法に定められた基準をどちらも満たす必要があるのですが、
まずは、リフォームするとしても既存の建物の正式な建築図面が必要というのが、最初のハードルでした。

物件は古い建物で最初の持ち主さんは亡くなっているので、建築当時の図面は紛失してることは知っていました。

だとしたら、私が業者さんに依頼して測量してもらって建築図面を作成しなければならず、まずは、それは幾らだ?!となりました。

役場で業者を紹介することはしてないと言われたので、
帰宅してネットで調べると、30〜40万円くらいかかると出てきました。

まだ購入していない自分のものではない物件について建築図面を作成し、しかもそれで営業許可が降りるかどうかは不確定、それでその金額を使うの?!というのが、そのときの正直な心の声でした。

一応、周辺の建築屋さんや、測量してくれそうなところも探したりもしたのですが、
自分の心というのは、本当に正直な動きをするもので、
その後、いくら待っても、あの物件の建築図面を作成しようというエネルギーが内側から湧いてきませんでした。
全然、内側から力が入らなくてふにゃふにゃしてる感じでした。

今、思い返すと、それは内側からの(魂からの)波動と合致していなかったから、
動きが起きなかったのですが、当時はやる気を起こせない自分のことを、チャレンジすることに弱いのかも、などとジャッジしてました苦笑。

そして内側からエネルギーが湧き上がってこないので動きようがなく、物件探しはこの時点でストップしていくことになるのですが、
その頃、一緒にやってくれる予定のかなこさんとあきこさんにも動きが起きていました。

2人とも、社会活動というのか市民活動のようなことをやり始めた時期でした。
(かなこさんはこども食堂、あきこさんはコープ自然派さんの理事になった)

それを知って、そうか、2人はそういうことをやることになっていたんだ、
私のカフェ&クリニック構想を伝えてから、そっちに動きが起きてきたということは、
2人がやりたかったことがはっきりしてきたんだなと思いました。

私の当初の目的の1つが、それぞれも自分でなにかやる、だったので、
カフェ&クリニックが作られる前に、それが起きたのなら、もう目標達成したようなものだなとも思いました。

という感じで、このカフェ&クリニック構想は、いったんここで頓挫します。

→ to be continued ニューコラボができるまで 3

先日みかけた不思議な空。雲の水平な隙間から光が漏れていました。







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