ワクワクしないのは

あなたが本当にあなたらしく生きるには、

内側からあがってくる衝動や、

ワクワクした気持ち、

これをやりたいんだという熱い思いに従って動いていくことが鍵になります。

このような話を講座やコンサルテーション中にすることがあるんですが、

先日、このことをふと自分にあてはめて客観的にみてみると……

私は、これはしたい、これをしよう、これ、どうなるんだろうみたいな内側からの衝動はあるし、それに従って動くようにしてるんですけど、

ワクワクという言葉にぴったりする叶えたいと思うこと、今、ないなって思ったんです(汗)。

ワクワクっていう言葉は、私にとって胸が高鳴るようなきゅーんと自分を思い切り上に引き上げてくれるようなイメージなんですが、それに匹敵するようなものがないなと気づいたのです。

内なる声とか衝動に従ってるのに、ワクワクに匹敵することがないとは、いったいこれはどういうことなんだろう?と、自問しました。

そしたら、

それは、あなたが叶えたいことが小さすぎるから

という言葉を受け取りました。

叶えたいことが小さすぎる、すぐに手が届きそうなことには、ワクワクしない

つまり、もっともっと胸が高揚してたまらなくなるような大きなことをイメージしなさい

ということだったのです。

! ! ! Oh My God

いや、ほんと、その通りでした。

いつ頃からなのか、私は自分が叶えたいことを常に小さく見積もってきていたように思います。

もう、このへんでいいだろう、みたいな感じです。

そりゃ、ワクワクしないよね。

なぜなら、ほぼ想定内のことを起こそうとしてるわけですからね。

上記の気づきのおかげで、その後、ワクワクする状態を妄想し尽くしました(笑)。

そしてそれに伴い、今、やることもはっきりみえてきました。

ということで、もし、ワクワクしていない人がいたら、

自分が心からワクワクしてくる、
自分がそうなりたい最もすごいレベルの状態を思い描いてみるとよいと思います。

波動がそれによって上がり、それに伴ったものが引き寄せられてくるはずです。

↑ 我が家にふらりと迷い込んできて、そろそろ1年経つアシュラム(♂)。
最初から我が家に暮らしていたようなくつろぎぶりです。
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ホメオパシーのレメディやエッセンスを用いるエネルギー療法をやっています。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

コロナ以降、zoomを使ったオンラインでのコンサルテーションをメインでやってきましたが、店舗を作り、対面コンサルテーションを復活?させようとしているところです。
実現できそうになったら、またお知らせします。

Man proposes, god disposes.

できることをやるだけ、あとは神様にお任せする

日本語の言い回しでいうと、

人事を尽くして天命を待つ

と同じだと思います。

これに似た文章はフランスにもあるそうで、どの国や文化であっても、この生き方の秘訣にたどり着いたのでしょうね。

私は、今、ある場所をお借りしようとしていて、そのためのやり取りをここ1、2週間しています。

持ち主さんがいて、仲介者もいます。

当初は、とんとんとコトが運びそうだったのですが、仲介者さんが入ってから、雲行きが怪しくなり、昨日の時点で、当初お願いしたことはムリです、と言い渡されました。

がーん、となったのですが、なにかあきらめない思いが自分の中にあったので、

私がここで他に何かできることはないか….と、集中してみたら、ふっとあるアイデアが湧いてきたので、それを言葉にして当初とは少し観点の違う提案をしてみました。

今は、その回答待ちです。

昨晩は、どうなるのかな〜とフツーに思考でいっぱいでした。

朝、目が覚めて、窓から山の景色を眺めていたら、まさに表題の言葉が降りてきました。

それで、自問しました。

私は、この件に関して、何度も話にいったし、お互いにできるだけwin-winになるようにというのをベースに考えて、それを提案した。

だから、この件に関して、できることは、もうやった。

あとは、神様がどうされるのか待つだけ、結果がどちらであれ、私はそれを受け入れられる、と思いました。

昨日の提案でも断られたら、それが私にとってベストなことなのだと思えました。

(そしたら、また次に行って、それはきっと何かにつながることになる)

そう思ったら、窓から見える木々の新緑のように、心がスッキリしました。

何かコトがうまくいかないとき、状況に文句を言ったり、関係者を恨んだり、

はたまたうまくいかない運命や自分自身を憐れんだりしてるときは、

よーく吟味すると、そのときまだできることがあるのに、それをやろうとしていなかったり、

ちょっとやってすぐにあきらめて、まだ十分にやりきっていなかったりするときが多いように思います。

ということで、なにかうまくいかないというときは、他者や環境に不満を言う前に、今、自分ができることは他になにがあるだろう!?と自問してみるくせをつけるといいかなと思いました。

それは攻略法をみつけるゲームみたいなもので、他にできることがみつかったとき、うわっ、どうなるんだろう、それ、やってみようと思えるんじゃないかと思います。

実際、私が昨日他になにかできないかと集中したら、ふっと湧いてきたアイデア、それを提案したら、この事象はどう動くんだろう〜と思ったとき、ゲームみたいでちょっとワクワクしました。

先日訪れた、昔の大庄屋さんのお庭の飛石。私は、飛石をみると「人生の選択(ターニングポイント)」という言葉がいつも浮かんできます。

(姫路市林田町にある大庄屋旧三木家住宅です)

花と似てる

種から芽がでて、葉っぱや茎が育ち、ツボミがでてきて膨らんで、花が咲く。

花は咲くのがゴールじゃない。花の奥では種をつくり、有効な方法で種を他の場所に広げ、その後は葉を枯らしたりして身を小さくして、次のシーズンまで静かに土の中で潜んだりする。

これが宇宙が教えてくれる自然の流れであるなら、
同じ自然の流れの中にいるヒトも同じことをしているに違いない。

なにかで着想を得て(種)、それを葉や茎を伸ばすように大きくしようと動いて、
花が咲けるほどに成長すると、ツボミがでてきて、そして自分がしたかったことを実現したという花が開く。

人は花が開くというのをゴールのように捉えたりするけれど、このサイクルは自然の花のように繰り返され、やりたかったことを実現した後も、次に備えてしばらく休んだり、その体験で学んだ知識を整理したり、実現できたことに感謝をし身を低くしたりして、

それからまた次の種=やりたいことを育てていく流れに入っていく。

花が枯れて死んでしまうまで、自然とこの営みが繰り返されるように、人もこのサイクルを肉体が滅びるまで繰り返してると思う。

とても小さなことから大きなことまで、自分のやりたいことの種を育てて、その花を咲かせて実現するの繰り返しをしていると思う。

もし苦しいとか、うまくいってないと感じるとしたら、

花を休眠期なく咲かせ続けようとしていないか、

種を眠らせつづけて発芽させないようにしていないか、

はたまた、今は葉を落として静かにして学んだことを整理するときなのに、

すぐに芽をださなきゃ、花が咲いていないじゃないの、みたいに、成果の方だけを追い続けていないか、今、自分はどこにいるのか、みてみるのがいいかもしれない。

そんな今日の私は、庭のまわりに生い茂りだした雑草の中からカタバミを摘みながら、
私がやりたいなと思ったこと(複数あるけど)、それぞれ、どの段階なんだろうと考えてみました。

1つは、ツボミがみえてきたところだな、と思いました。

もう1つは、芽がでて葉や茎が育ってるけど、花を咲かせるにはまだほど遠いところだとわかりました。

いずれにしろ花は、自然の完璧なタイミングで咲いてます。

だから人も自然の流れにいたら、完璧なタイミングで花を咲かせられるはず。

カタバミ、とても綺麗な花だなと思います。
野の花摘んでいると、少女のような気持ちになる〜