神のシナリオ

誰が言い出した言葉なのか…. 
私たちの人生は「神のシナリオ」で決まっていると言われたりします。

「神のシナリオ」と聞くと、

自分の魂が望む道だとか、

自分の生涯のパートナーとの出会いとか、

自分の才能をいかす仕事に導かれるとか、

そんな人生でのドラマチックな出来事だけを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、

神のシナリオをなめてはいけません汗、
神のシナリオは、細部にいたるまで「全て」なのです。

たまたま昨日、お子さんの視力がよくないというご相談メールを受けたので、そのことを例にあげて書きますと….

「視力が弱い」

これすら、神のシナリオなのです。

視力が弱いと診断されると、親はなんとかして視力を回復させてあげたいと思うでしょう。

もちろん、ゲームやスマホのやりすぎで視力が弱った、姿勢が悪いことで視力が低下した、それらを改善しようと思うことは自然な流れです。

でも、その子が視力が弱いという、そのこと自体、神のシナリオなのです。

どういうことかというと、その子は視力がよくないことで、
その子にとって人生がうまくいくようシナリオが設定されているのです。

一番わかりやすいダイレクトな例は、

視力がよくないことがきっかけで、視力をあげることができる新しいメソッド開発や、画期的なレンズを開発する人物になることになっているとか、です。

間接的な例だと、

視力がよくなくて、そのうちメガネをかけたことで、将来のパートナーと出会えることになっていたり(相手の女性はメガネ男子が大好きで彼にひかれる)、

視力がよくないからと、大学の講義で前に座ったことで、隣に座っていた人生の大親友と出会うことになっていたり、とかです。

表面化しないため認識できない例でいうと、

視力がよくないことで、視力の正確さを求められるスポーツをやらなかったことから、そのスポーツで大怪我することを避けるように実は守られていたり、

視力が弱いことで、細かいことがあまり見えないので気にしなくなり、大事なことだけに集中できる人生になったり、

逆に細部までちゃんと見ようと意識が働いて、細かい気配りができるような人物になったり、とかです。

神のシナリオがなぜそうなっていたか、人間にはその正確な答え合わせをすることはできませんが、

いずれにしろ、そうなるようになっているのです。

つまり、すべてうまくいくようになっている、それが神のシナリオです。

だから、親ができることは、その神のシナリオを

拒絶しない、嫌悪しない、ジャッジしない、ことです。

お子さんの視力が弱いのは「悪いことだ」とか「よくないことが起きてる」「わたしのせいでそうなったのかも」と

ネガティブ評価をしないことをおすすめします。


なんでかわからないけど、

視力が弱いことになっているんだね〜とそのまま受け止めることです。

受け止めた状態で、

視力を回復することができる情報を知ったら、回復に向けて動いてもいいし、
目を悪くする姿勢に注意したり、スマホに対して時間を制限したり悪化しないよう努力したりするのは自由です。

ただ、神のシナリオ自体と戦う必要はないということです。

これは、他のことにも全て当てはまります。

例えば、体が小さいとか、ぽっちゃり体型とか、歯が弱いとか、気が弱いとか、怒りっぽいとか、感情が激しすぎるとか、

いわゆる遺伝的にうけとったものも、全てです。

それら全て、なにかのシナリオのために設定されているのです。

そのシナリオをもとに、人生がうまくいくようになっているのです。

こどもだけでなく、大人ももちろん神のシナリオを生きてますので、

どうぞ、起きてることを拒絶しないで、ただ、受け取ってください。

受け取るというのは、

今、自分が置かれてるつらい状況に甘んじろということではないです汗。

もし、今、つらい状況に置かれてる方がいたら、

あー、これを体験するシナリオになっていたんだね、と、

その状況が「起きてることを受け入れる」ということが、シナリオを受け取るということです。

なんで、これが起きちゃったの!? 嫌だ!とか、

あいつのせいだ!、親のせいでこれが起きた!とか、

起きたことを拒否したり、人のせいにしたり、

起きてることをネガティブ評価しないということです。

これを体験することになっていたんだ、と神のシナリオを受け入れたら、

その後は、自分の好きに「反応すれば」よいのです。

私たちは起きてくることはコントロールできないけれど、

起きたことに対してどう反応するかは自由なのです。

最後に、私、今、肩をいためて、趣味のテニスをお休み中なのですが、

これも当然、神のシナリオでした。

振り返ると、あそこでああなって、こうなったXXXな条件と重なって、痛めること=この期間にテニスをしないことになっていたのだと、勝手に神のシナリオの筋を追っています。

なんでこの期間にテニスをしないことになっていたか?って、その答えがわかるのは、もう少し後になってからだろうな、となんとなく推測しています(すごく良いことが起こる予感!)。

神のシナリオ、完璧ですから笑。

肩を痛めたおかげで、本来ならテニスしてる時間に、お花見できました笑。
この清々しい桜を見て、心地よくなることになっていたんですね〜笑

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神のシナリオを受け入れたら、この世の苦しみは激減のはず。
そしたら、私がやってる療法もあまり必要なくなるでしょう笑。
そうなったら、次は何しよー!? ← きっと次のシナリオがみえてくる笑

シナリオとわかっていても、拒んでしまう方、なぜそうなるか、一緒に解きほぐしてみましょうか…. ご興味のある方は HPのほうへどうぞ:https://arnicahomeo.com/

できなくて、当たり前

例えばですが、

時々手作りの簡単なお菓子を作ってる人がいたとします。
その人は、できたらそのうち本格的なパティシエレベルのお菓子を作ってみたいと思っていました。

そして少し時間に余裕ができたので、念願の上級レベルのお菓子教室に通うことにしました。

その教室に通いだして、

先生に作り方を教わっているときに

自分は上級レベルのお菓子をつくることができない〜

と自分を評価して落ち込んだりするでしょうか。

つくれない、できなかったから、そこに通いだしたのは当たり前なわけなので、そんなことは思わないのでは、と思います。

(チョコのテンパリングなど1つ1つの技術がうまくできないと四苦八苦したりはするかもですが、そもそも自分はできない人だみたいな自分への総合の評価は下さないだろうという意味です)

これと同じで、もし、人生の中で、これが苦手とか、これが全然できないと思って苦しんでることがあるなら、

それ、できなくて当たり前ですよ

と声をかけたいなと思います。

なぜなら、それにチャレンジするために、あなたはそこにいるのですから。

この世の人生をお菓子教室みたいな「学校」ととらえると、

そのできないこと、苦手なことにチャレンジするために、今、その人生を体験してるのです。

人はできてることには苦しまないし、悩みません。

できてないとわかってるから、苦しんだり、悩みます。

それは、エネルギー波動でいうと、そのことに対してマイナス波動だったのでプラス波動に転換して波動の乱れを中和するために、引き寄せられた事象なのです。

だから、今、できないのは全くの当たり前、なんです。

できてたら、引き寄せないから汗。

例えば、私でいうと、私は病や心を扱う仕事をしていますが、

プライベート生活では、テニスに熱中して取り組んでいます。

これは何をしてるかというのを、上記の話に沿って書くと、

私にとっては、心の問題を転換させるのはわりとできることなのです(私に心の問題がないというわけではなく、心の問題の答えを解くことがわりとできる)、

しかし、私は「体を実際に使って」プレイを少しづつ変化させたり、改善したりすること、

勝ち負けを味わう中での人間関係は、上手にできないことなのです。

だから、そのできないことにチャレンジ中、もがいたりしながら学び中なのです。

このところ

「自分はできてない」

という自分への評価で苦しんでる方のご相談がシンクロで起きてるので、

この記事を書いてみました…

が、書きながら、私も全く同じことテニスで感じてたわ、とわかりました(私にもシンクロしてた笑)。

そう、できないから、それにチャレンジしてる最中なので、

どうぞ安心して、チャレンジしてください。

自分がOOをできないと感じてるとき、他の人をみると、

他の人はOOができてるようにみえてしまうものだけど、

その人は別のところでXXにチャレンジ中なのです。

だから、どんな人も人生で何かにチャレンジ中、

あなただけが苦しんでるわけではないのでしょげないでください。

そして、今、できなくてもがいてることは、

最終的に上手にできるようになる可能性がとても高いのですが、
もしそこまでできるようにならなくても、それはそれでOKなのです。

できる、できない、は、この物理次元社会の抽象的な評価です。

マイナス波動で残ってるのは何かというと、

できるorできないじゃなくて、

やり残してる=その波動を十分に体験していない (これまでその体験を避けてきた、逃げてきた)ということなのです。

ですので、大事なのは、

自分がそれにチャレンジした!

自分がやれるだけやってみた!

と体験する、ただそれだけのことです。

さー、だから結果は怖がらずに、チャレンジしよー!

(とテニスをする自分にも声かけてます笑)

いろんな色や味、匂い、音、風景を楽しむように、
体や感覚をつかって私たちは人生を楽しんでるのでしょう……