爪をかむのは

小さなお子さんを持つママからメールをいただきました。

お子さんが爪をかむ癖があり

「私の態度のせいだろうか…」と気になります

とのことでした。

爪をかむのは子供だけでなくティーンエージャーや大人でもいるので、わりとありふれた癖かもしれませんが、

その行為をみかけると、なんとなく不健全に感じてしまう方がほとんどではないでしょうか。

爪を噛んでるのは愛情が足りないからだ、と世間でまことしやかに言われてきたという風潮もあるかもしれません。

身体症状をメタフィジックな分析で解説してるリズ・ブルボーによると、

爪を噛むという症状は:

「日常生活の細かな面において自分が守られていないと感じていて、ひそかに心の中で苦しんでる」

という感情を表しているそうです。

爪を噛む癖は、

「自分を守ってくれる人はいない」

「自分を助けてくれる人はいない」

「自分1人ですべてをやらなければならない」

というような思い込みをもってるときに現れる症状という言い方もできます。

私がみてきたケースから言えることも同様で、

爪を噛むクセがある子は、

家庭内で「親」から自分を守ってもらえないと感じてる子に多いように思いました。

その子たちの代弁をするなら、

「パパor ママは自分の味方じゃない」と思ってるようでした。

なぜ、彼らがそう思ってるのかというと、

親が自分に厳しくあたるから(小言が多い、注意ばかりされる)です(汗)。

親御さんたちは、お子さんたちをなんとか自分が考える良い方向に一生懸命導こうとしてるのですが、

子供たちはそういう親の言動から、

あ〜パパやママは、自分の味方じゃないんだ….

と捉えてるわけです。

そりゃ、まあ、自分のやることに賛成&支持してくれなくて、

そうじゃない!こうじゃない!と言ってくる人のことを、

自分の「味方」とは思えませんよね(汗)。

親心(おやごころ)子知らず、ですかね?!

いやいや、これは、こどもの心親知らず(苦笑)。

かくいう私の息子も、ある一時期、爪を噛んでたことありましたっけ(反省)。

話を戻しますと、

私は、このところ、爪を噛むクセというのを、以下のように捉えています。

子供たちにとっては、爪をかむという行為は、自分の心のケアを自分でしてる状態、

つまり ” セルフケア” なのです。

大人がストレスがあるときに、スイーツを食べにいったり、買い物して気を紛らわしたり、お友達とお茶したり、飲みに行ったり、パチンコ行ったりカラオケ行ったりetc.するように、

こどもたちも爪を噛むことで自分の心のバランスをとろうとしています。

子供たちは大人みたいに、外側(買い物とかスイーツとか)の物質を使う術を知らない&できないから、

自分の体をつかってそれをしてるのです。

だから、うわ〜、すごいね、ちゃんとセルフケアしてるんだねと思ってみてあげる。

そして、このセルフケアのサインに親御さんが気がついたのなら、

親御さんは自分を責めたり、子供の癖を責めたりしないで(どちらも責めるような悪いことはしてないので)、

小さな体で必死にセルフケアをして自分を守ってる子の自浄能力のすごさをまずは認めてあげて、

その次に、では自分はどうやったらこの子の味方になってあげれるかなと考える方向で対応してもらえたらと願います。

そういう親御さんは、ご自分が小さいころ、同じように自分の親に本当は”味方”になって欲しかった体験を持っていたります。

ですので、それを思い出したら、どうしたらいいかがわかってくるかなと思います。

爪を噛むクセに対してレメディやエッセンスを出して、

その子の親に対する思い込み(この人たちは自分の味方じゃない)のエネルギーを変えることもできなくはないですが、

このようなセルフケアのサインをみつけたことは、お子さんにとってだけでなく、

ご自分(親)の生き方や考え方を

もっと楽なものに変えていくためのサイン=ギフトでもあるので、

それをちゃんと自分で受け取ってみようと動き出すのをお勧めしたいです。

↑ 身体症状のメタフィジックな見方を先駆的に教えてくれたルイーズ・ヘイのサイトから
秋らしい画像を拝借。
こんなに安心していられたら爪はもう噛まなくてよいにゃ〜

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お子さんのサインをみて、ちゃんと対応を変えてみた、でもうまくいかないという場合は、

ご自身の中のもう少し深いところにエネルギーブロックがあるかもしれません。

1人でそれを探るのが難しい場合は、エネルギー療法でそのお手伝いができるかもしれません。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

ルーツを知る

少し前から新しいことを始めようと準備してるのですが、その過程で

「自分のルーツを認識して土台をしっかりと」というインスピレーションが降りてきました。

それで自分のルーツを知るために私が何をしたかというと….

アカシックレコードAkashic Records

のリーディングをしてもらいました。

アカシックレコードとは、

「地球上の生命の意識体験のすべてが記録されている記憶の貯蔵庫」です(By ゲリーボーネル)。

大雑把にわかりやすい言い方をするならば、

地球に生まれたすべての人のすべての過去世体験が記憶されてるクラウドコンピューターと

思うといいかもしれません。

アカシックレコードにはなんと2億600万年前〜西暦6732年(つまり未来も)までの記録が貯蔵されてると言われています(ゲリーさんによると)。

私が知りたいと思った自分のルーツは、

親とか祖先のことや、住んでる国の歴史ではなくて、

自分の魂の歴史=すべての過去世でした。

多くの人は、これまで数百回輪廻転生してるそうですが、私も自分がそのくらい生まれ変わってきてるのだと認識しています。

でも、今、この地球に、またも生かされてるので、

その数百回の輪廻転生を経てきたルーツ=過去世を知りたくなったというわけです。

現在アカシックレコードを読み取ることができる人はとてもとても多くて、そういう時代なんだな〜と思います。

ということで多くの人の中から、自分にピン!と来る人を探していたら、海外のある女性の方が通訳付きでリーディングしてくれるという情報に行き着きましたので、早速申し込みました。

(ご興味のある方のために書きますが….かなり高額です、冷汗)

リーディングは1時間でオンライン。

他人のものと間違わないで、正しく私のアカシックレコードを読んでもらうには、この世で法的に記載されてる氏名を伝える必要があるのだそうです(役所仕事か?!笑)。

そんな感じで、リーディングが始まりましたが、

やはり私は何百回も転生してきた魂だそうで、その中でも今世と最も関連してる記録にアクセスしてもらうと、

「あなたは Temple Priest だった」、

日本語でいうと「神官」だったと云われました。

そして、その私の過去世の記録にアクセスしてるときに

「おお!」という表情をして

「ものすごーく威厳のある姿がみえて、そのエネルギーを感じます」とジェスチャー付きで、その感じが伝わってくるように説明されました。

きょとん….(→ 威厳とはほど遠い影のうすい現在のわたし、苦笑)。

神官だったというのは、以前にもアトランティス の過去世でそれだったといわれたことがあって、オラクルカードでもよく出てきてたので、やっぱそっか、という感じでしたが、

威厳があったというのは、正直びっくりしました。

その過去世のときは未来を見通す力もあったので、王や女王のような指導者たちに進言することもしていたそうです。

↑ これを聞いてその場で私の頭に浮かんだのが….じゃ、なんで今世はあんな庶民の家を選んで生まれたんだ?!でした(笑)。

しかし、この自問への答えは、セッション後に「それが今世の1つの目的でもあるんだ〜」と妙に納得してすっきりしました。

他には、

「こどものときに親元を離れて、特別なスピリチュアルの教育を受けるための特殊な学校に行っています」

と言われ、

なぬ?!子供のときに山寺のようなとこにつらい修行に1人でだされたわけ?!みたいな寂しいイメージを持ったら、その私の感覚を感じたのか、リーディングしてくれた女性が笑いながら、

「いや、その世界では、こどもでそういう教育を受けることはむしろ栄誉なこと、光栄なこととして認識されていたんですよ」

とフォローしてくれました。

(後日に、レムリアのクリスタルシティスクールのことを知って、そこのことか?!と思ったけど、もうセッション終わってるので残念ながら確認できません)

他には、なぜ私がエネルギー療法に導かれてるかというのを教えてもらったのですが、

「植物を使ってヒーリングをする人たちとは違って、あなたは当時から、”エネルギー”や”意識”というものを取り扱っていた」

といわれました。

なるほど、そっかー、だから、私は気がつくと、エネルギーを扱うものにばかりひかれるわけなんだ〜と、これはルーツがわかって、非常にすっきりしました。

そしてもちろん他の色んな過去世もあるけど、総括していうならば、

私の魂は、アセンション トラベラー 

と呼べて、

人が意識を上昇させる時代にそれを助けるために転生しつづけてきてるのだそうです。

私は、その人の魂の高い方の目的に気がつかせることが得意というかお役目のようなことを言われました。

なんか、↑ すごいことしてるように思いますが(汗)、

確かに、コンサルテーションのときにクライアントさんに、

それがあなたのお役目でしょうとか、それがテーマでしょう、とか勝手に口から出てくるときがあって(汗)、

そういうのは、過去世と関係してたのかもなと思うと妙に納得してしまった私でした。

このリーディングをしてくださった女性は、こちらが知りたいことにだけ答えてくださって(それがアカシックを読むルールなのかもしれませんが)、

これをあなたはやり残してますよとか、これが前世でできてないとかいう心がへこむことは(?)、

伝えられませんでした(敢えて尋ねませんでしたし)。

ただ、こういうことを大事にしなさいみたいなことを教えてくれましたけど、それ、すでに知ってた(苦笑)。でも、改めて気に留めていよう、と思いました。

というわけで、アカシックレコードリーディングは、

時間枠を超えた壮大な旅をしたような体験となりましたが(高価なアトラクションに乗ったようなもの、汗)、

あーやっぱり過去世と今はつながってるのね、そうやって今の自分がいるんだとわかって、

ものすごーいながーい根っこが自分に生えたようで、土台がしっかりできたようにも感じます。

とはいっても、過去世すらも大いなる源からみれば、

魂の長い”夢”または”幻影”であるというのはわかってるので、

過去世にこだわりすぎないで、「今」を大事に生きればよいなとも思いました。

ただ、現世に疲れたときは、時間枠を超えて壮大な流れの中の自分の魂の物語を覗くことで、

今世をありがたく生きるのもありかもしれません。

↑ 現世からちょっとだけ抜け出すイメージ(?!)

あなたのところの Wildlife

「わたしの住むところのWildlife (野生動物)だよ〜」と、

旦那さんの同僚のアメリカ人女性が写真を送ってくれたんですが、

それらの写真があまりにも可愛いのでBlog記事にて紹介します。

こんな動物たちの写真はネットで探せば幾らでもみつかると思いますが、

知ってる誰かが、実際に目の前で写した写真というのはリアルさがあって、

これらの動物たちをとても身近に感じます(網戸越しなどで写されてるのでそんなにクリアでない写真もあり)。:

↓ Deer 鹿です。鹿なら私の家の周りにもたくさんいますが(苦笑)、鹿を見かけるのは夜か早朝。自宅の庭にこうやって明るいときに集ってるのをみると、まるでこちらの方が鹿の生息地に入り込んだような気になります。

↓ A small bear and her cubs 小さなクマとこぐまたち….と彼女は書いてますが、これ小さいクマなんですかね?!(汗)。親クマのツヤがきれいでナデナデしたくなります。


日本ならこんなに民家近くにクマが出現したら大騒ぎになり、捕獲されるか射殺となりそうですが、さすがアメリカ、森林の規模が違うのかな〜?と思ってネットで検索してたら、やはりアメリカでも熊が民家近くに出現するようになって射殺されるということが近年頻繁に起こっているようでした。
(民家にクマたちが寄ってきたというより、クマ達の生息圏に民家が入り込んできた?!)

↓ Racoons アライグマ。 木の家は、フクロウのために作ったのに、なぜかアライグマ親子が住み着いてしまったそうです。親子5匹が人間みたいに一軒の家に住んでるようで、なんだか可笑しい!
上記のクマの親子もそうだけど、動物が親子で生きてるのをみると、とてもなごみます。

↓ Fox きつね。夜に火を焚いてたら、すぐそこまで寄ってきていたそうです。
仲間にいれてよ、みたいな表情にみえます。相当、人に慣れてるのかもしれません。

この写真を送ってきた彼女はニュージャージー州に住んでいます。

ニュージャージー州ってどこだっけ?!(アメリカの州、全く頭に入ってません、大汗)と地図をみてみたら、ニューヨークと隣接してる州です。

マンハッタンまで車でいける通勤圏なのに、この自然!?

しかしニュージャージー州は、アメリカ全州の中で人口密度ナンバー1なんだそうです。

それなのにこんな野生動物たちを育む森林もあるんですね〜、おまけに東側にはジャージーショアーと呼ばれる長い海岸線もあり、ビーチも素敵だそうです。

人口密度が高いのは、大都市まで通勤圏でもあるのに自然も豊かなので、人が住みたがるからかもしれません。もしくは、森林や海岸におされて住宅となる土地が少ないから?!

ということで野生動物たちの写真から、アメリカのよく知らない州のことまで思いを馳せることができてちょっとした旅行気分を味わいました。

コロナウイルスで、海外旅行にいけなくなったのは残念だなと思っていたけど、
こうやって他の土地や生き物に思いをはせるだけでも結構楽しいものですね(→ コスト&移動疲れゼロ、苦笑)。

愛しのフェリックス

こんなに涙がでて、悲しかったのはいつ以来だろう…..

ノラ猫から我が家の外(そと)猫に昇格していたフェリックスですが、

おそらく亡くなってしまったと思います….

10月初め頃に、1、2日姿をみせなくなったと思ったら、喉の下を大きく腫らして戻ってきました。

ケンカ傷ではなさそうだったので、野生動物用のワナかなにかにひっかかって怪我をしたのかもしれません。

体液をかなり排出して匂いがひどい状態だったのですが、ごはんも普通にねだるし、よく食べるので、効果のありそうなレメディを与えて様子をみてました。

2,3日で腫れがおさまって傷もふさがってきたので、安心していたのですが、

その日はえさをあげてもほとんど食べないで、家裏にフェリックス用に置いてあげた箱の中に入って寝てました。

お湯に浸したタオルで体液が乾いて汚れた喉の部分を拭いてあげると、初めてごろんとお腹すらみせてくれました。

あぁ、こんなに慣れてくれたなら、明日は体をお湯で洗ってあげることができるかもしれないと思いました。

その日の夜は、少し冷えたので、寝る前にフェリックス に布をかけてあげようと見に行ったら、

相変わらず箱の中で寝てました。

布をかけてあげなら、頭をなでると、ゴロゴロ、ゴロゴロと喉を鳴らすのが聞こえてきました。

「フェリックス、明日は体を洗ってみようね〜」と声をかけながら、さらにナデナデすると、

みゃあ!とびっくりするくらい大きく鳴いてくれました。

翌朝、起きてすぐにフェリックスをみにいくと、箱はカラになっていて、

そしてその日からフェリックスは帰ってこなくなりました。

猫は亡くなるときに必ず姿を消すと言われますが、まさにそうしたのだろうなと思いました。

ナデナデできるようになったから、これからもっともっと近くなって、抱っこしたり、グルーミングしたり、もっともっと快適に過ごさせてあげたいと思っていた矢先でした。

1匹でどこかに隠れたまま、この世からひっそり姿を消したのだと思うと、

さびしくて 悲しくて、涙が止まりませんでした。

ノラ猫独特のフェリックスのほそっこい体、

玄関をあけると図々しいくらいにえさをねだってくる鳴き声、

道で寝転んでいてもわたしが帰ってくると、ひょいひょいと飛ぶようにこっちに歩いてくる姿、

そんな全てがもう戻ってこないのかと思うと、悲しくて悲しくてたまりませんでした。

あの晩、家の土間に無理やりにでも入れていたら、家でまだ看病できたのかな、とも思いましたが、

フェリックスが本能に従って選んだ死に方ができたのは、よかったな とも思えました。

とにかく、いつも外にいてくれたフェリックスが、突然いなくなった喪失感はとても大きかったです。

動物とは言葉でなくテレパシーみたいなもの、いわゆる心と心で交流しています。

だから、その交流がなくなったときに感じる心の痛みはきっと想定外に大きいのだと思います。

魂(動物の場合はスピリット)は永遠だとわかっていても、あの小さな体や鳴き声を五感でリアルに感じることがないのだと思うと寂しくてたまりません。

フェリックスがいなくなって数日たっても、涙は枯れることがなくて、自分の元気がどんどんなくなっていくので、これはちょっとなんとかしたいなと

ホメオパシーのレメディ Ignatia イグナシア をとりました。

Ignatia というのは「愛するものとの別れ」に使われるレメディですが、私がこの用途で使ったのは初めてです。

しかし、レメディをとってすぐに(といっても30分後くらいですが)インスピレーション が降りてきました。

「悲しみの方にフォーカスしてるよね」と。

そうでした、フェリックスがいなくなったほうにばかり視点を向けてたけど、

フェリックスがいて楽しかったほうをみよう!と思いました。

うちの猫が食べ残した餌(汗)でもなんでもあげたらペロリと美味しそうに食べてくれた姿とか、

最初に頭をなでようと触ったらびくっと飛び退いて後ろにさがったときのこととか、

そのうちご飯を食べてるときだけ頭をなでさせてくれるようになったこととか、

最後は足にすりすりしてくれるようになった姿とか….etc.

そんなのを思い返したら、フェリックスへの愛しさがどんどん&どんどん胸にあふれてきて、

今度は愛しくて愛しくて、愛しい涙が止まらなくなってきました。

涙は温かいものになったけど、結局、また涙が止まらない日々(汗)。

それでもう1度、後日にIgnatia をとりました。

そしたら、またインスピレーション が降りてきました。

「何が起こったか、が大事じゃない、何を体験したか、だよ」と。

フェリックスという野良猫が我が家に立ち寄って、私が餌をあげて、

そして最後に死ぬために彼が我が家を去ったという出来事が大事なのじゃなくて、

大事なのは、

フェリックスと過ごした時間に私が何を体験したか、それこそが大事なのでした。

以前なら野良猫には餌をあげるつもりはなかった私が、

ふと心を開いてご飯をあげたこと、そしてその猫と心の交流が始まって、

最後は心がつながった体験。

フェリックスを触ることに(ひっかかれるんじゃないかと)警戒心がなくなったときに、

フェリックスも私に心を開いてくれて、頭をナデナデさせてくれて、足にスリスリしてくれて、

喉をゴロゴロもいわせてくれた。

猫と人間だけど、見知らぬ者同志が、少しづつ心をひらいて、

心と心がつながって、とても暖かい愛を通わせることができた体験でした。

短い期間だったけど、こんなに涙があふれて止まらないくらい大きな出会いで体験でした。

うわー、ありがとう、フェリックス!

愛しい愛しいフェリックス、出会ってくれてありがとうね!

↑  我が家の猫ミヌともケンカせずに挨拶してましたっけ。

↑ これは秋になって少し寒くなったので玄関前に置いてみた箱、そしたらフェリックスはすぐに中に入ってくれてたのでおかしかったです。

↑ フェリックスといったら、玄関あけたらすぐに餌をねだってたこの顔を一番に思い出します。

追記:ペットロスにより長引いてしまう人間側の悲しみとは別に、実は動物たちは短い命でたくさん転生できるのを楽しんでるらしいです(苦笑)。
フェリックスも、ちゃんとした家猫か他の動物の姿で思い切り甘やかされる人生をちゃっかり既に始めてるのかもな〜と思います → 想像すると、フェリックスならありえる〜!と思って笑えます。