昨日の夕方、家族で出かけてたら車の中で、非常に久しぶりの大口論になりました(汗)。
わたしとダンナさんがそれぞれ怒ってぶつかった、ブチギレた?!
怒りがおさまってから、ダンナさんに
「今週テニスが足りなかったんじゃない〜?(→ 私の怒りエネルギー噴出の場、苦笑)」
と言われたりしたけれど、
なんであんなに怒ったのかな〜と自分を分析してみたら、こんな感じでした:
前夜、息子が熱く語る話(私にはヒジョーに興味が薄い各国の武器開発の話)を聞いてあげた。
出かける少し前に、今熱中してるインドの賢者の本を1人で静かに「離れ」で読んでたら、
ダンナさんがやってきて、彼が午前に体験したことを熱く語り出し、
おまけに「後でみるから」と断ったのにそのとき撮影した動画までみせられ、
あげくに話が終わったら、その場で彼はぐーぐー昼寝を始めたため、
私の読書集中がとぎれて、結局、母屋で家事をした。
その後、家族で出かけた車の中で、行先について私が意見を言ったら、
それを聞きいれてくれなかったので、私は怒りが噴出したのでした。
”私はあななたちの話を聞いてあげたよね?!私の意見も聞いてくれていいでしょ!”
が怒りの元でした。
これって、ママ達の夫婦喧嘩の元とよく似ています。
日中、子供の気持ちをたくさん受け止めて、子供目線で話を聞いてあげて、
やっと帰宅したパパに、今度は自分の話を聞いてもらおうとすると、パパは全然聞いてくれない。
そこで怒り噴出みたいな(苦笑)。
年配の夫婦だって同じような喧嘩が多いかもです。
妻は夫の話を聞いてあげたり、食事や生活の要望を聞きいれてあげてるのに、
妻の話をほぼ聞けない夫。そしてだんだん口を聞かなくなる夫婦みたいな(苦笑)。
女性性(じょせいせい)というのは、
受容するという特徴がありますから、
女の人は自然と他者の話を聞いてあげたり、受け入れる という役割になるのだと思います。
特に「母」となると、母性が強くでますので、自分が属する家族全員の受け止め役に自然となってしまうのかもしれません。
ん?!、それなら「母」って、誰が受け止めてくれるの?
母の母かしら?!
実際、自分にお母さんがいると、実家にいって愚痴ったり話を聞いてもらってる人も多いかもしれません。
でも、そういうお母さんがいない母たちは、どうなるんだ?!
全国のそういうたくさんのお母さんを受け止める役は誰?!
なんて考えていたら、こんなインスピレーション が降りてきました↓
「みんなのお母さん、それはマザーアース」
Mother Earth : つまり地球です。
地球は、母なる星、なんて表現もされますし、
地球も意識をもっている惑星で、地球は女性性の星とも言われています。
例えば、地球はフランス語でいうと La Terre :ちゃんと女性名詞になってます。
このインスピレーション が降りてきて、
わ〜、わたしは、お母さんの上で暮らしてるんだ
って思ったら、ものすごく安らかな暖かい気持ちになりました。
地球:マザーアースは、
そこに住む子供(私たち)に、
食べ物を慈悲深く与えてくれて
(土に植えたら野菜や果物ができ、動物や海で魚も育ててくれてる)、
そこに住む子供たちが喧嘩(戦争)しても、
そこに住む子供たちが、ママをたたいたり傷つけても(環境汚染、環境破壊)、
その美しい自然の中で、子供たちを育(はぐく)んでくれています。
たまに、怒るけど?!(台風とか自然災害)。
ということで、誰にも受け止めてもらえてないなと思ったら、
マザーアースに受け止めてもらってることを思い出すのはどうでしょうか。
母が当たり前の存在じゃないように、
地球も当たり前の存在じゃない、
だから感謝を忘れないようにしたいな、地球という母の上で暮らせているありがたさをいつも感じていたいなと、
今回の出来事からつくづく思いました。
地球というみんなのお母さんとつながれる瞑想、おすすめです: