クリスマスの思い出


私の実家はクリスマスを祝う家ではなかったので、私の子どもの頃のクリスマスの特別な思い出はほぼありません(汗)。

その私がクリスマスが来るといつも思い出すのは、ダンナさんの両親が私を初めて迎えてくれたノエルの夜です(フランスではクリスマスはノエルという)。

嫁になることになった私を(初対面)、家の外にでてきて迎えてくれた二人の明るい顔….

明るいというのは、私が彼らの家に着いたのはノエルの晩ですでに暗かったんですけど、玄関の外灯に照らされて彼らの顔は明るかったのです。

顔は明るくよくみえたのですが、でも表情は複雑な感じで(アジアからやってきた得体のしれない息子より年上のそんなに若くもない!嫁をみて、汗)…、

ただ私の顔をみたら笑顔になって挨拶してくれた、特に義理の母のキラキラした顔は今でも覚えています(彼女は去年他界しました)。

ところで、普通、彼氏や結婚相手の両親に初めて会うときって緊張しますよね。

自分が好印象を持ってもらえるかなとか、ふさわしい彼女/嫁とみてもらえるかとか…etc.

でも、私はあのノエルの夜、良くみられたいとかそういう思いはなく、逆に私こそ、結婚相手となる人の両親がどういう人かを見極めよう、そんな心持ちでした。

簡単に言うなら、みられる側でなくて、みる側だったんです。

というのも、私はダンナさんに対して、2つ気になる点があったのです。

日本の男性とつきあっていたらおごってくれるのは男性側が多いと思うのですが、ダンナさんはそういうのはあまりしない人で、知り合った頃、彼が学生だったというのもあったのかもですが、そのお金の使い方をみると、もしかしてこの人は「セコい」とか「お金にうるさい」のかも、という疑いがあったのです(苦笑)。

もう1つは、彼はいわゆるわかりやすい”いい人〜”みたいなタイプではなくて、言葉の使い方に一種の冷酷さ?みたいなものが時々みられていたので、彼の深いところに冷たさがもっと強くあるのかどうか、というのが気になってました。


それで、彼を育てた大元の両親に会えば、上記の2点の根源がはっきりみえるだろうと思っていたのです。

家の中に通されて、アペリティフから始まって(クリスマスだとシャンパンが定番)、いろんな話を彼の両親としながら、義理の母の料理を食べさせてもらったのですが、結局上記の2点は全く気にすることはないとわかりました。

あの時のノエルのメインの料理は鶏と栗をオーブンで焼いたものだったのですが(義理の母は料理好き)、料理や他の彼らがしてくれたおもてなしをみて、それらがお金を基準に選ばれてるものではなくて、「私を迎える」という気持ちで準備してくれたというのが重々に感じられました(つまり「お金が基準」の価値観ではなかった)。

それから彼らの話す言葉や内容にも、冷酷さなどを表すものは全くみられなくて、私がダンナさんにみていた冷たさみたいなものの根は全然深くない、ということもはっきりわかりました。

私が義両親を見極めようとしていたノエルのエピソードは、後から彼らに話すと笑い話になるようなレベルの心配だったというわけです。

この話、ちょうど、年末年始に私のようなシチュエーション(義理の両親に初めて会う)という方がいたので、思い出しました。

彼氏や彼女、結婚相手のご両親に会うとき、または入りたい会社の面接を受けるときなど、

誰かによくみられたいとか、

気に入られたいとか、

選んでほしいみたいなとき、

緊張したり、プレッシャーを感じたりすると思うのですが、

そういう機会というのは、実は、自分が選ばれる側であるだけでなく、

自分は選ぶ側でもある(向こうも自分が望む相手であるのか)と捉えると、

緊張も減るし、逆に自分らしくいられるかもしれません。

そして初対面のときから、自分を過剰に演出していなければ、その後も両者の関係は自然体でいられるので楽だと思います

↑ 私と一緒にお散歩についてくるミヌ。うしろにたたずむスコッチは、テリトリー外だからか、この橋を越えてこちらに来ることができません。そしてずっとあそこでミャウミャウと鳴いて私とミヌを呼び続けます….

杉の葉

我が家の暖房は薪ストーブなんですが、薪に火をつけて温度を上げるには、それ相当の火を起こさねばなりません。

そこで必要になってくるのが「焚き付け」に使う材料。

紙や段ボールではあっと言う間に燃えてしまうので、木材の端材など火がつきやすい&火の力をある程度留めておける材料が必要になります。

これにピッタリなのが 杉の葉。

杉の葉は、葉に油分が多くて燃えが非常によいだけでなく、杉の葉の小枝が火の勢いを維持してくれるので、薪の下に杉の葉を入れこんで、マッチを1本するだけで、あっという間に薪ストーブの火入れが終わりになります。

こんな材料、他にはないと思う、と断言できるくらい焚き付けにピッタリです。

私の住んでる地域の山は、杉だらけなので(日本全国ほぼそうですが)、杉の葉がごまんと落ちてます。我が家の裏山もしかり。

なので薪ストーブをつける季節になると、猫のミヌを伴って、私は山に入り、杉の葉を拾いに行きます。

汚れてもいい服装で軍手をして長靴をはいて、杉の葉をブーケみたいにつかみながら山から降りて来て、ご近所のおじさま方と会うと、なつかしそうな目で私の姿をみます(汗)。

皆さんが子どもの頃はお風呂を薪で焚いていて、杉の葉を拾いにいくのは子どもの役目だったようで、山から杉の葉を手にいっぱいつかんで降りて来る私をみて、当時の生活を思い出すらしいです。

「な!、杉の葉が一番よく燃えるだろ?!」みたいに、なぜか自慢げな発言もあったり(苦笑)。


↑ これが杉の葉。これで4,5日分の焚き付けに使えます。

私が住んでる集落に薪ストーブがある家は、我が家を含めて3軒。

3軒だけでは杉の葉は使い切れず、山にたんまり残ったまま(元は50年代に国をあげて杉やらヒノキをせっせと山に植林していったという背景がありますが)。

薪の材料となる様々な木も皆さんの生活には不要なので、倒れたり、切ったりしていらない木がでたら我が家にお声がかかり、ダンナさんが軽トラででかけ無料でいただいてきます。

薪も杉の葉もそうですが、身近で手に入るエネルギー資源があったというのに、いつからガスや石油などをとんでもなく遠いところから運んでくるような生活になってしまったんだろう〜

電気エネルギーを主に使う今の生活を、昔のように戻したいと思う人はほぼいないと思いますが、そのおかげ?!で、我が家は暖房のエネルギー資源を尽きることなく無料にて使わせていただいております。ありがたや〜。



体も学ぶ

息子が幼稚園のときのことです。

お迎えに集まったママ達に向けて、園の中ではわりと年輩の女の先生が、感情を抑えるような口調で、こんなことを問いかけたことがありました。

「皆さんは、お子さんが生きて行くうえで、つらいことが全く起きないで大きくなって欲しいのですか?」

(正確な文言を覚えてませんが、子どもにトラブルゼロで育って欲しいと思ってるのかみたいな内容でした)

なんでこのような問いかけをしたかというと、息子のクラス内にすぐに手がでてしまう女の子と男の子が1人づついて、その子達がなにかする度に、された側の母親達が先生になんとかしてくれと言いにいっていた状況だったからだと思います。

特にある女の子のママが、自分の子が悪さをされるとすぐさま先生に訴えていたので(相談するのではなく、一方的に非難するスタンス。いわゆるちょっとしたモンペ状態、汗)、それに対してうんざり?した先生が別の視点を持ってほしいと思って、上記のように問いかけをしたのだろうと私はそのとき思ってました。

ちなみに、うちの息子もその男の子に手を出されたこどが何度かあり、私も先生にそれを伝えたりしてたので、先生の問いかけにハッとしたのも事実です。

自分の愛する子どもがつらい目に遭うのは、親としては胸が痛くなります。

でも、その先生が言われたように、もし自分の子どもが人間関係のトラブルゼロで育つのがいいかと言われたら、皆さん、頭を横に振るでしょう。

他人とのトラブル経験がゼロってことは、トラブルに対して免疫がゼロなわけで、毎回そのトラブルを先生や親が取り除いてあげてたら、その子は友達や他人と問題が起きたときに、どう対処していけばいいか全くわからないままでいることになります。

幼児のころは問題もまだシンプル、だからそのシンプルな問題のときに、自分以外の人の気持ちや行動を体験し、相手にどう対応するか、どうやって自分を守るかなどを感覚や知識として学んでいくことは、人間関係をうまくやっていくための大事な基礎となります。

その後、年齢が上がっていくにつれ友達&人間関係の問題が複雑化していくだろうけど、そのときはそのときで段階を上げた学びを得れるだろうし、そうやって徐徐に人間関係のトラブルに対して免疫をつけていくことで、最後は大人になって自分1人で人間関係の問題にうまく対処できるようになっていくものだと思います。

人間が社会という集団で暮らす生き物である限り、人の中で円滑に楽しく生きていくには、人間関係のつきあいのノウハウを学ぶ必要があり、それには良いことばかりでなくトラブルという経験も必須になります。

トラブルという名の修行&研鑽の場、これはお金では買い与えることなどできないので、見方によってはとてもありがたい機会なんですよね。

話がとても長くなりましたが、実はこれ、身体も全く同じだと私は思います。

ホメオパシー療法で、お子さんをみてるときに、この子はこの症状(主訴)以外に全く病気をしていません、と少しそれが良いことのように話す方がいますが(ある主訴で身体が覆われてるとき、他の病いは発症しにくい。ガンの人が風邪をひかないように)、

幼児のときにそれなりに病気にかかっている経験は、体の免疫のために必要なことだと思います。


幼児のときにかかる伝染病もそうですし、風邪などもそうだし、きっと捻挫とか打撲にも身体的な経験からみると意味があると私は思います。

心と同じで、体に(身体的な)免疫がつく、ということなんだろうと思います。

再度、類似する病いにかかったら次は戦える(対処できる)体になる、ということでもあるし、体に異変が起こったときに、これは(過去の経験上)大したことじゃないな〜っていう感覚を持てたり、これはなんかおかしい(重篤な疾患)みたいな感覚のアンテナが発達するのだと思います。

ということで、精神も経験から学んでたくましくなっていくように、体も病いを経験することでたくましくなっていく側面がありますので、子どもが病気にならないように過剰に守ったりすることは必要ないと思いますし、病いになることがネガティブなことではないと思います。

*病いが全て良いというわけでなく、過剰に守ったり、病いを過剰に恐れる必要がないという意味です。

ということで、冬ですし、安心して風邪ひかせてください(苦笑)。

でも風邪をひいて長引きそうなら、その症状を抑圧しないで、体が治そうとする力を妨げないレメディを使ってセルフケアでヘルプすることはできますので、ご興味のある方はお問い合わせください。

HPはコチラ:https://arnicahomeo.com/

可愛い子には旅をさせよ、が頭ではわかってるけど、なかなかできないで過保護になってると思う方、それはあなた自身の心の問題と関係があるかもしれません。

よかったら、ホメオパシー療法で、一緒にその問題に向き合ってみませんか。あなたが楽になり変わっていくことで、お子さんにもよい影響を与えられると思います。

興味のある方は上記HPまでどうぞ。

↑ カワイイニャンコにも旅をさせよ?! 久しぶりにミヌと裏山のお散歩です。

それぞれの愛の形

先日、ある方の恋愛相談を受けていました。

その方の問題は恋愛相手の男性のことなんですが、ものすごく簡単にまとめるならば、なかなかその男性の愛を信じられない、それで嫉妬深くなったり、自分に自信がなくなったりするとのことでした。

でもその男性の彼女に対しての行動についてよくよく話を聞いてみると、その男性は、なにかあったら車で飛んできてくれるし(時には何百キロ先の旅行先まで)、彼女がお願いしたことは実行してくれる人でした。

彼女は、彼から「愛の言葉」が欲しくて、それがないから愛を信じられないのですが、「愛」の表し方は人によって異なりますからね。

彼は言葉でなく、運転したり実行したりする「自分の体を使って」愛を表すタイプなんだと思います。

だから、既に彼からの愛はあふれているのだけど、彼女は自分が望む形の「言葉」でないと愛を受け取ってるとは思えない、これが彼女の恋愛問題の核なのかなと思いました。

話少しずれますが、臨死体験をした人が、生まれてからそれまでの過去の出来事を走馬灯のようにみせられて、それをみていたら自分の人生は全てが愛にあふれてた(ひどい両親に育てられたけど)、どんな人からも愛をもらっていたとわかった、と書いてあるのを読んだことがあります。

自分の理想の「愛」の定義からずれていても、私達はじつは常に愛を受け取っているのだろうなとそのとき思いました。

だから、冒頭の恋愛相談してる彼女も、自分の望む形でなかったとしても、彼の表す愛の形に気がついてそれを受け取ってみたらと伝えました。

人によって愛の示し方はそれぞれ違うと思います。

クライアントさんのお子さん時代の話を聞いても、例えばこんなのがあります:

母はいつも家事をきっちりしてくれてた、でも一度も私を愛してるとか、大事とか言ってくれたことがない。私は家は散らかっててもご飯もちゃんとしてなくていいから、ただ抱きしめて欲しかった….。

この方のお母さんは家事をきっちりこなすことで、家族への愛を示していたのだけど、お子さんであったこのクライアントさんはスキンシップや愛の言葉を示してくれることが愛だと思っていたのです。

しぶしぶ会社に行ってる姿をみせてたお父さんも、嫌だけど会社で働き続けることが家族への愛だったのかもしれません(本人も無意識だったかもですけど)。

そりゃ、愛を言葉で表現してくれて抱きしめてくれるなら、それがてっとり早いし、受け取る側もはっきり認識できます。


でも、日本みたいなお国柄だったり、人によっては性質だったり、好みだったり、または過去の家庭環境からの影響だったりで、そのようなストレートな表現方法をしない/できない人が多いのも事実です。

誰かがあなたに示してくれる態度や行動、それが実は愛の1つの表現だと気づけたら、毎日は愛だらけ、愛に囲まれてる幸せを感じられるように思います。

思春期の私の息子が毎日帰ってきたら、開口一番、

「今日のメシ、何?!」

と無表情で聞くのですが、この文章を

ママ、今日もありがとう

という愛の言葉に勝手に変換してる私です….

↑ たつの市を歩いてたら、古民家に一本だけバラが植わっていて素敵に花を咲かせていました。土壁の色と深いピンクのコントラストに心を奪われました。

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愛を受け取ったり、与えることに困難を抱えてる方、ホメオパシー療法でその心のブロックを外すことができるかもしれません。
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