つむじ曲がり

私がまだ子どもの頃、よそのおばちゃんが私と遊んでいた自分の子どものことを

「この子はつむじ曲がりやけん」(やけん=だから、の長崎弁)

と他のおばちゃんに話していた光景を覚えています。

つむじ曲がりという言葉は、この頃はあまり使われなくなったようですが、”ひねくれてる”という意味です。

そう親に言われてる子の頭をぼんやりみながら、髪の毛のつむじのせいで、なんでひねくれてるなんて言われるんだ?!と思ってました。

その後何十年も経って自分がホメオパシー療法でお子さん達をみるようになって思ったのは、

つむじ曲がりは生まれながらの髪の生え方でなく、子供たちが「お母さんの胎内にいるときに居心地が悪かった」場合になるのだろうということでした。

母体にストレスがあったり体調や身体に問題があると、それが胎内に影響して胎児が心地よいポジションに頭を置けないので、結果、「つむじが曲がる」(つむじの位置がずれる)という現象が起こるのかもなと思いました。

つむじ曲がりの子が ”ひねくれてる”と言われるのは、胎内にいたときに母体のストレスを受けたことでその子が精神的に安心できてなかった結果、 ”ひねくれてる”と昔の人に言われるような精神状態になっている、ということかなと思うのです。

昔の人が幼児本来の素直さがない子はつむじが曲がってる子が多い、と統計的に気づいて「つむじ曲がり」=ひねくれてる、という言葉ができたのかもしれません。

胎児に産毛や頭髪が生えだすのは妊娠15週以降だそうで、どの時点でつむじができはじめ、どの時点でつむじが固定されるのかわかりませんが、いずれにしろ、つむじ曲がりは後天的な要因でなるのだろうと思います。

つむじが曲がる(ずれる)ということは、頭を置くポジションが悪かったということで、後ろ姿のヘアスタイルの見た目だけでなく、頭蓋骨、または頸椎や背骨の成形にも微妙に影響してる可能性があります。奇形というほどでなくても、少しずれてることで運動神経や姿勢にも影響を与えてるかもしれないです。

(心のひねくれにはホメオパシーが向いていますが、微妙な身体のずれは、オステオパシーや、ロルフィング、クラニオセイクラルワークなどの療法が向いてると思います)

ところで、私はつむじ曲がりな赤ちゃんで生まれはしなかったけど、いつの頃から「つむじ割れ」が結構ひどくて、見た目的に気になってました。

ぱかっとつむじが割れていて、ドライヤーなどを使っても対処できなかったんです。

それが、なんと、最近、つむじ割れをなおすことができる人に出会いました。

最近通いだしたヘアサロンの美容師さんなのですが(ヘナをしてくれるところを探していてみつけた美容室です。これまでお世話になってた美容師さん、ごめんなさい)、

その技術は

ヘアリセッター  といいます。

特殊なハサミのようなクシを使ってつむじ部分の髪を丁寧に1本づつ梳(す)いていくんですが、たったそれだけです、それでつむじ割れがなくなってしまうんです。

持続期間は大体1ヶ月と言われたのですが、2ヶ月たっても朝おきて鏡みたらつむじ割れてなかった!びっくり、です。

この技術は、髪1本1本があっちこっちに向かって倒れてる傾向=いわゆるクセみたいなものを、1本1本起こして正常な位置に戻してあげる(リセットする)ということらしいです。

クシやブラシを使ってつむじ割れを治そうとしても無理だから、髪の毛一本一本を根元からニュートラルな方向に起こすというのが大事みたいです。

ヘアリセッターは、つむじ割れだけでなく、いつも同じ側で髪を分けてることで分け目がぺっちゃんこになってる髪や、髪の方向があちこちにいってることでくせ毛のようになってる髪にも使えるそうです。もしかしてつむじ曲がりもある程度変えられるかもしれません?!

骨格矯正だけでなく、髪の向きも矯正できるなんて、身体の可能性は未知だ〜

DSC_4928

ニャンコにつむじはあるのか〜?!

この「ヘアーリセッター」という珍しい技術ができる方は、神崎郡福崎町にある美容室の木畑(きばた)さんという癒し系の明るい美容師さんです。カットのついでにリセッターをする場合は、つむじ一カ所だけならリセッターのお値段は1.000円税抜だけ!です(カット代は別)。ヘアリセッターだけ(カットやシャンプーなしで)をやってくれるかはお店にお問い合わせください。お店はコチラ → http://lucia-fukusaki.com/

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

つむじが曲がってるだけでなく、病気がちだったり、発育に問題のある赤ちゃんや子どもさん、ホメオパシー療法で乱れた自然治癒力を整えることができるかもしれません。

詳しくはHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

 

 

 

 

 

学校が追いついていく

コンサルテーションで小中高生の子ども達に、その子達が興味を持ってるものについて質問しますが、以前に書いたYoutuber以外(過去記事:現代のヒーロー?)であがってくるアーティストは 全く知らない名前がほとんどです(昭和生まれなんで、汗)。

家に戻ってから、どんな人なんだろう〜と検索すると、へー!とか、ワー!みたいに私の概念の枠を超えたアーティストが結構います。

例えば、TWICE(ツワイス)。

9人の可愛いガールズグループで、ジャンルでいうとK-POPみたいですが、メンバーは韓国だけでなく、日本人、台湾の女の子もいます。

政治や外交では難しくても、音楽ではアジアの融合グループがすでに存在して、女子に絶大な人気、憧れのグループみたいです。

とはいっても彼女らは多国籍グループだから注目を集めてるとかいうことは全然なくって、ファッションや音楽、ダンスといった外見&実質の内容で人気です。国籍が混ざってることに注目すらしてない、軽〜く国境超えてる感じです(歌は韓国語メインのようですが、日本語、英語のものもあり)。

他には、浦島坂田船(うらしまさかたせん)。

この名前を言われたとき、歌手なのか昔話なのか(な、わけないけど)、いったいそれ何?! と頭が混乱しました、が、歌手です、しかも「アニメ」の若い4人のイケメングループです。

ニコニコ動画が主に活動の場ですが、武道館でコンサートもできるくらい人気です。アニメだけで歌声が合成というわけではなく、実在の4人の男の子達が歌を唄っており、時々本人達が顔出しもしていて、実在の人間がアニメを影で支えるという逆転な在り方が面白いです。

他にもVOCALOID(ヤマハ開発の製品で、メロディと歌詞を入力すると合成した人間の声が出る)で作った歌を得意とするアーティスト名があがったりします。

幾つかの例を挙げましたが、私がこれらのアーティストを知ったときに「これは新しい」「面白いジャンルだ」「変わった表現方法だ」と感じる感覚は子供たちには全然なくて、そういうの普通にあり、のようです。

様々な表現方法やテクノロジーを普通のこととして受け入れる精神を持った子ども達ですが、この子達が大人になる頃は、どういう社会になってるんだろうってちょっとワクワクします。

けれど、こういう子ども達が一日で一番長く時間を過ごす場所は、一昔前もそして今も ” 学校 ” です。

子供たちの感覚は時代とともに変わってるのに、彼らが一番時間を長く過ごす学校自体は変わってるのかといえば、あら?!全く変わってない?!(大汗)。

アーティストやYoutuberなど彼らが好むものをみると、時代感覚だけでなく個人の個性も表れる自由な選択なのに、学校の話になった途端、あら〜彼らの学校での在り方は私の子ども時代となんにも変わってないし、ぶつかる問題も昔と同じように思います。

先日の夏休みの宿題の記事(過去記事;夏休みの宿題に思う)にも書きましたが、宿題1つにしても、私の小中学校時代と宿題の出し方や指導の仕方は基本的にほぼ従来通りですからね(汗)。

昨今は昔は当たり前だった体罰やスポーツ指導でのパワハラが表面化してくるなど、少しづつ変化はでてきてるとは思いますが、

政治と一緒で、政府主導の学校組織の在り方を動かすのには何十年もかかるのかもしれません。

だと、したら、今の子どもって、自分の感覚と大きなズレがあるだろう学校教育や指導に相当な違和感を感じてるんじゃないのでしょうか。

違和感を感じてるだけでなく、実際に学校に通わない子も増えているように思います。

そりゃ、そーでしょー。だって、学校教育に持つ違和感って、既に私の時代からあったのだから(汗)、今の子の持つ違和感はもっと大きなものだと思われます。

学校が、子どもの感覚に追いついて行くのは、いつなんでしょうね….(遠い目)。

しかし、私のようにただ憂えてるだけでなく、先駆者として動き始めてる草の根的な学校も既に相当数あると思います。

以前にご紹介した加古郡稲美町にある「ころあい自然楽校」さんも(過去記事:子どもの学校)、今年から小学部を立ち上げました。

学校というのは自分を押さえ我慢する場所ではないこと、

学ぶということはとっても楽しいこと、

トップが考えたことを教えてもらうのではなく、自分たちで何をどう考えるかを

学べる学校になるんだろうなと思います。こういうところで育った子供たちがつくる将来の日本、楽しみです。

来月の10/11(木)にも3回目の説明・見学会が開かれるそうです:

ころあい自然楽校 小学部 2018 秋開校

 

DSC_0645(1)

必要最小限に小さく「みゃっ」と鳴いてご飯を催促するミヌ。
こんな効果的な可愛い方法を習得したキミは賢い〜(いそいそとご飯をあげる私…)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

学校にまつわる問題でお悩みの方。
過去の出来事であっても、癒すことはできます。

ホメオパシー療法でお手伝いができるかもしれません。
ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

洗い過ぎについて考える

以前、小津作品だったか日本の古い映画をみていたら、登場人物の奥さんが食器を洗うシーンがあったのですが、洗い桶の中につけてたお茶碗を蛇口からの水だけでささっと軽く洗い流して終わりだったのを記憶しています。

当時は、いまほど動物性/植物性脂肪を食べていなかったんだろうな〜

世界でオイルをベースにつかわない料理というのは、日本料理だけだというのをどこかのシェフが言っていました。

多国籍の料理が広まったせいなのか嗜好が変わってきたのか、現代の日本では動物性脂肪やオイルを料理にたくさん使うようになってます。

食器についた油脂を洗い落とすには、

もともとは、水と台所洗剤/石けんが基本的に有効だったと思います。

その後生活が改善されて蛇口をひねればお湯がでてくる時代になってからは、油脂を溶かせるお湯を使うのが有効だと思います(プラスチックの汚れは洗剤もいりますが)。

ところが、現実には、台所洗剤も使ってる上にさらにお湯も使うから、洗い過ぎなのではないかと思います。(しかも現代は汚れを落とすのにすぐれたスポンジもあるし)

瀬戸物など陶器は洗いすぎても変質することはあまりないのだろうけれど、だから、つまり洗いすぎてるのは、私達の皮膚というかそれを覆ってる皮脂と言えるでしょう。

この石けん+お湯のダブル洗浄による洗い過ぎ/落とし過ぎは、食器洗いだけでなく、体や髪を洗うときも同様だと思います。

昔と比べて植物性/動物性油脂を多く取り込んでる私達の体の皮脂は、皮脂自体の量や質が違ってきてるのかもしれないし、皮脂だけでなく常在菌の在り方も一昔前とは違うのかもしれません。

しかし、あぶらはあぶら、食器と同じでお湯だけでも落とせるはずなのに、石けん・シャンプーとお湯のダブルで洗ってるものだから、皮脂を落とし過ぎて、さらには常在菌も毎回全部殺してるのだと思います(汗)。

昨今、そんなことに気がつき始めた人がとても多いようで、体や頭を洗うときに石けん類を全く使っていないという話をかなりの頻度で耳にします。

ある女性のクライアントさんは、ヘアカットの前にするシャンプーにシャンプー剤を使わないでお湯だけで洗ういわゆる「湯シャン」をしてくれる美容室に通ってるそうです。

プロによる「湯シャン」まで出現したというのは、そういうニーズがかなりはっきりと形になってきたということでしょう。

残念ながら、私の住む地域周辺ではお湯だけのシャンプーを提供してくれてるところは今のところ見当たらないですが、今後そういうサロンも増えていくといいなと思います。

別の部分の「洗い過ぎ」の話をすると、以前、産婦人科の女性ドクターに教えてもらったのですが、女性性器こそ、石けんを使って洗ったりしてはいけないそうです。

私は、なんとなく大事なアソコは排泄物の近くに存在するものだから、石けんは使った方がよいのだろうと思っていたけど、大間違いでした。

女性性器というのは全体が粘膜でしっとりと潤ってることで感染することを防ぐのに、そこを毎回石けんで洗えば常在菌も殺してしまうことになり、清潔どころが危険な状態になるとのことでした。

もちろん感染を防ぐだけじゃなく、粘液度が高いと精子を保持しやすくもなるので妊娠しやすい体にもなるし、性行為自体も快適になります。

ところが昨今は、性器周辺が非常に乾燥してる女性がとても多くて、それは石けんによる洗い過ぎが原因だという見解でした。

アソコを洗う話、普通の会話ではなかなかでてこないでしょうから(汗)、これを知っておくのは大事かもしれません。

最後に、洗い過ぎという話題で、歯磨きについても。

私が知ってる人に歯磨きを全くしない男性がいます。

その人は、義両親の長年の友人のフランス人男性で、去年、義母の葬儀のときにも会いましたが、歯磨きはしないんだそうです。

今は70歳を超えてると思いますが、見た目上品で知的な人です。

彼は石けんや歯磨き剤の反対派というわけではなく、ハブラシを口にいれるのが生理的にだめらしく、歯磨き行為自体がムリなんだとか。

私も歯磨き粉は使いませんが、「歯をみがく」行為すら、もしかして必要なかったんか〜と考えさせられます。

歯をみがかなくていいという意見をみると、自力洗浄剤である唾液を歯磨きすることでいっせいに流してなくしてしまうから、ということのようです。

そう考えると、皮脂や常在菌や唾液といった体を守るための存在を、お金をだしてわざわざ購入した石けんやらシャンプーや歯磨き剤で、せっせと体の外に流し出して無防備な状態にしてるなんて滑稽な行為に思えてきます(汗)。

ちなみに、去年、義母の葬儀でその男性に会ったときに、歯磨きをしたことがない彼の歯がどういう状態かチェックするのを忘れました…. 悲しい場だったため、口をあけて笑うこともないので歯はみれなかった、今度あったら写真とらしてもらおうか(苦笑)。

石けん

石けんは汚れを落とす優れものと思いますし、洗濯ではとてもお世話になっていますが、お湯をふんだんに使う生活の中で使い過ぎてはないか、という自問も含めた記事でした。

少し悪いこともしてみたくなる

先日本屋さんに行ったとき、ふと目に止まって買った曾野綾子さんのエッセイ本の中に書かれていた話です。

読者の男性からの投書にその男性が初めて競艇場に行った日に、その競艇場で言葉をかわした年輩の女性のことが書いてありました。

その女性はもと校長をされていたそうで、人生の最後の段階の自由の中で

「少し悪いこともしてみたくなった」そうで競艇場に1人で来ていたのだとか。

女性が1人で出かけるにはハードルが高いと思われる競艇場で、学校組織のトップにいたひとが人生の最後の方でギャンブルを楽しんでる、かなりドラマチックな設定です。

でも教師など人を教える立場にある人や、警察や消防など正しい行いをして当たり前の職業の人が、少し悪いこともしてみたくなった(競艇は悪いわけではないですが)、というのは理解できる〜と思います。

このエピソードに曾野綾子さんは涙がでそうになったらしいのですが、それを

「生涯のふくよかな完成とは、恐らくこういう境地を言うのであろう」と表現していました。

また他の言い方で、

人生には最後まで、思いがけないしなやかな発展がある(文章抜粋)、競艇場にきて初めて彼女は人生を広角度でみられたから(文章抜粋)、とも表現していました。

ゆる〜い校長さんとして生きていたら、その女性は定年してから競艇場にいくことはなかったのかなと想像したりもしますが、自分をその視点からみると、自然療法家といいながら、お酒も頻繁に飲むし、たまにジャンクなものも食べますし、blogではわかったようなことを書きながらも感情的にもなったりするので、その校長さんが現役人生で貫いたであろう正しき姿勢は決して私には達し得ない境地だなと感嘆もします。

ただ、そういいながら、

あの人いつもきちんとしてるね〜 とか

よく出来た人だね とか すごくいい人だね とか

あの人は素晴らしい人だ

みたいな褒め言葉が自分の耳に入るようになったら要注意だと思ってるところが私にはあります。

他人が賞賛してそれが自分の耳に入るってことは、そういう良い面の片側ばかりが強調され過ぎてる状態(それが目立つから自分の耳にまで入る)と思ったりするわけです。

それはつまり自分が良い面を人様に向けて発信しすぎなんじゃないか、ムリしてるんじゃないかと思うんです。

そうなると、人から賞賛される姿を守らないといけない状態や期待を作り出してしまうことになるから、あっぶな〜と思うわけです。

もと校長の女性のように、長年かけて人生の最後に自分のバランスを取り戻すというのもあり、そしてそれはそれで心を打たれますが、

あの人はまあまあいいね とか、実はなかなかいいとこある みたいに”ひそかに”思ってるもらえるくらいの姿勢で生きられたら、それはかなり良い状態ではないかと思います。

こう思うのは、ただ単にいつも少し悪いことをするのを自分が正当化したいだけ?!(汗)

IMG_20180906_054123

↑ 裏庭にうえた西洋なしの木に初めて実がなりました。この1個だけ!です、あら〜。
果物はまんまるだったり、細長かったりしますが、西洋なしは上下がアシメトリなのがアートだなと思います。