虫刺されの処置

夏でなく秋の今頃に、このネタで恐縮です…..笑。

今朝早く、外にでて空をみていたら、台風前で湿度が高いせいなのか、思いのほか、

蚊がおりまして、足と腕など5箇所も刺されました。

蚊に刺されたときに、痒みも最小限で、刺された跡も最小限で済むと私が思っている処置を書きます(今朝もこれで、痒み等あっという間に過ぎた)。

①刺された箇所に、石鹸をつけて洗い流す

 (蚊が刺すときに出すと言われてる痒みの元の ”蚊の唾液” を洗い流す)

②流した後に、刺された場所に 塩 を摺(す)り込む

 (きゅうりの塩揉みみたいに、塩を塗り込むと水分がでます、この塩に対する反応を利用して、皮膚の少し奥にはいってる蚊の唾液を、外に出します)

しばらくしたら、塩をはらって(もしくは洗い流して)終了です。

その後は、私は、ビワの葉エキス をちょんちょんと塗ったりしますが、そこはご家庭で愛用してるものを使うといいと思います(そういうものを使わなくても痒みは残りません)。

この処置は、刺されたらすぐにやるのがオススメです(肌がヒスタミンを出す前、外出先で石鹸がないときは水で流すだけでもよし)。

ブヨなど、痒みが強くでる虫の場合は、塩を2、3度すり込むのがよいです。

山ヒルにも使えます、汗(私は自然豊かなところに住んでます)。

ヒルの場合も、塩を何度かすりこみます。

ヒルの場合は、痒みはやはり多少残りますが、

石鹸洗い流し → 塩すりこみ をしたときと、しないときの痒みは、雲泥の差です。

痒みの元を残したまま、外用薬を何度も何度も上から塗布するのは、あまり意味がないな〜と長年蚊に刺されながら?生きてきて、実感しております。

これは、心の問題も同じで、心の闇部分(怒りや悲しみ)を中に閉じ込めたまま、

外から、私は私を愛してます、とか、私は最高の自分になります、のようなアファメーションを何十回、何百回繰り返しても、なかなか芯から癒されていかないのも、そういうことだと思います。

心の刺された跡も、蚊に刺された跡みたいに、ちゃんと自分の目でみれると、もっと浄化が楽だろうな〜と思います。

コスモスが目立ってきました。台風すぎたら、秋ですかね。

ーーーーー

心のうちに閉じ込めた怒りや悲しみを、コンサルテーションという会話の中で取り出して、それを自分の中から洗い流すこと、やってみませんか。

詳しくは、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

あなたの直感を遮(さえぎ)るもの

先日、講座をやったのですが、久しぶりに複数の方と対面でお会いするので、着ていく服についてチラリと前日に考察しました。

(”チラリ”というのは、私は各シーズンに2, 3コーデと決めてるので選ぶの簡単)

最初にパッと思い浮かんだのは、今年さんざん着回してるノースリーブの夏バージョンの服で、よし、それにしよと思いました。

とはいえ、かなり涼しくなってきたので、明日の朝に気温を見て、もし涼しそうなら秋バージョンもありだなとも思いました。

さて、当日の朝、その日は31度まで気温があがるという天気予報でした。

だったら、最初に浮かんだ通り、夏バージョンだよね、と思ったものの…….

いやいや、待てよ、もう9月だよ、9月といえば秋を感じさせる季節、少し早くても秋バージョンの方がふさわしくないかな?!と自問が起こりました。

そうだよ、参加者さんたちは秋の装いで来てるかもしれないのに、ノースリーブで夏バリバリの格好というのはどうなのさ?!

季節感ないって思われるかもしれないよ…

と、こんな思考が湧いてきて、そうかもな、と秋バージョンの服を準備しようかと思い始めました。

そこで、ん?!と気がついて、その場でほんの1分ほど内省してみました。

夏バージョンを推してるのは、最初にパッと思い浮かんだその感覚です。

秋バージョンを推してるものって何だろう?と思考を点検してみると、

その思考の声は、

季節を考えたらフツーはこうでしょ、というどこで仕込んだか不明の判断、

参加者さんたちの(勝手にこちらが想像した)格好に合わせておいたほうがいいでしょうという調和を求める謎の誘導、

こう思われるかもしれないよ、という不安を煽(あお)る根拠のないまさに妄想、

でした笑。

ああ、危なかった、自分の直感を遮(さえぎ)るところでした汗。

ということで、スパッと夏バージョンの服を着て、車を講座会場に飛ばしました(実際は飛ばしてません…笑)。

この服選びの話を軽く講座の中で披露したら、参加者さんの中にも、やはり服選びに迷い、服をいったん秋バージョンに着替えてから、夏バージョンに戻したという方が2名いて、シンクロしてました。

”直感”という言葉の定義はいろいろあると思いますが、

心と直接つながって感じることを ”直感” と定義すると、

直感を大事にしていくというのが、自分の深いところとつながっていく生き方になると思います。

自分の深いところとつながりたいとか、本当の自分を生きたい、こんなことを望む人がどんどん増えてきてるように感じますが、

そうなるには、自分の中におきる直感に従った道を選択していくことだと思います。

上記の私の中に起きたように、

いやいや、違うでしょと直感をとどまらせて、他の道に方向転換させているのは、

社会の通念だったり、いわゆる常識と呼ばれてるものだったり、人の目だったりします。

そっちの声を聞いて、そちらの道にガイドされていけば、いわゆるそういう生き方になります。

なんとなく社会に適用してるようにみえる人、

常識的に生きてるようにみえる人、

人の判断にまかせて生きてるような人、

そちらが良いなら、それもアリ(選択は自由だから)。

でも、本当の自分を生きたいなら、自分の直感がガイドする道を歩んでいくことを意識するとよいと思います。

ちなみに、直感に従うというのと欲望に従うのは、違うことなのでご注意を。

欲望というのは(あくまで私の考えです)、

外側からの情報に刺激されて、外側からの刺激で「欲しい」と思うことです。

例えば、雑誌やYoutubeみてたら、美味しそうに食べてる映像や、素敵な盛り付けがでてきて、うわー見てたら食べたくなった、と本当にそういうものを食べたくなってくる。

これは本能として持ってる食欲を外側からの視覚情報などで刺激されて湧き上がってきたもので、直感ではなくて欲望だと私はカテゴリーしてます。

エロい画像や映像をみかけたら、モンモンとしてくる笑。
これも直感ではなくて、外側からの情報で、本能として持ってる性欲を刺激されておきた現象で欲望といえると思います。

直感は、外からの刺激で動かされたものではなく、内側から自然と起こってきた衝動です。

紛らわしいのは、たとえば、雑誌やオンラインショップをみていて欲しくなった商品であっても、

それが心の深いところとつながって欲しいと直感的に思ったものか、
情報からの刺激で欲しいと思わされているのか、これの見極めです。

直感で欲しいと思うものは、いわゆる「ピンと来た」、この言葉に表されると思います。

ピン!というのは、深いところとつながった目安になると思います。

パッと浮かんだとか、いわゆる深いところと電気回路がつながったような感覚があると思います。

外側からの刺激で欲しくなるものは、ピンとはこなくて、流されていくような受動的な感じではないかと思います。

いわゆるマルチ商法や上手なセールスで、巧みな商品説明に流されて買ってしまうようなときは、これが起きてるのではと私は思います。

ということで、なにかに迷うとき、推してるのと反対してる声の正体、それを見極めて、自分が望む道のガイドの方に従うとよいと思います。

自分の中のきらめくスパークを大事にしていくってことですかね。

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直感を選択していきたいけれど、直感を選ぶことにどうしても抵抗がある場合、

直感を遮るエネルギーブロックがかかってると思います。

そのブロックを外すお手伝いができるかもしれません。

ピン!と来た方はHPの方をご覧ください〜:https://arnicahomeo.com/

あなたは、あなたのままでいい

気分が落ち込んでいくとき、なにかの”きっかけ”があると思うんですが、

100%といってもよいくらい、それは”他人のこと”から始まるように思います。

他人からダイレクトに批判された場合、そりゃ、落ち込みます。

でも他人からダイレクトに批判される機会よりも、
自分で自分を批判していくというマゾ的な(汗)落ち込みの方が圧倒的に多いのではないでしょうか …..

例えば、今の時代はSNSというものがあるから、それで目にした他人の活躍や、他人の私生活で充実してる様子、単に他人のフォロワー数とか、いいね!の数が多いとかそのような他者との比較から、落ち込みのループが始まることが多いように思われます。

あの人、友達と楽しそう、わたしにはこういう仲間はいないな….ずーん、とか

あの人、すごく頑張ってる、素敵、えらいな〜、それにひきかえ、わたしは、何も頑張っちゃいないな…..とか

どんどん自分の評価を自分で低くしていくループの始まり(汗)。

これは、何が起きてるかというと、

自分の、自分に対する評価がぐらついている、です。

別の言い方をすると、

自分の、自分への愛が試されてるとき、

自分で自分を信じる気持ちが試されているのです。

今(SNSでみた誰かと比べて、冴えないように思える)、この瞬間の

ありのままのあなたを好きですか?

と問われているのです(自問なのですが)。

ここで、落ち込んでいくとしたら、

いいえ、わたしは、いま、この瞬間のありのままのわたしが好きではないです

と答えてるようなものです。

ですので、こういうときは、しっかりとそこに意識を持って、

いやいや、わたしは、確かに今、人と比べて、このわたしを嫌いになりそうになりましたが(汗)、わたしは、実は、わたしが意外と好きです、

と思ってあげましょう笑。

素敵にみえた他人は、素敵だなと評価するままでいい、

でも、それをみてて落ち込みそうになった自分を嫌いになることはなくて、

私は私も好きです、と思っておくのがいいです。

そうすると、落ち込みループにはまることは減ってきます(ちゃんと自分が好きだと認識していくとループ自体にはまりません)。

前の記事でも書きましたが、

私たちは、自分オリジナルの神のシナリオを歩んでいます。

たとえ、あなたがあまりパッとしない生活をしていようとも、

たとえ、あなたがたくさんの欠点や改善点を抱えていようとも、

たとえ、あなたがしたいことを成し遂げていなくても、

あなたは、ちゃんとその自分オリジナルのシナリオを歩んでいますので、

安心して、そうだ私はこれでいいんだった、と思って、

自分で、その自分をどうぞ信じてあげてください。

ちなみに、私はありのままの私でいいんだ、というとき、

何もやらなくていいんだ、

何も進化しなくていいんだ、という意味ではないです。

私たちの源はエネルギー体なので、否応なしに進化する存在です。

ですので、進化はするんです、でも、

他人のように進化しなくていいし、

他人のようなスピードで進まなくていいのです。

あなたは、あなた独自のペースで、独自の進化をしていく存在。

だから、安心して、あなたのままで、進化していけばいいのです(人生を歩んでいく)。

誰かが素晴らしい生活を手に入れてるようにみえたり、
とても素晴らしいことを成し遂げていようと、
その人もその人で、その人の神のシナリオを
その人のペースで歩んでいるだけなのです。

ですので、
あなたもあなただけの、そのシナリオを信じて、
自分が主人公のそのシナリオを存分に生きてください。

と、いうことで、他人と比較して気分が落ちそうなときは、

あ、私の私への愛が確かめられてるんだ! と気づいて、

わたしはわたしのままでいいんだ、わたしはこのわたしが好きです、

と再認識してみてください。

心地よくてたまらなくなりますよ(笑)。

追記ですが、

わたしは、何もよくできていない自分が好きとは思えないんです、みたいなことをおっしゃる方がいますが、

そういう方であっても、自分のことが好きだと思える、みつけ方があります。

日常の生活の中で、あなたが、ちょっとでもいいから気に入ってるというもの、ありますよね。

10年以上も使ってる愛用のマグカップとか、

着古しだけど、着心地の良くて捨てられないTシャツとか、

この道は、ちょっとひっそりとして好きだな、とかそういう場所なんかありませんか。

そのような人からみたら、どこが好きなの?と言われちゃいそうなもの、

パッと見はさえないけどなんとなく好きとか、そういうものや空間や場所、

それはあなたが「愛着をもってる」ものです。

人の評価や社会的な価値は関係なくて、

あなたが好きなものなのです。

そういう愛着を何かにもてているのなら、

人の評価や社会的な価値がなさそうに自分が思える「あなた自身」にも、

愛着をもてます。

長年つれそってる「あなた」というその人、愛着をもつのに十分な存在です。

夏は冷えたスパークリングに愛着のあるわたしです(注)写真はわたしではありません(苦笑)

草の存在

ホメオパシーを学び始めた頃にイギリスの先生から聞いた話です:

ある男性ホメオパスが、南米のある部族が住む地域にしばらく住みにいった。

彼の滞在期間中に、部族の誰かが病いにかかった。

すると部族内のシャーマンがジャングルのようなところに向かい、しばらくすると手に何かの植物を持ち戻ってきた。

その植物をすりおろしてor煎じて(詳細忘れた汗)病にかかった人にとらせた(のちに回復した)。

ホメオパスがシャーマンに、その植物について尋ねると

「ジャングルに入り、病の人と同じエネルギーをだしてる植物を探して持ち帰ったのだ」と答えた……

当時、こういう世界に入ったばかりだったので、私の心はこの話にふるえました笑。

ついでにいうと、バッチフラワーエッセンスをつくったエドワード・バッチも、どの花が何を癒してくれるエネルギーをもっているかわかったそうですし、日本の昔の和漢薬師にもそういう人がいたというのを聞いたことがあります。

さて、私の話ですが、一昨日、庭のいらん草を抜いていて、

その草の特徴に目がとまり、ふと

「あ、これは関節炎によい植物だな」と思いました。

後で、ネットで検索してみると、

その草の効用に案の定「利尿、関節炎、脚気」と書かれていました。

うわ〜、わたしもシャーマンなれるのかな笑……というのは冗談ですが、

私がその植物をみて関節炎に効くと思ったのは、似てるものが似てるものを癒すという原則を知っていたからです。

その草の名前は、イノコヅチ(調べて初めて知りました) 
薬草名:牛膝(ごしつ)です。

↑上からみたところ、どこにでも生えてると思います。秋になるととがった実がたくさんついて、それが服にくっついてくる〜
↑横からみたところ、茎が赤っぽい色です。この写真ではみれませんが、節がまさに関節炎みたいにふくれてたりします
(それで牛膝とよばれる)。

イノコヅチは、関節炎だけでなく、抗アレルギー、抗腫瘍などの作用もあります。

また、イノコステロン、エクジステロンなどの昆虫変態ホルモンがふくまれていて、それは昆虫の幼虫がイノコズチの葉を食べると変態が早まり、葉が食される被害から身を守るためだといわれています。

上記情報コピー元:武田薬品工業  日本家庭薬協会
*関節炎みたいな節の写真は武田薬品のサイトに載ってます。

さらにイノコヅチについて調べると、膝の悪い人にはとても耳寄りな情報がありました。

>膝が痛くてという方におすすめで、含まれるホルモン成分の働きで膝の痛みが和らぎます >膝の痛みをとり、血流を良くし、更に元気にしてくれるイノコヅチ

情報コピー元:飛騨の薬草を学ぶ教養講座

膝が痛いというのをよく見聞きしますが、サプリや健康食品を定期的に買う前に、庭のイノコヅチで試してみてはいかがでしょうか……

イノコヅチが含有するエクジステロンを検索してみると、筋トレやるひとがサプリとして飲んだりしてるみたいです、なっとく〜。

エクジステロン(植物性エクジソン)は、天然のステロイドと呼ばれ
筋骨草と呼ばれる植物(シソ科)や、
ほうれん草(ポパイ!)にも含まれ、、
運動時にとると筋肉増量につながるという情報もでてきました。

スパイスみたいな実もそうですが、植物は置かれた環境で生存しつづけるためになんらかの物質を体内でつくります。

それが昆虫に作用があったり、人間においては効用になったりもします。

雑草というくくりでブチブチ抜いていたけれど汗、1つ1つをみたら、どんな草もそれぞれの特性や能力を備えている存在なんだよな、と改めて思いました。

おまけですが、去年、野生の野ばらのローズヒップ を甘く煮込んで食したら(乾燥させてなかった)、もんのすごい下痢になり、その日のうちに体重が1kg落ちたことがありました大汗。

そのときは、ローズヒップ でしか調べなかったのだけど、

今回、薬草の視点で探してみたら、

野ばら / ローズヒップ = ノイバラ / 偽果

という薬草扱いになっていて、効用は

峻下(強い下剤作用)  となってました。

本当にあれはものすごい浄化でした、
薬草、めちゃくちゃ効くじゃないの(苦笑)!

↑ 膝は痛くないけど、指の1つの関節に問題があるので、イノコヅチの葉のお茶つくってみます。                


               

あなたの身近に、やたらあなたの目につく草があれば、
それはあなたに必要な薬効を持ってる可能性があります(エネルギーの引き寄せ的に)。
調べてみてはいかがでしょうか。

いつも必要なものが必要なときに与えられてる……

寛容=愛の別名

自分を愛しましょう、なんて言葉がフツーの声かけのように使われる時代になってきてますが、

自分を愛するって、結局のところ、そもそもどういうことを指してるのかわかりにくいので、

自分を愛したくても、なにから始めたらいいの?!と実践するのも難しいように思います。

「愛」が大事というのは感覚的に皆がわかっていても、具体的にそれを日常に取り入れる方法がわかりにくいのだと思います。

簡単にそれを始めるコツとして、

「愛」→「寛容」に変えるのがよいのでは、と私は思っています。

家族につい感情的に怒ってしまって、

なんでそんなことするの!

とどなってしまった自分をすぐに「愛する」のはできそうにないけど、

その自分にちょっと「寛容になる」のはできそうに思います。

「寛容」をオンライン辞書でひくと、

「他の罪や欠点などをきびしく責めないこと」

という文章がでてきます。

罪や欠点をゼロにするわけじゃなくて、”きびしく” 責めないんです、

起こったことを全面的に許容するわけじゃなく、ああ、そんな自分はまだまだだ、とも思うけど ”きびしく” 責めずに、

ちょっと / ゆるく責めるで終わりにするんです。

→ またイライラして怒っちゃったよね、でも、まあ、それはそれでいいよって、自分に寛容に接してあげるのです。

誰かからひどいことをされたときも、

そのひどいことをした相手を「愛する」なんて、

とてつもないことのように思うけど、

「寛容になる」くらいなら、ちょっとできそうな気がしませんかね。

なんてひどいことするの!…、でも、まあ、ちょっと、このことに寛容になってみようか…..くらいにゆるめてみるのはどうでしょう。

これは自己肯定感を高めましょう、みたいなことにも、

使えるのではないかと思います。

今すぐに、自分はすごい!自分はできてる!という肯定感を持つことは難しいけど、

自分がやらかしたミスやら、自分ができなかったことを、

寛容にみてあげる、はできるんじゃないかなと。

やらかしちゃったけど、まあ、仕方ないよ、それでとりあえずいいよ、とか、

できなかったけど、いいさ、いいさ、とか、

完全にいいよと思えはしなくても、ちょっと寛容になるくらいなら、手が届く範囲なんじゃないかなと思うのです。

自分で自分に寛容な言葉がけをするのが難しいなら、

仙人のようなおじいさん(おばあさんでもいいけど笑)がすぐそばにいるイメージで
「いいんじゃよ、それで」(おじいさん口調、笑)と、
代わりにささやいてもらってください。

あ、別に仙人じゃなくて、女神さまとかマリア様とか誰でもいいですけどね汗。

寛容というのは、これまで自分のことや、他人のことをジャッジしてた点数の数値を少しあげてあげることでもあります。

これまでなら、ああ、こんな自分は嫌だな、点数でいうと自分は50点くらいだなと評価していたのを、

ちょっと寛容につけてあげよう、
そうだな、70点にしてあげよう笑、みたいに点数を甘くつけてあげるようなことです。

寛容になるというのは、

自分に愛を今よりもう少しだけ多くあげること、

他人に愛を今よりもう少しだけ多くあげること

なんじゃないかなと思います。

宗教のキリスト教信者ではないのですが、なにかあると私に浮かんでくる人は Jesus です。
しかし自分や人を寛容にゆるそうとするときは「いいんじゃよ、それで」というおじいさん仙人の言葉がしっくりきます笑。

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やってみたけど、ほんの少しも、自分に寛容になれないよ、という方。
寛容になるのをゆるさない自分が何かの理由で存在するのかもしれません、
それは、いったい何なのか、コンサルテーションで一緒に探ることができます。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/

神のシナリオ

誰が言い出した言葉なのか…. 
私たちの人生は「神のシナリオ」で決まっていると言われたりします。

「神のシナリオ」と聞くと、

自分の魂が望む道だとか、

自分の生涯のパートナーとの出会いとか、

自分の才能をいかす仕事に導かれるとか、

そんな人生でのドラマチックな出来事だけを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、

神のシナリオをなめてはいけません汗、
神のシナリオは、細部にいたるまで「全て」なのです。

たまたま昨日、お子さんの視力がよくないというご相談メールを受けたので、そのことを例にあげて書きますと….

「視力が弱い」

これすら、神のシナリオなのです。

視力が弱いと診断されると、親はなんとかして視力を回復させてあげたいと思うでしょう。

もちろん、ゲームやスマホのやりすぎで視力が弱った、姿勢が悪いことで視力が低下した、それらを改善しようと思うことは自然な流れです。

でも、その子が視力が弱いという、そのこと自体、神のシナリオなのです。

どういうことかというと、その子は視力がよくないことで、
その子にとって人生がうまくいくようシナリオが設定されているのです。

一番わかりやすいダイレクトな例は、

視力がよくないことがきっかけとなり、将来、視力をあげることができる新しいメソッド開発や、画期的なレンズを開発する人物になることになっていたとか、です。

間接的な例だと、

視力がよくなくて、そのうちメガネをかけたことで、将来のパートナーと出会えることになっていたり(相手の女性はメガネ男子が大好きで彼にひかれる)、

視力がよくないからと、大学の講義で前に座ったことで、隣に座っていた人生の大親友と出会うことになっていたり、とかです。

表面化しないため認識できない例でいうと、

視力がよくないことで、視力の正確さを求められるスポーツをやらなかったことから、そのスポーツで大怪我することを避けるように実は守られていたり、

視力が弱いことで、細かいことがあまり見えないので気にしなくなり、大事なことだけに集中できる人生になったり、

逆に細部までちゃんと見ようと意識が働いて、細かい気配りができるような人物になったり、とかです。

神のシナリオがなぜそうなっていたか、人間にはその正確な答え合わせをすることはできませんが、

いずれにしろ、そうなるようになっているのです。

つまり、すべてうまくいくようになっている、それが神のシナリオです。

だから、親ができることは、その神のシナリオを

拒絶しない、嫌悪しない、ジャッジしない、ことです。

お子さんの視力が弱いのは「悪いことだ」とか「よくないことが起きてる」「わたしのせいでそうなったのかも」と

ネガティブ評価をしないことをおすすめします。


なんでかわからないけど、

視力が弱いことになっているんだね〜とそのまま受け止めることです。

受け止めた状態で、

視力を回復することができる情報を知ったら、回復に向けて動いてもいいし、
目を悪くする姿勢に注意したり、スマホに対して時間を制限したり悪化しないよう努力したりするのは自由です。

ただ、神のシナリオ自体と戦う必要はないということです。

これは、他のことにも全て当てはまります。

例えば、体が小さいとか、ぽっちゃり体型とか、歯が弱いとか、気が弱いとか、怒りっぽいとか、感情が激しすぎるとか、

いわゆる遺伝的にうけとったものも、全てです。

それら全て、なにかのシナリオのために設定されているのです。

そのシナリオをもとに、人生がうまくいくようになっているのです。

こどもだけでなく、大人ももちろん神のシナリオを生きてますので、

どうぞ、起きてることを拒絶しないで、ただ、受け取ってください。

受け取るというのは、

今、自分が置かれてるつらい状況に甘んじろということではないです汗。

もし、今、つらい状況に置かれてる方がいたら、

あー、これを体験するシナリオになっていたんだね、と、

その状況が「起きてることを受け入れる」ということが、シナリオを受け取るということです。

なんで、これが起きちゃったの!? 嫌だ!とか、

あいつのせいだ!、親のせいでこれが起きた!とか、

起きたことを拒否したり、人のせいにしたり、

起きてることをネガティブ評価しないということです。

これを体験することになっていたんだ、と神のシナリオを受け入れたら、

その後は、自分の好きに「反応すれば」よいのです。

私たちは起きてくることはコントロールできないけれど、

起きたことに対してどう反応するかは自由なのです。

最後に、私、今、肩をいためて、趣味のテニスをお休み中なのですが、

これも当然、神のシナリオでした。

振り返ると、あそこでああなって、こうなったXXXな条件と重なって、痛めること=この期間にテニスをしないことになっていたのだと、勝手に神のシナリオの筋を追っています。

なんでこの期間にテニスをしないことになっていたか?って、その答えがわかるのは、もう少し後になってからだろうな、となんとなく推測しています(すごく良いことが起こる予感!)。

神のシナリオ、完璧ですから笑。

肩を痛めたおかげで、本来ならテニスしてる時間に、お花見できました笑。
この清々しい桜を見て、心地よくなることになっていたんですね〜笑

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神のシナリオを受け入れたら、この世の苦しみは激減のはず。
そしたら、私がやってる療法もあまり必要なくなるでしょう笑。
そうなったら、次は何しよー!? ← きっと次のシナリオがみえてくる笑

シナリオとわかっていても、拒んでしまう方、なぜそうなるか、一緒に解きほぐしてみましょうか…. ご興味のある方は HPのほうへどうぞ:https://arnicahomeo.com/

できなくて、当たり前

例えばですが、

時々手作りの簡単なお菓子を作ってる人がいたとします。
その人は、できたらそのうち本格的なパティシエレベルのお菓子を作ってみたいと思っていました。

そして少し時間に余裕ができたので、念願の上級レベルのお菓子教室に通うことにしました。

その教室に通いだして、

先生に作り方を教わっているときに

自分は上級レベルのお菓子をつくることができない〜

と自分を評価して落ち込んだりするでしょうか。

つくれない、できなかったから、そこに通いだしたのは当たり前なわけなので、そんなことは思わないのでは、と思います。

(チョコのテンパリングなど1つ1つの技術がうまくできないと四苦八苦したりはするかもですが、そもそも自分はできない人だみたいな自分への総合の評価は下さないだろうという意味です)

これと同じで、もし、人生の中で、これが苦手とか、これが全然できないと思って苦しんでることがあるなら、

それ、できなくて当たり前ですよ

と声をかけたいなと思います。

なぜなら、それにチャレンジするために、あなたはそこにいるのですから。

この世の人生をお菓子教室みたいな「学校」ととらえると、

そのできないこと、苦手なことにチャレンジするために、今、その人生を体験してるのです。

人はできてることには苦しまないし、悩みません。

できてないとわかってるから、苦しんだり、悩みます。

それは、エネルギー波動でいうと、そのことに対してマイナス波動だったのでプラス波動に転換して波動の乱れを中和するために、引き寄せられた事象なのです。

だから、今、できないのは全くの当たり前、なんです。

できてたら、引き寄せないから汗。

例えば、私でいうと、私は病や心を扱う仕事をしていますが、

プライベート生活では、テニスに熱中して取り組んでいます。

これは何をしてるかというのを、上記の話に沿って書くと、

私にとっては、心の問題を転換させるのはわりとできることなのです(私に心の問題がないというわけではなく、心の問題の答えを解くことがわりとできる)、

しかし、私は「体を実際に使って」プレイを少しづつ変化させたり、改善したりすること、

勝ち負けを味わう中での人間関係は、上手にできないことなのです。

だから、そのできないことにチャレンジ中、もがいたりしながら学び中なのです。

このところ

「自分はできてない」

という自分への評価で苦しんでる方のご相談がシンクロで起きてるので、

この記事を書いてみました…

が、書きながら、私も全く同じことテニスで感じてたわ、とわかりました(私にもシンクロしてた笑)。

そう、できないから、それにチャレンジしてる最中なので、

どうぞ安心して、チャレンジしてください。

自分がOOをできないと感じてるとき、他の人をみると、

他の人はOOができてるようにみえてしまうものだけど、

その人は別のところでXXにチャレンジ中なのです。

だから、どんな人も人生で何かにチャレンジ中、

あなただけが苦しんでるわけではないのでしょげないでください。

そして、今、できなくてもがいてることは、

最終的に上手にできるようになる可能性がとても高いのですが、
もしそこまでできるようにならなくても、それはそれでOKなのです。

できる、できない、は、この物理次元社会の抽象的な評価です。

マイナス波動で残ってるのは何かというと、

できるorできないじゃなくて、

やり残してる=その波動を十分に体験していない (これまでその体験を避けてきた、逃げてきた)ということなのです。

ですので、大事なのは、

自分がそれにチャレンジした!

自分がやれるだけやってみた!

と体験する、ただそれだけのことです。

さー、だから結果は怖がらずに、チャレンジしよー!

(とテニスをする自分にも声かけてます笑)

いろんな色や味、匂い、音、風景を楽しむように、
体や感覚をつかって私たちは人生を楽しんでるのでしょう……

あなたは何も悪くない。

Aさん、Bさん、X(エックス)さんでゲームをしていました。

まず、BさんとXさんの対戦。

途中でXさんが、Bさんのやり方に、それは不正だー! ズルしてる!とクレームをつけました。

気の弱そうなBさんはそのクレームを受け入れ、Xさんは自分に有利なポイントに変更させました。

Aさんは、Xさんってクレイマー?!とひるみつつ、自分はゲームの観戦者なのでとりあえず黙っていました。

その後、AさんとXさんの対戦になりました。

Xさんは、今度はAさんのやり方を不正だー!と言い出しました。
Aさんは、さっきのBさんとのやりとりをみていたので、自分はひるまず自分のやり方を押し通しました。が、Xさんが3度目のクレームを言ったときには我慢がならず、軽い口論になりました。その後、Xさんは黙りましたが、当然、そのゲームは不穏な空気となりました。

結局、対戦はAさんが勝ったのですが、Aさんはクレームを言われたので、この勝ちが楽しくも嬉しくもありませんでした。

それどころか、Aさんは、その後も気分がモヤモヤとしたままでした。

ゲーム仲間に、その話を愚痴ると、

そういうこともアルアル、誰でも経験するから、みたいな感じでアドバイスされました。

しかし夜になっても、Aさんのモヤモヤはおさまらない。
なぜ自分はこれをさらっと皆みたいに流せないんだろう….Aさんは自分の内側を探ってみることにしました….

まず、Aさんが自分の内側をのぞいて気がついたのは、

こんなにもモヤモヤするのは、
自分が完全に真っ白だとは胸を張っていえないからではないか、ということでした。

Xさんのクレームが、完全なるイチャモンであるならば、ここまで自分をモヤモヤさせないのではないかと思ったのです。

自分はもしかして不正をしたのではないか、という自分への疑いを持ってるということにAさんは気がついたのでした。

対戦のときは、強気でXさんに反論したけれど、Xさんの見方からみると確かに自分はズルしたようにも取れるかもしれない、それがモヤモヤの原因だとわかったのでした。

ゲームは遊びなのに、そこで真剣にクレームするXさんと同じように、自分も勝ちたいという気持ちがものすごく強くてああいうことが両者に起きたのじゃないか、

だから、ゆずらずに強気でXさんに言い返した自分もクレーマーと同じかもしれない….

という感じで、良心の呵責がおきました。

そして、次に、

自分は勝ちたいために、そういうことをしてしまったんだ

自分はそういうずるい人間だったのだ

というような自責の念がでてきて、Aさんはどんどん落ちこんでいきました….チーン。

ーーーーーーーー

さて、このAさんのエピソードと内側への旅が教えてくれることは何でしょうか。

まず1つめは、

Xさんというわかりやすいクレーマーが現れて

Aさんの中にもあった、ずるい部分を鏡のようにみせてくれました。

XさんがBさんにしたような、

自分にとって有利なポイントに変えさせたようなずるい側面を

Aさんも実は持っていた(Xさんほど強くはないにしても)、というのを教えてくれました。

2つめは、

Aさんには、良心がちゃんと健在してるというのを教えてくれました。

モヤモヤしたということは、Aさんの良心がどこかで痛むからで、

ずるいことはよくないとか、そんなずるい自分を受け入れたくない(自分らしくない)という深い指針がある、というのを教えてくれています。

もし良心に蓋をしてたり、良心を麻痺させてる人なら、このエピソードは、
”そんなこともあるさ” くらいで通り過ぎてしまう出来事だからです。

3つめは、

Aさんは、自分のことをいい人だと思い込んでいたかった、自分は良い人だと評価しておきたかったことを教えてくれています。

もし、自分がずるい部分を持ってるとちゃんと認識していたら、こんなにひきずりはしないからです。あ、やっちゃった、自分はそういうところある笑、とすぐに認められなかったから、長くひきずったのです。

心理の分析だけだと、ここで終わりじゃないかなと思いますが、

ここで終わったら、落ち込んだままになりませんかね?!汗。

あー自分はずるかったんだな、とか、

自分をどこかでいいひとだと思い込んでいたんだな、とか、

それに気づいて、その内側の心理を認めたとしても、これで心は晴れるでしょうか。

そういうずるい部分があった自分を認めたことで心地よくなるなら、それでよいのですが、そうじゃなくて落ち込んだままの人の方が多いように思うので、

ここで、違う視点からの捉え方をオススメしたいです。

それはこのようなエピソードを、

こんな人間達が起こした「人」による事象としてみるのではなく、

エネルギーの引き合い(意識がつくりだした現象)としてみる見方です。

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上記の事象は、なぜ起きたかというと……

Aさんが
「自分はずるい人間だ」「自分は不正なことをするところがある」という波動、
そういう潜在意識(深いところに隠れてる意識)を、自分自身が持ってるからなのです。

Aさん本人が「自分はずるいことをしてしまう人間だ」という意識をもってるから、
その意識を反映した波動により X さんが引き寄せられて、具体的な事象として体験したという仕組みなのです。

だから、Aさん、

あなたは何も悪くない。

自分はずるい人間なのだと落ち込まなくていいのです。

Aさんは、Aさんが人生のどこかで持ってしまったその不要な波動、

その意識を、ただ捨てさってしまえばよいのです。

本当に、ただ、それだけのこと、そういう仕組みでその現象が起きたというだけのことなのです。

あなたは何も悪くない、

ただ、そのくっついた不要な波動(乱れた波動)を払い落とすだけなのです。

Aさんが、なぜ、そんな波動を持ってしまったのかって?!

それは例えば、

小さいころ親に「お前はほんとにずるい子だね」ときつい顔で言われて、
えーわたしってずるい子なんだ!と思い込んでしまったからかもしれないし、

学校で先生や友達に「そのやりかたはずるいんじゃない?」みたいに言われて、
「そうなんだ、私はずるい人間なんだ」と衝撃を受けたときからかもしれません。

その波動を身につけてしまった機会は、人生の体験により人様々ですが、
いずれにしろ、あることにより波動が乱れて、真のピュアな自分とは違う不要な波動を持ったままになってるのです。

その不要な波動は、もともとのあなたのものではないので、それを排除するために、

Xさんという人が現れることで、あなたにそれを教えてくれたのです。

だから上記のゲームで起きた出来事は、
Aさんの低い波動を解除するためにおきたエネルギー現象なのです。

ということで、不快な現象、モヤモヤする現象が起きたら、

それはあなたを落ち込ませたり、自責の念や良心の呵責を起こすためではなく、

ただ、あなたにとって本来の自分とは違う波動になってるよ、と教えてくれる現象だということを知ってもらいたいなと思います。

とはいっても、感情を持つ人間ですから笑、最初は自動的に落ち込んだり、モヤモヤしたりしますけどね汗。

ただ、そこで終わらないで、それを使って波動上昇に転換させて欲しいなと願います。

昨日3/26 はいろんな人が岐路に立った日と感じました。                               
その流れでこのお花のアレンジメントもいただきました、私にはお花はもっとも嬉しいプレゼントの1つです。 
       

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不要な波動を捨てるには、イメージワークが効果があります。
重石(不要な意識)をよっこらしょと海に投げ捨て去るイメージとか、
天に放出する光となって返すイメージとか、地球に足の裏から流していくイメージとか、自分がしっくりくるイメージで捨て去れます(1回ですっきりしなかったら何回もやる)。

トラブルに巻き込まれるけど、不要な波動がなにかわからないとか、
不要とわかってるけど、自分では排除するのが難しい方は、エネルギー療法を使って不要な波動の掃除をお手伝いできます。

ご興味のある方はHPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/




パターンを変えるゲーム

例えば、人間関係で問題や悩みを抱えてるとき、

解決に向かえる1つの実践的な方法は、

相手といるときに、それまでとは違うパターンの言動や行動をとってみることです。

なぜなら、悩みや苦しさがずーっと続いていて、解決に向かわないのは、

ずーっと同じパターンの言動や行動を自分がとっているからなのです。

例えば、会社の先輩が苦手で、その人と仕事をしてると体が緊張してしまうという苦しさを抱えているとき、

自分がその人といて、どういう態度をとっているかを、まるで動画にでもとってたつもりで思い浮かべてみてください。

おそらく、毎回同じパターンの言動や行動を起こしてると思います。

例えば、その人が話をしてきてたら、いつも、ただ黙ってうなずいて、ただ時間が過ぎるのをやり過ごしているとか、です。

こういうときは、頭の中の思考も同じ反応しか起こしていなくて、

「ああ、この人ってどうしてこんなに威圧的なんだろう」

「わたしは、こういう人、苦手なんだよね」みたいな見方を膠着させているのです。

ですので、

同じ思考 → 同じ言動&パターン →  その人との関係性はずっと同じ状態

にとどまっているわけで、これをエネルギーでいうと、

そこにエネルギーが流れずブロックをこしらえた状態になっているのです。

そりゃ、本当に相手がとんでもなくひどい人で無理なんです、みたいな現実もあるでしょう苦笑。

でも、相手がひどいからといって自分まで長く苦しむ必要はないので、
この関係性は自分を苦しめてるな、なんとか変えたいなと

気づいたほうの人が(つまり波動が高いほうの人が)

”パターンを変えれば” いいのです。

例えば、いつもただ黙ってうなづいていただけど、

今日は、「はい、はい、と声にだして相槌をうってみよう」とか、

声を出すなんてハードルが高すぎると感じるのなら、

ではせめて、「目をみて思いきりうなづいてみよう」と変えるとか、

もしくはいつもうなづくだけで終わるけど、今日は最後に

「よくわかりました、ありがとうございます」と締めくくるようにしてみようとか、

もっと積極的なパターンで、

「先輩って、いつもすごいですよねと、ちょっとほめてみる」とか、です。

いやいや、先輩が怖すぎて行動にうつすのは無理です、というなら、

思考の反応を変えてみるのがいいです。

いつもの「威圧的な人」と自動的にみる反応をやめて、

「あー、この人も家ではただの女(男)の人なんだよね」と冷静に一人の人間としてみるように変えるとか、

「この人がもし仲の良い友達だったら、あんた、その話し方、怖いよ!って笑ってうまくつっこめるかも」とか、

いつもの自分の思考の反応を変えてみるのです。

そうすると、相手がちょっと違ってみえはじめます。

私はエネルギー療法というのをやってますが、

単純な言い方でいうと、人の問題というのは、エネルギーの流れがとまってるところに起こっています。

同じエネルギーパターンでとどまっていてエネルギーが流れてないよ、というのを教えてくれるために、心や体に痛みや苦しさを感じるようになっているのです。

(そうでないと私たちは気がつけない)

ですので、

もっと楽にいきたいとか、

もっと幸せを感じたいとか、

もっと波動をあげて良い事象を呼び込みたいとか、

そういう場合は、

自分が心地よいと感じていない部分を点検してみて、

そこで同じパターンを繰り返していないか、

同じ思考の反応でものごとをみていないか、をチェックしてみるといいと思います。

別の言い方をすると、

実はすべてのものごとは毎瞬間、あたらしく、起こってる のを、まるで繰り返しのように私たちがそれをみてるだけ、だと思います。

(これを心底腑に落とすのは難しいですが汗)

かくいう私も、今朝、いつもと違う行動をとってみました。

今までなら、少しブロックされた心で送らなかっただろうメールを、ある人に送ってみたのでした。

やっぱり、こうやって1歩すすむと、ふわっとエネルギーが流れて軽くなった感じがします。

そしてこの流れは相手にも影響するだろうなと感じました。

今朝は、そんなことが起こり、なんとなくですが今年は、人とのコミュニケーションの枠を1つ外すときなのかもと感じました。

パターンを変えるというと、抽象的なことに聞こえるかもしれませんが、

この世の人生はゲームみたいなものなので、ゲーム攻略法のように、

これまでの自分とは違うパターンを試してみよ!みたいな軽い気持ちで

面白がってやってみたらどうでしょうか。

実際、パターンを変えると、エネルギーの仕組み上、起こってくることも必ず変わってきますから、それを体験できたとしたら、こんなに面白いゲームはないと思います笑。

フィボナッチ数列に並べられたと思われるステンドグラス(無料写真から拝借しました)
このようなパターンでエネルギーが上昇し流れるのが自然なのだと思います。

いつまでも遊んでいたい

昨日、パワーストーンレメディプログラムのシェア会だったのですが(レメディをとって自分に何が起きたかをグループ内でシェアしていく場)、

これまで持っていた社会的な思い込みや制約が外れる動きが

皆の中に起きてきたのがわかったので、

その流れで、以下のような質問をメンバーにしてみました:

「今、自分が置かれている社会的な状況やら役割を

全て、ぜーんぶ、とっぱらったら、

自分って本当はどんなひと?」

各自の答えは、

なんだかかわいらしくて、自分もそんな部分あるあるって共感しました。

そうそう、みんな、もとは、そんなこどもだったんだよね、みたいな感じです。

社会的な役割やら状況って、大人になる過程でいつのまにか身につけていったものですよね。

おとなといっても、こどもの自分がただ外見的に年をとっただけで汗、

その内側って、なにもかわらない、こどもな自分がいるはず。

それを覆い隠して、大人のふりをしてるのが、今の自分ってことですよね。

本当の自分ってどんなひと?に対する私自身の答えでは、

私が今も夢中でやってる趣味のテニスがでてきて、

ゲームとわかってて、100%のエネルギーをだして人とぶつかりあうのが面白いって

表現したんですが、

会が終わった後で、これもまだ大人な表現だったなと気がつきました。

私がテニスが好きなのは、

こどものときに、そのへんの空き地とか運動場とかで、皆でただ思いきり遊んだ、

あの感覚が好きなんだと思いました。

意味もないし、特に生産性もないし、それで賢くなるわけでもないんだけど笑、

ただ皆が遊びに夢中で、ちょっとのことでげらげら笑って、

おにごっこやら缶けりやら、勝手にルールきめたわけわからん遊びとか、

ズルした子を皆がけなすくらい真剣に遊びの勝ち負けにこだわったりとか、

ただただ思いきり目の前のことで一生懸命「遊ぶ」、

あの感覚が好きなんだ〜と思いました。

遊んでた子たちが誰だったかはっきり覚えてないから、

友達が限定されてたわけでもなく、クラスの子や近所の子、その辺にいた子たちとテキトーに遊んだり、

お盆や暮れのときに集まった親戚の子たちと年の差バラバラながら大勢で遊んだり、

その場その場の遊びのルールの中で思いきりやる!

あの感覚が好きで、あれをずーっと忘れたくなくて、それでテニスやってるんだ、と気がつきました。

テニスやってるひとの中には、健康維持のためですと大人なこと言う人もいるけど笑、

私みたいに真剣にやってるひともわりと多くて、

その人たちは恐らく私みたいに、

こどものときの感覚でずーっとずーっと思いきり遊んでいたい人たちなんだろうなと思いました。

そんなこどものときのピュアな元気で明るい自分を思い浮かべたら、

その小さな自分をとても愛おしく感じました。

↑ 私のラケッドバッグにこっそり入ろうとするスコッチ汗、このまま、連れていこか笑。