例えばですが、
時々手作りの簡単なお菓子を作ってる人がいたとします。
その人は、できたらそのうち本格的なパティシエレベルのお菓子を作ってみたいと思っていました。
そして少し時間に余裕ができたので、念願の上級レベルのお菓子教室に通うことにしました。
その教室に通いだして、
先生に作り方を教わっているときに
自分は上級レベルのお菓子をつくることができない〜
と自分を評価して落ち込んだりするでしょうか。
つくれない、できなかったから、そこに通いだしたのは当たり前なわけなので、そんなことは思わないのでは、と思います。
(チョコのテンパリングなど1つ1つの技術がうまくできないと四苦八苦したりはするかもですが、そもそも自分はできない人だみたいな自分への総合の評価は下さないだろうという意味です)
これと同じで、もし、人生の中で、これが苦手とか、これが全然できないと思って苦しんでることがあるなら、
それ、できなくて当たり前ですよ
と声をかけたいなと思います。
なぜなら、それにチャレンジするために、あなたはそこにいるのですから。
この世の人生をお菓子教室みたいな「学校」ととらえると、
そのできないこと、苦手なことにチャレンジするために、今、その人生を体験してるのです。
人はできてることには苦しまないし、悩みません。
できてないとわかってるから、苦しんだり、悩みます。
それは、エネルギー波動でいうと、そのことに対してマイナス波動だったのでプラス波動に転換して波動の乱れを中和するために、引き寄せられた事象なのです。
だから、今、できないのは全くの当たり前、なんです。
できてたら、引き寄せないから汗。
例えば、私でいうと、私は病や心を扱う仕事をしていますが、
プライベート生活では、テニスに熱中して取り組んでいます。
これは何をしてるかというのを、上記の話に沿って書くと、
私にとっては、心の問題を転換させるのはわりとできることなのです(私に心の問題がないというわけではなく、心の問題の答えを解くことがわりとできる)、
しかし、私は「体を実際に使って」プレイを少しづつ変化させたり、改善したりすること、
勝ち負けを味わう中での人間関係は、上手にできないことなのです。
だから、そのできないことにチャレンジ中、もがいたりしながら学び中なのです。
このところ
「自分はできてない」
という自分への評価で苦しんでる方のご相談がシンクロで起きてるので、
この記事を書いてみました…
が、書きながら、私も全く同じことテニスで感じてたわ、とわかりました(私にもシンクロしてた笑)。
そう、できないから、それにチャレンジしてる最中なので、
どうぞ安心して、チャレンジしてください。
自分がOOをできないと感じてるとき、他の人をみると、
他の人はOOができてるようにみえてしまうものだけど、
その人は別のところでXXにチャレンジ中なのです。
だから、どんな人も人生で何かにチャレンジ中、
あなただけが苦しんでるわけではないのでしょげないでください。
そして、今、できなくてもがいてることは、
最終的に上手にできるようになる可能性がとても高いのですが、
もしそこまでできるようにならなくても、それはそれでOKなのです。
できる、できない、は、この物理次元社会の抽象的な評価です。
マイナス波動で残ってるのは何かというと、
できるorできないじゃなくて、
やり残してる=その波動を十分に体験していない (これまでその体験を避けてきた、逃げてきた)ということなのです。
ですので、大事なのは、
自分がそれにチャレンジした!
自分がやれるだけやってみた!
と体験する、ただそれだけのことです。
さー、だから結果は怖がらずに、チャレンジしよー!
(とテニスをする自分にも声かけてます笑)

体や感覚をつかって私たちは人生を楽しんでるのでしょう……