あなたは、あなたのままでいい

気分が落ち込んでいくとき、なにかの”きっかけ”があると思うんですが、

100%といってもよいくらい、それは”他人のこと”から始まるように思います。

他人からダイレクトに批判された場合、そりゃ、落ち込みます。

でも他人からダイレクトに批判される機会よりも、
自分で自分を批判していくというマゾ的な(汗)落ち込みの方が圧倒的に多いのではないでしょうか …..

例えば、今の時代はSNSというものがあるから、それで目にした他人の活躍や、他人の私生活で充実してる様子、単に他人のフォロワー数とか、いいね!の数が多いとかそのような他者との比較から、落ち込みのループが始まることが多いように思われます。

あの人、友達と楽しそう、わたしにはこういう仲間はいないな….ずーん、とか

あの人、すごく頑張ってる、素敵、えらいな〜、それにひきかえ、わたしは、何も頑張っちゃいないな…..とか

どんどん自分の評価を自分で低くしていくループの始まり(汗)。

これは、何が起きてるかというと、

自分の、自分に対する評価がぐらついている、です。

別の言い方をすると、

自分の、自分への愛が試されてるとき、

自分で自分を信じる気持ちが試されているのです。

今(SNSでみた誰かと比べて、冴えないように思える)、この瞬間の

ありのままのあなたを好きですか?

と問われているのです(自問なのですが)。

ここで、落ち込んでいくとしたら、

いいえ、わたしは、いま、この瞬間のありのままのわたしが好きではないです

と答えてるようなものです。

ですので、こういうときは、しっかりとそこに意識を持って、

いやいや、わたしは、確かに今、人と比べて、このわたしを嫌いになりそうになりましたが(汗)、わたしは、実は、わたしが意外と好きです、

と思ってあげましょう笑。

素敵にみえた他人は、素敵だなと評価するままでいい、

でも、それをみてて落ち込みそうになった自分を嫌いになることはなくて、

私は私も好きです、と思っておくのがいいです。

そうすると、落ち込みループにはまることは減ってきます(ちゃんと自分が好きだと認識していくとループ自体にはまりません)。

前の記事でも書きましたが、

私たちは、自分オリジナルの神のシナリオを歩んでいます。

たとえ、あなたがあまりパッとしない生活をしていようとも、

たとえ、あなたがたくさんの欠点や改善点を抱えていようとも、

たとえ、あなたがしたいことを成し遂げていなくても、

あなたは、ちゃんとその自分オリジナルのシナリオを歩んでいますので、

安心して、そうだ私はこれでいいんだった、と思って、

自分で、その自分をどうぞ信じてあげてください。

ちなみに、私はありのままの私でいいんだ、というとき、

何もやらなくていいんだ、

何も進化しなくていいんだ、という意味ではないです。

私たちの源はエネルギー体なので、否応なしに進化する存在です。

ですので、進化はするんです、でも、

他人のように進化しなくていいし、

他人のようなスピードで進まなくていいのです。

あなたは、あなた独自のペースで、独自の進化をしていく存在。

だから、安心して、あなたのままで、進化していけばいいのです(人生を歩んでいく)。

誰かが素晴らしい生活を手に入れてるようにみえたり、
とても素晴らしいことを成し遂げていようと、
その人もその人で、その人の神のシナリオを
その人のペースで歩んでいるだけなのです。

ですので、
あなたもあなただけの、そのシナリオを信じて、
自分が主人公のそのシナリオを存分に生きてください。

と、いうことで、他人と比較して気分が落ちそうなときは、

あ、私の私への愛が確かめられてるんだ! と気づいて、

わたしはわたしのままでいいんだ、わたしはこのわたしが好きです、

と再認識してみてください。

心地よくてたまらなくなりますよ(笑)。

追記ですが、

わたしは、何もよくできていない自分が好きとは思えないんです、みたいなことをおっしゃる方がいますが、

そういう方であっても、自分のことが好きだと思える、みつけ方があります。

日常の生活の中で、あなたが、ちょっとでもいいから気に入ってるというもの、ありますよね。

10年以上も使ってる愛用のマグカップとか、

着古しだけど、着心地の良くて捨てられないTシャツとか、

この道は、ちょっとひっそりとして好きだな、とかそういう場所なんかありませんか。

そのような人からみたら、どこが好きなの?と言われちゃいそうなもの、

パッと見はさえないけどなんとなく好きとか、そういうものや空間や場所、

それはあなたが「愛着をもってる」ものです。

人の評価や社会的な価値は関係なくて、

あなたが好きなものなのです。

そういう愛着を何かにもてているのなら、

人の評価や社会的な価値がなさそうに自分が思える「あなた自身」にも、

愛着をもてます。

長年つれそってる「あなた」というその人、愛着をもつのに十分な存在です。

夏は冷えたスパークリングに愛着のあるわたしです(注)写真はわたしではありません(苦笑)

寛容=愛の別名

自分を愛しましょう、なんて言葉がフツーの声かけのように使われる時代になってきてますが、

自分を愛するって、結局のところ、そもそもどういうことを指してるのかわかりにくいので、

自分を愛したくても、なにから始めたらいいの?!と実践するのも難しいように思います。

「愛」が大事というのは感覚的に皆がわかっていても、具体的にそれを日常に取り入れる方法がわかりにくいのだと思います。

簡単にそれを始めるコツとして、

「愛」→「寛容」に変えるのがよいのでは、と私は思っています。

家族につい感情的に怒ってしまって、

なんでそんなことするの!

とどなってしまった自分をすぐに「愛する」のはできそうにないけど、

その自分にちょっと「寛容になる」のはできそうに思います。

「寛容」をオンライン辞書でひくと、

「他の罪や欠点などをきびしく責めないこと」

という文章がでてきます。

罪や欠点をゼロにするわけじゃなくて、”きびしく” 責めないんです、

起こったことを全面的に許容するわけじゃなく、ああ、そんな自分はまだまだだ、とも思うけど ”きびしく” 責めずに、

ちょっと / ゆるく責めるで終わりにするんです。

→ またイライラして怒っちゃったよね、でも、まあ、それはそれでいいよって、自分に寛容に接してあげるのです。

誰かからひどいことをされたときも、

そのひどいことをした相手を「愛する」なんて、

とてつもないことのように思うけど、

「寛容になる」くらいなら、ちょっとできそうな気がしませんかね。

なんてひどいことするの!…、でも、まあ、ちょっと、このことに寛容になってみようか…..くらいにゆるめてみるのはどうでしょう。

これは自己肯定感を高めましょう、みたいなことにも、

使えるのではないかと思います。

今すぐに、自分はすごい!自分はできてる!という肯定感を持つことは難しいけど、

自分がやらかしたミスやら、自分ができなかったことを、

寛容にみてあげる、はできるんじゃないかなと。

やらかしちゃったけど、まあ、仕方ないよ、それでとりあえずいいよ、とか、

できなかったけど、いいさ、いいさ、とか、

完全にいいよと思えはしなくても、ちょっと寛容になるくらいなら、手が届く範囲なんじゃないかなと思うのです。

自分で自分に寛容な言葉がけをするのが難しいなら、

仙人のようなおじいさん(おばあさんでもいいけど笑)がすぐそばにいるイメージで
「いいんじゃよ、それで」(おじいさん口調、笑)と、
代わりにささやいてもらってください。

あ、別に仙人じゃなくて、女神さまとかマリア様とか誰でもいいですけどね汗。

寛容というのは、これまで自分のことや、他人のことをジャッジしてた点数の数値を少しあげてあげることでもあります。

これまでなら、ああ、こんな自分は嫌だな、点数でいうと自分は50点くらいだなと評価していたのを、

ちょっと寛容につけてあげよう、
そうだな、70点にしてあげよう笑、みたいに点数を甘くつけてあげるようなことです。

寛容になるというのは、

自分に愛を今よりもう少しだけ多くあげること、

他人に愛を今よりもう少しだけ多くあげること

なんじゃないかなと思います。

宗教のキリスト教信者ではないのですが、なにかあると私に浮かんでくる人は Jesus です。
しかし自分や人を寛容にゆるそうとするときは「いいんじゃよ、それで」というおじいさん仙人の言葉がしっくりきます笑。

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やってみたけど、ほんの少しも、自分に寛容になれないよ、という方。
寛容になるのをゆるさない自分が何かの理由で存在するのかもしれません、
それは、いったい何なのか、コンサルテーションで一緒に探ることができます。
ご興味のある方は、HPの方へどうぞ:https://arnicahomeo.com/